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過大な生産力のディレンマについて

 森嶋通夫氏の『思想としての近代経済学』は、学ぶところが豊富な本である。その基本になっているのは、セーの法則が成立する場合としない場合では、経済のあり方が決定的に異なるということである。その例として、同書には、「耐久財のジレンマ」があげられている。

 耐久財とは、数回ないし数年にわたって繰り返し使える財のことである。これには、生産機械などの生産財もあれば、テレビのような消費財もある。耐久財は、少なくとも二つの市場を持っている。氏は、自動車のレンタルの例をあげている。

 自動車は買うこともできるし、レンタルで借りることもできる。それぞれの市場があって、自動車には、価格Pとレンタル料金pが存在する。レンタカー業者が、P円の新車をレンタルして一年使用した後返却されたとすると、この時、自動車の価値が0.1P減少しているとする。レンタル業者には、レンタル料pの収入がある。するとレンタカー一台あたりの純収入は、p-0.1p、純収入率は(p-0.1P)/Pである。

 ある人が、現金を持っていて、P円で、レンタカー業を始めるか、銀行に預けるかを考えていたとして、利子率iがレンタル業の純収入率より高ければ、預金するだろうし、逆ならば、レンタル業を始めるだろう。したがって、レンタル業と銀行業が共存する条件は、

 i=(p-0.1P)/P

である。これは、

 p=(i+0.1)P

と書き換えられる。「この式は、利子率iが与えられるならば、レンタル価格pは自動車の価格Pに比例しなければならないことを示している」。

 ここから、レンタル市場の需給を均衡させる価格と自動車そのものの需給を均衡させる価格は必ずしも一致しないことがわかる。「このように耐久財市場の場合には、特別の場合の他は、二つの市場が同時に均衡することはありえない。こうして耐久財がが生じると共に、価格の市場調節機構は重大な障害を蒙ることになる」。

 途中の議論を省けば、こうした場合の需給調整は、価格ではなく、数量的に生産量を調整することで行われることになる。重要なのは、自由経済の下で、価格機構は全均衡条件が成立するように機能はしないということである。それは、「供給はそれ自身の需要をつくる」というセーの法則が成立しないことを意味している。

 これは、「耐久財の持つ比重が、近代社会では大きくなったことと、生産力が増大したために耐久財について容易に生産過剰が起こりうるようになったから、生じた」のである。したがって、この問題は、市場を自由化して価格機構がスムーズに働くようにしても解決しない。こういう生産過剰ゆえに起こる諸問題を解決するためには、政府の介入が必要である。それがケインズの提唱した有効需要送出策である。しかし、「この道ですら、雇用を充分拡大するには、政府事業の経済的効率はよくないという批判に甘んじなければならない。すべては過大な生産力がもたらしたディレンマである」

 このディレンマは、社会主義と資本主義に共通するというのが森嶋氏の結論である。氏は、社会主義経済ではセーの法則が働いて、貯蓄がすべて効率を無視して投資されたために、無駄な生産が膨大に行われ、ケインズ型失業が起きなかったが、過去の投資の失敗のツケがたまり、行き詰まったというのである。

 小泉改革の破壊に代わって、安倍総裁候補は、インタビューで、「破壊よりも、なるべく多くの人たちが参加して国をつくっていくというスタイルで政治に取り組んでいきたい」と語っており、さらに、経済政策では、成長戦略を取ることを明言している。しかし、「過大な生産力がもたらしたディレンマ」は、成長戦略では、かえって、悪化すること、その規模が拡大することは明らかである。EUがそのディレンマに長く直面し続けているし、アメリカもまた現在、そのディレンマに陥って苦しんでいる。日本でも、低成長時代への突入ということが言われてきた。あるいは安定成長ということも言われた。いずれにしても、彼の言うことは、一般的すぎて、具体性がなく、さっぱりわからない。成長さえすれば、財政問題も解決し、福祉問題も格差問題も、すべてがうまくいくような言いようだが、過剰生産力問題の解決のためには、より意識性・計画性が必要なことは、上記の議論で明らかである。もっときちんとした具体的な解決策の策定が求められている時に、美しいかどうかなどという審美的な基準で政治をやられてはたまったものではない。

 森嶋氏が指摘する「過大な生産力のディレンマ」の解決こそ、今日の社会に強く求められている主要課題であるということを強調しておきたい。

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