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2007年4月

生協法改悪反対・転載

 皆様へ

 金(コン)です。

 以下の件、転送大歓迎です。

 メーリングリストでも何度かご紹介してきましたが、現在、生協法改正案が国会で成立しようとしています。

 結論を先に述べますとこの法案の内容に対して異議申し立ての声をあげていただけるよう呼びかけます。

  今回、日生協という生協のナショナルセンターを初め、生協界がこの法案を支持し、早期の法案成立に向けて動いている現状です。

 しかし私は今回の法案については国家による生協への介入を可能とする条項が含まれており、問題が大きいと捉えています。

 実は予想以上に国会の動きが早く、先に参議院を通過し、衆議院厚生労働委員会も通過しました。国会で5月8日にも成立するとも言われております。実に恐ろしい全会一致でつっぱしっております。

 中身はひどいもので、「公益を害する」というあいまいな基準で生協の事業を停止したり、役員を解任できる条文が入るなどあまりに問題が多い法案です。解散命令権も強化されています。

 この公益という言葉は自民党改憲草案にも登場する言葉で、憲法改定の動きとも関連していると思われます。詳しくは私が日刊ベリタで書いた以下の記事をご覧下さい。
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200704161201531
 共済と他の事業の兼業を禁止するなど国家があれやこれやと生協の運営に口を出せる内容で、とても改正などと言えたものではありません。立川の反戦ビラ弾圧に見られる運動に対する国家の弾圧の動きと無縁とは言えません。

 ふざけるなという感じです。

 昨日の夜に国会に議席を持つ日本の政党に法案の修正を求める意見書をメールで提出しました。

 改憲攻撃の一環に、生協陣営も手を貸したとも見えます。生協で働いてきた一人として、今のような情けない状況をつくりだした責任の一端は私にもあると感じております。

★異議申し立てをお願いします。

 異議といっても立場が色々あります。この法案の内容を見る限り、これは廃案しかないだろうというのもありでしょうし、修正を求めるという立場もあります。私は修正を求めるという立場で要請をしました。しかし廃案を求めるという立場も理解します。国家権力の肥大化の一環であり、改憲攻撃につらなるような今回の攻撃に対して、黙って見過ごすことは出来ません。

 多様な立場で異議の声をあげていただけるようお願いします。

★ 共同声明

 生協を始めとする協同組合の役職員及び組合員、協同組合運動に関心を寄せる市民を対象に共同声明をあげることを準備中です。今日、明日にはご案内ができると思われます。

 国民投票法案、米軍再編法案、教育関連3法案と悪法のオンパレードで三里塚では東峰の森の伐採など国家権力の横暴が目立ちますが、抵抗をやめないでいきたいと思います。

 取り急ぎ、与党に提出した文章を以下に記載しておきます。これをご参考下さい。


生協法改正案に関する要請
2007年4月28日

金 靖郎

 私は生協で働く労働者です。今国会で審議中の生協法(消費生活協同組合法)改正案の内容には重大な問題があると認識しています。すでに4月20日に参議院、4月27日に衆議院厚生労働委員会を全会一致で通過しました。早ければ、5月8日開催の衆議院本会議において成立する可能性があります。私は拙速な国会審議すべきでなく法案内容の見直しが必要と判断し、以下のような趣旨により要請します。

<要請の理由>

★ 生協の自主性を踏みにじる条文は削除されるべき

 この法案には県を越えて活動できないとした県域規制が緩和されるため、生協界でも支持する声が多い。しかしその一方では今回の法案では、行政がより生協の運営に介入しやすくなっており、行政による生協への解散命令権を強化している。この法案には生協が公益を害する行為をしたと国が判断すれば、生協の全部もしくは一部の業務の停止もしくは、役員の解任を命じることが出来るという条文が入っている。政府の恣意的判断によっていつでも生協が解散できる、伝家の宝刀が出来ようとしているのだ。消費者の自主組織である生協にとっては相応しくなく、恣意的に運用される危険性がある。

 そもそも生協の役員は組合員に対して責任を負っているのであって勝手に政府が介入できるのだとしたら、それは役員を選出し、運営に参加するという組合員の権利を踏みにじるようなもので不当極まりないものだ。

 又、これまでの生協法では員外利用など特定の禁止事項に違反し、行政の是正命令にも従わなかった場合は解散を生協に命じることが出来るとしていたのを、法令あるいはそれに基づく処分に違反し、行政の是正命令にも従わなかった場合は解散を命じることができるというように条件を大幅に拡大し、より行政が生協の運営に介入しやすくなっている。こうした条文は行政からの独立性、生協の自主性が損なわれる可能性があり、削除を求める。

 今回の法案は昨年12月に出された生協制度見直し検討会の答申、「生協制度の見直しについて」(案)がベースとなっている。この見直し案に対しては生活クラブや生協連合会きらりなどのいくつかの生協からは反対する声があがったという経緯があり、懸念する声があがっている。

★憲法改定の動きとの関連を指摘する声も

 今回の法案に記載されている「公益」という言葉は、実は自民党新憲法草案にも登場している。現在の憲法では基本的人権が「公共の福祉」によって制限されるという事が述べられているが、自民党新憲法草案では「公共の福祉」という言葉が消え、「公益」と「公の秩序」という言葉が多数出ている。その中では「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う。」と規定されている。又、憲法前文については「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、」という文章が加えられており、国民生活を支えるために国家があるという考え方から、国家を支える国民という第二次世界大戦以前の国家観への転換を図ろうとしているように思える。

 そのために公益という言葉が持ち出されてきたと思える。今回の役員解任権などの条文は改憲の一部先取りものと指摘する声もあがっている。

 市民活動の一環である生協に介入する条文が強化されることは非営利団体、非政府団体など他の市民活動にとっても重大な問題だと言わざるを得ない。憲法第21条で定められた結社の自由と照らし合わせると今回の国家介入の動きは憂慮すべき事態と思われる。

★ICAの定めた協同組合原則からの逸脱

 さらに先ほど触れた役人解任命令権は国際的に確認された協同組合原則に違反するものである疑いがある。国際的な協同組合の組織である国際協同組合同盟(ICA)が1995年に制定した「21世紀の協同組合原則」は7つの原則を定めている。

 第4の原則では「協同組合は(略)自治的な自助組織である。協同組合は、政府を含む他の組織と取り決めを行う場合、または外部から資本を調達する場合には(略)協同組合の自治を保持する条件のもとで行う」と協同組合が自らの運命を管理する自由を確保することの重要性を強調している。もちろん日本の生協運動もこの原則を守るべき原則として確認しており、日々の実践で具体化する事が求められているのは明らかだ。もし今回の法案が成立すれば、生協の運営に国家が介入しやすくなり、国際的な協同組合の流れから逸脱する事になる。

★兼業規制は協同組合の意義を否定する!

  他にも共済と他の事業の兼業の禁止など、今回の法改正では非常に問題のある内容となっている。そもそも生協は組合員の暮らし総体を支える存在であり、総合的な性格を持たざるを得ない。組合員は健康なときは生協から食材を購入し、生協主催の学習会や文化講座を受講するなどして様々な文化活動にかかわることで暮らしを改善していく。その一方で病気になれば共済のお世話になるといった具合に、人間の生活というのは切り離りはなせない一連の過程であり、助け合い、相互扶助組織である生協はその全てに関わるものだ。それを分割するというのは非合理的なことで、協同組合そのものの意義を否定する事だ。生協、協同組合の存在意義が十分理解されていないのではないかと懸念を抱かざるを得ない。

★協同組合解体の流れに注意すべき

 現在、同じ協同組合である農業協同組合(農協)についても、「規制改革会議」をはじめとする政府審議会の場において、財界の一部から農協解体論が公然と表面されている。たとえば、共済・信用・購買の各事業と指導事業等を切り離すといった具合に事業分野ごとに再編(解体)すべきだと声明が出てきているのである。また、協同組合保険を中心とする共済事業についても、「消費者保護」の名目のもとに、金融庁から保険と同列に置かれるなど「共済事業解体」の攻撃が公然とかけられている。今回の生協法「改正」は、こうした協同組合への支配介入を図ろうとする政府・財界の流れの一環に位置するものであり、もしこのまま生協法「改正」が通過すれば、農協をはじめとする他の協同組合組織や共済事業などへの攻撃が激化するといった懸念も、農協問題の研究者等から出されている。今回の法改正の動きは生協のみならず、協同組合全体にとって大きな影響を及ぼす重大な事態と言わざるを得ない。

★協同組合の独立性は守るべき

   これまで述べてきたような協同組合の独立性を損なうような条文は決して容認できないものだと思われる。十分論儀を尽くすべき問題にも関わらず拙速に法案が成立することには大きな危惧を抱かざるを得ない。そこで以下のように要請する。

1 法案の94条及び95条に記載された、解散命令権強化あるいは役員解任権など、行政による生協への介入を拡大する条文は削除する事。
2 共済と他事業との兼業規制に関わる条文は削除する事。
3 規制改革・民間開放推進会議などに見られるような協同組合を解体するような論議には反対であり、こうした各種審議会では協同組合の独自の意義を尊重した審議・答申が行われるように取り計らう事。

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反改憲派急増中

 まもなく5月3日の憲法記念日である。憲法問題についていくつかの報道があった。

 枝野民主党憲法調査会長は、国民投票法案で与野党が修正合意できなかったのは、安部首相と小沢代表の責任だと批判した。枝野議員によれば、与党党首が、改憲を参議院選挙の争点にするとぶちあげた以上、野党党首として、それを受けて立ち、与党との違いを強調せざるをなくなくなるのは当然で、それぞれ立場上、選挙で勝つことを優先せざるを得ない。したがって、国民投票法案協議で合意することは不可能である。憲法問題を選挙争点としない党首に代わらねば、与野党合意は無理だというのである。そして、「閣僚や党首を目指す政治家、生臭い仕事をしている政治家は憲法にはかかわるべきではない。しばらく私は憲法から離れる」と述べたという。ようやく、氏もまっとうになったようである。

 自民党案と民主党案を折衷することには無理があった。与党案の基礎には、権力が国民を規定するという憲法観があり、野党案の基礎には、国民が権力を規定するという憲法観がある。後者の観点から、重要政策についての直接投票制度が盛り込まれているのであり、それは与党が受け入れられないことである。

 この間、憲法問題についての世論の変化が急速に転換している。沖縄では、『沖縄タイムズ』世論調査で、改憲賛成43%、改憲反対46%で、改憲反対が賛成を上回っている。さらに9条改正反対は56%、賛成24%になっている。2004年4月の調査では、改憲賛成50%、改憲反対29%、9条改憲賛成29%、反対40%である。

 反改憲派が急増しているという世論変化があることは疑いない。

 国民投票法案 「慎重議論を」56%/南日本新聞鹿県民調査

 南日本新聞社は4月中旬、鹿児島県内で憲法改正手続きを定める国民投票法案に関する電話世論調査を行った。同法案の審議、制定について「慎重に議論すべきだ」と回答した人は56.7%と過半数を超えた。同法案は与党の賛成で衆院を通過。与党は5月中旬にも参院で可決する方針だが、県民の多くが早期制定を望んでいないことが明らかになった。同法案について「よく知っている」は17.8%にとどまった。調査は県民1010人から回答を得た。

 国民投票法の制定に慎重な議論を求める意見は「早く制定すべきだ」の8.7%を大きく上回った。「制定する必要はない」は4.5%と、法制定自体への反対は少ないものの、野党の反発を押し切り一気に成立させようとする与党の姿勢に警戒感があるとみられる。
 国民投票法案の認知度は「少し知っている」40.4%、「知らない」23.8%で、内容が十分に知られていないことが浮き彫りになった。「分からない・答えない」も18.0%あった。

 今回の調査は、同法案が衆院を通過した直後に実施。国会の動向や残された論点など、報道が多かった時期にもかかわらず、県民の関心が高まっていないことがうかがえる。「手続きを決めるだけの法律」と、重要視しない向きもあるとみられる。

 衆院で可決された与党修正案は、(1)国民投票の対象は憲法改正に限定(2)投票権者は18歳以上(当面20歳以上)(3)両院に憲法審査会を置くが、公布から3年は憲法改正案の提出、審査はしない-などが柱。

