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第4章マルクス主義と将来

 最終章で、スウィージーは、「マルクス主義と将来」を論じる。ここまで、彼は、「形而上学的思考方法と対比しての弁証法的思考方法、自律的な中心諸国と従属的な周辺諸国からなる世界体制としての資本主義とその発展、そしていまこの世界体制を苦しめている危機について」論じた。そして、今度は、資本主義を倒すべく登場した革命運動とそれが成功して建設途上にある社会の特質について述べる。
 
 まず、彼は、マルクス主義の成立を、1844年から46年の『神聖家族』、『イギリスにおける労働者階級の状態』、『ドイツ・イデオロギー』、『哲学の貧困』、『共産党宣言』に見る。これらは当時の産業革命の現実を反映している。マルクスとエンゲルスは、工場労働者の非人間的な生活状態に深く心を動かされた。それは、『イギリスにおける労働者階級の状態』で詳しく描かれ、『共産党宣言』で世界に伝えられた。
 
 しかし、19世紀後半から、労働者階級の組織化が進み、実質賃金が上昇し、福祉国家型の改革がかちとられた。それは、1848革命がヨーロッパ諸国を襲った後に資本主義の発展したためと中心諸国が周辺諸国で帝国主義的搾取を強めたためである。マルクスとエンゲルスは、こうした変化を知っていたし、マルクスは、「他民族を踏みつける民族は自由ではない」と述べてイギリスによるアイルランドの植民地化に反対し続けた。また、エンゲルスは、労働者の組織化が極めて早く成長していることを見て、ドイツ社会民主労働党に議会戦術を勧めたりした。
   
 スウィージーによれば、それでもマルクス・エンゲルスは、「避けることのできない結論を、その教えにうまく組み入れそこなった」。その結論とは、「中心諸国の労働者階級が、産業革命の初期においては潜在的にいかに革命的であったにせよ、その後の展開によって改良主義的な勢力と化してしまい、自分たち組合員の状態の改善を、資本主義体制の枠内でもっぱら求めるということである」。
 
 マルクス・エンゲルスの初期産業プロレタリアートの潜在的革命力に対する見方は、ロシア革命によって証明された。それは、革命的マルクス主義が、その生誕地の西欧から離れ、その条件に恵まれた地域に移動するというその後の一般傾向の最初の実例となった。1917年ロシア革命以前には、第一インターナショナル、第二インターナショナルの組織の範囲は、中心諸国とその海外領土に止まっていた。しかも、すでに労働運動は革命性を失っていた。ロシア革命後、第三インターナショナルの創設後、マルクス主義は、周辺諸国にくまなく拡がっていった。

 これら周辺諸国のプロレタリアートによる二十世紀の革命運動は、条件付きだが、18世紀末から19世紀初期の産業革命によって生み出されたプロレタリアートの経験に基づいていた点で、マルクス・エンゲルスの考えていたものと同じである。そのことを示すものとして、マルクス・エンゲルスの『神聖家族』から引用している。
 
 「一切の人間性―そのみせかけさえ―は、完成されたプロレタリアートとなるにつれ、事実上完全に捨てされれてしまう。プロレタリアートの生活条件は、現代における社会生活のあらゆる非人間的な条件の頂点をなしている。またプロレタリアートたることによって、人間は人間性を喪失している。しかもそれだけでなく、その喪失という意識を理論的にもかちえている、だがまたさらに、これ以上しりぞけようのない、もはや絶対に有無をいわせない窮乏・・・は、このような非人間性に対する反逆に人間を追いこむ。まさにこれらすべてのゆえに、プロレタリアートは、自分自身を解放することができるし、また解放せずにはいないのである」。
 
 マルクスの時代のプロレタリアートの生存ぎりぎりの状況と現代における周辺諸国の無産大衆の収奪された状態が似ているからこそ、特殊ヨーロッパ的現象として生まれたマルクス主義が、人類の歴史上、世俗的であれ宗教的であれ、他のいかなる思想よりも真に普遍的に受けいれられたのである。
 
 この意味では、周辺諸国の革命運動は確かにプロレタリアートのものであるが、運動の組織や指導となると複雑である。革命運動の指導者の多くは、プロレタリアート出身ではなかった。しかし、革命運動の性格は、個々の指導者の個人的資質に還元してすむということはない。
 
 周辺諸国では、階級の性格に重大な変化が起きた。ロシア革命の中心的担い手は工業プロレタリアートであり、最上層指導者の多くが労働者階級の出身だった。しかし、中国革命の場合は、これと全く違う。中国共産党は初期には沿岸部の都市部のプロレタリアートを組織していた。1927年の国民党との闘争での敗北後に地方農村に撤退を余儀なくされた。そこで、農民、小作農、プチ・ブルジョアが革命運動を構成するようになった。周辺諸国では、同じように、混合された階級の指導による革命という形が一般的であろう。

