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2006年10月

教育改革論議について

 先日の週銀教育基本法特別委員会での質疑で、民主党の質問者が、イギリスの教育改革を例にして、同じような教育改革を日本にも導入するように、主張していた。サッチャー改革は、保守系改革論者たちが、高く評価しているものだが、その教育改革とはどういうものなのだろうか? それを調べてみて、与党の教育基本法案のなかに、それと共通する概念がいくつか盛り込まれていることがわかった。例えば、イギリスの「教育水準局」が、教育水準の保障という概念として入れられている。「第五条(義務教育)(3)国および地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担および相互の協力の下、その実施に責任を負うこと」。
 
 サッチャー英政権による教育改革は、1988年の「教育改革法」に始まる。それによって、それまで地方や学校に委ねられてきたカリキュラムを中央政府が中央集権化して決定し、読み書き計算学力を伸ばすために、全国学力テストを実施して、その到達度を測り、また、それによって、学校を評価し、目標達成度に応じて、信賞必罰の方策をとって、学校間競争が激化した。サッチャーイズムは、経済分野における自由競争主義と社会分野への国家介入強化を特徴とする。サッチャーは、個人と国家の間にある社会分野の弱体化を目指した。しかしそれは、まったく空想的であったから、ブレア労働党政権が、コミュニティー重視の政策に転換することで、基本的に修正された。その他の政策を継承しているといっても、もっとも基本的な部分で大きな修正があったのだから、その点では、サッチャーイズムとは大きく異なるのである。
 
 1992年保守党メージャー政権の教育法では、「教育水準局」が設置され、その後、監督制度が整備される。これで、サッチャーが目指した教育の中央集権化が完成したといわれているという。しかし、この改革によって、日本同様、モラルの低下、学力主義への傾斜、格差拡大・固定化、などの諸問題が深刻化しているという。ブレア労働党政権は、基本的な教育政策を前政権から受け継いだが、ウェールズでは、ナショナルテストへの不参加を表明するなど、学力主義に偏ったサッチャー改革の基本的枠組みから離れる動きが広まっているようである。
 
 サッチャーの教育政策の目的は、「アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局」http://www.jca.apc.org/stopUSwar/index.htmlの「イギリス「教育改革」の悲惨な実態とその破綻」によると、①「教育改革法」の制定、②「自虐的な偏向教育の是正」、③全国的なナショナル・テストの実施で、右派保守派は、これに飛びついて、日本版サッチャーイズム教育改革を目論んでいるようである。しかし、サッチャー政権は、「教育改革」に当たって、ナショナルカリキュラムを導入するために、日本の学習指導要領に学ぶために、日本に教育視察団を送ったというのだから、皮肉な話である。②については、まさに、「自虐史観」・「自虐教科書」批判キャンペーンで右派が行ってきたことのもとになっているもので、なんのことはない、イギリスの物まねである。欧米か! 

 サッチャー教育改革は、社会的なものに敵意を燃やして破壊し、強い個人と強い国家を再生しようとしたわけだが、その基礎には、宗教教育の強化、キリスト教的個人主義の強力な文化的力の存在があることは言うまでもない。そういう一神教的伝統がない日本で、それをそのまままねしようとしても無理がある。例えば、いくら校長個人に権限を集中拡大させて、個人としてのリーダーシップを発揮させようとしても、結局、個人化された校長は、上と下の間にはさまれて苦難に陥ると、自殺という形を取る場合が日本ではよくある。しかし、実は、イギリスでも、校長個人が強いリーダーシップを認められているが、その重責に堪えきれず、辞める人が多く、なり手がないという。
 
 ブレア労働党政権は、地域・家庭・学校のパートナーシップの確立を目指し、サッチャー教育改革を修正した。しかし、基本的な部分は前政権を踏襲した。折衷である。
 
 日本の民主党議員が、今、崩壊しつつあるイギリスの教育制度をどうして立派なもののように考えて、その導入をはかろうとしているのかが、理解できない。イギリスは関係ないだろう。今は、現実に教育が直面している課題への解決策を、現場から学びつつ、見出していくべき時だ。教育基本法をいじっている場合ではない。教育再生会議は、すでにある教育改革策を急いで実現するべきだと主張していた『産経新聞』でさえ、「いじめ」自殺事件の続発などを受けて、「安倍内閣の教育再生会議では、こうした現在の教育現場が抱える問題を幅広い視野で議論すべきだ」と書いている。
 
 与党側は、すでに十分な審議時間を取ったとして、早期成立をはかるつもりらしいが、その前に、今、現実に起きている教育現場での問題解決につながるかどうかを含めて、さらに実態をよく把握した上で、慎重かつ徹底的に議論を尽くすべきであることは明らかである。『毎日新聞』社説が言うように、「教育基本法改正論に対しては「それで現場の難問が解決するのか」という異論が常にある。推進派もそれに答える意味で、眼前にはだかる現実問題とまず向き合い、国民的論議に広げていくべきだ。それが、ひいては法の改正をめぐる論議に厚みをもたせることにもなる」。

 【主張】いじめ自殺 死に急いだら負けになる

 北海道と福岡県に続き、岐阜県瑞浪市でも、中学2年の女子がいじめをうかがわせる遺書を残して自殺した。子供たちの心に連鎖反応が起きているとすれば、対処を学校だけに任せず、社会が力を合わせて連鎖を断ち切らねばならない。

 岐阜県のケースでは、自殺した生徒の両親が「明らかにいじめがあった」と主張しているのに対し、学校は「いじめの事実は確認できていない」としている。遺書の内容や部活動での同級生の言動などをよく調べ、自殺の動機や背景を解明してほしい。

 この種の問題が起きると、マスコミなどは往々にして学校の責任を集中的に追及しがちである。「先生はなぜ、いじめの兆候に早く気づかなかったのか」「校長はなぜ、いじめを隠そうとするのか」…。先生がいじめに加担した福岡県筑前町のような事例は別として、大半のいじめ問題は学校だけに責任を負わせても解決しない。

 作家の曽野綾子さんは本紙のコラム「透明な歳月の光」(30日付)で、こう書いている。「私が違和感を覚えるのは、だれが悪いという犯人探しである」「自殺した当人も親も先生も、いじめをした側の当人も親も先生も、そして同時代の社会全体も、共に責任の一端を担うべきだろう」

 その通りである。ただ、責任の軽重はなくはない。いじめた生徒とその親たちの責任はやはり重い。厳しい反省が求められる。

 いじめ問題に限らず、教育は、学校と家庭、地域社会の3者の協力によって成り立っている。近年、共働き家庭の増加もあって、親が行うべきしつけまで学校に頼るようになった。いじめっ子をしかる近所の怖いおじさんも少なくなった。学校に負担をかけすぎた面を反省する必要がある。

 もちろん、だからといって、学校が生徒指導に手を抜いていい理由にはならない。

 安倍内閣の教育再生会議では、こうした現在の教育現場が抱える問題を幅広い視野で議論すべきだ。

 自殺は、いじめに屈して負けを認めるようなものだ。真相も分からなくなる。曽野さんが指摘するように、いつかはいじめた相手を見返すくらいの気持ちをもって、心身共に強く生き抜いてほしい。

 社説:教育基本法改正 机上論争の前に現実に目を

 「愛国心」などを争点にする教育基本法改正案の実質審議が30日、衆議院の特別委員会で再開した。議論がともすれば空疎に響くのはなぜだろう。社会や教育界で現実に起きている緊急問題や矛盾とかみ合わないからだ。

 立て続けに表面化したいじめ自殺や高校の大量未履修は、今の日本の教育の骨格を揺るがす問題をはらんでいる。

 いじめに追い詰められた子供の遺書を無視した北海道の教育委員会、教師が率先していじめた福岡の中学校。これらは戦後の学校教育の基本的仕組みである教育委員会制度や教員の資質チェック機能に不信を広め、教委廃止論や教員免許更新制論に弾みをつけた。

 文部科学省は異例の現地調査を踏まえ、全国の教委の担当者を集めていじめの隠ぺい防止と対策改善を強く指示した。その足をすくうように岐阜県で23日、女子中学生が自ら命を絶つ事件が起きた。

 事前の様子や遺書はいじめを示唆するが、学校側の説明は二転三転し要領を得ない。「『ウザイ』などのからかう発言はいじめに当たると思うが、自殺につながるかは推測の域を出ない」。この説明は、いじめは受けた子の身になって判断し対処するという90年代からの共通基準にも反している。

 未履修は、学習指導要領や高校教育とは何か、さらに学力、教養とは何かまでも問う。横行の理由(言い訳)が入試準備のためだから、そんな入試をやってきた大学の責任でもある。問題はわが国の「最高学府」の中身と質まで問うているといっていい。教育基本法改正論に対しては「それで現場の難問が解決するのか」という異論が常にある。推進派もそれに答える意味で、眼前にはだかる現実問題とまず向き合い、国民的論議に広げていくべきだ。それが、ひいては法の改正をめぐる論議に厚みをもたせることにもなる

 文科省は、学校側の指導で未履修組になった生徒も、正直に履修した生徒も混乱の被害者であり、できるだけ不公平感のない措置をするという。ぜひそうしてほしい。だが、乗り切った後、問題の論議を打ち切って幕を引くようなことがあってはならない。

 一連の問題は子供たちに不幸、不運を重ねながら次々に浮上した。その痛ましさや影響の大きさから、教育状況に対する国民の関心はこれまでになく高い。そこで与野党に提案したい。教育基本法改正案の審議も当面は逐条的な論争ではなく、こんな連鎖的な教育危機ともいうべき状況の中で教育の基本問題を真摯(しんし)に考え、率直に論議する場にすべきではないか。

 そうした社会の空気を背景に、30日の審議で、法案だけではなく、いじめや未履修について質問や意見が相次いだのは自然だろう。しかし現実先行の中で、とらえ方はまだ浅く、社会の不信や疑念、不安に答える内容にはほど遠い。また法案阻止の時間稼ぎの方便にこの論議が利用されてはならない。そうした駆け引きは不信を大きくするだけだろう。

 一方、教育基本法改正論に対しては「それで現場の難問が解決するのか」という異論が常にある。推進派もそれに答える意味で、眼前にはだかる現実問題とまず向き合い、国民的論議に広げていくべきだ。それが、ひいては法の改正をめぐる論議に厚みをもたせることにもなる。(『毎日新聞』2006年10月31日)

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教育基本法「改正」論議再開

 今日、衆議院の特別委員会で、教育基本法「改正」の議論が始まった。

 しかし、高校での必修科目未履修問題の発覚や「いじめ」事件が相次いだこともあって、これらの問題に対する討議が続いた。民主党は、「日本国教育基本法案」という対案を対置したのだが、それも多くの問題を含んでいる。その一つが、格差問題との関連である。それについて、大内裕和氏が、『毎日新聞』に書いている。
 
 氏は、与党法案では、教育基本法の重要な理念の一つである「教育の機会均等」を破壊し、格差社会を助長する危険性があるとしている。
 
 同法第3条で、「「能力に応ずる教育」となっていた文言が、政府法案では「能力に応じた教育」へと変えられている。「能力に応ずる教育」は、「発達の必要に応ずる教育」と解釈され、その時点での能力の格差を是正する方向で教育機会を保障することが目指されていた。しかし「能力に応じた教育」は、能力の上下によって教育機会が差別的に配分されることを容認する表現である。これでは教育の機会不平等が促進されてしまう」というのである。「応ずる」という表現は、何かに対して反応するという意味合いがあるが、「応じた」は、合わせたという意味合いがあるように思う。つまり、前者は、「能力に対応して」教育をするということで、後者は、「能力に合わせて」教育するという感じである。
 
 さらに、政府案第5条の2は、義務教育では、「各個人の有する能力を伸ばしつつ」という文言があり、それが、格差を拡大する危険性が高いと氏は言う。この時期の子どもの能力が、家庭や地域などの環境に大きく左右されるからである。
 
 確かに、この「改正」案には、能力主義の色が濃い。それに対して、民主党の対案の方は、心の教育・人格形成に重きを置いている。与党案の場合は、小泉総理の合理主義・能力主義的な価値観が強く反映している。中曽根前文案が、小泉総理の鶴の一声で、不採用となったのである。その他、公明党との関係もあって、愛国心についても、明記されなかった。
 
 また、宗教教育が道徳心の形成に必要だというが、宗教が、非道徳的な教えを持っている場合は少なくない。それに、宗教団体の多くが教祖や幹部の腐敗堕落を起こしている。そして歴史教育の重要性ということも言われるが、消えてしまったものについての認識を愛して、現実の郷土を愛さないというものにすぎない。公共心の涵養というのもあるが、そもそも公とは何であり、なにを学ぶことが、公共心を育むことになるのか? 恣意的政治的に政府与党の都合のいい内容が後から与えられ、詰め込まれるだけではないのか? いろいろとはっきりしないことが多く、この議論には、とても多くの時間がかかることは間違いない。
 
 「愛国心」をめぐるイデオロギー的な観点だけではなく、大内氏が政府与党案の能力主義を取り上げ、それが格差拡大につながるというのは、重要な指摘である。民主党案は、人格形成に重きを置きつつ、なお愛国心を明記するのは不要である。愛国心があるのは当然だという人は、あまりにも当たり前のものをわざわざ明記する必要はないし、そういう省略は日本語の場合には普通にあることだ。それに反対する者がいるから、明記するというのは、政治闘争の次元の問題で、教育の本質からはずれた話である。
 
 政府与党案・民主党案を読んでみても、とくに現行教育基本法以上の高い内容を持っているとは思われない。「改悪」をやる必要などまったくないので、教育基本法与野党案への「改正」には反対である。

  06年10月29日『毎日新聞』「21世紀を読む 教育基本法「改正」 格差社会を助長するおそれ 大内裕和」

 臨時国会の最重要法案になっている教育基本法「改正」法案は、特別委員会の本格的な審議が30日から始まる。前の通常国会で注目されたのは「愛国心」をめぐる議論であった。「愛国心」通知表など、その評価の是非や「思想及び良心の自由」との関わりで論争が行われたことは記憶に新しい。しかし、同法「改正」の重要な論点であるにも関わらず、まだ十分に審議されていない問題がある。それは同法「改正」と現在大きな問題となっている格差社会との関係である。

 教育基本法の重要な理念の一つに「教育の機会均等」がある。戦前は男女や経済力による教育の格差が明確に存在していた。それに対してすべての人に平等な教育機会を提供することが、教育基本法の理念に盛り込まれた。しかし政府法案は「教育の機会均等」を破壊し、格差社会を助長する危険性をもっている。
 
 現行法では「能力に応ずる教育」となっていた文言が、政府法案では「能力に応じた教育」へと変えられている。「能力に応ずる教育」は、「発達の必要に応ずる教育」と解釈され、その時点での能力の格差を是正する方向で教育機会を保障することが目指されていた。しかし「能力に応じた教育」は、能力の上下によって教育機会が差別的に配分されることを容認する表現である。これでは教育の機会不平等が促進されてしまう。
  それに加えて政府法案第5条「義務教育」には、現行法第4条(義務教育)にない新たな条文がある。
 
 政府「改正」法案第5条「義務教育」
  2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を奪うことを目的として行われるものとする。
  3 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を維持するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実現に責任を負う。
 
 第2項の「各個人の有する能力を伸ばしつつ」との文言は、義務教育における格差拡大をもたらす危険性が高い。義務教育段階での「能力」は特に、家庭や地域などの子どもを取り巻く環境に強く影響される。この時点での「能力」の違いを所与の条件としてそれぞれの子どもを伸ばしていくのであれば、義務教育の重要な役割である平等化は放棄され、出身家庭や出身地域による教育格差が拡大し、階層の固定化がもたらされるだろう。
 また第3項の「水準を確保」という文言は、義務教育における競争や能力主義を一層押し進める。文部科学省は07年4月に、小学校6年生と中学校3年生の全員が参加する全国学力テストを実施する。これによりすべての都道府県、小中学校、生徒に順位をつけることが可能になる。このテストなど「水準を確保」することを目指す教育政策が、義務教育段階での競争と格差を全国規模で強化するだろう。教育基本法「改正」が格差社会を助長する危険性はきわめて高い。
 毎日新聞が05年12月に実施した世論調査では、親の所得など家庭環境によって、子どもの将来の職業や所得が左右される「格差社会」になりつつあると思う人は6割を超えている。多くの人が危惧している格差社会と教育基本法「改正」との関係について、臨時国会で十分な議論が行われることが強く望まれる。

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『毎日』社説「学力低下 「ゆとり教育」を責める前に」

 この社説は、なかなかいい。近年、「ゆとり教育」の弊害を指摘する声が高まっているが、そういうときこそ、はたしてそうなのかをしっかりと検証するべきだというのである。まず、そもそも学力とは何かである。

   「ゆとり教育の始まりは約30年前。経済成長や技術立国政策を背景に学習内容が膨れ、授業についていけない子が増える一方、知識詰め込みの弊害が指摘された。勉強嫌いを生み、また暗記中心で、自分で考えて判断し対処する力が育っていないという反省である」。そこで、1977年の学習指導要領に「ゆとりの時間」が盛り込まれ、その後、紆余曲折を経ながら、現在、「総合的学習の時間」が小中高の授業に組み入れられている。

 「確かに各種の部分的調査は学力低下傾向を示している。だが、客観的で明快に割り切れる物差しはなかなかない。学力の定義もまちまちなうえ、判断の土台になるデータも少ないという事情もある」。定義が定まらず、さらにはデータが少ないとなると、なんとなく学力が低下しているようだという印象や雰囲気にながされる可能性が高まる。
 
 「例えば、03年国際比較調査で15歳の読解力が前回の8位から14位に落ちた。これをどの程度深刻に受け止めるべきか。04年の学力調査では、新学習指導要領で学ぶ子がむしろ前の世代より高い成績を出した。どう解釈すればいいか」。近接する時期に行われた学力調査の結果が異なる。どちらが現実を正確に反映しているのか? それがはっきりしないと、一方のデータだけを取って、対策を取れば、間違いになる可能性がある。

 「確かに、ゆとりが目覚ましい成果を上げたという実感はないし、若者の学習意欲や教養面で退行を感じる人は多いだろう。読み書き計算という最も基礎的な力が危うく、分数もできない大学生が珍しくないという指摘も深刻だ」。しかし、それは「ゆとり教育」のせいだろうか? 「実態をみすえよう。学力が落ちているとしても、授業を削減したことだけが原因とは思えない。価値観や少子化など社会環境、産業構造の変動といった多面的要素を踏まえ分析しないと、見えてこないものがあるのではないか」と社説は言う。

 「一律のペーパーテストに頼る調査は学力の一部しか見ない。ゆとり教育が目指した「自分で考え、解決する力」という学力はどこまでできたのか、できなかったのかも検証してほしい。それには、現場の先生たちの体験・意見集約や子供たちの追跡調査のような手間をかけた方法が必要だ」。確かに、ペーパーテストではかられるのは主に記憶力であって、それだけを学力とみなすことはできない。「自分で考え、解決する力」をどうはかり、どう評価するか? これはなかなか難しいことではあるが、チャレンジする意味はある。
 
 『朝日新聞』などが、履修不足問題には、生徒に責任はない、受験に悪影響が出ないようになんとか救済をと主張するのには、疑問を感じる。確かに生徒には責任はない。こうした苦難への対応にこそ、「自分で考え、解決する力」が必要である。それを正当に評価する仕組みがないのが問題なのである。そのことは、しかし、政治・文部科学省・教育委員会・学校当局こそが、生徒以上に試されていることである。もちろん、その責任は重い。

 今は非常事態であるから、特例による緊急の救済策などを行うのはよいとしても、「その必要な難儀を避け、手間を省くなら、初めから「無用」と必修科目の教科書さえ買わなかった高校と発想レベルは変わらない」ということも忘れてはならないと考える。「一律のペーパーテストに頼る」学力観が、狭すぎて、現場で行き詰まったからこそ、「ゆとり教育」への転換が図られてきたのであり、「学校の授業を30年以上前に戻せば解消される」ということはありえない。

 社説:学力低下 「ゆとり教育」を責める前に

 「教育再生」をうたう安倍晋三・新政権発足に合わせたように、学校教育現場の問題や矛盾が相次いで露呈している。中でも必修規定を無視して大学受験を最優先させる高校の実情は、改めて学力をめぐる論議を刺激するに違いない。

 ここでまた「ゆとり教育」がやり玉に挙がろうとしている。問題の高校の校長らは「授業時間が減ったので、入試に関係のない科目をする余裕はない」と弊害を言う。著書「美しい国へ」で「ゆとり教育の弊害で落ちてしまった学力は、授業時間の増加でとりもどさなければならない」と記す首相はいっそう意を強くするだろう。

 だが、ゆとり教育排除を急ぐ前に、その精緻(せいち)な分析検証をすべきではないか。そもそも学力をどう見極めるのか。それも十分に論議されてきたとはいい難い。

 ゆとり教育の始まりは約30年前。経済成長や技術立国政策を背景に学習内容が膨れ、授業についていけない子が増える一方、知識詰め込みの弊害が指摘された。勉強嫌いを生み、また暗記中心で、自分で考えて判断し対処する力が育っていないという反省である。

 1977年の学習指導要領改訂で「ゆとりの時間」が登場し、今日まで曲折を経ながら教科学習量をスリムにする路線が続く。現在週5日制で、教科学習ではない「総合的な学習の時間」が小・中・高校の授業に組み込まれている。

 確かに各種の部分的調査は学力低下傾向を示している。だが、客観的で明快に割り切れる物差しはなかなかない。学力の定義もまちまちなうえ、判断の土台になるデータも少ないという事情もある。

 例えば、03年国際比較調査で15歳の読解力が前回の8位から14位に落ちた。これをどの程度深刻に受け止めるべきか。04年の学力調査では、新学習指導要領で学ぶ子がむしろ前の世代より高い成績を出した。どう解釈すればいいか。

 確かに、ゆとりが目覚ましい成果を上げたという実感はないし、若者の学習意欲や教養面で退行を感じる人は多いだろう。読み書き計算という最も基礎的な力が危うく、分数もできない大学生が珍しくないという指摘も深刻だ。

 ただこれが本当にゆとり教育のせいか。学校の授業を30年以上前に戻せば解消されるだろうか。

 実態を見すえよう。学力が落ちているとしても、授業を削減したことだけが原因とは思えない。価値観や少子化など社会環境、産業構造の変動といった多面的要素を踏まえ分析しないと、見えてこないものがあるのではないか。

 一律のペーパーテストに頼る調査は学力の一部しか見ない。ゆとり教育が目指した「自分で考え、解決する力」という学力はどこまでできたのか、できなかったのかも検証してほしい。それには、現場の先生たちの体験・意見集約や子供たちの追跡調査のような手間をかけた方法が必要だ。

 その必要な難儀を避け、手間を省くなら、初めから「無用」と必修科目の教科書さえ買わなかった高校と発想レベルは変わらない。(『毎日新聞』2006年10月29日) 

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『日経』、法人税減税を求める

 27日の『日経新聞』社説は、法人税減税について書いている。

 この社説では、財政再建と持続的な経済成長のために、日本企業と外国からの対日投資を促すのがいいという理由が挙げられている。それによって、技術革新と生産性向上が後押しされ、雇用を増やすことになるという。

