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10月1日『産経新聞』社説について

10月1日『産経新聞』社説は、なぜか気負っているというか、熱くなっている。教育再生を官邸主導でスピードアップしろというのだが、理由がよくわからない。

 安倍新内閣は、確かに「教育再生」を重要課題と位置づけているが、それにしては、具体性を欠くものであることは、所信表明の該当部分を読めば一目瞭然である。社説は、官邸での担当が保守色が強い山谷えり子首相補佐官がになり、「教育再生会議」が今月上旬に発足し、年明けにも中間報告が出ることをもって、その中身もわからないうちから、これをどう実行するかだと、実行手段を問題にする。まだ、担当と「教育再生会議」をつくるということが決まっただけなのに、中教審と文部科学省の抵抗があるだろうと予想している。

 社説は、それは、中教審と文部科学省が、戦後教育のしがらみから抜けきっていないからだという。それは当然、「脱戦後」を掲げる安倍政権の教育改革路線と対立することになるだろうというのだ。教育再生会議の人選は、時代の変化についていけず、実社会の常識と遊離した教育現場を抱える教育界よりも、戦後教育にとらわれない民間の発言力を持った有識者を中心にすべきだという。社説は、戦後教育を否定するということを人選の基準にすべきだという。『産経』はl戦後教育否定の「戦後教育暗黒史観」をイデオロギーとしてきたが、それが、時代の趨勢かといえば、そうではない。それはいみじくも安倍総理の所信表明演説が、戦後教育の価値観を曖昧な形であるが、踏襲していることでも示されている。愛国心教育ということも入れていない。

 『産経』としては、官邸がトップダウンの形で、首相のリーダーシップを山谷補佐官が補佐することで、政府の機関や官僚の抵抗を排除して、速やかに、教育再生策がはかれると期待しているのだろう。しかし、この官邸機能強化策は、始まったばかりで、どうなるかはわからないのである。山谷補佐官が、官僚とわたりあう力がどれだけあるのかも未知数だ。組閣人事などを見ると、安倍総理は、調整型の人物であるように思われる。組閣人事のほとんどを事前に森派閥会長と相談して決めたという報道があるのだ。
 
 そして、社説は、「安倍首相は「ダメ教師は辞めていただく」とも言っており、より抜本的でスピーディーな改革を求めている」と安倍総理の発言を、抜本的でスピーディーな改革を求めていると斟酌している。安倍総理のこの言葉は、いろいろな問題を含んだ発言で、スト権付与など公務員の労働権をどうするかという問題と関わることである。それに、これだけだとダメかどうかの基準がないから、ただのレッテル張りの悪口である。もっときちんとした発言をするように求めるべきところだ。
 
 社説は、「日本に生まれた子供たちが日本の歴史と文化に誇りをもてるような公教育の再生が急務である」という。これが最も言いたかったことかもしれない。『産経』が言う「日本の歴史と文化」の中身が、浅くて、レベルが低く、いい加減なのである。ひとつも満足できないのだ。どうしてそうなるのか? なぜ? という疑問が一杯出てくるのである。東京裁判を否定しながら、日米同盟強化を強調するのはなぜか? 「日本の歴史と文化」に誇りを持てと言いながら、都市開発を推進するのはなぜか? 「日本の歴史と文化」を壊す米軍基地のための地域破壊を住民に我慢しろと言うのはなぜか? 『産経』は、「日本の歴史と文化」など本音ではまったく守る気がないとしか思えない。
 
  『産経』は、明らかにエセ伝統主義者である。保守するためには、変えなければならないなどという詭弁が、保守派のお気に入りのスローガンになっているようだが、これは決まり文句以上のものではない。変えるというのは、革新であって、どうしたって保守ではない。なんでかっこうをつけて、訳のわからないスローガンで、人々をだまそうとするのか? 「日本の歴史や伝統」を守るためには、戦後教育がじゃまだと考え、それを否定して、それを「日本の歴史や伝統」から排除するためだ。しかし、戦後教育も「日本の歴史や伝統」の一部なのである。

