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中間層主義の『朝まで生テレビ』

 新年あけましておめでとうございます。
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 今年もよろしくお願いします。

 『朝まで生テレビ』での司会の田原氏の混迷ぶりが目立ってきている。それは、氏が言う現実なるものが、一面的であり、単純化されていることによるものである。
 
 例えば、何でも反対するという野党に対して、それをなんら現実を動かす力がないと決めつけているが、これは暴論であり、言論の力を否定するものである。野党が、国会その他において言葉で宣伝することによって世論に訴え、世論が動いて、それによって自民党内にそれに影響される個人が増えることで、ある政策を修正したり、止めたりすることができるのである。イギリスのイラク反戦運動の高揚はイラク反戦世論を増やしたし、それは、労働党内のイラク反戦派・慎重派に力を与え、それによって、閣内でのブレア批判にまで繋がった。そしてついに、ブレアの早期退陣に追い込んだのである。
 
 第二に、彼は、外交力を軍事力を背景とすると信じていることだ。そして、外交が、国益を実現する国家意思を外国に押しつけることだと考えているのである。例えば、今、北朝鮮に対して、核開発を止めさせるために、多くの国が外交を行っている。しかしそれは、6大国が核を独占する主権不平等のNPT体制を守るためである。それは、形式的に世界の主権国家全てが平等であるとされながら、同時に、一部の国々が特権を許されているという戦後の不平等な世界体制を容認し前提している。世界の不平等を容認することは、理念として正しいのだろうか? 世界平等を理想とするなら、全ての国が核を放棄するか全ての国が核を持てるようにするか、どちらかを理念として主張すべきだろう。
 
 そうはいっても、アメリカは核を放棄しないし、その他の核保有国も自発的に核を放棄する可能性はきわめて少ない。だから、核の不平等を容認するのが現実的だというのは、あまりにも皮相であり懐疑主義的である。アメリカにも、フランスにもイギリスにも反核運動があり、一定の支持者が存在する。なるほど、かれらの力はまだ全体を規定するまでにはいたっていない。しかし、それをもって、核放棄を非現実的だというなら、今後、世界に核が拡散するのも現実的だとして容認せざるをえなくなるだろう。それが核戦争の危機を近づけることはいうまでもない。
 
 憲法9条問題では、もっとはっきりしている。9条は理想論で、自衛隊という軍隊が存在するのがそれと矛盾しているから、自衛隊という軍隊を容認するように憲法9条を書き換えるのが現実的だというなら、この世には、格差や不平等があるのが現実だから、平等の理念は、現実に合わせて変えるべきだということも言える。かくして、憲法は、社会や現実が目指すべき理想や理念ではなく、現実を正当化するものになろう。すると、その社会は、理想や理念を失って、前進後退の基準を失うだろう。つまり、それは理念そのものを捨てることに繋がるのである。それに人々は耐えられるだろうか? 私は、その方が非現実的で、無理だと思う。すでに国際貢献活動が自衛隊の本来任務にする法改正が行われており、それを憲法に記したところで、すでにやっていることを憲法に記すだけだからである。自衛隊の任務などが変わるたびに、いちいち改憲することが、現実的とは思えない。
  
 安倍総理は、年頭会見で、改憲論議を活発化し、改憲を目指すと言ったが、自民党は改憲論議を事実上放棄しているし、小沢民主党の方も、解釈改憲で、自衛隊の海外派遣は可能だという見解を出している。
 
 ばかばかしいのは、宮崎とかいう評論家の主張で、健全な中間派なるものを育てるということを、健全な改憲という基準に主張していることだ。健全な中間派なら反改憲である。アメリカで、民主党躍進に貢献した中間層は、イラク撤退派であり、反戦派である。それは日本なら、反改憲派に当たることは子どもが考えてもわかることだ。そして最後に、安倍に期待しないという反安倍が圧倒的に多かった電話アンケート結果を見て、田原氏が、右翼が多いと言ったコメントは完全に的はずれである。右派の期待を集めた安倍政権の支持がないということは、世論の右傾化を意味していないことは明らかである。左翼はなるほどそんなに多くなってはいないが、最低期からはずっと盛り返しており、今年の運動の準備をすでに着々と進めていて、それを実現する実力を蓄えている。
 
 それに対して右派は、『産経』が、グループの扶桑社による運動介入、藤岡信勝氏の教科書執筆者からの除外やジェンダー・フリー思想の公然化、公明党が骨抜きにした教育基本法改「正」の肯定的評価などを通じて、右派の「偽の友」であることを自己暴露してしまったように、内部争いが激化し、細分化し、力量低下が続いている。日本教育再生機構(八木秀次理事長)などの大同団結的習合が試みられているが、あんまりばらばらすぎて、わけのわからない烏合の衆と化している。鳴り物入りで行われている民間タウンミーティングも、地方都市で、200だのという規模で、運動の破綻は隠しようがない。かれらが期待する安倍政権は、ぼろぼろだし、石原東京都知事も、集中砲火を浴びている。
 
 興味深いのは、昨年、6月15日安保デーと10・21国際反戦デーに集会デモを行ったかつての安保闘争の闘志を中心にした反改憲運動で、今年はすでに3月の日朝連帯集会デモを皮切りに、6・15安保デーと10・21国際反戦デーに東京・大阪・京都で大規模集会とデモを年間スケジュールとして組んでいる運動である。参加目標を千単位に据えて、昨年から準備を始めていて、計画性が高いのである。ベテラン勢の経験と智恵と格差社会化で下層に追いやられている若者の行動力がうまくかみ合えば、大きな運動となる可能性がある。
 
 こういう動きが小さいからといって非現実的というのは皮相な見方である。どんな大きな動きも、こうした小さな動きから始まるのである。なるほどそれはいつでも何でも成功するとは限らない。しかし、田原氏も、ここ数年、護憲派が増えていることを認めている。その動きは、森本氏が言うように、やがて、右派対左派という構図に発展するかもしれない。現状ではまだ左翼は小さい。しかし、そのベクトルは安倍政権とは逆に上に向いている。いくら、宮崎が、中間派を独立の大勢力としようとしても、中間層が分解して、細っているし、ホワイトカラー・イグゼンプション制度が導入されれば、さらに細ることは明らかだから、時代の趨勢になることはないだろう。アメリカでも、中間層は、ブッシュ政権の政策で分解し、落ちてきたのである。面白いのは、出演者の多くが、イデオロギーに違いがあるものの、中間層の立場に立っているという点では共通していたということである。そうした意味では、田原組なのである。田原組的なものの地盤沈下がここ数年で進んできたことが、この番組で明瞭にわかったことである。

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