5・20難民講座終了

 難民講座は無事終了しました。

 ビルマ難民の方たちのお話はいずれもビルマの現体制の人権侵害状況をリアルに伝えるものであった。長老の方の話には、紀元前にはローマとの交易もあったというビルマの歴史的蓄積を感じさせるような深さを感じた。現在の急激な開発の波の中で、政治体制の変化も当然起るものと思うが、現政権の民主化が、少数民族には及ぼされておらず、早期の帰国は難しいということもわかった。シャン族に対しても最近、暴力的同化政策(国軍によるレイプなど)が取られるなどしており、少数民族の多くが自衛のために武装している。停戦合意は簡単に繰り返し反故にされているということだ。だから、日本の投資をひかえて欲しい、ビルマの民衆のためになるように考えた投資をして欲しいということを言われた人もあった。

 ビルマには歴史的地理的文化的民族的多様性があり、平野部においては、「アジア的生産様式」が認められる。そこからいきなり近代化がもたらされたことで、多くの問題が生まれていて、さらにイギリスの植民地政策(平野部の直轄支配と山岳地帯の間接統治―旧来の支配体制をそのままにした上で統治するという形態)の影響も残っている。このような多様性を持つ国の統一は軍事的暴力的統治によってしか実現できないと考えたのが、ネーウィン独裁政権だった。他方で、ビルマ共産党の創設者の一人であるアウンサン将軍(アウンサンスーチーさんの父)は、ビルマの詩人の言葉とされる「多様性のなかの統一」を理念として掲げたという。この「多様性のなかの統一」という言葉は実に深みのある言葉で、多様性というのは普通に考えれば、分散・分裂をもたらすものだが、そのなかに統一があると考えるのは、弁証法的である。その場合の媒介が何かがビルマの政治の鍵となるだろう。「多様性のなかの統一」を媒介するものが見出されねばならないわけだ。それが軍事独裁ではないということは歴史が明らかにしているとおりで、だからこそ、日本に多くのビルマ難民が存在しているのである。その時に、アジア性ということが一つの重要な概念となるのだろう。それから、ビルマは、東南アジアに属すが、それは、アジアの東の南であり、より大きくは東アジア史の中にある。ビルマのカレン族の人は、そのルーツは今のモンゴルのあたりにあり、そこから南下した民族だと語っていた。チベット系の諸民族もいる。そして、古くから、中国人、インド人もいる(最近、これらの人の数が増えているという)。ビルマの民族数は、政府によって操作されている可能性が高く、信用できないということであった。シャンの人の話では、ビルマ族と他の少数民族の比率はだいたい半々ぐらいだという。

 東アジアという視座をとって、改めて、ビルマや東南アジアの位置や歴史的情勢と今日の課題、その解決の仕方、関わり方などについて、考えてみたいと思った。

 なお、7月9日施行の改定入管法については別に書いたものがある。これは施行後、様々な問題が生じ、トラブルが起きることは間違いないもので、それに対する運動・闘争が起きることが今から確実に予想されるものである。

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5・20難民講座 どうなるビルマの民主化?

以下、訂正があります。開始時間は2時30分ですので、お間違いなく!

5・20難民講座
         どうなるビルマの民主化?
            ――在日ビルマ難民に聞く―

  日本で圧倒的多数割合で難民認定されているのはビルマ難民です。

  最近、ビルマ政府は「民主化」を開始し、例えば、長年弾圧してきた民主化運動のリーダーのアウンサンスーチーさんが国会議員になることを許容するなどしています。しかし、少数民族が多く住む多民族国家ビルマでかれらがどうなるかはよくわかりません。日本で最大のビルマ難民がどうなるかは、難民問題全体にも大きな影響を及ぼします。

 7月9日の改訂入管法施行と共に難民問題をめぐる大きな変化の兆しなので、今のビルマの「民主化」を当事者がどう捉えているのか、それが難民問題に与える影響はどういうものなのか、等々のことを、ビルマ難民の方から直接伺い、共に考えていきたいと思います。是非とも、ご参加下さい。

日時:520日(日)午後2時30分〜

場所:新宿区立元気館第1洋室(東京都新宿区戸山3-18-1  TEL 03-3202-6291

資料代:500(難民の方は無料)

内容:〈お話〉サイシーワンさ(在日シャン民族民主主義会)ゾーミンカインさん在日ビルマ少数民族協議会 議長)マイチョーウーさん(国民民主戦線(ビルマ)議長)、難民のアピール、等