 つぎに、ロシア革命が取り上げられる。
 
 まず、ロシア革命では、工業プロレタリアートが帝政を倒す原動力となり、農村では小作農民が地主制度を廃止させることができた。しかしそのことは、革命後の新しい社会をつくる中心が、工業プロレタリアートであったということを意味しない。ロシア革命の最大の悲劇は、内乱や外国からの干渉戦争などの苦難の数年間のうちに、1917年革命以前からの工業プロレタリアートが壊滅してしまったことである。戦争・飢餓による死亡、産業壊滅による農村への移住、等々。その上、残った党や組合のメンバーは、軍隊や政府官僚組織に組み入れられ、階級基盤から引き離されてしまった。産業回復後の新しいプロレタリアートは、階級性を失っているか、農村出身であった。かれらは革命をなしとげたプロレタリアートとは共通性がなく、その後の展開は、かつてのプロレタリアートを育てた状況とは大きく異なる状況で行われた(シャルル・ベトレーム『ソ連における階級闘争』参照とのこと)。確かにロシア革命は、マルクス主義的な意味で、プロレタリア革命だったが、それはその革命から出現した社会の本質を必ずしも示唆しない。
 
 次に、革命によって成立した社会は、マルクス・エンゲルス・レーニンが考えた社会主義と一致しているのだろうかを問題にする。
 
 19世紀を通じて、「社会主義」という用語は多様な使われ方をした。マルクス・エンゲルスの著作にもそうした多様さが反映している。しかし、マルクス・エンゲルスは、直接・間接に社会主義を特定の将来の社会形態として定義していないという。マルクス・エンゲルスは、資本主義と共産主義の二つの社会形態に焦点をあて、その間には「前者から後者への革命的転化の期間がよこたわっている」(『ゴータ綱領批判』)と述べている。この移行期社会は、資本主義と共産主義の両者の性質をあわせ持っている。したがって、「現在も、また将来も、それ自身一つの明確な社会形態として概念化することはできない」。

 レーニンの『国家と革命』では、社会主義という用語を自由に使っているが、それを共産主義の第一段階としている。この段階では、「ブルジョア的権利」は完全に廃止されず、生産手段についてだけ廃止される」。マルクスもレーニンも、この時期を移行期と見ている。
 
 ところが、ソ連や中国は、「自国を資本主義と共産主義のあいだに横たわる矛盾と抗争に苦しむ移行期とはみていない」。
 
 「ソ連と中国は、社会主義を、資本主義の法則と同様の意味で客観的にわかりやすい運動法則をもっている独自の社会形態―時には体制、時には生産様式と呼んだりする―であるとみている。この形態の社会が、対立する社会的あるいは階級的闘争によって特徴づけられることは絶対にないと考えられている」。
 
 ソビエトの教義では、ソビエト社会(先進社会主義と呼ばれる)は、調和のとれた階級(労働者と農民)と一つの階層(インテリゲンチア)から成っていて、「全国民からなる一つの国家」によって統括され、「科学=技術革命」によって、共産主義に向かって進んでいるとみている。
 
 「敵対する矛盾から解放され、科学的=技術的な力により動かされる独自の社会形態としての社会主義の理論が、古典的マルクス主義にもとづいていなことはまことに明らかである。そしてこの社会主義の理論は、階級闘争が階級と国家の消滅した共産主義社会の達成にむけての推進力であるとする史的唯物論の基本原理を、徹底的に否定するも同然となっている」。
 
 重要なのは、ソビエト型の理論を古典的マルクス主義と比較することでなく、ソビエト型の理論をソビエト型の現実と比べることだという。そうすると、すぐに、インテリゲンチアと国家の概念やそれが担う役割についての矛盾に突き当たる。ソビエトの理論では、党の政治局員から村の学校の先生までが、一括してインテリゲンチアに含まれている。それが隠蔽するのは、インテリゲンチアの多くが、特権的な労働者、知的専門家・専門職・学者・芸術家・芸人たちを含む中間層で権力をもたない人々と、経済や政治(政府や党)の最上層の地位を独占し、国全体に影響力を及ぼすあらゆる主要な決定を行うごく少数の集団に分かれていることである。「全人民国家」では、国家が生産手段を所有し、それを法理論上社会全体を代表して行動しているというのは、ごまかしである。大多数の国民は、生産手段の利用にたいしてなんらの支配権も持っていないし、国家は、人々の代表者としてではなく、監視者ないし警察官として行動している。人々の所属するあらゆる組織は、上意下達の形で支配され、身分の低い者は、結社の自由や言論の自由を否定されている。
 