国民投票法案

 憲法改正に必要な国民の承認を得るための投票制度を定める法律。憲法96条で改憲は衆参両院とも総員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、承認には「国民投票で過半数の賛成を必要とする」と定められているが、その具体的な手続きが未整備だった。2005年9月に衆院憲法調査特別委員会が設置されて論議が本格化。06年5月に自民、公明両党と民主党がそれぞれ法案を提出し、共同修正協議を続けたが、不調に終わった。今月13日の衆院本会議で与党修正案が自民、公明両党などの賛成多数で可決、参院に送付された。民主党修正案は否決された。共産、社民両党は「改憲につながる」と法案自体に反対した。

 本社全道世論調査(04/29『北海道新聞』)

 北海道新聞社は五月三日の憲法記念日を前に、「憲法に関する道民世論調査」を北海道新聞情報研究所に委託して実施した。憲法を「全面的に改めるべきだ」あるいは「一部を改めるべきだ」とした「改憲容認」は70・4%で、昨年より4・6ポイント減った。また、憲法改正の手続きを定める国民投票法案の賛否を聞いたところ、「賛成」は32・4%と昨年より22・6ポイント減少した。五月中にも法案成立が予想される中、その内容が具体化したことで慎重になったり、改憲の現実化に危機感を抱いたりしたためとみられる。

 改憲容認は依然として七割を占めるが、その割合は二○○四年以降の調査で○四年四月と並び最も少なかった。一方、条文を改めず存続すべきだとする「護憲」は前年を6・0ポイント上回る29・0%で過去最多だった。

 改憲を容認する人に、改憲論議の中心となる九条二項の「戦力の不保持」について尋ねたところ、条文を「変更しなくても良い」とする回答は49・4%となり、「戦力を持つことを明記すべきだ」(44・9%)を初めて上回った。

 また、九条一項の「戦争放棄」については、39・5%が「自衛戦争も含めて、すべての戦争放棄を明記」とし、「自衛のための戦争であればよいと明記」(38・4%)をわずかに上回った。この、憲法の平和主義を徹底するために護憲の立場で条文を変更しようという改憲容認の意見は、昨年から7・5ポイント伸びた。

 参議院で審議中の国民投票法案については、「どちらともいえない」が46・4%を占め、「賛成」は昨年の55・0%から32・4%に大幅に減少。憲法の改正手続きを定めた法整備に昨年まで賛成だった人たちが、慎重な姿勢に転じたことが浮かび上がった。

 法案に賛成した人の58・6%は、理由に「憲法改正の手続法がなかったこと」を挙げ、「憲法改正につながるから」としたのは20・4%。一方、法案に反対する理由では「もう少し時間をかけて慎重に審議すべきだ」が最多の39・8%だった。

 憲法の解釈上では禁じられており、安倍晋三首相が一部容認の方向で検討する有識者会議を設けた「集団的自衛権」の行使については、53・4%が否定的。容認は24・2%だった。 

憲法改正反対46%/本社世論調査
賛成43%を上回る/9条改正反対は5割超(沖縄タイムス070429)

 施行六十年の憲法記念日を前に、沖縄タイムス社が二十一、二十二の両日に実施した電話による県内世論調査で、憲法改正について「必要ない」と答えた人は全体の46%で、「必要ある」の43%をやや上回った。二〇〇四年四月の前回調査で「必要ない」は29%で、「必要ある」は50%だった。憲法改正の焦点になっている九条については「改正するべきではない」が56%(前回40%)、「改正するべきだ」24%(同29%)。国会で足早に進む改憲論議に、慎重な考えを示す人の割合が増えている現状が浮かび上がった。

 改憲に反対した人に理由を聞くと「平和理念があるから」が最も多く67%、「国民の義務が重くなりそうだから」15%、「生活に根付いているから」13%だった。前回調査は「平和理念」66%、「生活」7%でそれぞれ微増。年代別に見ると、反対は五十代が最も多い。

 改憲に賛成の理由は「新しい権利や制度を加えた方がよいから」は57%(前回26%)、「アメリカの押し付け憲法だから」21%(同38%)、「自衛隊の位置付けを明確にした方がよいから」16%(同28%)。年代別で賛成に最も多かったのは三十代だった。

 改憲容認派の51%が改正は「緊急な課題」と考えている。

 九条について「改正するべきだ」と答えた人のうち、戦争放棄をうたう一項の改正が「必要」の回答は43%、「必要ない」は49%。戦力の不保持を定めた二項は「必要」が69%、「必要ない」は21%だった。

 憲法改正の手続きを定める国民投票法について、「議論が十分でない中で決める必要はない」54%と「憲法改正につながるため、決める必要はない」13%を合わせて、全体の約七割が今国会での同法成立に否定的な意見を持っている。「手続きを定めることは必要」の答えは26%だった。

 内閣支持率は40%で、不支持44%をやや下回った。内閣支持者のうち57%が憲法改正に賛成、逆に不支持の64%が反対だった。

 安倍晋三首相が憲法解釈の見直しを検討している「集団的自衛権」の行使について、「使えない立場を堅持する」が51%でほぼ半数を占めた。一方で「憲法解釈で使えるようにする」(24%)と「九条を改正して使えるようにする」(15%)で行使容認派は約四割に上った。

 調査の方法 県内の有権者を対象に、二十一と二十二の両日、コンピューターで無作為に抽出した番号に電話するRDD(ランダム・デジット・ダイヤリング)により実施し、八百人から回答を得た。回答者の内訳は男性49%、女性51%。

 民主・枝野氏、国民投票法案めぐり小沢氏を批判(2007年4月28日『読売新聞』)

 28日開かれた読売国際会議・日本国憲法施行60年記念特別フォーラムで、民主党の枝野幸男・憲法調査会長は、憲法改正の手続きを定める国民投票法案で与党と修正合意できなかったことについて、「責任は安倍首相と小沢代表にある」と述べ、小沢氏を痛烈に批判した。

 枝野氏は、自民党の船田元・衆院憲法調査特別委員会理事らと進めた修正協議が、最終段階で覆されたことを念頭に、「(自民、民主)両方で現場の議論を聞いていない人が余計なことを言う。それは向こう(自民党)だけと言うつもりはない。2大政党で政権を争う以上、自民党総裁や民主党代表らは次の選挙で勝つことを最優先しなければいけない立場だ。そういう人が憲法にかかわれば、合意形成はできない」と述べた。

 さらに、「安倍首相対小沢代表(の構図)が続いている限りは、(憲法改正ができない)状況が続かざるを得ない。早く両党の党首が代わって、船田氏らと一緒に真っ当な憲法議論ができるような状況になることを期待している」とまくし立てた。

 また、「閣僚や党首を目指す政治家、生臭い仕事をしている政治家は憲法にはかかわるべきではない。しばらく私は憲法から離れる」とも述べた。

 一方、安倍首相が憲法改正を夏の参院選の争点に掲げたことに対し、枝野氏は、「参院選の争点にするという発言は明らかに迷惑な話だ。参院選の争点にすると言われたら、(憲法問題で)違いを強調しないといけない。だから自民党とは一緒に(憲法改正を)できなくなる」と強調した。

 公明党の赤松正雄・憲法調査会座長も「発言があるたびに、『言い回しに気を付けてほしい』と太田代表が(首相に)言っているが、あまり聞いて頂けない感じがする。ちょっと迷惑している」と不快感を示した。船田氏も「(首相を)擁護しないといけない立場だが、ちょっと言い過ぎだ」と語った。

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『完敗』だった? 日米首脳会談

 安部首相とブッシュ大統領の日米首脳会談は、日本のマスコミでそれほど大きくは取り上げられず、その中身も、とくにどうということもなく、ただ、無難に日米同盟の重要性を再確認しただけに終わった。

 『産経』『読売』はそれぞれ社説で、無理に成果を強調しようとしているが、具体的な裏付けとなる内容に乏しいために、決まり文句以上のことを書けなかった。

 『読売』は、「安倍首相は、イラク復興支援のため、航空自衛隊の派遣期間を2年間延長する法案の早期成立を図る考えを表明した」「ミサイル防衛(MD)システムの配備を着実に推進することや、米海兵隊普天間飛行場移設など在日米軍再編にも積極的に取り組む考えを示した」「さらに、「安全保障の法的基盤を再構築する」として、集団的自衛権行使に関する個別事例を研究する有識者会議を設置したことも伝えた」と米国への土産品リストをあげ、「いずれも、日本の安全保障や日米同盟強化のために、推進していかなければならない課題である」と評価した。

 そして、日系人マイケル・ホンダ民主党議員が議会に提出している「従軍慰安婦問題に関する対日決議案」について、「首相は、元慰安婦に対する同情と謝罪の意を表したが、決議案の内容は、全くの事実誤認にもとづいている。この誤解は解いていかなければならない」と書いている。ここで事実誤認というのは、いわゆる慰安婦について、軍の強制はなかったという『読売』の事実認識のことである。が、軍の強制があったことを強く示唆する資料が新たに発掘されるなど、『読売』の言う事実の根拠はあやしさを増している。

 『産経』の方は、「米国は決して拉致問題を置き去りにしない、という意味だと信じたい」「自由と民主主義という共通の価値観に基づき、中国に対する中長期戦略などを話し合ったものだとすれば、極めて有意義だっただろう」「大統領としても、これ以上、日米関係に悪影響を及ぼす要因にしてはならないという態度を鮮明にしたものといえよう」というように、断定を避けたえん曲な表現が多く、安部・ブッシュ会談の評価に迷いがあるように見える。

 阿修羅掲示板の政治版にある冷泉彰彦氏の『from 911/USAレポート』第300回「一方的に終わった日米首脳会談」は、『産経』『読売』とは違って、「どのように取り繕おうと、全ての案件でアメリカ側の主張を呑まされた、いわば日本外交としては「一方的」に終わった首脳会談と言えるのではないでしょうか」とこの日米首脳会談を評価している。

 氏は、「記者会見の印象としては、まず全体としてアメリカからのメッセージとして「日本
はこれ以上右へ行くな」という警告が発せられた、これが基軸になっています」と印象を述べている。氏がそういう印象を持ったのは、拉致問題に言及した箇所の表現であり、ニュアンスである。これは英語に堪能で、アメリカに長年暮らす氏ならではのことである。

 ホワイトハウスが発表している議事録ではこうなっています。"And I will never
forget her visit and I will work with my friend and the Japanese government
to get this issue resolved in a way that touches the human heart, in a way
that -- it's got more than just a, kind of a diplomatic ring to it, as far
as I'm concerned. It's a human issue now to me; it's a tangible, emotional
issue."(私は横田早紀江さんの訪問のことを決して忘れないでしょう。そして私は
私の友人や日本政府と、この問題を単に外交的に処理するのではなく、少なくとも私にはそれ以上の、ハートの琴線に触れるような解決を目指す問題として対応していきたいと思います。この問題は、私には人間の問題なんです。目に見える、そして情の部分に訴えてくる問題なのです)

 人間的とか感情的という字面だけを読むと、怒りに端を発した強硬姿勢へ理解を示したという風にも取れる、そんな声も聞こえてきそうです。現に、今の時点でのネット上の新聞記事などにはそうした表現が目立ちます。「ブッシュ大統領、拉致に理解を示す」とか「追加制裁で合意」という類の記事がそれです。ですが、この
"touches the human heart" という表現は攻撃的な文脈では使われない言葉なのです。ですから「生存を信じ、再会を信じ、それを実現する」という意味にはなっても、「許せないから制裁し、追いつめて解決を迫る」というニュアンスにはならないのです。

 日頃、アメリカ人は、はっきりと考えを表現するとわかったようなことを言うマスコミが、英語の慣用的な表現のニュアンスを考慮しないで、ただ、日米同盟強化という自分たちの願望にあわせて、ブッシュ大統領が「制裁強化」を口にしたとか言う誤訳つまりは誤報を流したのは、恥ずかしいことだ。『読売』は、脱税で今大変だろうが、だからといって、でたらめ記事を書いていいものではない。

 安部総理が、訪米の手みやげとして、米軍再編を進めている証拠として、米軍再編推進法案をあわてて、衆議院を強行採決で通過させ、国民投票法案を強引に参議院に急いで送り、前日に、アメリカが求めてきた集団的自衛権を行使できるように見直す方向で検討する有識者懇談会設置を公表し、沖縄普天間基地の移転先として、沖縄県が反対している辺野古沿岸案実現に向けた環境影響調査を強行し、米産牛肉輸入自由化を進めることを表明し、従軍慰安婦問題で、急に態度を変えてアメリカに向かって謝罪した。