 日本の法人に課せられている実効税率は、法人住民税、法人事業税を加えて、40・69%で、アメリカのカリフォルニア州の40・75%とほぼ同じ、しかしフランス(33・33%)、イギリス(30%)よりは高い。ドイツは、39・9%だが、29%台に引き下げる予定だという。韓国(27・5%)などアジア諸国は低い。

 こうして数字を並べてみると、まず、ユーロ圏の西欧諸国が、だいたい30%前後で横並びになっていることがわかる。これは、EU統合の過程で、経済条件を統一しようとする動きの現れと見ることができる。法人税率の各国ごとの格差が大きすぎると、投資の偏りが生まれて、それが地域間格差を拡大して、EU経済統合を掘り崩すかもしれないからである。

 第二に、アメリカは、比較的に順調な経済成長を続けてきたが、海外からの対米投資が盛んであったこともその要因になっている。ハイテク産業が多く立地するカリフォルニア州の法人への実効税率は日本よりも高いにもかかわらず、海外からの投資が行われてきたわけで、アメリカとの比較では、日本への海外からの投資が少ない理由は、税率にあるということは言えないだろう。

 アジア諸国の場合、アジア通貨危機があり、とくに韓国は、1990年代後期の国家破産→IMF管理という過程を経ていて、それ以降、国内経済政策が海外からの強い干渉を受けるようになっていて、こういう低い税率になっているのだろう。もちろん、海外からの投資を呼ぶためということもあるだろう。しかし、アジア諸国では、こうした低法人税率では、国家財政は苦しいだろうし、タイで、タクシン前首相が、農村への政府資金のばらまきで人気を得たのも、少ない税の配分を農村に厚くしたことによるのだろう。それに対して、都市部の住民が今度は、軍のクーデターを支持して、都市対策の充実を求めたのだろう。

 それぞれ条件の違う諸国と、法人税率の数字のみを比較したところで、有意義な議論は得られないだろう。

 「税負担は企業が投資先国を決めるときの1つの要素だが、無視できるほど小さくはない」のは確かだろう。しかし、「外国からの直接投資残高の国内総生産比をみても、日本は2%で、軽税率国の英国(33%)、フランス(26.1%)などに比べ著しく低い」というのは明らかに恣意的なデータ操作である。アメリカと比較するとどうなるのか? アメリカには明らかに日本よりはるかに多くの海外からの投資が行われている。したがって、法人税率のみが、投資の基準というわけではなく、その他の様々な要因がこれには関わっていると見るべきである。『日経』の場合は、シュンペーター的な投資の規定を取っているようなので、技術革新・生産性向上といったイノベーションの可能性があるかどうかというのが、基本的な投資への誘因とされている。ケインズ的な投資決定要因については完全に無視されているが、投機的要因や貨幣的要因なども働いているのは事実だから、これらを無視するわけにはいかない。なによりも、投資の理由は、利潤の取得である。

 『日経』は、まず、減価償却を100%認めるようにしろという。現行は95%だから、最低でも4000億円の減収になるという。それから、「液晶パネルや半導体の製造設備など、実際の使用年数が法定耐用年数より短いものは、法定耐用年数をただちに短縮すべきである。設備や建物全体の法定耐用年数の見直しやその際の年々の償却率も検討課題だ」という。法律で決まっている設備や建物などの固定資本の償却年数が実際と合っていないし、年々の償却率があっていないのを直せという。この見直しによって、法定耐用年数が一方的に減るだけなのかどうか。逆に増えるものも出てくるのではないか? これは実際、調べてみなければ分からないのだが、『日経』は、一方的に減ると決めつけている。これは、実際には耐用年数に達する以前に、新しい機械や設備に変えることが多いという実態に合わないということから来ているのかもしれない。これは、第Ⅰ部門(生産手段生産部門)の生産力が巨大なことが背景にある。生産設備は、もっと長く使えるのに、それ以前に、生産設備の更新が行われているわけである。そこに、「企業の投資を促す」と、さらにこのサイクルは短くなるだろう。

 「法人税率(30%)は1%減税で4000億円程度の減収となる」わけだが、『日経』は、経済成長は雇用増大につながり、それは個人の利益になるという見事な図式を描いて終わる。しかし、経済成長がそれほどの雇用増大にならないというのがこのところの先進国共通の状態である。しかも、なるほど、雇用が増えても、低所得層が増えていくという格差社会化が進んでいく。アメリカでは、共和党ブッシュ時代に、金持ち減税などをしたり、いろいろな要因があって、しばらくは好調な経済成長を続けてきたし、その間に、失業率も多少の改善が見られた。ところが、中間層に増税・保険負担増・公共料金値上げなどの負担増をかけたことから、中間層が、共和党離れを起こし、民主党支持に回りつつある。下層がブッシュ政権下でどういう状態であったかは、ハリケーン・カトリーナの被害を受けたニューオリンズなどの実態を見れば、誰の目にも明らかである。見捨てられたのである。

 そういうわけで、経済を数字をあれこれいじって見て論じるなどというのは、ばかげたことである。『日経』が、一部少数の強者たる財界の代弁者になって、法人税減税議論の先頭を切ろうとしているのは明らかだが、一部少数以外の人々には、こんな抽象的数字いじりに説得力がないということは確かである。

  『日経新聞』社説1 成長持続へ法人税減税の議論深めよ(10/27)

 大田弘子経済財政担当相は今週初め、法人税率引き下げを含む法人の税負担軽減の必要性に言及した。財政再建のためにも持続的な経済成長をめざすとすれば、日本企業の投資や外国からの対日直接投資を促して技術革新や生産性向上を後押しするとともに雇用を増やすことが大切だ。法人税減税はそのための有力な方策である。できるものから早く実施する方向で議論を深めてほしい。

 法人税に地方税の法人住民税、法人事業税を加味した実効税率は40.69%。米国の40.75%(カリフォルニア州)とほぼ同じだが、フランス(33.33%)や英国(30%)に比べると高い。ドイツは39.9%から29%台に下げる方向だ。また韓国(27.5%)など日本以外のアジア諸国は低く、日本企業が工場を移す一因でもある。

 税負担は企業が投資先国を決めるときの1つの要素だが、無視できるほど小さくはない。外国からの直接投資残高の国内総生産比をみても、日本は2%で、軽税率国の英国(33%)、フランス(26.1%)などに比べ著しく低い。世界的に投資誘致競争が続くなかで対日投資や日本企業による国内投資を促すため、法人の税負担軽減は重要である。

 法人税率の引き下げは減収額が大きいこともあり、下げ幅などについて来年の参院選後に消費税や所得税などの扱いと一緒に議論するのはやむを得まい。だが設備などの減価償却制度は来年度に見直すべきだ。まず償却を95%しか認めていない問題。米、英、独、仏は全額償却を認めている。5%分を一気に償却すると最低でも4000億円の減収になる。財政や一部企業への影響が大きいなら数年に分け実施する方法もあろう。

 液晶パネルや半導体の製造設備など、実際の使用年数が法定耐用年数より短いものは、法定耐用年数をただちに短縮すべきである。設備や建物全体の法定耐用年数の見直しやその際の年々の償却率も検討課題だ。できるだけ企業の投資を促すような方向で改革するよう期待したい。

 法人税率(30%)は1%減税で4000億円程度の減収となる。消費税や所得税を増税するときは「なぜ法人税だけ下げるのか」という声が出てこよう。内外からの投資が増えれば経済が成長し、雇用の増大など結局は個人の利益になることを忘れてはならない。法人税の負担軽減によって高めの経済成長を維持できるなら消費税の増税を小幅にできるかもしれない。それらを含め、今後の様々な問題を解消しやすくするという大きな観点から税制を考えたい。

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高校での必修科目履修不足問題

 大新聞が、一斉に社説で、高校での必修科目履修不足問題を取り上げた。事件を起こした学校のルール違反を非難しているのは、すべて共通である

 『産経』「履修逃れ 公教育は受験だけではない」、『読売』「[高校「必修」逃れ]「受験偏重が招いたルール無視」」、『朝日』「必修漏れ 生徒にしわ寄せするな」、『東京』「高校履修漏れ ルール無視は教育でない」、『日経』「履修漏れで問われる学習指導要領」、『毎日』「架空履修 全国の実態を明らかにせよ!」。

 『毎日』は、「もっと巨視的な見方や提起もあってよい。/例えば、世界史を知らず、あるいは日本の歴史を語れず、自然と社会を地理学的にとらえる視点がない、そのような人材育成に高校教育が甘んじていていいのか。選択より必修を増やすべきではないか、と。一方、大学入試科目のあり方も問うべきではないか、とも」と、これを契機に教育改革論議につなげるべきだと主張する。「今回の問題で学校側は「生徒が望んだ」というが、そんな言い訳は通らない。生徒や親が誤ったとするなら、それを教え諭すのが教師だ。事を軽視し、イージーな選択でルールを曲げ、揚げ句は多くの生徒たちの卒業資格を危うくした学校側の責任は小さくない。/その一点をもってもこの問題は深刻に受け止めるべきで、転じて実りある改革の礎としたい」と主張する。

 『朝日』は、「必修科目をきちんと学んできた他の高校の生徒たちは、「不平等だ」と怒るに違いない。その気持ちはよくわかる」としながら、「必修漏れの生徒がこの時期に受験でしわ寄せを受けるのは忍びない」として、「必修科目を勉強しないまま卒業した生徒は過去にもたくさんいたはずだ。こうした生徒をどうするか。本来なら卒業できないのだが、いまさら蒸し返すのは現実的ではあるまい」と主張する。しかし、必修科目をきちんと受けた上で、受験した生徒たちは、どうなるのか? その生徒たちが、受験で不利を受けために試験に落ちた、どうしてくれると訴えたら? 「まじめに努力した者が報われる社会を目指す」というスローガンはどうなるのか?

  なるほど、『朝日』の言うように、すでに卒業してしまった者に、改めて、卒業を取り消すだの、必修科目を履修させるというのは、極めて難しいことだ。しかし、多くが進学校であったことを考えると、卒業生の多くが、大学に入っている可能性が高いのだから、なんらかの打つ手があるかもしれない。一応、それを具体的に考えてみる必要がある。その上で、どうしようもないという場合にだけ、特例を認めるということにすればいい。『朝日』は、あきらめが早すぎる。なるほど、これを契機に背景などについて考えてみるのはいいことだ。しかし、「大学は入試の科目と問題を指導要領に沿ったものにする。指導要領は共通に学ぶべき内容を厳選する。公立校に週5日制を義務づけている法令もゆるやかにする」というのは、明らかに二重基準であり、混乱の元である。大学入試科目を減らすなら、公立校は週5日制でよいし、それに私立を合わせるのがいい。全体に、『朝日』は、エリート主義的で、それは、公教育というあらゆる階級階層がいる場にふさわしくない。

 『読売』は、「受験科目以外の教科を学ぶ必要性を、生徒に説得することが教師の役目だったのではないだろうか。「受験に不要」の理屈がまかり通れば、体育や芸術、家庭科などの授業も意義を失うことになる」、『産経』は、「高校は予備校と違い、社会生活に必要な幅広い知識やマナーを身につけさせる公教育の場である。受験対策も大切だが学習指導要領に定められた必修科目はきちんと履修させてほしい」と述べ、高校教育の目的は、受験科目だけではなく、もっと幅広い知識やマナーの収得にあるという点を指摘している。

 ただ、両紙は、必修科目に日本史を入れるという最近の保守派の考えをにじませていて、この問題の本質ではないところに議論をそらせるようなやり方をしている。必修科目が世界史か日本史かなどということは関係なく、受験科目に合わせて必修科目を履修させなかったことが問題なのである。どんな教科が必修となっても、同じことが起きるということである。なんで関係ない話をついでのようにちょろっと入れるというような姑息なことをしてしまうのだろう。

 単純に考えると、すでに必修に当てるべき時間を受験科目の学習にあてていた高校の受験生とそうでない受験生の間には、倍の差がついていることになる。もちろん、試験の成績は、実際には、授業時間数に単純に比例するわけではないだろうが、それでも競争条件に不平等が生じたのは間違いない。すでに受験科目で進んでいる方にハンデをつけるか、まじめに必修科目をすべてこなした不利な側の受験生に特別な配慮をするなりして、入試の競争条件をできるだけ平等にならすことである。事件が発覚した以上、これらの進学校などでずるがあったことは、そうでないところの高校でも知ったのだから、その情報をもとに、新しい対策を立てることが可能である。全高校に特例として、これ以上の必修科目の履修を中止して、受験科目の授業に振りかえることを認めるか? いずれにしても、問題は深刻で、教育再生会議の議論にも影響が出ることは必至である。『産経』『読売』は、迅速に結論を出すように主張していたが、そうはいかなくなったようだ。

 

<履修不足>「逸脱」の手段さまざま 学校側なりふり構わず(『毎日新聞』 10月27日)

 全国各地の公私立の高校に広がっている履修単位不足問題。単純に卒業に必要な科目を教えなかっただけではなく、「世界史的に地理を学んでいた」などの理屈で異なる科目を一体化させて履修させたことにしたり、表向きの時間割と実際の授業の内容が異なっていたり、学校によりさまざまな手段で「逸脱」が行われていた。「受験優先」のためには、なりふり構わない学校側の姿勢が浮かび上がった。【佐藤敬一】
 履修不足は最初に発覚した地理歴史だけではなく、情報や保健など多くの科目にわたっている。このうち、地理歴史では必修の世界史1科目に加え、日本史、地理から1科目を選択する計2科目履修しなければならないが、1科目しか履修させていなかった。
 栃木県の県立宇都宮女子高では「世界史的に地理を学んでいた」として異なる2科目を一体化させて教えることで2科目とも履修とした。県立大田原女子高でも理系の3年生80人が「地理の授業で世界史もまとめて学んだ」として地理Bと世界史Aを履修したことにしていた。
 2科目を合わせながらも内容が1科目だけに偏っていた学校もある。
 長野県立伊那弥生ケ丘高では、全員が1年時に地理を、2年時には世界史を履修した形になっている。しかし、2年時には(1)世界史だけを学ぶクラス(2)日本史と世界史を学ぶクラスに分かれ、(2)については事実上は日本史の授業が行われていたという。
 宮崎県立宮崎大宮高でも、社会科の授業で受験に必要な科目に絞った内容の授業が行われていた。児玉淳郎教頭は「受験を考えた時に絶対的に授業時間が不足しており、偏った内容の授業をしてしまった」と説明した。
 掲げた「看板」と内容が違っていたケースも多いとみられる。福岡県立鞍手高では、時間割では必修科目である世界史Aとなっていながらも、実際には地理Bの授業を行っていたという。
 静岡県立下田北高では、昨年度初めに教育課程表の「地理歴史」部分に2科目と書いて県教委に提出したが、実際は1科目しか履修させずに卒業させていた。村野好郎教頭は「受験科目を優先して指導したところ、もう一つの科目にいく前に卒業がきてしまった」と説明する。

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教育基本法改正を急ぐ必要などない

  26日の『読売新聞』『産経新聞』の社説は、そろって、教育基本法改正問題について書いている。どちらも、自民党と民主党が修正協議をした上で、妥協して、早く、法案を成立させろというものである。『読売』の方は、政争の具にしないで、早期成立を目指すよう促すというもので、基本法改正の意味や内容にはふれていない。

 『産経』の方は、現行の教育基本法が、GHQ(連合国軍総司令部)の圧力や干渉を受けたという押しつけ法であるという成立の経緯の問題、そして、「個人の尊厳」や「人格の完成」など世界共通の教育理念をうたっているが、肝心な日本人としてのありようがほとんど書かれていない」という教育理念に民族性がないという点を問題視している。

 その上、「学校でのいじめや家庭での幼児虐待など、荒廃する教育現場を根本から再生するには、今国会での成立が急がれる」と、まるで、これさえ成立すれば、これらの教育現場の諸問題が解決するように書いている。教育基本法は、魔法の杖と言わんばかりだ。愛国主義者の『読売新聞』『産経新聞』には、聖人君子ばかりがそろっているのか?!

 今、公立高校での必修科目不履修問題が発覚し、大問題になっている。どうやら2006年度からの新学習指導要領導入が契機になったらしい。大学入試センター試験でも、受験科目が減少しているが、もともと私立大学は、3科目受験が多いわけで、それに国公立大学が合わせていったということかもしれない。いずれにしても、これには、教育分野での競争の激化が影響していることは間違いない。下村官房副長官は、さらなる競争の導入を主張しているが。

 しかし、こうして、受験用の授業時間が倍になっているところとそうでないところでは、機会不平等が生じているわけで、競争条件が不等なわけだから、公正な競争試験にならない。問題は、深刻である。入試で、一方は有利になり、他方は不利になるからである。そればかりではない。そもそも教育が何のためにあるのかが、わからなくなってしまう。それは、「人格の完成」という教育基本法の理念にも反することである。ずるをしても勝てばよいということを、学校自らが実際行動で、教育してしまっているからである。こうして、不道徳を自ら教育してしまったわけだ。これでは、ホリエモンみたいな人間が次々と生まれてくることになって当然だ。しかも、こうして学校自体が、校長を先頭に、ずるく規範を破っても、結果を出して、勝ちさえすればよいのだという考えを広めていたのは、進学校のエリート候補生たちになのである。この人たちが、自分たちは、学校で、ルールに違反しても、結果さえ良ければいいということを実地で学んだとして、それをまねしたら、どうなるか? 第二第三のホリエモンになるだろう。目先の受験競争・学校間競争に目を奪われて、子どもたちの将来や教育のあり方や人格形成や社会のことなどについて、深く考えなかったこれらの学校と権限が強化されている校長をはじめとする学校管理職、それを見抜けなかった教育委員会、文部科学省の責任は重い。

 それに対して、「ダメ教師はやめていただく」と言って、教員統制強化や競争の導入、公立の「私学化」などというあり得ない夢話でお茶を濁し、何事か立派なことを言っているかのように錯覚している下村官房副長官のような人物は、足下をすくわれることになるだろう。何度も繰り返してきたように、成果主義に対する反省が始まっていて、サッカーも個人同士を競争させるジーコ型が日本チームには合わないので、チーム・プレイ重視のオシム・ジャパンに変わったのである。なんとも時代に遅れすぎている下村官房副長官であることよ!

 よっぽど良い改革でないかぎり、やるべきではないのだ。現行の教育基本法は、与党・民主党の改正案よりも、よっぽど良くできている。それを生かし切るのが先である。間違った改革は、すべきではない。与党案・民主党案どちらに変わっても、「学校でのいじめや家庭での幼児虐待など、荒廃する教育現場」が簡単に解決することはありえない。しかし、家庭での幼児虐待が、教育現場の荒廃とどう関連しているのか、この文章ではわからないよ『産経』さん!

 

【主張】教育基本法改正 民主は修正協議に応じよ 

衆院教育基本法特別委員会が再開され、政府の改正案と野党の民主党案について提案理由の説明が行われた。本格的な論戦は30日から始まるが、不可解なのは民主党までが政府案の成立に徹底抗戦の姿勢を示していることだ。

 政府案は自民党と公明党の与党合意に基づき、「我が国と郷土を愛する態度」などの育成をうたい、民主党案は「日本を愛する心」「宗教的感性」の涵養(かんよう)を盛り込んでいる。

  愛国心や宗教的情操教育では民主党案の方が踏み込んだ表現をしている半面、民主党の教育行政に関する規定には日教組などが介入する余地を与えかねないとの 批判もある。そうした違いはあるものの、両案は総じて共通点が多い。双方が知恵を出し合い、より良い案にすることは十分可能である。

 同じ野党でも、社民党と共産党は対案を持たず、教育基本法の改正そのものに絶対反対の立場だ。対案を出している民主党が、これらの少数野党と歩調を合わせるのは、建設的な野党として賢明な選択とはいえまい。

 過去に、与党と民主党の修正協議が実を結んだ例として、平成15年に成立した有事関連3法などがある。教育基本法は憲法と並ぶ重要な国の根本法規であるだけに、その改正案はできるだけ多くの国会議員の賛成を得て成立することが望ましい。

  野党4党は時間切れに追い込む作戦のようだ。しかし、先の通常国会で、すでに50時間の審議が行われている。与党は臨時国会であと30時間の審議を行い、 11月上旬には衆院を通過させたい意向だ。政府案は3年に及ぶ与党協議会での議論を踏まえ、民主党案も2年近い同党教育基本問題調査会で検討を重ねた。こ れ以上、いたずらに時間を費やすべきではない。

 現行の教育基本法は終戦後の昭和22年3月、GHQ(連合国軍総司令部)の圧力や干渉を受けながら成立した。「個人の尊厳」や「人格の完成」など世界共通の教育理念をうたっているが、肝心な日本人としてのありようがほとんど書かれていない。

 安倍内閣は、教育基本法改正を臨時国会の最重要課題としている。学校でのいじめや家庭での幼児虐待など、荒廃する教育現場を根本から再生するには、今国会での成立が急がれる。(10月26日『産経新聞』)

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教育再生論議その他について

 10月25日、教育再生会議の第2回会合が行われた。そこで、3つの分科会が設けられることが決まった。その一つが、教員免許更新制度である。24日の『毎日新聞』にこの問題についての解説があった。それによれば、教員免許更新制度ができると、毎年10万人もの現職教師が講習を受けることになるという。
 
 一方では、学力向上のために授業時間を増やすと山谷えり子首相補佐官は述べている。あれもこれもと課題を詰め込むと、人間の消耗が激しくなって、かえって仕事に支障をきたすというのは、経験則で明らかである。すでに今も、教員の仕事は増え続けていて、それをまじめにこなそうとしてうつ病にかかって自殺した新任女性教師の家族が過労死認定を求めて提訴したという記事があったが、これではやる気があり、まじめに仕事に取り組もうとしている「優良な教師」をみすみす失っていくばかりではないか?
 