 この階層的で権威主義的な社会も一つの階級社会だとスウィージーはいう。もっとも階級秩序自体は、階級の存在を証明するものではない。もし、完全な機会平等、すなわち生まれた時点で、将来の階層位置の上昇の可能性が平等であれば、階級のことは問題にはならない。上層の生まれの人々は、その地位にとどまる傾向がある。「すなわち下層の方のレベルの人々は、より上層によじ登るための手段をもたないのに、比較的上層のレベルの人々は、さらにまた上層に登る手段をもっているし、また少なくとも下層におし下げようとする圧力に抵抗する手段をもつ」。階層秩序が長期間継続すると、全面的な階級制度に発展する傾向があるので、それを阻止するには強い反対の圧力を加えねばならない。この点について、毛沢東は、アンドレ・マルローに、「その本性からいって人間は、好きなようにさせておいても、必ずしも資本主義を再建することはない・・・が、不平等は必ずこれを再建する。新しい階級をつくりだそうとする傾向は、強力である」と語った。
 
 革命後の中国共産党内闘争は、このテーマを中心に闘われた。しかし、毛沢東死後は、階級化の傾向が発展し、そのことが、現在の胡指導部の「調和社会」路線に示されたように、大きな問題に浮上している。
 
 ソビエトの公式理論は、革命後の社会を、資本主義でもない共産主義でもなく、両者の過渡的混合物でもない独自の社会形態であると定義する。しかし、それは、マルクス主義によれば、移行期の一段階でなければならない。それに対して、「もし革命後の社会の運動法則が、自動的に共産主義の方へ導いてくれるようなものであったならと仮定する」ことで解決しようとしたのがソビエトの社会科学者たちであった。科学と技術の力によって、調和社会ができるという理論をでっち上げたのである。
 
 「社会、あるいはいずれにしてもその支配階級が、内部に持つ矛盾を隠し、自らをその構成員や広く世界全体にたいして調和と進歩の美しい混合と見せる理論を必要としたこと」は、新古典派経済学が果たした役割や結果を見ても明らかである。
 
 では、革命後の社会はどのようなものか? 彼はいくつかの点に注意を促している。
 
 (1)国家は、生産手段の所有権を得ると、政治的のみならず経済的にも中央集権的な制度となり、資本主義におけるような私的経済の補完機能を果たすだけではなくなる。そういうわけで、私たちはこれらの社会を国家社会state societiesと呼び、その支配階級を国家階級state classと呼ぶことができる。
 
 (2)国家社会は、現実に働く者がその剰余生産物を(生産過程においても、使用過程においても)支配しないという点で、マルクス主義的な意味で搾取をする社会である。
 
 (3)剰余生産物の生産と使用は、政治的過程と不可分な一体となっており、資本主義下のように資本の競争的なしくみによって支配されているのではない。資本主義の自由競争のもとでは、剰余の抽出と蓄積が最大となり、この過程で資本主義特有な矛盾(景気循環、労働予備軍、中心諸国および周辺諸国の双方における富と貧困の両極化、特に周辺諸国における労働の劣悪化および非人間化など)が発生する。
 
  (4)剰余の抽出やその使用過程に政治的色づけを行うことによって、国家社会は(その支配階級の観点から)一種の合理性を達成するが、このことは、資本主義では驚くほどみられない現象である。こうして、国家社会が創立された最初の段階では、大衆の生活水準(雇用、保健、教育、社会保障)を向上させることを目標にし、その見返りとして、社会それ自体を正当化させ、また支配階級が行った政策をも(前者には及ばないものの)正当化させるようにする。
 
 (5)しかし、それにもかかわらず、この正当化の過程は、どちらかというとその限界がごく狭くかぎられている、少数の支配階級による権力とこれに伴う特権の独占(資本主義的標準からいってもかなりな程度の)には、権威主義的な、また本質的に抑圧的な体制が必要であり、下方からの真に民主的かつ自己解放的な動きの展開を絶対的に排除するものであり、そこで統制維持手段としての抑圧策を補うため、支配階級は、こうして、消費者主権運動のような、歴史的に証明ずみの(人間的にみても)不合理な方法を利用したり、国家主義的野心や感情を煽ったりもてあそんだりする方向へますます行かざるをえないのである。
 
 (6)資本主義の根底で人々を動かす力―それはあらゆる階級にたいし、大なり小なりあてはまることだが―は、不安である。すなわち、失業、倒産、地位の喪失、左遷、そしてそれに劣らず(とくに周辺諸国において)困窮と飢餓にたいする恐れである。国家社会が、これらすべての広範囲にわたる不安・恐れを、より人間的な刺激要因におきかえることなしに、うまく緩和するほど、そこに空白が生まれてしまい、ブルジョア観念論者たちがそれを非能率、資源配分の非合理性、ムダなどといいたてるのである。彼らの眼から見れば、もっとも深刻な問題は、労働生産性のたちおくれである。
 
 スウィージーは、こうした革命後社会の否定的現実によって、古典的革命的マルクス主義の妥当性や重要性はいささかも減らないという。彼は、国家社会は長続きしないと断定する。結局は、マルクス・エンゲルスが直面したような人間性の剥奪や矮小化に対する反抗によって、歴史の主役へと転化するだろうが、その時には、革命的マルクス主義に鼓舞されるに違いないというのである。                   

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