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第2章資本主義をめぐる諸矛盾(2)

 M―C―M’の資本主義の循環過程の定式は、年々資本を自己増殖する価値であるということを意味する。資本主義は、増殖する運動であって、「領域の拡大をめざす」という「基本的な性質」を持っているのである。
 
 「全体像として考えると、資本主義は拡大しなければならない。そうしなければ、一部の自由主義的改良主義者が信じたがっているようなゼロ成長の安定した状態ではなく、痙攣しながら収縮をし危機を深めていく方向しかない」。
 
 これは、まさに日本資本主義に、1990年代に生じたことである。そして、アジア通貨危機で、東南アジア諸国が、そして韓国が経験したところの危機であった。東南アジア・韓国には、IMFが、介入した。資本主義は、収縮によって、その基本性質が麻痺されるのである。したがって、収縮に対して、様々なものを犠牲にして、成長を実現しようとする。何のための成長か? それは資本の自己増殖する価値という資本自身の本性によってである。
 
 ここまでは、資本主義の生産・循環過程が順調に進むことが仮定されていた。「資本家が必要とする種類と量の労働力や生産手段を購入できること、生産過程自体でなんらの支障に直面しないこと、および製品をその充分な価値で売ることができること」。
 
 しかし、この仮定は、満たされていないことが普通である。循環過程の中断、不調について、いくつか見ていく。
 
 (1)生産手段と労働力の調達について。生産手段は、資本家たちによって、他の資本家の必要に応じて、生産し、価値どおりに販売しようとされる。しかし、外国貿易からしか供給されないような原料や半製品の潜在的な供給途絶の危険が常にある。そのために、購買国側の資本家たちは、国家と協力して、産地に対する統制力を働かせるように求める。「これは、明らかに、資本主義時代においては、帝国主義的な拡張に駆り立てる力となる」。現在、アメリカなどが、中東産油地域に介入している大きな動機の一つが、これである。
 
 労働力の供給は、さらに複雑である。
 
 「労働力は、価値法則の指令通りに、資本家によって生みだされるものではなく、需要にたいする、性急なあるいは効果的な供給調整が、先天的には期待できるわけではない。それゆえ、これにたいする大規模な国家の干渉が、資本主義の歴史を通じて、例外というよりはむしろ通例であった。つまり、その干渉は、前資本主義的関係の崩壊の促進を意図した方策から、奴隷や年季奉公の形の労働者の輸入、ひいては、(第二次世界大戦後のヨーロッパにみられるような、いわゆる「お客さん」の労働者〔中近東やスペイン・北アフリカ等から来た出稼ぎ的労働〕の大量移住の場合のように)組合などに属さない労働者の移住の促進や女性にまで及んできた。ほとんどすべての資本主義時代の創造物である西半球の民族および人種の構成にざっと目を通しただけでも、現代世界史において、こうした要素がきわめて重要であることはよく分かるだろう」。

 (2)生産過程における障害
 
 生産過程自体、資本と労働の対立の場である。ストライキ、ロックアウト、ボイコット、むきだしの暴力行為、等々の形での闘争が、生産・循環過程を混乱させる。
 
 (3)完成財の販売。生産過程でつくられた価値の「実現」の問題。
 
  個別の資本家は、個々の場合に、生産物を価値以上でも価値以下でも販売する。全体として、価値通りに売れるかどうかが問題である。
 
 「もし、それができるならば、循環過程はスムーズに稼働することとなるし、それができなければ、古典派経済学者が供給過剰と呼んだ状態となる。つまりここでは、生産が低下し、利潤は減り、失業が増える等々となる。長い経験からわかるように、―そして、マルクスがこれらを認識した最初の一人であったように―こうしたことは、資本主義のもとではしばしば起り、当面は大幅小幅の定期的な循環をみるが、さらに一般に循環的下降をその中にふくみながら長期的停滞をみせるのである」。   
         

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