 それにしても、すでに議会が民主党に握られ、支持率30%程度という共和党ブッシュ大統領と支持率が急落し、40%程度で、松岡農相をはじめスキャンダル閣僚を抱え、地方自民党組織が瓦解しつつある安部総理との首脳会談が、どれだけの重みを持つというのだろう。冷泉氏の先の文章では、日米首脳会談の様子は、まったく放映されず、アメリカのメディアは、イラク撤退期限付き予算案の可決、大統領選挙に向けた候補者たちのテレビ討論の話題で持ちきりだったという。

 座り込み3年人の鎖/辺野古移設(『沖縄タイムス』070429)

 【名護】米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対する地元住民や市民団体が辺野古漁港近くで始めた座り込み行動が三周年を迎えたことを受け、ヘリ基地反対協議会は二十八日午後、移設予定地の同市キャンプ・シュワブで包囲行動を行った。二十四日から那覇防衛施設局が着手したV字形滑走路案の現況調査(事前調査)に反対し、移設撤回を強く求めた。

 包囲行動には地元住民のほか、平和、環境、労働団体員ら千人(主催者発表)が参加。降りしきる雨の中、シュワブのフェンス沿いに並んで手を取り合い、「違法な事前調査はやめろ」「辺野古の海を守るぞ」などと気勢を上げた。

 反対協の安次富浩代表委員は「闘いを続けていけば必ず勝利できる」と訴えた。

 夫と子ども三人と参加した二見以北十区の会の渡具知智佳子共同代表は「子どもたちの未来に基地は必要ない。子どもたちが誇りを持てる故郷を残そう」と呼び掛けた。

 

 

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道徳の教科化問題によせて

 先に、教育再生会議は、道徳を教科に格上げすべきという考えを示したが、それに対して、中央教育審議会の会長である山崎正和氏が、小中学校での道徳教育は不必要だと述べたという。

 その理由を山崎氏は、「道徳教育について、賛否の割れる妊娠中絶の是非などを例示して「『人のものを盗んではならない』くらいは教えられるが、倫理の根底に届く事柄は学校制度(で教えること)になじまない」と指摘。「代わりに提案しているのは、順法精神を教えること。『国の取り決め』として教えれば良い」と持論を展開した」という。

 それから、「現在行われている道徳教育の必要性を問われると「現在の道徳教育もいらないと思う。道徳は教科で教えることではなくて、教師が身をもって教えること。親も含めて大人が教えることだ」と述べた」そうである。

 これは、常識的な判断であろう。道徳といっても、時代によって変わるし、今、変わりつつあるものもあるし、さらに、氏が言うように判断が分かれていて、難しい問題もある。そういう道徳について、学校で教え、さらに、その成績評価まで行うのは難しい。それに対して、法律というすでにある規範についてなら、学校で教えられるというのである。法律は、道徳問題抜きに存在する規範であり、知識であるから、数値化して段階評価しやすいからである。

 近年、裁判において、遺族感情への配慮ということが強く言われるようになり、それが量刑判断に影響を与えるようになっていると言われる。それによって、厳罰化が進んでいるというのである。裁判はいつの間にか、遺族が加害者に報復するのを代行する制度でもあるかのような様相になってきている。それを後押ししているのは、世間の人々の被害者遺族への同情の念であり、道徳感情であろう。もちろん、遺族の側からは、加害者は、憎むべき存在であり、法律を犯したばかりではなく、道徳をも踏み破った悪者であり、与えられた被害に見合う罰を与えなければならない存在であり、被害者に代わって、遺族が敵を討ち、報復すべき対象である。「目には目を」という古代メソポタミアの掟こそが、そうした遺族感情に応えるにふさわしいものと考えられるであろう。それは、犯罪によって、社会そのものが傷つけられたと感じる社会的な道徳感情にも適合するものだろう。

 問題は、それが社会的な道徳感情であるということにある。社会的である以上、社会が変われば、道徳も変わり、道徳感情も変わってしまうのである。それは、歴史事実が新資料の発掘などによって変化してしまう歴史でも同じだというのが、山崎氏の意見であり、それは一面では正しいのである。しかしそれは、学校教育にはなじまないということもない。というのは、歴史教育では、新発見などを通じて、歴史が書き直されてきたこと自体が、教育されるからである。道徳教育についても同じことができるかが問題である。

 例えば、記紀には、天津罪と国津罪というものが出てくるが、その中に、畦放ちの罪というのがある。これは、田んぼの畦を壊すことは大罪だというものだが、現代ではそれは器物損壊といった一般的な刑法の対象であるにすぎない。農業社会だから、こういう罪は、極めて重い罪とされていたのである。もちろん、現代でも、米農家なら、畦放ちは、なによりも大罪であるという道徳的感情はあるだろう。

 現代では、遺族感情を重視するという流れが司法あるいは社会的に広がっているのは、殺人罪を最も重大な犯罪で、社会を最も大きく傷つける犯罪と見なす人が多いからであり、そういう道徳感情が広く形成されているからである。人々の多くは、殺人罪には、最高刑が当然と考えており、そうならないのは、例外であると考えている。

 それに対して司法は、これまで、刑罰・監獄制度その他による矯正の可能性を考慮して、死刑判決に、複数の人を殺害した場合などの条件を設けてきた。それは法文化されているものではなく、判例として積み重ねられてきたものである。それと、もう一つは、冤罪の可能性への考慮である。実際、この間、冤罪事件で、無罪になるケースがいくつもあった。鹿児島県警が、選挙違反をでっち上げたケースで無罪判決が出たばかりである。

 道徳論の危うさは、例えば、滋賀県で起きたJR特急内での強姦事件のケースで、マスコミが一斉に、犯罪を見て見ぬ振りをしたとして、乗り合わせた乗客を道徳的に非難するということにも現れた。この事件では、被害女性が泣きながら男にデッキに連れ出されようとしていたのを見ていた乗客に対して、男が「なにをじろじろ見ているんだ」などとすごんだため、乗客が黙ってしまってなにもしなかったということが新聞などで書かれている。 

 まず、この場面の情報源はどこなのかが問題である。これは、その場に居合わせた乗客そのもの証言なのかどうか。事件は、昨年夏頃のことであり、当人が自分から名乗り出ない限り、乗客を特定することはできないだろう。とすれば、それは、犯人か被害者の証言であり、警察の取り調べの過程での証言であろう。するとこの情報は、基本的には警察からのリーク情報であろう。それか、被害者から直接聞いたかである。レイプ事件の場合には、プライバシーが厳重に秘匿されているので、その可能性は低いだろう。

 この事件についての報道が、乗客のモラルを非難することに集中したのに対して、FPNニュースコミュニティーがそれを批判する記事を書いている。(これは、livedoorニュースに転載されている)。

 大勢の目撃者がいながら、目の前で行われた犯罪を止められなかった事件は、過去にもあった。1985年6月18日、豊田商事事件の豊田商事会長の永野一男が、「今日逮捕される」との情報を聞きつけて多数の報道陣がマンションの自宅入り口通路を取り囲む中で、自称右翼2人組に刺殺された事件である。彼らは、報道陣が見ている中で、窓を割って、堂々と室内に侵入し、永野会長を殺害したのであった。目の前で行われた殺人を防げなかったマスコミ・報道陣のあり方は、どうなのか?

 似たような事件として、オウム真理教事件で、村井教団幹部が、右翼を名乗る男に、報道陣が詰めかけていた教団施設前で刺されるという事件があった。ただ、これらの場合は、右翼が犯人であり、宣伝目的で、報道陣がいる目立つ場面を選んで、犯行に及んだという点で、先のケースとは異なるのではあるが。

 先の事件の場合、これを何らかの犯罪事件なのかどうかを判断しにくかったということが考えられる。多くの人々が、その様子を男女関係のもつれかもしれないというふうに見たのかもしれない。はっきりと事態を犯罪だと認識したら、車掌に連絡するなど何らかの行動を取っていたのではないだろうか。それを見て見ぬ振りをしたというのは、これが犯罪であったと知っているので、結果から見て、そう言えるだけである。マスコミ報道では、犯罪の具体的場面について、犯罪かどうかをはっきり示す徴となる記述がないのに、ただ、犯罪を見過ごした卑怯な乗客たちと決めつけて、道徳的に非難しているのである。

 下記記事にあるとおり、この犯罪を許してはならないし、列車内や駅など鉄道関係で怒る犯罪をどうやったら防げるか? 性犯罪を減らすにはどうすべきか? 等々について、考えなければならないのである。特に、JR福知山線脱線事故を引き起こしたJR西日本の安全対策は、どうなのかをしっかりと点検しなければならないのである。このケースでは、車掌への緊急通報ブザーが、連結部にあったという。そんなものがあることを知っている者が何人いるだろう? JRは、発足以来、とにかく、人員合理化を進め、無人駅も多いし、駅員がホームにいない時間帯も多い。新幹線ですら、車掌はたまにしか回ってこない。これらのマスコミの報道は、安全対策を、乗客のモラルの問題に転嫁して、JRの安全対策の不備を隠そうとしているのではないかとさえ思えてしまう。JR福知山線事故から、2年たちながら、JR西日本に対する遺族の不信感は根強く、補償交渉もほとんど進展していないという。安全第一というなら、もっと人を増やすことだ。

 山崎氏ならずとも、道徳を判断するのが難しいことは多くが知っている。カントは、道徳判断を理性のアプリオリな規則に帰し、絶対的な人格の自由から導き出そうと試みたが、いくらそうやって理性的な道徳画像を描こうとしても、現実とはまったく合わなかったので、現実の方を動物的として批判したのであった。例えば、カントは、男女は、性に関係なく、人格としては絶対的に自由であるから、婚姻契約は対等な対人権であると宣言するが、実際には、自然の与えた差別によって、家族共同体においては、男は生れつきの家長であると言うのである。

 カントにしてこのような有様であるなら、一体誰が、「国民の道徳」なるものの教科書を書けるものだろうか? よほどの自惚れた人間しか考えられない。例えば、本当に教科書のつもりで、「国民の道徳」を書いてしまった西部ぐらいか。それをどうやって教えるかとなるとさらに難しいし、それを評価するのも難しい。

 山崎氏は、その代わりにすべきことは、「順法精神を教えること」で、それを「『国の取り決め』として教えれば良い」という。これも、法の中身を教えるのではなく、法律を守る精神を教えればよいというのも、どうかと思う。これは、法も変わるものだから、その時々に存在する法を教えても、それが変わってしまえば、その知識は過去のものになってしまうので、それよりも、法が変わっても、法を守るという精神だけを持っていればよいというのである。なるほど、法は、国が決定するものである。しかしそれは、行政指令の体系もあれば、裁判の判例として示されるものもある。いずれにしても、これらのことは、社会のあり方からくるのである。

 くりかえしになるが、道徳を教科にするというのは、よほどの自惚れがなければ、言えるものではないが、まさしく教育再生会議は、よほどの自惚れ屋の集まりである。いったん、そういう意見が強まったが、すぐに慎重論が出てきたのは、教育再生会議にも、それほどの自惚れ屋ばかりではないということを示してはいる。しかし、このメンバーには、教育を論じるにふさわしくない人物が相当数いるのは間違いない。もはや解体した方がよい。

 関連して、教育再生会議に、道徳の教科化などの申し入れを行った日本教育再生機構代表の八木秀次高崎経大教員は、郷土愛は自然に身につくものだが、国家とは観念であり、それは強制しなければ身につかないと述べている。国家とは、構成された観念、すなわちイデオロギーであるというのである。それは、自民党の日教組批判文書にも書かれている。共通して、日教組は階級闘争史観というイデオロギーを持っており、それが教育現場を支配しており、それが今日の教育荒廃の原因だとして、それに対して、国民教育という国家主義イデオロギーが取って代われば、教育問題が解決するとしている。問題は、国家観念であり、その中には、規範が含まれており、それを強制しなければならないというのである。教育再生会議が、国家主義イデオロギーに傾いていることが、道徳の教科化問題で明らかになった。彼らが求めているのは、何よりも勤労道徳であり、それを義務教育課程での職業教育充実という形で述べているという。さらに、家庭教育について、「親学」なるものを提案しているそうである。これは、日本教育再生機構の提言でも、書かれているもので、保守派・自民党・教育再生会議がすでに一体的なものとなりつつあることを示してる。