 官邸サイドでは、中教審答申が手ぬるいとして、免許更新期間の短縮などを求めているという。自民党の中川政調会長は、日教組の現場排除という狙いを露骨に示し、日教組を下品だと悪口を述べたが、不倫疑惑男がどの口で、他人を下品よばわりできるのか! 恥知らずもいいところだ。
 
 すでに、指導力不足教員の認定と研修の制度があり、それに加えて新制度を設けるのは、無駄というものである。中川政調会長は、教員間に給与面での格差を設けて競争を煽るということも述べている。そんなことは、主任制導入などですでに行ってきたことの拡充であるが、成果主義導入では、成果よりも問題の方が多く出て、その見直しが進められているのが実態だ。
 
 安倍教育再生策を民間で支えるという日本教育再生機構の渡辺拓殖大学学長は、ありふれた決まり文句である日本語の乱れを教育上の問題としているが、それは明治維新以降の近代化の過程で、共同体を壊し続けてきた結果であって、それを言うなら、明治維新以降の近代化を反省することが必要である。氏は、西田幾多郎の言語論を読んでみたらよい。
 
 日本語は、日常用法において、共同体を前提とした共同体的な言語である。それは、日本語だけではなく、英語だってそうである。会話相手との関係に応じて、日常では省略や慣用表現を使うのであり、文法規則通りに話しているわけではない。構造主義だの言語学というのは、そういう日常用法を無視して、抽象化した言語を取り扱っているのであり、それは理論構成物なのである。つまり、それは学の対象として構成された言語なのである。日常言語はそれとは違うのだ。言わなくてもお互いにわかっていることについては省略する。それから、「あれ」とか「それ」とかいう表現も、日常的なコミュニケーションでは、十分に意味をなすのである。

 教育再生会議のメンバーを見て、保守主義者の林道義氏は、ホームページで、14日に、「我が目を疑った」という。「いったい誰がこんな馬鹿げた人選を行なったのか」。というのは、まず教育の素人ばかりであり、つぎに左翼思想の持ち主が多く、最後にジェンダー・フリー派が多いからであるという。
 
 左翼思想の持ち主としては、「義家弘介氏。もとヤンキーで売り出しているが、思想は共産党と同じ。自衛隊のイラク派遣反対、国旗国歌強制反対、憲法9条を守れといった主張を、『世界』『新婦人の会』『しんぶん赤旗』など共産党系メディアに多く発表している。義家氏の他にも、共産党系エッセイストの海老名香葉子氏、日教組の元組合員の陰山英男立命館小副校長、ゆとり教育導入時の文部事務次官の小野元之日本学術振興会理事長など」。
 
 ジェンダー・フリー派としては、「フェミニストの白石真澄東洋大教授、会社あげて「ジェンダーフリー」を実践し「男性の育児休暇取得」を積極的に推進している資生堂の池田守男相談役」。
 
 氏は、保守派は一人もいないと言っていいという。これはどうしたことだろう。日本教育再生機構は、本格的な保守の安倍政権の教育再生策に強い期待を寄せ、山谷えり子首相補佐官の誕生を喜んでいる。ところが、この保守派が期待する二人が選んだ教育再生会議のメンバーが、左翼思想の持ち主やフェミニストばかりだとは! 教育再生会議はたんなる人気取りの手段にすぎないのか? これは、林氏がフェミニズムだの左翼思想だのと呼んでいるものは、実際には、共産主義思想の現れではなく、ブルジョア思想にすぎない証拠である。現に、トヨタ社長もJR東海社長も、この人選になんの文句も言わないで、「左翼」「フェミニスト」と仲良く同席しているではないか。 

 林氏は、「こんなにも疑問の多い人物で構成されている「会議」では、先が思いやられる。安倍新政権の教育改革は、スタート以前につまずいているのではないか」と批判する。林道義氏の保守主義と日本教育再生機構の保守主義は、これほどまでに違うのである。
 
 結局のところ、教育再生会議での教員免許更新制度新設は、産業界の教育への要望の実現が目的であり、かれらの希望通りの教育現場にしたいという願望の現れである。義務教育の公教育では、あらゆる階級階層が入るので、経済界の思うとおりにはなかなかいかなったのである。教員の抵抗を排して、教員をその目的の実現のための従順な道具に変えたえくても、義務教育・公教育においては、ブルジョアジーは少数派だし、非ブルジョア階級階層・非エリートの子どもが圧倒的に多いわけだから、この多数派の側にたつ教員はなくならない。その点で、高校で学習指導要領に違反して、受験に関係ない選択科目を受けさせなかったという事件が次々と進学校で発覚しているが、それは、少数派エリートを特別扱いし特権を認めた行為で、そうではない生徒に対して不平等な扱いをした行為である。それに対して、政府は、当然、規範意識の低い行為と非難しなければならないだろう。近年の校長権限強化の流れから言えば、政府は、校長の責任を強く問わなければならないだろう。権限の拡大に応じて、責任の重さも増すのが当然だから。そういえば、免許更新講習は、校長・教頭などの管理職や教育委員、あるいは文部科学省の役人も対象となるのだろうか?

 いずれにしても、この制度にはいろいろと問題がある。それ以前に、教育の国家管理を強化する狙いの教育基本法改悪に向けた国会審議が再開されており、それを阻止する必要がある。現場が息苦しくなっては、教育上の諸問題解決にとってよくない。

安倍教育改革ポイント解説
安倍首相「ダメ教師には辞めていただく」(著書「美しい国へ」から)

 安倍晋三首相は「教員の質の向上」を掲げて、終身有効の教員免許に期限を設けようと、教員免許の更新制度の導入を打ち出した。
 文部科学省の諮問機関である中央教育審議会(中教審)はすでに今年7月、同制度導入を答申している。中教審答申は、免許の有効期限を10年間とし、期限が切れる前の2年間に講習を受けて修了認定されれば更新されるというもの。導入には教員免許法の改正が必要となる。幼稚園から高校まで約100万人いる現職教員も対象で、毎年10万人ずつ10年間かけて講習を受けさせる構想だ。
 ただ、情報技術(IT)社会への対応など「教員の資質、能力の刷新」を目的に導入を目指す文科省に対し、「ダメ教員」排除に主眼のある安倍首相や首相官邸は「これ(中教審答申)では本当の改革はできない。だから教育再生会議がある」として、免許期限の短縮などさらなる厳格化を求めている。18日にスタートした政府の教育再生会議の議論を経て、中教審答申を抜本的に見直し、来年の通常国会に教員免許法改正案などを提出したい考えだ。
 実は官邸が目指す「ダメ教員」排除の仕組みは、地方公務員法などに基づき各都道府県で同様の制度がある。文科省は教員の不祥事を受け、00年度から指導力不足教員の認定と研修を指導。05年度は506人を認定し、116人が研修を受けて現場復帰した。一方、103人は依願退職し、6人は職務が遂行できないと認定される「分限免職」で教壇を去った。
 このため文科省からは、官邸の構想に「二重構造につながる」「屋上屋を架することになりかねない」と懸念も出ている。【竹島一登】(10月24日『毎日新聞』) 

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日本教育機構正式発足

 10月21日、日本教育再生機構が正式発足した。顔ぶれは、「日本会議」系などの保守派の中でも、自民党右派と結びついた親米だし、妙なへりくつばかりを並べている者だの、幽霊信者たちである。翌日に第1回の「教育再生 タウンミーティング」なるものを都内で開催したが、鳴り物入りで、大同団結を目指したわりには、700人の参加者しかなかった。そこに、教育担当の首相補佐官の山谷えり子参議院議員が祝賀メッセージを寄せている。その中身は、ほとんど、安倍総理の所信表明演説の教育の部分と同じである。この機構が、そもそも安倍総理の誕生に期待し、その民間支持組織たることを目指していることから、当然である。山谷首相補佐官は、安倍総理の分身として選ばれたのだから。

 そして、それは当然、安倍総理の教育再生策が、学力主義か規範主義かという点で、どっちつかずであることを反映している。しかし、山谷補佐官の方は、むしろ学力主義の方に傾いていて、「高い学力と規範意識を身につける機会を保障するために、公教育を再生します。学力の向上については、必要な授業時間数を十分に確保し、基礎学力強化プログラムを推進いたします」と述べている。学力向上のために授業時間数を増やすとなれば、規範意識を身につける機会は減る。偏差値と規範意識には比例関係はない。要するに、ただの混乱だ。「ゆとり教育」もだめなら「学力主義」もだめというのは目に見えている。規範意識を計画的意識的に教育しなければならなくなったということは、それだけ、地域や家族が壊れてきていることを意味している。それは、教育だけでは解決がつかないのである。

 それに対して、まともな解決策を述べている者が、少なくとも、教育再生機構のホームページ内の文書を見る限りは一人もいない。ひどいのは、どうせこんなことは実現困難だと認めつつ、自説を述べている小浜逸郎という人だ。「こりゃだめだ!」という文章である。渡辺昇一上智大教授は、得意のコミンテルン陰謀史観で、問題を他人のせいにするというサムライ魂に反することを平然とやっている。二宮清純氏は、サムライとは勝ち負けを超えた境地に生きる者なのに、ワールドカップでの負けにこだわって、「サムライを!」と書いている。

 渡辺拓殖大学長は、日本語は、もともと共同体言語であり、だからこそ主語抜きで通じるというのに、共同体抜きに、「はるか遠い過去から現在にいたるまで、日本の無数の民草が営んできた「生」の現在における意味の集約が、いま私どもが毎日使っている日本語である」などと言い出す始末。共同体をつくることが、日本語を生かすことなのだ。だから、「真の改革者とは、純正な保守主義者でなければならないのである」というのは間違いである。間違った改革は、死んでもやってはならないのである。

 「新しい歴史教科書をつくる会」の小林正会長は、「子どもたちに「誇りと希望」を与えるべきである」というが、子どもたちがそうなるためには、子どもたちの孤立状態を解消することだ。歴史教科書の記述は、それとは無関係だ。屋山太郎氏は、「現場の慣習や惰性を一切捨て去り、新しい発想で教育を見直して欲しい」という「革新」主義者である。慣習や自生的秩序を強調する西部氏とは同じ保守でも水と油である。まさに、屋山氏はアメリカ流の保守主義で、進歩主義者なのである。しかし、この点は、「学校4・4・4制」を主張する小浜氏も同じである。保守派が、改革論をそれぞれぶちあげるというのは、どうしたことか? 彼らは、混乱し、どうにかしてしまったのだろう。これでは保守派のイメージが台無しじゃないか!

 「新しい歴史教科書をつくる会」が内紛騒ぎをきっかけに支持を失いつつあるように、保守派の著作物も売れなくなっている。この「タウンミーティング」もわずか700人。また、「日本会議」のメンバーの新興宗教団体のいくつかが内紛でがたがたしている。後は、安倍政権にすり寄るしかないのか? いやらしい話だ。しかし、今後、安倍政権の「不道徳」が発覚するのは避けられないだろう。「道徳・道徳」と大声で叫ぶ者が、もっとも不道徳であるということは、これまでの新興宗教団体の教祖の犯罪行為の発覚でも、政治家の腐敗やスキャンダル事件でも繰り返しみてきたことである。安倍政権からは、そんな腐敗臭が臭っているのではないか? 

 山谷えり子氏(内閣総理大臣補佐官)より会場に寄せられた祝賀メッセージ

 教育再生民間タウンミーティングin東京が、教育行政にかかわる皆様や教育改革に高いご関心をよせていただいている多くの皆様のご参加のもと、盛大に開催されますことを心よりお慶び申し上げます。
  「美しい国、日本」を創るために、次世代を背負って立つ子どもや若者の育成が不可欠です。子どものモラルや学ぶ意欲が低下している昨今、子どもを取り巻く家庭や地域の教育力の低下も指摘されております。
  教育の真の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家、社会をつくることでございます。
  家族、地域、国、そして命を大切にする、豊かな人間性と創造性を備えた規律ある人間の育成に向け、教育再生の船はすでに出航いたしました。
  多くの国民の期待をうけ、今般内閣に発足した「教育再生会議」では、すべての子どもに高い学力と規範意識を身につける機会を保障するために、公教育を再生します。学力の向上については、必要な授業時間数を十分に確保し、基礎学力強化プログラムを推進いたします。
  また、教員の質の向上に向け、教員免許の更新制度の導入や、学校同士が切磋琢磨して、質の高い教育を提供できるよう、外部評価を導入いたします。
 航海は太陽の光がふり注ぐ穏やかな日々だけではございません。嵐の日も暗黒の海に臨まなくてはならない時もあります。政府もしっかりと舵をにぎり、クルー全員が一丸となり目的地まで進んでまいりますので、国民とともに皆様のお力添えを賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
内閣総理大臣補佐官・参議院議員
山谷えり子

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10月23日三つの教育関連記事

   安倍政権が、教育再生を優先課題に掲げたこともあって、ここのところ教育をめぐる報道が増えているように感じられる。

 北海道の件は、先日の「日の丸・君が代」強制を違憲とした東京地裁判決の線で、道教育委員会の教員への処分を「懲戒処分の乱用」として取り消したというものである。全国的に卒入学式での「日の丸・君が代」強制が、教職員の処分を伴って、行われており、教育委員会は、その先頭であることが多いだけに、この道人事委員会の判断は、その流れに抗するものとなった。
 
 自民党の中川昭一政調会長は毎日新聞のインタビューで、「日教組の一部活動家は(教育基本法改正反対の)デモで騒音をまき散らしている」としたうえで「下品なやり方では生徒たちに先生と呼ばれる資格はない。免許はく奪だ」と語ったという。デモは、憲法に認められた権利の当然の行使で、民主主義の重要な要素である。デモは、騒音をまき散らすものでも、下品なやり方ではない。自民党やその支持団体だって、デモをしている。日教組のデモだけが、特に騒音で下品であるというのは、悪質なデマである。
 
 この発言は、安倍政権の教育再生の狙いをあけすけに示しているといえよう。教育基本法改定に反対する悪質で下品なデモを行うような日教組の教員の免許を、免許更新制度で剥奪できるようにするというのである。政治的な発言だ。25日にもはじまろうとしている教育基本法改定論議に向けて、反対派をけんせいしたものであろうという。日教組をはじめとする教員などの教育基本法改悪反対運動が、盛り上がってきていることに、危機感を強めているのだろう。新聞では、大阪と神奈川での補選で自民党が2連勝したことで、安倍政権の国会運営が有利になったという見方が多い。しかし、この低投票率では、組織選挙すなわち公明党・創価学会の組織力がものをいう展開になったわけで、むしろ公明党の存在価値が高まったといえよう。安倍政権は、ますます公明党=創価学会の力に屈するようになろう。
 
 最後の記事は、「いじめ」統計が、法務省と文部科学省で違っていたというもので、調査の恣意性をあらわすものである。法務省調べでは、「いじめ」は増加しているのに、文部科学省調べでは、「いじめ」による自殺はゼロであった。法務省調査では、「いじめ」は昨年に急増している。生徒による教師への暴力事件も昨年急増している。このような急激な変化の理由はわかっていない。

 <君が代>卒業式で斉唱妨害 教諭の処分取り消し 道人事委

 01年3月に行われた北海道の倶知安町立倶知安中学校の卒業式で、君が代斉唱を妨害したとして道教委から訓告処分を受けた男性教諭(49)が、道人事委員会に処分の取り消しを求めた請求で、道人事委員会は「懲戒処分の乱用に当たる」として、処分を取り消す裁決を出した。東京地裁は9月、日の丸・君が代を義務付けた東京都教委の通達は憲法が認める思想・信条の自由を侵す」と違憲とした判決が出たばかりだが、弁護団によると、都道府県の人事委員会で東京地裁と同じ判断によって処分を取り消したのは全国初という。
 裁決では、日の丸の掲揚・君が代の斉唱の趣旨や目的は憲法や教育基本法に反するものではないとしながらも、「強制することは教職員の思想、良心への不当な侵害として許されない」として、憲法に違反すると指摘。さらに、校長が君が代斉唱の根拠とする、学習指導要領については、「大綱的な基準とはいい難く、法的拘束力は否定せざるを得ない」としている。
 同中では、卒業式の式次第には国歌斉唱がなく、卒業式の事前練習でも君が代の斉唱を行わなかった。しかし、当日になって、校長が一方的に君が代のカセットテープをレコーダーから流した。このため、教諭はテープを抜き取って斉唱を妨害した。その後、校歌斉唱に移ったが、大きな混乱もなく式は終了した。【千々部一好】
 採決について、道教委の平山和則・企画総務部長は「懲戒処分が相当とする当方の主張が認められかったのは誠に遺憾。裁決書の内容を検討して今後の対応を判断したい」とコメントした。
 道人事委の規約によると、一定の理由があれば、人事委に再審請求することはできる。同部訟務グループによると、採決が不服であっても道教委側から訴訟を提起することはできない。
 請求者の弁護団長である後藤徹弁護士は「(採決は)憲法が定めた思想・信条の自由から、日の丸・君が代の強制は許されないとしている。子供たちの教育面にも配慮し、評価できる」と話した。(毎日新聞)

 中川政調会長:「日教組の一部、免許はく奪だ」と批判

 自民党の中川昭一政調会長は毎日新聞のインタビューで、教員免許の更新制度に関連して「日教組の一部活動家は(教育基本法改正反対の)デモで騒音をまき散らしている」としたうえで「下品なやり方では生徒たちに先生と呼ばれる資格はない。免許はく奪だ」と述べ、教員の組合活動を強く批判した。

 今国会の最重要課題である教育基本法改正案の審議が25日にも再開することを念頭に、成立阻止を掲げる野党や日教組をけん制したものとみられる。こうした姿勢に対して、野党側は「教育を政争の具にしようとしている」(民主党の松本剛明政調会長)と反発しており、激しい論戦が展開されそうだ。(毎日新聞)

 いじめ:法務省調査では「増加」 文科省とは逆の結果に

 「学校のいじめは減少している」という文部科学省の「いじめ」に関する調査に対し、「実態を反映していない」との指摘が出ているが、法務省の調査では増加傾向にある。同省の調査によると、学校でのいじめは05年には前年より2割以上増えており、文科省調査への疑問の声は大きくなりそうだ。また、各地の弁護士会や自治体がいじめに関する相談機関を設置しており、「ぜひ相談を」と呼び掛けている。

 法務省の調査によると、学校内のいじめについて「学校側が不適切な対応をした」とする05年の人権侵犯事件数は716件で、04年に比べて22.6%も増加。01年は481件▽02年524件▽03年542件▽04年584件と増え続けている。いじめも執ようで、陰湿な事例が多くなっているという。

 法務省調査は、各地の法務局など人権擁護機関が、「いじめで人権を侵害された」と相談した当事者の申告などに基づいている。

 一方、文科省は、学校や自治体教委の報告を積み重ねる形だ。学校側がいじめを見落としたり黙認したりすれば、統計には反映されない。また、いじめ根絶を目指す自治体が発生件数を具体的な目標として数値化したため、「実態を目標に合わせて報告する例もあるのでは」との指摘もある。

 増加するいじめを重く見た法務省は、今年度からは相談ごとを自由に書いて法務局の人権擁護担当に無料で郵送できる「SOSミニレター」を約70万枚作成し、さらに18万枚増刷する。全国の小学5、6年と中学生に配布を進めている。【吉永磨美】(毎日新聞) 

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「教員免許更新制、見直しを・下村官房副長官」の記事に寄せて

 こんな記事があった。

  安倍首相肝いりの「教育再生会議」が初会合を開いたばかりだが、早くも、その目玉の一つであった政策の撤回論が、政府側から出てきたというものである。もともと、教員免許更新制には無理がある。免許だけとって、教職に就いていない人々まで、講習するのは大変だし、免許更新講習機関を新たにつくらねばならず、さらに講習期間中は、仕事を休まねばならないなど、負担も大変なのである。

 下村官房副長官は、それよりも、給与待遇面で格差をつけて、教員を競争させる方がよいという考えのようである。しかし、教育の成果を客観的に数値化することは難しい。一般に、知識量をテストではかるという学力を基準とする評価がなされている。埼玉県などでは、「愛国心」という心を測って数値化するというどう考えても不条理な評価がなされるなど、数値的評価になじまないものまで、通信簿で数値にして評価するということもなされていた。しかし、それをはかる合理的な尺度がないと、教員の能力や実績をはかるといってもむずかしい。そのことは、成果主義による評価でも、その人物個人に属する成果なのか、チームワークや共同の蓄積がどれだけその成果に貢献したかなどの区別は実際問題として難しく、成果主義が挫折したことと同じである。したがって、企業自身が、成果主義に批判的になっている。

 そんなことも知らないのか、下村官房副長官は、失敗したやり方を、教員対策として、提示しているのである。教員免許制を新設より前に、既存の研修制度の見直しをするのが現実的である。ペーパー教員まで対象にした免許更新制度は、その大部分が、教職に就く可能性が極めて低いのだから、大変なムダである。やっと気付いたかという感じでもあり、この制度導入を提言した中教審は、なんて下らない提言を出したのかとあきれる話でもある。

 教員免許更新制、中教審答申見直しを・下村官房副長官

 下村博文官房副長官は22日のフジテレビ番組で、中央教育審議会(中教審)が7月に答申した「10年ごとの講習修了」を要件とする教員免許更新制について「これでは本当の改革はできない」と指摘、教育再生会議で見直しの議論を進める考えを示した。

 同時に「いい先生は給与を含め待遇をもっとアップさせる。メリハリを付けた教員対策をし(教員の)努力が報われるシステムは必要だ」と強調、教員の能力や実績を反映した給与制度の創設も必要との認識を示した。〔共同〕 (10月22日『日経新聞』)

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『マルクス主義と現代』のノートを終えて

 スウィージーの1979年10月の法政大学での講義をまとめた『マルクス主義と現代』をノートしてみた。
 
 1979年1月1日に米中完全国交回復があり、2月にはイラン革命が勃発し、中越紛争が起きた。5月にイギリスでサッチャー政権が誕生、韓国では、10月26日に朴大統領暗殺事件があり、12月12日に全少将がクーデターで全軍時独裁政権が誕生し、24日には、ソ連によるアフガニスタン侵攻が始まった。ポーランドでは、自主管理労組「連帯」の運動が拡大していた。イラン革命後、第二次石油危機が世界を襲った。レバノン内戦激化。
 
 日本では、第一次石油危機後のスタグフレーションの収拾に追われ、基幹産業における合理化や春闘での賃上げを抑えるのに財界が必死だった。この年10月の解散総選挙で、自民党は過半数を割り、政局は不安定化し、党内闘争が激化した(40日抗争)。第二次大平内閣が誕生した。
 
 「9月6日、日本鉄道建設公団の不正経理が発覚した。これを皮切りに、官庁、公団、自治体の不正問題が続々明るみに出た。カラ出張、カラ超勤、カラ会議、ヤミ賞与、ヤミ給与、ヤミ休暇などが横行した。この他、大蔵省の過剰接待や公金流用など、不正は環境庁、総理府、国鉄、自衛隊などにも及んだ。会計検査院の1978年度決算検査報告では、税金の無駄使いが270億円にものぼった」(ザ・20世紀)。また、KDD汚職事件が発覚。今も昔も、企業・行政の腐敗は変わらないようだ。
 
 イギリス・アメリカでの、新保守主義政治によって、人々の生活は零落し、下層暴動が繰り返された。レーガンは軍拡に走り、世界的な戦争と内乱の時代に突入していた。韓国では、80年に、光州事件、金大中氏誘拐事件、等々、民主化闘争が全軍事独裁政権と闘い続け、後に、ついに民主化を勝ち取る。フィリピンでも、民衆がマルコス軍事独裁を打倒する。イギリスは、フォークランド紛争に見舞われる。カンボジアでは、ポル・ポト派による虐殺事件が発生・発覚し、アフガニスタンは内戦に突入し、ポーランドでは、「連帯」などの民主化闘争が激しくなる。ソ連では、ペレストロイカが始まり、米ソ冷戦終結の合意がなされる。南アフリカでの反アパルトヘイト闘争が激化する。日本だけは、こうした世界の激動から無縁であるかのように、城内平和にあって、やがてバブルで頂点を極めた後、長期不況に入る。
 
 こういう時代的背景のなかで、スウィージーの講義が行われたのである。もちろん、ソ連などの「社会主義」を掲げる国を批判することは、ソ連・東欧体制が崩壊した今日になって、大声でそれらを批判することほど簡単で気楽なことではなかった。
 
 彼の考えは、すべてが納得できるものではないし、それぞれその後も長く議論が続いたテーマがいくつもある。「革命後社会」という概念もそうである。80年代に入ると、ポスト・モダニズムなどの新意匠の流行やその後のソ連崩壊などがあって、こうしたテーマ自体に対する関心が低まってしまった。その後、こうしたテーマについて出てくるものと言えば、悪口の類で、それをロシアなどから出てきた新資料などから補強するというものである。しかし、それらによって、何か新しいことがわかったかと言えば、そういうことはない。すでにわかっていることだらけである。そんなのを見ても仕方がないので、やはり、スウィージーのような考察を検討した方がよいと思う。
 
 資本主義は矛盾に満ちているが、「革命後社会」もまた矛盾に満ちている。矛盾がない社会は死んだ社会であり、そんなものは頭の中以外では、ありえない。それは、新古典派経済学もそうだし、構造主義もそうである。日本では1990年代以降、猛威をふるっている新自由主義的な市場原理主義も同じような類である。
 
 それに対して、19世紀のイギリスのプロレタリアートの非人間的な状況と周辺諸国における今日の同様の状況に対して、人間性を対置したスウィージーの素朴さを評価したい。その後、構造主義的な反人間主義が、マルクス主義者の側からも主張されるようになるし、そこから学ぶべきだろうが、中心諸国で、いわば19世紀イギリスでマルクス・エンゲルスが見たプロレタリアートの非人間的な状況が拡がってきたことは、ふたたび、マルクス・エンゲルスの態度と理論に人々を立ち戻らせるものだと考える。
 
  中心諸国は、改良主義的労働運動との妥協によって、進歩し続けることができるのか? なぜ、また19世紀に戻っていくようなことがこの豊かなはずの社会で起きているのか?
 
