« 代表質問始まる | トップページ | 北九州市長選・愛知県知事選挙結果によせて »

野党審議拒否戦術を批判する『読売』は間違っている

  柳沢厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言をめぐって、柳沢大臣の辞任を要求する野党とそれを拒否する与党との対立が激しくなった。野党が、補正予算案の審議を拒否したことをめぐって、さっそく、「良識」派が登場して、国会に出席して審議に応じるよう説教を始める。それは、一見すると正論に見えるが、実際には、与党側に立った援護射撃である。

 『読売新聞』は2日付社説で、冒頭から、民主党に説教を始める。『読売』は、去年の教育基本法問題での欠席戦術の際にも、まったく同じ理由をあげて、民主党に審議に戻るように促した。「自分の要求を通すために審議を拒絶する。これは万年野党と称された旧社会党の手法だ。2大政党の一方にあって政権をめざす民主党は、こんな悪弊を今こそ絶つべきだ」というのである。

 果たして、『読売』が言うように、審議拒否戦術は、許されないものであろうか? これは『読売』が、国会を聖なる場と見なしていること、そして民主主義の本旨をはずしていることを示している。国会という民主主義の場では、政権を握っている多数派の与党と少数派の野党がある。両者は対等ではなく、片方が優勢にある。与党は、議長や委員会の長などをほぼ独占している。その上多数決でどんな法案でも通せる力がある。力を実際に行使するかどうかは、世論などの動向にも左右される。それは選挙での審判があるからで、与党もそれを気にしないわけにはいかない。つまり、国会のことは、国会の中だけで決まるのではなく、外の大衆の意識動向にも左右されるということである。それが、民主主義なのである。議会内のおしゃべりだけが、民主主義ではないのである。

 アメリカでの民主党の大勝利は、大衆の間での反戦意識の拡大を党の政治政策に取り入れることによってもたらされたのである。それが政権交代の原動力になるのであるから、大衆の意識動向は、権力闘争の重要な要素なのである。

 私見では、自民党支持者や公明党支持者を含めて、世論の多く、とりわけ女性の多くが、柳沢辞任を支持しているし、柳沢発言に怒っている。したがって、柳沢大臣をかばっている阿倍総理にも背を向けていると思う。野党の審議拒否戦術は、広範に支持されるていると思う。もし、審議出席しても、ほとんど柳沢大臣糾弾の場のようになるだろうし、そうせざるを得ないだろう。中側自民党幹事長は選挙応援演説で「自民党はフェミニストの党」だとさえ述べている。ところが、実際には、フェミニズムに敵意を持つ山谷ゆり子内閣補佐官、女は家に居て専業主婦になれと語った下村官房副長官など、反フェミニストが重要ポストに居るのが阿倍政権の実際である。選挙で勝つためには嘘でもごまかしでもなんでもありなのは、自民党なのである。『読売』は与党には寛容にこうしたことを見逃してやっている。
 
 街頭に出て、直接大衆に語りかける。これも政党の重要な政治活動である。

 なによりも『読売』が誤っているのは、柳沢発言を「女性を「機械」に例えるとはまことに軽率な発言だ。まして厚労相は、少子化対策に重要な役割を担う閣僚である。責任は重いと言わざるをえない」と批判しながら、ではその重い責任をどう果たすべきかを具体的に提起しないことだ。即刻の大臣罷免・辞任が責任を果たすことなのかどうかについて態度を明らかにしていないことだ。どうすべきなのか? 『読売』は言論機関としては責任は重いと言えばすむかもしれないが、政治の場ではそうはいかないのである。もし、『読売』の重役・編集委員が同じ発言をしたら、『読売』はどうするのか? 責任は重いと述べるだけで、何の処分もなし、おとがめなしですませるのか? そんなことをしたら、『読売』読者、とりわけ女性読者はどうなるか? そう考えたら、こんな書き方はできないはずだ。無責任なのは『読売』の方である。

 政治が計算で成り立っているとする『読売』の政治観も浅薄で皮相である。政治的計算や政党の思惑を超えて大衆が選択し、行動し、それが政治に反映されていくこと、それが宮崎県知事選の結果に現れたのではないか? 中央とのパイプがどうとかそういう利害得失計算を超えたところで、有権者が投票行動を行ったのではないか? そのことを『産経』などの他の大手新聞の方が見抜いて、議会政党政治の危機と一様に述べたのである。ただ『読売』だけが、そうした大衆意識の変化を読めずにきたことがこの一件でも明らかになったのである。