 それに対して、保守派でも、西尾幹二氏元東京電機大学教員は、安部政権を厳しく批判していて、安部政権にくっついて、従軍慰安婦問題でのアメリカ向けの謝罪、河野・村山談話継承、その他の問題に黙っている日本教育再生機構などを保守主義を破壊する行為だと非難しているという。なるほど、これでは保守主義もお終いだというのは、西尾氏の言うとおりだろう。

 山崎正和氏には、安部政権と教育再生会議の稚拙な教育政策が現れた道徳教育問題の危険性がわかったのだろう。山崎氏ならずとも、これが、自民党が仕掛けている「国家主義イデオロギー」対「階級闘争イデオロギー」というイデオロギー闘争であり、それが、自民党が、民主党の選挙運動の基盤と見なしている日教組つぶしの政治闘争であり、策略の一部であることは、明らかである。国鉄・分割民営化の国労つぶしの時と同じ政治攻勢の一環である。それが見えているのが山崎氏であり、それが見えていない人とそれに積極的に荷担してる人とが混ざっているのが、教育再生会議である。海老名氏は前者で、ヤンキー先生義家氏は後者だろう。道徳教育問題が、政治闘争の一部に組み込まれており、山崎氏は、そういう争点でなくしてしまえと言っているのである。しかし、正面から受けて立つべきではないだろうか。というのは、すでに保守主義は崩壊しつつあり、自民党の地方基盤も壊れつつあるからである。言葉は勇ましいが、その裏付けとなる実力が低下しつつあるから、正面から闘っても、けっこういけるんじゃないだろうか。

 中教審会長:「道徳教育と歴史教育は不要」(『毎日新聞』2007年4月26日)

 中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の山崎正和会長は26日、東京都千代田区の日本記者クラブで講演と記者会見を行い、個人的な見解と強調した上で、小中学校での道徳教育と歴史教育は不必要との考えを示した。さらに、政府の教育再生会議が論議している道徳の教科への格上げにも否定的な見解を述べた。

 山崎会長は道徳教育について、賛否の割れる妊娠中絶の是非などを例示して「『人のものを盗んではならない』くらいは教えられるが、倫理の根底に届く事柄は学校制度(で教えること)になじまない」と指摘。「代わりに提案しているのは、順法精神を教えること。『国の取り決め』として教えれば良い」と持論を展開した。

 現在行われている道徳教育の必要性を問われると「現在の道徳教育もいらないと思う。道徳は教科で教えることではなくて、教師が身をもって教えること。親も含めて大人が教えることだ」と述べた。

 歴史教育についても、稲作農業が日本で始まった時期が変遷していることなどを指摘し「歴史教育もやめるべきだ」と述べた。【高山純二】

 なぜ彼らは通報しなかったのか? 通報しなかった、通報できなかった乗客の心理

 21日から22日にかけて、以下のような見出しが、テレビ、新聞各紙、ネットなど各方面に踊り、世間を震撼させました。

特急トイレで女性暴行、36歳男を再逮捕…乗客知らんぷり
<強姦>特急内で暴行、容疑の36歳再逮捕 乗客沈黙
特急車内で女性暴行=誰も通報せず、36歳男逮捕-大阪

  まず、ニュースの「知らんぷり」という見出しに踊らされないでください。それは報道する側が用いた表現であって、実際の状況が「知らんぷり」と言われるような状況であったかには大きな疑問が残ります。

なぜだれも助けなかったのか。通報しなかったのか。  という乗客を責めたてる意見が聞かれますが、そんな議論は(まったくもって無意味だとはとらえていませんが)ややナンセンスです。

それよりも、むしろ、こういった、前科もわかっているだけで9件もある、しかも仮釈放のわずか1ヵ月後にこのような卑劣な強姦事件を繰り返す性犯罪者。

生来的な脳機能異常によって、性衝動の制御が不可能なのではないかと疑われる性犯罪者が、なぜ何度もこのような犯罪を犯しえる状況にいられたのか。

そして、このような犯罪者に、本当に二度と再犯を犯させないためにはどうすればいいのか――というところを議論するべきです。

通報しなかった/できなかった乗客の心理については、ニューヨークで、Kitty Genovers事件という強姦殺人事件――38人もの目撃者がいながら、だれひとりとして、通報も救助も行わなかった――があって、それについて行われた社会心理学の分析がありますので、ご紹介します。

今回の事件でなぜ通報が行われなかったのかを知る手がかりになりうるでしょう

---------- 一部抜粋 -----------

  1964年のアメリカ・ニューヨークで、Kitty Genoversという女性が強姦された上、殺害されてしまうという事件が起こった。 驚くべきは、後の調べによって明らかにされた目撃者数――Kittyが暴漢に襲われた悲鳴を聞き、そして強姦されてから殺されるにいたるまでの30分もの時間に、それを目撃しながらも、通報も助けることもせず、ただ傍観していただけのひとたちが、なんと38人もいたというのだ。

  当初、これは都会の人間の冷淡さや、目撃者たちにとって、普段抑制されているサディステッィクな欲求を充足するものだったなどとして話題に取り上げられたが、後に心理学者のLataneらは、それに真正面から異論を唱える――「否、Kittyが誰からも援助行動を受けることができなかったのは、むしろ大勢の目撃者がいたからこそなのではないか?」

  まず、(1)大勢が見ていたことによって、ひとりあたりの責任感が分散され、軽くなる(責任の分散)が起き、「自分が援助行動を起さなくてもいいだろう。誰かがやるだろう」とする『社会的手抜き』が行なわれてしまったのではないか?

そして、(2)おなじことを目撃している他人を見ることによって、他人の判断をあてにする、換言すると、他人の判断から得た情報から、実在する現実とは違った『社会的現実』がそこに生じてしまい、ひとりひとりの判断が鈍化してしまったのではないか?

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安部総理は集団的自衛権行使容認をみやげに訪米

 訪米直前、安部首相は、集団的自衛権行使を認めるための憲法解釈の変更が研究されていると述べて、集団的自衛権行使容認に向けた検討を内閣法制局などで進める意向を示したという。

 集団的自衛権行使が、日米同盟強化のために必要ということを示している。それは、アーミテージ元国務副長官の要求にそうものであり、訪米前のタイミングでそれを明らかにしたのは、アメリカのブッシュ政権へのおみやげであることを意味している。

 まるで、それと期を合わせるかのように、マスコミ報道は、どうということもないいつもどうりの北朝鮮の軍事パレードを一斉に大きく報道し、まるでタイミングを見計らったかのように、30年以上前の事件の容疑で、突如として、大規模な朝鮮総連関連施設の家宅捜索が行われた。前者については、どうでもいいことについてまで、専門家が無理矢理コメントを求められて、かなり無理な解釈をつけざるを得ないことになっているようだ。

 TBS系のニュース番組では、軍事パレードを閲兵する金総書記の同じ映像を繰り返して挿入しているのを発見し、それの深い意図は何かということを重村氏から無理矢理聞き出そうとして、氏も影武者がばれるのを防ぐためではないかなどと答えていたが、かなり無理があった。たんにフィルムを節約しただけかもしれないのである。

 9条改憲、集団的自衛権行使容認、を人々に説得するには、具体的な脅威ではなく、脅威の表象、脅威っぽいもの、脅威という印象を与えるもの、が必要なのである。しかし、テポドンが日本上空を飛んだ数年前ならまだしも、ミサイル発射実験が失敗したばかりの今、アメリカ本土に向かうミサイルを打ち落とせるかどうかなどということを想定しても、リアリティは感じられない。中国とは、戦略的互恵関係を確認し合ったばかりである。台湾では、中国との関係改善を訴える国民党が支持を大きく回復していて、逆に独立派とみられている民進党はスキャンダルなどもあって、支持を大きく低下させている。台湾海峡の緊張も当面はリアリティがない。

 それにもかかわらず、安部総理は、集団的自衛権行使容認を、東アジア有事の想定から、正当化するという政治言論を立てている。しかし、ひとたび、集団的自衛権行使を容認すれば、日米同盟の発動としてのあらゆる場面に適用されることになる。イラクでも、イラク特措法による非軍事的人道復興活動への自衛隊参加という形ではなく、集団的自衛権発動として、多国籍軍参加が可能になる。

 国連安保理では、少数派にはなったが、アメリカのイラク戦争の名目は、テロから自衛するための先制攻撃であった。アメリカは、イラク戦争をあくまでも自衛戦争と主張したのである。自衛戦争を主張するアメリカに対して、フランス・ドイツなどがノーと言ったのに対して、日本は小泉首相が他国に先駆けて、真っ先にイラク戦争を支持した。

 集団的自衛権行使の容認は、日米一体で、日本が戦争参加する道を開くものである。危険である。

 安倍首相、憲法解釈変更の意向示す 集団的自衛権(2007年04月26日『朝日新聞』)

 安倍首相は26日午前、集団的自衛権の行使を認めるための憲法解釈変更について「私の方針は随時述べている。所掌の部署において、私の方針にのっとって整理研究等をしているのは当然ではないか」と述べた。集団的自衛権の行使はこれまでの憲法解釈では禁じられてきたが、行使の容認に向け内閣法制局などで検討を進めていく意向を示したものだ。

 米国・中東訪問への出発前に、首相公邸前で記者団に語った。

 首相はこれまで、集団的自衛権の研究を機に解釈変更に踏み込む考えを示唆している。17日の米メディアでも、憲法の解釈変更について「世界に貢献するために政治家として責任ある者として考えるべきだ。その観点から法整備、解釈を研究していきたい」と強調していた。

 ただ、複数の内閣法制局幹部は26日朝、首相からの検討指示を否定、憲法解釈の変更も検討していないとしている。今回の発言には、歴代首相が国会答弁で示してきた憲法解釈の変更に消極的な内閣法制局を牽制(けんせい)する狙いがありそうだ。

 政府は25日、首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を設置。ここでは、(1)対米ミサイル撃墜(2)公海上の米艦船への攻撃に応戦――など四つ事例についての研究を求めている。懇談会設置について、首相は「(憲法を)どう解釈すべきか議論をしてもらいたい」と解釈変更に意欲を示した。

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おみやげ付きの安部訪米の狙い

 安部政権は、わけがわからない。

 4月24日、安部総理は、集団的自衛権についての有識者会議を設置すると述べた。また、25日の憲法施行60周年を祝う記念式典では、安倍晋三首相は、祝辞で「新しい国づくりに向け、国の姿、形を語る憲法のあり方についての議論が、国民とともに積極的に行われることを願う」と改憲に意欲を示した。
 
  集団的自衛権行使については、早速公明党の北側幹事長が、25日に「(行使を禁じた)政府解釈を見直していくということであってはならない」と釘をさした。
 
  わけがわからないのは、先の統一地方選挙と参議院選補欠選挙で、自民党の基礎がかなり弱体化していることが明らかになっているのに、ただ国会衆議院の数だけを頼りに政治を進めているように見えるところである。
 
 参院選補欠選挙での、マスコミの出口調査結果を見ると、ほぼ共通して、憲法問題に対する関心はきわめて低い。選挙戦術としては、格差を争点にした民主党に対して、成長による生活向上を対置して、同じように経済・生活問題を強調した。ところが、その裏付けとなる利益誘導はあまりなく、その結果、そういう与党のうまみを発揮できず、自民党支持者の動きが不活発だったことが、各地で明らかになっている。
 
  例えば、『長周新聞』http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/によると、安部首相のお膝元の山口県議会選挙で、自民党は6議席減(選挙前の自民会派の人数からは10議席減)で、改選前の自民党会派36人が、26人に激減した。『長周新聞』は、「7月の参議員選挙をまえにした統一地方選前半戦は、翼賛政党にたいする不信を鮮明に突きつけた。似たもの同士のポスト争いは争点が不透明で、投票率は「戦後最低」が続出。国民にそっぽを向かれた政党政治の崩壊と、支配勢力の権威崩壊を印象づけた。自民党の凋落が浮き彫りになる一方で、それにたいして全国民世論を喚起するような対抗勢力がおらず、既存の野党の貧弱さ、無力さが落ち目の自民党を助けた格好にもなった」と総括している。
 
