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林道義氏のフェミニズム批判について

   フェミニズム批判の急先鋒の林道義氏は、フェミニスト=ジェンダー・フリーという等式を繰り返してきたが、その意味がこの文章を読んでよくわかった。要するにそれは、「フェミニストと資本家のいびつな連帯」だということだ。

 ここで、主に右派・保守派の代弁者であるかのように支持されてきた『産経新聞』が、資本家の意向を代弁する隠れフェミニストであり、ジェンダー・フリー派であることを公然化した。それを林道義氏は、12月30日付「正論」での丸尾直美氏のスウェーデン礼賛を「ここまでくると狂信的としか言いようがない」と手厳しく非難した。
 
 林氏は、丸尾氏の主張を、国民が真の男女平等意識に目覚めることで出生率がU字型に回復するというもので、それは、「「ひとつは、職場、家庭、社会で男女平等の意識に目覚め、伝統的男女の地位と役割が共働き時代に即して変わること」、二つ目は子育て期の女性のニーズに答える政策を取ること、三つ目は雇用が改善すること。この三つが同時に起こらないとダメだということである」というものだという。
 
  林氏は、とくに第一の点について、日本での男女役割分担の意識が根強いために不可能だろうとしている。しかし、NHKの討論番組では、1970年代に比べて、かなり意識が変わってきていることが指摘された。興味深いのは、日本と韓国での男女役割分担意識が似ていたことである。林氏は、八代尚宏氏のようなクリスチャン学者が、フェミニズムと経済界を繋いでいると述べているが、それはこのような男女役割分担意識が、儒教に基づいていることの現れだということを示しているのかもしれない。しかし、儒教道徳が薄れつつあるのも事実であり、むしろ、やはり戦後の生活給型賃金体系の残存によるところが大きい。

 林氏は、八代氏のような「左翼クリスチャンは、女性たちを資本主義的な搾取の手の中に送り込んでも、少しも良心の呵責を感じない。その証拠には、八代氏は、内閣府の労働市場改革などに関するシンポジウムで、正社員と非正規社員の格差是正のため正社員の待遇を非正規社員の水準に合わせる方向での検討も必要との認識を示した。今までは正社員一人で一家を養うことができたが、例えば正社員である夫の待遇を非正規社員に近付ければ、結局は妻が働かざるをえない状況になる。」という。
 
 私の知る「左翼クリスチャン」は、ホワイトカラー・イグゼンプションに反対し、労働者の待遇悪化に反対している。だから、正社員の待遇を引き下げろという八代氏のような人物が左翼クリスチャンと呼ばれているのを理解できない。
 
 氏は「彼がもし本来のマルクス主義経済学者であるなら、これほど露骨な労働者いじめの提言はできないであろう。しかしフェミニズムを錦の御旗に掲げるクリスチャンならば、なんら矛盾を感じないで無邪気に、資本家階級に都合のよい労働政策を提案できる。クリスチャン左翼がいかに共産主義的フェミニズムを使って資本家に奉仕しているか、明らかである」という。ずいぶんややこしい想像をするものだ。本当のマルクス主義経済学者なら、もちろん労働者いじめの提言などしようがない。フェミニズムを掲げるクリスチャンでも、パリサイ派を「まむしの末」と非難したキリストの言葉の意味を知るものなら、労働者いじめの提言などできようがない。どうもこのへんは、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の倫理』を下敷きにしているようだ。

 本来のマルクス経済学者なら、労働者いじめに反対なばかりではなく、賃金制度そのものに反対であり、それを言わない八代氏の提言などに賛成できるわけがない。氏のいう「左翼クリスチャン」が、共産主義的フェミニズムを利用して資本家に奉仕しているとすれば、それは、「左翼クリスチャン」が悪用しているだけで、共産主義的フェミニズムにその責任はない。共産主義的フェミニストの代表的イデオローグとみられている上野千鶴子氏は、ジェンダー・フリー思想を批判している。
 
  そして氏は、「丸尾氏も同じ穴のむじなであろう。スウェーデンは福祉国家という名の一種の社会主義国家である。それを丸尾氏のような経済学者が礼賛し、それが結果として資本家の労働者搾取を正当化しているのである。育児や介護といったものを国(税金)にやらせ、女性を労働力として搾取すれば、資本家にとって好都合である。資本家が目指しているのは、夫婦を共に低賃金で働かせ、育児や介護のために莫大な税金を払わせる社会である」という。なるほど、これは、資本家のジェンダー・フリー思想の狙いとしては正しい。つまり、スウェーデンのような福祉国家は、社会主義国家ではなく、実際には、資本主義国家だということだ。それは資本家ジェンダー・フリー派の理想国家だから。

 最後に氏は、「このようにして、フェミニズム経済学が「資本家の労働者搾取」を正当化しているのである。そしてフェミニストと資本家の協力関係こそ、健全な家族を破壊へと導いているのだ。フェミニズムという一種の共産主義が、資本家に都合のよいイデオロギーとして利用されるという、この屈折した関係を見破らないかぎり、健全な家族を守ることは不可能である」という。
 
 フェミニズムには、「資本家の労働者搾取」を正当化する一派があるのは確かであり、20世紀初頭頃には、すでに共産主義フェミニストはそれと自らを区別して、独自の潮流として登場していた。ローザ・ルクセンブルクとドイツの女性運動やロシアのコロンタイなどである。資本家的フェミニズムは早くから潮流として存在していて、その中の自由主義的フェミニズムは、一方では女性資本家の誕生を促進し、同時に女性労働者を労働市場に多く引き出すことを促進している。最後の「健全な家族」というのが、林氏と共産主義では違っている。自由主義的フェミニズム・ジェンダー・フリー思想が、資本家による労働者搾取の一層の拡大・強化にすぎないという点で一致するだけである。林氏の主張は、儒教道徳や儒教的家族観・男女役割分担意識の社会的経済的基盤が大きく変化しているのに対して、無力である。
 
 そして、氏の言う「健全な家族」というのが、家父長制的核家族でしかないのである。なるほど家族内に、共有財産があって、その処分権が家長にあるという形は、アメリカのように婚姻前に家族財産の持ち分をあらかじめ契約で定めておくという私有制が徹底しているような形ではなく、共産主義的である。つまり私有制・資本主義が完全に浸透しきっていない領域としてある。しかし、それは、日本でも、すでにとりわけ都会において多く崩れつつあって、離婚に際しての大きな問題点としてあげられ、離婚数も多くなったことからも、アメリカ型の婚前の夫婦財産持ち分の契約制導入の検討が進められているところである。
 
 いずれにせよ、マルクス経済学者にとって、この問題で重要なことは、社会経済的に家事・育児が持つ社会的地位が、生産が持つそれと対等になることである。

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