« 日本の仏教についてのノート(20) | トップページ | 「つくる会」分裂によせて »

日本の仏教についてのノート(21)

 近代の日本仏教(4)
 満州事変は、ちょうど、金解禁もあって、1929年に始まる世界恐慌が、日本に急速に波及し、とりわけ農業の受けたダメージが深刻化する過程で起きた。マスコミが煽ったこともあって、軍部に対する支持や期待が拡大し、政党への批判が人々の間に広まった。経済恐慌が深刻さを増すのに対して、浜口雄幸内閣は、緊縮財政・外債整理・金解禁準備をはかり、陸海軍予算を大幅削減しようとことが、軍部の反発を買い、1931年3月に軍部の倒閣クーデター計画が発覚した(3月事件)。さらに、同じようなクーデター未遂事件が10月にも発覚した(10月事件)。

 1932年2月9日、民政党の前蔵相井上順之助が、3月5日には、三井の理事長の団琢磨が、暗殺された。その捜査の過程で、財界暗殺を計画していた「血盟団」が摘発され、井上日生(日蓮主義者)ら14名が逮捕された。5月15日には、軍人らが、首相官邸などを襲って、犬養首相を暗殺する5・15事件が起きた。この後、元老の西園寺公望が海軍大将の斉藤実を首班にした官僚・軍部からなる「挙国一致内閣」が成立し、政党内閣制が崩壊する。1935年(昭和10)、美濃部達吉の「天皇機関説」排撃運動が起き、内務省は、出版法の「安寧秩序の妨害」を理由に、彼の著作の発禁と訂正を実施した。文部大臣は、「国体明徴」の訓令を発し、学校長にそれを徹底するよう指示した。1936年(昭和11)2月26日、皇道派将校に率いられた約1400人の兵士が、首相官邸などを襲い、斉藤内大臣・渡辺錠太郎教育総監・高橋是清蔵相を暗殺、一時、永田町などを占拠する2・26事件が起きた。

 1937年(昭和12)7月7日の盧溝橋事件をきっかけに、日中戦争が勃発する。 1938年4月には国民総動員法が公布された。1940年、大政翼賛会が結成された。1941年12月8日、日米戦争が勃発する。そして、1945年8月15日の敗戦を迎えるのである。

 仏教界は、国家が仏教団体を統制しようとする宗教団体法案に抵抗してきたが、政府文部省は、何度も廃案になりながらも、ついに、国民総動員法が成立した翌年の1939年(昭和14)4月、宗教団体法を成立させた。宗教団体法は、それまでの教派神道の教派と仏教宗派に、新たにキリスト教を対象とする教団という規定を設けた。教団は、カトリックの日本天主公教とプロテスタントの日本基督教団(約30の団体の集まり)の二つだけであった。また、宗教団体の内部規則には文部大臣の認可が必要とされた。文部省は、宗派・教派の統合を指導し、仏教宗派は、それまでの56から28になった。教派は、13のままであった。文部省の宗教務課は、1942年(昭和17)11月、教化局宗務課になった。その狙いは、教化という言葉に明らかであろう。行政上は、新興宗教は、類似宗教と呼ばれ、宗教とは見なされていなかった。

 この過程で、1930年(昭和5)11月18日、牧口常三郎会長,戸田城聖理事長体制の「創価教育学会」が創立された。牧口会長が、日蓮正宗の信徒であったことから、宗教色が強いものとなった。その教義は、「美・利・善」を中心価値とし、その中で善を最高とするものだった。牧口は、柳田国男・新渡戸稲造などに支持された。牧口は、宗教の国家統制が強まる中で、日蓮正宗側から神札を祀るように指示されたのを拒否したといわれている。日蓮は、謗法ゆえに諸天善神は日本を離れていると書いているが、こうして、神道を一切拒否した「創価教育学会」会長の牧口は、1943年7月6日、治安維持法と不敬罪の容疑で逮捕され、さらに戸田以下20数名が逮捕・投獄され、1924年に、牧口は獄死した。