           難民を支援し連帯する会

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3・11を総合的に考えるためのメモ

 テントの再稼働阻止リレーハンストが続いている。どうやら、5月5日までの大飯原発の再稼働は難しくなってきた。新聞(共同通信)の世論調査で、大飯原発の再稼働に反対が、約59%あり、多数となっている。同じ共同通信の世論調査で、野田政権の支持率が23%しかないことが明らかになっている。こんな状態で、再稼働を強行できるのかは、大いに疑問である。さらに、城南信用金庫本店で、脱原発地方自体首長会議が発足したことが報道されている。佐藤栄作久元福島県知事も参加し、福島県からは、桜井南相馬市長が呼びかけ人となっているし、オブザーバーで、井戸川双葉町長が参加している。大きいのは、原発立地自治体の茨城県東海村の村上達也村長が参加していることである。脱原発に向けて大きい主体が誕生した。このように多様な主体が次々と登場してくることは、革命的情勢の特徴の一つである。マスコミの報道だけを見ていると、そのことは感じられず、政府等が描いた「事態収束宣言」物語の筋書きどおりに進んでいるように感じられるかもしれない。しかし、物語は複数同時にかつ重層的に展開していて、様々なバリエーションを描きながら錯綜したまま動き続けている。物語は創造され続けており、それは「事態収束」物語を揺さぶっている。この同時並行して生み出され語られている物語を聴き取り、聞きわけることが必要である。なぜなら、物語る者は、先行する物語を受け取り、変奏していくからである。例えば、マスコミが作る物語を書き換える。あるいは、それに対して自らの位置取りをする、といったことをする。原発を受け入れた時に同時に受け入れて書き換えつつ内面化した物語を、今、現地の人は、3・11原発事故を受けて書き直しているところである。例えば、福島県立医科大学の副学長の山下氏の描いた放射能安全物語をいったん受け入れた人々が、別の物語を受け入れ、それを書き換えている。レントゲン検査を受けようとしない人が生まれている。あるいは、不安を訴えている。山下県立医大副学長や県当局の安全物語を信用していないのである。こうして、物語への態度は、人々の行動基準、判断基準、倫理基準を形成している。この次元をくりこまないでは、政治への大衆的信用はかちとれない。例えば、「原子力ムラ」の一角たる東大で、相変わらず誰もその責任を認めないし、責任を取らないままでは、その中の人間が言うことを簡単には受け入れられない。運動には、まだ、「原子力ムラ」に責任を取らせる力がない。権力を持つかれらをやめさせることもできない。責任を言葉の上だけでも認めさせられていない。その力がないのだ。しかし、大学当局や教授会には、かれらの責任を明らかにし、責任を取らせる力があるのではないか。かれらは強者であり、権力者である。それが、あたかも被害者のように振る舞い、装うのは、知的退廃を示しているのではないか。そんなことは許せない。事態が改善しない間は、「言い訳無用」という厳しい倫理的態度でのぞむしかない。実際に権力・権威を持つ者が被害者を装うなどもってのほかだ。

 中江兆民、陸 羯南、内村鑑三、『女工哀史』。それから、ネグリの関連で、クローチェ。それから、高橋哲哉氏の『沖縄と福島』(集英社新書)、横山源之助『日本の下層社会』、徳富蘇峰、幸徳秋水。中田力氏『日本古代史を科学する』(PHP新書)。『日本の下層社会』をハンドブックに、明治の東京のスラム跡、細民町跡をいくつか訪ねてみた。日本近代の主体の歴史について考えてみたいと思ったからというのと、それと福島のチベット問題あるいは福島チベット物語の関連を考えているからだ。都市下層社会と地方の「チベット」社会。その点で、高橋氏の『沖縄と福島』での日本近代の犠牲システムの被犠牲極としての共通性の存在の指摘は重要だと思った。東北学で、赤坂憲雄氏が、東北には近世に移植された被差別部落しかないと指摘しているのは興味深い。差別されない共同体としての部落は解放された部落じゃないのかと思えるからである。それから、なにかしら、ある種の現象論をたてて、それに、具体的なものを当てはめていくというやり方で、なにかを排除していくというのは、抑圧的であるということもそれらからわかる。例えば、高橋氏のキリスト教者の震災に関する言説批判はそのことを示している(内村鑑三の関東大震災論)。宗派的な言説が人を傷つけるという問題は、排除の構造を強化することでもたらされるというのである。例えば、天罰論・天恵論である。罰せられて当然とされる者とそうでない者を区別し、一方の排除を正当化する言説として天罰論があり、そのネガとして天恵論があるというのだ。戦後の反核運動の問題点、弱点を鋭く突いていると思う。これについてはそのうち取り上げてみたい。あとは、具体的な階級・階層分析をしたいということもある。雑誌『情況』は、そうした差別と闘い、それから人々を解放する武器となるだろう。差別についてもしっかりと考え、それを解明し、解決するという方向をしっかりと定める必要があり、それに邁進していかねばならない。くだらないちっぽけな宗派主義はその妨げでしかないから、それを打ち砕いて、前進していかねばならない。たいした決意のない者が適当なことを言ってその道をさえぎろうとするなら何者であろうとも覚悟を決めた方がいいということだ。差別の概念とその現実がある以上、それについて考え、考えを表明するのは、知識人の義務である。そこから逃げることは許されない。

