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従軍慰安婦問題を考える

 アメリカ議会で議論になっている従軍慰安婦決議について、安部総理が、「狭義の強制は確認されなかった」と語ったことには、怒りと共に情けなさを感じる。広義にせよ狭義にせよ、旧日本軍は、軍人相手の慰安所の設置を決定し、それを業者に求め、慰安婦を集める過程で、脅迫や拉致や詐欺・暴行などの違法行為があったのであり、そういう違法行為が身近で起きていながら止められなかったのは、あの軍歌などで聖なる皇軍として立派に描かれた大日本帝国軍隊としては、言い訳できないことだ。軍紀はどうした? 「大君のためにこそ死なめ」(「海ゆかば」)と歌われた現人神に仕える軍隊としての高い規律はどこに行ったのか?

 藤岡信勝は、当時の軍規では、戦場でのレイプは、死刑であり、その発生を防ぐためには、売春業が必要だったとして、慰安所はたんなる公娼制度下の売春施設であったと主張している。戦場で、軍人によるレイプ事件が多発すれば、軍人は次々と死刑になって減少していく。それに、そうした残虐行為は、強い報復感情を与え、敵の士気を強めてしまう。レイプ事件の被害者は、生きていれば、証言者になるため、死刑を免れようとする犯罪者は、証拠を隠そうとして、場合によっては、被害者を殺害することもあるだろう。

 藤岡信勝は、知らず知らずのうちに、大日本帝国軍は、皇軍などではなく、アメリカ軍と変わりのない「普通の軍隊」だという認識を広めている。それはそれで結構なことだ。皇軍という聖性をはぎ取ることは、どんどんやればいい。そんな軍隊のために、あれほどの耐乏と犠牲を払う必要がなかったことに、人々の思いが至ることだろう。軍人は、戦場で強いストレスがかかると、レイプ事件を起こしてしまうものであり、軍人も人であって、性欲がある以上、長く家族から離れさせておくと、抑圧された欲求が暴発しかねないというわけだ。だから、アメリカ軍は、イラク駐留兵を短期で交代させるようにローテーションを組んでいる。もっとも、それが駐留長期化・増派を必要とする泥沼化などによって、交代期間の延長が繰り返されている。

 日露戦争の際の、日本軍の紳士的態度は、一流国入りを目指す大日本帝国が、世界の目を強く意識していたこともあったし、この戦争では、旧武士を多く入れていたなどのことが大きかったのかもしれない。日露戦争自体は、朝鮮半島利権をめぐる帝国主義的権益争いの戦争であったが、このときは、まだ、明治維新以来の若々しい純粋さ、まっすぐさ、誠実さがまだ色濃く残されていたのかもしれない。しかし、この日露戦争の勝利は、神話化され、誇張されて、日本の自己像を狂わせてしまった。

 ちょっと脱線したが、従軍慰安婦問題での藤岡信勝のやり方では、旧皇軍は、現代の米軍などと本質的に変わりのない平凡な軍隊にすぎないことが、強く印象づけられ、その汚らしい姿が人々に記憶される。要するにそれは、人間は神ではない、ただの欲望機械だというような人間をその汚らしい一面でとらえる実証主義なのである。その反対物として、愛国主義者を描こうとするのだが、実証主義的方法が、人々に記憶されてしまうので、今度は、愛国主義の実証的分析がなされてしまい、その汚らしい一面が強く暴露されざるを得ないのである。

 さすがは、フォイエルバッハ主義者船山信一氏の義理のおいだけある。フォイエルバッハは、唯物論者であったが、「理論的態度だけを真に人間的なものとみなし、これにたいして実践はただそのきたならしいユダヤ的な現象形態においてとらえられ、固定される」(マルクス『フォイエルバッハ・テーゼ』というものであった。