 大本教は「皇道大本」と名乗り、出口王仁三郎が教祖となって、神社神道を偽物とし、「皇道大本」こそ真の神道であると主張し、信者の浅野和三郎などが「大正維新」「大正十年立て替え説」を唱えるようになる。これらの動きを危険視した政府は、1921年(大正10)2月12日、不敬罪と新聞法違反の罪で、出口王仁三郎を逮捕した。第一次大本事件である。事件の審理は難航した上に、大正天皇の崩御によって1927年(昭和2)5月17日、免訴となった。この間に、出口は、『霊界物語』を口述筆記させている。この事件後、浅野和三郎・谷口雅春らの有力幹部が「皇道大本」を去って、それぞれ「心霊科学協会」、「生長の家」をつくった。釈放された出口は、内田良平・頭山満ら右翼と「昭和維新」を目指すようになる。

 1935年(昭和10)12月8日、警官隊500人が綾部と亀岡の教団施設を急襲し、それを破壊した。出口教祖は、不敬罪と治安維持法違反容疑で逮捕された。「大本」のホームページには、この大本第二次弾圧で、「信徒3000余人を検挙。激しい拷問で16人が死亡している」と書いている。さらに、同ホームページには、1945年(昭和20)12月30日の「大阪朝日新聞」の鳥取県吉岡温泉での王仁三郎による談話が載っている。

 「自分は支那事変前から第二次世界大戦の終わるまで囚われの身となり、綾部の本部をはじめ全国4000にのぼった教会を全部たたき壊されてしまった。しかし信徒は教義を信じつづけて来たので、すでに大本教は再建せずして再建されている。……自分はただ全宇宙の統一和平を願うばかりだ。日本の今日あることはすでに幾回も予言したが、そのために弾圧をうけた。……これからは神道の考え方が変わってくるだろう。国教としての神道がやかましくいわれているが、これは今までの解釈が間違っていたもので、民主主義でも神に変わりがあるわけはない。ただほんとうの存在を忘れ、自分の都合のよい神社を偶像化して、これを国民に無理に崇拝させたことが、日本を誤らせた。……日本敗戦の苦しみはこれからで、年ごとに困難が加わり、寅年の昭和25年までは駄目だ。いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として尊い使命が含まれている。本当の世界平和は、全世界の軍備が撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある。」(「吉岡談話」)

 「大本」は、戦争中、ちょうどこのような弾圧下にあったために、戦争協力しなかった、あるいはできなかった唯一の宗教だったといわれている。同ホームページは、絶対に日本国憲法を守ろうと主張している。出口王仁三郎の唱えた「万教帰一」の教えは、「成長の家」にも取り入れられている。出口はエスペランチストでもあった。

 「大本」を出て、「生長の家」を興した谷口雅春は、アメリカのニューソートの影響も受けつつ、1930年(昭和5)、「生長の家」を創立し、「善一元」「万教帰一(同根)」などの教義を唱える。彼は、明治憲法復興、天皇信仰などを唱え、その点で、国家神道を拒否した出口王仁三郎とは違っている。二代の谷口清超の代になると、徐々に変化しはじめ、三代目の次男谷口雅宣は、初代の教えを否定し、教義・教団改革を進めたために、それに反発する古参信者との間で、対立が現在続いている。基本的な教義を「大本」に負っている「生長の家」が、天皇信仰を接ぎ木する形で、当時の国家神道や戦前国家に迎合して、教団を拡大しようとしたことが、戦後半世紀以上立った現在において、無理が出たということだろうか。70年代には、「生長の家」学生連合、反憲法学連などがあった。新右翼だった現左翼の鈴木邦男や高橋史朗、日本会議の事務局長、元「新しい歴史教科書をつくる会」の新田均らのグループなど、がそれらの出身である。しかし彼らは、現在の「生長の家」の路線からははずれている。