 この国の政府・与党は、人々が目の前で経験し、また身近で観察してきた格差拡大・固定化の現実を、最初は、否定して、見ないようにした。現実を見ない。見たくないもの、最初から関心のないものは、見えない。それなのに、国民のためと言うが、要するに彼らに見えているのは、彼らに身近な上層の人々だけであり、それを国民と呼んでいるにすぎないのである。しかし、現実を示すデータがようやく揃い始めると、しぶしぶそれを認めるが、その解決のためには経済成長が必要だと成長路線=経済界への支援強化を打ち出す。スウィージーは、不平等の拡大に反対するには強い力が加えられねばならないと書いているが、それどころか、逆に、非正規雇用を拡大し、不平等を拡大してきた企業を強くしようというのだ。もちろん、企業が好まない圧力を強めたら、かれらは、外国に出ていくだのなんだのと言って、抵抗を強めるに違いない。もし、企業が国外に逃げた場合に、その穴埋めをし、ただちに生産を組織する必要がある。競争があるために、ライバル企業がいなくなれば、喜ぶ企業もある。もっとも、これだけ大きな市場をみすみす企業が捨てていくわけはない。だから多くは口先だけの脅しだろうが、それでも強い抵抗勢力であり、それをうち破るのは、簡単ではない。
 
 なるほど全体的にスウィージーは、楽観的にすぎるような気もする。そういう批判をする者がいる。しかし、すっかり言葉ゲームや学問や理論構成物が描く妄想の世界に深入りして、出口がなくなってしまった人がいるのを見ると、そっちには魅力を感じない。むしろ、スウィージーのように、素朴さを感じさせる人の方がいい。もちろん理論の評価をしなければならない。
 
 現在も議論になっているのが、国家資本主義説、国家社会主義説、過渡期説などの諸説である。スウィージーは、過渡期説をとりつつも、資本主義でも社会主義でもない特殊な社会とする規定を取っている。その点を国家資本主義派につかれている。いろいろと論点があって、それは興味深いけれども、ここではこれで終わる。しかし、最後に、資本主義の矛盾は、今や大きくなっていることだけは強調しておきたいし、その分析にスウィージーの議論は役に立つものと思う。

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第4章マルクス主義と将来

 最終章で、スウィージーは、「マルクス主義と将来」を論じる。ここまで、彼は、「形而上学的思考方法と対比しての弁証法的思考方法、自律的な中心諸国と従属的な周辺諸国からなる世界体制としての資本主義とその発展、そしていまこの世界体制を苦しめている危機について」論じた。そして、今度は、資本主義を倒すべく登場した革命運動とそれが成功して建設途上にある社会の特質について述べる。
 
 まず、彼は、マルクス主義の成立を、1844年から46年の『神聖家族』、『イギリスにおける労働者階級の状態』、『ドイツ・イデオロギー』、『哲学の貧困』、『共産党宣言』に見る。これらは当時の産業革命の現実を反映している。マルクスとエンゲルスは、工場労働者の非人間的な生活状態に深く心を動かされた。それは、『イギリスにおける労働者階級の状態』で詳しく描かれ、『共産党宣言』で世界に伝えられた。
 
 しかし、19世紀後半から、労働者階級の組織化が進み、実質賃金が上昇し、福祉国家型の改革がかちとられた。それは、1848革命がヨーロッパ諸国を襲った後に資本主義の発展したためと中心諸国が周辺諸国で帝国主義的搾取を強めたためである。マルクスとエンゲルスは、こうした変化を知っていたし、マルクスは、「他民族を踏みつける民族は自由ではない」と述べてイギリスによるアイルランドの植民地化に反対し続けた。また、エンゲルスは、労働者の組織化が極めて早く成長していることを見て、ドイツ社会民主労働党に議会戦術を勧めたりした。
   
 スウィージーによれば、それでもマルクス・エンゲルスは、「避けることのできない結論を、その教えにうまく組み入れそこなった」。その結論とは、「中心諸国の労働者階級が、産業革命の初期においては潜在的にいかに革命的であったにせよ、その後の展開によって改良主義的な勢力と化してしまい、自分たち組合員の状態の改善を、資本主義体制の枠内でもっぱら求めるということである」。
 
 マルクス・エンゲルスの初期産業プロレタリアートの潜在的革命力に対する見方は、ロシア革命によって証明された。それは、革命的マルクス主義が、その生誕地の西欧から離れ、その条件に恵まれた地域に移動するというその後の一般傾向の最初の実例となった。1917年ロシア革命以前には、第一インターナショナル、第二インターナショナルの組織の範囲は、中心諸国とその海外領土に止まっていた。しかも、すでに労働運動は革命性を失っていた。ロシア革命後、第三インターナショナルの創設後、マルクス主義は、周辺諸国にくまなく拡がっていった。

 これら周辺諸国のプロレタリアートによる二十世紀の革命運動は、条件付きだが、18世紀末から19世紀初期の産業革命によって生み出されたプロレタリアートの経験に基づいていた点で、マルクス・エンゲルスの考えていたものと同じである。そのことを示すものとして、マルクス・エンゲルスの『神聖家族』から引用している。
 
 「一切の人間性―そのみせかけさえ―は、完成されたプロレタリアートとなるにつれ、事実上完全に捨てされれてしまう。プロレタリアートの生活条件は、現代における社会生活のあらゆる非人間的な条件の頂点をなしている。またプロレタリアートたることによって、人間は人間性を喪失している。しかもそれだけでなく、その喪失という意識を理論的にもかちえている、だがまたさらに、これ以上しりぞけようのない、もはや絶対に有無をいわせない窮乏・・・は、このような非人間性に対する反逆に人間を追いこむ。まさにこれらすべてのゆえに、プロレタリアートは、自分自身を解放することができるし、また解放せずにはいないのである」。
 
 マルクスの時代のプロレタリアートの生存ぎりぎりの状況と現代における周辺諸国の無産大衆の収奪された状態が似ているからこそ、特殊ヨーロッパ的現象として生まれたマルクス主義が、人類の歴史上、世俗的であれ宗教的であれ、他のいかなる思想よりも真に普遍的に受けいれられたのである。
 
 この意味では、周辺諸国の革命運動は確かにプロレタリアートのものであるが、運動の組織や指導となると複雑である。革命運動の指導者の多くは、プロレタリアート出身ではなかった。しかし、革命運動の性格は、個々の指導者の個人的資質に還元してすむということはない。
 
 周辺諸国では、階級の性格に重大な変化が起きた。ロシア革命の中心的担い手は工業プロレタリアートであり、最上層指導者の多くが労働者階級の出身だった。しかし、中国革命の場合は、これと全く違う。中国共産党は初期には沿岸部の都市部のプロレタリアートを組織していた。1927年の国民党との闘争での敗北後に地方農村に撤退を余儀なくされた。そこで、農民、小作農、プチ・ブルジョアが革命運動を構成するようになった。周辺諸国では、同じように、混合された階級の指導による革命という形が一般的であろう。

 つぎに、ロシア革命が取り上げられる。
 
 まず、ロシア革命では、工業プロレタリアートが帝政を倒す原動力となり、農村では小作農民が地主制度を廃止させることができた。しかしそのことは、革命後の新しい社会をつくる中心が、工業プロレタリアートであったということを意味しない。ロシア革命の最大の悲劇は、内乱や外国からの干渉戦争などの苦難の数年間のうちに、1917年革命以前からの工業プロレタリアートが壊滅してしまったことである。戦争・飢餓による死亡、産業壊滅による農村への移住、等々。その上、残った党や組合のメンバーは、軍隊や政府官僚組織に組み入れられ、階級基盤から引き離されてしまった。産業回復後の新しいプロレタリアートは、階級性を失っているか、農村出身であった。かれらは革命をなしとげたプロレタリアートとは共通性がなく、その後の展開は、かつてのプロレタリアートを育てた状況とは大きく異なる状況で行われた(シャルル・ベトレーム『ソ連における階級闘争』参照とのこと)。確かにロシア革命は、マルクス主義的な意味で、プロレタリア革命だったが、それはその革命から出現した社会の本質を必ずしも示唆しない。
 
 次に、革命によって成立した社会は、マルクス・エンゲルス・レーニンが考えた社会主義と一致しているのだろうかを問題にする。
 
 19世紀を通じて、「社会主義」という用語は多様な使われ方をした。マルクス・エンゲルスの著作にもそうした多様さが反映している。しかし、マルクス・エンゲルスは、直接・間接に社会主義を特定の将来の社会形態として定義していないという。マルクス・エンゲルスは、資本主義と共産主義の二つの社会形態に焦点をあて、その間には「前者から後者への革命的転化の期間がよこたわっている」(『ゴータ綱領批判』)と述べている。この移行期社会は、資本主義と共産主義の両者の性質をあわせ持っている。したがって、「現在も、また将来も、それ自身一つの明確な社会形態として概念化することはできない」。

 レーニンの『国家と革命』では、社会主義という用語を自由に使っているが、それを共産主義の第一段階としている。この段階では、「ブルジョア的権利」は完全に廃止されず、生産手段についてだけ廃止される」。マルクスもレーニンも、この時期を移行期と見ている。
 
 ところが、ソ連や中国は、「自国を資本主義と共産主義のあいだに横たわる矛盾と抗争に苦しむ移行期とはみていない」。
 
 「ソ連と中国は、社会主義を、資本主義の法則と同様の意味で客観的にわかりやすい運動法則をもっている独自の社会形態―時には体制、時には生産様式と呼んだりする―であるとみている。この形態の社会が、対立する社会的あるいは階級的闘争によって特徴づけられることは絶対にないと考えられている」。
 
 ソビエトの教義では、ソビエト社会(先進社会主義と呼ばれる)は、調和のとれた階級(労働者と農民)と一つの階層(インテリゲンチア)から成っていて、「全国民からなる一つの国家」によって統括され、「科学=技術革命」によって、共産主義に向かって進んでいるとみている。
 
 「敵対する矛盾から解放され、科学的=技術的な力により動かされる独自の社会形態としての社会主義の理論が、古典的マルクス主義にもとづいていなことはまことに明らかである。そしてこの社会主義の理論は、階級闘争が階級と国家の消滅した共産主義社会の達成にむけての推進力であるとする史的唯物論の基本原理を、徹底的に否定するも同然となっている」。
 
 重要なのは、ソビエト型の理論を古典的マルクス主義と比較することでなく、ソビエト型の理論をソビエト型の現実と比べることだという。そうすると、すぐに、インテリゲンチアと国家の概念やそれが担う役割についての矛盾に突き当たる。ソビエトの理論では、党の政治局員から村の学校の先生までが、一括してインテリゲンチアに含まれている。それが隠蔽するのは、インテリゲンチアの多くが、特権的な労働者、知的専門家・専門職・学者・芸術家・芸人たちを含む中間層で権力をもたない人々と、経済や政治(政府や党)の最上層の地位を独占し、国全体に影響力を及ぼすあらゆる主要な決定を行うごく少数の集団に分かれていることである。「全人民国家」では、国家が生産手段を所有し、それを法理論上社会全体を代表して行動しているというのは、ごまかしである。大多数の国民は、生産手段の利用にたいしてなんらの支配権も持っていないし、国家は、人々の代表者としてではなく、監視者ないし警察官として行動している。人々の所属するあらゆる組織は、上意下達の形で支配され、身分の低い者は、結社の自由や言論の自由を否定されている。
 
 この階層的で権威主義的な社会も一つの階級社会だとスウィージーはいう。もっとも階級秩序自体は、階級の存在を証明するものではない。もし、完全な機会平等、すなわち生まれた時点で、将来の階層位置の上昇の可能性が平等であれば、階級のことは問題にはならない。上層の生まれの人々は、その地位にとどまる傾向がある。「すなわち下層の方のレベルの人々は、より上層によじ登るための手段をもたないのに、比較的上層のレベルの人々は、さらにまた上層に登る手段をもっているし、また少なくとも下層におし下げようとする圧力に抵抗する手段をもつ」。階層秩序が長期間継続すると、全面的な階級制度に発展する傾向があるので、それを阻止するには強い反対の圧力を加えねばならない。この点について、毛沢東は、アンドレ・マルローに、「その本性からいって人間は、好きなようにさせておいても、必ずしも資本主義を再建することはない・・・が、不平等は必ずこれを再建する。新しい階級をつくりだそうとする傾向は、強力である」と語った。
 
 革命後の中国共産党内闘争は、このテーマを中心に闘われた。しかし、毛沢東死後は、階級化の傾向が発展し、そのことが、現在の胡指導部の「調和社会」路線に示されたように、大きな問題に浮上している。
 
 ソビエトの公式理論は、革命後の社会を、資本主義でもない共産主義でもなく、両者の過渡的混合物でもない独自の社会形態であると定義する。しかし、それは、マルクス主義によれば、移行期の一段階でなければならない。それに対して、「もし革命後の社会の運動法則が、自動的に共産主義の方へ導いてくれるようなものであったならと仮定する」ことで解決しようとしたのがソビエトの社会科学者たちであった。科学と技術の力によって、調和社会ができるという理論をでっち上げたのである。
 
 「社会、あるいはいずれにしてもその支配階級が、内部に持つ矛盾を隠し、自らをその構成員や広く世界全体にたいして調和と進歩の美しい混合と見せる理論を必要としたこと」は、新古典派経済学が果たした役割や結果を見ても明らかである。
 
 では、革命後の社会はどのようなものか? 彼はいくつかの点に注意を促している。
 
 (1)国家は、生産手段の所有権を得ると、政治的のみならず経済的にも中央集権的な制度となり、資本主義におけるような私的経済の補完機能を果たすだけではなくなる。そういうわけで、私たちはこれらの社会を国家社会state societiesと呼び、その支配階級を国家階級state classと呼ぶことができる。
 
 (2)国家社会は、現実に働く者がその剰余生産物を(生産過程においても、使用過程においても)支配しないという点で、マルクス主義的な意味で搾取をする社会である。
 
 (3)剰余生産物の生産と使用は、政治的過程と不可分な一体となっており、資本主義下のように資本の競争的なしくみによって支配されているのではない。資本主義の自由競争のもとでは、剰余の抽出と蓄積が最大となり、この過程で資本主義特有な矛盾(景気循環、労働予備軍、中心諸国および周辺諸国の双方における富と貧困の両極化、特に周辺諸国における労働の劣悪化および非人間化など)が発生する。
 
  (4)剰余の抽出やその使用過程に政治的色づけを行うことによって、国家社会は(その支配階級の観点から)一種の合理性を達成するが、このことは、資本主義では驚くほどみられない現象である。こうして、国家社会が創立された最初の段階では、大衆の生活水準(雇用、保健、教育、社会保障)を向上させることを目標にし、その見返りとして、社会それ自体を正当化させ、また支配階級が行った政策をも(前者には及ばないものの)正当化させるようにする。
 
 (5)しかし、それにもかかわらず、この正当化の過程は、どちらかというとその限界がごく狭くかぎられている、少数の支配階級による権力とこれに伴う特権の独占(資本主義的標準からいってもかなりな程度の)には、権威主義的な、また本質的に抑圧的な体制が必要であり、下方からの真に民主的かつ自己解放的な動きの展開を絶対的に排除するものであり、そこで統制維持手段としての抑圧策を補うため、支配階級は、こうして、消費者主権運動のような、歴史的に証明ずみの(人間的にみても)不合理な方法を利用したり、国家主義的野心や感情を煽ったりもてあそんだりする方向へますます行かざるをえないのである。
 
 (6)資本主義の根底で人々を動かす力―それはあらゆる階級にたいし、大なり小なりあてはまることだが―は、不安である。すなわち、失業、倒産、地位の喪失、左遷、そしてそれに劣らず(とくに周辺諸国において)困窮と飢餓にたいする恐れである。国家社会が、これらすべての広範囲にわたる不安・恐れを、より人間的な刺激要因におきかえることなしに、うまく緩和するほど、そこに空白が生まれてしまい、ブルジョア観念論者たちがそれを非能率、資源配分の非合理性、ムダなどといいたてるのである。彼らの眼から見れば、もっとも深刻な問題は、労働生産性のたちおくれである。
 
 スウィージーは、こうした革命後社会の否定的現実によって、古典的革命的マルクス主義の妥当性や重要性はいささかも減らないという。彼は、国家社会は長続きしないと断定する。結局は、マルクス・エンゲルスが直面したような人間性の剥奪や矮小化に対する反抗によって、歴史の主役へと転化するだろうが、その時には、革命的マルクス主義に鼓舞されるに違いないというのである。                   

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第3章中心=周辺関係と資本主義体制の危機(2)

 中心諸国と周辺諸国の間の搾取の水準の間のコントラストは、政治体制にも現れている。

 中心諸国では、ブルジョア民主主義が規範になり、それが蓄積過程の推進に適合した安定した剰余価値率と階級関係を維持するのに助けになる政治体制となった。
 
 周辺諸国では、中心諸国のようなブルジョア民主主義的制度を模倣する努力は、見せかけだけのものか、支配階級によって退けられた。例えば、ラテンアメリカのように。そこの支配階級は、高い搾取率を維持することによって、その生産様式を保守しようとして、下層への譲歩を、自らの特権をほりくずすと見なした。周辺諸国の典型的な形は、軍事警察型国家であった。
 
 この高い搾取率は、世界銀行などの国際機関や諸政府の描く諸方策の海外援助や海外投資、技術の伝達等々によって乗り切れるような前資本主義の遺産ではない。そうした方策は、その構造を変革しないで、むしろそれを強化した。新自由主義的政策を採用したラテンアメリカ諸国で1990年代に起きたことは、そのことを見事に証明した。
 
 たとえば、第二次大戦後の周辺諸国に対する多国籍資本の投資は、ブラジルのような国で、既存の市場に供給し、そこから利潤を得た。市場のうちの一部は、ブラジル国内のもので、人口のおそらく20%ほどの富裕層向けの消費で成立している。その他は、農産物、原材料、安価な労働力を使うことで生産費を低くおさえておけるような種類の製品にたいする国際市場である。しかし、ブラジル人大衆の生活水準を向上させることで生み出される巨大な市場は、つくられない。それは、ブラジルや外国の資本家が、大衆を消費者としてよりも、コストとして見ているからである。大衆の実質賃金が低いほど、上流階級や国際市場に売るときに得られる利潤が大きくなる。ブラジルでは、1964年の軍事クーデター以後、15年間で、国民総生産が10%もの高成長を記録したが、実質賃金の水準は三分の一以上も低下した。

 「理論的分析と歴史的経験の双方から導かれる結論は、周辺諸国の人民の大多数にとって、他に依存した開発は、生活の改善や輝く未来をもたらさず、むしろ搾取の強化と惨めさの増大をもたらすということである、したがって、彼らにとって前進につながる道は、全資本主義体制にたいする革命的突破口を開くことであり、この歩みは周辺のますます多くの国で、すでに進められているところだ」。
 
 これらをふまえた上で、スウィージーは、世界資本主義の危機に診断を下す。
危機の種子は、それに先立つ繁栄期にまかれる。第二次世界大戦終了時をとると、その重要な結果をあげる。

 (1)ベルリン=東京枢軸が敗れ、(2)英国およびフランスが弱まり、(3)米国が台頭して、それが世界の資本主義体制において異論の余地もない覇権・ヘゲモニーを握り、(4)中国が帝国主義の支配圏から離脱し、さらに、(5)周辺諸国における民族解放闘争が成熟して、その結果、植民地支配の伝統的な形態が衰退していった。
 
 アメリカの覇権は、独・日などの復興につれて、弱まり、紛争と危機の時期が始まった。アメリカの覇権の時期は、柔軟な国際通貨制度、国際貿易、資本移動の自由などが順調に機能した。ブレトン・ウッズ体制で、金・ドル兌換制によって、ドルが世界共通通貨になった。貿易や支払いの増大によって、通貨需要が増大した。米国は、国際収支を赤字にしながら、ドルを供給した。これはアメリカの特権であった。
 
 さらに、(1)戦後復興需要と軍需生産に偏った資源分配の結果としての民間部門の物資不足の補填の必要、(2)戦時中に開発された新しい資本利用型の技術(エレクトロニクス、ジェット機など)が利用できるようになったこと、(3)時刻の覇権を維持するための軍需(軍事同盟国のそれ)が生む巨大な諸需要、が資本蓄積を容易にした条件があった。
 
 この軍需は、特に、(a)非資本主義の軍事的・経済的超大国ソビエト連邦の誕生、(b)民族解放闘争のひろがりと、これら闘争をうち破ろうとする帝国主義勢力の努力、によって、大きく拡大した。ドイツと日本の戦後復興は、朝鮮戦争特需によるところが大きかった。
 
 1945年以来、景気循環の長期的上昇傾向と短く浅い低下があった。しかし、表面下では、長期的な傾向が確実に働いていた。重要なのは、(1)過剰投資、(2)負債構造の非常な拡大、(3)国際通貨制度の弱体化、(4)中心諸国と周辺諸国との不平等の拡大、である。
 
 (1)戦後の楽観的な気分によって、資本家たちは、鉄鋼、造船、自動車、重化学等の基幹産業に対する投資ブームに乗って過剰投資を行った。しかし、この過程は永続できない。それはやがて崩壊する。
 
