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ソルジェニーツィンvsショスタコービッチ

 ソ連時代に活躍した芸術家にソルジェニーツィンという作家がいる。彼は、ソ連体制を告発した『収容所群島』などの著作で、国内では発禁・弾圧されたが、国外で高く評価されて、ノーベル文学賞を受賞した。

 彼は、ロシア革命時代、19世紀のナロードニキの流れをくむ、エス・エルの支持者であり、ボリシェビキ政権によって投獄され、後に収容所送りになった。その体験をもとに『収容所群島』などの作品が生み出された。日本でも文庫版になっていたが、最近はとんと見かけない。

 他方で、ソ連時代、作品がブルジョア的だと批判され、それに対して、プロレタリア芸術的作品を書くことで、なんとか音楽家生命を保って多くの作品を発表し続けたショスタコービッチという作曲家の作品は、今でも世界中で演奏され続けている。彼の自伝から、表面上は、体制に従うふりをしつつ、作品の中で、体制批判を行っていたということが明らかになった。彼は、「戦艦ポチョムキン」で知られる映画監督エイゼンシュタインの作ったプロパガンダ映画にも曲をつけるなどしていた。戦後復興期に、植林事業を鼓舞するオラトリオ「森の歌」などという曲も残している。

 ショスタコービッチは、後に、交響曲第11番「1905年」を書いて、第1次ロシア革命を作品で描いており、基本的に、ロシア革命を肯定していたと思われる。いわゆる「大祖国戦争」時には、交響曲第7番「レニングラード」を発表して、壮絶を極めたレニングラード攻防戦を描いた。先日、女優の栗原小巻が、ソ連に行った際に、この曲を聴いて涙する人が多かったということをテレビで語っていたが、この曲は、ロシアの大衆の心の奥底にある感情を動かし、深く結びついているのである。映画「スターリングラード」は、独ソ戦の厳しい消耗戦の臨場感が感じられるものだったが、「レニングラード」はそうした戦争体験のリアルさを表現したものなのだろう。

 最晩年には、きわめて自由な境地に達していたようで、交響曲第15番は、自らが影響を受けた過去の作曲家の作品からのテーマの引用があって、形式も自由になっている。ロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」の有名な旋律が突然出てくるのには最初はびっくりする。

 ソルジェニーツィンは、時代の政治状況によって、世界的作家のようにされてしまったが、その作品は、今ではあまり読まれなくなってしまった。その作品は、文学的ではなく、政治的に読まれたのである。つまり、体制暴露文書としての資料的価値において、政治的に評価されたのである。それは、時代的にやむを得ないとしても、彼の作品の文学的価値はどうなのだろうか? という問題がつきまとう。彼は、現在、亡命先から帰国してロシアで暮らしているが、時々、ロシア愛国主義者としての政治的発言が聞こえてくるが、文学作品はもう書いていないようである。『収容所群島』よりも、『イワン・デニーソビッチの一日』の方が、ロシア文学の流刑ものの伝統が色濃く出ていて、文学的だと言う人もいたが、やはり、『収容所群島』は、弾圧された人が何人だとか、レーニンの弾圧指令がどうとかの政治的価値の方が未だに高く見られている状態なのではないだろうか?

 ロシア愛国主義とチェチェン弾圧との関係ということも見なくてはならないだろう。もっとも、『収容所群島』を文学作品として評価するという向きはなく、そこにぷんぷんとにおっている大ロシア主義が、後にどうなっていったかを追求する者もない。『唯物論研究』という雑誌で、スラブ主義の問題を追求した論文を読んだことがある。それに対して、日本の場合には、文学と政治の関係は、追求されてはいる。

 表面上、体制迎合的だったショスタッコービッチの作品が今も世界中で愛され、演奏されているのに、ノーベル賞作家ソルジェニーツィンの作品が好事家か特別な意図を持つ人たちにしか読まれなくなったことを、人民主義者・農民主義者だったナロードニキ支持作家の彼は、どう考えているのだろうか? 作品が大衆に愛されていないというこの現実を。

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