 これらの唯心論的ニューソート思想などの受容の前提として、アメリカにおけるキリスト教のスピリチュアリズムと神智学の大正時代頃の流行があり、それと科学とを融合させた「大正生命主義」があったと云われている。スピリチュアリズムは、降霊術の流行に見られるような霊界と現実界の交通を目的とする科学であり、神智学もそうした傾向を持つ心霊研究である。ドイツのシュティルナーが有名。生命主義は、ヘッケルやデューイやジェイムソンやベルグソンなどの生命を基本とする思想やそれと仏教などを取り混ぜたような当時の流行思想であったという。ニューソートは、宇宙を生命とし、すべては心の現れとする唯心論である。谷口雅春は、物質はなく、心しかないと唱え、全ては元々は善なる心のあり方次第で決まると主張した。本来善なる心を汚すのも心であるから、心を元の状態に戻すことが必要で、それをするのはもっぱら言葉であるとした。ニューソートは、例えば、マーフィーの法則などの成功哲学や人生成功論で、意志しだいで人生が決まるとする主観主義を唱えている。これを生死即涅槃などの天台本覚思想と似ているとする人もいる。谷口雅春は、病気も心で治すと主張するという徹底した唯心論者である。「大本」を出た浅野和三郎は、心霊を科学するとして「心霊科学協会」を設立する。

 現在のPL教団の前身である「扶桑教ひとのみち教団」が1931年(昭和6)に出来た。この教団は、冨士講から生まれたものである。信徒数は一時期は信徒総数約100万人にまで増えた。1936年(昭和11)、不敬罪で開祖御木徳一とその息子・御木徳近が逮捕・投獄され、1937年(昭和12)には解散命令がだされ、開祖は獄中で病死した。「ひとのみち教団」は、現世利益主義で、二代御木徳一は、平和主義を強調した。

 「霊友会」は、久保角太郎らによって、1924年(大正14)に設立された。法華経による先祖供養などという日蓮主義と儒教を接合した教義をつくったが、次々と分派ができて、分裂していく。1938年(昭和13)には、元幹部の庭野日敬らが「立正校成会」を設立する。戦時中は、子爵の娘を総裁に迎え、毎月1日に教団行事として伊勢神宮に参拝するなど政府に迎合した。戦後、教団拡大に成功するが、脱税事件などのスキャンダルが相次ぎ、さらに、「仏所護念会」などが次々と分裂していった。久保角太郎の次男の久保継成が教団を継いで、インナートリップ運動を起こして、若者などに信者を広げたが、女性スキャンダルで失脚し、新たに「いんなーとりっぷの霊友会」を作って分裂した。

 「立正校成会」は、1938年(昭和13)、庭野日敬・長沼妙佼によって、設立されたが、1943年(昭和18)、二人とも逮捕された。基本的には「霊友会」の教義を受け継いだが、教義と本尊は次々と変わり、信者を統一教会に派遣して、入信させた。「お導き」と呼ばれる信者拡大に力を入れているようだが、それは、「万教同根」論を取り入れて、他宗教とだぶることを容認しているからである。したがって、信者といっても、信仰心が固くない者が多いようである。

 満州事変以降の戦時体制強化の中で、本願寺派をはじめ、仏教諸宗派は戦時教学化を進めた。「落在舎」のホームページに、元龍谷大学学長の信楽峻麿氏の『真宗における聖典削除問題』があり、「西本願寺教団における聖典削除」問題についての文書がある。

 「西本願寺当局は、1940(昭和15)年4月5日、宗祖親鸞の著作『教行信証』と『高僧和讃』および『正像末和讃』の中の一部、そして本願寺第三代覚如によって記述された親鸞の伝記『御伝鈔』のなどの一部の文言が、日本の国体観念に矛盾し、天皇神聖の原理に抵触すると認めて、国家への忠誠を表するために、それらの文を拝読し引用するについては、削除ないしは改訂すべきであると決定した。そして、その趣旨を示した『聖教の拝読ならびに引用の心得』というプリントを作成して、教団の下部組織である全国の教区管事および輪番あてに通達配布した」。

 当然、それに対して、僧侶や信者から反対の声が起き、全国運動に発展した。しかし、西本願寺当局はこれを無視した。この聖典削除問題の前史として、「1939(昭和14)年6月には文部大臣の名によって、龍谷大学の予科(旧制大学入学前の段階で旧制高等学校に相当する課程。東京商科大学、北海道帝国大学、私立大学などに設けられた)において使用されていた真宗学の教科書『真宗要義』の内容について厳重な注意を受けるということがあった。その中の「勅命」「教勅」「仏勅」という語は、すべて天皇に対する不敬の用語であって、その使用は許されないということであった」(同)という思想弾圧事件が起きたが、この時も西本願寺当局は、文部大臣の指示通り、それらの削除や訂正に応じていた。ついには、西本願寺当局は、「1945(昭和20)年5月21日(降誕会)には、「宗門決戦綱領」というまことに壮烈な方針を決定したのである。それは法主が一千万信徒の陣頭に立ち、住職を支隊長にみたてて戦力補給につとめ、坊守は皇国婦道(女の守るべき道)の堅塁(とりで)を死守し、親鸞の説いた念仏の教えは奉公に帰すると語り、念仏を捧げて皇国を護持するというものである」(同)というところまで、堕ちてしまったのである。

