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教育基本法「改正」論議再開

 今日、衆議院の特別委員会で、教育基本法「改正」の議論が始まった。

 しかし、高校での必修科目未履修問題の発覚や「いじめ」事件が相次いだこともあって、これらの問題に対する討議が続いた。民主党は、「日本国教育基本法案」という対案を対置したのだが、それも多くの問題を含んでいる。その一つが、格差問題との関連である。それについて、大内裕和氏が、『毎日新聞』に書いている。
 
 氏は、与党法案では、教育基本法の重要な理念の一つである「教育の機会均等」を破壊し、格差社会を助長する危険性があるとしている。
 
 同法第3条で、「「能力に応ずる教育」となっていた文言が、政府法案では「能力に応じた教育」へと変えられている。「能力に応ずる教育」は、「発達の必要に応ずる教育」と解釈され、その時点での能力の格差を是正する方向で教育機会を保障することが目指されていた。しかし「能力に応じた教育」は、能力の上下によって教育機会が差別的に配分されることを容認する表現である。これでは教育の機会不平等が促進されてしまう」というのである。「応ずる」という表現は、何かに対して反応するという意味合いがあるが、「応じた」は、合わせたという意味合いがあるように思う。つまり、前者は、「能力に対応して」教育をするということで、後者は、「能力に合わせて」教育するという感じである。
 
 さらに、政府案第5条の2は、義務教育では、「各個人の有する能力を伸ばしつつ」という文言があり、それが、格差を拡大する危険性が高いと氏は言う。この時期の子どもの能力が、家庭や地域などの環境に大きく左右されるからである。
 
 確かに、この「改正」案には、能力主義の色が濃い。それに対して、民主党の対案の方は、心の教育・人格形成に重きを置いている。与党案の場合は、小泉総理の合理主義・能力主義的な価値観が強く反映している。中曽根前文案が、小泉総理の鶴の一声で、不採用となったのである。その他、公明党との関係もあって、愛国心についても、明記されなかった。
 
 また、宗教教育が道徳心の形成に必要だというが、宗教が、非道徳的な教えを持っている場合は少なくない。それに、宗教団体の多くが教祖や幹部の腐敗堕落を起こしている。そして歴史教育の重要性ということも言われるが、消えてしまったものについての認識を愛して、現実の郷土を愛さないというものにすぎない。公共心の涵養というのもあるが、そもそも公とは何であり、なにを学ぶことが、公共心を育むことになるのか? 恣意的政治的に政府与党の都合のいい内容が後から与えられ、詰め込まれるだけではないのか? いろいろとはっきりしないことが多く、この議論には、とても多くの時間がかかることは間違いない。
 
 「愛国心」をめぐるイデオロギー的な観点だけではなく、大内氏が政府与党案の能力主義を取り上げ、それが格差拡大につながるというのは、重要な指摘である。民主党案は、人格形成に重きを置きつつ、なお愛国心を明記するのは不要である。愛国心があるのは当然だという人は、あまりにも当たり前のものをわざわざ明記する必要はないし、そういう省略は日本語の場合には普通にあることだ。それに反対する者がいるから、明記するというのは、政治闘争の次元の問題で、教育の本質からはずれた話である。
 
 政府与党案・民主党案を読んでみても、とくに現行教育基本法以上の高い内容を持っているとは思われない。「改悪」をやる必要などまったくないので、教育基本法与野党案への「改正」には反対である。

  06年10月29日『毎日新聞』「21世紀を読む 教育基本法「改正」 格差社会を助長するおそれ 大内裕和」

 臨時国会の最重要法案になっている教育基本法「改正」法案は、特別委員会の本格的な審議が30日から始まる。前の通常国会で注目されたのは「愛国心」をめぐる議論であった。「愛国心」通知表など、その評価の是非や「思想及び良心の自由」との関わりで論争が行われたことは記憶に新しい。しかし、同法「改正」の重要な論点であるにも関わらず、まだ十分に審議されていない問題がある。それは同法「改正」と現在大きな問題となっている格差社会との関係である。

 教育基本法の重要な理念の一つに「教育の機会均等」がある。戦前は男女や経済力による教育の格差が明確に存在していた。それに対してすべての人に平等な教育機会を提供することが、教育基本法の理念に盛り込まれた。しかし政府法案は「教育の機会均等」を破壊し、格差社会を助長する危険性をもっている。
 
 現行法では「能力に応ずる教育」となっていた文言が、政府法案では「能力に応じた教育」へと変えられている。「能力に応ずる教育」は、「発達の必要に応ずる教育」と解釈され、その時点での能力の格差を是正する方向で教育機会を保障することが目指されていた。しかし「能力に応じた教育」は、能力の上下によって教育機会が差別的に配分されることを容認する表現である。これでは教育の機会不平等が促進されてしまう。
  それに加えて政府法案第5条「義務教育」には、現行法第4条(義務教育)にない新たな条文がある。
 
 政府「改正」法案第5条「義務教育」
  2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を奪うことを目的として行われるものとする。
  3 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を維持するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実現に責任を負う。
 
 第2項の「各個人の有する能力を伸ばしつつ」との文言は、義務教育における格差拡大をもたらす危険性が高い。義務教育段階での「能力」は特に、家庭や地域などの子どもを取り巻く環境に強く影響される。この時点での「能力」の違いを所与の条件としてそれぞれの子どもを伸ばしていくのであれば、義務教育の重要な役割である平等化は放棄され、出身家庭や出身地域による教育格差が拡大し、階層の固定化がもたらされるだろう。
 また第3項の「水準を確保」という文言は、義務教育における競争や能力主義を一層押し進める。文部科学省は07年4月に、小学校6年生と中学校3年生の全員が参加する全国学力テストを実施する。これによりすべての都道府県、小中学校、生徒に順位をつけることが可能になる。このテストなど「水準を確保」することを目指す教育政策が、義務教育段階での競争と格差を全国規模で強化するだろう。教育基本法「改正」が格差社会を助長する危険性はきわめて高い。
 毎日新聞が05年12月に実施した世論調査では、親の所得など家庭環境によって、子どもの将来の職業や所得が左右される「格差社会」になりつつあると思う人は6割を超えている。多くの人が危惧している格差社会と教育基本法「改正」との関係について、臨時国会で十分な議論が行われることが強く望まれる。

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