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10日『読売』社説は、おかしい

   『読売新聞』が、奇妙なことをのたまわっている。10日の社説[防衛「省」審議]「国防問題で排すべき党利党略」である。

 まず、『読売』は、「社民党はともかく、民主党までもが、国の防衛に関する重要法案に審議拒否戦術をとるのは、どうしたことか」と疑問を呈しているのだが、「社民党はともかく」とは、社民党に失礼だろう。それは、防衛庁を防衛省に格上げする法案に審議拒否した民主党を批判するついでに、社民党を悪例として出すというものである。社民主義は、少なくとも西欧や中南米では政権与党になっている世界的な政権担当経験の豊富な政治潮流であり、現在でも多くの国で政権を取っている。日本の社民の場合、特殊歴史的な経過があって、他の国とは違った面があるのは確かだが、それでも、連立とはいえ、政権与党になったこともある。その点では、メンバーの中には政権与党経験者がいるとはいえ、党としてその経験のない民主党よりも、経験はあるわけである。その経験をどう評価するかは、各人の勝手だが、少なくとも、民主党よりは政権運営の経験を蓄積していることは確かである。政権与党になるために、それまでの安保防衛政策での基本政策を変えもしたのである。
 
 社民党が、地方自治体選挙で与党になっているケースはいくらでもあり、その際に、基本主張をころっと変えてしまうことは、全然珍しくない。原発反対を掲げて町長選挙に当選した後、原発推進になったこともある。それらのことからは、社民党、あるいは旧社会党であっても、政権与党になった場合には、大きく政策を転換するだろうことは明らかである。
 
 自民党にしたところで、選挙目当てに政策の転換やごまかしの党利党略は、普通にやっていることで、民主党だけが、党利党略を非難されなければならない理由はない。現に、今、来年の参議院選挙で勝つために、なりふり構わずに、郵政造反組の復党を押し進めている。
 
 防衛庁の「省」昇格の前提として、防衛庁の官製談合などの悪を一掃することが必要なことは、誰が考えても明らかであろう。もし、このような悪をする体質のまま権限を増やしたら、防衛「省」は、さらなる悪の官庁になるだろう。道徳・規範意識を強調してきた『読売』にしては、汚職などの官僚の悪に対して甘すぎるのではないか? 「泥棒に追い銭」となることを防ぐことが必要なのは当然すぎることだ。人々から信頼されないで、どうやってしっかりした防衛が可能なのか? 信頼できない官庁の権限を拡大することこそ、与党の党利党略でなくてなんだろうか。
 
 『読売』は、民主党が、この法案の賛否を明らかにしていないのは、沖縄知事選挙での野党共闘に配慮したためであろうと推測している。そして、「これでは、55年体制下の旧社会党と何ら変わりがない。責任政党とは、ほど遠い姿である」というのである。あわれな『読売』でこれを書いたのは、よほどの年長者であるに違いない。そうでなければ、今、55年体制下の旧社会党と現在の民主党を直接比較するような時代錯誤はできないだろう。頭が古すぎるのである。そして、責任政党なる特殊な概念で、何事か立派なことを語ったかのように錯覚を人々に与えている。恥ずかしいことだ。責任政党とは何か? それは自民党が、政権にしがみつくために、作り上げた造語であり、それこそ党利党略でねつ造した言葉である。それをあたかも常識的基準でもあるかのように反復する『読売』の堕落は、政権与党なら党利党略が許されるが、野党にはそれが許されないというえこひいきのレベルに達している。民主党は、責任政党にならねばならないと『読売』がいう意味は、基本政策で自民党と同じにならなければならないということだ。
 
 そして、『読売』は、防衛とは、基本的には防衛庁という役所と官僚組織の仕事ではなく、人々から委託されているだけだという基本中の基本を忘れ、諸外国が「省」だから、日本もそれに合わせなければならないという。外国がどうだろうとそんなことが防衛「省」昇格問題となんの関係があるか? なんの関係もない。日本は日本流で行くと堂々としていればいいだけだ。なんなら、外国こそ見習えと主張してもいい。
 
 『読売』は、さかんに北朝鮮の脅威を言うが、極論すれば、自分たちを守るのは、自分たち自身であって、防衛庁や自衛隊ではない。人々から信用、信頼されない軍隊などは、徒党にすぎないのである。
 
