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2006年5月

人為的で自然でない教育基本法改悪に反対

25日『産経新聞』社説「教育基本法改正 「愛国心」は明記すべきだ」は、ほぼ民主党案を支持している。

 この社説の「愛国心」は、「民主党案にある「涵養」は、水が自然にしみこむように育てるという意味だ。愛国心というものは、子供たちが日本の歴史を学び、伝統文化に接し、豊かな自然に触れることにより、自然にはぐくまれるものである」というもので、『国家の品格』が言う、パトリシズムの意味のようである。

 それが「日の丸・君が代」の学校行事での強制はなじまないことは明らかだ。「日の丸・君が代」「国家・国旗」には、日本の長い歴史がないし、伝統文化でもなく、豊かな自然でもない。それを「愛国心」教育と位置づけている学習指導要領が間違っているのである。だから「愛国心」を教えることは、卒入学式で「日の丸・君が代」を強要することとは一致しない。それを混同して、上から、脅し、処分などで、権力的に強制することは、混乱を増大させているのであり、その点を『産経』は見誤っている

 今、「君が代」は歌いづらくなっているし、「日の丸」も掲げづらい雰囲気になりつつある。それは、緊張し、プレッシャーを感じる行為になっているのである。卒入学式にビデオや音量計をもった教育官僚が監視し、校門付近で、公安警察が大勢うろついて、ビラまきを妨害したり監視しているような物々しい雰囲気の中で、歌を強要されたら、「暗い」気持ちが起きるのである。

 教育官僚は、強要している立場だから、されている方の気持ちがわからないのである。教育官僚の立場に立っている『産経』も、それがわからないのだ。

 他方では、この社説は、「愛国心」は、強要や強制なしで、自然にはぐくまれると言うわけで、分裂し、矛盾した物言いをしている。

 「愛国心」が自然に涵養されるものなら、法律化しなくても別にいいではないか? 法律などという人為のものにすると自然さが失われると考えるのが「自然」だろう。

 ところが、この社説は、教員の指導義務を明確するために、「愛国心」の明記が必要だというのである。生徒・児童は、内心の自由に立ち入って評価する必要はないが、教員は別だというのだ。それなら、教育基本法は、教師向けの指導基準を定める法律なのか?従来の学説では、教育基本法は、憲法理念を実現するための教育についての基本法である。

 『産経』は、その点が混乱しているが、その原因の一つは、今日の教育の問題を日教組の教育支配とするかれらのイデオロギーにある。『産経』は、教育の場を、政治闘争、イデオロギー闘争の場と考えているのだ。そこには、現教育基本法が、個人の形成に偏り、国民の形成を阻害しているという考えがある。その際に、他国では愛国心教育を堂々と行っているのに、日本だけが特殊だということが言われているが、別に、他国の物真似をすることがいいとはかぎらない。なぜなら、パトリシズムという意味での「愛国心」は、現行教育基本法下、あるいは日本国憲法下で、「自然」に育っているので、あえてこれらの法律に「愛国心」を明記することもないからである。

 そこで、『産経』は、教育基本法の「愛国心」明記が必要なのは、教員の指導義務を明確化するためだとしている。しかし、この社説が自ら認めているように、「愛国心」は、「自然」に育まれるもので、法律によって強制するものではない。そのことを表しているのが、社説が引用する内閣府の以下の世論調査結果である。

 「内閣府の調査では「国を愛する気持ちをもっと育てる必要がある」と答えた人は八割を超えた。日本を誇りに思うことを聞いたところ、(1)長い歴史と伝統(42%)(2)美しい自然(41%)(3)優れた文化や芸術(40%)(4)国民の勤勉さ、才能(28%)の順だった」。

 世論調査の信頼度はそれほど高くないということ、また、フーコーによれば、アンケートはミクロな権力の行使であること、を踏まえた上で、この結果を見ると、「国を愛する気持ちをもっと育てる必要がある」8割超という回答には、後の回答と合わせると、パトリシズムを育てる必要があるという意味が多く含まれていると思われる。しかし、(1)~(4)の各項目については、これまでも学校教育で、知識としては教えられてきた。そして、そういう戦後教育を受けた結果として、自虐的になっているどころか、パトリシズムが広く生み出されているのである。これは、自虐史観批判派の現状認識の偏りと誤りを明らかにする調査結果である。教育基本法に「愛国心」を今あえて明記しなければならない理由が希薄なことは明らかだ。

 だから、『産経』は、教員の指導義務明確化を、「愛国心」明記の理由として押し出したのである。それに、内心の自由の価値を高く評価しないと、靖国問題で、中国・韓国を内政干渉、内心の自由への介入だと非難してきた『産経』のこれまでの主張の根拠が危うくなるという認識を持ったのかもしれない。教員の指導義務明確化のための「愛国心」明記は、少なくとも表面上は、与野党とも法改正の理由にはあげていない。『産経』は、なぜか動揺しているように見える。

 『産経』は、「愛国心」の中身として、日本の歴史を学び、伝統文化に接し、豊かな自然に触れることで自然に育つものとしている。 

 ところが、人口の多数を占める都市では、日本の歴史・伝統文化・豊かな自然などはどんどんなくなっているというのに、どうしたら自然に「愛国心」が育まれるというのだ! アメリカや西欧の歴史ばかりが先進的と評価され教えられ、ハリウッド映画や欧米文化ばかりに接し 豊かな自然の映像にしか触れない。それらは、教科書だの歌だの旗だのの干からびた抽象的知識の詰め込みで、自然に育つものではない。古森義久というアメリカ人と結婚した男が、アメリカの代弁者となって、西欧崇拝・アメリカ崇拝の記事を垂れ流している『産経』には、こういう事態をどうすればいいのかを、責任を持って答えてもらいたいものだ。これらを取り戻すためには、便利さも経済的豊かさもある程度、犠牲にする覚悟がなければ、無理ではないだろうか。

 教育基本法を今変えなければならない理由は希薄であり、他の新聞の世論調査では、改定を急ぐ必要はない、十分な議論を尽くすべきだとする世論が多数を占めている。教育基本法改悪には反対である。 

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日本知らずの黄文雄の日本論

 黄文雄という台湾人の拓殖大学教員が、「中国が嫌われる7つの理由」という文章で、「日本人は「死ねば神」「死者悉皆成仏」といって、死後にまで生前の利害や怨恨を問わない心を持っている」と書いている。

 「死ねば仏」というのは聞くことがあるが、「死ねば神」「死者悉皆成仏」などという言葉は聞いたことがない。

 「生き神」「生き霊」信仰もあり、戦前に天皇を現人神とした。

 天神様などの怨霊話、たたり神の話もあるし、『東海道四谷怪談』などもある。

 差別戒名で、死後も差別した。

 死者の利害や怨恨を一族郎党に負わせることもあった。

 戊辰戦争では、薩長などの官軍は、会津での戦勝後、しばらく、会津兵の死体に触れることを禁止し、弔わせなかった。

 仏教では、「一切衆生、悉有仏性」(道元『正法眼蔵』)である。

 曹洞宗や日蓮宗では、「成仏」は、生きているうちに可能としている。

 黄氏は、日本の文化や精神や思想や死生観について、深い理解がないことを上の言葉で示している。

 同文書では、帝国主義植民地化の先兵を務めてきた宣教師の中国観などを批判的に検証するでもなく、肯定的に引用したりして、彼が文化だの国民性だのについて、きちんとした深い理解を持っていないことを露わにしている。

 その程度の人が言っていることだということを念頭に置いておけば、彼のエキセントリックな物言いに惑わされることはないだろう。 

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偏狭なナショナリズムの墓標

爆笑問題太田さんに抗議文 右翼幹部、虚偽の事実基に

 漫才コンビ「爆笑問題」の所属事務所(東京都杉並区)に4月、長崎市の右翼団体「正気塾」幹部(57)が訪れ、太田光さん(41)あての抗議文を届けていたことが26日までに、分かった。太田さんは警備員を付け、連絡を受けた警視庁杉並署は、事務所周辺のパトロールを強化した。
 「ラジオ番組で、太田さんが反日発言をしたことを非難する」との内容だったが、実際にはそうした発言はしておらず、何者かがインターネット掲示板に偽って書き込んだ内容と同じだった。幹部は掲示板を見て抗議文を届けたとみられる。
 同署によると、幹部は4月24日、事務員にA4判1枚の縦書きの抗議文を手渡した。事務所側は調査したがそうした事実はなく、正気塾に「発言していない」とファクスで回答した。正気塾側からその後、連絡はないという。
(共同通信) - 5月26日

 この記事は、ネットで作られ、ネット内で流通しているうわさが作り出しているバーチャル・リアリティに、現実がふりまわされた一例を示している。

 それが、『嫌韓流』ブームの正体である。というのは、このブームもネット内の一部の連中が、運動としてあらかじめ計画したのであり、それが一部にブームを引き起こしたのである。しかし、それは、一時的部分的なものに止まった。

 昔から、こういうトンデモ情報は、いろいろなところで流されてきた。しかしそれは発行部数の少ない小雑誌や読み手の限られた媒体で流されていたので、こういうブームまではなかなかならなかったのである。ところが、インターネットの発展によって、こうしたトンデモ情報が、広がりやすくなっているのである。

 しかし、トンデモ情報はトンデモ情報であって、やはり時間がたつと、それが明らかになってしまい、今度は逆に、トンデモ情報を広めた方にブーメランのごとく戻っていって、打撃を与える。情報発信者は、嘘つきとして、信用を失う。だまされたと気づいた方からは、怨念をいだく者も出る。

 今や、泥仕合の様相を呈してきた「新しい歴史教科書をつくる会」の内紛・分裂騒ぎは、現執行部を支持しない支部の動きも明らかになるなど、いよいよ自滅の時を迎えつつあるようだが、やはりその根には、藤岡信勝の勝つためにはなんでもするデタラメ体質を許容したことがあったことに、西尾幹二も気づかざるをえなかったようだ。藤岡の上司から、彼とは組まない方がいいと最初に助言を受けていながら、それをきかず、逆に藤岡を利用しようとした己の浅はかさに、若干の後悔の念を書いている。

 大体が口ばかり達者な者が多い保守言論人の中で、日本共産党系の組織・運動を経験している藤岡信勝は異質であり、その組織力を利用した「つくる会」の運動は、それ自身の矛盾を全面展開させ、藤岡の毒が藤岡自身にまわって、終焉の時を迎えつつある。

 ネットで流されるうわさやデタラメを本気にして、錯乱した行動を起こす者は、世間の笑い者になり、恥をかいて、信用を失い、面目をなくす。偏狭なナショナリズムは死んだ。この記事はその墓標である。 

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5月25日『毎日新聞』「EUの実像」から考えた

 5月25日『毎日新聞』国際面にこういう連載がはじまった。

EUの実像:負の積算/1 暴かれる農業補助金(その1) 援助先は王族・大企業
 ◇強者の寡占、構図崩れず

 欧州連合(EU・25カ国)の農業補助金はEU予算の約半分を占め、年平均で約450億ユーロ(6兆3000億円)に上る。その大きな目的の一つは「零細農家の援助」だ。1960年代に制度が発足して以降、各国は受給者名の公開を拒んできたが、最近、一部の国が情報公開に応じた結果、奇妙な事実が判明した。

   ◆   ◆

 ロンドンから西へ約150キロの町テットブリー。緑豊かな田園地帯に、チャールズ皇太子が経営する広大な農園が広がる。有機栽培を推奨する皇太子の意向で農園は毎週1回、市を開き、市民に安全な野菜を販売する。

 補助金の受給者を記録した英政府作成のCD-ROMが残る。

 それによると、03~04年、皇太子の農園にEUから約20万ユーロ(約2800万円)の農業補助金が払われていた。これにエリザベス女王や公爵・伯爵などの農場への補助金を加えると、主な王族に支払われた補助金の総額は300万ユーロ(約4億2000万円)以上。これら王族の資産総額は計100億ユーロを超える。

 それだけではない。英国で同時期に農業補助金を受け取った農家や企業の数は約9万件だが、総額約40億ユーロの4分の1が39の大手企業に集中。最高額は大手砂糖会社の約1億7000万ユーロだった。「零細農家の援助」という趣旨と大きく乖離(かいり)しているのは明らかだ。

 情報公開に応じた他の国でも同じだった。デンマークでは大手食品企業や王族に農業補助金(約12億ユーロ)の大半が集中し、大農園を持つ政治家やその家族も受給していた。EUの内閣にあたる欧州委員会で農業政策を担当するフィッシャーボエル委員もその一人だった。オランダ(約14億ユーロ)では、日本でも有名なビールやコーヒーの大手製造企業が、農業補助金の受給者リストに名を連ねている。

   ◆   ◆

 企業側は「補助金があるから農民から高価格で農産物を買える。最終的には農民を潤している」などと批判に反論する。だが、欧州委員会のマン広報官は「大きな問題。大規模農家などに巨額の補助金は必要ない」と話す。同広報官によると、EUの農業補助金は各農場の生産量にも応じて支払われてきた。それが、大農場・大企業による補助金の寡占という結果を招いた。

 欧州委員会は02年、生産量に応じて支払うこれまでの方式を見直すなど改革に乗り出した。だが、国内の大規模農家や企業に配慮する英国やドイツなどの抵抗もあって、EU市民の税金が一部の大農場や大企業に流れる「寡占の構図」は変わっていない。

 ドイツやフランスなど加盟国の多くは「プライバシー保護」を理由に今も受給者の全面公開を拒んでいる。「補助金はEU市民の税金。加盟国は受給者リストを公開すべきだ」。マン広報官は、各国の思惑が絡み合って改革が進まないEUの実情にいら立ちを表した。

