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今年の経済界のおかしなこと

 経済3団体の新春パーティーのニュースを見てわかることは、すでに、夏の参議院選挙が始まっているということである。あいさつに立った安倍総理は、景気回復の実感を広く行き渡らせるための賃上げを経済界に訴えた。そして、その声に応えて、財界人の一人は、最低賃金が低すぎるので引き上げるべきだと述べた。竹中元総務大臣は、消費税を引き上げなくても財政のプライマリー・バランスの目標達成は可能だと述べた。いづれも、安倍自民党の外野からの応援の声である。日本版ホワイトカラー・エグゼンプション導入は、通常国会での実現は見送られそうである。
 
 なにせ、支持率低下中の安倍政権であるから、さらなる支持率低下につながりそうなことは、できるだけ避けたいのである。とはいえ、新年早々、松岡農相にスキャンダルの陰がさしている。安倍内閣の顔ぶれをみると、スキャンダルを抱えていそうな者がずらりと並んでいて、次々とそれが出てきそうである。小泉前首相は、族議員を古い自民党と呼んで、かれらを排除し、かれらと闘う姿勢を示したので、比較的こうしたスキャンダルは大臣からは出てこなかった。ただ、本間スキャンダルは小泉内閣時代からのことであり、タウンミーティングの「やらせ」問題も、そうである。ただ、小泉政権時代には、それらは暴露されなかったというだけである。
 
 日本経団連は、いわゆる「御手洗ビジョン」というのを出している。御手洗氏は、ちょうどレーガン時代にアメリカにいて、レーガノミクス旋風の吹き荒れる様を体験したという。そこで、それまでのアメリカでのインフレとアメリカ経済の衰退を立て直したレーガン・ブッシュ共和党政権の政策に感心したという。そして、それをなぜか、バブル崩壊後の日本の姿を重ね合わせて、その処方箋として採用すべきだと考えたという。それが構造改革であり、イノベーションというスローガンで主張する。それは単に科学技術のみをさすのではなく、社会や国家など全領域にわたる全般的改革を意味するという。
 
 「御手洗ビジョン」は、実に壮大なものであり、同時に空疎なものである。それは、まず最初に、日本の現状についての二つの基本的な態度を挙げている。一つは、「弊害重視派」であり、所得格差や都市と地方の格差の是正を重視し、改革を止め、税や社会保障などの所得再配分政策を強化し、公共事業を拡充しようという立場である。もう一つは、「成長重視派」である。「成長重視派」は、改革を徹底し、経済成長の成果によって、グローバル化と高齢化からの弊害を克服するという。日本経団連は、「成長重視派」に立つと公言する。
 
 そのために、経済・社会システム、教育、憲法までイノベーションすると壮大な構えを明らかにしているのだが、具体論になると、中身がとたんに抽象的になって、なんだかよくわからないのである。
 
 それがよく現れているのが、愛国心のくだりである。まず、共同体認識が、まったく空疎である。国家=共同体と漠然と思っているらしいが、それは、歴史的にみて、まったく部分的で、一面的である。少なくとも、企業共同体や官僚共同体やNPO共同体などなど、共同体にもいろいろな内容とレベルがあって、それを国家共同体のみに限定するのは、経済界が、国家を自分たちの共同体だと思っているからである。ところが、この間の教育基本法をめぐる議論で明らかになったのは、多くの人にとって、まず共同体といえば、郷土のことがイメージされるので、それと国家共同体の愛国心の間には、大きな違いがあることを感じているということだ。共同体といっても、日本経団連とその他の人々の間には中身に大きな違いがあるのである。日本経団連は、きちんと本音を具体的に言わないで、こんな空疎な表現にしかしない。
 
 そして、公徳心なるものの基礎としての愛国心を強調するのだが、日本経団連参加企業で、いろいろな企業不祥事が起きたのではないか? それはそれらの企業に愛国心がないせいなのか? だから、企業や行政が日の丸を掲げることを求めるのだろうか? 「御手洗ビジョン」は、共同体は共通の価値観に基づくという。そうではない。かつての日本の共同体は、複数の神仏信仰が共存する複数価値観の共同体であった。そんなことも知らないのは、御手洗氏がアメリカ暮らしが長すぎたせいだろうか? 他方では、多様性を強調もしていて、これらがどう折り合いがつくのか、理解に苦しむ。
 
 平等論については、機会平等のみを平等とし、結果平等は悪平等という平等観を強調している。その根拠は、なぜかソ連などが結果平等を追い求めたために官僚制社会になって行き詰まったという空想である。ソ連などでは、ノーメンクラツーラと呼ばれる特権官僚層が形成され、結果不平等が生まれ、それに対する人々の不満が爆発し、「改革」派が多数に支持されたので、体制崩壊したのである。御手洗氏は、ベルリンの壁が多くの民衆によって壊される映像を見なかったのか? それとも、体制を打倒した民衆の力を直視できないのか? なぜか、ソ連などの体制崩壊をシステム欠陥のみに還元しようとしているが、結果不平等も体制崩壊の一因だったことは明らかだ。
 
 そして、90年代の「失われた10年」とインフレ・スタグフレーションに襲われた1970年代のアメリカの情況とを同一視し、同じ処方箋で対処しようとする。90年代の日本では、デフレが問題になっていたし、労働者は過労死が社会問題になるほど懸命に働いていた。そして、リストラで、失業率が上がっていて、企業は、労働力市場で、買い手として優勢な立場にあった。労使協調的な労働組合は、リストラにも協力的であった。どこが、レーガン登場前のアメリカやサッチャー登場前のイギリス病と言われたイギリスの情況と似ているというのか? 全然、現実と合っていないのである。これで、どうやって、現実とマッチした適切な処方箋が描けようか? 「成長重視派」の空想性は明らかである。これは信用できるようなものではない。
 
 ただ、企業業績の回復によって、余裕が出てきたことを反映しているのである。そしてそれをバックに、安倍政権は、参議院選挙での勝利のために、経済界からの援護射撃を求めているのである。結局は、国家=共同体仲間の自民党と経済界が手を組んで、多くの人々をできるだけ安上がりにだまし続ける一芝居を打つことを新年早々に確認し合ったのである。

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