 1931年に結成された「新興仏教青年同盟」は、既存仏教を批判して、「仏陀への帰一,資本主義社会改造,大衆生活の利福をはかる仏教社会建設を目的に」「仏教界改造・社会改革の実践運動に取り組んだ.機関誌《新興仏教の旗の下に》(のち《新興仏教》さらに《新興仏教新聞》に).1933年頃から労働争議支援・水平運動との連帯・反ファッショ運動参加など無産運動(とくに合法左翼)との結びつきが深まり,同盟委員長妹尾義郎は《労働雑誌》編集発行人にもなった。1939年11月以降,治安維持法違反容疑で大弾圧を受けた」(法政大学大原社会問題研究所HPより)。

 1943年(昭和18)、「戦時国民思想確立ニ関スル文教措置要項」*が閣議決定される。

 *戦時国民思想確立ニ関スル文教措置要綱
     昭和18年12月10日 閣議決定
第一 方針
 国民思想ヲ国策遂行ニ凝集セシメ戦力増強ヲ阻碍スル一切ノ思想的原因ヲ根絶シテ必勝ノ信念尽忠報国精神ノ昂揚、戦時国民道義ノ確立ヲ図ル為全面的ニ教学ノ刷新振作ヲ行フト共ニ国民ノ思想指導ヲ強力ニ実施スルモノトス

第二 措置
 一 国体・日本精神ニ基ク学問、思想ノ創造発展ヲ図リ教学ノ全面ニ之ヲ浸透セシメ戦意ノ昂揚、戦力増強ノ根本ニ培フ為教育内容ノ検討刷新、訓育体制ノ強化、日本諸学振興委員会ノ拡充等ニ付必要ナル措置ヲ講ズ
 二 国民思想ヲ混乱セシメ戦力増強ヲ阻碍スル虞アル学者ノ思想・学説ヲ究明是正シ及国民ノ思想、生活ヲ紊ル社会事象ニ付思想的究明ヲ行フ為文部省ニ所要ノ機関ヲ設クル等ノ措置ヲ講ズ
 三 学徒並ニ勤労青年ニ対シテ戦時思想指導ヲ強化スル為地方思想対策研究会ノ機能拡充、学校ニ於ケル思想指導体制ノ整備等必要ナル措置ヲ講ズ
四 宗教及宗教活動ノ醇化昂揚ヲ図ルト共ニ宗教団体及宗教教師ニ対スル指導ヲ強化シソノ活発ナル活動ヲ促ス
 五 教育団体、教化団体、文化団体等ノ活動ニ対シ真ニ日本的ナル思想、文化ノ根源ヲ確把セシメ之ヲ昂揚振作セシムル如ク関係官庁協力ノ上積極協力ナル指導ヲ行フ
 六 家風ヲ振起シテ我ガ国固有ノ家ノ本義ニ徹セシメ以テ戦時国民道義ノ確立、戦意昂揚ノ源泉タラシム
 七 本要綱実施ニ要スル経費ニ付テハ速カニ必要ナル予算的措置ヲ講ズ

 不敬罪・治安維持法などの弾圧を受けたのは、最初は、社会主義者などが多かったのだが、後には、国体明徴運動などの思想統合の動きが拡大するにつれて、宗教者・宗教団体がその対象とされて、大弾圧を受けることになった。他方では、既成仏教宗派は、国家統制が強まったとはいえ、戦争協力を強めていった。しかし、その中でも、教義をめぐる政府の削除・訂正圧力に対して、僧侶や信徒の間に、あくまで宗派としての教義を守ろうとする動きもあったのであり、それを押さえつけながら、内部統制をしつつ、戦時を乗り切ろうとしたのである。