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原発再稼働阻止、ネグリ・シンポなど

 4月17日、5月5日までの大飯原発再稼働阻止行動のリレーハンストに突入する経産省前テントひろばが、記者会見をするそうです。

 大飯現地ではすでに関西の反原発団体などがテントを設営して、再稼働阻止の現地闘争に入っています。福島の人たちも再稼働阻止の闘いに入っています。世論調査では改めて約8割の圧倒的多数が脱原発を求めているという結果が出ているし、自民党も再稼働には慎重論を唱えています。それでも、野田政権は再稼働を急いでいます。この再稼働阻止の行動を支持し、支援したいと思います。

 15日のネグリ・シンポは盛況でした。『戦略の工場』(作品社)は、いろんな論点があるし、論点を作れるので、しっかりと読もうと思いますが、残念ながら時間不足で、きちっと読んでしっかりとしたレジュメを書くことができませんでした。しかし、最初のあたりを中心にいくつかの断片的メモは書けたので提出し、提起しました。会場は集中し熱気があり、それは2次会まで続きました。驚きました。この本のサブタイトルは、「レーニンを超えるレーニン」で、今では否定的に語られることが多く、過去の人、「死んだ犬」(ヘーゲル)と見なされてきたレーニンがテーマだったからです。ずいぶん前から、レーニンの再生があると書いていたのですが、まるでそのとおりになったかのようです。新たな運動が次々と立ち上がってきて、大量の活動家がどんどん登場してくるという3・11後の大きな変化のせいかもしれません。3・11はすでに世界を変え、人々を変えています。他方で、改定入管法施行期日が迫っており、それは難民問題にも変化を及ぼしそうなので、それを分析することも必要です。いろいろと課題があり、それらを包括的に解決するためのテーゼも必要だし、その主体も必要です。同書を読んで、そのことを痛感したので、もっときちんとした文書を書きますが、とりあえず、ご参考までに、シンポで提起したメモをちょっと書き換えたものを貼っておきます。

 『戦略の工場』についてのメモ

 ネグリの『戦略の工場』を読んでみて、まず、これが講義の形式で行われたものであり、したがって、自ら繰り返しているように、マルクス・レーニンの思想が「学知」という形態を取るというふうになっている。それが、なにかの配慮によるものなのかどうかはわからない。ネグリは、「序文」で、イタリア共産党トリアッティ派(多数派)が、レーニン主義の「正統派的に執着し、文献学的に忠実であればあるほど、政治的にはますます日和見主義的であるように思われた」(p7~8)し、グラムシ路線は、改良主義とプロ独に代わる「同意調達の理論装置」(同)と解釈されていたという。マルクス・レーニン主義を名乗る部分は、レーニン主義をスターリニズム的に使っていた。それに対して、ネグリは、当時、ボルディーガ派(彼はその中にアラン・バディウを入れている)とフェイシング・リアリティ派の主体性論に興味を持ったという。他方、イタリアのオペライズモは、「レーニンの仮説との関係では全面的にこれを見直す立場をとると同時に、彼がめざした革命については徹底的にその権利回復を求める立場をとった」(p8)。マリオ・トロンティがその立場を代表していた。「レーニンは階級の新たな現実と向きあうことで生きている」というトロンティの仮説の革命的修正主義は、「プロレタリアートの政治構成と対応するプロレタリアートの技術的構成の変化への着目」だったが、それは4つの源泉を持っている。第1に、レーニンは、革命過程の持続性を認識するための理論装置であり、組織化するための道具であった。第2にスターリン批判によるマルクス主義の革新、第3に、スターリン主義のテロルとレーニン主義の継承関係が否定された。第4に、レーニン主義の中に新しい組織化の起点を見出した。イタリアが当時直面していた移行とは、「大衆的労働者からなる階級のヘゲモニー、そして外部的な知識人による組織化におけるヘゲモニーから、社会的労働者の組織化と知的生産に内在する労働力の組織化の新たな諸形態への移行だったのである」(p12)。しかし、ネグリたちにとって、レーニンは階級闘争の変容の分析のための方法論文であり、「諸主体の変容を通じた革命の持続的な再創設のための」(同)合言葉だったそうだ。全体を貫くネグリの基本テーゼは以下のところに要約されていると思われる。

