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25日『毎日』の西部邁氏の文章の批判

 25日の『毎日新聞』に、西部邁氏の文章が載っていた。

 ひどいものだ。「戦後の悲哀を映す一族」というタイトルの氏の文章は、「棺桶に片足を入れる段となると、その足に最も強い筋肉が付着していた頃、自分が大学キャンパスを訳もわららずに欠けていた様子を苦い気分で思い出す」と書き出している。60年安保闘争がターゲットにした岸信介の孫の安倍晋三が総理大臣になったから、祖父と孫との関係が、自分の人生の鏡にどう映っているかを凝視せざるをえなくなったというのだ。

 西部氏は、岸内閣から阿部内閣までの50年史が、自分の50年史にどう映ったかと考えているわけだ。そんなに自分がかわいいかと言いたくなる。とにかく、西部氏の自我に映さないとこの50年の歴史も無意味だと言いたげだ。別に、誰も西部氏に50年史を凝視すべきだと強制するわけではなく、凝視することを選択したのは西部氏自身である。それを「凝視せざるをえない」などと言うのは、レトリックである。岸の孫がたまたま50年後に総理になったからといって、それと自分史を重ねてみる必要など別にない。ただ、西部氏がそうしてみたくなったというだけだ。

 その自分史の青年時代の安保闘争と全学連・共産同との関わりを、訳もわからずに駆けめぐった苦い思い出として語るあたりは、第一次共産同の崩壊過程の訳のわからなさを反映していると言えるかもしれない。しかし、それを単なる一青年の若気の至りというような自分史に持っていこうとするのは、あまりにも無責任というものである。体験自体は、個人に残るものではあるが、同時に、何万何十万という人々が、ブントと全学連の闘いに注目し、参加し、共同でそれを体験したのであり、その過程で、ブントと全学連が主張したことは、資料として残されており、それは後まで多くの影響を与えたのである。

 それが、当時蔓延していた「平和と民主」という観念が気に入らなかったという個人的理由はいいとしても、「平和よりも争闘を、民主よりも孤立を好む青年たちがこの世には若干いるもので、彼らは「革命と自由」という対抗的な観念に勝手に身を焦がして、当所なく走り回っていたのだ」と一般論で安保闘争を片づけるのは、許し難いことだ。当時の資料を見れば、ブント全学連が、「平和と民主」という領域についても、それなりの主張を立てているし、全学連自体が、クラス討論と自治会選挙という民主を基盤に成立していたものであるし、平和・反戦闘争をも闘っていたことは明らかである。西部氏は、自身の属した東大での自治会選挙で不正があったとする告白をしているが、それが例外的な事態であるのかどうかについては言及していない。しかし、全学連の学生・若者たちが、「革命と自由」を夢見て、訳もわからず走り回っただけだというのは、あまりにもロマン主義的すぎる解釈だ。

 何よりも問題なのは、アメリカ流の平和と民主を破壊し、孤絶することが「私の情動」と述べ、「「革命と自由」の果てに何が何がやってくるのか、若く愚かであった私には、具体的には何一つ展望できてはいなかった」と述べていることである。1959年11月27日の国会突入闘争で、国会内集会を勝ち取った全学連が、1960年6月15日の新安保条約成立阻止に向けた闘いにおいて、自壊の道をたどったことについては、いろいろな見方があるのだが、「安保をつぶすか、ブントがつぶれるか」という島書記長の言葉に象徴されるように、次の具体的な展望がなかったという「若さと愚かさ」があったのは確かであるが、それに矮小化することはできない。三分解した三派のうち、戦旗派とプロレタリア通信派からは、革共同へ移行する者が多数出た。革命の通達派は、ばらばらになったが、後に、この系統からマル戦派が生まれ、ブント再建6回大会を主導することになる。西部氏は、都学連副委員長として、60年安保闘争を指導した立場であって、単に個人的情動によって動いた私人という立場ではなかった。ただ、一次ブント解体の過程が、自然発生的に個人化するような傾向があって、それぞれが勝手に引いていったり、革共同に移ったりして、自然消滅していったような感じに見えるということはある。ただし、戦旗派は組織ごと革共同に移っていった。