 それらのことは、戦後にそれぞれの宗派内の反省が始まり、それが何十年にわたる改革運動の成果として明らかにされてきたことであり、それは今でも続けられているのである。東西本願寺派の基幹運動・同朋運動・門信徒運動と呼ばれる改革運動では、直接には、人権問題という差別の解決・人間解放ということがきっかけであったが、それは平和の問題をも含めて、「苦」からの解放としての念仏というところまで進み、戦争「苦」の問題にも向き合っている。その中で、戦時教学や戦前の浄土真宗のあり方についての批判的な見直しなどが進められたのである。曹洞宗においても、平和と人権は宗派としての大きなテーマとして取り上げられている。その他、全仏教寺院の9割を組織する「全日本仏教会」も、それらのテーマへの取り組みを掲げている。

 とりわけ、戦時教学などの反省にたった東西本願寺派では、同朋運動・基幹運動・門信徒運動などの教団改革の運動が起き、部落差別、人権、平和などの社会的課題を、「信仰の社会性」の視点からとらえ、これらの課題の解決を、浄土真宗再生の一環として取り組んでいる。2006年度から2011年度までの「基幹運動総合基本計画」は、以下の通りである(「坊さんの小箱」というホームページより)。

「基幹運動総合基本計画」
Ⅰ.目標 : 御同朋の社会をめざして

「御同朋の社会」とは、いのちの尊さにめざめる一人ひとりが、それぞれのちがいを尊重し、ともにかがやくことのできる社会です。
 
Ⅱ.スローガン : ともにいのちかがやく世界へ
 
Ⅲ.基幹運動の願い
 
 【基幹運動とは】
 浄土真宗は、あらゆるいのちをすくいたいとの阿弥陀如来の願いをよりどころとし、南無阿弥陀仏のはたらきによって信心をめぐまれ、お念仏の人生をあゆみ、私が浄土で仏に成る教えです。そして、いのちあるものが、如来の智慧と慈悲とに照らされ包まれた御同朋であることを知らされることです。そこから、如来のみこころにかなう生き方を志す私の新しい人生が生まれ、混迷する現代社会の課題に向きあい、乗り越えてゆく原動力となるのです。
 私たちの教団は、浄土真宗のみ教えのもと、基幹運動を推進しています。
 基幹運動は、門信徒会運動と同朋運動をその内容として展開してきました。
 門信徒会運動は、親鸞聖人700回大遠忌を契機として、形骸化した教団の状況に対する危機感から、「全員聞法・全員伝道」を願いに、自らが教えを聞き、教えに生きる門信徒・僧侶になることをめざしてきました。
 同朋運動は、部落差別を受けてきた門信徒や僧侶などが、差別からの解放を求めて自ら立ちあがったことにはじまります。そして、私と教団の差別の現実を課題とし、差別・被差別からの解放をめざしてきました。
 基幹運動は、教団に所属するすべての人びとが、私と教団のあり方を見直し、一人ひとりの苦悩に共感し、社会の現実に向きあって歩むことで、御同朋の社会の実現をめざす運動です。
 
 【社会の現状と教団の課題】
 今日の社会は、人間中心・自己中心の考えがいよいよ強まり、「環境破壊」「人権抑圧」など、多くの問題を引き起こしています。その結果、戦火の絶える日のない現実となり、多くの尊いいのちが傷つき失われています。科学技術の発展は、いままでの生命観を揺るがし、「生命倫理」という新たな課題を生み出しています。
 また、「少子・高齢化」「過疎・過密」といった社会構造の急激な変化は、私たちの生活に大きな影響をあたえています。さらに、「青少年を取り巻く問題」「虐待」など、さまざまな問題も抱えています。自らのいのちを絶つ人が増加していることも見過ごすことはできません。まさに、混迷する社会といえます。
 仏教は、老病死に代表される人間の苦悩の解決にかかわるものです。だからこそ、お念仏のみ教えをよりどころとする私たちは、このような社会の現実に向きあい、取り組んでいくことが大切な責務なのです。
 これまで、私たちの教団は、教団と社会のあるべき姿を実現するために基幹運動を進めてきました。しかし、いまだに差別事件が起こり、一人ひとりの苦悩や混迷する社会の課題にも十分には応えることができていません。これらの現状を踏まえ、さらに強力に取り組みをすすめることが大切です。
 2006年度から2011年度までの基幹運動は、これまでの運動の成果と課題をふまえ、次のことを基本方針として、重点項目で課題を具体化し推進します。