 歴史修正主義者たちは、真なるものを日本人、汚らしいものを他民族に当てはめて、性質の分類を行う。正直、誠実、勇敢、美、正義、などを日本側に記入し、嘘つき、不実、卑怯、不正義、醜、などを他民族側に集めて記入する。これぞ印象操作の常套手段である。これらの性質は、歴史的現実からはぎ取られ、独立させられて、勝手にあちこちに貼り付けられる。そうしてできあがった絵を真実だと強調する。現実は、弁証法的であるため、正なるものには反正なるものが結びついている。プラスだけの磁石が存在しないのと同じく、歴史的事件には、矛盾した性質が存在する。どちらかだけを取り出して固定すると真の認識は成立しない。たとえば、従軍慰安婦と名乗り出ている証人の証言は、大昔のことでもあり、様々な矛盾を含んでいる。矛盾しているということはただちにその証言に事実性がないということを意味しない。実証主義者は、矛盾があるという発見をすれば、それで問題は終わったとしてあっさりと片づけてしまう。しかし、矛盾の発見は、事実解明の入り口にすぎず、そこからが事実性の本当の解明の始まりなのである。

 それは強制性の問題でも同じである。強制性と自由性を単なる対立として掴むだけでは、抽象的であって、それらは矛盾なのである。つまり、強制と自由は結びついているということである。一方では、慰安業者は、自由な営業という形式を持っているが、衛生・警備その他の点で軍の統制・管理を受けているという形で、強制されていた。軍の強制性を背景にして、業者やブローカーなどが、自由という形式の下で、強制性を行使しえたわけである。禁止は強制である。他方で、軍に物資が集中し、優先的に割り当てられてる中で、軍特殊慰安業者が、慰安婦確保の過程での厳密な本人の自由意志の確認とか不法・違法行為の有無を問題にせず、さらに、軍の警備を受けながら、慰安婦の自由意志による廃業を阻止したこと、義務についてだけ強調して権利を知らせなかったこと、軍当局がそれらを罰しなかったことも問題である。

 実証主義者は、現象の中に抽象的対立を見いだせば満足するが、それでは現実を理解したことにはならない。従軍慰安婦問題についての右派保守派の主張を見てみると、そもそも問題自体を理解していないものも見受けられるが、せいぜいが実証主義レベルのものまでが限界のようである。あとは、アメリカ・中国・韓国の陰謀だととかいう荒唐無稽な空想話が見られる。仮にそうだとしても、事実はどうなのかということ自体は残るわけで、それは陰謀があろうがなかろうが、残るのである。少なくとも、この問題に関する政府資料などの公開が必要だ。

 カリフォルニア州選出の日系アメリカ人のホンダ議員が中心になってこの決議の採択が民主党議員によって勧められているのだが、そのことが日本で報道されると、自民党や民主党の右派議員たちが、「河野談話」見直しを要求する集団を立ち上げた。自民党の議連は、「河野談話」に言う政府の強制はでっち上げて、事実無根だから、見直すべきだという考えを持っているくせに、政治的配慮から、政府資料の引き渡しを求めるに止まった。自分たちの考えを貫くよりも、政治計算して、安部政権を傷つけることを回避すると政治判断したのである。自分たちがその程度の低い志操しかないくせに、他者に高い志操を求めるのは、エゴイズムまるだしで、政治家としては低レベルである。

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コメント

とにかく慰安婦問題については、小林よしのり著「戦争論2」の「総括・従軍慰安婦」を読んでみてほしい。
あらゆる関連本の中で一番良い。
この問題の全容も把握できる。

投稿: あ | 2007年3月14日 (水) 12時50分

とにかく慰安婦問題については、以下のサイトを参照してください。
最低の漫画本を読むよりずっとマシでしょう。


慰安婦問題FAQ
http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/

半月城通信/「慰安婦」
http://www.han.org/a/half-moon/mokuji.html#ianhu

日本軍「慰安婦」問題に関する声明(日本の戦争責任資料センター)
http://space.geocities.jp/japanwarres/center/hodo/hodo37.htm

ミッチナの慰安所
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/hatsugen/ianfu-mitchina.htm

アメリカ進駐軍のための慰安所
http://www006.upp.so-net.ne.jp/nez/ian/panpan.htm

慰安婦高額報酬説のトリック
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10030549652.html

投稿: 遊山 | 2007年4月17日 (火) 08時00分

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