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日本の仏教についてのノート(12)

  小括
 ここまで、鎌倉新仏教の三人の祖を見てきた。いずれも、それまでの古代仏教の鎮護国家的・荘園領主的性格に対して強い批判意識を持ち、旧仏教勢力によって、排撃・弾圧された。共通して、個人の救い・成仏を基本とし、信徒も個人単位であり、その細々した物の布施によって宗教活動を行い、その範囲で生活した。荘園領主としての俗世的権力行使に関わらないことで、信を基本にした行に集中しようとした。その際に、古い昔の仏教への復古・復帰を行っている。親鸞の場合も、大陸の過去の念仏僧への崇敬の念が強い。

 平安末期から鎌倉初期は、中世への入り口に当たり、公領荘園制の中で、自由農が成立すると同時に村落共同体的な惣村制が生まれ、さらには農村の階層分化の中で、富裕な農民が主の年寄りによる合議制が生まれ、土地売り買いに対する規制を設けたりするようになる。武士・御家人にも、惣領制の分割相続制から一子相続制への移行が始まる。しかし、まだ中世前期では、商品経済の発展・貨幣の流通拡大、土地の売り買い自由、海路の発展、日宗貿易の活況、など、まだ封建制の要素は小さかった。相続に関しても、女性の相続権が認められ、行われていた。

 こうした時代の中で、三者は共通に、女人成仏などの平等主義、特別な修行や資格を必要としない易行を採用する。市の発展に沿って、布教活動を行った一遍などの遊行僧の活動もあった。道元は、日宋貿易船に同乗したと思われる。停泊中の船に、天童寺の典座が、日本産しいたけを求めにきたというのは、日宋貿易の活発なことをうかがわせるエピソードである。さらに、日本の中世の遺跡などからは、宋銭がいっぱい見つかるという。この時代、宋銭は広くまた多く、日本で流通していた証拠である。

 農村においては、在地領主層が形成され、古代奴隷を伴う古代的族長制家族が解体し、それにかわって、本家―分家という家を単位としながらも、そこに個人というものが成立し始め、個人間の契約的な関係であるご恩と奉公のような血縁原理に代わる結合関係が生まれてくる。鎌倉新仏教はそれぞれ、仏と自分「一人」との関係で、信行を立てており、共通して、ご恩に対する報謝の関係を強調している。親鸞は、はっきりと仏恩に対する報謝と述べ、日蓮・道元は功徳ということを言うが、それは基本的には、一人一人に対してあるものだという観念を表明している。

 この時期は、成立したばかりの鎌倉幕府も不安定な状態であって、頼朝死後三代で源頼朝直系の将軍が消えるや承久の乱が起き、朝廷勢力の巻き返しの動きが露呈した。これは北条政子が御家人をまとめて対処して撃退できたが、その後の北条執権体制下でも、三浦一族の乱が起きるなど、内紛も繰り返されるなどその体制も不安定なものであった。地震や疫病・飢饉が繰り返されたことも、政情不安を増幅した。そして、分割相続によって、貧窮化した御家人たちは、文永・弘安の役の元との戦いによって、さらに困窮した。幕府は、徳政令を出して、困窮していた御家人たちを救おうとした。

 日蓮・親鸞・道元は、いずれも領主にはならず、信徒による寄付・布施によって、つつましく、貧しい生活をおくった。道元の場合は、それも、行の一部であって、「学道の人は最も貧なるべし」(『正法眼蔵随聞記』)なのである。日蓮・道元には、地頭の信徒がいて、寺を与えられたりしているが、親鸞は、自らの寺を持たず、最後まで在家のままであった。しかし、教祖の死後、教団の発展にともって、様々な俗的な問題が発生してくるのであるが、それはかれらの知るところではもちろんない。

 親鸞・道元が、仏道に集中して、俗世のことについて、無関心であったのに対して、日蓮は、王仏冥合の立場から、政治や歴史についてあれこれと論じている。もちろん、それは仏法の立場からする現証としての見方で言っていることである。それは現世利益についての教えではなく、日蓮自身も貧なるままに生涯を閉じたのである。道元については、鎌倉に行った際に、執権北条時頼が寺を与えるというのを断り、越前永平寺に帰ってから、さらに、領地を与えるという書状が時頼から送られてきた時も、それを断ったといわれている。本願寺が建ったのはようやく3世の親鸞の孫の代であった。

 なお、道元の唯物論は、宋で最初に出会った阿育山の老典座との対話で、その老僧が答えたという「全世界すべての現象が、そのまま真理そのものであって、みな学問・修行の対象でないものはない」(今枝愛眞氏『道元』(NHKブックス)という言葉を学んでいることにも現れている。今枝氏は、それを「人類万物に共通の真理を見究めるのが禅の悟りであると教えられたのである」と取っている。道元は、この老典座から教えられたことに感謝している。懐疑論者は、現象を自我の作った映像としかとらえないのであるが、それに対して、唯物論は、この老典座の言うとおり、自我の外に実在する現象の客観的真理を見究める態度を取るのである。 

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