 【基本方針】
   基幹運動は、人びとの苦悩や差別・被差別の現実からの問いを課題とし、その課題を、み教えをよりどころとして、問い、聞き、語りあうなかで展開されなければなりません。教団の現状を克服するために、

○男女共同参画をさらに進め、 「門信徒と僧侶の課題の共有」をめざす。
○「御同朋の願いに応える教学(御同朋の教学)の構築」をめざす。

 この二つの点を重要なポイントとして位置づけ、わかりやすく広がりのある運動とし、学んだことを行動・実践していくことで、「同朋教団」としてのあるべき姿をめざします。

【重点項目】

① 親鸞聖人のみ教えに学び、全員聞法・全員伝道の門信徒会運動を推進しよう。
 
  「話し合い法座」中心の「門徒推進員養成連続研修会(連研)」「中央教修」を修了して、6500人あまりの「門徒推進員」が誕生しました。今後、連研を全組で実施し、より多くの門徒推進員の育成と、門徒推進員の活動が進展するための環境づくりをすすめます。 また、お寺に集うさまざまな立場の人が話し合う「門信徒会運動研修協議会」を継続します。門信徒と僧侶が運動を共有し、お寺や組の現状をふまえ、「開かれたお寺」にするための具体的な方法をみんなで話しあいましょう。
 さらに、各教化団体の活性化や、布教伝道のあり方、情報の共有・発信のあり方を課題とし、み教えをよりどころに、問い・聞き・語り、伝えていく活動を推進しましょう。
 また、『本願寺新報』『大乗』などの購読を広げていきます。

②過去の過ちと現実を直視し、差別と戦争のない社会をめざして同朋運動を推進しよう。

 部落差別を中心に「差別・被差別からの解放」をめざして取り組んできた「僧侶研修会」や「差別法名・過去帳調査」などから、差別を肯定してきた私と教団の現実の克服こそが課題であることを学びました。さらに、その学びを門信徒と共有するため、「第Ⅳ期同朋運動推進僧侶研修会」の内容を深めます。そして、ハンセン病差別、性差別、民族差別、障害者差別などへの取り組みも進めます。いのちの共感をさまたげているものを見抜き、「差別をしない・させない・許さない」ための取り組みを実践します。
 教団の戦争協力の歴史と事実を顧み、慚愧の思いをもって、過ちを繰り返さないため、「非戦・平和」の課題、信教の自由・政教分離の原則などの所謂「ヤスクニ」の課題への取り組みを進めます。また、仏教における、「仏の歩み行かれるところ…… 武器を取って争うこともなくなる」という「兵父無用」の願いを内外に発信します。
 差別と戦争のない心豊かに安らげる世界を築くため、差別の現実の克服と平和を尊ぶ社会の実現をめざして取り組みましょう。

③いのちの尊厳と平等をもとに、一人ひとりの苦悩に共感できる開  かれたお寺・教団にしよう。

 あらゆるちがいを尊重することができ、すべての人にやさしくあたたかな社会をめざして、一人ひとりの苦悩を共感できる開かれたお寺・教団となることが求められています。したがって、み教えをよりどころとして、さまざまな社会の問題に積極的に関わり、何ができるかを考え、具体的に実践して行かなければなりません。世界各地でおこる戦争や環境破壊の問題を自らの課題とすることや、ビハーラ活動など社会福祉や医療の現場での活動もそのひとつです。
 いのちの尊厳と平等をもとに、地域社会に根ざした幅広い活動を展開し、社会に貢献することのできるぬくもりと動きのあるお寺・教団をめざして取り組みましょう。

