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5月21日『東京新聞』社説「『平等』を問い直そう」について

  先日、小泉首相が、石川県の能登半島の輪島市を訪れて、「千枚田」と呼ばれる棚田を観たという。その後に彼は、「これこそジャパンの文化だ」とのたまわった。ジャパンは英米文化を表す英語でしょうが!などといちいち反応するのもばからしくなるような、うすっぺらさである。おそらく、人気頼りのポピュリズム政治家の彼としては、『国家の品格』ブームに乗ろうとしたのだろうが、その薄らさむい上っ面だけの態度や言葉には、いい加減うんざりである。

 それに対して、21日の『東京新聞』社説「『平等』を問い直そう」は、小泉政権が、経済界からの「改革」ブームに乗って、結果の一部しか考えないで、「改革」を押し進めたことの負の結果への批判になっている。

 まず、この社説は、「「格差は必ずしも悪くない」と小泉首相は言いましたが、激しい競争社会が招くのは、一握りの強者と多数の弱者です。「平等」は普遍的な価値であるはずです」と小泉政治を批判する。

 記者は、天才チンパンジーのアイちゃんの取材を通して、「人間とは共感する動物」という考えを持つようになった。

 人間とは直立二足歩行し、文字や火、道具を使う動物だと、習った覚えがありました。喜怒哀楽のあるのが、人間だとも…。

 ところが、アイちゃんを知れば知るほど、人間の定義そのものが怪しくなってきました。何しろ、アイちゃんは0から9までの数字やその大小関係をちゃんと理解しています。モノの名前や色を表す漢字など百以上もの語彙(ごい)を持っているのです。

 「チンパンジーは“チンパン人”」と松沢教授は言いました。

 「言語を理解し、道具も使います。ほとんど人と変わりません。まさに『進化の隣人』といえます」

 では、人間とは…、ますます分からなくなります。松沢教授はこんな回答をくれました。

 「介護が必要になった者などに手をさしのべる行動は、チンパンジーには、ヒトほどのものはありません。ヒトは相互に助け合うように進化してきたのだと思います。人間とは、他者の立場に立って思いやる『共感する動物』といえるでしょう」

 助け合い、お互いを思いやるのが人間の本性である…、それが取材で感じられた結論でした。

 さて、市場原理主義が闊歩(かっぽ)する世の中です。米国式の弱肉強食主義や能力主義がはびこり、まるで競争に勝てばすべてという時代です。

 記者は、続けて、「一億総中流」が崩れ、一方のIT長者などの億万長者と同時に貧困が増えている現実を、生活保護世帯百万突破や連合総研の収入格差実感60%の数字をあげて、示している。こういう格差拡大の現実に対して、小泉首相が国会答弁で「成功者をねたむ風潮、能力ある者の足を引っ張る風潮を慎んでいかないと社会の発展はない」と述べたことを批判する。

 ねたんでも、足を引っ張ってもいけませんが、むしろ問題は富者はどんどん富み、貧者はますます貧しく…という風潮です。市場原理主義は「一人勝ち」を許します。勝ち組は一握りにすぎず、大半は負け組という冷厳な事態を生みます。「平等」という価値観について、問い直していいときではないでしょうか。

 そして、記者はプラトンの『法律』から、「平等は友情を生む」ということわざを引いている。

 プラトンの著書「法律」(岩波文庫)にそれが記述されています。

 「奴隷と主人とでは、友情はけっして生まれない」としつつ、「くだらない人間と優れた人間とが、等しい評価を受ける場合も、やはり友情は生まれない」と書いてあります。そして、古いことわざは真実だと、プラトンは評価しているのです。

 それから、「結果の平等」について具体的に例をあげて検討している。これは、機会平等論者が、無視してきたことである。記者は、アメリカのように、何百倍何千倍というのは行きすぎだとしている。

 従来の日本社会では、社長と社員の年収格差は、四倍程度といわれてきました。これこそが、戦後日本がつくり出した「一億総中流」という平等社会だったわけです。終身雇用や年功序列などの“セーフティーネット”に守られて、それなりに安定した社会でした。

 年収で4倍程度というのが、記者の考える「一億総中流」の平等社会の妥当な収入格差の基準である。これに終身雇用や年功序列などの「セーフティネット」が組み合わさって、安定した社会がつくられたというのである。こういうふうに具体的な基準が示されれば、政治目標ができるわけで、つぎには具体的な政策・実現手段の検討に移れるわけである。

 ヒトとチンパンジーの塩基配列の99.78%が同じで、1.32%が異なっていた。この1.32%に人類の人類たるゆえんがあるはずだと記者はいう。

 ■「1・23%」の自覚を

 果たして、その1・23%とは何でしょう。「弱い者へ手をさしのべる」のが人間の本性ならば、今こそ、それを自覚したいものです。格差が固定し、教育や就業の機会が奪われてもなりません。「機会の平等」は何としても死守すべきです。

 それにしても、プラトンの時代のことわざは、ちょっと心にとどめておきたい言葉ですね。

 《平等は友情を生む》

 全体として、思考のしなやかなを感じる文章である。

  それに対して、小泉首相が、輪島で小さい田が斜面に魚の鱗のようにびっしりと並んでいる姿を見て、美しい文化だと感心するのは、傍観者の目であり、都会人の偏った固い感性を示しているにすぎない。

 棚田は、東南アジアにもあるが、平地の少ないところで、少しでも田を切り開かざるをえなかった人々の苦心と努力と経験的技術の結果としてそういう形が生まれたのである。棚田を作った農民なども、できれば、耕作しやすい平地に田をつくりたかったことだろう。今、ああいう機械もあまり使えないだろう棚田を再生産していくために、どれだけの人の手間がかかることか。文化財として保護でもしなければ、維持していくのは難しいのではないだろうか。そう考えながら、小泉首相の「棚田はジャパンの文化」などという浮ついた言葉を聞くと、腹が立つのである。

 この社説は、フランス革命の掲げた理念「自由・平等・博愛」を基本に、それをかみくだいて、具体的に述べているだけなのだが、小泉政権の下では、それが「革命的」に感じるぐらい、それらの理念が崩れつつあるのである。

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