  確かに、福島の参院補欠選挙では、自民党も公明党も動きがあまりなかったようである。そうでなければ、全市町村で民主党候補に負けるという完敗まではいかなかったのではないだろうか。とくに、前知事の逮捕、民主党知事の誕生、指名競争入札から一般競争入札に制度が変わったことなどから、建設業界が今回はほとんど動かなかったという。その他の地方でも、同じように、見返りのない自民党議員応援を積極的に行う業界団体が、少なくなっているようだ。こうした自民党利権政治と結びついてきた地方の選挙戦の実働部隊が消えていく中で、安部総理は、改憲を訴えて、7月の参議院選挙を闘うと宣言しているのである。しかし、他方では、この7月の参院選の前哨戦とされてきた福島・沖縄の選挙戦では、安部自民党は、憲法問題をとくに訴えたわけでもない。やっぱり、安部政権は、わけがわからない。

 参院選の最大の争点は、憲法なのか暮らし・生活なのか? その憲法問題も、今年の共同新聞の世論調査では、憲法改正に57%が賛成、反対の34・5%を上回ったが、2005年4月の調査では、賛成61%、反対計29・8%で、賛成派が4ポイント減り、反対派が4・7ポイント増えた。9条改正賛成派は、26%、反対派は、44・5%で、反対が大きく賛成を上回っている。『読売新聞』の世論調査でも、3年連続で、改正賛成派が減っている。
 
  自民党は、安部首相を二度、沖縄に送り込むなど、沖縄での参院補選を総力戦で闘ったが、無党派層で野党候補に大差をつけられた。得票差も2万数千票にすぎず、投票率が低かったので助かったが、投票率が上がっていれば、どうなるかわからない程度の接戦での勝利でしかなかった。九州から応援を送り込んでの選挙だったというが、九州でも選挙戦のある7月の本番では、その手は使えない。
 
  他方では、米軍再編支援法案を衆議院で強行採決して、参議院に送り、アメを用意しつつ、辺野古での影響調査を開始した。選挙では、基地問題の争点はずしをしつつも、訪米の手みやげに、米軍再編を進めていることを示し、また日米同盟強化のための集団的自衛権問題を検討する有識者懇談会を設置することを表明し、9条改憲のための国民投票法案を衆議院で強行採決した。米国産牛肉輸入拡大に向けた条件緩和の話も、松岡農林水産大臣から出てきている。
 
  自民党は地方から崩れてきているが、「全国民世論を喚起するような対抗勢力がおらず、既存の野党の貧弱さ、無力さが落ち目の自民党を助けた格好にもなった」ことで、まだ中途半端な状態が続いている。それで、安心しているようでは、安部政権は危うい。民主党が両院で多数を制したアメリカのブッシュ大統領は、以前ほど頼りになる力強い友人ではなくなっている。
 
  国民投票法案の審議では、連日、異例の長時間審議を強行して、その成立を急いでいるが、最低投票率問題その他、衆院通過を急いだために、積み残されている論点が、つぎつぎと出てきており、この法案について、いかに与党によって早期成立のための強引で粗雑な強行審議がなされてきたかが明らかになっている。反対運動も、様々なグループ・個人によって取り組まれ、大きくなっている。安部総理が想定する集団的自衛権研究の一例とは、なんと、この前、ミサイル発射実験がみじめな失敗に終わったばかりの北朝鮮が、アメリカ本土を狙った弾道ミサイルを発射して、それが日本上空を通過した場合に、日本がそれを打ち落とせるかどうかだという。あまりにも空想的すぎるが、そういう無茶な想定をしてまでも、日米同盟強化のために、集団的自衛権行使を解禁したいのだろう。本当に安部政権は危ない。
 
  憲法世論調査 首相の改憲意欲と落差(4月25日付)
 共同通信社が実施した全国電話世論調査で、憲法改正に関して小幅だが賛成派が減り、逆に反対派が増えるという結果が表れた。改憲の動きが具体化する中で、慎重な検討を望む人が増えたものとみられる。別の調査も同様で、世論の変化を注視する必要がある。

 調査では憲法改正に計57・0%が賛成、反対の計34・5%を上回った。2005年4月の調査では賛成計61・0%、反対計29・8%だったので、賛成派が4ポイント減り、逆に反対派が4・7ポイント増えた。

 改正に賛成と答えた人に、理由を聞いたところ「時代に合わない規定があるから」が54・0%で最も多く、ほかの理由に比べ群を抜いていた。

 戦争放棄と戦力不保持を規定した九条は44・5%が「改正する必要があるとは思わない」と回答、「改正する必要がある」の26・0%を大きく引き離した。九条問題は、憲法改正論議の核心部分ということを考えると、ここは注目すべき結果といえる。

 読売新聞が3月に実施した全国世論調査では憲法を「改正する方がよい」は46%で、「改正しない方がよい」が39%あった。賛成派は昨年調査に比べ9ポイント減り、反対派は7ポイント増え、共同通信調査同様、賛成が減り、反対が増えるという傾向を示した。

 安倍晋三首相は在任中に憲法改正をすると公言している。その改憲志向は九条改正を軸にしている。今夏の参院選挙でも、憲法改正を争点とする意向だ。

 しかし共同通信世論調査結果は、「時代に合わないから改正は必要だが、九条の改正は必要ない」と考える国民が多数であることを示した。

 安倍首相はまた、憲法解釈で禁じられている集団的自衛権の行使についても、解釈の見直しを念頭に、容認する具体的な研究を進めている。

 これに対しても「今のままでよい」が54・6%で、「解釈を変更して行使できるようにするべき」18・3%、「憲法を改正して行使できるようにするべき」18・7%の合計を上回り、国民多数の考えは首相の目指す方向とは違う。

 今回の世論調査で九条改正を必要としないとの回答が必要論を大幅に上回ったことは、平和憲法、戦争放棄といった、現憲法が持つ理念を変えたくないという意思を示したものだ。

 共同通信社が参院補選の福島、沖縄両選挙区で実施した出口調査で最大争点を聞いたところ、いずれも「景気と雇用」との回答が最も多く、安倍政権が意気込む「憲法改正」や「教育」は一けた台だった。

 「憲法改正」は沖縄で9・3%、福島で6・2%だった。その数字にしても、安倍内閣を支持しない層で争点とした人が多く、改憲反対の立場での関心とみられる。

 両選挙区に共通して「景気と雇用」に続くのは、「格差」「少子高齢化・福祉」だった。国民が政治に今最も求めるものは雇用、経済、暮らしをよくしてしてほしいという切実な問題である。

 憲法に関しては、改正への期待は低下、逆に安倍政権のタカ派姿勢に警戒感が広がっている。

 参院で審議入りした憲法改正の具体的な手続きを定める国民投票法案に関しても「今国会成立にこだわる必要がない」が過半数の55・6%を占め、「早く成立させるべき」は19・9%にとどまった。

 憲法改正論議は急がず慎重に進めてほしいとの意識の表れとみるべきで、世論と安倍政権との姿勢に溝ができていることを真摯(しんし)に受け止めねばならない。(上杉芳久)

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参院補欠選挙結果について

 夏の参議院選挙を占う前哨戦として注目された福島と沖縄の参議院補欠選挙の結果が出た。

 福島では、民主党候補が大差をつけての圧勝、沖縄では、小差で与党系候補の勝利であった。
 
 先の福島県議会選挙で、自民党は議席を減らして、初の単独過半数割れしており、自民党の退潮傾向ははっきりと事前に示されていた。おまけに、自民党支持層からもかなり民主党候補に票が流れており、前知事与党としての自民党は、知事の逮捕の衝撃から立ち直れていないようである。これだけ大差がついてしまったら、夏の参議院選挙までに立て直すのは難しいかもしれない。全市町村で民主党候補が自民党候補を上回るという完敗で、民主党組織が弱いところでも、勝てないという有様だった。
 
  沖縄の場合は、与党候補が、選挙の争点を経済振興、暮らし、子育て、生活などを中心に訴え、格差是正を争点とする民主党のおかぶを奪うような形で、小差で勝った。基地や安保・憲法などの政治的問題にはあまり触れず、争点化しなかったのである。それは、仲井真知事が県知事選で取ったのと同じ作戦である。沖縄では、普天間基地の県外移設は、与野党共通の主張になっており、それ自体は争点にはならない。それは、NHKの出口調査の結果でも、投票者の関心が、生活・暮らし・福祉などに多くあって、基地問題は、憲法問題以下にしかなっていないことにも示されている。すでに、稲嶺知事の時代に、基地問題に関する県民合意が作られていて、仲井真新知事もそれを踏襲しているのである。

 米軍再編への協力度合いに応じて、段階的に自治体への交付金支給が盛り込まれた米軍再編推進法が衆議院を通過したが、県は、後は、地元次第だと地元自治体に投げたかっこうなのである。それは、県が、辺野古沿岸移設案に辺野古沖合移転案を対置して、譲歩しないからである。知事与党として沖縄自民党と公明党は、この問題については、すでに態度決定しているので、参議院選挙の争点にはしないということだ。

 結局、当選した与党系候補は、民主党的な政策と考え方をもったまま、自民党系参議院議員になったわけである。当選インタビューを聞くと、まるで民主党の女性議員のようなことをしゃべっているのである。実際、彼女は、もともと民主党員であり、それがいろいろといきさつがあって、民主党を離れたという経歴の人である。
 
 こういうところにはやはり沖縄の独特な政治構造があるようだ。沖縄自民党はやはり自民党本部とは違うのである。米軍再編推進法を強行採決した与党が、沖縄に乗り込んで、基地問題・米軍再編問題、安保問題についての与党の主張を訴えられないという不思議な政治状況があるのだ。そして、参議院選挙の争点として憲法問題が、経済振興、福祉の次の第三位に上げられているのも、沖縄の特徴であろう。安部政権がいくら参議院選の争点として改憲問題を押し出しても、いっこうに、世間の関心度が上がらないのとは対照的である。
 
  福島では自民党の急激な弱体化が示された。沖縄では、自民党色を消して、ようやく与党系候補が勝ったにすぎない。いずれも、自民党の退潮傾向を表しているといえよう。
 
  米軍再編推進法・アメとムチの押し付けだ(4/13『沖縄タイムス』社説)
 米軍基地を押し付ける「アメとムチ法」ともやゆされる米軍再編推進特別措置法が、12日の衆院安全保障委員会で可決され、13日にも衆院通過の見通しとなった。
 政府は、地元の頭越しで合意された「米軍再編」協議に対する不満や疑問にふたをした上で、懐柔策のアメと牽制(けんせい)策のムチを盛り込んだ「特措法」で、米軍再編計画を強行しようとしている。
 米軍再編推進特措法は、米軍再編に関連する特定の防衛施設を指定し、当該市町村に「再編交付金」を支払うものだ。
 交付金は、受け入れ表明や環境影響評価の実施、工事開始、基地運用開始による新たな負担発生などの各段階で、「出来高払い」方式で支給される。
 言葉を変えると「基地受け入れに対する協力の度合い」に応じて、政府がさじ加減を調整できる。「自治体が政府の言いなりになることも招きかねず、自立を大きく損ねる危険性がある」(新崎盛暉沖縄大名誉教授)との批判が出るのもうなずける。
 一方で、同法に賛成する声もある。「米軍再編協議は基地を抱える自治体の負担を大幅に減らし、日米同盟を強化発展させたことに大きな成果がある。法案を通すことによって成し遂げられる」(川上高司拓殖大教授)というものだ。
 そもそも米軍再編協議は米軍の「抑止力の維持」と基地所在地の「負担の軽減」、とりわけ基地被害の重圧にあえぐ沖縄の負担軽減を政府は喧伝(けんでん)してきた。
 だが結果は、米陸軍第一軍司令部のキャンプ座間移転、厚木基地の米空母艦載機の岩国移駐と夜間離着陸訓練の実施など、危険な米軍基地や訓練の国内分散。加えて飛行場や港湾など一般民間施設の緊急時の米軍使用、米海兵隊のグアム移転経費など新たな財政負担を国民に強いるものとなった。
 普天間飛行場移設問題一つをとっても沖縄にとって負担軽減とは到底思えない。名護市東海岸への新基地建設は、豊かな海岸線と海を壊し、海洋生物にダメージを与え、さらに「欠陥機」と指摘される垂直離着陸機「オスプレイ」の配置で県民は生命財産を脅かす新たな危険も抱えることになる。
 8000人の在沖米海兵隊員のグアム移駐での日本側負担は7000億円とみられる。移転経費の算定根拠や日本側負担の根拠は何か。納得のいく回答もないままに、根拠なき負担は、今回の米軍再編特措法で既成事実化される。
 12日の衆院安保委での法案審議では、野党議員のやじや反対の声を押し切り委員長が採決を強行。騒然とした中での法案可決だ。
 十分な論議を避ける理由は何か。一事が万事。日本の政治、議会と民主主義の質も問われている。

