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「つくる会」は終わったのでは?

 「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝副会長のブログが久しぶりに更新された。新記事のタイトルは、「八木氏の「第2つくる会」の正体」で、前半は、「日本の教育の一部となった『新しい歴史教科書』」として、 同歴史教科書を採択した千葉県柏市の広池学園麗澤中学校での研究授業の報告である。

 記事によると、中学2年生に「神話」の授業を行い、ギリシャ神話・ローマ神話・モンゴル神話などの世界の建国神話を比較した上で、『古事記』のあらすじを神武天皇までさかのぼったというのである。それを60分近くまで延長して行ったというので、藤岡氏は感心している。建国神話の前の高天ヶ原の話はどうしたのか気になるところだが、それは神代の話だから省略してもいいということか? 『記紀』の中には、飯豊皇女の話も出てくるし、いったん皇嗣がとぎれて、5代さかのぼって、北陸にいた遠縁を天皇にたてたという話もある。まあそういう話はたいした話ではない。インターネットなどで調べれば、いろんなことがわかって、こういう授業での知識も相対化されてしまう時代だから。

 問題は、藤岡氏が、この程度のことを、「麗澤中学校の授業研究会が示していることは、全国の心ある方々のお力添えで、10年がかりで進めてきた「新しい歴史教科書をつくる会」の運動がやっと芽を出し、『新しい歴史教科書』が確実に日本の教育の一部になったこと、そのことである。教科書が出来たからこそ、このような事実を作り出すことが可能になったのである。その大きな意味を確認し、今後の前進につなげる糧としたい」と過大評価していることだ。彼のこういう主観性が、「つくる会」の内紛の原因の一つではないだろうか。彼は、自国に誇りを持たせる歴史教科書が必要だとして、大騒ぎをしたのだが、昔の歴史教科書で教育された人々は、別に自虐的になどならなかった。だから、藤岡氏が、1991年の湾岸戦争の時に、なぜ、大ショックを受けて動揺したのか理解に苦しむのである。アメリカがどうだろうと日本には日本の生き方がある。それでよかったのではないか。

 *なお、この麗澤中学は、麗澤大学・高校の系列校で、「日本会議」のメンバーの「モラロジー」というグループの作った学校である。「モラロジー」は、道徳を科学することを目的として創設されたという。儒教道徳と近代主義をミックスしたような疑似宗教のようだ。それにしても、儒教の一派の陽明学者の安岡正篤の影響を受けたという細木数子がマスコミで担がれたりと、儒教主義はなかなかしぶといものだ。

 後半は、「「朝日新聞に批判され」ない歴史教科書づくりを宣言」という「第2つくる会」すなわち、新田均氏・八木氏らの新しいグループに対する批判である。これは、6月26日付の朝日新聞系の雑誌『アエラ』の「つくる会」分裂に関する記事に載っている新田グループのコメントなどへの批判である。

 彼は、まず、『アエラ』の記事は、「つくる会」が、「離脱組」「居残り組」「立ち上げ組」の3グループに分かれたとして、「離脱組」として、西尾幹二・高橋史朗・西部邁・小林よしのり、「居残り組」として、藤岡信勝、「立ち上げ組」として、八木秀次・中西輝政の写真を載せているのに対して、「居残り組」の写真を一人しか載せないのは、大量離脱、「立ち上げ組」多数、「居残り組」を少数のように見せる印象操作だと批判する。その可能性がゼロとはいわないが、「居残り組」が、事実上、藤岡派だという印象は、この間の内紛劇を見れば、誰でも自然に抱くのではないだろうか? 「居残り組」の他の幹部たちは、この間、この問題でこれといった公の意見を発したともきかないし、ほぼ、藤岡氏だけが、「居残り組」を代表するような感じで、ブログなどで発言を行ってきたのだから、「居残り組」を藤岡氏一人の写真で代表させたとしても、別に不思議はない。

 藤岡氏は、物事をいろいろな側面から、客観的に考え、分析し、検討することができない人のようだ。

 藤岡氏は、もっとも重要なところだという記事の最後に載っている八木氏のコメントに噛みつく。八木氏は、記者の質問に、「南京事件や慰安婦など論争的な問題にこだわるのではなく、もっと歴史を大局的に見たものにしたい。朝日新聞に批判されるようなものにはならないはずですよ」と答えたという。それに対して、藤岡氏は、「八木氏がつくる歴史教科書には、慰安婦を書くつもりなのだろうか。南京事件はどう書くのか。これらの論争的テーマに日本と日本人の誇りがかかっており、だからこそ血の滲むような努力によって、まだ不十分とはいえ、やっと今日の状態にまで正常化したという歴史を、八木氏は何と心得ているのか。この分野で何も苦労をしていない八木氏が軽口をたたくのは、軽薄そのものである」と悪罵を投げつけている。これこそ、藤岡氏が、知識人でなく、政治家であることの現れである。

