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『産経』が文化力だって

 『産経新聞』社説がこんなことを書くと、なんだが『産経』らしくないと感じてしまう。
 
 『産経』と言えば、安全保障・軍隊の力・軍事力の強化を繰り返し訴えてきたからである。それが、文化の力で地域再生を目指せと主張するのだから、まるで『産経』は、左翼にでもなったかのようである。これまで、武力外交路線・武力を背景とした外交に対して、話し合い外交・文化外交を強調してきたのは、左翼だからである。文化の力を強調してきたのは左翼の方であった。
 
 この社説は、格差問題とりわけ都市と地方との格差を是正する手段として、これまでの公共事業に頼るやり方に疑問を呈し、地域に残る伝統を再生して魅力を高め、そういう文化の力で、企業誘致を進めるべきだと提言する。その一例として京都の取り組みを紹介している。京都では、京都商工会議所が、京都検定を進めるなどして、京都ブランドを高めることで、人や企業を京都に引きつけたという。京都は、1990年代に、京都駅改修をはじめ、高層建築の制限を緩めたことがあった。そのために、他の都市と変わらない高層ビルが視野を遮る無味乾燥な都市になりつつあった。それが、ここ最近はビルの屋外広告規制を強化する対策を打ち出すなどして、他の都市とは違う京都特有の景観を守る姿勢を強化した。
 
 それに対して、大阪の場合を従来型の否定的な都市再生策の例としてあげている。大阪の場合は、重厚長大型産業育成が優先され、それによって、井原西鶴、近松門左衛門以来培ってきた「文化的薫り」を希薄にしてきた。今ようやく、上方落語の専門寄席の「天満天神繁昌亭」がオープンし、賑わっているなど、上方文化の再生の機運が高まりつつある。
 
 社説は、「大阪府は補助金によって企業を呼び戻そうとしているが、このように、都市の文化的魅力を増すことで人や企業を引き寄せることも考えるべきだ」という。構造改革派は、能力主義・成果主義を基本にし、コスト・利便性重視だったが、文化力という人に満足感や生への充実感を与えるものは切り捨てられてきた。文化を享受するには、ゆとり、教養、人間関係、環境などの充実が必要である。地域の文化の魅力によって、人が集まり、そこでの生活の満足感が生まれる。それを感受することで、人々の充実感が増大する。そこから、生き生きとした発想、新たな知的創造力が生まれる。ということだろうか? 
 
 ただ、知的創造性の育成というのは、実は中曽根教育改革路線の基本であった。それは、知識産業の育成という国家プランと結びついていたのであり、「ゆとり教育」もそうした狙いがあったのである。「ゆとり教育」否定、学力主義・能力主義を強調してきたこれまでの『産経』の主張はどうなるのか?
 
 民俗学者宮本常一が、新潟県山古志村の過疎対策として、伝統の闘牛の復活と民俗資料館をつくることを提案し、実現したが、田中政治のばらまきに頼るようになって、それらはあまり歓迎されなかった。ところが、新潟県中越地震からの復興の核として闘牛が復活した。「文化力による地域再生を求めた宮本の先見性を示している」と社説は評価する。そして、最後に、団塊の世代に、「時間の余裕ができるこの世代が伝統文化に目を向け出すことは間違いない。そうした動向も敏感に捕らえながら、地域づくり、ひいては国づくりを行っていくべきだろう」と期待する。団塊の世代には、すでにこうしたところに目を向けている立松和平氏などがいる。
 
 『産経』が、ここで、注目しているのは、大企業が中心の日本経団連ではなく、中小企業が多い商工会議所のことであり、それだけ地域に依存しているところのことである。もっとも、90年代以来、中小企業は先を争って、中国に進出するなどしていて、そういうところは、地元地域との関わりは薄れてきているようだ。それでも多国籍化している大企業よりは、地元に根づいている。日本経団連の「御手洗ビジョン」を読んでも、こういうことがまったく出てこない。イノベーションがどうしたとか、いきなり国家共同体だ愛国心だという話で、身近に感じられるものがないのである。文化力の育成には、教養・共同体的人間関係・社会関係が必要である。それらがなくては、文化を伝承していくことができないからである。
 
 御手洗ビジョンには、それらを破壊するイノベーションということが基本に据えられていて、こうした領域を尊重するとか育てるとかいうことがまったくない。安倍政権にもそれがない。『朝鮮新報』は、安倍総理が、皇室典範改正論議を止めたりしたことで、あたかも日本全体が右傾化しつつあるような社説を載せているが、これはまったく的はずれである。実際に、安倍政権がやろうとしていることは、文化の破壊であり、明治の伝統・文化・共同体の破壊の近代化のやり直しである。この『産経』社説も、その路線の範囲内でのものにすぎない。
 
 それでも文化力をこれだけ高く評価したことは、「左翼」化と呼んでもいいようなものだ。文化力を外交に結びつけることは、現憲法の基本理念に合致するし、とりわけ9条の思想に合致するのである。もちろん、『産経』は、安全保障の要としての軍事力、外交の背景としての軍事力の保持・強化、9条改憲、日米同盟強化という思想をこれからも強調するに違いない。ここではこの社説を強引に「左翼」的に読んだだけかもしれないが、安全保障論議では、空中戦になりがちであるのに比して、やや土俵が下がったかなと思ったのである。つまり、大企業寄りではなく、中小企業寄りだなという感じである。