 (2)放埒な信用の爆発的増大によって膨大にふくれあがった負債は、国債借り入れによってまかなわれたが、それもいつまでも続くものではない。
 
 (3)アメリカは、財政収支を赤字にして過剰なドルを創出し、それを周辺諸国を従属させるためと世界中の軍事基地を維持するために使った。インドシナ戦争の費用や海外投資拡大のために使った。1980年までに、海外にあふれたドルは、1兆ドルに達した。それはアメリカが制御することも清算することもできないほど巨大な規模であった。1978年恐慌後、主要各国の中央銀行による強調で、通貨供給の相対的安定が保たれた。以後、中央銀行・財務当局の国際協調体制が取られるようになる。ドルの負担を軽減しようとすると、本格的貨幣恐慌が再発しかねない。それは、1931年のオーストリア信用銀行崩壊をきっかけに第一次世界大戦後の通貨体制が崩壊し、保護貿易化、通貨ブロック化、資本と通貨の国家管理が開始されたのと比較されるという。
 
 (4)中心諸国での比較的安定した剰余価値率と周辺諸国での高くまた上昇しつつある搾取率とのコントラスによって、中心諸国と周辺諸国との不平等の拡大が生じる。第二次世界大戦後の景気浮揚期に、中心諸国は、実質所得が増大し、高水準の雇用を実現したが、周辺諸国では、富は一部の富裕層に集中し、その他の多くの人々が高失業、低所得にされていった。
 
 このために、中心諸国では、資本蓄積過程のつまずき、スタグフレーションが繰り返され、負債構造の管理限界を超えた暴発が生じた。周辺諸国では、大衆の生活水準の増大、30%から40%台にも達する高失業率、困窮、栄養不良、時には飢餓すらにも、見舞われた。危機は、双方に潜在している。例えば、1978年、アメリカ株式市場とドルの恐慌、イラン革命。
 
 「世界的な資本主義体制の現在の危機は、四半世紀以上ものあいだ働きつづけてきた力によってつくられてきたということだ。その力はいまも作用しており、実際、それはこの体制自身に内在するものなのである。大戦争のような何か予期できないことが起きてこのなかに立入ってこない限り、この力は作用しつづけるであろう。各国の政府がこれを阻止し、制御することはできそうもないし、さらにそれができる国際政府といったものも存在していない」。

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第3章中心=周辺関係と資本主義体制の危機(1)

 スウィージーは、資本主義の危機の意味を明らかにするために、資本主義体制全般の歴史を簡単に振り返る。
 
 まず、資本主義が継続的な存在となった始めは、イタリアの都市国家(city states)ベニスにあるという。ベニスは、アドリア海の奥に位置し、地中海貿易の戦略的中心地を占めていた。そのおかげで、本質的にブルジョア的で反封建的な社会を継続的に何世紀も発展させることができた。ベニスの富の源泉は、貿易、海賊行為、貢ぎ物であったが、社会に必要な造船業や武器産業は、資本主義的に組織され、多数の賃金労働者が雇われ、「その政治的・文化的な上部構造は、同時代の封建的な状況を映し出すよりも、むしろ来るべきブルジョアジー時代の前兆をなしていた」。中世後期には、イタリア各地にフローレンスを代表とするブルジョア的都市国家がいくつか生まれた。そこで、高度に発達した資本主義的繊維工業が発展した。それらは滅びたが、経済的な実務(複式簿記など)、政治制度、文化的業績、などの遺産を残した。 15世紀、16世紀のルネッサンスを経て、大西洋岸の資本家社会の発展に継承された。

 スウィージーは、ヨーロッパ以外でも資本主義の発展は可能だったろうという。資本主義経済に必要な交易関係や貨幣経済などの発達した地域が、ヨーロッパ以外にもあった。ただ、ヨーロッパは、時をえたにすぎないというのである。この考えは、資本主義の発展とキリスト教を関係づけたマックス・ウエーバーの考えを否定するものだ。これと似ているライシャワーの「近代化史観」をも否定するものである。室町時代の日本では、輸入された中国銭が広範囲に流通して、相当程度の貨幣経済の発展が見られたし、朱印船貿易や国内各地を結ぶ海の道が発達した。16世紀、ヨーロッパの大航海時代の頃、戦国時代には、日本人の航海先もタイ・フィリピンなどの東南アジア諸国に拡大していた。それ以前に、明は、南の海洋ルートを整備して、鄭和の例などのように、大艦隊を派遣するなどして、南の道が発展していた。
 
 ヨーロッパ人はさいさきがよかったし、航海術や火力が進歩して有利だった。ヨーロッパ人は、略奪と征服を通じて、膨大な富を母国に運び込み、ライバルの邪魔をし、場合によっては破壊した。「こうしてこれらの地域は、資本主義的発展の道をたどらずに、ヨーロッパを中心とした現在の資本主義体制に、植民地、属国、あるいはなんらかの形の従属者といった形で組み込まれたいったのである」。
 
 「資本主義がそもそもの最初からこれら二つの極―たとえば、独立と依存、支配と従属、開発と低開発、中心と周辺などというような用語でさまざまに表現できるが―を有していたという事実が、資本主義のあらゆる部分における展開のあらゆる段階で、決定的な役割を果たしてきた。資本主義の推進力になったのは、常に中心諸国における蓄積過程であり、周辺諸国の社会は、中心諸国の必要に答え、その要求に従うよう、抑圧の政治力と市場の経済力との双方によって形づくられていった」。
 
 海上輸送と海軍力の圧倒的な支配力を持った西ヨーロッパの国外進出は、最初は沿岸地域やその周辺の島々を侵すものだったが、鉄道の導入によって、内陸部に進出していった。その後には、三つのパターンがあるという。
 
 (1)前資本主義的な社会の力が弱く、人口がまばらな場合には、二つのうちの一つを選択した。
 
  (a)先住民と他の征服地から連れてきた人間の両方を強制労働させ、プランテーションや鉱山の労働者囲い込み地などの生産形態を確立する。その生産物(金・銀、熱帯作物など)は、中心諸国に輸出される。中心諸国からは、現地で生産できない労働者用生活必需品と現地在留ヨーロッパ人向けの贅沢品である。これは不公平な交換であり、その後の中心諸国と周辺諸国の間の不透過交換の原型となるものである。南アメリカ、中央アメリカ、南アジアと東南アジアの一部、アフリカの一部。

  (b) 先住民を一掃するか、追い出して、入植者によって、母国に似た社会をつくる。北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド。
 
 (2)前資本主義的社会が比較的優勢で、より高度に発達したところでは、ヨーロッパ人たちは、その目的を達成するため、既存の秩序を破壊するのでなく、むしろその権力構造に入りこんだり、地域の指導者や有力者たちを互いに対立させたり、効果的な植民地の全面支配の体制を確立させたり、さらにまた地元の住民に直接経済的と間接政治的との両方の形の搾取を押しつけたりするようなことをした。英国統治下のインド、オランダ領のアジア諸国、フランス領のアジア諸国、アフリカの一部、中東。
 
 (3)ヨーロッパ拡張の最後の段階に日本への黒船来航があった。この頃には、欧米諸国は、帝国主義戦争を繰り返していたし、利害対立が深まっていた。「このため日本の支配者たちは、それ以前にヨーロッパの拡張の犠牲になった国々の運命を他山の石とすることにより、国の独立を保持するための巧妙な作戦をうまく工夫することができる。さらにそれと同時に、日本を一人前の資本主義勢力に変えるために必要な社会関係や制度を、欧米から学び、国内に定着させることもできたのである」。
 
 短期間のうちに、日本は、資本主義の中心に達した。日本が選び、あるいは強制された道は、歴史的に独特で、唯一の成功例である。
 
 では、中心における独立の発展と周辺における依存的な発展の違いは何か?
 
 第一の側面は、サミール・アミンによれば、「「産業革命」の前に「農業革命」が行われた中心の諸国と異なり、周辺の諸国に「農業革命」の段階にふみこむ前に「産業革命」を輸入してしまった」ことである。農業の生産性向上が、農業から労働者を解き放し、都市農村間の交易が栄え、問屋制度、マニファクチャーなどが発展し、その上で、資本主義への最終段階として、機械の導入がある。「工業化」は、経済発展の最終段階なのである。
 
 第二の側面は、搾取率が中心諸国に比べて、周辺諸国では大変高いということである。中心諸国における搾取率は、剰余価値率と同じである。周辺諸国では、資本主義的産業に雇用されている賃金労働者は少なく、遥かに多くの人が農村部で、地主や高利貸などの間接・直接に搾取されている。これらの働き手から奪われた剰余が市場に出されて、資本主義的産業が生産した剰余価値と見分けがつかないくらい混ざり合ってしまう。こうした状況の下では、社会的搾取率は、通常の意味の剰余価値率と混同するわけにはいかない。
 
 周辺諸国における搾取率が高いために、その地域の支配階級とエリートは、中心諸国のブルジョアジーと肩を並べるぐらいの生活ができ、剰余価値(利潤、利子、賃料、使用料等の金銭)を中心諸国に流入させることができる。
 
 他方で、労働者、小農、農村と都市のスラムの貧民層は、生活限界ぎりぎりかそれ以下のみじめな生活水準におかれている。この問題の根源は、高搾取率である。それによって、貧困が永続化させられていると同時に第Ⅱ部門(消費財生産部門)への投資を妨げているのである。そして高搾取率は、体制に組み込まれいて、強力な機構で保護されている。
 
 中心諸国で、それに対して、剰余価値率が低いのは、労働者階級が組織しやすく、闘争しやすいし、ブルジョアジーが、歴史的経験から、長い目で見て、労働者階級の生活向上が、剰余価値率の安定と生産性向上にとって、不可欠であることを知っているからである。そうでなければ、第Ⅱ部門の成長が妨げられ、第Ⅰ部門の需要が低められ、資本蓄積過程が進行するための重要な条件が失われる。個々の資本家の目では、剰余価値率を高めることが望ましいように見えても、中心諸国の資本主義体制全体から見れば、一つの惨事になってしまうのである。
 
 さらに、産業革命の当初は、反結社法などで労働者階級の組織化を妨害して、剰余価値率を上げようとしたが、それが労働者階級の革命的運動を激化させ、1847年革命を引き起こした。これにあわてた支配階級は、労働者たちの運動に柔軟な態度を取るようになった。改良主義的な近代的労働組合が結成されていた。中心諸国で、労働運動を一定の枠内に抑えつつ、利用するようになったのに対して、革命的なマルクス主義は、周辺諸国に「長征」することになる。

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第2章の補論B 競争と独占(3)

  スウィージーは、独占の進展が、蓄積過程の展開についてもつ意味について、これら以外で重要なことにいくつか着目したいという。

 「まず第一に、新古典派経済学の証でもある硬直化した鋳型に、独占資本主義の理論をはめ込まないように注意しなければならない」。
 
 「平均利潤率がいろいろな段階の利潤率に置き換えられるといっても、それは、階層の各段階にある産業あるいは企業が、いつも固定したままであるという意味ではない」。
 
 これを劇的に示したのが、自動車産業が、1973年以降の石油価格上昇によって、石油産業に抜かれ、石油産業がトップに躍り上がったことである。1ダースかそこらの少数の巨大法人の支配する石油産業の利潤は、非金融法人利潤の30~40%を占めた。
 
 複合企業(コングロマリット)化の傾向が続けば、企業と産業の対応関係はますます不明瞭になる。それによって、収益力によって産業の序列付けをする意味は薄れる。資本単位が大きければ大きいほど、有利だという一般的命題は、ますます疑う余地がなくなる。
 
 「第二に、マルクスは競争形態の変化が蓄積過程にもたらす影響を分析しなかったとされるが、『資本論』第三巻の末尾のごく近く(「競争の外観」と題する章)〔岩波文庫版、第九分冊、六七頁以下〕で、次のような興味深い一節を残していることを見過ごすわけにいかない。その一節が、あともう二、三十年長生きしていたらたどったと思われるマルクスの思考方向を示唆しているからである」。
 
 「種々の生産部面における剰余価値の平均利潤への均等化が、人為的または自然的諸独占に、またとくに土地所有の独占という障害にぶつかって、そのために独占の影響を受ける諸商品の生産価格を超え価値をも超えるような独占価格が可能になるとしても、諸商品の価値によって与えられる限界が、これによって解消されることにはならないであろう。ある商品の独占価格は、他の商品生産者の利潤の一部を、独占価格をもつ商品の上に移すにすぎないであろう。間接には、種々の生産部面間の剰余価値の分配における局部的攪乱が生ずることはあるであろうが、この攪乱も、この剰余価値そのものの限界を変化佐瀬はしないであろう。もし独占価格をもつ商品が、労働者の必要消費に入るとすれば、それの商品は労働賃金を高くし、したがって剰余価値を減少させるであろう。もっとも、労働者が以前通りに彼の労働力の価値を支払われるとすれば、である。そうした商品は、労働賃金を労働力の価値以下に圧し下げるであろう。しかしそれは、労働賃金がその肉体的最低限界以上にあるかぎりにおいてのみのことである。この場合には独占価格は、実質的労働賃金(すなわち労働者が同量の労働〔力〕によって受取る使用価値の量)からの控除および他の資本家の利潤からの控除によって、支払われるでろう。独占価格が諸商品価格の正常な調節に影響する限界は、確然と規定されていて、正確に計算されうるものであろう」。
 
 かくして、資本の集積と集中は、剰余価値の分配を大資本に有利なようにねじまげる。
 
 「しかし、同じことが独占資本主義の他の中心テーマにいえるかというと、そうではない」。例えば、販売費用の増大である。
 
 流通費用は、生産企業の剰余価値から差し引かれる費用であって、それを商業資本が取得する。自由競争段階では、産業資本と商業資本が対立していたために、流通費用の相対的比重が低下すると考えられた。しかし、価格競争が弱まると、それ以外の市場シェア獲得の方法が登場してきた。「それはほとんどが販売術(製品差別化、商標名、広告、包装などなど)にかかわっていた」。
 
 「なるほどこれら術策の中には、たしかに買い手の使用価値を高めるものもあるが、はるかに大きな部分は、まったく売りやすさのみをねらったものであり、したがってそれだけ流通費用に加えられるべきものとなってしまう。こういう目的に用いられる労働も資本も、ともにおよぼ不生産的である(消費するばかりで、剰余価値を生み出さない)し、それゆえ社会的見地からすれば、まったくのムダと考えねばならない」。
 
 「独占資本主義がさらに発展するうちに―帝国主義とか、軍国主義とか、国家の力によって蓄積過程の障害を取り除こうといったいいちじるしい形における―剰余価値の新しい形があらわれてきて、それが着実に重要性を増してきた」。
 
 最後に、ヴェブレンの以下の引用で、独占の問題の章を終える。
 
 「大部分の広告業や、競争的販売方法をおこなうその他の多くの仕事のような寄生的産業の不釣合な成長は、軍事支出や、誇示的な消費のための財貨をつくり出すことを目指しているその他の産業とともに、その社会の有効な生活力をいちじるしく低下せしめ、その進歩の機会や、またはその生命をさえ、危機に陥れるほどとなるだろう。この点で、生活環境が課する限界は、結局において、一つの淘汰的な性質をもつ。生産的産業に比べて、寄生的かつ浪費的な仕事がつねに多すぎることは、衰退をもたらさざるをえない。しかし現代の機械工業はきわめて高い生産能力をもっているために、消費的な職業が存在したり浪費的な支出をおこないうる余地が、はなはだ大きい。生活資料全体の需要は、現代的方法による可能な財貨生産高にはるかにおよばないから、無駄で寄生的な所得にたいするきわめて広い余地が残るのである。したがって、経済生活の初期の段階の歴史から引き出される、産業の消耗にもとづくそのような衰退の実例は、現代の産業社会がこの点について、どうなるかということにたいするぴったりとした教訓とはならない」。
 
 「二十世紀もあと二十年近くで終るところまできた今日、この余裕分が結局は汲み尽くされるのではないかと疑う余地が十分ありそうだ。実は、これこそが、現代の危機の核心をつく問題なのである」。
 
 21世紀に入ったが、やはりこの問題は、相変わらず、重要性を持っている。「対テロ戦争」に突入したアメリカで、軍需産業は、相変わらず、重要な地位を占め、政権内に、チェイニー・ラムズフェルドなどの利害代弁者を飼って、軍需産業への需要をつくりだしている。こうした危機から目をそらして、今日の『日経新聞』社説は、数パーセント台の成長率が数年続いていることを、サッチャーイズムやレーガノミズム、小泉構造改革路線のおかげであるかのように賛美している。その小成長のために、人々の生活がどれだけ大きい犠牲を払わされたか、それが社会にどれだけの悪影響を与えたか、等々については、すっかり目をふさいでいる。英仏は成長したが、独仏は低迷していると成長率という数字上の比較だけによって、人々の生活水準や幸福度を測ろうとしている。高福祉国家スウェーデンの好調な経済については無視している。こんなかたよったでたらめ話をはずかしげもなく書くようになったら、おしまいだ。ましてや真実を追求するとされてきたジャーナリストがそれをやったら、ジャーナリズムの魂が死んでしまう。   

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第2章の補論B 競争と独占(2)

 スウィージーは、競争様式が、19世紀とは変わったことを明らかにした。
 
 「いまやわれわれが問わなければならないのは、資本の集積と集中によって競争の形が変わるからといって、古典派やマルクスが認めた競争の働き―資本主義の法則を実現させ強化させる働き―がなくなるのかどうかという点だ。その答えは、断じてそんなことはない、である」。
 
 資本対労働の領域では、その働きはむしろ増大され強化されている。古典派=マルクス派の図式では、資本家は競争のために生産コストをできるだけ切り下げようと努め、利潤を最大限にしようとする。資本家は、労働力をできるだけ安く買い、手に入れた後は、そこから最大限の生産量を搾りとろうとする。「これは、価値、剰余価値、利潤をめぐる法則すべての有効性を保証する必要条件(必ずしも十分条件とはいえないが)なのである」。

 独占段階になっても、資本家たちは競争圧力を受けて、低コストで生産するように強要されるのである。その点について、スウィージーは、ハーバード・ビジネス・スクールのボーダーの『競争戦略』(1980年)から、引用する。ボーダーは、競争圧力に五つあり、「それが「投下資本にたいする収益率を、自由競争による最低収益率に、すなわち経済学者のいう「完全競争」産業で得られる収益水準にまで絶えず押し下げようと作用する」という」。同一産業内で他企業の追い落とすための戦略的早道は三つあるという。①コスト面でのリーダーシップをとること、②製品差別化、③集中生産、の三つである。この中では①が重要だという。
 
 「低コストの立場にいれば、その産業内部の競争がどれほど激しくても、平均以上の収益を手にすることができる。コスト面の優位は、その企業にとって競争者の追い上げを許さぬ武器となる。というのは、低コストさえ維持できれば、競争者が互いに利潤を奪い合った後でもなお、収益を手に入れることができるからである。もっとも低コストの立場でいられれば、強力な買い手があらわれても、その買値の切り下げも、自企業より一歩手前の低コストのとkろで止まるから、なお自企業を守ることができる。さらに低コストであれば、原価上昇に対応する伸縮性に富んでいるから、強大な供給者にも屈することがない。低コストであれば、通常また、規模の経済という点でも、コスト優位という点でも、それらをもたらす要因のおかげて、実質的な他企業の参入にたいする障壁を形成する。最後に、低コストは通常、代替商品が登場した場合でも、その産業内部の競争者に比べ、当該企業を有利な立場におく。競争の圧力でまずはじめに敗れるのは、コスト切り下げにおくれをとった企業であるし、また低コスト化という点で自企業より一歩劣る競争相手が敗れ去るまで、儲けを削って安売り競争を続けるかもしれないが、それまでである。こうしたゆえに、低コストの企業でいられれば、先に述べたような五つの競争要因のどれにたいしても、自企業を守ることができる」。
 
 こうした低コスト化と同時に、大独占企業は、労働力を最大限に搾取する能力も発達している。それを、プレイヴァマンの『労働と独占資本』(1974年)から引用している。
 
 「生産過程の決定的発展が独占資本主義と性格に同じ時期に始まる・・・。科学的管理と、生産をその現代的基礎の上で組織化するための全「運動」は、前世紀末の二十年間にその起源をもっている。労働力の資本への転化をより急速にするための科学の体系的利用を基礎にする科学技術革命もまた・・・同じ時期に始まる。したがってわれわれは、科学的管理と科学技術革命という資本の活動の二つの側面を述べることによって、独占資本の主要な様相のうちの二つについて述べてきたことになる、これら二相は、年代的にも機能的んみも、資本主義発展の新しい段階の一部を成しており、独占資本主義から生じつつ独占資本主義を可能にしているのである」。
 
 マルクスは、すべての階級社会の「決定要素」、すなわち、その社会の基本的な性格を規定するものは、「不払剰余労働が直接生産者から汲み出される特殊の経済的形態(『資本論』第3巻第47章第2節)と考えた。この特殊な形態は、資本主義下では、資本・賃労働関係である。独占資本主義への移行は、この関係を純化し、完全なものとした。不払剰余価値の分配とその利用形態などの副次的な面では、重要な変化が起きた。

 「独占資本主義において競争は形を変え、マルクスが『資本論』第三巻第二篇で分析したような体制全体の平均利潤率へ向う傾向をもたらざずに、独占の状態に一番近い産業が最大の利潤を手にし、小規模競争的な企業が大部分をなす産業でそれが最小となるような利潤率の階層的な形をもたらす。剰余価値が利潤率のメカニズムを通して分配され、また、ある一定の産業において利潤率の高さと企業の数や規模との間に大まかな相関関係がみられることから、次のことがわかる。つまり、集積と集中が進行中であるなら、ますます多くの剰余価値が、比較的小規模で競争的な部門から、より大規模で独占的な部門へと吸いとられる傾向が強いということである。ところが、蓄積に向けられる剰余価値の量は、それを生みだす単位資本の規模や収益性にたいして常に大きくなるため、経済構造全体における独占度が高ければ高いほど、同じ剰余価値総額も、蓄積の度をますます高くさせる傾向をもつことになる」。
 
 これらの点は、今日の格差拡大・固定化を見るのに重要である。例えば、今日の『毎日新聞』経済面の、経済財政諮問会議の二人のメンバーのインタビュー記事はそれを物語っている。伊藤隆敏東大教授は、成長をしっかりとさせるために、改革を継続させると述べている。さらに、女性の育児支援を拡充して、女性と高齢者の労働参加率を高めるとしている。現状では、女性も定年後の高齢者も多くがパート・嘱託などの非正規雇用者であり、低コスト労働力を追加労働力とするということだ。もっと露骨なのは、八代尚宏国際基督教大学教授である。氏は、小泉改革で格差が拡大したといわれる点について訊かれて、「規制改革で、既得権を持っていた人は損をしたかもしれない。だが、新たに職を得た人もいる。所得ゼロの失業者が減少したことを含めて考えれば、格差は拡大していないのではないか」と答えた。非正規雇用の増大については、「非正規雇用が増えたのは経済の長期低迷のためだ。正社員の雇用や所得を守る「緩衝材」として、非正規雇用が機能した。日本では、正社員と非正社員の間に身分の格差が存在している。正社員の雇用、所得保障を緩め、非正社員との壁を低くすることで格差是正を図る」という。正社員の待遇を下げて、格差を是正するというのである。消費財生産部門の第Ⅱ部門をさらに縮小させるわけだ。そして、ニート、フリーター対策は、「大部分は働きたいと思っているのだから、規制緩和で雇用機会を増やすことで吸収すべきだ。子育て女性の再就職を含め、中途採用の機会を保障することが大事になる。年功序列制をやめ、質の悪い正社員を中途採用で置き換えられる仕組みも必要だろう」というものである。驚くべき抽象的な考えであり、空想である。こんな空想者が、経済財政諮問会議の委員だというのだから、まともな政策が出てくるわけがない。ただ、労働コストをできるだけ下げたいという企業の願望を代弁しているだけだ。企業の利益に奉仕するのは、茶坊主のすることであって、経済学者の仕事ではない。

