3・11直後に当ブログで書いたように、2011年3・11から1年間は喪に服す期間であった。しかし、今年の1周年の福島現地での1万6千人(主催者発表)の県民大集会で、福島主体が立ち上がった。これで喪は開けた。また、脱原発運動は深化している。そのことによって大きな力が与えられたと感じる。しかし、政府は再稼働に向けた動きを本格化させており、それに対する闘いも、福井現地と福島、そして全国を結びつつ取り組まれている。すでに、原発いらない福島の女たちの会のハンストが行われ、大飯原発のある福井の反原発運動への連帯・支援行動が始まった。4月17日から5月5日全原発停止の日まで、経産省前テントでリレーハンストが闘われる。福島主体の本格的な攻勢が開始された。「原子力ムラ」の責任追及も本格化する。大型訴訟も次々とある。原発立地自治体の長も含めて、国と東電への厳しい責任追及が始まる。これから本格的な闘いが始まるのだ。「原子力ムラ」は覚悟するがいい。3・10‐11福島アクションについて別紙に書いたものをつけておく。
先日、TBS報道特集を観た。テーマは原発輸出問題であった。日本はベトナムへの原発を輸出しようとしているのだが、建設予定地の村人のなかには、3・11以前に福島に来て、原発と共存する現地の人々の姿を見て、原発が来ても大丈夫だと思っている人がいた。3・11のこと、3・11後の廃墟のようになった原発立地地域の実態をまだわかっていないようだ。そして、印象的だったのは、原発輸出を日本の国策として、人が死のうと放射能を浴びようとなんとも感じていないような強固な推進派の原子力産業なんとかという組織の役員が登場して、原発輸出をすると断言したことである。中間派、動揺分子はこの間の脱・反原発運動の高揚、圧倒的多数の脱原発支持の世論などに押されたためか、沈黙してしまっているが、こうしたこれまであまり表に出てこなかった確信的でコアな原発推進派がいよいよ表に出てきたのである。かれらこそ、この国の権力を握り、動かしている支配階級の中の支配階級である。かれらとの闘いは極めて厳しいものになるだろう。しかし、かれらの意図を挫くことは不可能ではない。このこと自体が、これまで、議会制民主主義の仮面の下に隠れて、実際にこの国を動かしてきた勢力が表に登場せざるを得ないところに追い詰めたことを示しているからである。これは、一面では、この間の運動の成果として出てきたものなのだ。
ところで、フクシマ論で有名になった開沼博という同郷人は、若すぎて、頭でっかちであるということが、あるインタビューを見てわかった。ともかく、未熟である。それは当たり前のことなのかもしれないが、そうでもない人もいるから、惜しいことだ。例えば、彼は、「少なくとも原発周辺に住む人々にとっては、今食っていけるか否かが重要」と言う。つまり、原発誘致した側は、もっぱら経済的利害で価値判断するだけの功利主義的人間として捉えられて、それが深く刷り込まれてしまっていて、それを信じて疑わなっていないのである。ところが、例えば、原発を誘致した自治体の双葉町の井戸川町長は、いまや自己批判し、原発はいらないと言う。彼は、原発は危険だという認識をかなり前から持っていて、それを何度も東電職員や役人に聞いが、その度に、かれらは、絶対安全だと答えたという。飯は食いすぎるほどあっても仕方がない。程度というものがあり、量的にどの程度で満足するかは人によっても違う。それから、質という面もある。そして、中沢新一氏が言うように、毎日目にする風景に馴染んでいき愛着を覚えるようになったり、それが自分の人生の一部であるかのように象徴化されることもあり、それがなくなるとまるで自分の一部がなくなるかのように感じるようになる場合もある。われわれは、そういう社会と自然の関係を自分の生の一部として自己認識しているので、安全ならどこに住んでもいいということには必ずしもならないのである。避難の権利を確立することと避難を強制することは違うということも含めて、生活さえできればどこに住んでもいいというものではないのだ。経済価値のみに人間価値を抽象し還元することはできないのである。それから、彼が「まず原子力ムラを肯定せよ」と言うのは、原子力ムラの存在を認識せよというのではない。存在を認めることがそれを肯定することになるというのは論理的に間違っているということも指摘しておかねばならない。それらのことは段々わかってくるだろうし、わからなければどうしようもないと思う。
