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『毎日』社説「学力低下 「ゆとり教育」を責める前に」

 この社説は、なかなかいい。近年、「ゆとり教育」の弊害を指摘する声が高まっているが、そういうときこそ、はたしてそうなのかをしっかりと検証するべきだというのである。まず、そもそも学力とは何かである。

   「ゆとり教育の始まりは約30年前。経済成長や技術立国政策を背景に学習内容が膨れ、授業についていけない子が増える一方、知識詰め込みの弊害が指摘された。勉強嫌いを生み、また暗記中心で、自分で考えて判断し対処する力が育っていないという反省である」。そこで、1977年の学習指導要領に「ゆとりの時間」が盛り込まれ、その後、紆余曲折を経ながら、現在、「総合的学習の時間」が小中高の授業に組み入れられている。

 「確かに各種の部分的調査は学力低下傾向を示している。だが、客観的で明快に割り切れる物差しはなかなかない。学力の定義もまちまちなうえ、判断の土台になるデータも少ないという事情もある」。定義が定まらず、さらにはデータが少ないとなると、なんとなく学力が低下しているようだという印象や雰囲気にながされる可能性が高まる。
 
 「例えば、03年国際比較調査で15歳の読解力が前回の8位から14位に落ちた。これをどの程度深刻に受け止めるべきか。04年の学力調査では、新学習指導要領で学ぶ子がむしろ前の世代より高い成績を出した。どう解釈すればいいか」。近接する時期に行われた学力調査の結果が異なる。どちらが現実を正確に反映しているのか? それがはっきりしないと、一方のデータだけを取って、対策を取れば、間違いになる可能性がある。

 「確かに、ゆとりが目覚ましい成果を上げたという実感はないし、若者の学習意欲や教養面で退行を感じる人は多いだろう。読み書き計算という最も基礎的な力が危うく、分数もできない大学生が珍しくないという指摘も深刻だ」。しかし、それは「ゆとり教育」のせいだろうか? 「実態をみすえよう。学力が落ちているとしても、授業を削減したことだけが原因とは思えない。価値観や少子化など社会環境、産業構造の変動といった多面的要素を踏まえ分析しないと、見えてこないものがあるのではないか」と社説は言う。

 「一律のペーパーテストに頼る調査は学力の一部しか見ない。ゆとり教育が目指した「自分で考え、解決する力」という学力はどこまでできたのか、できなかったのかも検証してほしい。それには、現場の先生たちの体験・意見集約や子供たちの追跡調査のような手間をかけた方法が必要だ」。確かに、ペーパーテストではかられるのは主に記憶力であって、それだけを学力とみなすことはできない。「自分で考え、解決する力」をどうはかり、どう評価するか? これはなかなか難しいことではあるが、チャレンジする意味はある。
 
 『朝日新聞』などが、履修不足問題には、生徒に責任はない、受験に悪影響が出ないようになんとか救済をと主張するのには、疑問を感じる。確かに生徒には責任はない。こうした苦難への対応にこそ、「自分で考え、解決する力」が必要である。それを正当に評価する仕組みがないのが問題なのである。そのことは、しかし、政治・文部科学省・教育委員会・学校当局こそが、生徒以上に試されていることである。もちろん、その責任は重い。

 今は非常事態であるから、特例による緊急の救済策などを行うのはよいとしても、「その必要な難儀を避け、手間を省くなら、初めから「無用」と必修科目の教科書さえ買わなかった高校と発想レベルは変わらない」ということも忘れてはならないと考える。「一律のペーパーテストに頼る」学力観が、狭すぎて、現場で行き詰まったからこそ、「ゆとり教育」への転換が図られてきたのであり、「学校の授業を30年以上前に戻せば解消される」ということはありえない。

 社説:学力低下 「ゆとり教育」を責める前に

 「教育再生」をうたう安倍晋三・新政権発足に合わせたように、学校教育現場の問題や矛盾が相次いで露呈している。中でも必修規定を無視して大学受験を最優先させる高校の実情は、改めて学力をめぐる論議を刺激するに違いない。

 ここでまた「ゆとり教育」がやり玉に挙がろうとしている。問題の高校の校長らは「授業時間が減ったので、入試に関係のない科目をする余裕はない」と弊害を言う。著書「美しい国へ」で「ゆとり教育の弊害で落ちてしまった学力は、授業時間の増加でとりもどさなければならない」と記す首相はいっそう意を強くするだろう。

 だが、ゆとり教育排除を急ぐ前に、その精緻(せいち)な分析検証をすべきではないか。そもそも学力をどう見極めるのか。それも十分に論議されてきたとはいい難い。

 ゆとり教育の始まりは約30年前。経済成長や技術立国政策を背景に学習内容が膨れ、授業についていけない子が増える一方、知識詰め込みの弊害が指摘された。勉強嫌いを生み、また暗記中心で、自分で考えて判断し対処する力が育っていないという反省である。

 1977年の学習指導要領改訂で「ゆとりの時間」が登場し、今日まで曲折を経ながら教科学習量をスリムにする路線が続く。現在週5日制で、教科学習ではない「総合的な学習の時間」が小・中・高校の授業に組み込まれている。

 確かに各種の部分的調査は学力低下傾向を示している。だが、客観的で明快に割り切れる物差しはなかなかない。学力の定義もまちまちなうえ、判断の土台になるデータも少ないという事情もある。

 例えば、03年国際比較調査で15歳の読解力が前回の8位から14位に落ちた。これをどの程度深刻に受け止めるべきか。04年の学力調査では、新学習指導要領で学ぶ子がむしろ前の世代より高い成績を出した。どう解釈すればいいか。

 確かに、ゆとりが目覚ましい成果を上げたという実感はないし、若者の学習意欲や教養面で退行を感じる人は多いだろう。読み書き計算という最も基礎的な力が危うく、分数もできない大学生が珍しくないという指摘も深刻だ。

 ただこれが本当にゆとり教育のせいか。学校の授業を30年以上前に戻せば解消されるだろうか。

 実態を見すえよう。学力が落ちているとしても、授業を削減したことだけが原因とは思えない。価値観や少子化など社会環境、産業構造の変動といった多面的要素を踏まえ分析しないと、見えてこないものがあるのではないか。

 一律のペーパーテストに頼る調査は学力の一部しか見ない。ゆとり教育が目指した「自分で考え、解決する力」という学力はどこまでできたのか、できなかったのかも検証してほしい。それには、現場の先生たちの体験・意見集約や子供たちの追跡調査のような手間をかけた方法が必要だ。

 その必要な難儀を避け、手間を省くなら、初めから「無用」と必修科目の教科書さえ買わなかった高校と発想レベルは変わらない。(『毎日新聞』2006年10月29日) 

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