 『読売』が、柳沢発言の責任問題を「喫緊の課題」からはずしていることによって、女性の人権問題を重要政治課題と見なしていないことを明らかにしている。それが、女性大衆に鋭く見抜かれているということに気づきもしない。

 そして言うに事欠いて、くだらないいちゃもんをつけている。「野党が今回、審議に応じていない補正予算案にしても、豪雨災害の復旧工事に充てる費用などを含んでいる」のに「小沢代表が、審議拒否の旗振り役をするとはどうしたわけなのか。これでは責任政党とは言えまい」というのだ。災害復旧予算を拒否する馬鹿がどこにいるというのだ? そんなのは審議時間を取るまでもないことではないか? それとも野党がいて、審議しなければ、災害復旧策を決定できないとでもいうのか?

 最後にこんなことを言う。「野党は、厚労相は、「人間として許されない暴言」を吐いたと言う。少子化対策や雇用法制の見直しにあたる閣僚として、厚労相がその任に堪えないと言うのなら、審議拒否ではなく、審議の場で明らかにしていくのが筋だ」。『読売』は、厚労相は、「人間として許されない暴言を吐いた」と考えるのか否かを明らかにしていない。これを支持するのなら、即刻大臣を罷免・辞任するべきだと主張すべきである。その上で、どうのこうのと野党に文句をたれるべきである。審議の場に出ることだけが、政治家の活動ではない。街頭に出て、街頭で大衆を相手に演説すること、直接語りかけること、それもまた政治家の重要な活動のあり方である。今、柳沢大臣をかばっていることこそ、政権に傷を付けないという政争のためにしていることである。審議拒否戦術は、議会政治に許される戦術である。大衆がそれを支持しているかどうかは、今後の世論や選挙などの際にはっきりするだろう。 

  2月2日付・読売社説(1)
 [野党審議拒否]「『政権をめざす党』の看板が泣く」

 本格的論戦の幕開けになる衆院予算委員会を野党はそろって欠席した。柳沢厚生労働相が辞任しない限り、審議には一切応じられないのだと言う。

 自分の要求を通すために審議を拒絶する。これは万年野党と称された旧社会党の手法だ。2大政党の一方にあって政権をめざす民主党は、こんな悪弊を今こそ絶つべきだ。

 厚労相は講演の中で、少子化問題に関して、「(女性は)産む機械って言っては申し訳ないが、その産む役目の人が一人頭でがんばってもらうしかない」などと口を滑らせた。厚労相は、すぐさま「ごめんなさい」と謝罪したという。

 女性を「機械」に例えるとはまことに軽率な発言だ。まして厚労相は、少子化対策に重要な役割を担う閣僚である。責任は重いと言わざるをえない。

 民主党は、社民党、国民新党に党首会談を呼びかけ、「女性の人権を否定した女性蔑視(べっし)の発言」であり、厚労相は辞任せよと求めた。安倍首相は、厚労相を厳重注意し、国会答弁で「多くの女性の心を痛めたことに私も深くおわびする」と陳謝した。異例のことである。

 民主党は今、なぜ、強硬姿勢をとっているのか。この国会戦術を主導しているのは、小沢一郎代表だ。

 小沢代表は代表質問で、事務所費問題など政治とカネの問題の解決なくして「まともな論戦を始めることができない」と全面対決の構えをみせていた。その際、厚労相の発言も取り上げ、その後「失言」を「糾弾」するテレビ報道の過熱に歩調を合わせるように攻勢を強めた。

 小沢代表には、参院選に向け野党共闘を強めたいという計算があるのだろう。支持率低落に苦しむ安倍内閣のさらなるイメージダウンを図る、国会冒頭から主要閣僚を辞任に追い込み与党の出端(ではな)をくじく、ということも考えていよう。

 だが、小沢代表は内政の「喫緊の課題」を並べて、論戦を挑んだばかりではないか。「誰も責任を負わない」現行教育制度の改革、終身雇用を前提とした雇用法制など、重要な論点を含んでいた。

 野党が今回、審議に応じていない補正予算案にしても、豪雨災害の復旧工事に充てる費用などを含んでいる。

 それなのに、小沢代表が、審議拒否の旗振り役をするとはどうしたわけなのか。これでは責任政党とは言えまい。

 野党は、厚労相は、「人間として許されない暴言」を吐いたと言う。少子化対策や雇用法制の見直しにあたる閣僚として、厚労相がその任に堪えないと言うのなら、審議拒否ではなく、審議の場で明らかにしていくのが筋だ。

|

« 代表質問始まる | トップページ | 北九州市長選・愛知県知事選挙結果によせて »

雑文」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。