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第2章の補論B 競争と独占(3)

  スウィージーは、独占の進展が、蓄積過程の展開についてもつ意味について、これら以外で重要なことにいくつか着目したいという。

 「まず第一に、新古典派経済学の証でもある硬直化した鋳型に、独占資本主義の理論をはめ込まないように注意しなければならない」。
 
 「平均利潤率がいろいろな段階の利潤率に置き換えられるといっても、それは、階層の各段階にある産業あるいは企業が、いつも固定したままであるという意味ではない」。
 
 これを劇的に示したのが、自動車産業が、1973年以降の石油価格上昇によって、石油産業に抜かれ、石油産業がトップに躍り上がったことである。1ダースかそこらの少数の巨大法人の支配する石油産業の利潤は、非金融法人利潤の30~40%を占めた。
 
 複合企業(コングロマリット)化の傾向が続けば、企業と産業の対応関係はますます不明瞭になる。それによって、収益力によって産業の序列付けをする意味は薄れる。資本単位が大きければ大きいほど、有利だという一般的命題は、ますます疑う余地がなくなる。
 
 「第二に、マルクスは競争形態の変化が蓄積過程にもたらす影響を分析しなかったとされるが、『資本論』第三巻の末尾のごく近く(「競争の外観」と題する章)〔岩波文庫版、第九分冊、六七頁以下〕で、次のような興味深い一節を残していることを見過ごすわけにいかない。その一節が、あともう二、三十年長生きしていたらたどったと思われるマルクスの思考方向を示唆しているからである」。
 
 「種々の生産部面における剰余価値の平均利潤への均等化が、人為的または自然的諸独占に、またとくに土地所有の独占という障害にぶつかって、そのために独占の影響を受ける諸商品の生産価格を超え価値をも超えるような独占価格が可能になるとしても、諸商品の価値によって与えられる限界が、これによって解消されることにはならないであろう。ある商品の独占価格は、他の商品生産者の利潤の一部を、独占価格をもつ商品の上に移すにすぎないであろう。間接には、種々の生産部面間の剰余価値の分配における局部的攪乱が生ずることはあるであろうが、この攪乱も、この剰余価値そのものの限界を変化佐瀬はしないであろう。もし独占価格をもつ商品が、労働者の必要消費に入るとすれば、それの商品は労働賃金を高くし、したがって剰余価値を減少させるであろう。もっとも、労働者が以前通りに彼の労働力の価値を支払われるとすれば、である。そうした商品は、労働賃金を労働力の価値以下に圧し下げるであろう。しかしそれは、労働賃金がその肉体的最低限界以上にあるかぎりにおいてのみのことである。この場合には独占価格は、実質的労働賃金(すなわち労働者が同量の労働〔力〕によって受取る使用価値の量)からの控除および他の資本家の利潤からの控除によって、支払われるでろう。独占価格が諸商品価格の正常な調節に影響する限界は、確然と規定されていて、正確に計算されうるものであろう」。
 
 かくして、資本の集積と集中は、剰余価値の分配を大資本に有利なようにねじまげる。
 
 「しかし、同じことが独占資本主義の他の中心テーマにいえるかというと、そうではない」。例えば、販売費用の増大である。
 
 流通費用は、生産企業の剰余価値から差し引かれる費用であって、それを商業資本が取得する。自由競争段階では、産業資本と商業資本が対立していたために、流通費用の相対的比重が低下すると考えられた。しかし、価格競争が弱まると、それ以外の市場シェア獲得の方法が登場してきた。「それはほとんどが販売術(製品差別化、商標名、広告、包装などなど)にかかわっていた」。
 
 「なるほどこれら術策の中には、たしかに買い手の使用価値を高めるものもあるが、はるかに大きな部分は、まったく売りやすさのみをねらったものであり、したがってそれだけ流通費用に加えられるべきものとなってしまう。こういう目的に用いられる労働も資本も、ともにおよぼ不生産的である(消費するばかりで、剰余価値を生み出さない)し、それゆえ社会的見地からすれば、まったくのムダと考えねばならない」。
 
 「独占資本主義がさらに発展するうちに―帝国主義とか、軍国主義とか、国家の力によって蓄積過程の障害を取り除こうといったいいちじるしい形における―剰余価値の新しい形があらわれてきて、それが着実に重要性を増してきた」。
 
 最後に、ヴェブレンの以下の引用で、独占の問題の章を終える。
 
 「大部分の広告業や、競争的販売方法をおこなうその他の多くの仕事のような寄生的産業の不釣合な成長は、軍事支出や、誇示的な消費のための財貨をつくり出すことを目指しているその他の産業とともに、その社会の有効な生活力をいちじるしく低下せしめ、その進歩の機会や、またはその生命をさえ、危機に陥れるほどとなるだろう。この点で、生活環境が課する限界は、結局において、一つの淘汰的な性質をもつ。生産的産業に比べて、寄生的かつ浪費的な仕事がつねに多すぎることは、衰退をもたらさざるをえない。しかし現代の機械工業はきわめて高い生産能力をもっているために、消費的な職業が存在したり浪費的な支出をおこないうる余地が、はなはだ大きい。生活資料全体の需要は、現代的方法による可能な財貨生産高にはるかにおよばないから、無駄で寄生的な所得にたいするきわめて広い余地が残るのである。したがって、経済生活の初期の段階の歴史から引き出される、産業の消耗にもとづくそのような衰退の実例は、現代の産業社会がこの点について、どうなるかということにたいするぴったりとした教訓とはならない」。
 
 「二十世紀もあと二十年近くで終るところまできた今日、この余裕分が結局は汲み尽くされるのではないかと疑う余地が十分ありそうだ。実は、これこそが、現代の危機の核心をつく問題なのである」。
 
 21世紀に入ったが、やはりこの問題は、相変わらず、重要性を持っている。「対テロ戦争」に突入したアメリカで、軍需産業は、相変わらず、重要な地位を占め、政権内に、チェイニー・ラムズフェルドなどの利害代弁者を飼って、軍需産業への需要をつくりだしている。こうした危機から目をそらして、今日の『日経新聞』社説は、数パーセント台の成長率が数年続いていることを、サッチャーイズムやレーガノミズム、小泉構造改革路線のおかげであるかのように賛美している。その小成長のために、人々の生活がどれだけ大きい犠牲を払わされたか、それが社会にどれだけの悪影響を与えたか、等々については、すっかり目をふさいでいる。英仏は成長したが、独仏は低迷していると成長率という数字上の比較だけによって、人々の生活水準や幸福度を測ろうとしている。高福祉国家スウェーデンの好調な経済については無視している。こんなかたよったでたらめ話をはずかしげもなく書くようになったら、おしまいだ。ましてや真実を追求するとされてきたジャーナリストがそれをやったら、ジャーナリズムの魂が死んでしまう。   

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