   ◆   ◆

 EUの母体となった「欧州石炭鉄鋼共同体」の設立条約調印から今年で55年。来年は「欧州経済共同体」(EEC)の設立条約調印から50年となる。だが長い歴史の間に積み重なった矛盾が制度疲労を引き起こし、改革を求める声も高い。欧州統合の陰に隠れたEUの問題点を現場から報告する。【ブリュッセル福原直樹】=つづく

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 ■ことば

 ◇農業補助金

 第二次大戦後の農村の荒廃や食糧不足から、農業生産性や農民の生活水準向上などを目的に62年に発足。欧州共通農業政策(CAP)と呼ばれ、農産物の共通価格を設定し、生産量などに応じて補助金を支給してきた。だが、80年代から恒常的な過剰生産が問題化。03年に段階的に農民への直接支払いに切り替える方針を打ち出し、環境保護や景観維持などの支払い条件をつけた改革案を採択したが「不十分」との批判も根強い。05年の農業補助金は430億ユーロでEU予算の44%。

EUの実像:負の積算/1 暴かれる農業補助金(その2止) 不透明な交付に異議
 ◇英農園主「受給者名公開を」

 英国で「欧州連合(EU)は不透明な農業補助金をやめるべきだ」と訴え、他の農民から脅迫状を受け取った大農園主がいる。ロンドン北部ケンブリッジ近郊で800ヘクタールの農場を経営するオリバー・ウォルストン氏(64)。「EU各国は補助金の受給者リストを公開すべきだ」と話す同氏の農園を訪れた。【ケンブリッジで福原直樹】

 「補助金は山岳地帯など困難な状況で農業を営む農民に支払われるべきだ。この裕福な農場に回すのはおかしい。壮大な無駄遣いだ」。今年も豊作が予想される広い小麦畑の前でウォルストン氏が話す。

 祖父の代から100年続く農家。自ら受け取る高額の補助金(04年で約17万ポンド=約3550万円)に疑問を抱く同氏は99年、テレビで補助金廃止を主張。直後から電話や手紙で脅迫が殺到した。「口を閉ざせ」「撃ち殺すぞ」。いずれも匿名だったが、明らかに農民からだった。

 「農民は自ら受け取る補助金の額を秘密にするのが常だ。私が自分の補助金額を公開したのも気に入らなかったと思う」「もともとはEU市民のカネだ。受給者名が公開されて当然だ」

 農園を歩くと麦畑の周りに幅6メートルの緑地帯が設けられていた。中をキジが歩く。昨年以降、この緑地帯も補助金の対象になった。「不必要な農作物に多額のカネを支払う必要はない。だが将来、補助金が環境保護に使われるのは賛成だ」と、03年にEUが導入した「環境・景観保護」の考えには賛同する。

 補助金制度に批判的な同氏だが、受け取りを拒否する考えはない。「なぜ」と尋ねると、一瞬黙り込み、ため息をついてこう答えた。

 「農民はいま、補助金の中毒にかかっている。私も現実には、補助金がないと農業をやっていくことはできないのだ」

 制度を批判しながら、それをやめられない。ウォルストン氏の言葉は、長い間に既得権になってしまったものを改革することの難しさを物語ってもいる。

 ◇必要な農民に資金行かず

 英国でEU農業補助金の受給者リストが明るみに出たのは、サーストン元農相特別補佐官(33)=現在「独・マーシャル基金」研究員=らが情報公開を政府に求めた結果だった。EU農政に詳しい同元補佐官に聞いた。【ロンドンで福原直樹】

 --なぜ情報公開を。

 ◆99年、農業省内で上位の個人受給者20人の非公開リストを見た。英女王など富裕層が名を連ねていた。当時農民の多くは経済悪化にあえぎ、デモも頻発していた。富裕層による寡占は農業補助金の問題点の象徴。05年の情報公開法施行を機に公開を強く求めた。

 --問題点は。

 ◆税金が効果的に使われていない。補助が必要な農民に資金が行かず、大規模農家や食品企業に集中する。補助金が結果的に農地の地価高騰も招いている。このため若い世代が農業に参入するのも難しく悪循環だ。

 --企業は補助金があるから農民から農産物を高価格で買い取れると主張している。

 ◆情報公開前までは企業にこれほど補助金が集中しているとは思わなかった。実態は企業が農産物を買いたたいている。これを批判する農民が企業に抗議デモをかけるのは日常茶飯事だ。

 --解決策は。

 ◆地方の産業振興や農村の生産拡大への投資、景観や自然の保護など、具体的な目的を決めて補助金を使うべきだ。補助金はもとは市民の税金。各国は受給者リストを全面公開すべきだ。

 この記事は、WTO交渉が行き詰まっている原因の一端を表している。

 EUの農業補助金の受給者の情報公開が一部で始まった結果、補助金の多くが、大農や食品企業にわたっていたことが明らかになった。イギリスでは、大農園を所有・経営する王族などの富裕層が高額の補助金を受け取っていた。

 零細農家の援助という名目とは反対の結果が明るみに出たのである。「欧州連合(EU・25カ国)の農業補助金はEU予算の約半分を占め、年平均で約450億ユーロ(6兆3000億円)に上る」が、その多くが大農園や大企業に流れていると見られ、これらの大資本が、国際競争での優位を保ってきたのである。

 その一方で、ウクライナなどに移住する農民がある(「ウクライナの農業改革の記事によせて」5月19日拙稿)。そういう農民は、補助金の恩恵をあまり受けられない中小農民で、新天地を求めたと想像される。農民のデモが頻繁に起きており、とくに農民の多いフランスでは、トラクターによる道路封鎖などの農民の行動が日本でも報道されることがある。その背後に、こうした大資本農業を補助金で援助しているEUの農業政策があったのである。この点を明らかにしたことだけでも、この記事はいい記事だ。

 自由貿易を掲げ、農業分野の市場開放を世界各国に求めているアメリカでも、農産物に対する援助・保護政策をとっており、アフリカ諸国は主にEUに、中南米諸国などは主にアメリカに、農産物市場をもっと開放するように要求しているのである。

 その背後で、アグリビジネス(農事企業)の国際競争が、EUや米政府の援助の下に、激しく繰り広げられているのであり、WTOがまとまらない原因の一つは、じつはこういう農業分野の激しい企業間の国際競争にあるのだ。

 鶴見良行氏の『バナナと日本人』(岩波新書)に、米系食品企業・アグリビジネスが、日本の商社・輸入業者を駆逐し、フィリピン産バナナの流通を握っていく過程が、描かれている。そこには、こういうアグリビジネスが、輸送からプランテーション経営や末端価格までを支配していく技術的操作の一端が明らかにされている。

  とりわけ、米系アグリビジネスの実態はベールに包まれていることが多く、上場していないこともあるようだ。しかしそれは、EUでも同じようで、農業補助金の受給者の情報公開も一部でようやく始まったという驚くべきことになっていることが、上の記事からわかった。

 日本の農政でも、企業による農地取得や農業経営を促進する農政がはじまっているが、EUのように、食品企業などとの政官財癒着が起きるのではないか、農政に関する日本の情報公開は十分なのかどうか、アグリビジネスが多くを支配しているアメリカの農業の信頼性・情報公開度はどの程度なのか等々、はっきりしない問題がある。

 来月にも米産牛肉輸入再開が予定され、それもあっての小泉首相の6月末のアメリカ訪問、日米首脳会談だろうが、それまでに、これらのことを調査して、安全性を担保するだけの結果を得られるのか? 政府は、食の安全よりも、日米同盟関係を優先するというこれまでのやり方を繰り返すだけのような気がする。安全軽視の態度が少しでも感じられれば、日本の消費者は、なかなか米産牛肉を食べようとはしないと思う。

 また、この問題とは別に、日本の食品企業は、豚肉での不正など、信頼を損ねることを行っており、食の安全・生命に関わる問題が、自社利害中心になって、おろそかにされないように、チェックしていかないと危ない。上記記事から徒然と考えていくと、こういうところまできてしまう。

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教育基本法の審議入りに際して

 「敬虔と宗教とをただ隣人愛と公正の実行の中にのみ存せしめ、宗教的並びに世俗的事柄に関する最高権力の権利をただ行為の上にのみ及ぼさしめ、その外は各人に対してその欲することを考え且つその考えることを言う権利を認めること、これほど国家の安全のために必要なことはないのである」(スピノザ『神学・政治論』)

 いよいよ衆議院教育基本法特別委員会で、教育基本法改定論議がはじまった。初日から、小泉首相にコミュニケーション能力のないことが露呈し、またしても、この問題が議論ではなく、数の力の勝負になることが、明白になった。それにもかかわらず、民主党は、対案なるものを出して、あくまでも討論の場での勝負に固執している。日本共産党は、ずっと前から、審議拒否を滅多に行わず、あくまでも審議の場で、与党を追い込むという基本姿勢をとっており、議会を神聖化している。

 このような日本共産党の議会神聖化は、民主派小市民の特徴である。このような議会主義に、街頭デモなどの大衆の直接行動が従属させられてきたのである。党の構造も、議員団を中枢にした議会党となっている。

 民主党の対案なるものは、議会戦術のために、幹部一任で、急遽まとめられたもので、しかも、「日本を愛する心の涵養」と与党案が「国と郷土を愛する態度」とごまかした「愛国心」という表現をまともに入れているが、それも自民党内の揺さぶりであることが明白な政治戦術的なしろものである。

 それを見透かしたのかどうかわからないが、小泉首相は、まともに相手にしなかった。似たようなものだから、民主党と合意できるだろうなどとも言った。小泉首相からは、この法案を是非とも通そうという熱意は感じられない。

 民主党にも、なんとしても対案を通そうという熱意が感じられない。かっこうだけの対案を出して、敵失を誘い出すという作戦をとっているのだ。

 議会政党は、そんなありさまだが、ネット内では、どこにこんなに反対派がいたのかと驚くほど、連日、多くの人が、教育基本法改悪反対の意見を表明し続けている。やはり、教育問題は、身近な問題として、関心が強いのだろうか。

 教育の国家支配を強化する狙いが見える与党の教育基本法改定案は、アメリカの戦争体制により強固に組み込まれつつある中では、戦争動員の手段と化す恐れが強く、それ以外の教育上の諸課題の解決に資するとはとうてい思われないしろもので、廃案にすべきだ。民主党案も、教育基本法を改悪するものにしか見えないので反対である。それよりも、教育の現状の把握に務め、それを現場のイニシアティブで解決できる力をのばす政策の議論に集中すべきである。その際に、現教育基本法を生かしきることが先である。ましてや、これを改憲に連動させるなどということは、教育の政治利用であって、害はあっても、益はないと考える。

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「ダ・ヴィンチ・コード」ブームに徒然想った

 映画「ダ・ヴィンチ・コード」が世界同時公開で、多くの観客を集めているという。この映画を観たわけではないが、内容を紹介する情報をいくつかみて、徒然想った。

 1945年にエジプトで発見された初期キリスト教関係のナグ・ハマディ写本の一つである「マグダラのマリア福音書」と呼ばれるグノーシス文書には、マグダラのマリアはイエスの最高弟だったが、ペテロらによって激しく批判されたと書いてあるという。その後、ペテロを祖とするカトリック派が、『新約聖書』を編纂し、397年の第3回カルタゴ教会会議で、正典とした。カトリック教会は、キリストを神として、三位一体説を正統とし、キリストを人間とするグノーシス派などを異端として追放した。しかし異端派は、その後、シオン修道会などの形で存続し、後にフリーメーソンになったという。シオン修道会員であったというレオナルド・ダ・ヴィンチは、有名な「最後の晩餐」に、マグダラのマリアを描いたというのである。グノーシス派の文書では、マグダラのマリアとの間にイエスの子どもがいると書いているものもある。それを絵画に暗号として描いたというのである。

 また、グノーシス派の「ユダ福音書」には、実はユダは、キリストの思想の核心である「復活」を実現するために、キリストの命令を実行して、官憲に引き渡したということが書かれてあり、彼はキリストが最も信頼した弟子だったと書かれているという。グノーシス派のキリスト教関連の文書は、『新約聖書』とはずいぶん違った話が書かれているようだ。もっとも、『新約聖書』に入れられなかった「福音書」の類も外典として残されている。宗教改革を起こしたマルティン・ルターは、『聖書』正典のいくつかの文書について疑義を提起したようだが、カトリック派はそれを受け付けなかったという。

 事実かどうかはともかく、ナグ・ハマディ写本や死海文書などの発見によって、初期キリスト教の歴史が、カトリックなどの「正史」とは違った形で研究されるようになったのは進歩である。また、グノーシス主義が、ムハンマドに影響を与え、イスラム教の中に受け継がれていったことからも、それらの発見は、イスラム世界を理解する上でも重要なことだ。

 ローマ・カトリック教会は、この映画を非難しており、各地で上映に抗議するカトリック信者らの行動も起きている。今のところ、報道はないが、これは『聖書』の記述を絶対視するアメリカのプロテスタントの原理主義者にとっても、批判の対象となるようなものであろう。

 イエス・キリストを人間として認識することは、17世紀のユダヤ教から迫害されたスピノザの『神学・政治論』でも行われている。この本では、『旧約聖書』の成立を、ペルシャ支配下で、バビロン捕囚から開放され、エルサレムへ戻ることが許されてから捕囚下で形成された改革派のラビ集団(後のパリサイ派)が宗教再建をはかる中で、それまで伝わっていた諸文書を編集してつくったものだとし、その筆者を書記官エズラとしている。それから、19世紀の唯物論者フォイエルバッハがいる。イスラムでは、イエスは、預言者の1人である。

 カトリックは、中南米での人口増加によって、信徒の数が増えている。アメリカでは、ラテン系移民の増加と共にカトリックが増えている。また、プロテスタントの福音派の原理主義が広まった。西欧キリスト教文明対イスラム文明の文明の衝突が言われている。日本では、オウム真理教事件が起きた。宗教が要因となる衝突や争いが起きやすい時代状況であるから、客観的な宗教観や歴史認識を形成していく必要がある。この映画がそのきっかけになればいいと思う。