 この講義のなかで、搾取される者たちの組織化をめぐって控えめに論じられていた政治的な移行、すなわち労働者階級からポスト近代のマルチチュードへの政治的な移行は、いまでは随分と先に進んだ。しかしながら、それ以上のなにかがある。それは、レーニンの認識論が自らに課した確認、すなわち歴史過程において革命の証言者がある主体から他の主体に移行することは、本当にまったく認識可能であり万人によって理解されうるということの確認であるのだが、それだけではなく、この移行がいまや〈帝国〉に抗するグローバルな革命とマルチチュードの織り成す編成体として提起されているという事実である(p16)。

  様々な論点があり、それらをここで尽くすことができない。その原因について、ネグリはこう指摘している。

  レーニンは革命の現実性なのです。レーニンは、一定の情勢の内部で、すなわち歴史的な主体(ロシア・プロレタリアート)とその主体が立ち向かう総体的で資本制的な権力構造とのあいだいに広がる一定の階級関係の内部で、あの瞬間、あの局面において、世界プロレタリアートが提示する一連の諸問題すべてを解釈しているのです。マルクス的な意味で、抽象的なものが具体的なものになる、言い換えれば、あらゆる現実的な諸規定の総計になるのです。したがって、ロシアにおける革命の問題のレーニン的解決は、単に(ロシアの革命的プロレタリアートと、生産諸関係や支配の諸関係の半封建的な条件とのあいだの)関係の規定に結びついているようなひとつの解決なのではなく、レーニン的解決とは、包括的問題の解決としてある限りにおいて、そしてその限りにおいてのみ、包括的問題の解決でもあるのです。すなわち階級関係の分析であり、解釈であり、一定の実践的解決であって、さらには、一定の時代におけるあらゆる情勢に対する革命の企ての構築への、包括的で全般的な貢献なのです。資本制の最終局面への移行とは、専制政体とプロレタリアートの闘争(「この国の命運を決する瞬間」)をプロレタリアートに有利なかたちで、全人類の救済のために、展開する可能性のことなのです(p26

  ここに、レーニンの、あるいは弁証法的唯物論者としての主体としてのレーニンの思考の基本的特徴が示されていると思う。ここにはわたしが長年思ってきたレーニンの思考の特徴と同じものがある。「抽象的なものが具体的なものになる、言い換えれば、あらゆる現実的な諸規定の総計になる」ということ、レーニンが『哲学ノート』で書いているように、具体的認識が進むと、概念はどんどん多様になり、それを弁証法的に包括すればするほど豊かな規定となっていき、総体的となっていく。社会諸関係の連関を把握すればするほど生き生きしたものになる。それは、弁証法的に、移行し、飛躍し、転化し、新たな規定へと変化、「とんぼ返り」する。それは、現実の諸関係の頭脳への「反映」である。資本制社会諸関係が頭の中だけではなく現実においても「とんぼ返り」する。それを思想が「反映」するということ、そして、その逆転(反転の実践、「とんぼ返り」)がある。それが意思となり、現実を「反転させる」。そこにプロレタリアートの意思の塊としての党の実践の意味が出てくる。プロレタリアートの自然発生的な闘争においてはそれは純粋に表現されず、意思として純粋ではない。だから、プロレタリアートの自然発生的な意識を純粋なものとして発展させることが必要となる。それが目的意識性である。それは自然発生性の内部に萌芽として含まれているが、その中では完全には展開できないというのがレーニンの見立てだが、自分の経験でもそうだと思う。ネグリは、それを1970年代のイタリアの運動の中で「成長にともなう病」として経験したようである。