 慰安婦問題については教科書に書くこと自体に、そして、南京事件についてはその書き方に、日本人の誇りがかかっているというのである。どうしてこの2点の論争的テーマが特別扱いされるかというと、前者は、韓国との関係で、そして後者は中国との関係で、謝罪外交の原因になっていると考えているからである。「だからこそ血の滲むような努力によって、まだ不十分とはいえ、やっと今日の状態にまで正常化したという歴史を、八木氏は何と心得ているのか。この分野で何も苦労をしていない八木氏が軽口をたたくのは、軽薄そのものである」ということになり、したがって、八木氏らの「中国詣」は、許し難い行為だということになるわけだ。以下の文章を読めば、藤岡氏が、中国による日本支配の陰謀を信じて、それに負けないために、「つくる会」で、日本人の誇りを子供たちに注入する運動を起こしたことがはっきりとわかる。

  「「第2つくる会」の正体見たりである。氏は一体、何のために教科書運動に参加したのか。朝日新聞が『新しい歴史教科書』を批判するのは、『AERA』の記事が言うように、内容が「過激」だからではない。理由があるのだ。それが理解できないとしたら、八木氏は知識人として痴呆化しているのか、それともすでに魂を朝日流リベラル左翼に売り渡してしまったかのどちらかである。私は前者の可能性が高いと見ているが、後者の可能性も否定できないと思う。なにしろ、朝日新聞のご主人格に当たる中国共産党とすでに「調整」がすんでいるのかも知れないのだから」。

 それにしても、藤岡氏は、徳とか思想的深さ、あるいは哲学的なものを感じさせない人だ。知識人の仕事とは、中国が、朝日新聞を使って、日本に対するなんらかの陰謀を仕組んでいることを見抜くことだとは、藤岡氏流の知識人論には恐れ入る。宗教教団の中には、中国が日本侵略を狙っていると強調しているところがあるが、それはあくまでも、宗教的な理由でいっているので、別に愛国心という世俗的な意味で云っているわけではない。そういうことを強調して、信者を増やすのが目的なのである。ところが、藤岡氏は、すでに、日本はアメリカの下僕であるという現実の方よりも、未来にあるかもしれない可能性の方に重点を置いているのである。新田均氏のブログを読む限りでは、彼の方が、日本の歴史に関する理解と知識は藤岡氏よりもましである。もっとも、一揆と「五カ条のご誓文」を短絡的・非歴史的に結びつけるといったような無理をやったりしていて、トンデモ話も多いのだが。ただ、新田氏は、宗教についての理解抜きに、日本の伝統や文化や歴史を見ることは出来ないという意味で、そういう歴史知識と一定の理解をもっていると思う。

   もう一つ、新田氏は、「進歩史観」を批判し、藤岡氏や西尾幹二氏らがそれを払拭していないと指摘している。それは、「つくる会」副会長の福地淳氏の文章に現れていることを先日拙稿でも指摘したとおり、正しい。それは、駐日大使を務めたライシャワーの近代化論といわれる歴史観もそうである。それに、『歴史の終わり』を書いたF・フクヤマもそうである。歴史というのは近代に向かって進歩するもので、その最先端に欧米がいて、残りの世界は、それに近づく進歩の過程にあるという歴史観である。ただ、フクヤマは多少軌道修正しているが。しかし、イスラム世界の現実を見れば、それが誤りであることは歴然としている。湾岸戦争からイラク戦争までの歴史の現実をしっかり分析し、深く理解した人は、このような西欧的な「進歩史観」が、誤りであることを見抜くはずである。例えば、日本での平等思想は、すでに理念としてだけなら、中世には、仏教思想から発生していた。西欧の人権思想に当たるものとして、「一切衆生、悉有仏性」という思想も仏教から生まれていたのである。もちろん、現実はまた別なのであるが。

 藤岡氏には、そういうのはまったくないし、共同体や生活や信仰生活や社会のこととか、そういうところをすっとばして、国際政治での陰謀話だの万世一系だのという抽象的な次元の方にいってしまう。そんなのに、普通の人はついていけない。藤岡氏が、足腰となる重要な部分を失ったことの大きさを知らないとしたら、それこそ、知識人として恥ずかしいことだ。もし、一部でいわれているように、扶桑社が、新田氏らのグループ側に回ったら、「つくる会」はおしまいになる可能性が高い。というか、この間の内紛の経過を見る限りでは、もう終わっているといってもいいと思うのだが。  

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コメント

こうした批評も藤岡氏という稀に見る人間の理解に参考になるので歓迎したい。

弊ブログも藤岡氏の観察をかなりコレクションしています。

投稿: 知足 | 2006年6月28日 (水) 20時17分

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» 問題はこの程度のことを過大評価していること/こういう主観性が「つくる会」の内紛の原因の一つ/1991年の湾岸戦争の時になぜ大ショックを受けて動揺したのか理解に苦しむ/物事をいろいろな側面から、客観的に考え、分析し、検討することができない人 [マスコミ情報操作撃退作戦]
(前略)問題は、藤岡氏が、この程度のことを、「麗澤中学校の授業研究会が示していることは、全国の心ある方々のお力添えで、10年がかりで進めてきた「新しい歴史教科書をつくる会」の運動がやっと芽を出し、『新しい歴史教科書』が確実に日本の教育の一部になったこと、..... [続きを読む]

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