 客観的な宗教研究や宗教認識については、西欧ではスピノザやフォイエルバッハをはじめとしていろいろあるし、日本でも江戸時代に大阪の懐徳堂で活躍した町人学者の富永仲基や山方蝙桃の宗教の批判的検討の業績がある(司馬遼太郎氏は、山片蝙桃賞を創設した)。

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5月22日『東京新聞』フリーター・メーデー弾圧関連記事

 共謀罪とフリーター・メーデー弾圧と共謀罪や憲法の思想・信条・表現の自由などとの関連を指摘するなどして、この弾圧の不当性を明らかにしていて、なかなかよい記事だと思う。 

サウンドデモなぜ摘発(5月22日『東京新聞』)

 音響機材を積んだトラックを先頭に、踊って行進する「サウンドデモ」。先月30日、フリーター団体が主催したこのデモで、音響を操作するDJが道路交通法違反容疑で現行犯逮捕された。従来は認められていただけに「表現の自由への侵害」という反発も強い。国民的論議となった共謀罪導入で、政府は恣意(しい)的な運用はないと釈明する。しかし、今回の件をみる限り、懸念は強まるばかりだ。 (田原拓治)

 デモを主催したのは「自由と生存のメーデー06」実行委員会。昨年に続き、フリーター全般労働組合を中心に各種の団体が集まり、「フリーターのためのメーデーを」と開催した。

 当日は、午後からJR原宿駅に近い神宮前穏田区民会館で集会を持ち、夕方から渋谷駅方面へ向けて約二・五キロのサウンドデモを予定。約百人が参加した。

 「嫌な感じはあった。集会前から会館近くに私服警官が数十人集まって、参加者をビデオ撮影。しかもデモ規制の警官は、約百八十人で参加者の倍近くいた」と主催者の一人は語る。

 勘は的中し、デモ開始からわずか十五分ほどで、先導の音響トラックの荷台でDJを務めていた三十代の団体非常勤職員Aさんが道路交通法違反容疑で逮捕され、その混乱で別の男性も公務執行妨害(公妨)容疑で逮捕。運転手は減点一の反則切符を切られ、トラックはその場で押収された。

 サウンドデモは歩道からの飛び入りも多い。だが、この日は歩道側にも警官が並んで歩き、新規の参加者をブロック。渋谷駅前の交差点近くでは、同じく三十代の予備校講師Bさんが公妨容疑で逮捕された。

 逮捕された三人とも五月十一日までに釈放され、トラックも押収された夜に返された。ちなみに三人とも特定の政治団体に所属したことも、逮捕歴もない。

■荷台に乗れるのは荷物見るときだけ

 公妨容疑で逮捕された二人は「機動隊の盾に肩で突き当たった」などとする被疑事実を全面否定する。ただ、今回特異なのは、DJのAさんが道交法違反で身柄拘束され、家宅捜索まで受けているという事実だ。

 Aさん逮捕の理由を原宿署の小宮正副署長はこう説明する。「道交法55条ではトラックの荷台に乗れるのは荷物を見る目的だけ。今回はそうではなく明らかに違反。しかも、警告に従わなかった。それでも軽微な犯罪で通常は現行犯逮捕には至らないが、今回は当人が名を名乗らず、逃亡の恐れもあると判断した」

 同副署長は「表現の自由との兼ね合いで、音を出すなとか、デモを認めないというのではない。助手席での音響操作なら問題はないが、荷台上での違法な形態は認められない」と話す。

 しかし、これまで都内だけでも、イラク反戦などをテーマに五回以上、同じ形態のサウンドデモが認められてきた。この点を聞くと「私個人はよく分からないが、新しい形態で検討が十分されてこなかったのではないか」と言葉を濁した。

 今回もデモの許可申請は先月二十一日に出され、二十八日に都公安委員会と原宿署長が認めた。書面上、申請に細かなデモ形態の説明はなく、逆に許可の条件書にも「危険な物件を携帯しないこと」「交通秩序を乱す行為をしないこと」といった記述しかなかった。

 ただ、原宿署へのデモ申請段階で、主催者側はサウンドデモをすると言明している。その後の経緯について、Bさんはこう語る。

 「申請時、こちらはDJの人数には触れなかったが署の側から『それなら荷台の上は三人だな』と言われた。たしかに通常はその編成。でも、当日、デモの出発直前になって、署の人から『今日は荷台の上は一人にしてくれ。本庁はそれでなきゃ逮捕すると言っている。署としては何ともできない』と頼んできた。不満だったが、こちらも従って相手は感謝していた。さらに『機材を押さえる格好をしてくれ』と注文してきた」

 デモ出発後、Aさんは当然レコードを回し、間もなく「警告」「道交法違反になる」などと印刷されたA4判ほどの紙が私服警官によって次々と示された。

 Bさんはそのとき、助手席にいたが「警告は印字されていて、警察は事前に準備していた。車を止められ『窓を開けろ、開けないと割るぞ』と言われ、レンタカーだったので割られちゃ困るとすぐ開けた。そして混乱。DJが荷台から引きずり降ろされ、逮捕されてしまった」と振り返る。

 ちなみにDJのAさんは名乗らなかったが、所持品には携帯電話や免許証もあり、身元はすぐに割れている。その点でも留置する必要があったのか、疑問だ。

 三人は原宿、渋谷両署、警視庁と分散留置された。Aさんは「取り調べは一日二時間程度で、刑事に『表現の自由も分かるが迷惑だからな』『道交法で十日間も泊まりたくないだろう』と言われた」と語る。Bさんは「取り調べは一日二、三時間。黙秘したが、相手側の刑事もやる気がなさそうだった」と振り返る。

■DJ作業は「表現」 抵触するとは…

 逮捕直後、事件を担当した浅野史生弁護士は「警察側が、最初からデモ参加者を敵視していた様子がうかがえる。サウンドデモは一般のデモより緩い形態。警察側は逆にそれが飛び入りを誘い、集団暴徒化しかねないという妄想を抱いたのだろう。でも、警告したとはいえ、DJを拘束することは表現の自由に対する過度の制限だ」と批判する。

 一方、道交法違反と憲法上の表現の自由の関係をどう解釈すべきなのか。静岡大の笹沼弘志教授(憲法)は次のように解説する。

 「憲法の表現の自由が当然、上位に置かれなくてはならない。それゆえ、多少の渋滞が起きてもデモは認められ、お祭りの際の道路封鎖が認められている。道交法の目的は、道路での危険防止と交通秩序を守ること。歩く速度の車の荷台で作業することが、それに抵触するとは思えない。むしろ、DJの作業は表現行為の一部だ。それを保証する観点が警察側にはない」

 警察側の今回の対応が「デモのアピール力を恐れたゆえの道交法にかこつけた弾圧」(笹沼氏)だとすれば、委縮成果はあったのかもしれない。今回の事件を非難する今月十一日の集会には、デモ参加者を上回る百四十人が集まった。

 しかし、Aさんは「また頼まれても正直、ちょっとためらう。次に拘置されれば、職場をクビになりかねない」とため息をつく。

 論議の的になっている共謀罪法案で、法務省は再三「国民の一般的な社会生活上の行為」や「表現・言論の自由」が対象になることはないと釈明している。

 だが、住居侵入罪で起訴された一昨年二月の立川反戦ビラ事件(二審で有罪、上告中)では、ビラの内容が問われた。今回の道交法違反でも、法の恣意的な運用が表現を規制している。

 Bさんはこう語る。「一度、デモを許可して逮捕するんじゃ、まるでワナ。やった事実を問題にするんじゃなくて、デモが暴徒化するかもと懸念して弾圧してくるのなら、もう共謀罪は機能しているのも同然だ」

<デスクメモ>

 許可しておいて逮捕する。さしずめ「追い込み漁」のようなものだ。わずか百人程度のデモ、警官を大動員するほどの“脅威”だろうか。筋違いを承知で書くが、未解決の栃木県の女児殺害や、秋田県の男児殺害など、警察力を問われる事件が相次ぐ。こちらの方がよほど脅威だと思う。力を注ぐべきは-。 (透)

 <憲法21条1項> 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する

 <道路交通法55条1項> (略、貨物自動車で)貨物を積載しているものにあっては、当該貨物を看守するため必要な最小限度の人員をその荷台に乗車させて運転することができる

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公共事業を客観的に考える時期がきた

 21日『毎日新聞』の「余録」の「公共事業」というコラムは、小泉「改革」下では、悪者扱いの公共事業の意味について考えている。

 エジプトのピラミッドは奴隷を使役して造ったわけではない。ナイル川のはんらん期に失業対策として行われた公共事業だったという。ちゃんと対価が支払われた。今日のエジプト学では常識らしい▲政府が財政出動で景気をよくして失業を減らす。それは、20世紀の経済学者ケインズが言い出したことだ。それ以前にはおよそ例がなかった。ところが、エジプトでは紀元前のむかしに実施されていた。さすが、世界四大文明のひとつ。奥が深い▲だが、日本だって捨てたものではない。鎌倉から室町時代にかけて、禅宗に夢窓国師という高僧がでた。後醍醐天皇や足利尊氏らの帰依をえたが、このひとは全国にたくさんのお寺や庭園を造った。とりわけ名高いのが天竜寺や西芳寺の庭園である▲作家の水上勉氏は哲学者の中村元氏との対談で、興味深い説を唱えている。夢窓国師があれほどの数のお寺を造ったのは、貧民救済がひとつのねらいだったのではないか、というのである(「中村元対談集4」92年、東京書籍)。中村氏も「失対事業というのは、これはたしかでしょう」と応じている▲いま、公共事業は受難のとき。歳出カットすればするだけ、増税の幅が小さくてすむ。防衛費も社会保障費も削りにくいから、いきおい矛先は公共事業にむかう。政府・与党は今後5年間、毎年3%以上、公共事業費を減らしていくことで合意している▲ピラミッドにしろ室町時代の名刹(めいさつ)・名園にしろ、当時の民衆の日々の便利とは無縁のしろものである。財務省の査定を受ければ「無用の長物」とされ、建造が認められることはないだろう。それが数百年、数千年のときを経て、お金に換算できないほどの価値をもつに至った。歴史はいつも皮肉である。

 エジプトのピラミッドが、ナイル川の氾濫期の農民のための公共事業だったというのは、確かに、近年のエジプト考古学の定説になりつつあるようだ。それを示す証拠もつぎつぎと発見されている。これを奴隷が作ったという説は、『旧約聖書』の「出エジプト記」のユダヤ人奴隷の記述あたりから生まれたのではないだろうか(映画『十戒』にも描かれている)。

 こういう公共事業が鎌倉期から室町期にかけて、幕府が帰依した夢窓国師によって、禅宗寺院や庭園の建設という形で日本でも行われていたというのも、興味深い。この時期、鎌倉五山、京都五山などの禅宗臨済宗の大寺院が建てられた。作家の水上勉氏が、それを貧民救済のためだと述べたという。対談の相手の中村元氏は、「失対事業でしょう」と述べたという。

 鎌倉期は、人口や生産が停滞していた時代で、平均寿命も30代だったらしい。室町期は、応仁の乱をはじめ戦乱が続いた時代だった。京の都も荒れ果てた。山城の国一揆をはじめ地方でも一揆が相次いだ。南北朝の戦いで始まり、最後は下克上の戦国時代である。

  鎌倉期に相次いで起きた仏教革命で、貴族仏教から民衆仏教に変わった鎌倉仏教の諸仏教宗派は、貧民救済事業を行いながら、広く民衆に浸透していったのかもしれない。もともと、平安仏教も、中国から薬学・医学・土木技術などの当時の最新技術を教義と共に日本に持ち込んだのであり、四国讃岐平野のため池を空海が作ったとする伝説や日本各地に井戸を開いたという伝説が残されているのも、僧が同時に技術の伝搬者だったことを示すものなのではないだろうか。

 やがて、幕府の帰依を受けた臨済宗や浄土宗から迫害された浄土真宗は北陸など地方の農民や在地の勢力の間に信者を増やし、加賀や伊勢で、独立勢力として台頭してくることになる。当時の教団は、政治・統治ということも担い、信徒の生活にいろいろと配慮していたに違いない。例えば、大阪石山本願寺が、門前町に、商人や職人を住まわせ、各地との物資の交流拠点としていたように。

 イスラムにおいても、モスクの門前町において営業する商人たちは、その日の売り上げからいくらかを毎日、モスクに納め、記帳することになっている。さらには、喜捨は、基本的に拒めないようになっており、これらの行為によって、天国での幸福の度合いが決まるので、イスラム商人たちは喜んでそうするようだ。

 今後、公共事業費は、減らされていく。財政出動派は、有効需要の不足が不況の原因だと考えているので、公共事業を増やすべきだと主張している。「小さな政府」派は、それが経済のバランスをおかしくしているので、自然にバランスが回復するまで、政府は余計なことをしない方がいい。むしろ政府が介入するとおかしなことになって、バランスの自然回復を妨げるだけだと考える。

 「小さな政府」派の小泉政権は、「民のことは民にまかせる」と言って、余計な手出しはしないと基本的には放置した。実際には、国債発行30兆円以内にするなどの約束を反故にしたりはしたのだが。そのおかげて、景気回復したというのである。しかし、それまでに、日本経済は、「失われた10年」を経ており、バブル崩壊からの回復に、それだけ長い時間がかかったのである。

 「余録」は、当時の民衆にとって無縁のピラミッドや大寺院や庭園など、財務省から無駄だと言われそうな建造物が、数百年、数千年たつと、金に換算できない価値を持つという歴史の皮肉を指摘して終わっている。

 確かに、公共事業について、冷静かつ客観的に考えてみるべき時期にきていると思う。

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5月21日『東京新聞』社説「『平等』を問い直そう」について