 最後に、『読売』は、「党利党略を超えて国家的視点に立ち、真摯(しんし)に法案を審議することが大事だ」として、「小沢氏には、法案賛成の方向で党内の意見集約に指導力を発揮してもらいたい」と注文をつけている。『読売』は、まるで、防衛庁の「省」昇格が、安全保障問題解決の中心課題であるかのように主張し、しかもそれは、賛成以外にないと決めつけている。しかし、政党政治は、党利党略を超えることはできないし、国家的視点なる超越的立場などはない。そのような見かけが存在するだけであり、実際には、国家的視点は、党利党略の反映にすぎない。党利党略を超えた理想郷を描いて、党利党略をごまかす党利党略が存在するにすぎないのである。

 したがってこの『読売』社説は、国家的視点なるものを理想主義的な夢想として描き、その夢想を基準にして、党利党略か否かをはかるという無茶なことをやっているわけである。基準の立て方がおかしいのだ。それを言うなら、アメリカ民主党が、ブッシュ政権が最大の国防上の課題としてきたイラク政策に反対し続けてきたことも、非難されねばならないだろう。ところが、どんな重要な国防上の課題であっても、野党たるものは、人々の期待や欲求に応え、あるいは反対すべきものには徹底的に反対すべきで、結局は、それを判定するのは、人々であるということがこの中間選挙で再度明らかになったのである。『読売』は、国防であれ安全保障であれ、結局は、どんな政権の政策であっても、否定・非難されるのは当然であり、最後は、人々の判断に委ねられるのだということを、認める気がないのであろう。『読売』は、人々のそうした選択能力や判断能力を伸ばすことに一生懸命になるべきであって、自らの政策判断を押しつけることを控えることを自らの倫理とする気がないのだろう。
 
 野党は、もっと党利党略を全面に出して、党派闘争すべきである。そうしなければ権力奪取など夢のまた夢だということは明らかである。そのくらいのことは、脱サッチャーを進めているイギリス保守党やイラク政策に徹底して反対し、暴露して勝利したアメリカ民主党から学ぶべきだろう。このような党派闘争の政治過程でこそ、それぞれの代表する階級階層が何かがはっきりと現れるのである。野党は、もっと党派闘争を! 政権の広報『読売』は、余計なことを言って、政治介入せず、与党機関誌になるな!
 
  読売社説(1)国防問題で排すべき党利党略」

 社民党はともかく、民主党までもが、国の防衛に関する重要法案に審議拒否戦術をとるのは、どうしたことか。

 防衛庁の「省」昇格関連法案の実質審議が、ようやく衆院安全保障委員会で始まった。民主、社民両党は防衛施設庁発注工事を巡る官製談合事件の審議が不十分として欠席した。

 衆院本会議で、先月27日に法案の趣旨説明が行われてから、すでに2週間も経過している。

 民主党は委員会での審議入りの条件として、官製談合事件の集中審議を要求した。安全保障委員会では、3日間、12時間にわたって談合事件に関する集中審議が行われている。このこと自体が法案の審議入りの引き延ばしだ。

 省昇格と官製談合事件の追及とはまったく別の問題である。

 民主党の小沢代表は、防衛庁の省昇格に繰り返し賛意を示してきた。民主党内には「国防省設置を早期に実現する議員連盟」もあり、省昇格に賛成する議員は、少なくない。

 にもかかわらず民主党は、省昇格関連法案への賛否を決めていない。政権交代を目指す野党第一党が、今になってもなお、こうした重要法案への賛否を決められないのは、おかしなことだ。

 背景には、沖縄県知事選で、野党統一候補を擁立していることがある。今回の審議拒否にも、19日の投票日までは法案に反対の共産、社民両党と足並みをそろえたいとの思惑があるのだろう。

 これでは、55年体制下の旧社会党と何ら変わりがない。責任政党とは、ほど遠い姿である。

 防衛庁は、日本の平和と安全を守る任務のため、陸・海・空の自衛隊という実力組織を有している。安全保障政策にも責任を負っている。

 内閣府の一外局に位置づけている現状では、防衛長官は直接、防衛に関する重要案件を決める閣議を請求できないし、財務相に予算要求もできない。

 近隣諸国はじめ、諸外国で国防を担当する官庁は、すべて「省」であるのに、日本だけが「庁」ということが、そもそもおかしい。

 北朝鮮の核武装によって深刻な脅威にさらされ、日本の安全保障環境は著しく悪化している。防衛庁を「省」にすることで、責任と権限を明確にし、有事は無論、安全保障環境の変化にも迅速に対応できる体制を整えることが急務だ。

 党利党略を超えて国家的視点に立ち、真摯(しんし)に法案を審議することが大事だ。小沢氏には、法案賛成の方向で党内の意見集約に指導力を発揮してもらいたい。(2006年11月10日『読売新聞』)

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