  ネグリが、組織を「自然発生性の完成」と言っているのは、ネグリ的なレーニン解釈であろう。ここにネグリのしくじりがあり、彼が『哲学ノート』を参照し、レーニンのヘーゲル弁証法の解釈を肯定しながら学び取りきれなかった部分が示されているのではないだろうか。それは、量から質への転化という規定である。自然発生的運動の量から質への転化を媒介することなく、つまり目的意識性の介在なしに、自然発生性の直接延長上に階級闘争の高い次元への転化・発展を実現することはできないというのが、レーニンの含意であったと思われる。

  少なくとも、日本の場合、主体性論については独自の歴史があり、その分析と総括があり、それと比較する必要があるということは明らかである。それから、現代資本主義論においては、国家独占資本主義論、帝国主義論などの問題もある。その評価抜きに、ネグリ的「帝国」論に乗り移りすることはできない。日本の運動史の総括も必要である……などの課題への取り組みがより必要だということに気づかされた。

  他方で、グラムシにあった南部問題やレーニンの農民問題、民族・植民地問題がない、などの不満がある。この本を読んで、帝国主義論が、この時点ですでにネグリの中に欠けていたことがわかり、それでは、具体的な世界分析、階級階層分析、先進国と後進国との具体的な関係が消えて、そこから具体的なプロレタリアートの総体的な認識と戦術が導き出せないという限界があることがわかった。そこが朝鮮半島・中国・東南アジアなどとの戦後処理、戦争責任が問われ、植民地主義の清算が今なお大きな課題として存在し続けている日本との違いなのだろうか。運動としてもそうした領域を担う部分があり、それは現在の国際関係の大きな課題となっている。日本国内においても、沖縄、アイヌ、都市と地方の格差、東北問題(赤坂憲雄)などがあり、階級構成でも、社会的労働者の中にも格差・非正規労働などの問題を抱えており、それらの「総計」の認識と包括的な階級闘争の構成という課題がある。それら諸問題の包括的解決の主体としてのプロレタリアートの構成と戦術が求められていると思う。これら諸問題の包括的解決主体が政治構成としてのプロレタリアートの任務だとしたら、それには、原発、エネルギー問題も含めなければならない。そうした課題の多さ、大きさを認識させられたというのは、この本の大いなる意味であると思う。論点が多く、内容が豊富だとも思う。

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福島の喪は開けた。いざ、闘いへ!

 3・11直後に当ブログで書いたように、2011年3・11から1年間は喪に服す期間であった。しかし、今年の1周年の福島現地での1万6千人(主催者発表)の県民大集会で、福島主体が立ち上がった。これで喪は開けた。また、脱原発運動は深化している。そのことによって大きな力が与えられたと感じる。しかし、政府は再稼働に向けた動きを本格化させており、それに対する闘いも、福井現地と福島、そして全国を結びつつ取り組まれている。すでに、原発いらない福島の女たちの会のハンストが行われ、大飯原発のある福井の反原発運動への連帯・支援行動が始まった。4月17日から5月5日全原発停止の日まで、経産省前テントでリレーハンストが闘われる。福島主体の本格的な攻勢が開始された。「原子力ムラ」の責任追及も本格化する。大型訴訟も次々とある。原発立地自治体の長も含めて、国と東電への厳しい責任追及が始まる。これから本格的な闘いが始まるのだ。「原子力ムラ」は覚悟するがいい。3・10‐11福島アクションについて別紙に書いたものをつけておく。

 先日、TBS報道特集を観た。テーマは原発輸出問題であった。日本はベトナムへの原発を輸出しようとしているのだが、建設予定地の村人のなかには、3・11以前に福島に来て、原発と共存する現地の人々の姿を見て、原発が来ても大丈夫だと思っている人がいた。3・11のこと、3・11後の廃墟のようになった原発立地地域の実態をまだわかっていないようだ。そして、印象的だったのは、原発輸出を日本の国策として、人が死のうと放射能を浴びようとなんとも感じていないような強固な推進派の原子力産業なんとかという組織の役員が登場して、原発輸出をすると断言したことである。中間派、動揺分子はこの間の脱・反原発運動の高揚、圧倒的多数の脱原発支持の世論などに押されたためか、沈黙してしまっているが、こうしたこれまであまり表に出てこなかった確信的でコアな原発推進派がいよいよ表に出てきたのである。かれらこそ、この国の権力を握り、動かしている支配階級の中の支配階級である。かれらとの闘いは極めて厳しいものになるだろう。しかし、かれらの意図を挫くことは不可能ではない。このこと自体が、これまで、議会制民主主義の仮面の下に隠れて、実際にこの国を動かしてきた勢力が表に登場せざるを得ないところに追い詰めたことを示しているからである。これは、一面では、この間の運動の成果として出てきたものなのだ。