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「「軍命」証言次々/一フィートの会抗議」(『沖縄タイムス』)記事によせて

 4月20日の衆議院教育特別委員会で質問にたった民主党管直人議員は、先の教科書検定で、沖縄戦での住民集団自決に軍が関与したという記述に、文科省が検定意見をつけて、それにしたがって、各社の教科書で、日本軍の関与がなかったかのような記述に変更されたことを取り上げた。

 管氏は、沖縄戦集団自決に関わって、赤松元渡嘉敷島守備隊長の遺族と座間味島守備隊長梅澤裕元少佐が、『沖縄ノート』を著わした大江健三郎氏やそれを出版した岩波書店などを相手に起こした名誉毀損を争う裁判で、原告側を支援している「新しい歴史教科書をつくる会」副会長で、自由主義史観研究会代表の藤岡信勝氏と総理が会って、この件について話をしたかどうかと尋ねた。すると、安部総理は、気色ばんで、そんなことは、教科書検定とは何の関係もないと答弁を拒んだ。その後、総理就任以後は、会っていないと答えたが、明らかに、過剰反応が見られた。それは、テーマが、今沖縄で闘われている参議院選挙に影響が出かねないものであったためであろう。管氏に対して、沖縄参議院補欠選挙に絡めた質問ではないかと声を荒げるシーンがあったが、管氏は、沖縄の人々のことに関わる問題を選挙戦の焦点として取り上げるのは当然だと切り返した。そのとおりである。沖縄戦で深い傷を負い、犠牲者を多く出した沖縄で、こうしたテーマについて、政党がどう考えているのかを知ることは、重要なことである。裁判の当事者とそれを支援する藤岡信勝らは、下のような沖縄戦体験者の証言を否定して、かれらを嘘つきにしようとしているのである。故赤松元隊長や梅澤元少佐という元日本軍人の名誉を回復させるかわりに、軍が関与した集団自決の証言者の名誉を奪おうとしているのである。

 この問題について、秦泰彦氏は、「90歳の梅沢元少佐(と赤松氏の遺族)が「汚名」をそそごうと、作家の大江健三郎氏(と岩波書店)を相手どって平成17年夏、謝罪と著書『沖縄ノート』の出版差し止めなどを求め大阪地裁へ提訴したとき、私はついでに沈黙を守ればよいのにと思わぬでもなかった」(4月14日産経新聞『正論』)として、あくまでも住民救済のための方便として、軍命令を認めて、泥をかぶったはずの両元守備隊長らが、最後は、自分のことを優先したことにいったんは失望したようである。ところが、この時点で、『沖縄ノート』を読んでいなかった秦氏は、実際にこれを読んでみると、両元守備隊長を戦争犯罪人呼ばわりするなど人権侵害的記述があって、考えを変え、訴訟を起こし、出版停止を求めたのは当然だと判断し、そればかりか、両元守備隊長は、当時の軍民一体、「一億火の玉玉砕」「生きて俘虜の辱めを受けず」「軍の足手まといになるな」などの戦時の教えに反対して、逃げて生き延びよと捕虜になることも容認するという反体制的なことを住民に指示したことを、立派な行為だと褒め称えている。

 梅澤元少佐の方は、もはや日本の敗戦はまぬがれないと悟っていたから、助役らが、集団自決の方法を聞きに来た時に、まさか戦国時代のようなことを住民が言うとは思わなかったという。つまり、元守備隊長らは、軍政として島のトップの位置にあったが、住民心理を理解できていなかったということだ。それから、敗戦は間違いない、無駄死にせずに、降伏して捕虜になれと教えずに、島の反対側の方に逃げろと言うだけにしたのはなぜだろうか? 食料は、もともと村民のためというよりも、軍のために蓄えられていたのだろうし、それは米軍上陸が明日にも迫る中では、もはや軍には必要のないものであったろう。それに、圧倒的に優勢な米軍は、上陸すれば、やがて島全体の掃討を行うことは明らかであるし、島の反対側に隠れても、まもなく住民が見つかることは明らかである。自分たちを守るはずの守備隊が全滅してしまい、「鬼畜」が武器を持って、迫ってきている時に、住民たちは、白旗を掲げて、冷静に投降できるだろうか? 

 渡嘉敷島での赤松元守備隊長による集団自決の直接的命令を否定する本を書いた曾野綾子氏は、神と個、キリスト教の信仰を持つ人で、カトリックの信徒である。沖縄のしかも島のような共同体の掟や濃密な人間関係が重層している世界とは正反対にいる人だ。そこは、時代的にも、空間的にも、集団的世界、共同体的世界である。近代的な意味での個人がどうとかいうことは問題ではないのである。曾野氏の文章のいくつかを読んだが、そこには、個人と神との個的な関係はあるが、集団的なものに共感を持っていないことがわかる。

 秦氏の方は無内容である。それは、「「自決するな。生きのびなさい」と指示したのに、米軍の砲火でパニックに陥り死を選んだ島民を思いやって「汚名」を甘受した2人に比し、「現存する日本人ノーベル文学賞作家」の醜悪な心事はきわだつ」として、両元守備隊長の未熟さを示す事態を逆に持ち上げていることで明らかである。それは、「法廷記録から浮かびあがってきたのは赤松、梅沢両氏のすぐれた人間性であった。25歳、27歳の若さなのに彼らは絶望的な戦況下、数百人の部下と島民をまとめ、冷静、沈着な判断力で終戦までの5カ月をしのいだ」と述べていることにも明らかである。ここには、25歳、27歳という若さ故の未熟さによって、「生きのびなさい」と言えば、そのとおりになるとしか思えなかったという判断の甘さが現れているのである。それがどうしてかれらの人間性のすばらしさを表しているというのか? 頭がひっくり返っているとしか思えない。ベテランなら、もっと、実効性のある判断を下し、それを実行したに違いないのだ。人間的な言葉をはきさえすれば、人間性が高いということにはならないのである。住民心理を理解できなかった若き島の最高責任者の未熟さが、はっきりと自身の口から語られているというのに、「すぐれた人間性」などと持ち上げるのか? 特別な意図を持たずには言えないことだ。 

 「軍命」証言次々/一フィートの会抗議(『沖縄タイムス』07年4月20日)

 教科書検定で高校教科書から沖縄戦の「集団自決」への軍の強制が削除された問題で、沖縄戦記録フィルム一フィート運動の会(福地曠昭代表)は十九日夜、那覇市内で「『集団自決(集団死)』の教科書検定に対する抗議集会」を開いた。渡嘉敷村で「集団自決」を体験した金城重明さん(78)は「住民が自発的に死んだというのはうそだ」と証言。参加者からも、本島南部で自決用に手りゅう弾を渡されたという発言があった。日本軍の関与を消し去った検定結果が沖縄戦の実相を歪曲すると批判が相次いだ。
 一フィート運動の会の映画「沖縄戦の証言」上映の後、金城さんと座間味村の体験者、與儀九英さん(78)が証言した。

 金城さんは「米軍の上陸後、天皇の軍隊は、住民が所有する畑から食糧を取っただけで殺害するなど、島の一木一葉まで完全に支配下に置いた。住民が『自決』したのに、軍命がなかったというのは真っ赤なうそだ」と語気を強めた。米軍上陸一週間前に、厳重に保管していた手りゅう弾を住民に配布したことなどを挙げ「集団死は軍の命令だった」と話した。

 與儀さんは、慶留間島で米軍上陸前の二月八日の大詔奉戴日に海上挺進第二戦隊長が区長を通じ「敵上陸は目前、上陸の暁には玉砕せよ」と訓示したと証言。教科書検定で、文科省が軍強制の削除理由に「集団自決」訴訟を挙げたことに触れ、「裁判に皆の体験や知っている情報を寄せることが大事だ」と呼び掛けた。

 会場から発言した瑞慶覧長方さん(72)は本島南部を避難中に「捕虜になるのは恥だ、自決せよと、防衛隊から手りゅう弾を渡された」と証言。軍関与なしに住民が「集団自決」に追い込まれることはないとし、「歴史歪曲に黙ってはならない」と批判した。

 集会には約七十人が参加。検定意見の撤回を求める抗議文が採択され、文部科学省に送られる。

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エクアドル制憲議会設置国民投票賛成圧倒的多数は日本の今の改憲とは違う

 日本の国会では、「国民投票法案」が衆議院で与党単独強行採決され、同法案の審議が参議院で始まった。それでも、その行方には、22日の参議院選挙の結果が、影響を与える可能性もあり、まだ流動的である。もちろん、国会での議席数では、自公が圧倒的に多数を占めているのだから、やろうと思えば、いくらでも強行することは可能なのだが、やはり選挙が近いとなると、その勝敗を、気にせざるを得ないだろう。

 日本の「国民投票法案」の場合は、「はじめに改憲ありき」で、中立的なルール法にはなっていないし、改憲とりわけ9条改憲を強く望んでいるのは、財界や『読売』『産経』などの大マスコミや自民党保守派などにすぎず、多くの世論は、別に、それを強く望んでいない。

 それに対して、急進左派のコレア大統領が誕生したエクアドルでは、改憲のための制憲議会設置の是非を問う国民投票で、78%が賛成した。改憲を望む人々が圧倒的な多数である。それに対して、日本の世論調査では、9条2項改憲に賛成の人は約半分で、しかもここ数年減少している。エクアドル議会は、富裕層が多数を占めていて、貧困の是正などを訴えるコレア大統領支持者は少ないという。民意よりもカネがものをいう選挙というのは、アメリカ大統領選挙でもそうだが、多くの国に見られる現象であり、それが多数者の政治からの排除、疎外という弊害をもたらしている。それが現実にある民主主義の問題点の一つだ。エクアドルの国民投票は、それを民意に従う代表制という真の民主主義の姿を表しているのだろう。

 日本でも民主党案の国民投票を重要政策でも実施するという直接民主主義的な国民投票制度を実現したいという市民運動の要求があるのだが、その場合には、キューバのように、改憲の発議を国民1万人以上の署名でできるようにするとか、発議権を国会に限らないような国民参加の方策についても考えなければならないだろう。とはいえ、その問題と今回の与党の「国民投票法案」とはレベルの違う話であり、これは、改憲派が、自分たちの求める改憲のための法案づくりにすぎないから、やはり、9条改憲に反対なら、そのための手続き法にも反対するのが筋である。

 なお、エクアドルの制憲議会の扱うテーマには債務問題の解決という項目が含まれているという。ちょうど、ベネズエラのチャベス政権は、債務を完済し終えたという記事があった。関連して言えば、国際機関からの債務の完済は、IMFが、債務と引き替えに債務国に押しつけてきた新自由主義政策の物的根拠を失わせるものだ。IMFからの借り手は減っており、その存在意義が問われている最中である。

 エクアドルのような形での改憲はいいことだろうが、日本の与党の進める戦争参加をしやすくするための改憲を容易にする狙いがある「国民投票法案」には反対しなければならない。

エクアドル憲法改正へ 国民投票で賛成多数(『朝日新聞』2007年04月16日)

 エクアドルで15日、急進左派のコレア大統領が求める憲法改正のための制憲議会設置の是非を問う国民投票があり、賛成票が大差で多数を占める見通しとなった。年内に制憲議会議員の選挙が行われ、新憲法制定に向けた作業が始められる予定だ。

 ロイター通信によると、ギャロップ社の出口調査で78%が設置に賛成した。反対は12%だった。公式の開票速報でも大幅なリード。コレア大統領は会見で「制憲議会は、幅広い人々が参加する、民衆を真に代表するものだ。歴史的勝利だ」と語った。

 「より多くの国民の声を取り入れ、政治社会経済の各分野で真の変革をもたらす」と、同大統領が改憲を打ち出したのは、今年1月の就任式。改憲で大統領の権限を強め、対外債務の軽減や、主要外貨獲得源である石油の契約の見直しを通じた富の再配分、格差の是正を進めるという。制憲議会は、08年に憲法案を国民投票にかけ、成立させる予定となっている。