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第2章の補論B 競争と独占(1)

 競争は、経済的法則の内容を決定するのではなく、経済主体(資本家、労働者、地主、消費者など)をこの法則に従わせるような圧力を形成させるものである。競争は、資本主義の諸法則の執行者であり、実現手段なのである。
 
 マルクスが関心を向けたのは、「法則」であり運動法則であって、その実現手段ではなかった。それに対して、競争が「完全」だとか「純粋」だとか、一義性や安定性等々を論じうるような均衡状態に至るといったことを主張する者がある。「この種の妄想は、ブルジョア社会の歴史とその運命の形成に当たって経済の果たす真の役割を、暴露することよりもむしろ隠蔽しようと志す人々が、はるか後年に経済学の中にわざわざ持ち込んだものである。マルクスも古典派経済学者も、このような知能犯的ゲームにくみするものではなかった」。
 
 「各産業は、次々に少数の巨大企業の支配下に陥り、こうして資本主義の初期を特徴づける競争条件がすでに急激に変わってしまった」。アメリカでは、ソースタイン・ヴェブレンが『企業の理論』(1904年)、オーストリアでは、ヒルファーディングの『金融資本論』(1910年)が、この問題を取り上げた。

  「競争的資本主義から独占資本主義への移行に当たって問題になるのは、競争の排除ではけっしてなく、むしろ競争の形態と方法における変化なのである」。
 
 集積と集中が進み、各産業の企業数が減少すると、商標名、広告などの販売合戦、大口お得意へのお礼の割り戻し等の方式で、市場の一角に地歩を築き、しかる後、そのシェアを固め拡げようとするようになる。この競争様式の初期には、価格引き下げによって市場での地位を高めるように努めたが、やがて、それが共倒れにつながるものと気付くようになる。アメリカでは、そのおかげて、南北戦争後の戦後ブームをピークに、19世紀末まで、物価が急落した。1873年の卸売物価を100として、1898年には、それは53にまで下がった。企業破産が続出した。そこで19世紀末には、法律や団体(同業者組合)、申し合わせ(プライス・リーダー制)などをつくって、対処した。

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第2章の補論A 利潤率の傾向的低下の法則

 次は、利潤率の傾向的低下の法則についてである。これは、マルクス『資本論』第三巻第三編にあるものだが、第三巻は、欠落の多い草案をエンゲルスがなんとか整理してまとめたものである。『資本論』草稿研究は現在も続けられている。
 
 スウィージーは、この法則についての三つの誤った解釈を処理する。
 
 第一の誤った解釈。利潤率の低下と蓄積に向けうる利潤(剰余価値)量の減少を混同し、マルクスはこの法則によって資本主義の窮極的没落の説明を意図したと結論づけるというもの。しかし、マルクスは、「かくして、利潤率の累進的低下にもかかわらず、資本によって雇用される労働者数の絶対的増加、資本によって動かされる労働の絶対的増大、資本に吸収される剰余労働量の絶対的増大、その結果としての資本によって生産される剰余価値の絶対的増大、したがって生産される利潤量の絶対的増大―は、ありうる。単にありうるのみではない。資本主義生産の基礎の上では―一時的な変動は別として―そうならざるをえないのである」と述べている。
 
 第二の誤った解釈。この法則を予言として扱うこと。しかし、マルクスは、「傾向」という言葉を使っていて、「法則」とは名付けなかった。
 
 第三の誤った解釈。「マルクスはこの法則を、恐慌と景気循環の両者あるいはいずれかの理論とすること、または少なくともそうした理論の基礎とすることを意図していたとするものである」。「この法則の内的矛盾の展開」という章は、「前の二つの章で述べられたこの法則にもとづくものではなく、むしろ、普通、実現の問題と呼ばれるものあるいは信用制度の気まぐれに関連しているもの、ということを示している。そしてこれらの問題は、すべて利潤率の長期的な傾向とはまったく別のものなのである」。
 
 この法則の重要性
 
 リカードを先頭とする古典派経済学者たちは、この法則を不可避的な趨勢と規定し、その教義ゆえに「陰鬱な学問」と呼ばれていたという。それがどのようなものかの説明は省いて、結論だけをあげると、経済過程は、資本家が蓄積の誘因を失う点まで達し、J・S・ミルが述べた静止状態に至る。それを避けるには、穀物法を廃止して、肥沃土の劣る土地に依存しないようにすることである。「こうして、イデオロギー的にも政治的にも、古典派経済学は、勃興しつつあるブルジョアジーにとり、その自由貿易と土地貴族への支配とを求める闘いにおける、偉大な武器となったのである」。
 
 マルクスは、これを否定し、資本は、科学・技術の進歩を、労働の犠牲のもとにそして資本に有利なように、利用して、収穫逓減の法則を働かせなくすると言った。マルクスは、マルサス派の人口法則を否定し、資本主義を激しい力を内部に秘めつつ、人間労働の生産力をいちじるしく増大させるという歴史的使命をもった制度として把握した。もちろん、マルクスは、それが排除も克服することもできない本質的に矛盾を背負った制度であることを明らかにしたのだが。
 
 「マルクスは、利潤率の傾向的低下の法則を、これらの矛盾の激しさと不可避性とをはかる決定的に重要な指標とみなしていた」。
   
 この法則の根拠

 商品価値w=不変資本c+可変資本v+剰余価値s
 
 利潤率pは、剰余価値の総資本に対する比率であり、上価値率s’は、可変資本にたいする剰余価値の比率である。また、不変資本の可変資本にたいする比率は、資本の有機的構成oである。これらの内的関連を表す式は、
 
 p=s/c+v=s/v/(c+v)+(v/v)=s’/o+1
 
 ここから、利潤率は剰余価値と正比例で変化し、資本の有機的構成と反比例で変化することが導き出される。
 
 計算式上は、いろいろと空想的な結論を引き出すことができるが、現実には、有機的構成の変動の範囲は、剰余価値率のそれとだいたい同程度である。マルクスは、有機的構成が、剰余価値率より急速に上昇すると考えたが、それは、彼が、産業革命の絶頂期を体験していたからである。19世紀のイギリスでは、マニュファクチァー段階から、近代工業への移行期であり、成熟した資本主義になる途上にあった。生産手段を生産する第Ⅰ部門は、経済の決定的な部門になるまで成長した。それに対応していたのが、社会の総資本の有機的構成の高度化であった。「このような状況下では、マルクスが、問題はなぜ利潤率が低下するのかではなく、なぜその低下がもっと急激かつ急速ではないのかと考えたのは、少しも不思議ではない」。
 
 要するに、マルクスの利潤率の傾向的低下の法則は、19世紀の資本主義の条件に根ざしていたのである。手工業から機械工業への移行期には、労働生産性の増大は、資本の有機的構成の高度化をもたらすとみなすことができた。それは、通常、剰余価値率の上昇をもたらすが、後者が前者を上回るとする理由はない。だから、利潤率が低下する傾向について述べることは理にかなっている。
 
 産業の機械化が広まれば、局面が変わる。資本家が労働生産性を高める方法(利潤率を上げる方法)は、生きた労働力を機械に置き換えるだけではなく、機械と行程をより生産性の高いものに置き換えることでも行う。この場合に、資本の有機的構成が高くなるか低くなるかを特定する理由がない。剰余価値率は増大するとみなすことができるから、利潤率の傾向的上昇について語ることは理にかなっている。
 
 統計資料からは、19世紀から20世紀に入るまでは、マルクスの想定どおり、資本の有機的構成は上昇している。アメリカでは、資本の有機的構成は、1919年までは上昇したが、20年代は水平に推移し、それ以後は下降している(深刻な大恐慌によってその傾向が消し去られた1930年代初期を除いて)。このことから、発達した資本主義諸国で、現在、資本の有機的構成が必然的に低下するとか、将来、低下のみが可能だというかいうことはできない。
 
 利潤率の歴史的な変動にかんしての信頼できるデータはない。現実の利潤率の歴史的変化は、剰余価値率や資本の有機的構成の変動によってのみではなく、マルクスが「反対に作用する諸原因」に含めた要因を含む多様な諸要因によって規定されている。

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第2章資本主義をめぐる諸矛盾(5)

 スウィージーは、次に、独占資本の問題に移る。

 個別資本は、他の企業を吸収し合併することで、拡大することができる。内部蓄積で拡大することを「資本の集積」、吸収・合併によって拡大することを「資本の集中」という。
 
 マルクスは、巨大な独占企業体の進展に気付き、理論化した最初の経済学者であったという。マルクスは、その根元を、小規模資本に比べた大規模資本の有利性に、また他方では、鉄道などのような単独の資本家ではとうてい手に負えない大量の資本を集めて事業を進める会社形態の大きな能力に見出していた。
 
 マルクス後、独占資本について、ヒルファーディングとレーニンが理論を構築した。ヒルファーディングの『金融資本論』とレーニンの『帝国主義論』以後、この方向の研究は、西欧ではしばらく止まってしまった。第二次世界大戦後、ようやく研究が再開された。
 
 市場における販売価格に大した影響力を持てないような数多くの小規模な資本単位の間での競争がある―こういう前提があってはじめて、価値法則が正常に機能することとなる。このような環境のもとで生き残りかつ成長していく道は、よりよい製品をより安い価格で生産することである。このようにして成功した資本家は、それぞれ余分の利潤を享受するが、そうなれば、他の人々も彼と同じ道を進むよう誘いかけられる(そして―あるいは―新たな資本家がその産業へ引きつけられる)こととなる。平均コストが安ければ、その製品の価値は下がり、産出量が増すに従って、価値と価格の新たな均衡点に向かって価格も下がっていく。競争が同じく価格と価値を均等化するように働き、平均コストが同一のときは、生産物にたいする需要が強まれば価格や利潤の増大をもたらし、それが弱まれば弱まれば低下をもたらす。こうなれば、右に応じて新しい次元での均衡が成立するまで、新しい資本がその産業の魅せられて参入してきたり、あるいは反対に限界生産者が追い出されたりする。重要な点は、価格(したがってまた利潤率)の変動メカニズムを通してこの調整がなされることであり、しかもこれは生産者の意図的な行動ではなく、需要と供給の状況変化によって起こされるのである。価値理論を擁護するこのような論法は、もちろんマルクスに始まったものではなく、それはアダム・スミス、否、それ以前にさえさかのぼる古典派経済学の眼目をなすところのものであった。
 
 資本の集積・集中が進むと、個々の生産者は小さすぎて生産価格に大した影響力を行使できないという前提は正しくなくなる。このようなことが、組織全体の動きを支配するような部門で起こった時、資本主義は競争段階から独占段階へと移行したことになる。
 
 独占的競争の広がりは、つくりだされた価値や剰余価値の全体量を変えるものではない。その剰余価値の再配分が、独占度の低い競争的段階に止まっている産業の犠牲において、独占度の高い産業に有利に行われる。独占が進むにつつれて、剰余価値が一番規模の大きい資本に多く入り、小さな資本に流れる分はそれだけ減るのである。独占の度合いが大きいほど、経済の持つ蓄積力、過剰蓄積力も大きい。
 
 ただし、独占は、過剰投資によって、市場をだいなしにすることを恐れて、生産能力を未使用のまま温存させる。
 
 「資本主義生産に真の障害をなすものは資本自身である」とマルクスは書いている。私は、独占資本は、実際その障害をさらに巨大で恐ろしいものとするといってきたのである。それだからこそ、景気停滞―成長の鈍化と失業率の上昇、くわえて生産力の慢性的な低稼働の重なったもの―資本主義経済の常態になってきたのである」。
 
 アメリカでの1930年代不況、第二次世界大戦下の急激な盛り上がり、40年代終わりから70年代はじめにかけた比較的につまづきなく拡大を続けた四半世紀、、そして永続的な不況という始まりの局面へ。
 
 1940年から45年の間、アメリカでは、生産性の高い年齢層の男女合わせて1100万人が軍隊に吸収されていた。その時に、国民総生産が、実質額で75%も上昇した。過剰蓄積された生産力が解放され、資本主義生産に対して無制限の、市場が開かれたのである。
 
 「まさにこの点に、われわれすべて、つまり私の意味する人類全体が、遅かれ早かれ学んでいかなければならない教訓があると思う。マルクス主義者は、これまで常に、資本主義の創り出した生産力は、それがほどよく人間の欲求を満し、貧困をなくし、裕福な社会を築く方向に用いられた場合には、それらを達成させる十分な強い力を持っていると主張し続けてきた。百年前には、このような主張は、まだ疑いもなく時期尚早であった。しかし今日の先進資本主義諸国においては、こうした主張は証明しうる事実に基づいている、米国で第二次世界大戦中に達成されたような生産率rate of production―もちろん内容的には破壊の道具を急増させるより、必需品を充足させる方向に適切な方向転換をさせねばならぬが―が続きさえすれば、歴史的に短い期間で、国民に生活用品を十分豊かに充足させるだけ生産することができよう。またもし同様の状態が他の先進諸国にも存在し、さらにそこでの知識が現在の発展途上国に自由に利用させるならば、全世界は数世代も経ずして、右と同じような充足した水準に引上げられうるだろう。(私は生態学的面の配慮は別としたが、この種の問題は、もし生産が利潤を極大化することではなく、ただひたすら必要を満す方向で進められさえすれば、合理的で、人間的に有利でさせある解決へと導かれると固く信じている。)
 すべての人間にたいし、相当程度の生産が手に届くところにあるという社会主義者や共産主義者の恐らくもっとも古くからの夢は、いまや過去のいかなる時よりも確固とした根拠をもってきていると私は結論する。多くの失望や不幸な経験が起ったため、かつての大きな魅力ある訴えが―残念なことに、それとまさに反対にあるべき時に―その力を失ってしまった。しかし、その夢をまたとりもどし、この実現にふたたび身を捧げるべき時がいまや来たようである」。

 過剰蓄積により、平常時には、遊んでいる設備の生産力が、総動員され、フル稼働した時、多くの人口が、軍隊などの非生産的部門で養われるだけの余剰を生み出したのである。

 小泉政権が、「痛みに耐えよ」と叫んだのは、なんだったのか? それは、ただ利潤を犠牲にしたくない、蓄積のために蓄積するという資本の本能に従って、蓄積のために、大衆の生活を犠牲にするから覚悟せよという意味だったのだということが、ここからわかる。

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第2章資本主義をめぐる諸矛盾(4)

 資本自身の性格に根ざす過剰蓄積の衝動を確認した上で、しかしこの傾向が、どのような形で現実になるかは、それに逆らう動きがどれだけあるかにもよるが、むしろ蓄積過程が歴史の中でどう現実に現れてくるかにかかっている。
 
 資本主義の歴史は、大きく三つの時期に分かれる。
 
 (1)16世紀に始まり、18世紀を通ずる重商主義段階。マニファクチャー。工場内分業が発展していく手工業の段階。第Ⅰ部門(生産手段生産部門)は、ずっと小さい。蓄積は、主に、商業、農業、鉱業で進められた。
 
 (2)18世紀に繊維部門で始まり、19世紀の産業革命で広まった近代工業(機械工業)。競争的資本主義、自由主義の時代。蓄積は工業において行われ、輸送と通信の広範な社会資本(有料道路、運河、港湾、蒸気船、鉄道、電報)を含む第Ⅰ部門の増強に向けられた。
 
 (3)独占資本主義段階。資本の集積と集中、企業組織としての会社形態の発展。19世紀終わり頃に始まる。「この段階における経済構造の特色は、両部門がいまや十分に発展して、急速な拡大や、市場、生産方法および他のタイプの技術革新における変化に十分に順応できるという意味で、「成熟」しているということである」。
 
 この第二段階において、第Ⅰ部門が経済全体における主要な部分へ成長した。雇用の拡大、実質賃金の上昇、農民その他の階層の人々の一人当たり所得の増加によって、第Ⅱ部門も成長した。しかし、平均では、第Ⅱ部門の成長は、第Ⅰ部門の成長よりもゆるやかだった。「このことは、第Ⅰ部門の生産物にたいする需要の大部分が、その部門自身のなかから出ていたことを意味する」。
 
 生産手段は、老朽化した生産手段の取り替え、消費財生産能力の増大、さらに多くの生産手段をつくる能力の増強、に向けられる。これは、資本主義特有の過程ではなく、発展の一般段階における資本主義、成熟してゆく資本主義に特有の過程である、
 
 「こうした発展が進むと、第Ⅰ部門が、老朽化した生産手段の取り替えに必要な部分をすべて供給するとともに、第Ⅱ部門の拡大のための投入も十分用意できるほど増殖される時期の到来を、遅かれ早かれ必至と考えねばならない。(こおした見通しは、民需および軍需物資の消費者たる政府まで含めて拡大しうるし、またそうしなければならない。こうした面の需要は、一九世紀には、それほど重要でなかったが、われわれの時代には、ますます大きく浮かび上がっている」。
 
  第Ⅰ部門の成長>第Ⅱ部門の成長が長期間続く場合、景気循環の好況局面で第Ⅰ部門が急拡大するが、下降局面では、第Ⅱ部門よりも第Ⅰ部門の収縮の方が激しいが、やがて両部門の均衡が回復される。
 
 「しかし、成長過程が終わり、第Ⅰ部門における成長率の持続可能性が、本質的に第Ⅱ部門のそれに頼らざるをえなくなると状況は一変する。もしも資本家たちが、社会の消費力(前出の引用文でマルクスが述べているような意味で制限された)が受容しうる以上に、彼らの資本(社会の生産力)を増やそうとするなら、過剰能力を創りだす結果となろう。過剰能力が増すに従い、利潤率は下がり、蓄積の過程は、二つの部門間の均衡がふたたび確立されるまで、足踏み状態が続く、これは、経済がその生産能力を十分に発揮できないまま動く形となる、新しい刺激(戦争、新しい領土の開拓、画期的な技術もしくは生産方法の革新)がなければ、こうした沈滞状況は続くことになる。資本の再生産過程におけるいかなる論理をみても、こうした沈滞のさなかにある経済を救いだし、新しい発展の時代を始める要因は見当たらない」。

 シュンペーター的なイノベーションを経済の動的過程に組み込んでもいる見事な一般的分析である。しかし、スウィージー自身が言うように、「具体的な歴史的体験を分析する際、一般的な分析理論では割り切れない要素が多数作用していることは、いつも心に留めておかなければならない」。               

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第2章資本主義をめぐる諸矛盾(3)

 次に、スウィージーは、過剰蓄積の問題を説明する。
 
 資本家は、なぜ、彼らの最上の利益に反するような資本主義制度に不可欠の慢性的過剰蓄積に、意図せずしておちっていくのか?
 
 過剰蓄積には、長期間の景気停滞と、景気回復→好景気→恐慌→景気後退→景気回復という局面を持つ景気循環の二種類がある。前者は、傾向としては常に存在する。ただし、それに逆らう動きもある。後者は、19世紀初頭以来、継続的に起きてきた。両者が重なって起きたのが、1930年代であったという。
 
 「米国の国民総生産(GNP)がほとんど、もしくはまったく伸びず、失業率が一五ないし二五パーセントにもわたるという驚くべき景気停滞が十年続く一方、その中で(一九二九年恐慌、一九三三年に向けて景気後退、一九三三年から三七年の景気回復、そして一九三八年および三九年に再び景気後退、という)完全な景気循環をも含んでいたのである」。
 
 景気循環が過剰蓄積の現れといいうるのはどのような意味においてだろうか?
 