 ところで、フクシマ論で有名になった開沼博という同郷人は、若すぎて、頭でっかちであるということが、あるインタビューを見てわかった。ともかく、未熟である。それは当たり前のことなのかもしれないが、そうでもない人もいるから、惜しいことだ。例えば、彼は、「少なくとも原発周辺に住む人々にとっては、今食っていけるか否かが重要」と言う。つまり、原発誘致した側は、もっぱら経済的利害で価値判断するだけの功利主義的人間として捉えられて、それが深く刷り込まれてしまっていて、それを信じて疑わなっていないのである。ところが、例えば、原発を誘致した自治体の双葉町の井戸川町長は、いまや自己批判し、原発はいらないと言う。彼は、原発は危険だという認識をかなり前から持っていて、それを何度も東電職員や役人に聞いが、その度に、かれらは、絶対安全だと答えたという。飯は食いすぎるほどあっても仕方がない。程度というものがあり、量的にどの程度で満足するかは人によっても違う。それから、質という面もある。そして、中沢新一氏が言うように、毎日目にする風景に馴染んでいき愛着を覚えるようになったり、それが自分の人生の一部であるかのように象徴化されることもあり、それがなくなるとまるで自分の一部がなくなるかのように感じるようになる場合もある。われわれは、そういう社会と自然の関係を自分の生の一部として自己認識しているので、安全ならどこに住んでもいいということには必ずしもならないのである。避難の権利を確立することと避難を強制することは違うということも含めて、生活さえできればどこに住んでもいいというものではないのだ。経済価値のみに人間価値を抽象し還元することはできないのである。それから、彼が「まず原子力ムラを肯定せよ」と言うのは、原子力ムラの存在を認識せよというのではない。存在を認めることがそれを肯定することになるというのは論理的に間違っているということも指摘しておかねばならない。それらのことは段々わかってくるだろうし、わからなければどうしようもないと思う。

 それから、「1年前、沖縄米軍基地問題では人々はあんなに熱狂していた。にもかかわらず今では誰もそんなことを気にしないままに粛々と問題の処理が進められている、という例を出されていましたが、福島原発もいずれ忘れ去られてしまうのでしょうか?」という質問の中身だ。これは内部から見てるのとまったく違う。むしろ、沖縄と福島の共通性と違いの認識というところに意識が深化しつつあり、運動でも、3・11後の沖縄という新しいステージへの思想的発展に進む途上に入っているというのが実態だ。まず認識せよ、しかる後に実践だというのは、頭でっかちの問題のたて方の基本的な特徴で、実践と認識を切り離すからそうなるのである。実践と認識は不可分であって、どっちが先とかいうことは言えない。だから、彼が、「原子力ムラを一度受け入れる、つまり、それによって成り立ってきた「原発がある幸せ」を無意識的にせよ選択してきてしまっていた、今もいる、ということを改めて捉えなおす必要がある。その後に初めて「原発なき幸せ」についての議論が始められます」というのは方法論的にも間違いである。また、これだけ運動に懐疑的ならば、同時に、客観的に、自分が今一部でもてはやされているのは、そうしている連中に何かよからぬ狙いがあるのかどうかと疑ってみるべきだ。多分、かれらにはよからぬ狙いがある。「原発がある幸せ」など大した幸せではないし、きわめて限定的なものである。福島でも一部でしかないそうした「幸せ」をとりたてて強調する意味はあまりない。開沼氏は、あまりにも、運動だの脱原発を言う知識人だのを大きく捉えすぎ、過剰、過敏に受け止めすぎているようだ。表に出てこないで原発推進を国策として、人が死のうが放射能を浴びようが固い信念を持ってそれを推進している連中にこそ過敏になるべきなのである。表面上のことばかりに目を奪われてはならないのである。経済主義的人間観というイデオロギーから脱すれば、いろいろと広く深いものが見えてくるし、素晴らしい世界が見えるようになり、人生の楽しみが増えることは間違いない。