『産経新聞』【主張】文化の力 伝統見直し地域再生を

 ■人や企業を引きつける街へ

 昨年は「格差」がしばしば問題となった。個人の間の格差ばかりでなく、中央と地方との経済格差は、国会などでも議論の的となった。

 確かに、景気が回復基調となり「いざなぎ超え」となったここ数年についても「恩恵にあずかっているのは東京とその周辺だけ」という声は強い。しかし、どう格差を是正するかについての国や地方自身の取り組みには疑問に感じられることも多い。

 ≪公共事業だけなのか≫

 道路特定財源の見直し問題で、一般財源化を主張する政府に対し、与党の自民党から「地方つぶしだ」という強い反発が出たように、依然として道路づくりを地方活性化の核にする発想が根強いように見える。道路をはじめ公共事業に税金をつぎ込んで地方経済を活性化する一方、インフラ整備で企業を誘致する、というのが一貫して変わらない政策なのである。

 こうした公共事業偏重の姿勢が、福島、和歌山、宮崎と続いた官製談合に結び付いたことは否定できない。果たして地方を活性化し、格差を是正する道は公共事業しかないのだろうか。ここに京都の実験例がある。

 言うまでもなく、京都は今、年間5000万人近い人が訪れる日本一の観光都市である。しかしその一方で、京セラをはじめ任天堂、島津製作所、村田製作所など、抜きんでた先端技術を持つ企業が軒を並べる一大ハイテク都市ともなっているのだ。

 京都は京都大学などハイレベルな大学をいくつも有する。大学と提携することにより、企業が高い技術を蓄積していったということもある。だがそれだけでなく、京都の経済界が率先して京都の「文化力」を高めていった結果であることも忘れてはならない。

 全国的な「ご当地検定」のはしりとなった「京都検定」を始めたのは京都商工会議所だった。昨年の1月、百人一首に関する資料などを一堂に集めた「時雨殿」が嵐山にオープンした。これも、同商議所やハイテク企業などが「小倉百人一首文化財団」をつくって設立にこぎつけている。

 こうした試みは、観光客をこれ以上増やすためではない。京都の文化的ブランドを高めることで、優れた企業や技術者をこの街に呼び込もうというものなのである。

 ≪上方文化再生の機運≫

 これに対し、隣の大阪府は依然として企業の流出に悩まされている。むろん日本の産業構造が変わったことが大きい。しかし、大阪が重厚長大型の経済発展を果たしてきた中で、井原西鶴や近松門左衛門以来培ってきた「文化的薫り」を希薄にしてきたことと無関係ではあるまい。

 その大阪でも昨年、戦後絶えていた落語専門の寄席として「天満天神繁昌亭」がオープンするなど、伝統的な上方文化を再生させようという機運が高まっている。天満天神繁昌亭は上方落語協会が中心となり企業や市民の寄付で建てられた寄席で、9月の開館以来予想を上回るにぎわいを見せ、ほかの芸能にも刺激を与えている。

 大阪府は補助金によって企業を呼び戻そうとしているが、このように、都市の文化的魅力を増すことで人や企業を引き寄せることも考えるべきだ。

 京都や大阪のような大都会ばかりではない。それぞれの町や村にも伝統的な文化が息づき、あるいは眠っているはずである。

 民俗学の泰斗、宮本常一を描いた佐野眞一氏の『旅する巨人』によれば、宮本はかつて新潟県の山古志村(現在長岡市に合併)から過疎脱出のためのプランを求められた。そのとき宮本は村に伝わる闘牛の復活と民俗資料館をつくることとを提案したという。

 2つとも実現はしたものの、地元出身の田中角栄元首相流補助金政策にならされていた村民からはあまり歓迎されなかった。しかし新潟県中越地震で大打撃を受けた後、復興の核として地震で途絶えた闘牛が再度復活した。文化力による地域再生を求めた宮本の先見性を示しているといっていい。

 今年からいわゆる「団塊の世代」が定年を迎える。時間の余裕ができるこの世代が伝統文化に目を向け出すことは間違いない。そうした動向も敏感に捕らえながら、地域づくり、ひいては国づくりを行っていくべきだろう。(2007/01/07)

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宮本常一 生誕100年 福岡フォーラム
宮本常一を語る会主催
5月27日(日) 13:00~17:00
アクロス福岡 円形ホール

フォーラム概要
主催者あいさつ[ 代表世話人 長岡秀世 ]13:00~13:10
ドキュメンタリー鑑賞[ "学問と情熱"シリーズから ]13:13~14:00
基調講演[ "家郷の訓"と私 原ひろ子 氏 城西国際大学客員教授 お茶の水女子大学名誉教授 ]14:05~15:20
パネルディスカッション[ コーディネーター 長岡秀世 ]15:35~16:45

パネリスト
武野要子 氏 (福岡大学名誉教授)
鈴木勇次 氏 (長崎ウエスレヤン大学教授)
新山玄雄 氏(NPO周防大島郷土大学理事 山口県周防大島町議会議長)
佐田尾信作 氏 (中国新聞記者)
藤井吉朗 氏 「畑と食卓を結ぶネットワーク」
照井善明 氏 (NPO日本民家再生リサイクル協会理事一級建築士)

作品展示
宮本純子[ 宮本常一名言至言書画作品 ]
瀬崎正人[ 離島里山虹彩クレヨン画作品 ]
鈴木幸雄[ 茅葺き民家油彩作品 ]

投稿: 宮本常一 | 2007年5月26日 (土) 06時02分

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