  【次代に向けて】
  2011(平成23)年には、親鸞聖人750回大遠忌法要をお迎えいたします。親鸞聖人は、混迷した世の中にあって、お念仏をとなえつつ「世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」と、苦悩する民衆とともに生き抜かれました。そのご遺徳を仰ぐことは、現代のさまざまな問題を自らのことと考え、また、み教えをわかりやすい言葉で現代社会に語りかけるなど、広く人びとと課題を共有できる私と教団になることにほかなりません。
 「ともにいのちかがやく世界へ」とのスローガンのもと、次代に向けて、門信徒と僧侶、男性と女性、大人と子ども、また、民族や国籍など、それぞれのちがいを尊重しあうことのできる私と教団となります。
 そして、教団内外のさまざまな課題に向きあい、すべての人びとが如来に願われたお互い(御同朋)として、支えあい、かがやきあいながら共にあゆむことのできる、活力ある教団を築くため、さらには御同朋の社会の実現をめざして適進してゆきましょう。

 さらに、曹洞宗でも1992年(平成4)11月20日、「懺謝文」を出して、曹洞宗の戦前の戦争責任を自己批判した。また、調査により差別戒名が続々と発見されると、同和問題への取り組み、人権問題への取り組みを人権擁護推進委員会をつくって、宗派として押し進めるようになった。環境問題にも取り組み始めている。そして、イラク問題の武力解決に反対する決議をあげた。以下は曹洞宗のホームページにある。

曹 洞 宗
わたしたちは平和的解決を強く求めます

イラクにおける大量破壊兵器問題の
平和的解決を求める決議文

 イラクにおける大量破壊兵器問題は、いまやアメリカ及びその立場に賛同する国々による武力行使が行われる情勢にある。
 武力行使によるこの問題の解決は、何をもたらすのか。人間として生きる権利や尊い人命を奪い、その地域の環境を微塵もなく破壊するだけのものである。
 過去の戦争や紛争は、何の罪もない人々が犠牲になり、貴重な財産が失われ、国土は荒野と化している。我々は、こうした過去の過ちを懺謝し、再び同じ過ちを犯さないことを誓願し、広く社会に向けて表明したのである。
 我々は、一佛両祖のみ教えにしたがい、争いのない慈悲と寛容に満ちた世界を構築すべく、また宗門の取り組む「人権・平和・環境」の実現のため、仏教徒として、かけがえのない生命を奪い、人権を著しく踏みにじる暴挙である戦争の廃止なくして真の平和はあり得ないことを主張し、いかなる目的のもとにおいても、尊い生命を失う武力行使には反対するものであり、平和的解決を強く求め、これを決議するものである。
 
2003(平成15)年2月28日

曹洞宗宗議会・曹洞宗宗務庁

趣 旨 文

 我が宗門は、1992(平成4)年11月20日、懺謝文を宗内並びに広く国内外に発して、懺悔と謝罪を表明いたしました。すなわち、20世紀初頭の不幸な時代にあって、時の政治権力に荷担迎合し、アジア地域の人びとの人権を侵害し、民族の誇りと尊厳を損なった、誠に恥ずべき行為を自省し、海外伝道の歴史のうえで犯してきた重大な過ちを率直に告白し、アジア世界の人びとに対し心からなる謝罪を行い、そのうえで、1945(昭和20)年の敗戦直後に当然なされるべき「戦争責任」への自己批判を行ったのであります。
 また、あるひとつの思想が、あるひとつの信仰が、たとえ、いかような美しい装いをこらし、たとえどのように完璧な理論で武装して登場してこようとも、それが他の尊厳性を侵害し、他との共生を否定するとするならば、我々はそれに組みせず、むしろ、そのような思想と信仰を拒否する道を選ぶことを表明したのであります。なぜならば、人のいのちの尊厳性は思想、信仰や理論を越えて、まさしく犯すべからざる厳粛なものであるからであります。しかして、こうした懺悔と謝罪に基づき、二度と同じ過ちを犯さないことを誓願したのであります。
 さて、現今の世界情勢において憂慮すべき、イラクにおける大量破壊兵器にかかわる問題は、極めて重大な危機といわざるを得ません。現在、国連による査察が続けられている一方で、いまやアメリカ及びその立場に賛同する国々による武力行使が行われる情勢にあり、その緊迫度は、日増しに高まり、いまや一刻の猶予もない極めて厳しい情勢にあると認識するものであります。こうした武力行使によるこの問題の解決は、何をもたらすのか。疑問の念しか抱くことができないのであります。それはただ、人間として生きる権利や尊い人命を奪い、その地域の環境を微塵もなく破壊するだけであるからであります。
 こうしたときにこそ、我々は、釈尊のみ教えにしたがい、争いのない慈悲と寛容に満ちた世界を構築すべく、また宗門の取り組む「人権・平和・環境」の実現のため、教団としての時代的、社会的責務を果たさなければならないのであります。
 よって、ここに仏教徒として、いかなる社会においても、かけがえのない生命を奪い、人権を著しく踏みにじる暴挙である戦争の廃止なくして真の平和はあり得ないことを主張し、いかなる目的のもとにおいても、尊い生命を失う武力行使には反対するものであり、平和的解決を強く求める決意を表明するものであります。