 『産経』は、戦後教育という「日本の歴史や伝統」の一部については、保守すべきではなく、否定して、「改革」すべきだというのである。それは、戦前の軍国主義教育が、戦後教育によって、保守すべきではなく、否定され「改革」されるべきだとされてきたことを、「悪」として否定したいからである。その戦後教育の基本的価値こそ「平和」であって、与党の教育基本法案で、概念そのものが消えたものである。それは、戦争を政治の延長として、政治の実現手段として使いたい勢力の邪魔になるものだからだ。外交活動のために、多国籍軍に参加したり、PKOなどに自衛隊を参加させるための障害になると考えているのである。そうすると、やはり戦死があり得ることになる。そうなった場合、慰霊の問題が避けられないので、靖国神社の扱いや意義が問題になっているのである。これから起こりうる新たな戦没者の扱いの問題が政治課題として浮上しているのである。過去の戦争認識がどうとかいうこともあるが、むしろ、政治課題としては、ちょうどイラクに自衛隊が駐留していたので、新たな戦没者が出たらどうするかということが、政治的焦点だったのである。
 
 つまりは、政治が、靖国問題で、ナショナリズムを利用したわけである。だから、麻生は、靖国国家護持を持ち出したのだろう。無宗教の新国立慰霊所の話も、過去の戦没者の慰霊をどうするかというだけではなく、これからの戦没者をどう慰霊するかということを含んでいるのである。日米一体化が進み、どこかで、米軍指揮下の多国籍軍にイギリスのように参加するということにでもなれば、どうするか? 決まっていないのだ。
 
 いずれにせよ、戦後教育を真っ黒に描く『産経』のイデオロギーが、時代のイデオロギーになったということはまったくない。だから、現状認識が誤っている。その誤りの上に、教育再生論を構築しても、うまくいくわけがない。とはいえ、『産経』とイデオロギーの近い安倍総理が誕生したので、これがチャンスと思ったのかもしれない。混乱と改革は違う。保守なら、戦後から何を学び、保守するかということも考えなければならない。保守なのか、それとも戦後全否定の革新なのか? 言葉遊びを続ければ、読者の信頼を失うばかりだろう。
 

■【主張】教育再生 官邸主導で速度を上げよ

 安倍新内閣は「教育再生」を「憲法改正」と並ぶ大きな目標に掲げている。官邸では、教育再生を山谷えり子首相補佐官が担当する。今月上旬に「教育再生会議」が発足し、年明けにも中間報告が出される。問題は、これをどう実行に移していくかだ。

 重要な教育施策はこれまで、文部科学相の諮問機関である中央教育審議会で検討され、その答申に基づいて文部科学省が決定してきた。教育再生会議の方針に対し、中教審や文科省からの抵抗が予想される。

 中教審は最近、国旗・国歌の指導に抵抗してきた日教組出身者が正委員から外れ、構成にバランスを取り戻しつつあるが、戦後教育のしがらみから抜け切れない面もある。「脱戦後」を目指す安倍内閣の下では、新たな国づくりに向けた教育改革の大きな方向性を教育再生会議が示すべきだ。

 そのためには、教育再生会議の人選が重要である。従来の教育界にも人材はいようが、時代の変化についていけず、実社会の常識と遊離した教育現場も少なくない。戦後教育にとらわれない民間の発言力をもった有識者を中心にした人選が望まれる。

 6年前の平成12年3月、当時の小渕恵三首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が発足した。ノーベル賞受賞者の江崎玲於奈氏を座長に、作家の曽野綾子氏、劇団四季代表の浅利慶太氏らが委員に選ばれた。8カ月後、子供たちの奉仕活動や教育基本法の見直しを求める最終報告が出された。

 その後、中教審で、教育基本法については、「国を愛する心」の導入などを求める答申が出されたが、曽野氏が強く主張した奉仕活動はいまなお、学校で徹底されていない。

 安倍首相は自民党総裁選で、大学9月入学制の導入とそれまで半年間のボランティア活動の必要性を訴えた。再び、論議になることは必至だ。

 安倍首相が提唱する教育改革には、すでに中教審などで方向が示されているものもある。教員免許更新制や学校評価制などだ。安倍首相は「ダメ教師は辞めていただく」とも言っており、より抜本的でスピーディーな改革を求めている。日本に生まれた子供たちが日本の歴史と文化に誇りをもてるような公教育の再生が急務である。

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