  先日、小泉首相が、石川県の能登半島の輪島市を訪れて、「千枚田」と呼ばれる棚田を観たという。その後に彼は、「これこそジャパンの文化だ」とのたまわった。ジャパンは英米文化を表す英語でしょうが!などといちいち反応するのもばからしくなるような、うすっぺらさである。おそらく、人気頼りのポピュリズム政治家の彼としては、『国家の品格』ブームに乗ろうとしたのだろうが、その薄らさむい上っ面だけの態度や言葉には、いい加減うんざりである。

 それに対して、21日の『東京新聞』社説「『平等』を問い直そう」は、小泉政権が、経済界からの「改革」ブームに乗って、結果の一部しか考えないで、「改革」を押し進めたことの負の結果への批判になっている。

 まず、この社説は、「「格差は必ずしも悪くない」と小泉首相は言いましたが、激しい競争社会が招くのは、一握りの強者と多数の弱者です。「平等」は普遍的な価値であるはずです」と小泉政治を批判する。

 記者は、天才チンパンジーのアイちゃんの取材を通して、「人間とは共感する動物」という考えを持つようになった。

 人間とは直立二足歩行し、文字や火、道具を使う動物だと、習った覚えがありました。喜怒哀楽のあるのが、人間だとも…。

 ところが、アイちゃんを知れば知るほど、人間の定義そのものが怪しくなってきました。何しろ、アイちゃんは0から9までの数字やその大小関係をちゃんと理解しています。モノの名前や色を表す漢字など百以上もの語彙(ごい)を持っているのです。

 「チンパンジーは“チンパン人”」と松沢教授は言いました。

 「言語を理解し、道具も使います。ほとんど人と変わりません。まさに『進化の隣人』といえます」

 では、人間とは…、ますます分からなくなります。松沢教授はこんな回答をくれました。

 「介護が必要になった者などに手をさしのべる行動は、チンパンジーには、ヒトほどのものはありません。ヒトは相互に助け合うように進化してきたのだと思います。人間とは、他者の立場に立って思いやる『共感する動物』といえるでしょう」

 助け合い、お互いを思いやるのが人間の本性である…、それが取材で感じられた結論でした。

 さて、市場原理主義が闊歩(かっぽ)する世の中です。米国式の弱肉強食主義や能力主義がはびこり、まるで競争に勝てばすべてという時代です。

 記者は、続けて、「一億総中流」が崩れ、一方のIT長者などの億万長者と同時に貧困が増えている現実を、生活保護世帯百万突破や連合総研の収入格差実感60%の数字をあげて、示している。こういう格差拡大の現実に対して、小泉首相が国会答弁で「成功者をねたむ風潮、能力ある者の足を引っ張る風潮を慎んでいかないと社会の発展はない」と述べたことを批判する。

 ねたんでも、足を引っ張ってもいけませんが、むしろ問題は富者はどんどん富み、貧者はますます貧しく…という風潮です。市場原理主義は「一人勝ち」を許します。勝ち組は一握りにすぎず、大半は負け組という冷厳な事態を生みます。「平等」という価値観について、問い直していいときではないでしょうか。

 そして、記者はプラトンの『法律』から、「平等は友情を生む」ということわざを引いている。

 プラトンの著書「法律」(岩波文庫)にそれが記述されています。

 「奴隷と主人とでは、友情はけっして生まれない」としつつ、「くだらない人間と優れた人間とが、等しい評価を受ける場合も、やはり友情は生まれない」と書いてあります。そして、古いことわざは真実だと、プラトンは評価しているのです。

 それから、「結果の平等」について具体的に例をあげて検討している。これは、機会平等論者が、無視してきたことである。記者は、アメリカのように、何百倍何千倍というのは行きすぎだとしている。

 従来の日本社会では、社長と社員の年収格差は、四倍程度といわれてきました。これこそが、戦後日本がつくり出した「一億総中流」という平等社会だったわけです。終身雇用や年功序列などの“セーフティーネット”に守られて、それなりに安定した社会でした。

 年収で4倍程度というのが、記者の考える「一億総中流」の平等社会の妥当な収入格差の基準である。これに終身雇用や年功序列などの「セーフティネット」が組み合わさって、安定した社会がつくられたというのである。こういうふうに具体的な基準が示されれば、政治目標ができるわけで、つぎには具体的な政策・実現手段の検討に移れるわけである。

 ヒトとチンパンジーの塩基配列の99.78%が同じで、1.32%が異なっていた。この1.32%に人類の人類たるゆえんがあるはずだと記者はいう。

 ■「1・23%」の自覚を

 果たして、その1・23%とは何でしょう。「弱い者へ手をさしのべる」のが人間の本性ならば、今こそ、それを自覚したいものです。格差が固定し、教育や就業の機会が奪われてもなりません。「機会の平等」は何としても死守すべきです。

 それにしても、プラトンの時代のことわざは、ちょっと心にとどめておきたい言葉ですね。

 《平等は友情を生む》

 全体として、思考のしなやかなを感じる文章である。

  それに対して、小泉首相が、輪島で小さい田が斜面に魚の鱗のようにびっしりと並んでいる姿を見て、美しい文化だと感心するのは、傍観者の目であり、都会人の偏った固い感性を示しているにすぎない。

 棚田は、東南アジアにもあるが、平地の少ないところで、少しでも田を切り開かざるをえなかった人々の苦心と努力と経験的技術の結果としてそういう形が生まれたのである。棚田を作った農民なども、できれば、耕作しやすい平地に田をつくりたかったことだろう。今、ああいう機械もあまり使えないだろう棚田を再生産していくために、どれだけの人の手間がかかることか。文化財として保護でもしなければ、維持していくのは難しいのではないだろうか。そう考えながら、小泉首相の「棚田はジャパンの文化」などという浮ついた言葉を聞くと、腹が立つのである。

 この社説は、フランス革命の掲げた理念「自由・平等・博愛」を基本に、それをかみくだいて、具体的に述べているだけなのだが、小泉政権の下では、それが「革命的」に感じるぐらい、それらの理念が崩れつつあるのである。

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格差容認は議会制自滅の兆候

 格差社会の問題が、国会などでも取り上げられるようになってくる中で、格差があるのは当たり前で、その是正を訴える平等主義は共産主義だというものもある。自由主義的男女同権論の一種の「ジェンダーフリー」すら、共産主義だと決めつけられる。

 こうしたことを見ていると、マルクスの以下の言葉を思い起こす。

  きわめて単純なブルジョア的財政改革、きわめてふつうの自由主義、きわめて形式的な共和主義、きわめて平凡な民主主義、これらのもののどの要求でさえ同時に、「社会に対する暗殺計画」として罰せられ、「社会主義」のやき印をおされる(『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』岩波文庫)。

  問題になるのが、請願権だろうとぶどう酒税だろうと、出版の自由だろうと通商の自由だろうと、クラブだろうと地方自治制度だろうと、人身の自由の保護だろうと国家財政の調節だろうと、いつもおなじ合言葉がくりかえされ、主旨はいつもおなじ、判決は、いつでもちゃんとできあがっていて、いつもかわらずこうである。「社会主義だ!」。ブルジョア的な自由主義ですら社会主義だといわれる。ブルジョア的啓蒙も社会主義、ブルジョア的財政改革も社会主義。すでに運河のあるところに鉄道をひくことも社会主義なら、刀で切ってかかられたとき棒っきれでふせぐのも社会主義であった(同前)。

 これは、七月王政(ブルジョア王政)を打倒して1847年の二月革命で成立した臨時政府が、プロレタリアートが押しつけた共和制を採用し、同年の六月事件で、プロレタリアートを敗北させたが、ブルジョア共和派が没落し、ついには、議会を死滅させるにいたる渦中のことである。

 〔一切のブルジョア的自由等々がすでに「社会主義」になってしまったことをブルジョアは理解はしてはいたが〕しかしかれらにわからなかったのは、〔そうしたことから当然でてくる〕帰結、つまり、けっきょくはかれらじしんの議会政体、一般にかれらの政治支配までもこれまた社会主義だとして全般的な有罪宣告に処せられねばならなくなるということ、であった(同前)。

 これは、謀議の段階で処罰できるとする共謀罪新設に表れているものと似ているように見える。

 ブルジョアジーは、封建制にたいしてかれらのきたえたすべての武器がかれらじしんにほこさきをむけてきたこと、かれらのつくりだしたすべての教育手段がかれらじしんの文明にはむかってきたこと、かれらが創造したすべての神々がすでにかれらからそむきさったことを、ただしく見抜いていた。いわゆるブルジョア的自由のすべて、進歩のためのブルジョア的機関のすべてが、かれらの階級支配を社会的な土台においても政治的な頂点においても同時におびやかしていること、だからそれらが「社会主義的」になってしまったことを、かれらは理解した(同前)。

 その後、フランスは、選挙皇帝のナポレオン三世の帝政にいきつく。

 日本の現状は、まだ議会政党レベルでは、ここまではいっていない。一部の右派・保守派知識人や右派宗教や一部の人がこういうことを言っているだけである。しかし、共謀罪新設策動や改憲策動や教育基本法改悪策動などの動きの中で、近いことを言う政治家もいるし、テロ対策が反共や反自由・反民主主義に転化するかもしれない。共謀罪の与党案が対象を広くしていることは、そうした疑念を生じさせる。

 教育基本法改悪策動でも、教育の国家の主導性を確保するための公共の精神の強調が明記されている。こうして外堀を埋めて、改憲にもっていこうとしているのは明らかだ。今や「護憲」は、「社会主義」なのだろう。被支配者は、支配者がつくった武器を逆にかれらにつきつけて闘いの武器にする。強者は、昨日まで自分のための武器だったものが、弱者の武器になって自分に対してむかってくるのを目にすることになる。

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弱者=強者?

 ときどき、弱者はじつは強者だというようなパラドキシカルな文にお目にかかることがある。

 どっからそんな発想が出てくるのか不思議であったが、どうやら、ニーチェあたりがもとになっていそうだと見当をつけてみた。

 ニーチェは、道徳の起源を、弱者のルサンチマンに見ているからである。

 しかし、ニーチェをよく読むと、彼の哲学は、すべて夢の哲学であり、夢の話であることがわかる。

 だから、それを現実として語ること自体が無理なのである。

 そうしているのは、後の人が、そのように利用したというだけで、それはニーチェには責任のない話である。

 弱者は弱者であり、強者は強者であり、どうやっても、頭の中・夢の中以外で、これらを同一視することは無理である。

 そうしした区別さえ失わなければ、こういう夢の話にいちいちひっかかることはない。

 ニーチェの悪用を許してはならない。

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ウクライナの農業改革の記事によせて

 18日の『毎日新聞』国際欄におもしろい記事があった。タイトルは、「ウクライナ 生産向上へ農業改革」である。

 ウクライナといえば、歴史的に大穀倉地帯であり、旧ソ連時代も大穀物庫であった。それが、91年の独立後、土地の細分化や生産技術の近代化の遅れや高齢化などによって、農業の低迷が続いてきたという。そこで、ウクライナ版の農協の組織化や国際資本の投資拡大などによって、農業改革が進められているという。農業生産は、独立後に急減した。

 ウクライナの農地は3000万ヘクタール。人口約4700万人の3分の1が農業地帯に住むが、その半分が高齢者か子供。若者は高収入を求めて都市部や海外に出稼ぎに行き、農業に従事するのは約750万人止まりだ。

 90年に1046億フリブナ(約2兆2000億円)だった農畜産物の総生産高は年々減少。02年は621億フリブナ(約1兆3500億円)と、90年の6割にまで落ち込んだ。特に減少したのは畜産部門だった。

 国立ウクライナ農業大学のセルゲイ・クバシャ教授(国際関係論)によると、独立後、土地がそれぞれの耕作者に引き渡され、細分化されたため生産性が低下。さらに、流通システムの整備が遅れ、零細農家は生産物が販売できず、物々交換や貯蔵に回すケースもあった。欧州への輸出もままならず、最大の輸出先ロシアが「品質維持」を口実に輸入制限に踏み切ったことも低迷に拍車をかけた。

 EUは、輸入農産物の品質に高いハードルをもうけていて、アフリカ産の農産物をしめだすものとして、アフリカ諸国の反発を買っている。

 こうなることは、日本の農地改革の歴史的経験をみれば明らかである。土地細分化(農地解放)で生まれた中小農、農村での滞留人口の都市部への流出、三ちゃん農業化、兼業化、出稼ぎ、後継者の都市への流出、農業従事者の高齢化、等々。ただ、日本の場合は、農協が早くから、金融、流通、販売、機械化、営農指導、などの面で、農民をサポートしてきたため、農業衰退のスピードはウクライナほど早くはなかった。

 日本の農業は、くりかえし、アメリカの圧力で、りんご、オレンジをはじめとして、安い米国産農産物を輸入自由化して、打撃を受けた。ただ、自民党の地方議員の意を受けた政府によって、米価維持政策や農地改善事業などの農業分野への政府投資が行われたことなどもあり、保護されて、生き延びた面もある。それも、小泉政権下の「改革」によって、ぶっ壊されてきているところだ。

 ウクライナでは、独立などの混乱によってか、あるいは極端な自由化によって、農業政策がまともに機能してこなかったのではないかと思われる。しかし、ようやく、「ウクライナ全土に25の支部を持つ「ウクライナ農業投資顧問協議会」が3年前に発足し」、この組織が、農作物の栽培指導、農業道路などの社会資本の整備、作物の取引市場の設立、地場産業の育成、若者の定着促進事業、に取り組むようになったという。

 この組織は、日本の農協どころではなく、農道までつくるというのだから、行政機能をも合わせ持つような強力な組織である。

 農地の集約化は、企業が小規模耕作地を1ヘクタールあたり200ドル程度で借りる形で農業ビジネスを展開することでも進んでいるという。「現在、約20社が20万ヘクタール規模の農場を経営」しているという。

