« ウクライナの農業改革の記事によせて | トップページ | 格差容認は議会制自滅の兆候 »

弱者=強者?

 ときどき、弱者はじつは強者だというようなパラドキシカルな文にお目にかかることがある。

 どっからそんな発想が出てくるのか不思議であったが、どうやら、ニーチェあたりがもとになっていそうだと見当をつけてみた。

 ニーチェは、道徳の起源を、弱者のルサンチマンに見ているからである。

 しかし、ニーチェをよく読むと、彼の哲学は、すべて夢の哲学であり、夢の話であることがわかる。

 だから、それを現実として語ること自体が無理なのである。

 そうしているのは、後の人が、そのように利用したというだけで、それはニーチェには責任のない話である。

 弱者は弱者であり、強者は強者であり、どうやっても、頭の中・夢の中以外で、これらを同一視することは無理である。

 そうしした区別さえ失わなければ、こういう夢の話にいちいちひっかかることはない。

 ニーチェの悪用を許してはならない。

|

« ウクライナの農業改革の記事によせて | トップページ | 格差容認は議会制自滅の兆候 »

雑文」カテゴリの記事

コメント

弱者は1人であるならば確かに弱者であるとおもいます。
しかし、弱者の連合という形で『強者』になれると思います。

その弱者の連合は、どこかの市役所ぐらいなら言いなりにできるほどの力であるというのが、飛鳥会事件や先日の奈良市役所の問題で明らかになったと思います。

投稿: temple | 2006年11月 4日 (土) 01時43分

いわゆる「弱者強者」について調べていて、こちらにたどり着きました。
templeさんの言われる通り、弱者の集団はもはや強者です。
それに一人でも強者になってしまうことも多々あります。
かつて私が勤めていた職場にお子さんがおられる方が入ってこられて、当初は「皆さんと同じに扱ってください」ということでシフトもそのように組まれていたのですが、1か月もすると、お子さんのことを理由にして急に休まれたり(こっちは休日出勤…)、急に早退されたり(こっちは思わぬ残業…)、「もしわかるのであれば予め言ってください」と店長が注意したら、堂々と「×日と○日は休ませてください」と言ってこられるようになり、それもシフトを組んでだいぶたった後で言ってこられたり…で、職場は大混乱になりました。でも子どもを理由にされると誰も何も言えなかった。こっちだっていろいろ都合もあるのに、何でこの人一人に振り回されるんだろうと…。
弱者は実は強者だというのは、こういうことも含まれているんだと思います。
ブログ主さまには、上っ面の言葉だけで判断するのでなく、もっと深い考察を期待します。

投稿: しずか | 2006年11月18日 (土) 15時09分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 弱者=強者?:

« ウクライナの農業改革の記事によせて | トップページ | 格差容認は議会制自滅の兆候 »