 もう一つ言わねばならない。「明治以来、福島は東京から「ほどよい位置」にあった。明治の初期から水力発電で東京の蒲田まで電気を送ったり、戦中は、石 川町でウラン鉱石を採って、日本の原爆開発計画に貢献した。戦後すぐ、只見川電源開発や、映画『フラガール』でも有名になった常磐炭田のように「エネル ギーの供給地」として東京の成長を助けていた。東京の成長を常にサポートする役割を日本の近代化の中で福島は担わされてきたんです」というのは歴史的事実の確認であろうが、それなら、常盤炭鉱では、朝鮮人が多数働いていたこと、日本の戦後労働運動がまず戦中の炭鉱労働者の運動の継続・発展として始まり、常盤炭鉱の労働争議では、生産管理闘争にまで進んだということも忘れてはならない。「在日」はこの地域社会を構成する主体の一員でもあったこと、あることを認識すべきである。それに対して、赤坂憲雄氏は、『東北学』で、東北における「在日」の問題も取り上げているし、東北の中国人炭鉱労働者差別についても取り上げている。かれは、『東北学』で、済州島などの朝鮮半島の民俗まで取り上げている。もちろん、沖縄、アイヌについても特集している。済州島については『済州島』(耽羅研究会編)という雑誌が新幹社から出ている。済州島の半島に対しての独自性については、文京洙氏『韓国近現代史』(岩波書店)でも指摘されている。赤坂憲雄氏の「いくつもの日本」という切り口(『東西南北考』(岩波新書)など)からの歴史・社会認識のアプローチは、朝鮮半島でも世界でも有効だと思う。それは、世界市民的な世界共通主体というような単一的で抽象的な人間像や世界理念といったものから歴史をなで切りし裁断するような歴史・社会認識のひからびた抽象性や抑圧性を解体し、解放を促進するもので、そうして人々を生き生きと生きることができるようにするものであると思う。

 喪が開けたので思い切った闘いを推し進めよう。4月15日、午後、スペースたんぽぽで、ネグリの『戦略の工場』(作品社)をめぐるシンポジウムが、情況出版などの実行委主催で行われる。こんな時代にネグリの論考を学生さんのようにただ「お勉強」しても仕方がない。今の運動をより発展させるということ、その主体はどういうものであるべきなのか等々の、実践論、組織論のヒントをつかめるような議論になればいいと思う。本の帯にはこう書いてある。

V.I.レーニン
「すべての経済闘争は、政治闘争に転化しうる」
私たちには、大きな課題が残されている。それは〈帝国〉の時代における史的唯物論とコミュニズムの理論を再構築することである。〔……〕レーニンの抽象力が、〈帝国〉に抗するマルチチュードによるグローバルな革命の時代に、現実的になるために戻ってきたのだ。レーニンのユートピアが、21世紀世界の欲望になるために戻ってきたのである……(ネグリ「序文」より要約)