 さらに、「外国の農民や企業の進出も目立つ」「ドイツやオランダ、デンマークの農民が移住してくるケースが多い」とクバシャ教授は言う。現地人と結婚して定住するケースもある。「彼らは最新技術を導入してくれ、我が国の技術改革にも貢献している」「先進国出身の外国人が働き手の減った地帯の空白を埋め、農業の再興に寄与する。「彼らの役割は今後、いっそう大きくなるだろう」とシュミッド会長は予測する」と外資や移民の農業参入が進んでいる。

 日本の農政も、「改革」の波を受けて、農地の集約化、企業経営の導入、農地売買の制限の緩和、等々、を進めようとしているが、外国から農民が移住して、農業の担い手になるというような自由化・開放までは、今のところ、想定しにくい。

 ウクライナでは、資本主義的大規模農業が本格的に展開しようとしているわけだ。それは、農村において、農業労働者が増大することを意味する。さらに、都市部ではなく、農村で国際化が進むことが、文化や社会にどういう影響を及ぼすかなど、いろんな課題がありそうだ。 

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「教育基本法改正案「賛成」66%…読売世論調査」に気をつけて

教育基本法改正案「賛成」66%…読売世論調査

 読売新聞社が13、14の両日に実施した全国世論調査(面接方式)で、16日から国会審議が始まった教育基本法改正案について、「賛成」と答えた人が「どちらかといえば」を合わせて66%に達した。

 「反対」は、「どちらかといえば」を合わせて14%だった。

 支持政党別に見ると、「賛成」は、自民支持層で76%、公明支持層で8割に上り、民主支持層でも63%を占めた。社民、共産支持層では「反対」が多数派だった。無党派層では「賛成」が58%だった。

 年代別に見ると、「賛成」は20歳代が73%で最多。50歳代が最も少なかったが、それでも61%に上った。

 改正案は、現在の基本法に様々な項目を加えたほか、一部の規定を削除した。その中でとくに重要だと思うものを、八つの中から複数回答で選んでもらったところ、「『豊かな情操と道徳心を培う』の追加」と答えた人が48%で最も多かった。次いで、「『公共の精神を尊ぶ』の追加」36%、「『国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う』の追加」29%、「『職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養う』の追加」「『我が国と郷土を愛する』の追加」各26%――などの順だった。

 教育基本法の見直しでは、「愛国心」をめぐる表現が最大の焦点となっており、政府案が「我が国と郷土を愛する」という表現なのに対し、民主党案では、「日本を愛する心を涵養(かんよう)する」としている。

(2006年5月16日23時56分  読売新聞)

 この記事を読んで、違和感を感じた人もいるのではないだろうか。この世論調査は、与党の教育基本改正案の賛成が66%としているのであるが、民主党支持層の多くは、民主党案を支持するだろうのに、民主党支持者に、与党案賛成が63%いるという結果が出たというのである。以前より、『読売新聞』は、野党に対案型の国会審議を求めており、それなら、面接方式の今回の調査でも、与党案と民主党案の両方から選ぶという選択肢があってもいいはずだ。もとから、『読売新聞』は、社説で、与党案支持を明言しており、この問題では、最初から中立ではなく、与党寄りという偏った姿勢を取っている。

 したがって、その世論調査については、バイアスがかかっているとみるべきである。しかも、8択においては、与党案が並べた重要度に沿った形、したがって与党案に賛成する『読売新聞』が支持する形で、順番が並んでいる。

 第1位は、『豊かな情操と道徳心を培う』の追加」48%。第2位が、「『公共の精神を尊ぶ』の追加」36%、第3位、「『国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う』の追加」29%、第4位「『職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養う』の追加」、第5位「『我が国と郷土を愛する』の追加」26%。

 この順番は、『産経新聞』や右派が望む順番とは異なる。かれらは、「愛国心」が明記されていない今回の与党案には、反対で、「愛国心」明記の優先順位が高いのである。それに対して、森前総理がこだわったのは、「公共の精神を尊ぶ」の明記であり、「愛国心」では、公明党に妥協したのである。

 いずれにしても、このような世論調査は、『読売新聞』の与党案支持の態度が反映していると見なければならない。

 最近のマスコミの世論調査の結果は、例えば、小泉内閣の支持率でも、近い時期のJNNの約57%とNHK47%と10ポイントもの開きがあるように、あてにならない。これは統計上の誤差の範囲を超えているのである。こうした記事に簡単に踊らされるような超お人好しはそうはいないとは思うけれども、その程度の信頼度しかないということを念頭に置いて、読んだ方がよい。

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マスコミと戦争

 15日のテレビ朝日「テレビタックル」で、独島・竹島問題がとりあげられた。

 日本政府は、江戸時代には、竹島・独島は、日本領だったという見解を出したが、明治10年(1887年)に、明治政府・太政官は、「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」(『太政類典』半月城通信より)とする指令を出しており、この時点で、独島・竹島を日本領外と認定していた*。ところが、1905年、日露戦争のための軍事施設をつくろうと計画した明治政府は、突然、これをくつがえして、無主の地と決めつけて、日本領に編入したのである。その後いろいろあったのだが、それについては、「半月城通信」を見ていただきたい。

 *1900年(明治33年)10月25日、大韓帝国は、勅令41号で、「鬱稜島、竹島、石島」を郡に昇格した(半月城通信『年表』)。5月17日付記 

  この番組では、右派ー保守派に偏った内容が垂れ流されることがあり、三宅、勝谷などのナショナリストの一方的な、竹島・独島日本領説だけが流されたりした。しかし、今回は、朴一大阪市大教授が、国際司法裁判所で審議しても勝てると反論した。

 もっとも、この番組自体は、バラエティ、お笑いとして作られているようで、ハマコーも「オレみたいな者の言うことをまともに受け取るな」と断っている。

 竹島・独島問題では、人々も冷静で、というよりも無関心である。韓国でも、ノ政権は大声で叫んでいるが、一般の人々は冷静に見える。テレビ映像で、日章旗などを燃やしたりしているのは、いつもおなじみの愛国団体で、海上保安庁の海底調査船を待機させた時に、抗議を行ったのは20人ほどだったという。テレビのフレームの関係で、映っていないところにも人がいるように思いこんでしまいがちなのである。ちょっと、カメラを引くか、ぐるりと回せば、そこには誰もいないということだ。イラクのサドル・シティで、フセイン像が米軍と共に人々によって引き倒された時、大勢がいるように映っていたが、引いてみると、周りを取り囲んで眺めている人の方がはるかに多かったように。

 マスコミと戦争の関係については、江口圭一氏による研究『満州事変と大新聞』(『思想』1973年第1号)にある1932年8月20日付「『東京日日新聞』の記事が、「若し新聞が時代精神を代表するものとせば、如何に其論調が、昨非今是の感を切ならしむるよ。・・・昭和六年九月十八日、奉天における一発の砲丸は、所謂る思想善導業者の千百万の説法よりも、我が国民の思想を、本来の面目に立ち返らするに於ては、有力であり、且つ有効であったと断言するに憚らない。我が国民は正しく国家的に再生し、国民的に復活した。しかして此れが無形の一大収穫であった」(『武藤全権大使及び其の一行を送る』)と書いているようなポピュリズムの危険性という問題がある。

 「(満州事変についてー筆者)伝えられたニュースの内容は、『大朝』が特派員により「支那側の策謀」を速報するとうたったことにもみられるように、当初から予断と偏見にみちたものであった。そこでは、「全く奉天兵の計画的な柳条溝の満鉄線爆破」(『大朝』9・19号外)と、関東軍の謀略への完全な同調をもとに、「我軍大活躍の奉天戦線(同前9・20号外)と、満州での軍事行動が無条件に肯定かつ賞讃され、その半面で、「鬼畜にも劣る暴戻と排日」(『東朝』11・7)と、中国への敵意と侮蔑があおりたてられ、「守れ満蒙=帝国の生命線」(『東日』10・27)というスローガンのもとに、事変にたいする全面的な正当化と熱狂的な声援がおこなわれたのである」(同前)。

 江口氏は、満州事変の報道競争を通じて、『朝日』『大毎=東日』の二大紙が、全国紙として独占体制を築き上げたことを指摘し、それを「この両大紙が新聞社として能力・機能のほとんどすべてを傾注して事変の支援につとめ、事変そのものを事業の不可欠の構成部分に組みこみ、戦争を自己の致富の最有力の手段として、この制覇をなしとげたという事実である」と分析している。

 当時、こうした大新聞の姿勢を、「石橋湛山のもとに、排外主義の大潮流のなかで事変批判の姿勢をなおからくも維持していた『東洋経済新報』(32・2・6)がすでに鋭く告発するところであった。――「社会の木鐸だなどといいながら実は権力と大衆に阿り、一枚でも多くの紙を売ることの外、何の理想も主張もなきが如」しと」(同前)と批判するものもあった。

 この石橋湛山の批判は、今日のマスコミについても当てはまるものではないだろうか。 

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5月14日『東京新聞』社説「格差社会を考える」考

  5月14日『東京新聞』社説「格差社会を考える」は、「格差社会への批判が広がっています。格差をなくす。これは人々がずっと、挑戦してきた課題でした。そのために、政府はどんな方策をとるべきでしょうか」と正しい問題提起をしている。

 どんな社会であっても格差があるという事実から、だから問題はないという結論に飛んでいる人もいるようだが、アメリカの独立戦争であれ南北戦争であれ、フランス革命であれ、中国の太平天国の乱であれ、辛亥革命であれ、日本の明治維新であれ、平等を掲げ、勝利した者は、平等を実現することを約束した。

 共産主義を掲げたソ連などの諸政府は、格差社会をなくせず、不平等社会をつくってしまい、下層大衆の不満が爆発して崩壊してしまった。自由主義を掲げた政府の自由の抑圧、不平等社会に対する不満や反発があった。近代社会で、繰り返される恐慌や不況や戦争に、多くの人々が苦しめられたのである。

 「格差是正は、いまに始まった話ではありません。いわば近代国家が成立して以来の大テーマといってもいいほどです。たとえば約百六十年前、カール・マルクスの一連の著作に始まる共産主義もそうでした」。

 これは、前半は正しいが、後半は正しくない。共産主義は、マルクスの発明ではない。かれは、ヘーゲル左派の急進的な自由主義者として出発し、それから共産主義に「転向」したので、彼以前にすでに共産主義は存在した。

 共産主義は、前古代社会に実在し、古代から思想として存在し、原始キリスト教にもあり、その様子は『新約聖書』「使徒伝」に描かれており、さらにネグリがとりあげている中世の聖フランチェスコ(映画「ブラザー・サン・シスター・ムーン」で描かれた)の思想と実践にもあり、近代でも、マルクス以前に、サン・シモン主義やロバート・オーウェン主義やフーリエ主義や封建的社会主義や職人的社会主義などがあった。アジアでも、インドの仏教や太平天国思想等々がある。

 「すべての労働者が自分の能力に応じて働き、格差のない公平な社会をつくる。それが理想だったのですが、結果は旧ソ連にみられる通り、非効率な政府がいびつなほど巨大に増殖し、最後は原発事故も引き金になって崩壊してしまいました」。

 これは、目的が間違っていたわけではなく、とくにスターリン時代に、正反対の方に向かっていったためで、「非効率な政府がいびつなほど巨大に増殖し」たのもそのせいである。

 つづいて、社説は、「公平で公正な社会」の実現のための問題点と政策課題と解決策をいくつかあげる。

■洋の東西で重要課題に

 共産主義を含めて、人々が政府に期待する役割の一つは、いまも昔も「公平で公正な社会」の実現です。最近、会った中堅の自民党衆院議員がつぶやいた一言が、問題の重さを如実に物語っています。

 「格差是正。これはわれわれの魂に触れる課題なんだ。自民党の存在意義にかかわるといってもいい」

 自民党が格差是正とは、いまや意外に聞こえるかもしれませんね。でも、農村の生活水準改善に最も熱心な政党が従来の自民党だったことを思い出せば、納得できるでしょう。格差是正は洋の東西を問わず、あらゆる政治勢力が取り組んできた課題なのです。

 残念ながら「平等な所得」や「結果の公平」を完全に実現した国はなく、うまい処方せんもまだ見つかっていないのですが、それでも「政府の役割」について共通理解は次第に形成されてきました。

 一つは低所得でも安心して生きていけるように、高所得者から低所得者への所得再分配です。高所得であるほど税率を高くする累進所得税や財政力の弱い地方自治体に政府が税財源を再分配する地方交付税が、そうした機能を担っています。

■「老後の不安」にも直結

 現行の所得再分配は改善の余地があるとはいえ、曲がりなりにも確立されているのに、人々がいま格差拡大の実感を抱く理由の一つは「老後の不安」と直結しているからではないでしょうか。増加する非正規雇用が、それを象徴しています。

 パートやアルバイトはもちろん、契約社員や派遣労働者の中にも年金などの社会保険に未加入の人が少なくありません。こうした非正規雇用は二〇〇五年に千六百三十三万人を数え、前年に比べて六十九万人も増えました。雇用者全体(役員を除く)の約三分の一、うち女性では半数以上を占めています。

 給料はというと、正社員の四百五十三万円に対して、派遣は二百十三万円、パートは百十万円(〇四年)という試算もあります。

 もともと給料が多くないうえ、年金も未加入で将来不安が募る。そうした人々が増えている現実を見れば、政府は所得再分配のあり方を見直す必要もありそうです。

 とくに国民年金。未納者は四割に迫る勢いで「すでに破たんしている」という見方もあります。「加入者が払った保険料で自分の保険金を負担する」という制度の基本が崩れているなら「国民の税金で福祉サービスを提供する」財政の制度に抜本的に衣替えして、再分配の効果を高めるのも一つの方策です。