 こうした人権・平和・環境問題への取り組みは、「全日本仏教会」に共通する基本姿勢のようである。新興宗教団体の方は、「大本」、「金光教」、「PL」、「天理教」などは、だいたいこれと同じような姿勢であり、「大本」は、現憲法擁護をはっきりと掲げている。

 「生長の家」内の谷口雅春を支持するグループや「モラロジー」などの上の教派神道から分かれた教団や「霊友会」、「国柱会」、「仏所護念会」などの日蓮主義系の新興宗教団体などは、「日本会議」に入るなどして、教育基本法改正、靖国公式参拝推進、反ジェンダーフリー、憲法改正などの右派運動の一翼を担っている。しかしそれは上記のことから明らかなように、宗派間の対立を反映してるともいえる。とはいえ、後者のグループはそれぞれ、内部対立や内部からの改革運動などにさらされており、さらにスキャンダルも起き、分裂を繰り返しているところが多い。分裂した「霊友会」は、「お導き」と呼ばれる信者拡大策に、内部で批判が多いらしく、実際には、名前だけの信者も多いという。教義はデタラメである。法華経と先祖供養は関係ない。「生長の家」三代目は、禅宗の不立文字という言葉を取り入れて、初代谷口雅春の教えを消し去ろうとしている。それぞれ内紛・危機を抱えていて、実際には、「日本会議」どころではないというのが実情だろう。その中心的存在である「神社本庁」(内務省の外局だった神祇院の事務を戦後引き継いだ組織で、民間間の神社関係団体であった皇典講究所・大日本神祇会・神宮奉斎会の3団体が合同して結成され、現在全国約8万社が属している)でも、最近、最大の資金源であった明治神宮が離脱して、打撃を受けた。

 現在の宗教・宗派の動きの底には、戦争や差別などの歴史に対する姿勢や態度の違いが現れていて、それは、宗教的には、一つは、国家神道に対する認識と態度の違いである。あくまでも神道の本宗を伊勢神道におく国家神道に対する態度の違いである。諸宗の上に立つ超宗教の下に立つことを宗派として許容できるかどうかということである。浄土真宗の同朋運動・基幹運動・門信徒運動の巨大な運動が、静かだが確実に真宗再生の動きとして広まっており、曹洞宗においても、国際化と合わせて、人権・平和・環境などの価値を仏法と結びつけて、宗門の一大運動として展開しつつある。曹洞宗国際ボランティアの活動も続いている。それは新興宗教教団にも影響を与えることになるだろう。

|

« 日本の仏教についてのノート(20) | トップページ | 「つくる会」分裂によせて »

歴史」カテゴリの記事

思想」カテゴリの記事

コメント

wakariyasukatutadesu

投稿: akiba motonobu | 2009年7月24日 (金) 20時18分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日本の仏教についてのノート(21):

» はじめまして! [感謝呼吸.com]
”感謝呼吸.com”管理人のソウダと申します。ご趣旨に沿わないようでしたら、削除してくださいませ。またこれからの記事で、当サイトと関連あるかな?と思ったら、トラックバックやコメントもお待ちしています。一度お越しいただいいて見てやってください。今後ともよろしくお願いします。... [続きを読む]

受信: 2006年6月24日 (土) 07時13分

« 日本の仏教についてのノート(20) | トップページ | 「つくる会」分裂によせて »