 次に、西部氏が気づいたのは、「真の革命は「古き良き価値」を新しい情況のなかに「リ・ボリューション」(再巡)させることだ、と少しずつわかっていった。真の自由も、「古き良き秩序」を自分の確保すべき道理の事由だとみなして、不確実な状況において選択しつづけることだと了解した」ということである。問題は、「古き良き価値」とは何かであり、「古き良き秩序」とは何か、ということである。いずれも価値判断が必要であり、取捨選択する基準が具体的になければならないものである。

 西部氏は、「アメリカ的なもの」は価値基準にならないという。というのは、「アメリカ的なもの」は、個人主義的左翼であって、「壮大な社会実験として社会を設計する」という左翼流儀であるからであるという。冷戦は、左翼内での個人主義派とソ連流派との左翼同士の内部抗争であったという。

 岸は、ソ連流左翼には敵対したが、アメリカ流左翼への敵対心はあまりなかったという。それに対して、半世紀後の岸の孫は、「日米両国は”自由と民主“という基本的価値を共有している」と宣するほど、戦後民主主義、アメリカ左翼的価値観に染まりきっている。それにもかかわらず、戦後レジュームの転換をスローガンにしているのだから、安倍政権がぐらぐらするのも当然なのである。矛盾していても平気なのだ。そのことは、西部氏が、「祖父も孫も、自国の国柄に帰還することと、「壮大な社会実験として社会を設計する」という「美国」(つまりアメリカ)の(構造改革に典型をみる)左翼流儀のあいだで、股裂きに遭っている。敗戦日本の哀れな運命がこの一族に投影されているということなのだろう」と指摘している。なるほどと思いもするが、しかし、「自国の国柄に帰還する」のを阻んで、「壮大な社会実験として社会を設計する」ことを推進しているのは、資本主義であり、それを暗に左翼主義と呼んでいるのかもしれないが、そんなレトリックを使うのではなく、正面から、資本主義批判をやればいいことだ。イノベーションは、安倍政権と財界、アメリカの掲げる基本概念になっているが、これこそ、国柄の保守を許さず、「古き良き価値」「古き良き秩序」を破壊し、それへの安住を妨げているものだ。それを新しい情況の下で再巡させるだの、不確実な情況において選択し続けるだのと言っても、空文句にしかならないのである。あとは、ちっぽけな「私」への拘泥、私の情動、自分の鏡の凝視、私への孤絶(孤立)、孤独、そして自分以外のものの破壊の夢、等々である。社会的なもの、共同体的なもの、他者、社会諸関係、等々はどこにある? 

 自己の内面を凝視すること、それは、ロマン主義的な態度であり、実存主義的な態度でもある。それに対して、自我滅却を無の凝視によってなそうとする仏教の修行は、「自己をならうは自己をわすれるなり」という道元の言葉にあるように、自我を存在とする見方を錯視として退けるものだ。西部氏は、『国民の道徳』で、民主の起源としてギリシャのポリス国家をあげているが、それ以前の共同体、氏族社会、原始社会などまで遡れなかったことは、やはり氏が西洋的なものにとらわれていることを表しているように思われる。一方で超歴史的な一般的な言い方と歴史的に限定されるべき言い方とを混在させているのは、保守主義の言い方の特徴でもありそうだ。それは小林秀雄にもあるからだ。例えば小林のモーツァルトは歩き方の達人だという文章があるが、これは、モーツァルトは幼い頃から何度も旅行しているので旅慣れているということを、モーツァルトの天才性を表しているかのように見せるレトリックである。60年安保闘争が、アメリカ流の「平和と民主」に対抗する「革命と自由」を求める争闘好きで孤独を愛する超時代的に存在する一類型の少数の若者の運動だったなどというのは、その類である。これで保守論客の中心人物だというのだから、保守思想などというのは、大したことないようだ。 

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