 「年金保険料の徴収をやめ消費税を増税する。その代わり、最低限の老後は保障する」という考え方は、一考に値すると思います。

 「そもそも少ない給料が問題だ」という意見もあるでしょう。でも、政府が法で定める最低賃金を無理やり高くすれば、失業率が高くなったり、低賃金でも働けない問題が生じます。むしろ、一定期間を過ぎれば非正規雇用から正規雇用への転換を促す制度を充実する、といった方策が考えられます。

 もう一つ、政府の役割で重要なのは「機会の平等」を徹底することです。金持ちの子供だけしか、いい教育機会に恵まれず、したがって、低所得者の子供はずっと低所得にとどまる。人々の不安は格差そのものより、そんな格差の固定化に真の理由があるかもしれません。

 ここでは、公立学校の教育を充実し、就職や転職、さらには能力に応じて働ける窓口を広げていく努力が必要です。政府は率先して公務員の中途採用や民間からの登用枠を大幅に拡大してはどうでしょうか。

 政府の人事採用をみていると、キャリアとノンキャリアの区別や特定大学出身者の偏重など「政府自身が機会の平等を否定して、格差を過度に固定化しているのではないか」と思えてなりません。

 「共産主義を含めて、人々が政府に期待する役割の一つは、いまも昔も「公平で公正な社会」の実現です」というのは、資本主義では、この課題は解決しないという含みをもたせた表現である。そのとおりだが、ある程度の改良は可能である。

 「格差是正。これはわれわれの魂に触れる課題なんだ。自民党の存在意義にかかわるといってもいい」という自民党議員の言葉は、地方の自民党が、明治の自由民権運動にルーツを感じていることからも、なるほどと思わせる。

 格差是正のための方策として、所得再分配強化と機会平等を提案する。前者については、最高累進税率を75%から39%に大幅に引き下げたのをある程度元に戻せばだいぶ強化される。機会平等の提案など、その他まだまだ分析・検討していかなければならない入り口のあたりにある議論である。

 それに、共産主義やマルクスについての事実の誤りなど、ちょっと調べればわかる程度の事実誤認がある。もっとも、なんでも「民」だ、「市場に任せればOK」みたいな新自由主義的な暴論、思考放棄、よりは、はるかにましだが。

■成長なくして是正なし

 そして、経済の安定成長。企業が伸びるときには、パートやアルバイトだけでなく高い士気をもって中核業務に励む正社員も増やします。

 成長なくして格差是正は進まない。逆に、格差が広がる一方なら、社会の安定性と貴重な労働の潜在能力が失われ、ひいては成長も望めません。成長と格差是正は「車の両輪」です。

 社説の結論は、「成長なくして格差是正なし」である。しかし、環境問題などを考えるなら、成長の中身を考慮しないで、手放しで成長を礼賛することはできない。前にみた『朝日新聞』社説が、成長至上主義を否定したのは、そういうことである。近代経済学は、資源などを無限とする空想的な仮定の上に築かれているという根本的な限界をもっている。

 成長と格差是正が「車の両輪」となるためには、資本化されないものを切り捨てる資本制経済からの根本的な転換が必要である。資本制経済では、非自発的失業が必ず存在し、完全雇用が達成できないことを明らかにしたのはケインズである。改善を希望するのであれば、せめて、ケインズを読み直すぐらいはしてみてはどうだろうか。

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転載 メーデー救援会メールニュース No.11

□□□ メーデー救援会メールニュース No.11 □□□

  11日無事釈放された渋谷署に留置されたいた仲間と私たちは、仲間の提起を受て、渋谷署に設置されている留置所にいる人々に向けて激励行動に即日出かけました。確実に声を届けるには渋谷警察署の裏手に回る必要があるため、無用な緊張を避ける短時間での激励行動でしたが、留置されていた仲間の釈放報告と処遇改善要求への連帯支持を感謝するアピールに、「聞こえるぞ!」の応答が! 続く10名ほどの「×房頑張れ」「みんな頑張れ」の外からのシュプレヒコールに、「頑張るぞ!」の中からの声。すぐに警備の警官が出てきましたが、処遇改善要求支持への謝意と激励のアピールだという主旨を説明し、整然と行動を終えることができました。私たちの耳にはいまだに「頑張るぞ」の声が残っています。どんな「罪」に問われていようとも、人間として健康的に生きることも含め、基本的人権は擁護されて然るべきです。留置所内の処遇がまちまちで、所轄署によって異なる対応が法を超えて「内規」(留置規則)とやらで規定されるのは、やはり理不尽と言わなければならないでしょう。

  それから、11日夜には緊急の反弾圧集会を予定通り開催しました。開会の数時間前から公安警察が付近の街路に多くて25名以上もたむろして、集会妨害・破壊の隙を伺っていましたが、救援会ではこれに対して防衛行動を対置。建物の中に入ろうとした数名を追い払い、街路にたむろしている公安警察に対して「つきまとい迷惑行為」弾劾のシュプレヒコールを叩き付け衆人環視のもとに置きました。公安警察は躍起になって「プレカリアートのメーデー」を叩き潰そうと今なおあがいていますが、私たちはこれをはねのけて集会を開くことができました。結果、140名もの方々にご参集いただき、盛況のうちに無事集会を終えることをできました。集会では、メーデー実行委・救援会・弾圧被害者の仲間からの直接の報告だけでなく、当日の模様を収めた動画を上映し、メーデー弾圧で振るわれた警察の暴虐を視覚的にも明らかにしました。集会参加者の皆さんはときに驚き呆れ、怒り、連帯アピールの暖かい言葉に拍手し、会場は熱気に溢れていました。私たちはあきらめません。未だならぬメーデーを改めて勝ち取るためにも、たたかいを続けます。改めて、皆さん、ありがとうございました。

詳細報告はこちら(長いので携帯端末の方はご注意ください)
http://mayday2006.jugem.jp/?eid=281

-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=--=-=-=-
メーデー救援会
〒105-0004 東京都港区新橋2-8-16
石田ビル4階14号 救援連絡センター気付
FAX: 03-3352-6594
URL: http://mayday2006.jugem.jp/
E-mail: mayday06q@yahoo.co.jp

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転載 メーデー救援会メールニュースNo.09

□□□ メーデー救援会メールニュース No.09 □□□

  2006年5月11日(木)、渋谷署に勾留されていた仲間に対して勾留延長の請求がかけられず、午前9時すぎに釈放されました! 友人に連絡を取った本人曰く「ハンストに勝利しました」。カミソリの本数増加こそなかったものの、目の前でのカミソリの消毒を勝ち取ったそうです。しかも本人は体調を崩すこともなく元気な様子。

  弾圧はこれで終わりではなく、生活を破壊された弾圧被害者への連帯や、違法逮捕・違法勾留・警察の器物損壊に対する弾劾キャンペーンは引き続き必要です。私たちの闘いはまた新たなスタートをきったといえると思います。

  とにもかくにも、皆様のご支援・ご注目に深く感謝いたします! ありがとうございました。

-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=--=-=-=-
メーデー救援会
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転載 メーデー救援会メールニュースNo.06~08

□□□ メーデー救援会メールニュース No.06 □□□

   原宿署に勾留されていた弾圧被害者が、本日(9日)18時55分頃釈放されました! 
前日夜間に地裁に提出した勾留決定を不服とする準抗告が効を奏しました。本日準抗告を審理した東京地裁は夕方17時30分頃、弁護人に準抗告を受理し勾留決定を破棄し釈放する旨伝えてきました。この後、検察がこの決定に対する特別抗告の策動を取る可能性もあったのですが、結局は断念し、弾圧被害者・弁護人の側の準抗告がとおって釈放につながりました。

  もちろんこの勾留決定を覆す奪還は、ひとえに本人の頑張りと、急速に広がった多大な支援の成果だと思います。皆さん、ご支援・ご注目いただきありがとうございました。

   しかし渋谷署には依然として不当勾留されている仲間がいます。救援会は、今後なお一層の支援の取り組みに傾注していきますので、引き続きご支援・ご注目ください。

※このメールニュースは様々にご支援いただいている方たちに向けて発信させていただいております。転載・転送自由です。必要ない場合は、お手数ですが救援会メール連絡用アドレス mayday06q@yahoo.co.jp までお知らせください。

-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=--=-=-=-
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石田ビル4階14号 救援連絡センター気付
FAX: 03-3352-6594
URL: http://mayday2006.jugem.jp/
E-mail: mayday06q@yahoo.co.jp

□□□ メーデー救援会メールニュース No.07 □□□

  9日に原宿署に勾留されていた仲間が準抗告を経て釈放されたため、勾留満期にあたる11日にぶつけた勾留理由開示請求公判は、渋谷署に依然勾留されている仲間一人で
行うこととなりました。代用監獄の壁を突破する内と外の連帯が目に見えるかたちで結実する貴重な場です。そして逮捕・勾留の不当性を公に明らかにする闘いの場でもあります。ぜひ傍聴にご参加ください。

★勾留理由開示請求公判

日時:2006年5月11日(木) 15:00集合 15:30傍聴券配布 16:00公判開始
場所:東京地方裁判所 427号小法廷(東京都千代田区霞が関1-1-4、東京メトロ霞ヶ関駅出口A1でてすぐ)
※東京地裁正門前にお集りください。

□□□ メーデー救援会メールニュース No.08 □□□

   渋谷署に留置されている仲間(留置番号24号)は、逮捕手続き後から連日、房内処遇の酷さに怒りを爆発させ、留置係に処遇改善の要求をつきつけてきました。たとえば渋谷署の留置所には現在60人の人々が拘束されていますが、支給されている電気カミソリはたったの6個です。つまり10人で一つのカミソリを強制的に共有させられているのです。これが医学的に極めて危険な状態にあることは明白で、渋谷24号の仲間はこれに抗議し、日用品の充実などをことあるごとに要求してきましたが、留置係の警察官は「そんなに嫌ならヒゲをそらなきゃいい」「ここに来なきゃいいじゃん」などと暴言を吐くばかりの非人間的な態度を見せています。仲間は抗議のためヒゲをそらずにのばし放題にし、遂に9日からハンガーストライキに決起しました。

   このハンストは単に留置システムへの抗議だけではなく、房内の全被疑者(あるいは起訴後の被告もいるかもしれません)に向け、人間の人間としての連帯を呼びかける意味も持っているのではないでしょうか。私たち救援会は体調に関するアドヴァイスを続けなら、仲間のこの極めて人間的な闘いに断固支持の態度を明らかにするとともに、早期奪還にいっそう尽力します。

渋谷24号頑張れ!
渋谷署は人権侵害をやめろ!

抗議先:
渋谷警察署
TEL: 03-3498-0110
FAX: 03-3498-1750
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷3-8-15

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半月城さん ともにがんばりましょう

 半月城さんより、「ヘイトサイトに対抗してがんばりましょう」とのメールをいただきました。がんばりましょう。

 右派のヘイト攻撃の特徴は、まず、相手の弱点と思ったところを、集中的に攻撃する。でたらめな情報でも、繰り返すことで、真実らしく見せかける。飾り言葉や強調言葉や攻撃的な言葉でかざることで、反論しにくいような雰囲気をかもしだす。一部の誤りから全体を否定する。とにかく否定を繰り返すことで、圧倒しているような印象をつくりだす。単純な対立図式を描いて、二者択一を迫る、等々ということがあるようです。

 しかしそういうものは一時的な効果しかないと思います。だから、「つくる会」のように、教科書で、恒常的な意識へのすり込みを狙っているのでしょう。しかし、それもうまくいっていないのは周知の通りです。ただ、放っておいて、『嫌韓流』のようなトンデモ本に書いてあることがさも事実であるような思いこみが広まってもいけないので、『「マンガ嫌韓流」のここがデタラメ』(コモンズ社 5/10発売)が、広く読まれることを期待します。

 問題は、こうしたてきとうにひろってきたエピソードから、民族全体のマイナスの性格を導きだしてレッテル貼りして、その対極・プラス極に「日本民族」をおく価値評価の図式を人々の意識に刷り込もうとしていることです。こういう洗脳は不快ですし、世のため人のためにならないと思います。

 私は、半月城さんがHPで行っているように、資料を一つ一つ積み上げて、しっかりと客観的に分析を重ねていくことが、ヘイト攻撃をうち破るための王道であろうと思います。もちろん王道以外の道もありますが。

 古代史のところで、中国の史書にある「倭」の位置も中身も、時代によって、随分違うという指摘などは、個人的には、感心しているところです。水野祐氏の朝鮮半島南端から北九州の倭韓人の支石墓社会という倭韓共通語圏・倭韓文化圏が存在したとする説が紹介されているのも、興味深く拝見させていただきました。

 水野氏の『大和の王権』は、実に大胆な仮説に満ちた本です。その中での、『魏志倭人伝』には、身体に入れ墨をして海に潜って漁をする「水人」のことが書かれており、農耕にあまり適さない島々が並ぶ北九州沿岸から朝鮮半島南端にかけて、「海の民」の交流圏があったという氏の考えには、リアリティが感じられます。

 脱線しました。半月城さんの王道を歩む努力には頭が下がります。がんばってください。微力ではありますが、ともにがんばりたいと思います。

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『嫌韓流』に対する反論本の紹介など

 半月城さんのAMLへの「『嫌韓流』に対する反論本」という投稿文がある。

 その中で、かれは、「これまでインターネットで嫌韓をあおるサイトにはきちんとした体系的な反論がなく、いわば野放しになっている感があります。/その理由の一端は、ヘイトサイトに書かれた内容が事実誤認に満ちたアホらしいものが大半であるために、肩ひじ張ったプライドを持つ専門家がまともに相手にしなかったことにあります。/また、反論する場合でもそれなりのエネルギーと時間が必要なので、かなり面倒なものです。戦闘でいえば、ゲリラを正規軍が攻撃するのに相当な労力を必要とするようなものです」と書いている。