それから、「1年前、沖縄米軍基地問題では人々はあんなに熱狂していた。にもかかわらず今では誰もそんなことを気にしないままに粛々と問題の処理が進められている、という例を出されていましたが、福島原発もいずれ忘れ去られてしまうのでしょうか?」という質問の中身だ。これは内部から見てるのとまったく違う。むしろ、沖縄と福島の共通性と違いの認識というところに意識が深化しつつあり、運動でも、3・11後の沖縄という新しいステージへの思想的発展に進む途上に入っているというのが実態だ。まず認識せよ、しかる後に実践だというのは、頭でっかちの問題のたて方の基本的な特徴で、実践と認識を切り離すからそうなるのである。実践と認識は不可分であって、どっちが先とかいうことは言えない。だから、彼が、「原子力ムラを一度受け入れる、つまり、それによって成り立ってきた「原発がある幸せ」を無意識的にせよ選択してきてしまっていた、今もいる、ということを改めて捉えなおす必要がある。その後に初めて「原発なき幸せ」についての議論が始められます」というのは方法論的にも間違いである。また、これだけ運動に懐疑的ならば、同時に、客観的に、自分が今一部でもてはやされているのは、そうしている連中に何かよからぬ狙いがあるのかどうかと疑ってみるべきだ。多分、かれらにはよからぬ狙いがある。「原発がある幸せ」など大した幸せではないし、きわめて限定的なものである。福島でも一部でしかないそうした「幸せ」をとりたてて強調する意味はあまりない。開沼氏は、あまりにも、運動だの脱原発を言う知識人だのを大きく捉えすぎ、過剰、過敏に受け止めすぎているようだ。表に出てこないで原発推進を国策として、人が死のうが放射能を浴びようが固い信念を持ってそれを推進している連中にこそ過敏になるべきなのである。表面上のことばかりに目を奪われてはならないのである。経済主義的人間観というイデオロギーから脱すれば、いろいろと広く深いものが見えてくるし、素晴らしい世界が見えるようになり、人生の楽しみが増えることは間違いない。
もう一つ言わねばならない。「明治以来、福島は東京から「ほどよい位置」にあった。明治の初期から水力発電で東京の蒲田まで電気を送ったり、戦中は、石
川町でウラン鉱石を採って、日本の原爆開発計画に貢献した。戦後すぐ、只見川電源開発や、映画『フラガール』でも有名になった常磐炭田のように「エネル
ギーの供給地」として東京の成長を助けていた。東京の成長を常にサポートする役割を日本の近代化の中で福島は担わされてきたんです」というのは歴史的事実の確認であろうが、それなら、常盤炭鉱では、朝鮮人が多数働いていたこと、日本の戦後労働運動がまず戦中の炭鉱労働者の運動の継続・発展として始まり、常盤炭鉱の労働争議では、生産管理闘争にまで進んだということも忘れてはならない。「在日」はこの地域社会を構成する主体の一員でもあったこと、あることを認識すべきである。それに対して、赤坂憲雄氏は、『東北学』で、東北における「在日」の問題も取り上げているし、東北の中国人炭鉱労働者差別についても取り上げている。かれは、『東北学』で、済州島などの朝鮮半島の民俗まで取り上げている。もちろん、沖縄、アイヌについても特集している。済州島については『済州島』(耽羅研究会編)という雑誌が新幹社から出ている。済州島の半島に対しての独自性については、文京洙氏『韓国近現代史』(岩波書店)でも指摘されている。赤坂憲雄氏の「いくつもの日本」という切り口(『東西南北考』(岩波新書)など)からの歴史・社会認識のアプローチは、朝鮮半島でも世界でも有効だと思う。それは、世界市民的な世界共通主体というような単一的で抽象的な人間像や世界理念といったものから歴史をなで切りし裁断するような歴史・社会認識のひからびた抽象性や抑圧性を解体し、解放を促進するもので、そうして人々を生き生きと生きることができるようにするものであると思う。
喪が開けたので思い切った闘いを推し進めよう。4月15日、午後、スペースたんぽぽで、ネグリの『戦略の工場』(作品社)をめぐるシンポジウムが、情況出版などの実行委主催で行われる。こんな時代にネグリの論考を学生さんのようにただ「お勉強」しても仕方がない。今の運動をより発展させるということ、その主体はどういうものであるべきなのか等々の、実践論、組織論のヒントをつかめるような議論になればいいと思う。本の帯にはこう書いてある。
V.I.レーニン
「すべての経済闘争は、政治闘争に転化しうる」
私たちには、大きな課題が残されている。それは〈帝国〉の時代における史的唯物論とコミュニズムの理論を再構築することである。〔……〕レーニンの抽象力が、〈帝国〉に抗するマルチチュードによるグローバルな革命の時代に、現実的になるために戻ってきたのだ。レーニンのユートピアが、21世紀世界の欲望になるために戻ってきたのである……(ネグリ「序文」より要約)
全国で11万人が原発いらないの声
3・11 1万6千人の福島県民大集会
流 広志
東日本大震災から1周年の3月11日、福島第1原発事故の被災地福島の郡山市で、経産省前テントで「とつきとおか」の闘いを続けている「原発いらない福島の女たちの会」も中心的担い手となっている「原発いらない地球(いのち)のつどい」がビッグアイ7階と郡山市労働福祉会館の二つの会場で開催された。このイベントには、500人以上の人々で会場はいっぱいになり、熱気であふれた。
