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揺らぐ家族制度等について

 3月5日のテレビ朝日の「TVタックル」は、女性国際サミットとして、多国籍の女性を集めた討論だった。

 日本からは、フェミニストの田島陽子氏、自民党広報局長の片山さつき氏、韓国人、中国人、フランス人、オーストラリア人、が参加した。パネラーとして、評論家の三宅氏が出ていた。それに、レギュラー三人である。

 議題は、柳沢発言、少子化問題、環境問題等であった。柳沢発言については、議論以前という雰囲気で、自民党広報の片山議員だけは、すでに何度も謝罪していることと、家族実態を説明することで、もう終わりにしたいという感じの発言をした。

 柳沢発言が議論以前だということは、6日の『毎日新聞』の「新聞時評」欄のJR九州会長の書いているものからも明らかである。田中氏は、柳沢発言を「失言」だろうとしている。氏は、「例えのセンスがあまりにも悪く、その場で言い直したと言っても通らないことと、少子化問題は「出生率」のみならず、いろいろな角度からなる社会問題だという視点に触れられていないからである」と批判している。

 その上で、氏は、発言要旨を入手した。それは、以下の通りであった。

 「なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれないんです。人口統計学では女性は15~50歳が出産をしてくださる年齢で、その数を推定するとだいたい分かるんです。他から生まれようがない。2030年に30歳になる人を考えると、今7、8歳になっていて、生まれちゃっているんですよ、もう。産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が一人頭でがんばってもらうしかない。1人当たりどのくらい産んでくれるかという合計特殊出生率が今、日本では1・26でなんです。2055年まで推計したらくしくも同じ1・26でした。それをあげなければいけないんです」

 この「要旨」を見て、「私は「産む機械」というワンフレーズの決めつけから受ける印象とは「少し違うナ」と思ったが、家人は「そんな問題ではない」と言って譲らない」のだそうだ。

 発言全体からは、「産む機械」ということを中心にしているわけではないという法律家流の法廷戦術的な弁護論を言う者あり、保守論客の渡部昇一上智大教員のように、まともに擁護しようとする者あり、片山さつき代議士のように、柳沢厚生労働大臣の妻は職業を持って働き、二人の娘も外で働いていて、大臣はそれなりに女性問題に理解があるからと「失言」をかばうというものもある。

 当初、柳沢発言を擁護しながら、その後の安部総理らのかばい方を見て、柳沢大臣は、フェミニズム思想の持ち主であり、それをかばう安部政権もフェミニズムに犯されているとして一転して、批判した林道義氏のような反フェミニズム・サイドからの批判もある。

 「TVタックル」で、日本教育再生機構(八木秀次代表)の屋山太郎顧問が、女性議員の数が少なすぎると不満を示したことに示されているように、自由主義的フェミニズムは、保守派の中に流れているものである。それは、日本経団連の「御手洗ビジョン」にもある。少子化の中で、労働人口、生産年齢人口減少が進めば、労働力不足が生じ、それは、景気上昇期においては、大変な企業活動の制約条件となる。すでに、人材獲得競争が激しくなっていて、日本生命で、女性役員を初めて登用したり、ユニクロがパートの大規模な正社員化を決定したり、と、女性労働力の活用を積極的に進めている。その流れの中では、家庭内にある潜在的労働力である専業主婦層を活用したいことだろう。

 ジェンダー・フリー思想が、男女画一化であって、それこそが共産主義だというのは、完全ないいがかりである。ソ連は、当初は、男女平等という理念の実現を図るために、当時としては画期的な政策を打ち出したが、やがて、男性側からの反動が本格化し、やがて、後退してしまい、ついには社会主義家族なる戯画のような女性差別的な家族制度が国家から押しつけられるようになったのである。この辺については、佐藤文明氏のHP(http://www2s.biglobe.ne.jp/~bumsat/B-hp.Main.htm)にある「モルガン=エンゲルス説の周辺」という論文が参考になる。

 婚外子差別の問題は、結婚制度の持つ問題を浮上させている。三宅氏は、「TVタックル」で、結婚を「性を異にする二人格の、彼らの性的特性を生涯にわたって相互的に占有するためになすところの結合である」(カント『人倫の形而上学』)という定義を持ち出した。ただ、氏は、むしろ性器の相互使用権という意味に矮小化していて、カントが強調する相互の人格的関係については述べなかった。カントはその唯一の条件として、「一方の人格が他方の人格がさながら物件として取得されながら、前者は前者でまた逆に後者を同じように取得するという条件のもとにおいてである」と述べている(同)。ここで、カントは、「夫婦の関係は、相互に相手方を占有しあうところの人格に関して、そうした人格の占有が相互に平等だという関係」であり、「財産の占有が平等だという関係」でもあると述べている。つまり、性的共同態は、男女・財産が平等な共同体だということである。家族共同体で、夫が優越的な地位に立ち、命令権を持っているのは、自然的原因でそうなっただけで、本質的ではないと言うのである。身体を物件と見なすカントの考えには当然疑問があるし、その他カントの議論にはいろいろと問題はあるのだが。

 フランスや北欧諸国では、事実婚が多いことから、婚外子の数が多い。婚外子という理由で、差別されることのないような制度が作られている。

 離婚後300日以内に生まれた子供が、前夫の子として戸籍に記載されてしまうという民法772条問題は、これに引っかかる子供が年間1000人に達するということで、今、法改正を含めた議論になっている。長勢法務大臣は、法改正には消極的だというが、そもそもこの問題を理解しているかどうかさえ疑わしい。保守派の主張は、これらの諸問題になんら具体的に答えておらず、役に立たない精神論である。

 いずれにせよ、民法、家族制度、婚姻制度、戸籍問題、等々が、変化せざるをえない時にきていることは確かである。

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