  なるほど、たしかに、相手にするのも面倒なことだし、ほっておいても、自然消滅していくようなものも少なくない。「つくる会」のように自滅していくものもある。とはいえ、「マンガ『嫌韓流』などが数十万部も出回ったのでは、とうてい放っておけない状況になりました」という半月城さんの懸念も理解できるものであり、『嫌韓流』に対する反論本『「マンガ嫌韓流」のここがデタラメ』が出版されるのはけっこうなことだ。

  『「マンガ嫌韓流」のここがデタラメ』(コモンズ社 5/10発売、\1575

  目次

  第1話 W杯サッカー史に新たなページを加えた日韓大会 姜誠
                          [検証]「日韓共催ワールドカップの裏側」 5

  第2話 「補償問題は解決したのか?」 太田修
                            [検証]「戦後補償問題」 31

  第3話 在日コリアンへの誤解と偏見の増幅を斬る! 朴 一
                            [検証]「在日韓国・朝鮮人の来歴」 53

  第4話 文化交流を阻む無理解と非友好的心性 鄭夏美
                             [検証]「日本文化を盗む韓国」 83

  第5話 差別拝外主義を煽り立てる『マンガ嫌韓流』とマスメディアの真の問題   鄭雅英
                             [検証]「反日マスコミの脅威」 103

  第6話 間違いだらけのハングル講釈と植民地美化 呉文淑
                            [検証]「ハングルと韓国人」 129

  第7話 外国籍住民への排除と同化の圧力 綛谷智雄
                             [検証]「外国人参政権の問題」 151

  第8話 「植民地支配は絶対悪」という真理 藤永壯
                            [検証]「日韓併合の真実」 173

  第9話 竹島=独島の知られざる歴史 半月城
                             [検証]「日本領土侵略ー竹島問題」 201

  特別編『冬のソナタ』がくれたもの 高吉美 223
              

  エピローグ 「嫌韓」「反日」から「好韓」「知日」へ 朴 一 241

 この間の右派保守派の日韓併合の評価とか竹島・独島問題についての主張などは、1965年の日韓基本条約締結交渉の中で、日本政府が主張してきたことを繰り返しているようなものが多い。日韓両国で、同条約への反対運動があったが、それを朴軍事独裁政権も日本政府も無視して、締結した。日本政府=官僚は、前例主義をとるから、戦前政府の公式見解をそのまま戦後も前例として踏襲していたというだけのことである。それを、そのまま現在も繰り返しているのは、ただ昔のことを思い出しているだけのことで、そういうことを知らない人たちには、新しく映るというだけだ。だから、歴史をしっかりと学べば、それらが全然新しくないということがわかる。

 半月城さんのサイトでは、歴史のことがいろいろと丁寧に調べられ、分析されており、参考になるものが多い。南京事件で、日本陸軍の幹部が、強姦事件の多発に悩まされた様子を記した資料も載っている。その対策として、慰安所を大増設する方針が作られたのである。藤岡信勝氏らは、こういう資料にはふれず、軍規に強姦は犯罪で禁止と書いてあるから、そんなことをするはずがないとか、いろいろな偏見や先入観や決疑論やを持ち込んで、資料を恣意的に解釈していることが多い。

 彼が何故そういうことをするようになったかを、氏の「転向」の過程から推測してみる。

 彼のブログには、湾岸戦争で、イラクのフセイン政権は、国連憲章が禁止するクウェートへの侵略を行ったのに対して、国連安保理決議が侵略の排除をうたい、それに基づいて、多国籍軍が編成され、クウェートからイラク軍をイラク領内に追い払った時、『文藝春秋』の1991年3月号に載った野田宣雄「湾岸から日本に放たれたミサイル」という短い文章を読んで、自らの倫理観を反省したということが書かれている。

 その野田の文章には、「湾岸戦争でアメリカをはじめとする多国籍軍の兵士たちが生命を犠牲にするようになって以来、日本人の多くが深刻な精神的負い目を心のうちに抱え込んでしまった。いうまでもなく、多国籍軍の兵士たちが日本人も共有する価値と利益のために命を捧げているのに、日本人だけは平和憲法を盾に安全圏に身をおいたままだからである。/つまり、そこでは、平和憲法を掲げて戦争で手を汚そうとしない者たちが、侵略阻止という大義のために現に戦場で生命を危険にさらしている者から、鋭く倫理性を問われているのである。/もちろん、今回の事態のもとでも、なんら心の負い目を感じてはいないと言い張る日本人もいるだろう。しかし、そんな人々は倫理感覚のまったく麻痺した鈍感な人々であるか、さもなければ、自分の本当の感情を偽っているにすぎないだろう」と書いてあった。しかし、この野田の文章は、いい加減なものである。

 湾岸戦争で、多国籍軍の兵士たちは、圧倒的に優位な軍事力と軍事技術と豊富な兵站をもって、クウェートで戦争を戦った。イラク軍に軍事的な勝ち目はほとんどなく、生命を多く犠牲にする覚悟を強く持たなければならなかったのは、イラク兵の方である。現に、闇夜でも敵兵の動きをよく見ることができる暗視ゴーグルをつけた多国籍軍兵士は、闇夜のゲリラ戦を仕掛けようとしたイラク兵を的確に攻撃し、撃退し続けた。それでも確かに、多国籍軍兵士の命の危険がゼロというわけではなく、いくらかの死傷者が出た。多国籍軍兵士たちは命をかけたには違いないが、先の世界戦争の時の総力戦のような命のかけ方とは、レベルも質も違う。それらを区別も具体的に検討・分析するでもなく、とにかく命がかかっているのだ、倫理の問題だと、人々を脅迫して、結局、それを、憲法改定問題に無理やりつなげる。こういういい加減なことをやっているのが野田の上の文章である。

 米軍の前線兵士の実態は、この間、明らかになったように、危険と引き替えの高給や市民権が欲しい移民の若者などからなっていた。同時に、湾岸戦争は、ハイテク兵器の見本市でもあった。クウェートは、腐敗した首長制が支配している英米に依存した族長国家であった。未だに出所も不明な油まみれの海鳥の写真が繰り返し流され、戦時のプロパガンダがまかりとおり、怪しげな情報が乱れ飛ぶ中で、憲法や倫理などについて、どうしてまともな議論ができようか。

 この時、藤岡氏は、おそらくけっして最前線の一兵卒ではなく、後方の司令部あたりで、事務や作戦立案や指令などをする本部などか、絶対にミサイルなどが届かないような洋上艦隊か戦闘機のパイロットかなにかにつくであろう息子を戦場に送れるだろうかという素っ頓狂な空想にふけって煩悶したというのである。

 コソボ問題の時も、アメリカ軍は、超高度からの爆撃を繰り返し、ミサイルなどによって攻撃される恐れの少ないように、攻撃していた。さらにアフガニスタンでも、同様に、洋上艦隊からの遠距離ミサイル攻撃や超高空からの爆撃を行い、危険な地上戦は、北部同盟にまかせている。イラクでも、米兵の死者が増えるのは、占領・駐留後である。

 野田などの脅迫文のようなものに、倫理的に悩まされていることを湾岸戦争症候群と名付けるなら、すでに今は、その時代ではなく、9・11症候群*の時代になっている。ラムズフェルド国防長官による戦争のハイテク化の推進によって、自軍の戦死者は最小化され、占領にともなう戦死・戦傷が増えて、問題になっている。イラク戦争は、安保理常任理事国で、参加する国と参加しない国に分かれた。つまり、参加しないという選択肢があるということで、米軍が多国籍軍を編成して戦争を仕掛けたとしても、必ず自分の息子を戦場に送らねばならないことにはならない。等々。

 情況が変わる中で、未だに湾岸戦争症候群を引きずったままでは、時代に合わなくなるのは当たり前だ。

*9・11症候群とは、テロ恐怖症、隣人や移民や外国人などの中にテロリストがひそんでいるかもしれないと疑心暗鬼に陥ったり、不安になったり、恐怖を感じたり、過敏になったりすることなどである。日本では、今国会で審議されている共謀罪や外国人に指紋押捺を義務づけようという入管法改定案などに現れている(5月10日付記)。

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護憲=自立国家

   右派の基本的な図式は、愛国主義VS反日である。しかしこの愛国主義には、絶対的と相対的の間に様々な色合いの違いがある。

 愛国主義の行きすぎを危険視する穏健な愛国主義もあれば、ほとんど宗教に近いものまである。1990年頃には冷戦の終焉ということもあって、イデオロギーの終焉などということも言われていたが、それどころか、今では、愛国主義イデオロギーが幅を利かせるようになっている。

 そのことを示しているのが、「五十嵐仁の転成仁語」で批判されている『毎日新聞』の岩見隆雄氏の「転向」である。それによると、岩見氏は、むかしは護憲であったが、情況や大衆の意識変化を見て、自立国家となるために改憲が必要だと考えを改めたという。かれは、愛国主義意識の広まりは、自立国家を要求しており、それには「押しつけ憲法」の改憲が必要だという愛国主義イデオロギーに「転向」したのである。

 問題は、この自立ということである。岩見氏は、「アメリカの51番目の州」と言われるような対米従属を断ち切るためには、「押しつけられた憲法」を改憲することが必要だというのである。しかし、アメリカの憲法にない9条2項を持っていることは、この規定がアメリカ合衆国憲法に明記されない限り、「アメリカの51番目の州」にはなりえないということを意味している。もちろん前文のところもだ。イラク侵略戦争を強引に仕掛けて世界から孤立し、占領への抵抗に苦しんでいるアメリカが、日本国憲法を受け入れて、改憲して、アメリカ合衆国の一員にむかえる可能性はない。

 しかし、逆に、「普通の国」の憲法になれば、アメリカ合衆国との統合あるいは一体化の障害は減るわけである。あるアメリカの元高官は、日本はNAFTA(北米自由協定)に参加すべきだと言っている。つまり、9条2項があるから、自立が守られているとも言えるのだ。時代状況の変化とは、「押しつけ」という性格が強かった占領から半世紀以上たった現在では、こういうことである。自立国家たりえるには、アメリカが統合しにくい憲法を持つことも重要だということだ。

 ところが、五十嵐氏も指摘するように、現在の小泉自民党の改憲は、日本の歴史や伝統を強調した中曽根元総理の前文案を、小泉首相が直接指示して削除してしまったように、アメリカとの一体化、親和性を示すことに重きが置かれており、自立に向かう改憲ではなく、「アメリカの51番目の州」により近づく改憲なのである。

 こんな日米一体化、アメリカへの統合を促進する改憲を、日本の自立国家化と錯視していることが、岩見氏の文章にも現れているのであり、こうした混乱を正さないといけないというのが五十嵐氏の批判であり、それはもっともな意見である。

 「押しつけられた」ことばかりを強調していると逆に余計に「押しつけられる」という逆説的な事態になる。それが、現在の改憲論議の特徴であり、それが時代状況の違い、意識の変化がもたらした新しい情勢なのである。それがわからないのが、古い頭で、新しい情勢に対応している大新聞の古いところだ。

 護憲の方が、自立国家たりうるというのが現在の特徴なのである。

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米移民労働者メーデーによせて

 5月1日のメーデーに、アメリカでは、百万人以上と見られる移民労働者のデモとストライキが行われた。これを指導したのは、SEIU(The Service Employees International Union  サービス労働者国際組合)という労働組合の指導者であった。SEIUは、約160万人の労働者と5万人のOBを組織し、アメリカ、カナダ、プエルトリコを合わせた北米の国際労働組合組織である。先に、全米最大の労組のナショナルセンターであるAFLーCIOを脱退している。

 昔から、旧移民が既得権を守り、新移民を排他的に扱うことは、労働組合運動にもあって、昔の主に熟練労働者を組織していた頃のAFLは、東欧・南欧などからの新移民を組合に入れなかった。それに対して、IWW(世界産業労働者連盟) は、新移民や女性を組織して急成長したということがある。

 アメリカでは、五大湖周辺の自動車産業などの大工業地帯から、南部に工場移転する企業が増え、南部に新工業地帯が生まれ、そこで、メキシコ国境から不法移民が流れ込み、人口が急増している。その他にも、農業・建設・土木・サービス産業などで、不法移民労働者が、今や、アメリカ経済にとって欠かせない下層労働者として、1200万人もが働いている。

 アメリカのかつての基幹産業の労働者は減り続け、それにともなって、AFL-CIOの労働組合員も減少し続け、それに危機感をもったSEIUなどいくつかの大労組が組織を離脱し、ラテン系を中心とする新移民労働者の組織化に積極的に乗り出したのである。それが、今年に入ってからの、300万規模の移民労働者の大街頭デモにつながった。さらに、5月1日のメーデーにおいて、より労働者としての権利を前面に出した職場放棄とデモという形へと発展したのである。その狙いは、SEIU幹部によれば、いかに不法移民労働者がアメリカ経済にとって必要不可欠な存在であるかを示すことだった。

 移民労働者なしには成り立たない経営者たちの中には、この行動に協力して、営業を休止する者も出た。経済的損失もかなり大きかったようで、不法移民労働者たちの存在の大きさを示すことになったようだ。

 日本のメーデーでは、二極化が進み、大企業が過去最高益をあげている中での渋い賃上げに止まったことなどもあってか、「連合」もいつものようなお祭り気分ではいられなかった。今年のメーデーは、今や雇用者の3分の一に達した非正規雇用労働者を組織化するフリーター労組らの小規模なメーデーにさえ、公安警察が予防弾圧的な攻撃を仕掛けてきたように、労使の間の緊張が強まりつつある中でのメーデーだった。

 少子高齢化時代を迎える中で、坂中英徳元東京入管局長など移民労働者の積極的導入を唱える人もいる。移民問題は、今後、日本でも大きくなってくる可能性もある。参考までに、SEIUが掲載している「移民制度改革」という文章を訳してみた。細かいところで、間違いもあるかもしれないが、大意は理解できると思う。あらかじめご容赦を。