 同国では、新自由主義路線を採る政府に対して、貧困層や先住民の抗議活動が頻発。96年以来7人の大統領が入れ替わる不安定な状況が続いてきた。富裕層が中心の国会に、大統領は支持勢力を持たないため、対立が激化。国民投票で事態の打開を図った。

 議会は、制憲議会の設置によって民衆の支持を得た大統領が、ベネズエラのチャベス大統領のように独裁的な権力を握る可能性があると警戒を強めている。

 コレア氏は経済学者。新自由主義路線に反対し、チャベス大統領と同様に「21世紀の社会主義」を掲げる。選挙戦では貧困対策の拡充や汚職の一掃を主張。旧来の政治家に反発していた民衆の支持で、当選した。

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自民党の党利党略の「国民投票法案」強行突破を許すな

 「国民投票法案」の衆議院での与党単独強行採決から、1夜が明けた。全国紙などで、これについての論評・見解などが出てきている。『日経』は、すでに13日付社説で、態度を明らかにしている。

 『読売』は14日社説で、「国民投票法案 党利党略が過ぎる小沢民主党」と題して、もっぱら、与党単独強行採決になった責任を民主党に帰している。それは、この社説によれば、本来は超党派で成立させるべき法案で、すでに昨年12月に与党と民主党が実務者レベルで9項目の修正が合意され、衆院憲法調査特別委員会で与党と民主党の間で、共同提案する協議が進んおり、与党側は大幅に譲歩して、民主党案を取り入れた修正を行っていたのに、夏の参議院選挙対策のために民主党が一方的に修正協議をちゃらにして、対案を国会提出するという党利党略を絡めたからだというのである。

 そして『読売』は、与党案と民主党案には大きな違いはないという。そうだろうか? というか、これらに大きな違いがあることを、『読売』自身が書いているのだが。

 それは、「与党案と民主党案の最大の違いは、国民投票の対象について、与党案が憲法改正だけとしているのに対し、民主党案は「その他の国民投票の対象にふさわしい問題」も対象にするとしている点」である。この点について、『読売』は、「だが、憲法前文には「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」する、とある。一般的な政策に関する国民投票は、日本の統治原理である議会制民主主義に反する」と民主党案を批判している。つまり、自民党と民主党では議会制民主主義という統治原理にたいする基本的な考え方がまったく違うわけだ。それなのに、どうして簡単に妥協ができようか? 基本的な考え方がまったく異なる者が、無理に妥協することの方が党利党略というものである。それに対して、政治判断をすべきだというならまだわかる。その判断については、説明責任があるし、それは選挙などの形で、審判が下されるわけである。

 『読売』は、民主党案では、大衆迎合を招く危険があるという。そして消費税に関する国民投票が行われた場合を例にして、大衆は負担増には反対するに決まっているので、「一円でも税金は安い方がよい、という一般の心理におもねって、反対政党が国民投票の実施に持ち込むようなことがあれば、大きな政治的混乱に陥るだろう」と批判する。しかし、9条改憲に賛成する一般の心理におもねって、国民投票によって、大きな政治的混乱が生じるということもあろう。憲法問題についてだけは、政治的混乱なく国民投票が可能だという判断に、合理性があろうか? ありえない。「国民投票法案」は、公務員・教職員・マスコミなどの投票運動を厳しく規制しており、民主党案では、改憲以外の国民投票もそれに従って行われることになっている。『読売』の例は、まったく不適切である。

 『読売』は、「民主党は「間接民主制との整合性の確保」の観点から、必要な法制上の措置を講じる旨を付則に定める、としている。だが、小手先の対応で、本質的な問題性が解消されるものではない」と述べ、ようするに、民主党案には本質的な問題性があるので、与党案に賛成だということを言わんとしているのである。

 『東京新聞』の「筆洗」というコラムは、『日経』『読売』が言うこの法案の中立性が虚偽であることを暴露している。改憲が具体的なスケジュールになったのは、『読売』が、以前に書いていたように、1991年湾岸戦争が契機であり、それ以後のことである。それも自社さ政権後であり、森政権から三代、保守的な森派政権が続く中で、政治的に進められてきたのである。いくら、間接民主主義だからといって、郵政民営化賛成か反対かを問うて行われた衆議院選挙で獲得した与党の衆議院での圧倒的多数の数の力で、憲法に関わる重要な法案を単独強行採決することに大きな問題があることは明らかである。

 これから「9条改憲阻止の会」その他の「国民投票法案」反対、反改憲集会・行動がつぎつぎと予定されている。安部政権のこうした反動政治を打破していく大衆的な動きが起きているのである。まだまだ闘いは始まったばかりなのである。

 国民投票法案 党利党略が過ぎる小沢民主党(4月14日付・読売社説)

 現行憲法制定以来の立法府の不作為が、解消される。

 憲法改正の手続きを定めた、与党提出の国民投票法案が、自民、公明両党などの賛成多数で衆院を通過した。今国会中に成立する見通しだ。憲法をめぐる戦後史で画期的なことである。

 本来は、超党派で成立させるべき法案である。衆院での採決の直前になって、民主党が独自の法案を提出し、与党と民主党が対立する形になったのは、極めて残念なことだ。

 それにしても、民主党の姿勢には、首をかしげざるをえない。

 国民投票法案については、昨年暮れ、与党と民主党が、9項目の修正項目で合意した。衆院憲法調査特別委員会の与党と民主党の理事間では、共同提案を目指して協議が進んでいた。

 与党案は、投票権年齢を「原則18歳以上」とするなど、民主党が主張する内容を大幅に取り入れて修正したものだ。両案に、ほとんど違いはない。

 それが、民主党独自の法案提出となったのは、参院選に向けて、自民党との対決姿勢を示す狙いなのだろう。

 安倍首相は、参院選で「憲法改正」を訴えるとし、国民投票法案の早期成立を主張してきた。民主党の小沢代表ら執行部が共同修正の動きを抑えたのには、国民投票法案でも与党に対する対決姿勢を鮮明にした方が、参院選の選挙戦略上、得策という判断がうかがえる。

 与党案と民主党案の最大の違いは、国民投票の対象について、与党案が憲法改正だけとしているのに対し、民主党案は「その他の国民投票の対象にふさわしい問題」も対象にするとしている点だ。

 だが、憲法前文には「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」する、とある。一般的な政策に関する国民投票は、日本の統治原理である議会制民主主義に反する。

 大衆迎合政治の横行を招くことにもなる。例えば、国民に負担を求める消費税率引き上げのような問題だ。一円でも税金は安い方がよい、という一般の心理におもねって、反対政党が国民投票の実施に持ち込むようなことがあれば、大きな政治的混乱に陥るだろう。

 民主党は「間接民主制との整合性の確保」の観点から、必要な法制上の措置を講じる旨を付則に定める、としている。だが、小手先の対応で、本質的な問題性が解消されるものではない。

 民主党内には、憲法改正に賛成し、国民投票法案の成立を望む議員も少なくないのではないか。これ以上、政争の具にしてはなるまい。

 筆洗(『東京新聞』2007年4月14日)

 中立的な手続きルールを定めるだけなのだから、成立は当然だ。遅すぎたぐらいだという論調が、メディアの中にもあることに正直驚く。それならなぜ、与野党一致の合意のもとで行われなかったのか▼「憲法改正の手続きを定める国民投票法案」が、前日の特別委に続き、衆院本会議でも与党だけの賛成多数で可決、参院に送付された。今国会での成立は必至という。憲法改正への第一歩がついに踏み出された。歴史の節目をこんなふうに越えてもいいのか▼施行は公布から三年後、それまで改憲案の審査は行わないというが、「三年」という改正への時限スイッチが入り、コチコチ時を刻み始めたことには違いない。就任以来「戦後レジームの脱却」を唱えてきた安倍政権だが、この政権を支える衆院の絶対多数は、憲法改正への信任として与えられたものではない▼一昨年九月、郵政民営化法案を参院に否決された小泉前首相が、その是非を国民に問う、いわば「疑似国民投票」として行われた衆院解散で与えられたものだ。それをまだ国民の合意形成もない憲法改正の手順に使うのは筋違いだ▼その負い目があるから、最後まで民主党を含めた与野党共同提案が模索されたのではないか。安倍首相は、憲法を改正したかったら、七月の参院選といわず、前首相に倣ってその是非を、解散総選挙で問うてはどうか▼防衛庁を省に昇格させ、手続きルールだと言っては改正への国民投票法をつくる。そんな外堀を埋めてから本丸を攻めるような姑息(こそく)な方法で国家百年の計を決めるな。

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「国民投票法案」衆院強行採決に抗議する

  13日『日経新聞』社説は、「国民投票法案は憲法改正の是非とは直接関係のない中立的なルールを定めるもの」「内容的にも特段問題はない」「国民投票法案は憲法96条の改正手続きを具体化するものであり、本来なら現行憲法が施行された60年前に同時に制定されるべきものであった。憲法を制定・改正するのは主権者国民の固有の権利である。この重要な国民の権利を60年間も実質的に封じ込めてきた国会と政治の怠慢はあきれるばかりである」と述べている。

  主権者の多数が改憲を望んでいない時に、改憲のための手続き法など必要はない。だから、この社説が言うように、その手続き法がなかったのは、べつに国会や政治家の怠慢というわけではない。今、自民党などが強く改憲を望んでいるから、こういう事態になったのである。世論の改憲熱は低まっているのに、安部総理の改憲熱だけがやたらと高まっているだけである。安部総理が、憲法問題を夏の参議院選の争点にすると今年に入ってから述べたことから、憲法調査会での与野党対決が強まったことは『毎日』などが指摘しているところである。また、この法案に内容的に問題がいろいろとあることを他紙が指摘している。最低投票率が設定されていないことは、その一つだ。自民党の改憲をやりやすくするためのもので、中立的ではなく、内容に問題があり、主権者が望んでもいないことを政党エゴで強引に押し進めるものだ。

 そもそも改憲を参議院選挙の焦点にすると言ったのは、安部首相であり、民主党は、参議院選挙の焦点は、格差などの生活密着の課題としている。世論は、明らかに、憲法問題を当面する重要課題と考えておらず、福祉・教育・医療など暮らしに関わる諸問題の方に強い関心を持っている。安部総理は、改憲を通じて、「戦後レジュームからの脱却」を狙っているのである。ところが、公明党は、「国民投票法案」の強行採決に参加しながらも、この法律が9条改憲をできないようにする布石になるという。なるほど、私の見るところでは、昨年末の教育基本法改悪では、わけのわからない表現を入れることで、保守派に対する躓きの石を置いている。保守派は、とにかく教育基本法改定から改憲へと急いでいるものだから、多少の譲歩はやむなしと捨て置いているが、これは後々、爆発する時限爆弾のようなものだ。公明党にしてやられたと言っていい。

 先の柳沢厚生労働大臣の「女性は子供を産む機械」発言の時もそうだ。創価学会の最強の実働部隊の婦人部が大変怒ったのは、その代表者である浜四津氏の怒りぶりを見れば明らかである。公明党支持者の安部離れが進んでいることは、世論調査結果に現れており、改憲を選挙争点にして前面に出せば出すほど、そう進むだろう。太田代表が抗議するという形のみでおさめて、自民党に恩を売りつつ、自民党を公明党が操るという作戦だ。

 それを知ってか知らずか、安部与党は、「国民投票法案」を衆議院強行採決したが、それは、自民党の地盤を弱め、壊すのを促進するだけである。『日経新聞』は、何の問題もないなどと人を馬鹿にするくだらないことを言うのではなく、きっちり論点を整理し提示すべきだ。

社説1 国民投票法案の衆院可決は当然だ(『日経新聞』4/13)

 今国会の重要法案である憲法改正手続きを定める国民投票法案が衆院憲法調査特別委員会で、自民、公明両党の賛成により可決された。13日に衆院本会議で可決され、参院に送付されて今国会で成立する見通しである。法案の性格上、民主党も賛成して可決することが望ましかったが、そうならなかったのはむしろ民主党の党内事情のせいであり、与党の採決は当然である。

 国民投票法案は憲法改正の是非とは直接関係のない中立的なルールを定めるものであり、自民、民主、公明3党間に大きな考え方の違いがあるわけではない。3党はかつて共同提案をめざし時間をかけて協議を続けてきた。これに待ったをかけたのは与党との対決を重視する民主党の小沢一郎代表である。

 昨年の国会には与党案と民主党案が提出され、年末には3党が共同修正でいったん合意しかけたが、民主党は最終的に小沢代表の判断で与党案に反対する態度を決めた。7月の参院選をにらんで与党との対決路線を優先し、社民党などとの野党共闘を重視した結果である。

 民主党は憲法改正以外の一般的な国政テーマについても国民投票制度を導入すべきだと主張した。このような主張は憲法改正手続きとは切り離して別途検討すべきであり、簡単に結論の出る話ではない。この問題以外は与党案に民主党の主張が大幅に取り入れられており、内容的にも特段問題はない。むしろ、自民党内には民主党に譲りすぎたという不満がくすぶっているほどである。

 安倍晋三首相は国民投票法案を今国会の最重要法案と位置づけ、その早期成立に強い執念を見せてきた。戦後体制からの脱却を掲げ、5年後をめどに憲法改正の実現をめざす安倍首相にとって同法案の今国会成立は譲れない一線である。法案成立を参院選に向けた政権の実績にしたいとの狙いも込められている。

 国民投票法案は憲法96条の改正手続きを具体化するものであり、本来なら現行憲法が施行された60年前に同時に制定されるべきものであった。憲法を制定・改正するのは主権者国民の固有の権利である。この重要な国民の権利を60年間も実質的に封じ込めてきた国会と政治の怠慢はあきれるばかりである。

 遅きに失した感はあるが、ようやく国民投票法案が成立に向かって動き出したことを歓迎したい。衆院特別委での審議と自公民3党の協議によってすでに論点は出尽くしており、参院は速やかに審議を進めて早期成立を図るべきである。

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民法722条問題の婚姻制度の根幹とは何か?