 経済が、第Ⅰ部門(生産手段生産部門)と第Ⅱ部門(消費財生産部門)の両部門の需要減退状況から抜け出して、景気回復の局面に入っていると仮定する。この局面では、失業率は高く、利潤率と利子率は低く、貨幣と信用供給は潤沢である。「景気回復への刺激は、その前の景気後退期における在庫の減少から生じるのが典型的である」。在庫の減少がある点に達すると、資本家は、在庫の再積み増しを始めるが、それには、追加労働者を雇い、両部門の生産を拡大し始める。失業者のプールがあるので、賃金を押し上げることなく、しばらくの間、こうした状態が続きうる。「遊休生産能力が動員され活性化すると、共通費は増大する生産単位に割りふられ吸収され、利潤は急速に上向く」。   
 
 ここで両部門に過剰蓄積が進む。増大する剰余価値を両部門にうまく釣り合って進むように調節するということは、理論上は可能である。しかし、資本家は、景気回復の局面では、違うやり方で行動する。資本家の関心事は、資本の拡大である。「これは、利潤のいっそうの増大と、信用が容易に得られることとに促され、蓄積のブームをひきおこす」。まさに、2002年からの景気回復期に我が日本の資本家たちがしたように、利潤を拡大しつづけることに全力を注ぐ。前経団連会長のトヨタの奥田は、もっと儲けろとそれを煽った。
 
 「しかし、第Ⅱ部門の生産物にたいする需要の増大は、全体の生産にたいするよりもゆるやかであり、これは、不釣合なほど多くの投資が、第Ⅰ部門の拡大にむけてなされることを意味する。こうした過程は、第1部門の拡大が、それ自身の生産物にたいして必要な需要をつくり出し、かなりの期間にわたり中断することなく続かせることができる、しかし、遅かれ早かれ、二つの部門間の成長に、支えきれない不均衡が生じ、蓄積のブームは、漸減し始める。さらにまさにこの段階で、賃金の高騰とか利子率の上昇といった矛盾もつけ加わって、相当の段階になると、利潤率のみならず利潤の総量まで減らすことになってしまう。これは、うち続く蓄積の流れを崩し、危機を速め、景気循環における後退の局面を順々に招くことになる」。
 
 「いま、この理由づけをM―C―M’の定式で示せば、資本家は、少しでも富をふやそうという飽くなき欲望と競争の圧力におされて、完成財の需要を示すその最終項は考慮に入れない―あるいは考慮に入れることができない―で、価値・剰余価値の生産を示すその中間項の拡大につとめることになる」。
 
 資本家は、完成財の需要を考慮に入れて、生産するのではない。それが、マルクスの考えでもあることを示す部分として、『資本論』から以下の部分を引用している。
 
 「この剰余価値の創出は、・・・直接的生産過程の目的をなす、搾り出せるだけの量の剰余労働が商品に対象化されれば、剰余価値は生産されているわけである。・・・そこで、過程の第二幕となる。総称品量は・・・売られねばならない。それが売れないか、または一部分しか売れないか、または生産価格(すなわち、修正された価値)以下でしか売れないならば、労働者は搾取されているには違いないが、彼の搾取は資本家にとってはそのとおりには実現されないのであって、それが搾取された剰余価値の多くの非実現を伴うことも、じつに彼の資本の部分的または全部的喪失を伴うことさえも、ありうる。直接的搾取の諸条件と、この搾取の実現の諸条件とは、同じではない。両者は、時間的および場所的にのみではなく、概念的にも一致しない。一方は、社会の生産力によって制限されているだけであるが、他方は、種々の生産部門間の均衡と、社会の消費力とによって制限されている。しかし、この社会の消費力は、絶対的生産力によって規定されているのでもなければ、絶対的消費力によって規定されているのでもない。そうではなく、社会の大衆の消費を、多かれ少なかれ狭隘な限界の内部でのみ変動しうる最小限に帰着させる、敵対的な分配関係を基礎とする消費力によって、規定されている。それらはさらに、蓄積衝動によって、すなわち、資本の増大と拡大された規模における剰余価値の生産とへの衝動によって、制限されている」。       

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第2章資本主義をめぐる諸矛盾(2)

 M―C―M’の資本主義の循環過程の定式は、年々資本を自己増殖する価値であるということを意味する。資本主義は、増殖する運動であって、「領域の拡大をめざす」という「基本的な性質」を持っているのである。
 
 「全体像として考えると、資本主義は拡大しなければならない。そうしなければ、一部の自由主義的改良主義者が信じたがっているようなゼロ成長の安定した状態ではなく、痙攣しながら収縮をし危機を深めていく方向しかない」。
 
 これは、まさに日本資本主義に、1990年代に生じたことである。そして、アジア通貨危機で、東南アジア諸国が、そして韓国が経験したところの危機であった。東南アジア・韓国には、IMFが、介入した。資本主義は、収縮によって、その基本性質が麻痺されるのである。したがって、収縮に対して、様々なものを犠牲にして、成長を実現しようとする。何のための成長か? それは資本の自己増殖する価値という資本自身の本性によってである。
 
 ここまでは、資本主義の生産・循環過程が順調に進むことが仮定されていた。「資本家が必要とする種類と量の労働力や生産手段を購入できること、生産過程自体でなんらの支障に直面しないこと、および製品をその充分な価値で売ることができること」。
 
 しかし、この仮定は、満たされていないことが普通である。循環過程の中断、不調について、いくつか見ていく。
 
 (1)生産手段と労働力の調達について。生産手段は、資本家たちによって、他の資本家の必要に応じて、生産し、価値どおりに販売しようとされる。しかし、外国貿易からしか供給されないような原料や半製品の潜在的な供給途絶の危険が常にある。そのために、購買国側の資本家たちは、国家と協力して、産地に対する統制力を働かせるように求める。「これは、明らかに、資本主義時代においては、帝国主義的な拡張に駆り立てる力となる」。現在、アメリカなどが、中東産油地域に介入している大きな動機の一つが、これである。
 
 労働力の供給は、さらに複雑である。
 
 「労働力は、価値法則の指令通りに、資本家によって生みだされるものではなく、需要にたいする、性急なあるいは効果的な供給調整が、先天的には期待できるわけではない。それゆえ、これにたいする大規模な国家の干渉が、資本主義の歴史を通じて、例外というよりはむしろ通例であった。つまり、その干渉は、前資本主義的関係の崩壊の促進を意図した方策から、奴隷や年季奉公の形の労働者の輸入、ひいては、(第二次世界大戦後のヨーロッパにみられるような、いわゆる「お客さん」の労働者〔中近東やスペイン・北アフリカ等から来た出稼ぎ的労働〕の大量移住の場合のように)組合などに属さない労働者の移住の促進や女性にまで及んできた。ほとんどすべての資本主義時代の創造物である西半球の民族および人種の構成にざっと目を通しただけでも、現代世界史において、こうした要素がきわめて重要であることはよく分かるだろう」。

 (2)生産過程における障害
 
 生産過程自体、資本と労働の対立の場である。ストライキ、ロックアウト、ボイコット、むきだしの暴力行為、等々の形での闘争が、生産・循環過程を混乱させる。
 
 (3)完成財の販売。生産過程でつくられた価値の「実現」の問題。
 
  個別の資本家は、個々の場合に、生産物を価値以上でも価値以下でも販売する。全体として、価値通りに売れるかどうかが問題である。
 
 「もし、それができるならば、循環過程はスムーズに稼働することとなるし、それができなければ、古典派経済学者が供給過剰と呼んだ状態となる。つまりここでは、生産が低下し、利潤は減り、失業が増える等々となる。長い経験からわかるように、―そして、マルクスがこれらを認識した最初の一人であったように―こうしたことは、資本主義のもとではしばしば起り、当面は大幅小幅の定期的な循環をみるが、さらに一般に循環的下降をその中にふくみながら長期的停滞をみせるのである」。   
         

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第2章資本主義をめぐる諸矛盾(1)

 スウィージーは、第1章で、弁証法的唯物論・史的唯物論の基本的な考え方を整理した。それが必要だったのは、なによりも、経済学が形而上学的思考方式に陥っているのに対して、マルクス主義経済学の弁証法的思考方式を対置することが重要だからである。しかも、形而上学的思考方式が、マルクス主義の中にも浸透してきたという危機感があったからだろう。80年代にはまだ構造主義の影響力は圧倒的であったが、90年代にはポスト構造主義が台頭し、スウィージーが強調した「交互作用」の原則については、「常識化」しつつある。構造・関係に対する決定論的な見方は、ずいぶん後退している。運動する構造、変化する関係、等々といった動学的見方が、取り戻されつつある。ブルジョア経済学者たちが、経済動学の祖と認めているマルクスの弁証法的思考方式が、形而上学的思考方式にうちかちつつあるのである。新古典派経済学もケインズ経済学も、なんとか静態的な体系から脱して、経済学の動学化に取り組んできたのだが、どうしてもうまくいかないのである。
 
 こうした基本中の基本を確認した上で、第2章資本主義の危機をめぐる諸矛盾に入る。
 
 まずは、基本のおさらいである。商品とは何か? 「商品とは、―財であれサービスであれ―使用するためではなく、販売するために生産されるものである」。資本主義のもとでのみ、商品生産が支配的になり、労働力も一般的商品になる。「生産者たち、とりわけ農民たちは、生産したり、生計の道を得るための伝統的な生産手段から根こそぎ切り離されてきた」。農民は、生きるために労働力を売らざるをえなくなる。それを買うのが、生産手段と貨幣すなわち資本を持つ資本家階級である。こうして、資本家階級と労働者階級が形成される。この過程に、強力な国家権力が関わる。
 
 「階級形成をめぐるこの対をなす過程こそ、マルクスが「本源的蓄積」とよんだものである」。
 
 マルクスは、「本源的蓄積」の過程を西ヨーロッパの歴史から描いたが、それは、資本主義の一般的な「前史」をなす。
 
 単純商品生産は、生産者が商品Cを市場で貨幣Mと交換し、それを必要な商品Cと交換する。今日でも、第三世界などでは、こうした単純商品生産と商品交換が普通に見られる。例えば、アンデスの山間部の農民は、自分が生産した農産物を持って、市場にきて、それを売って、その市場・商店から、必要な商品を購入して帰る。すなわち、C―M―C。これは、消費・使用のための生産体系である。「そこでは、生産者は自分の生産物を(少なくともその全部を)自らは消費しないにせよ、その生産目的はみな自分たちの必要性を満たすためであって、その富を増大させるためではない」。
 
 それに対して、資本主義では、直接に生産にあたる人々は、生産手段を所有していないので、「生産過程を開始したり管理したりできない」。生産手段の所有・管理者の資本家に労働力を売らねばならないのである。そこで、過程の出発点が、貨幣Mとなり、過程は、M―C―Mとなる。
 
 「資本主義のもとでは、資本家が購入する労働力という商品は、資本家がつくりだすものではなく、むしろ労働者階級の家族生活のなかからつくりだされ、労働者たちによって使用価値として所有されているものである」。
 
 だから、資本家たちは、絶えず、家族・教育についての不平不満をこぼすのである。これは、なかなか資本家の自由にならないのである。
 
 単純商品生産C―M―Cにおいては、最初のCと最後のCの交換価値は等しい。いずれも交換価値量は、Mである。この交換の生産者の目的は、使用価値の増大であって、交換価値の増殖が目的ではない。例えば、アンデスの農民が、自分たちが消費する以上のトウモロコシを生産したが、肉を生産していないので、肉が必要なら、余分なトウモロコシを市場で貨幣にいったん換えて、それで肉を買えば、使用価値を増大したことになる。必要でないもの=使用価値の小さいものを欲しいもの=使用価値の大きいものに変えたのだから。したがって、ここで媒介にMという貨幣が介在しているが、これは単なる交換手段であって、物々交換でもこの過程に本質的な変化はない。
 
 それに対して、M―C―Mの場合は、貨幣を出発点として、貨幣で過程が終わる。「最初と最後の項は、ともに貨幣であり、質的には同一であって、それ自身の使用価値はなくなる」。二つのMが量的に等しいなら、こうした経済活動を行わない。そこで、循環形態を、M―C―M’、M'=M+ΔMと書き直すことができる。ΔMは、増殖した貨幣、剰余価値である。この剰余価値の取得こそ、資本主義生産の動機であり、目的である。
 
 では、この剰余価値はどこから得られるのか? 「労働日の一部が労働者が消費する価値と置き換えられ、残りの労働日が剰余価値を生んでいる」のである。ここでマルクスは、リカードの労働価値説を踏襲している。
 
 労働日のうちで、労働者が消費に必要な分の物質を生産するのに必要な時間の労働を「必要労働」、それを超えた資本家のための時間の労働を「剰余労働」とよぶ。必要労働に対する剰余労働の比率を、「搾取率」、あるいは価値として表現して「剰余価値率」とよぶ。

 他の条件が等しければ、労働時間の延長は、剰余価値を生み、剰余価値率が上昇する。これを「絶対的剰余価値」の創出とよぶ。
 
 「これとは反対に、同じく他の条件が等しいとするならば、労働者が生産性(機械の導入、労働過程の再編成、スピード・アップなどにより)が上昇すれば、そしてまたそれにより労働者の最低生活を生産するのに要する労働時間が短縮されれば、労働日のうち必要労働に当てる比率は下がり、剰余価値創出に当てる比率が上昇することとなる。このような場合にもまた、剰余価値率は上昇する。マルクスは、これを「相対的剰余価値」の創出とよんだ」。

 ここで、スウィージーは、剰余価値、剰余価値率、絶対的剰余価値および相対的剰余価値について、本論から離れて論じる。これらの概念は、古典派経済学の労働価値説をもとに導き出されている。「マルクスは、資本主義を考察する枠組みを、新古典派経済理論の手法のように交換価値の静態的な体系としてではなく、歴史的な過程として捉えている」。マルクスは、初期資本主義の強奪と暴力の単なる大混乱の中に、独自の資本主義的生産様式が出現する過程を見るのである。資本主義的生産様式は、封建領主=農奴関係にとってかわる賃労働=資本関係という新たな形の搾取関係と階級社会を生み出したのである。
 
 「どの階級社会も、必要労働と剰余労働の対抗関係、したがって表面に出なくとも搾取率、によって特徴づけられるが、資本主義のもとでのみ、それは価値形態をとり、搾取率は剰余価値率としてあらわれる」。
 
 利潤率ではなく、剰余価値率が、一番中心の鍵となっているのであり、「これによってマルクスも資本主義の歴史をしっかり解明することができたのである」。『資本論』第一部第一章が、価値形態論で始まるのは、こういうわけである。そこから、交換価値の静態的体系を引き出すという構造主義的な試みが、行われたし、今もそうしたことを繰り返す人がいるが、それは、マルクスの方法や問題把握の仕方と異なる。資本主義は、交換価値の静態的体系ではなく、剰余価値獲得のための歴史的過程なのであり、交換関係も、その一部としてあり、その目的に従属させられているのである。交換が目的ではなく、剰余価値の取得が目的なのであり、交換はその実現に関わる過程なのである。それについては後に、市場を論じた部分でスウィージーが取り上げているので、そこで再び取り上げよう。
 
 「剰余価値を二つの部分(絶対的剰余価値と相対的剰余価値―剰余価値率の概念がなければ、このどちらも無意味となってしまうのだが)に分けることによって、マルクスは、資本主義発展のそもそも当初からその心臓部分をなしてきた構造を暴露することができた。しかし、また、まさにそのために、新古典派経済学から無視または拒否されたのである」。
 
 マルクスは、『資本論』第一章第三篇で、労働日をめぐる闘いを分析し、相対的剰余価値を扱う第四章で、労働過程における組織の問題や、機械の導入・改善の跡をたどる。「これは、経済誌研究にすべての文献を通じて、間違いなく最高傑作となるものである」。
 
 これは、二つの理由で重要だという。第一に、理論の目的は現実の分析、社会科学では歴史の分析、を導くというマルクス主義の最重要な原則を、完璧に説明しているから。第二に、ジョーン・ロビンソンやイアン・スティードマンなどのように、価値論を資本主義分析に本質的ではなく、剰余価値率よりも利潤率を中心に分析すべきだという考えを論破しているから。         

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第1章弁証法と形而上学(3)

 スウィージーが、あまり人気のないエンゲルスの『反デューリング論』を持ち出して、弁証法的思考方式の基本を確認したのは、例えば、生産様式概念に不動性・絶対性を付与する者がマルクス主義者内に広まったからだという。

 生産様式は、相互作用する生産関係と生産力に分かれ、土台をなしている。それが、政治、法律、宗教、文化、芸術、教育、観念などの上部構造を支える。「生産様式が正常に機能しているときは、生産関係が生産力の発展を助長しているという意味においては、両者は符合しあっている。しかし、時がたつにつれて、生産力が生産関係を凌駕し、生産関係が発展の促進というよりはむしろ拮抗となってしまう。これが、革命の時代を導き、生産関係を変革し、それとともに生産様式そのものを変換させる。そして、新しい土台とともに、上部構造も多かれ少なかれ同様に急速に変換され、再び全体の循環が始まるのである」。

 スウィージーは、このような図式を「これが真のマルクス主義者の考えであるのか否か、ここで問わねばならない」と審判に付す。というのも、この考えは、マルクス・エンゲルスの著作の中のただの一カ所、『経済学批判』(1859年)の短い「序言」に源を発しているにすぎないからだ。

 「この「序言」の目的は、科学的理論を説明するためではなく、むしろ読者に著作を理解する上で役に立つ情報と、同書著述の視点を知らせるためであった。この情報のほとんどは、いかにして著者がこの本の主題である経済学の研究に焦点をしぼってきたのかの自叙伝的説明で占められている」。
 
 「序言」は、研究にとって導きの糸となった「一般的結論」を述べた後に、二つの考察で終わる。
 
 (1)一つの社会構成は、すべての生産諸力がそのなかではもう発展の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することはけっしてなく、また、新しいより高度な生産諸関係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しおわるまでは、古いものにとってかわることはけっしてない。
 
 (2)大ざっぱにいって、経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、およびブルジョア的生産様式をあげることができる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な・・・形態の最後のものである。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対関係の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。だからこの社会構成をもって、人間社会の前史はおわりをつげるのである。
 
 この「序言」を、全体として文脈をたどって検討すれば、これらは資本主義について言っていることは明白だという。経済学とは、資本主義の経済学という意味である。「「一般的結論」を導くのは、資本主義の研究であり、他のいかなる社会形態の研究でもない。生産力・生産関係および下部・上部構造の図式は、その発生、発展、および予測される将来も含めて、資本主義の研究から得られたことは明白である」。
 
 生産力の拡大と両立しなくなった生産関係を変革する革命は、ブルジョア革命とプロレタリア革命を指すもので、アジア的、古代的、封建的、近代ブルジョア的生産様式を、「経済的社会構成が前進していく段階」とした部分は、単に資本主義をそれらの長い段階の最後であることを強調しただけだという。
 
 この図式は、資本主義を理解するのに有用であるが、それは、「資本主義下においては、他の社会諸形態と異なり、上部構造と下部構造が分離されていることと、下部構造に変革の主要原因が存在していることとが、病根が根強くかつ明らかな現実に対応している」からである。それは、
 
 ①商品経済が支配的な経済では、無計画的、無統制的性格を持っている。
 ②生産力(生産手段、技術、労働者)と生産関係(私有財産制に保障されながら、資本が生産過程を圧倒的に支配する)のあいだの区別が明瞭である。
 ③資本主義革命には、大きな技術革新がある。
 ④経済が原因の変革は、政府や法律、哲学・宗教、文化・芸術などの上部構造に急速に広まっていく。
 
の4点に要約される。これらは、現実・経験の観察から、誰の目にも明瞭に理解されることである。つまり、「序言」の図式は、資本主義自体から引き出されたものである。

 この図式は、普遍的に有効な史的唯物論の「法則」を含むものではない。というのは、「史的唯物論の本質は、単にすべての社会は消費するものを生産せねばならないということであり、またそれ自身の再生産のため、生存のため、そして認識可能な歴史的実体と規定される無数の活動を営むために消費せねばならないということである」からだという。要するに生産は普遍的かつ独自の意味で基本的な者であり、科学的に歴史を理解するには、まず起点としなければならないものである。
 
 結局は、『ドイツ・イデオロギー』で、マルクス・エンゲルスが述べた以下のようなことが重要なのだと氏は言う。
 
 「したがって、事実はこうなる。すなわち、一定の様式で生産的に活動している一定の個人たちは、これら一定の社会的および政治的関係をとりむずぶ。経験的な観察は、それぞれ個々の場合において社会的および政治的編成と生産とのつながりを、経験的に、そして少しの惑わしや思弁もまじえずに示すはずである」。
 
 もうひとつ。
 
 「この前提では、マルクス主義は、「社会的および政治的編成と生産とのつながり」という一般理論を、古典的な上部・下部構造の概念に匹敵するように論証することはできなかった。そういった理論は、先験的か帰納的かの一般化を含んでいなければならないので、マルクス主義は、われわれがこのつながりを「経験的に」確かめることを要求する時には、先験的なものを除外したし、またこのつながりを「個々の場合に」確かめることをわれわれに求めた時には、帰納的なものを除外した」(『社会主義の建設とマルクス主義の理論』ハービー・ラムゼイ、デレク・セイヤー、フィリップ・コリガン)。
 
 「この見解と「序言」の図式の間には、私がここでしたように、後半部分を、歴史の一般法則叙述としてではなく、資本主義の個々の場合の研究から経験的に導き出された結果の要約と解釈すれば、もちろん何の矛盾もない」。
 
 マルクスの死後、エンゲルスが、ドイツの弟子たち、コンラード・シュミット、メーリング、スタルケンブルグにあてた有名な手紙で、史的唯物論を説明した部分がある。
 
 「若い信奉者たちが、おうおう経済的な面を過当に重要視しているが、その責めの一部は、マルクスと私が負わなければならない。われわれは、論敵にたいして、彼らを否定するこの主要原理を強調しなければならなかったのである。そしてその場合、交互作用に参加した他の要素にその正当な権利をあたえる時・所および機会がかならずしも存在したわけではなかった。しかし、歴史の一部を叙述し、したがって実際的に適用しようとすると、事態は変わってきた。そしてそこではいささかの誤謬も許されなかった」(エンゲルスからブロッホへ1890年9月21日)。
 
 この手紙の他のところで、エンゲルスは、非経済的要因が規定するのは、変革の本質よりもその形態とタイミングであるということを示唆しており、それが、「最終審における決定」というアルチュセールの考えに支持を得ている。しかし、「交互作用」の原則が認められると、経済によって非経済的要素が決定される(下部構造によって上部構造が決定される)という一般法則は崩れてしまう。したがって、問題は、「個々の場合において・・・社会的および政治的構造と生産とのつながりを・・・経験的に観察すること」である。「これは、経験に基盤をおく一般化が可能とする考え方を除外するものではないが、普遍的に有効な歴史法則という考え方を、まったく明らかに除外するものである」。
 
 第1章で、形而上学批判、弁証法的思考方式の確認、経済決定論の批判を強調したのは、構造主義に対する批判が必要と考えたからである。今でこそ、ポスト構造主義後であるから、構造主義的な構造・関係決定論を批判するのは容易だが、1980年頃に、それをするのは、たいへんなことだったろう。スウィージーが言うように、マルクス・エンゲルスの語った図式などを固定した不動の絶対的なものと解釈してしまうと、マルクス・エンゲルスの弁証法的思考方式を形而上学的思考方式に変えてしまうことになる。経済学において、形而上学的思考方式を発展させたのは、新古典派経済学である。とはいえ、スウィージーが問題にしたのは、構造主義的マルクス主義であり、アルチュセールの「最終審における決定」という考えであった。注に曰く。
 
 「これは私には、「最終審での決定」determination in the last instanceの概念の合理的核心のように思える。この概念に、一部のマルクス主義者―フランスの哲学者ルイ・アルチュセールLouis Althusserとその弟子たちが有名であるが―は、彼らの史的唯物論の学説において、特別の地位を与えられている。しかし、私の考えでは、最終の段階で働くとされる決定要因は、主として否定的なものであり、したがって何が起こらなかったでなく何が起こったかを説明するには、ほとんど役立たないだろうと思う。無批判的に「最終審での決定主義」にそまってしまうと、単なる公式や見せかけの説明だけに終わりがちとなり、問題を真剣に分析する道を開くよりは、それを閉ざしてしまう危険がある」。
 
 アルチュセールの「最終審での決定主義」については、現在でも議論になっているところで、ポスト・マルクス主義のラクラウ・ムフは、完全にこのような考えを否定している。

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第1章弁証法と形而上学(2)

 スウィージーが、取り上げるのは、マルクス・エンゲルスの唯物論である。そこで、彼は、『ドイツ・イデオロギー』から、彼らの唯物論を要約する。
 
 「観念はただ独立した第一次的な実在としてではなく、人間や社会から派生したものであり、さらにその人類や社会は、自然の欠くべからざる一部分をなすのである。その自然たるや、人間をふくむ(地球上の)生命が生まれる以前から存在していたし、またそれが死滅する以後も存在し続ける。こうしたわけで、物質対精神あるいは精神対肉体といった二元論は、問題の的を外すものである。自然の限りない変化は、宇宙の窮極的な構成要素をめぐる組織の異なる形状や段階を、さまざまに現したものである。(もしそうした窮極的な構成要素が実際にあるとしても、今日の最高の科学者でもあまりそれを明確にしていないところだし、またその解答が今後万一出たとしても、唯物論にたいするマルクス主義的概念の妥当性には、なんら影響するものではない。)このように自然と社会のあいだには深い関連があるし、したがってまた自然科学と社会科学とのあいだも同じである。あらゆる科学は、なんらかの角度から、現実を理解し説明するものでなければならない。しかし、現実のもつあらゆる面は、それぞれ特有の問題と性質をもっているため、それぞれの科学は、少くとも、それ独自の方法と手順を多少とも工夫しなければならない。そしてまた、信頼しうる知識が得られる容易さと範囲は、次から次へと大きく変わる。しかし、こうしたことがあるからといって、「科学」がこれ以上成功することはないとか、取り扱いにくい研究課題でそれが否定されるということにはならない」。
 