全国で11万人が原発いらないの声

3・11 1万6千人の福島県民大集会

流 広志

 東日本大震災から1周年の3月11日、福島第1原発事故の被災地福島の郡山市で、経産省前テントで「とつきとおか」の闘いを続けている「原発いらない福島の女たちの会」も中心的担い手となっている「原発いらない地球(いのち)のつどい」がビッグアイ7階と郡山市労働福祉会館の二つの会場で開催された。このイベントには、500人以上の人々で会場はいっぱいになり、熱気であふれた。
 10日の午前中から、ビッグアイ大会議場で、シンポジウム「福島原発事故被害者のいのちと尊厳を守る法制定を求めて」が行われた。秋元理匡氏(日弁連、東日本大震災・原子力発電所自己等対策本部原子力PT事務局長)は、講演(「福島原発震災被害者の援護のための特別立法について 広島・長崎・ビキニ―ヒバクシャの悲劇を繰り返さない」)で、まず、今回の事故の特徴として、コミュニティの破壊をあげ、さらに、被害者の置かれた状況として、困難、困窮、差別、分断をあげた。そして、放射能被害の特徴として、科学的にわからないところがあるために、不可知論をもって無策を合理化する傾向があるのに対して、これは科学の厳密性よりも民主主義の問題だと述べた。そして、安全の方向で考える余地を残す「予防原則」(国連環境開発会議リオ宣言 原則15、1992年)を挙げた。そして、この被害が公害であることを指摘した後、日弁連の立法提案を説明した。その中で、被害者の自己決定権の尊重を掲げているが、氏は、それが新自由主義的な自己責任主義ではないことを強調した。そして、被害者こそが法=正義の担い手であり、その運動を社会的に広げることが必要だと述べた。
 休憩を挟んで、4人のパネラーの話があったが、その一人の石丸小四郎氏(双葉地方原発反対同盟)は、まず、原発被害者は被曝によるものだけではなく、すでに死者等の犠牲者が出ていることを指摘した。政府は事故の風化政策を取っているが、忘れてならないことは避難の過程で多くの命が失われたことであると述べた。震災関連死という規定があり、県によって、避難の過程で肉体的・精神的に病んで亡くなった631人が認定された。例えば、当時、30キロ圏内には1千人の入院患者がいた。第1原発から西南3キロにあった双葉病院は内科と精神科が併設されていたが、当日の入院患者は337人。近くの介護老人施設には100人の入所者がいた。合計437人のうちで自力歩行できる290人以外の人のうち、50人が15日までの避難行動中に亡くなったと言われている。原発から30キロ圏内に高齢者介護施設が12施設あり、8百数十人がいたが、震災から3ヶ月以内に77人が死亡した。その数は前年比3倍に上る。自殺者は、4月・5月が2割増加し、5月には4割増加した。双葉郡内には、牛3500頭、豚3万頭、にわとり60万羽がいたが、ほとんどが餓死した。また、原発事故で避難区域に指定されたために津波被害者を救えなかった。それから、避難所では、自立生活していた高齢者の痴呆が2倍(県発表)から3倍(氏の推定)増加した。石丸氏は、避難の過程での被害を明らかにし告発し責任を問う運動が必要だと述べた。パネルディスカッション後、大賀あや子さんが「3・10福島原発事故被害者の権利宣言(案)」を読み上げ、拍手で採択された。最後に、佐藤幸子さん(子供たちを放射能から守るネットワーク福島)が、知り合いの方から「国の言ってることなんかひとつも信用していないから」と言われたことを紹介し、法制定を目指す決意を述べてシンポを締めくくった。
 続いて、大会議室では、鎌田慧氏の講演「脱原発と民主化の道」があった。郡山市労働福祉会館では、被曝労働問題、障がい者問題、等々の個別のテーマを取り上げる企画があった。そして、午後6時から、ビッグアイ大会議室で、被災地からの報告があり、今も被災に苦しむ窮状を訴えた。

 東日本大震災から1周年の11日、「原発はいらない!3・11福島県民大集会~安心して暮らせる福島をとりもどそう~」が、福島県郡山市の開成山球場で開催された。寒空にも関わらず、1万6千人(主催者発表)もの人々が集まって、脱原発を訴えた。開成山球場の内野席はいっぱいになり、その数の多さに、人々の脱原発の意思の思いの強さを感じた
 13時から、歌手の加藤登紀子さんが熱唱を繰り広げた。最後はジョン・レノンのパワー・トゥ・ザ・ピープル(POWER TO THE PEOPLE、「人民に力を」)を会場と共に歌った。
 14時。まず、竹中柳一(大会実行委員長・福島県平和フォーラム代表)が、この集会を、福島、日本の新しい変革のスタートと位置づけるとした開会のあいさつを述べた。続いて、呼びかけ人を代表して、清水修二氏(福島大学副学長)は、原発いらないの声は痛恨の思いを込めた福島県民の叫びであり、それを全国の人々に届ける義務があると述べた。震災が発生した2時46分、全員が犠牲者を悼んで黙祷した。それから、連帯挨拶として、大江健三郎氏が登壇し、原発全廃の決定に歓声を挙げる日を想像し、それを実現することを呼びかけた。そして、被災者が次々と登壇し、被害の実態を訴え、そして脱原発を訴え、国と東電に対する怒りと不信感を次々と表明した。
 最後に、「脱原発」を高らかに謳った「集会宣言」を採択した後、市内をいくつかのコースに分かれ、デモ行進した。

 10‐11日には、全国で脱原発アクションが取り組まれ、京都円山公園6000人(主催者発表)、11日東京大行進1万5千人など、延べ11万人以上が脱原発アクションに参加した。脱原発運動の勢いは止まらない。運動は再稼働を狙う「原子力ムラ」の策謀に痛打を浴びせた。さらなる運動の発展を推進し、運動の中に、コミューン主体の力を発展させよう。その萌芽はすでに福島をはじめ、運動の中に胚胎している。それを解放せよ!


 

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