 移民制度改革

 全ての労働者のために賃金と利益を向上させる移民制度改革を支持してください。

 4月10日に行われた移民たちの集会について学んでください

 全ての労働者のために賃金と利益を向上させる改革を支援するように、上院議員をせきたててください。

 SEIUのエリシオ・メディナが、エア・アメリカで、壊れた移民制度を改革するためのSEIUの解決策について話すのを聞いてください。

 「包括的」改革のSEIUの定義

 移民は、我が国の基礎を築き、建設して、我々の国で最も厳しい仕事のいくつかを行い続けている。かれらは、管理人、ホテル・メイド、保育者、家事労働者、食器洗い人、建設労働者等々、我々の経済とコミュニティに貢献し、納税する勤勉な労働者である。

 一生懸命にアメリカで働く誰にでも、我々のコミュニティへの完全な参加と同様に家族、入手可能な健康管理と安全な老後を支える給料額をともなう良い仕事の機会がなければなならない。

 しかし、我々の移民法は時代遅れで強制できないものである。そして、この国で働くために、ほとんど整然と合法的なチャンネルを提供していない。

 現在の制度は、アメリカの納税移民である勤勉なほぼ1200万人の市民権を得る道を拒否している。そして、雇い主がこれらの労働者を搾取することをより容易にしている。  これは、アメリカの全ての労働者のための賃金と利益を引き下げるものだ。

 たった今、ワシントンの議員は、そうなるだろう法案を討議している。

 勤勉な納税している移民のための市民権を獲得する道をつくってください

 効果的で安全な境界をつくってください

 我々のニーズで調整される移民制限を定めてください

 不法就労者を搾取する雇い主を罰してください

 家族を再会させてください

 SEIUは、アメリカが移民の国・法治国家として、その遺産に従って生活するとき、我々市民全員が利益を得ると思っている。

 あなたたちは、上院議員に、過去の失敗した方針を拒絶するよう訴えることによって援助することができるし、全ての労働者を保護して勤勉な労働に敬意を払う我々の移民制度を改革する現実的な計画を支えることができるし、我々の経済とコミュニティに作ってきた移民に貢献することができる。

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プレカリアート・「自由と生存のメーデー06」デモ不当弾圧弾劾

 転載です。

津村洋@メーデー救援会です。

・・・・・転送・転載大歓迎・・・・・

メーデー救援会
http://mayday2006.jugem.jp/

あこぎで好きほうだいの暴政をはねかえし、3名の仲間を取り戻そう! 支援・カンパを!

◆あらかじめ逮捕狙いの拉致

 2006年4月30日午後、神宮前穏田区民会館にて百余名が参集し、昨年に引き続いて「自由と生存のためのメーデー06」を開催しました。しかし、集会後にデモを準備する段階から、警察側から異様な恫喝、脅迫が迫ってきました。まるで税金ぼったくりの公安警察・機動隊の既得権益を守るためなら、フリーター、失業者や不安定雇用者などの権利など、くそみその虫けら同然という対応です。

◆警察はドロボーのはじまり

 原宿から渋谷に向かう私たちデモ隊にたいして、公安警察・機動隊は、サウンドデモのDJ、防衛するもの、バルーンでメーデーを訴える仲間を無慈悲にも次々と逮捕しました。あまつさえ、先頭のサウンドカーを暴力的にむりやり強奪したのです。まさに公権力による表現機材の強奪、ようするにドロボー行為です。絶対に許せません。

◆差し入れも拒否する拉致・監禁

 デモ後の30日夜は、約30名による不当弾圧抗議・激励行動を、原宿警察署、渋谷警察署にたいして行いました。が、これまでと違い、逮捕された仲間の生存にかかわる生活必需品の差し入れすらさせないのです。警察による法律の恣意的な強制・独裁がまかりとおり、拉致・強制連行・監禁のどぎつさは、欧米諸国に比べてもずっと酷い実態です。

◆弾圧を許さない相互扶助・連帯を!

 今から120年前、メーデーの起源となったアメリカのストライキでは、「仕事に8時間を、休息に8時間を、おれたちがやりたいことに8時間を!」と唄いました。その直後、無産者の仲間にたいして、銃撃、爆弾、絞首刑、大量逮捕がなされたのです。いったい、この日本は歴史を経てどんな違いがあろうというのか?
 暗黒の事態をはね返すために、なせるあらゆる努力を傾注しよう。
 幽閉されし3名の仲間への心からの救援・支援・カンパをよろしくお願いいたします。

2006年5月1日 メーデー救援会

-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-
カンパ振込先(暫定):
郵便振替 10080-91518311
口座名 フリーター全般労働組合
※通信欄に『救援カンパ』とご明記ください

-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-

  5月4日付。訂正です。

 「カンパ振込み先を間違って伝えてしまいました。ご迷惑をかけ申し訳ございませんでした。以下のように訂正いたします。」

郵便局「ぱるる」 記号 10080 番号 91518311
口座名 フリーター全般労働組合
※通信欄に「救援カンパ」とご記入ください

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「新しい歴史教科書をつくる会」炎上中

  「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)が、「炎上」している。

 4月30日の同会の理事会において、種子島会長、八木副会長が理事をも辞任、八木氏は、脱会を表明した。さらに、西尾氏が、「全共闘」的として批判していた新田・内田・勝岡・松浦の「生長の家学連」「日本青年協議会」系の4理事が辞任した(「西尾幹二のインターネット日録」)。

 「藤岡信勝ネット発信局」によると、4月30日の理事会では、まず、種子島会長と八木副会長が辞任を表明したのに対して、「両者の辞任の理由について、私と福地理事から、異議を提出し、資料にもとづいて八木氏が「藤岡党籍問題」の虚偽情報を産経新聞の渡辺記者に吹き込んで偏向記事を書かせ、理事会の多数派工作にも利用していたこと、八木氏の手元にわたった文書が西尾氏への脅迫文書として利用されたことなどの事実を証明した」。その後、討議の末、両者の辞任を承認した。それから、上記6名の理事が退出し、残った理事らが協議して、福地・藤岡両副会長を選出した。

 続いて、「教育現場や教育行政の経験者、教科書の専門家、支部の活動家など、採択活動に直結するような社会的立場にある理事候補の人選」によって、小川義男(私立狭山ヶ丘高校校長)、小林正(元神奈川県教組委員長・元参議院議員)、石井昌浩(元国立市教育長・拓殖大学客員教授)、上杉千年(つくる会評議員・教科書問題研究者)、濱野晃吉(つくる会大阪支部長・経営コンサルタント会社社長)の5名を理事に選んだ。

 その後、「理事会開催中の30日午後4時ごろから、「FAX通信第172号(4月30日付け)」なるものが本部事務局より発信された。その内容は、理事会における議論の経過の説明もなく、種子島会長、八木副会長の辞意釈明文のみを一方的に記したものであった。真相は、八木氏が事務局員に、理事会が開催されている間に命じて発信させたものであることが判明した」という八木前副会長の不正行為が発覚した。先の宮崎前事務局長解任の際にも、同じことが起きている。

 「新しい歴史教科書をつくる会」東京支部の掲示板には、この「FAX通信172号」が掲載されている。それによると、八木前会長の弁明は、「会長を解任された後、3月末に副会長に就任し、7月の総会で会長に復帰する予定でありましたが、その路線を快く思わない一部の理事が会の外部と連動し、私の与り知らない問題で根拠も無く憶測を重ねて嫌疑を掛け、執拗に私の責任を追及し始めました。私としては弁明もし、何とか「理事会」の正常化が出来ないものか、と思って耐え忍んで参りましたが、この半年間を通じて彼等との間ではいつも後ろ向きの議論を余儀無くされ、その結果、遂に志も萎え、肉体的にも精神的にも限界に達するに至りました。また、これ以上、家族にも精神的負担を掛けられない、と判断致しました」というものである。

   八木氏は、『産経新聞』渡辺記者と連絡して、理事会で決定されてもいない8月八木会長復帰説を既定事実でもあるかのような記事を書かせたことや西尾氏が暴露した「藤岡信勝共産党籍離脱時期についての怪文書」をばらまいたことやその他いろいろと問題のある行動をとったことは明らかで、なんら自分に非はない、外部と連動した動きの犠牲者だという弁明は通らないだろう。自分こそが外部と連動して動いて、西尾・藤岡両氏を追い落とそうとしたのだから。

 種子島前会長の弁明は、会長就任時の理事会での(1)全理事が揃って支持してくれる事。(2)副会長選任などの人事については私に一任される事、を破って、統制違反が繰り返され、これ以上会長職がつとまらない。それに持病もあり、とうていその任にたえないというようなことである。さすがに国際的企業の長を務めたてきた彼も、「『つくる会』の理事諸侯の一部に関してはマネージ不能であった事を遺憾とします。彼等は、ルールを守る、ボスの方針に従う、等の国際基準を全く無視しますのでマネージ出来ないし、彼等との仕事は賽の河原で石を積む子供達の様な空しさの繰り返しにしかならないのです」とさじを投げた格好だ。つぎに誰が、会長になっても、マネージは困難だろう。

 これで、「つくる会」理事会から、宮崎前事務局長を含む「生長の家学連」「日本青年協議会」「日本会議」系統の理事がいっぺんに消えた。しかし、新理事5名は、教科書採択現場の意見を採り入れた実践的な人物たちと見られ、この人事には、採択戦により力を入れた布陣をしく意図があるようだ。しかし、「つくる会」の体質そのものが、マネージの難しいものであることが、繰り返し現れているので、これからもゴタゴタを繰り返すだろう。「扶桑社」『産経新聞』などフジ・サンケイ・グループや日本会議などとの関係も、波乱含みで、ぎくしゃくする可能性が強い。

 かれらは、自分たちの神話を広めるために、「自虐史観」なる神話もどきをはじめ、次々と神話もどきをでっち上げている。それは歴史認識を育くむよりも、混乱を拡大している。歴史認識の混乱や神話もどき化は、自分たちの組織にも反映しているようだ。

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4月30日NHK特集『煙と金と沈む島』

  4月30日のNHK特集『煙と金と沈む島』という番組は面白かった。

 これは、地球温暖化問題を扱ったものだ。タイトルの中の「煙」は、中国の重慶市の石炭鉱山が、経済成長のために増え続ける石炭火力発電の需要のために、増産を急いでいることを象徴するものである。重慶市は人口が三千万以上という超巨大都市となり、工業発展のペースは速く、石炭は、その主要なエネルギー源となっている。

 「金」は、京都議定書で認められた排出権取引を扱う事業に集まり動く巨額のマネーのことである。排出権取引とは、京都議定書で二酸化炭素の排出量が各国に割り当てられ、さらにそれが各国政府から企業に割り当てられているが、目標値以上に排出量を減らした企業の余剰分を、目標を下回った企業がその分を買うことで、目標を達成したことにするという取引のことである。売り手と買い手の間に立って、利ざやを稼ぐ企業が急成長しているのである。

 「沈む島」とは、地球温暖化の影響と見られる水面上昇のために水没の危機が迫っている珊瑚礁の上の海抜2メートルほどの南太平洋の島国ツバルのことである。ツバルでは、大潮の時期に島中に海水が噴き出す現象が起きるようになり、それが年々ひどくなっているが、このまま地球環境温暖化が進めば、近々沈んで消えてしまうと言われている。

 中国重慶市の石炭生産を拡大して、豊かになりたいと精を出す炭鉱労働者と石炭運搬列車の運転士の兄弟、アメリカの排出権ビジネスが拡大すると読んで、いち早く会社を立ち上げ、排出権の売り買いに励んで成功した社長とトレーダー、地面から噴き出す海水が増えるのに、わけもわからないまま、対応に追われるツバルの老人一家、の姿を同時的に描きつつ、それらの人々がお互いを知らないまま、同じ地球温暖化問題に直面しながら、それぞれ違う結果にあい、異なる態度をとっている姿が描かれている。

 重慶市の炭坑には、日本の大手商社が、炭坑から出るガスを使ったガス発電所をつくり、ガスを減らすことで、排出権を生産して、それを日本の企業に売るという事業を成立させる。炭鉱会社は、その儲けで、さらに石炭増産をするという。石炭運搬汽車の運転士は、それによって、給料が上がって、家族旅行のために自動車が買えることを期待する。彼らは、先進国が地球温暖化ガスを先に大量排出して豊かになったのに、われわれが豊かになるためにガスを出すのを批判する資格はないし、止める権利もないという意味のことを言う。

 アメリカでは、排出権取引会社の社長が、資本主義経済がツバルの水没を防ぐのだと自信を見せる。二酸化炭素を減らせば、その分が排出権として売れるから、排出量を減らした方が利益になるので、減っていくということだろう。二酸化炭素を減らすための技術投資に対して、排出権の販売が穴埋めするということだ。しかし、それは、政府による強制力が担保しているのであり、政治的圧力によって、せかされているのである。そうしない自由はないからだ。地球温暖化ガスの排出量を減らして割り当て分を達成するか、排出権を買うか、どちらかしかない。自由市場などではないのである。この会社は、ヨーロッパを襲った寒波で、電力使用量が伸び、電力価格が高くなれば、ドイツの石炭発電所が発電力を増やし、石炭を多く使用するので、それだけ二酸化炭素の排出量が増えると見て、排出権を売って大儲けした。かれらは、ビジネスチャンスを逃さないように、気候や電力価格等々の動き世界の情報を注意深くモニターし、分析しているのである。

 ツバルでは、海水の噴出が年々激しくなって、作物が塩害にやられ、自給自足の伝統的な生活が危機にさらされ、ついに、老人も、自分は残るが、子供たちはよそに引っ越した方がいいと言う。

 世界最大の二酸化炭素排出国のアメリカと二位の中国は、京都議定書を拒否している。そのアメリカで、排出権ビジネスが発展している。中国は、世界最大の排出権ビジネスの成長を目指すという。

 なんだか腑に落ちない話だが、現実はそうなっているようだ。そういう世界のリアルさを感じさせる番組ではあった。 

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