10日の午前中から、ビッグアイ大会議場で、シンポジウム「福島原発事故被害者のいのちと尊厳を守る法制定を求めて」が行われた。秋元理匡氏(日弁連、東日本大震災・原子力発電所自己等対策本部原子力PT事務局長)は、講演(「福島原発震災被害者の援護のための特別立法について 広島・長崎・ビキニ―ヒバクシャの悲劇を繰り返さない」)で、まず、今回の事故の特徴として、コミュニティの破壊をあげ、さらに、被害者の置かれた状況として、困難、困窮、差別、分断をあげた。そして、放射能被害の特徴として、科学的にわからないところがあるために、不可知論をもって無策を合理化する傾向があるのに対して、これは科学の厳密性よりも民主主義の問題だと述べた。そして、安全の方向で考える余地を残す「予防原則」(国連環境開発会議リオ宣言 原則15、1992年)を挙げた。そして、この被害が公害であることを指摘した後、日弁連の立法提案を説明した。その中で、被害者の自己決定権の尊重を掲げているが、氏は、それが新自由主義的な自己責任主義ではないことを強調した。そして、被害者こそが法=正義の担い手であり、その運動を社会的に広げることが必要だと述べた。
休憩を挟んで、4人のパネラーの話があったが、その一人の石丸小四郎氏(双葉地方原発反対同盟)は、まず、原発被害者は被曝によるものだけではなく、すでに死者等の犠牲者が出ていることを指摘した。政府は事故の風化政策を取っているが、忘れてならないことは避難の過程で多くの命が失われたことであると述べた。震災関連死という規定があり、県によって、避難の過程で肉体的・精神的に病んで亡くなった631人が認定された。例えば、当時、30キロ圏内には1千人の入院患者がいた。第1原発から西南3キロにあった双葉病院は内科と精神科が併設されていたが、当日の入院患者は337人。近くの介護老人施設には100人の入所者がいた。合計437人のうちで自力歩行できる290人以外の人のうち、50人が15日までの避難行動中に亡くなったと言われている。原発から30キロ圏内に高齢者介護施設が12施設あり、8百数十人がいたが、震災から3ヶ月以内に77人が死亡した。その数は前年比3倍に上る。自殺者は、4月・5月が2割増加し、5月には4割増加した。双葉郡内には、牛3500頭、豚3万頭、にわとり60万羽がいたが、ほとんどが餓死した。また、原発事故で避難区域に指定されたために津波被害者を救えなかった。それから、避難所では、自立生活していた高齢者の痴呆が2倍(県発表)から3倍(氏の推定)増加した。石丸氏は、避難の過程での被害を明らかにし告発し責任を問う運動が必要だと述べた。パネルディスカッション後、大賀あや子さんが「3・10福島原発事故被害者の権利宣言(案)」を読み上げ、拍手で採択された。最後に、佐藤幸子さん(子供たちを放射能から守るネットワーク福島)が、知り合いの方から「国の言ってることなんかひとつも信用していないから」と言われたことを紹介し、法制定を目指す決意を述べてシンポを締めくくった。
続いて、大会議室では、鎌田慧氏の講演「脱原発と民主化の道」があった。郡山市労働福祉会館では、被曝労働問題、障がい者問題、等々の個別のテーマを取り上げる企画があった。そして、午後6時から、ビッグアイ大会議室で、被災地からの報告があり、今も被災に苦しむ窮状を訴えた。
東日本大震災から1周年の11日、「原発はいらない!3・11福島県民大集会~安心して暮らせる福島をとりもどそう~」が、福島県郡山市の開成山球場で開催された。寒空にも関わらず、1万6千人(主催者発表)もの人々が集まって、脱原発を訴えた。開成山球場の内野席はいっぱいになり、その数の多さに、人々の脱原発の意思の思いの強さを感じた
13時から、歌手の加藤登紀子さんが熱唱を繰り広げた。最後はジョン・レノンのパワー・トゥ・ザ・ピープル(POWER TO THE PEOPLE、「人民に力を」)を会場と共に歌った。
14時。まず、竹中柳一(大会実行委員長・福島県平和フォーラム代表)が、この集会を、福島、日本の新しい変革のスタートと位置づけるとした開会のあいさつを述べた。続いて、呼びかけ人を代表して、清水修二氏(福島大学副学長)は、原発いらないの声は痛恨の思いを込めた福島県民の叫びであり、それを全国の人々に届ける義務があると述べた。震災が発生した2時46分、全員が犠牲者を悼んで黙祷した。それから、連帯挨拶として、大江健三郎氏が登壇し、原発全廃の決定に歓声を挙げる日を想像し、それを実現することを呼びかけた。そして、被災者が次々と登壇し、被害の実態を訴え、そして脱原発を訴え、国と東電に対する怒りと不信感を次々と表明した。
最後に、「脱原発」を高らかに謳った「集会宣言」を採択した後、市内をいくつかのコースに分かれ、デモ行進した。
10‐11日には、全国で脱原発アクションが取り組まれ、京都円山公園6000人(主催者発表)、11日東京大行進1万5千人など、延べ11万人以上が脱原発アクションに参加した。脱原発運動の勢いは止まらない。運動は再稼働を狙う「原子力ムラ」の策謀に痛打を浴びせた。さらなる運動の発展を推進し、運動の中に、コミューン主体の力を発展させよう。その萌芽はすでに福島をはじめ、運動の中に胚胎している。それを解放せよ!
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