 唯物論は、自然・物質の第一次的な実在とするのであり、それらは、人類や社会がなくても存在することを認識する。観念は、人類や社会から発生したのである。自然と関係なしに、意識・観念が先にあって、それが自然や物質や人間を創ったいうのが創造説である。創造説論者は、そのような精神を神と名付けているのである。現在でも、宇宙の窮極的な構成要素の追求が行われているが、成功してはいない。様々な仮説が出され、実験が行われているところである。そのような自然科学の発展途上の理論が、社会理論の分野に持ち込まれることがある。例えば、宇宙理論の仮説のビッグバン説が、経済学に持ち込まれて、グローバリゼーションの説明に利用されたことがある。もちろん、それは正しくなかった。
 
 唯物論についての要約の次に、氏は、弁証法的思考様式について考察する。スウィージーは、エンゲルスの『反デューリング論』から引用する。この本は、事態を明らかにし、率直に示す傑作であるにもかかわらず、大衆向けに書かれたために、無視されてきたという。もっとも、それ以外に、1970年代以来、主に西欧で、エンゲルスを批判し、エンゲルスを否定する潮流が台頭したことがあり、その点でも、『反デューリング論』が無視されたということもある。エンゲルスに対しては、科学主義批判、生産力主義批判などが行われた。原典研究の過程で、マルクスとエンゲルスの執筆部分を厳密に区別するということも行われ、マルクスとエンゲルスの違いに焦点をあてる研究も進められてきた。そうした原典研究が進むのはいいことだが、細部に拘泥しすぎて、両者の共通部分の意義を軽視するということになってはいけない。マルクスが、エンゲルスに、自らの未完成原稿の完成を託したことなどからも、両者の基本的なところでの深い一致と信頼関係があったことは、明らかである。氏が引用するのは、序説の第一部第一章「総論」にある部分である。
 
 「われわれが自然や人類の歴史やわれわれ自身の精神的活動に考察を加える場合、まず第一にわれわれのまえに現れるのは、もろもろの連関と相互作用との限りなくからみあった姿である。そこでは、どんなものも、もとのままのもの、ところ、状態にとどまるものはなく、すべてが運動し、変化し、生成し、消滅する。この原始的で素朴ではあるが、しかし本質的には正しい世界観が、古代ギリシャ哲学の世界観であって、これを最初にはっきりと言いあらわした人はヘラクレイトスである。すなわち、万物は存在するとともに、また存在しない、なぜなら、万物は流転し、不断の変化、不断の生成と消滅のうちにあるからである、と。しかしながらこの見方は、たとい現象の全体としての姿の一般的な特質を正しくとらえているにしても、この全体としての姿を組みたてている個々の細かい点を説明するにはまだ不十分である。そしてこれが理解できないかぎり、全体としての姿もよく分からない。これら個々の要素を認識するためには、それらを自然または歴史の連関から切り離して、それぞれ別個にその性状、その特殊な原因や結果などを研究してゆかなければならない。これがなによりもまず第一に自然科学および歴史研究の任務である。この二つの研究部門は、材料を苦心して集めなければならなかったというまことにもっともな理由から、古典時代のギリシャ人のあいだでは、単に従属的な地位しかもちえなかった。精密な自然研究のはじまりは、やっとアレキサンドリア時代のギリシャ人によって開かれ、その後中世になってアラビア人によってさらに発展させられた。しかしほんとうの自然科学は、十五世紀の後半になってはじめておこったものであり、その時以来、それはたえず加速度的に進歩をとげてきた」。

 「自然をその個々の部分に分解すること、さまざまな自然過程や自然対象をきっぱりした部類に区分すること、生物体の解剖学的形態に従って研究すること、これが最近四百年のあいだに自然認識のうえでわれわれにもたらされたあの偉大な進歩の根本条件であった。しかし、この研究方法はまた同時に、自然物と自然過程とを個々ばらばらに、全体の大きな連関からひきはなし、したがって運動するものとしてではなく静止しているものとして、本質的に変化するものとしてではなく、固定して動かぬものとして、生きたかたちではなく、死んだかたちにおいてとらえるという習慣を残した。そしてベーコンとロックとによってなされたように、この考え方が自然科学から哲学に移されたために、最近の数世紀に特有な偏狭さ、すなわち形而上学的思考方法をつくりだしたのである」。
 
 「形而上学にとっては、諸事物とその思想の上での模写である諸概念とは、個々ばらばらな、一つ一つ他と関係なく考察すべき、固定し硬直化して、一度与えられたらそのまま変わらない研究対象である。こういう人は、ものごとをまったく媒介のない対立物によって考える。・・・。こういう人にとっては、一つの事物は存在するかしないかのいずれかであり、つまり、それ自身でありながら同時に他のものであるというようなこともありえない。肯定と否定とは絶対的に排斥しあう。同様に、原因と結果もたがいにこわばって動きのとれぬ対立をなしている。この考え方は、それがいわゆる常識の考え方であるだけに、われわれにとって一見きわめてもっともらしく思われる。ところが、この常識というものは、自分の家のなかの日常茶飯の事柄においては相当のしろものであるが、科学的研究という広い世界にのりだすやいなや、まことにとんでもない冒険をしでかす。形而上学的な考え方は、対象の性質に応じてそれぞれの範囲をもつところの、かなり広い諸領域においては、いかにも正当であり、また必要さえあるのだけれども、遅かれ速かれ必ず限界にぶつかって、そこからさきでは一面的な偏狭な抽象的なものになり、解決のできぬ矛盾に迷いこんでしまう。なぜなら、形而上学的な考え方は、個々の事物にとらわれてそれらの連関を忘れ、それらの存在にとらわれてそれらの生成と消滅を忘れ、それらの静止にとらわれてそれらの運動を忘れるからであり、木ばかり見て森を見ないからである」。
 
 「序文」より、「・・・和解も解決も不可能と考えられている両極的対立、無理やりに固定された境界線や種類の区別こそはまさに、近代の理論的自然科学によってその狭い形而上学的性格を付与した当のものなのである。こうした対立や区別が自然のうちに現れているのはもちろんであるが、しかしそれらは単に相対的な妥当性をもってあらわれるにすぎないのだということ、むしろそうした対立や区別のこわばった不動性や絶対的な妥当性として考えられているものは、われわれの考えによってはじめて自然のうちにもちこまれているにすぎないのだということの認識―こうした認識こそが、自然の弁証法的把握の核心をなしているのである」。
 
 ここで言われている弁証法的思考方式については、日本では、仏教が広まっているおかげで、理解しやすいかもしれない。例えば、鴨長明の『方丈記』の「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし」(「無常のことわり」)というところ。もっと有名な『平家物語』の冒頭、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のことし。たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」という部分。仏典の中には、あるというのも間違い、ないというのも間違いという空論がある。これらには、エンゲルスが言う弁証法的思考方式がある。

 スウィージーは、これらを引用した理由を二点あげている。
 
 ①世界について思考し把握する基礎的方法にかんするマルクス・エンゲルスの諸説のうちで、これらの節はもっとも明快でありながら、同時にマルクスなりエンゲルスなりが一番省略してきたところと思われるから。
  ②エンゲルスによって非常に明快にその本質と限界を暴かれた形而上学的思考方法が、今日のマルクス主義にしのびこんできており、そのひろがりの程度に私がいささか困惑しているから。
 
 ②の理由について、彼は、「生産様式」概念が物神化されていることを指摘する。この概念は、慎重に用いられれば、歴史研究の役に立つのであるが、「単に相対的に妥当性」をもつものである。       

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第1章弁証法と形而上学(1)

 『マルクス主義と現代』第1章「弁証法と形而上学」で、最初に、ポール・スウィージーは、自らの経歴について述べている。
 
 彼は、1920年代後半に、ハーヴァード大学経済学部で、社会科学・経済学を初めて学んだ。当時、そこには、制度学派のウィリアムズ・Z・リプレイ、マーシャル派のフランク・W・タウシッグ、保守主義派のトーマス・ニクソン・カーバー、チャールズ・J・バロックなどがいたという。当時のハーヴァード大学には、教授・学生の中に、マルクス主義者はいなかった。1932年に、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスの大学院に行って、初めて、マルクス主義に接した。1932年と33年は、歴史的転換期にあって、満州事変が起き、大恐慌の底に達し、アメリカで自由主義的ニューディール政策が始まり、ドイツで、ファシスト・ヒトラー政権が誕生した。ソビエトでは、最初の第一次五カ年計画が経済的に一定の成功をおさめつつあった。
 
 当時のロンドン大学では、オーストリー学派とスウェーデン学派を混合させた独特の経済学が生み出されていた。社会科学には、ハロルド・ラスキがいて、マルクス主義的な考えを学生サークルなどを通じて、広めていた。「私がはじめてマルクス主義や、当時西側で主な代表をなす左翼社会民主主義者、正統派共産主義者、そしてトロツキストたちと接したのは、こうした刺激に満ちた雰囲気のなかにあって、主に同僚の大学生たちを通じてであった」。
 
 こうした学生たちとの接触を通じて、彼は、「それまで、目前の説明もつかない不幸な事態の混在だけと見ていたものが、実は資本主義や帝国主義が本来の姿で動いた結果、必然的に、そしてまことに不可避的にもたらされたものであると分かってきた。ロシア・ボルシェビキが先頭に立って切り拓き、他の世界の同士たちの全面的支持を必要としていた革命や社会主義の道を通してこそ、はじめてこうした危機から脱出しうるという命題を、多くの新しい友人たちと同様、私は容易に受け入れることができた」。1933年にアメリカに帰ると、労働者の4分の1の失業者、銀行制度の崩壊、ニューディール政策の開始という現実の変化が起きていた。このような事態に対して、ハーヴァード大学をはじめとして、マルクス主義が急速に広まり、積極的に関心を示し始めた。公式の講座も生まれた。スウィージーは、運動に参加する。
 
 1942年まで、比較的自由に活動できたが、第二次世界大戦後、約20年に渡って、反動の嵐が吹き荒れ、大学もマルクス主義に門戸を閉ざした。1960年代、ベトナム反戦や公民権運動が激しくなると、ようやく革新的な運動がよみがえった。学問の自由とか言論の自由がようやく回復された。
 
 レオ・ヒューバーマンとスウィージーは、1949年5月、数千ドルの寄付と、約400人の購読者をもとに、『マンスリー・レビュー』を創刊した。これは現在でも続いており、そのホームページでいくつかの文章が読めるようになっている。この雑誌は、数カ国語で出版されている。後に、ポール・バラン、ハリー・ブレイヴァマン、ハリー・マグドフ、などが参加した。
 
 こうした経歴のスケッチの後、彼は、講義の出発点、「さまざまな理念、理論および一定の理論だてを解釈し批評するための一連の指針として、議論の枠組みを整理しておくことが必要」だとして、「マルクスとエンゲルスが弁証法的思考様式とよんだもの」を提示するという。対照的なのが形而上学的思考様式であるが、これは、現代科学の方法とその成功によって、最高水準にまだ発展したという。そして、唯物論のマルクス主義的意味と考えるところのものを、いくつかあげる。              

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10月1日『産経新聞』社説について

10月1日『産経新聞』社説は、なぜか気負っているというか、熱くなっている。教育再生を官邸主導でスピードアップしろというのだが、理由がよくわからない。

 安倍新内閣は、確かに「教育再生」を重要課題と位置づけているが、それにしては、具体性を欠くものであることは、所信表明の該当部分を読めば一目瞭然である。社説は、官邸での担当が保守色が強い山谷えり子首相補佐官がになり、「教育再生会議」が今月上旬に発足し、年明けにも中間報告が出ることをもって、その中身もわからないうちから、これをどう実行するかだと、実行手段を問題にする。まだ、担当と「教育再生会議」をつくるということが決まっただけなのに、中教審と文部科学省の抵抗があるだろうと予想している。

 社説は、それは、中教審と文部科学省が、戦後教育のしがらみから抜けきっていないからだという。それは当然、「脱戦後」を掲げる安倍政権の教育改革路線と対立することになるだろうというのだ。教育再生会議の人選は、時代の変化についていけず、実社会の常識と遊離した教育現場を抱える教育界よりも、戦後教育にとらわれない民間の発言力を持った有識者を中心にすべきだという。社説は、戦後教育を否定するということを人選の基準にすべきだという。『産経』はl戦後教育否定の「戦後教育暗黒史観」をイデオロギーとしてきたが、それが、時代の趨勢かといえば、そうではない。それはいみじくも安倍総理の所信表明演説が、戦後教育の価値観を曖昧な形であるが、踏襲していることでも示されている。愛国心教育ということも入れていない。

 『産経』としては、官邸がトップダウンの形で、首相のリーダーシップを山谷補佐官が補佐することで、政府の機関や官僚の抵抗を排除して、速やかに、教育再生策がはかれると期待しているのだろう。しかし、この官邸機能強化策は、始まったばかりで、どうなるかはわからないのである。山谷補佐官が、官僚とわたりあう力がどれだけあるのかも未知数だ。組閣人事などを見ると、安倍総理は、調整型の人物であるように思われる。組閣人事のほとんどを事前に森派閥会長と相談して決めたという報道があるのだ。
 
 そして、社説は、「安倍首相は「ダメ教師は辞めていただく」とも言っており、より抜本的でスピーディーな改革を求めている」と安倍総理の発言を、抜本的でスピーディーな改革を求めていると斟酌している。安倍総理のこの言葉は、いろいろな問題を含んだ発言で、スト権付与など公務員の労働権をどうするかという問題と関わることである。それに、これだけだとダメかどうかの基準がないから、ただのレッテル張りの悪口である。もっときちんとした発言をするように求めるべきところだ。
 
 社説は、「日本に生まれた子供たちが日本の歴史と文化に誇りをもてるような公教育の再生が急務である」という。これが最も言いたかったことかもしれない。『産経』が言う「日本の歴史と文化」の中身が、浅くて、レベルが低く、いい加減なのである。ひとつも満足できないのだ。どうしてそうなるのか? なぜ? という疑問が一杯出てくるのである。東京裁判を否定しながら、日米同盟強化を強調するのはなぜか? 「日本の歴史と文化」に誇りを持てと言いながら、都市開発を推進するのはなぜか? 「日本の歴史と文化」を壊す米軍基地のための地域破壊を住民に我慢しろと言うのはなぜか? 『産経』は、「日本の歴史と文化」など本音ではまったく守る気がないとしか思えない。
 
  『産経』は、明らかにエセ伝統主義者である。保守するためには、変えなければならないなどという詭弁が、保守派のお気に入りのスローガンになっているようだが、これは決まり文句以上のものではない。変えるというのは、革新であって、どうしたって保守ではない。なんでかっこうをつけて、訳のわからないスローガンで、人々をだまそうとするのか? 「日本の歴史や伝統」を守るためには、戦後教育がじゃまだと考え、それを否定して、それを「日本の歴史や伝統」から排除するためだ。しかし、戦後教育も「日本の歴史や伝統」の一部なのである。

 『産経』は、戦後教育という「日本の歴史や伝統」の一部については、保守すべきではなく、否定して、「改革」すべきだというのである。それは、戦前の軍国主義教育が、戦後教育によって、保守すべきではなく、否定され「改革」されるべきだとされてきたことを、「悪」として否定したいからである。その戦後教育の基本的価値こそ「平和」であって、与党の教育基本法案で、概念そのものが消えたものである。それは、戦争を政治の延長として、政治の実現手段として使いたい勢力の邪魔になるものだからだ。外交活動のために、多国籍軍に参加したり、PKOなどに自衛隊を参加させるための障害になると考えているのである。そうすると、やはり戦死があり得ることになる。そうなった場合、慰霊の問題が避けられないので、靖国神社の扱いや意義が問題になっているのである。これから起こりうる新たな戦没者の扱いの問題が政治課題として浮上しているのである。過去の戦争認識がどうとかいうこともあるが、むしろ、政治課題としては、ちょうどイラクに自衛隊が駐留していたので、新たな戦没者が出たらどうするかということが、政治的焦点だったのである。
 
 つまりは、政治が、靖国問題で、ナショナリズムを利用したわけである。だから、麻生は、靖国国家護持を持ち出したのだろう。無宗教の新国立慰霊所の話も、過去の戦没者の慰霊をどうするかというだけではなく、これからの戦没者をどう慰霊するかということを含んでいるのである。日米一体化が進み、どこかで、米軍指揮下の多国籍軍にイギリスのように参加するということにでもなれば、どうするか? 決まっていないのだ。
 
 いずれにせよ、戦後教育を真っ黒に描く『産経』のイデオロギーが、時代のイデオロギーになったということはまったくない。だから、現状認識が誤っている。その誤りの上に、教育再生論を構築しても、うまくいくわけがない。とはいえ、『産経』とイデオロギーの近い安倍総理が誕生したので、これがチャンスと思ったのかもしれない。混乱と改革は違う。保守なら、戦後から何を学び、保守するかということも考えなければならない。保守なのか、それとも戦後全否定の革新なのか? 言葉遊びを続ければ、読者の信頼を失うばかりだろう。
 

■【主張】教育再生 官邸主導で速度を上げよ

 安倍新内閣は「教育再生」を「憲法改正」と並ぶ大きな目標に掲げている。官邸では、教育再生を山谷えり子首相補佐官が担当する。今月上旬に「教育再生会議」が発足し、年明けにも中間報告が出される。問題は、これをどう実行に移していくかだ。

 重要な教育施策はこれまで、文部科学相の諮問機関である中央教育審議会で検討され、その答申に基づいて文部科学省が決定してきた。教育再生会議の方針に対し、中教審や文科省からの抵抗が予想される。

 中教審は最近、国旗・国歌の指導に抵抗してきた日教組出身者が正委員から外れ、構成にバランスを取り戻しつつあるが、戦後教育のしがらみから抜け切れない面もある。「脱戦後」を目指す安倍内閣の下では、新たな国づくりに向けた教育改革の大きな方向性を教育再生会議が示すべきだ。

 そのためには、教育再生会議の人選が重要である。従来の教育界にも人材はいようが、時代の変化についていけず、実社会の常識と遊離した教育現場も少なくない。戦後教育にとらわれない民間の発言力をもった有識者を中心にした人選が望まれる。

 6年前の平成12年3月、当時の小渕恵三首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が発足した。ノーベル賞受賞者の江崎玲於奈氏を座長に、作家の曽野綾子氏、劇団四季代表の浅利慶太氏らが委員に選ばれた。8カ月後、子供たちの奉仕活動や教育基本法の見直しを求める最終報告が出された。

 その後、中教審で、教育基本法については、「国を愛する心」の導入などを求める答申が出されたが、曽野氏が強く主張した奉仕活動はいまなお、学校で徹底されていない。

 安倍首相は自民党総裁選で、大学9月入学制の導入とそれまで半年間のボランティア活動の必要性を訴えた。再び、論議になることは必至だ。

 安倍首相が提唱する教育改革には、すでに中教審などで方向が示されているものもある。教員免許更新制や学校評価制などだ。安倍首相は「ダメ教師は辞めていただく」とも言っており、より抜本的でスピーディーな改革を求めている。日本に生まれた子供たちが日本の歴史と文化に誇りをもてるような公教育の再生が急務である。

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P・スウィージーを取り上げるにあたって

 これから、アメリカのマルクス経済学者ポール・スウィージーが、1979年10月に法政大学で行った「今日のマルクス主義」と題した講義をもとにしてつくられた『マルクス主義と現代』(岩波書店)を見ていこうと思う。

 スウィージーは、1910年にアメリカのニューヨークで生まれた。ハーヴァード大学を出て、ロンドン大学に学んだ、ハーヴァード大学では、シュンペーターの助手をしていた。この頃は、まだ彼は、近代経済学派の伝統の中にいた。その後、マルクス経済学者となり、1949年に、現在も発行され続けているマルクス主義的雑誌『マンスリー・レビュー』を創刊する。

 1982年3月9日付けのスウィージーが日本版につけた序文で、彼は、この頃の世界資本主義の危機の深化について書いている。まず、北アメリカとヨーロッパで拡大した失業者が、2500万人達したこと、アメリカの2年間に二度繰り返された景気後退、世界での負債の増大、ポーランドの「連帯」労働運動弾圧、西側への負債の危険性の増大、中央アメリカ、南アフリカ、中東、フィリピン等での革命運動の増大、等々、を指摘する。しかし、これらの世界的危機のぬかまりの中で、例外的に、日本だけが、60年代70年代の延長のような経済成長の道を歩んでいることを指摘している。しかし、その後、日本もまた、世界の仲間入りしたことが明らかになった。最後の繁栄であるバブルは弾けた。1990年代は「失われた10年」と呼ばれた。
 
 1988年に実質GDP6.0%を記録した後、92年には、0・3%、翌93年にはついに-0.2%と1970年以来初のマイナス成長を記録した。1990年代中頃には持ち直したように見えたが、97年から99年にかけて、アジア通貨危機などの影響を受けて、成長率は低下し、99年は、マイナスとなった、この年の後半から2000年には上昇したが、それも2001年には再び低下した。その後も、低空飛行が続き、マイナスからプラスの上下動を繰り返している。

 1980年代後期には、景気悪化に苦しむアメリカ・ヨーロッパをよそに、日本は、バブルの饗宴に酔いしれたのであった。
 
 この頃、アメリカではレーガンが、そしてイギリスでは、「特権」にあぐらをかく労働者の「怠惰」と既得権を守ろうとする労組と闘うという新自由主義・新保守主義「革命」の嵐が吹き荒れていた。もちろん、労働者の「怠惰」や労組の「特権」などはたんなる言いがかりにすぎなかった。だから、彼らの政策はまったくうまくいかなかった。レーガノミックスは、途中で、ケインズ主義政策に変更された。イギリスで、経済が回復したのは、サッチャリズムを修正したブレア労働党政権になってからである。
 
 今日本では、小泉政権以来、中途半端な新自由主義路線を取っているが、その中でも、労働組合の抵抗だの労働者の「怠惰」がやり玉に挙がることがある。しかし、この間、労資協調路線の「連合」は、企業のリストラに協力してきたし、大企業正社員労働者は、長時間サービス残業を行っており、「怠惰」どころか、働き過ぎによる「過労死」や精神病が増えて問題化するなど、企業のために身をすり減らして働いている。それなのに、イギリス病を直すとして登場した新自由主義・新保守主義のサッチャーイズムをどうして日本がまねしなければならないのか? 新自由主義を掲げる政権や学者や官僚の現実無視ぶりは、ひどいものだ。かれらは、アメリカがグローバリズムだというとそのまま世界がそうなっていくと信じ込んでいるのだろう。

 実際には、世界では、それに抵抗する多極化の動きが発展しているのであり、しかも、アメリカの景気後退が起きており、さらに、イラク戦争の失敗もあって、アメリカが押し進めてきたグローバル化の勢いも力も落ちてきている。既存の新古典派などの経済学が、こうした世界の現実、経済実態の解明に失敗していることは、明らかだ。どうしてそうなったのかを理解するためにも、スウィージーの経済学は、役に立つだろう。

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