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日本の仏教についてのノート(11)

  道元の思想
 道元は、比叡山での修学の中で、「本来本仏性、天然自性身」という天台本覚思想に対する疑問を抱いたという。今枝愛真氏は『道元』(NHKブックス)の中で、「もともと一切の人間は、誰でも仏性、つまり仏の本性をそなえ持っている。このような意味で、本覚思想ともいわれ、天台宗の最も根本的な考え方なのである。この考え方に対し、道元の心にいろいろな疑問が湧いてきた。たとえば、もしそのように、人そのものにすでに仏性がそなわっているならば、なぜわれわれは苦しい修行を実践しなければならないのであろうか。また、すでに諸仏や祖師が菩提心(悟りを求めて仏道を行じようと心)を起こして修行を続ける必要があると説いたのは、どういう訳か。それにはそれだけの理由がなければならないが、果たしてそれは何なのか。道元は、こうした学問と修業に関する根本的な疑問を懐くにいたったのである」。この頃のことについて、道元は、『弁道話』に、「予、発心求法よりこのかた、わが朝の遍方に知識をとぶらひき」と書いている。

 このような「発心求法」の結果、道元は、「仏祖の大道、かならず無上の行持あり。道環して断絶せず、発心・修行・菩提・涅槃、しばらくの間隙あらず、行持道環なり。このゆえに、みづからの強為にあらず、他の強為にあらず、不會染汚の行持なり」(『行持』)という結論に達する。すなわち、悟りの状態を純粋に保ち続けるために、座禅という行を続けなければならないのである。つまり「修証一如」である。この時、悟るのは一人であるが、それは自力での悟りというのではない。「自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり」(『現成公案』)。また、それは「仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」(同)なのである。つまり、「依他起性」を貫いているのである。

 道元の思想には、唯物論的なものがある。例えば、「嘗観すべし、身心一如のむねは、仏法のつねの談ずるところなり。しかあるに、なんぞ、この身の生滅せんとき、心ひとり身をはなれて、生滅せざらむ」(同)。これは、「身心一如」論からきているもので、「この一法に身と心とを分別し、生死と涅槃とをわくことあらむや」(同)というものである。心と身は分けられない「一如」なので、身が滅すれば、心も滅するというのである。

 道元は、正像末の三時の区別を方便として否定する。「教家に名相をこととせるに、なほ大乗実教には、正像末法をわくことなし」(同)。「仏教に正像末を立ること暫く一途の方便なり」(『正法眼蔵随聞記』)。

 また彼は、「仏法を会すること、男女貴賤をえらぶべからず」(同)と述べて、仏法の立場からの平等論を説いている。

 道元は、戒律を重んずると共に、僧院の生活全般を修行として、典座(炊事係)をも重視し、『示庫院文』『庫院規式』で、食生活の規律や礼節を明らかにし、『赴粥飯法』で、食事作法を規定した。それは、「「食は諸法の法なり」という考えから、一切の食事作法が仏道修行と密接不可分の関係にある、いや修行そのものである」(今枝氏前掲書)からである。この点でも、道元は唯物論的であり、「身心一如」論から、身についての具体的な知識を持って、まず食べることを基本に据えているのである*。

 *「無前提的であるドイツ人のもとでは、われわれはあらゆる人間的存在の、したがってまたあらゆる歴史の第一の前提を確認することからはじめなければならない。すなわち人間は、『歴史をつくり』(Geschichte machen)うるためには、生きてゆくことができなければならぬという前提である。ところで生きるのに必要なのはなによりもまず食うことと飲むこと、住むこと、着ること、そのほかなおいくつかのことである。したがって第一の歴史的行為はこれらの欲望をみたすための物質的生活そのものの生産である。しかもこれは、ただ人間の生命をつなぐためにも、今日なお数千年まえとおなじく日々刻々やりとげられなければならない歴史的行為であり、あらゆる歴史の根本条件なのである」(『ドイツ・イデオロギー』)。

 道元の思想では、身体的物質的なものを具体的に規定するものとしての「行」が基礎になっていて、それは例えば、永平寺の規律を定めた『衆寮箴規』にも見られる。今枝氏の前掲書によれば、それは、「衆寮内で大声を出して読経したり、詩を吟じたりしないこと、客を招いて談笑したり、商人・医者・占師などと無用な問答をしないこと、他人の机のところへ行って覗いたりしないこと、世間の名利や国内の政情などを話し合ったり、修行者仲間の噂話などしないこと、書画や仏像などを掛けないこと、横になって物に寄りかかって脚を投げ出したりしないこと、金銭などを貯えてはならないこと、俗書や詩歌の本を置かないこと、武具などを持ち込む者は寮から追い出すこと、楽器や酒類を置かないことなど、修行の妨げになるもの一切を禁じたのである」というものであった。

 ここに書いてあることは、僧兵をたくわえ、荘園領主化し、金貸しを行い、京都の朝廷に強訴を繰り返して、政治に介入していた当時の比叡山などの大寺院の姿とは正反対の内容である。もちろん、大声で、称名念仏する浄土宗や題目を唱える法華宗などとも正反対である。また、あくまでも具体的である。

 道元にとって、我執こそが悟りの妨げであり、身心脱落の状態を保つことが、「生死即涅槃」であった。彼は、天台本覚思想に、我を仏性とするかのような誤りがあると見て、釈尊と同じく、我を離れるための座禅の行を実践すべしと説いたのである。道元の思想は、男女上下の別なく平等に悟れるという平等主義や具体的な生活規範を持った教えであったことなどから、武士層や農民層に受け入れられていったのであろう。

 なお、道元思想について、『正法眼蔵随聞記』から、道元が公案禅を否定したというような解釈が生まれたということがあったという。しかし、『正法眼蔵』には、そうしたことは見えず、今枝氏も両者の間には矛盾があることを指摘している。

 永平寺・総持寺の両本山は、江戸時代には、末寺1万数千寺を数えるにいたった。ただ、教えに乱れが目立つようになったため、江戸期には、月舟宗胡(1618―96)、卍山道白(1636―1714)による道元への回帰・復古運動が起き、江戸の吉祥寺の栴檀林や芝の青松寺の獅子窟などの学寮での研究活動が盛んになった(今枝氏前掲書)。さらに托鉢僧の良寛(1757―1831)などを輩出した。

 今枝氏は参考文献に、ユニークな現代の道元思想の研究として、寺田透『道元の言語宇宙』(岩波書店)と森本和夫『道元とサルトル』(現代新書)をあげている。道元の思想はなお現代において、読み直される価値があるものといえよう。

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