  民法722条問題の行方が混沌としてきた。法務大臣が、民法722条改訂に難色を示し、運用の改善で対応する方針を示し、自民党の中川政調会長がそれにあわせて、党内の法改正論議にストップをかけたのである。

 長瀬法務大臣は、法改定ではなく、運用改善で対応する方針を決めたことについて、「民法の根幹は、婚姻中に懐胎した場合は夫の子というのが基本」と述べ、安倍晋三首相も記者団に「婚姻制度の根幹にかかわることについては慎重な議論が必要」と語った。

 さらに長瀬法務大臣は、「性道徳、貞操義務」が崩れると述べたという。ここには、婚姻に対する保守派の考え方が現れている。結婚によって成立した男女間の関係においてのみ、性的関係を公認するということである。家族を性的共同体(カント)とする考えがあるのだ。保守派にとっては性的なものも公的制度なのである。しかし、性的でない家族形態が存在する。家族は、性的共同体とは限らない。家族の範囲には、古代的家族では、奴隷や血縁以外の者を含んでいた。日本でも、古代の家族が、そうした血縁以外の多様な人々を含んでいたことは、古代の戸籍から明らかになっている。また、この「性道徳、貞操義務」は、もっぱら女性側に求められているという点で、女性差別である。

 私有財産制の発展にともなって、性的なものも私有制・私権の対象となり、家族も私的家族の形態に転化していったのである。だから、カントの家族論は、物件としての身体は私有の対象になりうるが、人格は所有の対象ではないから、使用権だけを認めるということになっっているのである。カントは、人間を対象とする場合と物件を対象とする場合とを区別しつつ、しかし、両方が交錯していて分かちがたい特殊領域についての特別な考え方を導入せざるをえなかったのである。そこで、カントは、『人倫の形而上学』「第一部法論の形而上学的基礎」の第三節で「物権的様相をもつ対人権」を論じ、物に見えるような対人権という概念を立てることになる。もともと、物権は、実質的定義としては、「ある物件における権利とは、私がすべての他人とともに〔根源的なもしくは設立された〕総体的占有をなしている或る物件を、私的に使用する権利である」(同)というものとされ、対人権(債権)は、「或る他人の意志の占有は、自由の法則に従って私の意志により他人の意志を規定して或る特定の行い(給付をさせる能力として〔他人の意志の原因性に関する外的な私のもの・汝のものとして〕、一個の権利である〔そして、私は数個のこうした権利を同一人物に対し、または他の人たちに対して、もつことができる〕。しかし、このような占有を私になし得させる諸法則の総体〔体系〕は、対人権法〔債権法〕であり、これはただ一つあるだけである」とされていた。

 それに対して、物件的様相をもつ対人権(債権)とは、「物件として或る外的対象を占有し、人格としてこの外的対象を使用する権利である」(同)。これらは、公的状態にある場合におけるものであるとされている。カントにおいて、基本にあるのは、個人の自由のア・プリオリな存在である。そこから、私人としての権利・私権が展開され、これらのことが言われている。つまり、これらは、私法論の中で扱われることになるのである。私と外的物件、私と外的物件であると共に外的人格である汝との関係としての諸法則として扱われるのである。

 カントは、婚姻制度を、もっぱら性的関係の法則として扱い、性器ないし性的能力という外的物件を人格としての夫と妻が相互使用する権利関係として扱っている。

 「性的共同態(commercium sexale)とは、或る人間が他の人間の生殖器および性的能力についてなす相互的な使用(usus membrrorum et faculatum sexualium alterius)であって、それは、自然的な使用〔これによって同人と類似のものが産出される〕、であるか、あるいは不自然な使用であるかのいずれかであり、後者は、同性の人格に対して行われるか、あるいは人類以外の動物に対して行われるかのいずれかである」。

 そして、カントは、後者は、人格のうちなる人間性の侵害であって、全面的に断罪されねばならないという。

 それから、カントは、自然的な性的共同態は動物的自然にしたがう性的共同態〔放蕩、相手構わぬ淫乱、売春〕であるか、あるいは法則にしたがうものかであるという。後者は、婚姻であり、「性を異にする二人格の、彼らの性的特性を生涯にわたって相互的に占有するためになすところの結合である」という。

 子供については、子供が人格であるということから、「子供は決して両親の所有物として見られるもことはできないが、にもかかわらず、両親の私のもの・汝のものに属するのであるから〔なぜなら、子供は物件と同様に両親の占有のもとにあり、そして、いかなる他人の占有からも、子供の意思に反してすら両親の占有のもとへと連れ戻されうるからである〕、両親の権利は決して単なる物権ではなく、したがって譲渡しうるものではないが〔最も全人格的なる権利 ius personalissimum〕、さればといって、他方、単に対人的な権利でもないのであって、物権的様相をもつ対人権である」ということになるという。

 婚姻制度が、性的共同態と限定されているのは、それがもっぱら血縁的家族制度の秩序を公的に規定するためで、嫡出子を正統化し、婚外子を差別する今日の戸籍制度の差別性を表している。女性にのみ再婚禁止期間があるのは、公的制度としての婚姻制度が、その制度の血統主義を維持することに目的を置いていることを意味している。それに対して、カントは、婚姻制度の目的は、子供の産出とは直接的な関係はないと述べているし、子供は人格であるといい、人格間の平等ということを書いている。

 基本的に、民法が、私権としての私有権としての性的私有制を婚姻制度の基本に置いていて、それを性道徳の基礎としている点に問題があり、しかもそれが、男性による女性の私有・所有という女性差別をともなっていることの法的表現であるという問題を持っている。婚姻制度は、男性が女性の性的特性の占有を公的に認知し所有化し公認化し、これを強制力で保護する制度であるということである。だから、女性の性道徳や貞操義務を法務大臣が言い立てるのであり、それが家族制度の根幹に関わるなどと言うのである。その他もろもろ家族制度・婚姻制度・民法にある諸問題について、広がりのある諸課題を想定できるのだが、民法722条問題に限れば、法務省対応に対する批判があり、離婚件数の増加にともなって、無戸籍の子供がたくさん発生している現在、この問題が緊急に解決する必要のある課題になっていることは明らかである。法務省の対応に対する批判の一部として、下の記事のような意見がある。

 「性道徳、貞操義務」崩れる 長勢法相、300日問題で(『朝日新聞』2007年04月06日)

 「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」と推定する民法772条の規定を議員立法で見直そうとする与党プロジェクトチーム(PT)の動きに対し、長勢法相は6日の閣議後会見で「性道徳や貞操義務についても考えないとならない」と述べた。法務省は同日に一部見直しをする民事局長通達案を正式発表。同省側は「通達を出せば立法は必要ない」と対決姿勢を強めている。

 民事局長通達案は「離婚後に懐胎したことが証明できた場合」に限って「現夫の子」と認める案。対するPTの特例新法案は、前夫との離婚が成立する前に懐胎した場合でもDNA鑑定などで現夫の子と認められ、救済範囲が広い。

 長勢法相はPT案を「民法の根幹を真っ向から違う仕組みにするもの」と批判。「再婚禁止期間短縮」問題も含めて「日本の家族をつくり変えようという国民の理解があるとは思えない」とした。

 民法772条:「通達では救われぬ」支援団体訴え 離婚前の妊娠、ほとんど(『毎日新聞』2007年4月7日)

 「離婚後300日以内に誕生した子は前夫の子」と推定する民法772条を巡り法務省が月内にも運用を見直す民事局長通達を出す方針を決めたことを受け、6日、法の運用見直しを求めてきたNGO「mネット・民法改正情報ネットワーク」の坂本洋子共同代表らが同省内で記者会見した。坂本共同代表らは同ネットワークに寄せられた相談では、ほとんどが離婚前に別居し、離婚前の妊娠が珍しくないと説明。「離婚後の妊娠のみを対象にした法務省通達では1割しか救済されない」と指摘した。(2面参照)

 同ネットワークは、与党のプロジェクトチーム(PT)の特例新法案を支持し、子供の救済のため、同法案を最優先で成立させるよう9日に法務省やPTの責任者などに文書で要請する。

 法務省の通達は、離婚後の妊娠が明確なら300日以内に出産しても、裁判せずに現夫の子として出生届を出せる内容。一方、与党PTの特例新法案は、再婚後でも前夫が自分の子でないことを認め、DNA鑑定書を添付すれば現夫の子として出生届を提出でき、事実上法務省の通達より幅広く救済される内容だ。

 会見に同席した棚村政行・早稲田大教授(家族法)は「実際には離婚前に妊娠して再婚後に生まれたり、離婚に時間がかかるケースがほとんど。法務省の通達では、離婚後300日以内に生まれた子で救われるケースは1割程度と非常に限定されてしまう」と実効性を疑問視した。

 坂本共同代表は、2月下旬に同ネットが実施した電話相談に寄せられた18件のうち、離婚まで同居していたケースはわずか1件にとどまっていることを紹介。「別居後に妊娠し、離婚手続きが遅れたというケースがほとんど。緊急を要する問題で、再婚禁止期間の議論と772条の見直しを切り離してでも子供を救うという原点に戻ってほしい」と訴えた。

 また坂本共同代表は、自民党の中川昭一政調会長が議員立法に向けて検討を進めてきた同党PTに再検討を指示したことについても、「与党が丁寧に議論を積み上げてきたのに、鶴の一声の形で議論をひっくり返す行為は政治不信につながりかねない」と批判した。

 長勢甚遠法相は6日の閣議後の会見で、「民法の根幹は、婚姻中に懐胎した場合は夫の子というのが基本」だとして、離婚前の妊娠への救済には否定的な見解を示している。また法務省は、離婚後300日以内に出産した事例などの調査を進めているが、結果はまだ公表されていない。【工藤哲、森本英彦】

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沖縄戦集団自決への軍関与は明らかだ

 教科書検定での沖縄戦での集団自決を日本軍が強制したとする記述に、それを否定する説が定説に成りつつあるとして、文科省の検定意見がついた件で、軍による強制を定説としてきたノーベル文学賞受賞者の大江健三郎氏と岩波書店が、文科省に抗議文を送ることを決めた。

 沖縄戦での住民の集団自決に軍の強制があったことは、たとえ旧日本軍の梅澤裕・元少佐と赤松元守備隊長が直接的な命令を正式に出しておらず、戦後になんらかの事情で、嘘をついたことが事実だったとしても、その他の様々な資料や当時の状況から明らかである。しかも、赤松元守備隊長の遺族らが、大江健三郎氏と岩波書店を名誉毀損などで訴えた裁判は、今続いている最中で、判決も出ていないうちに、裁判の一方の当事者の主張のみを取り上げるのは、公平さを欠いている。

 この件について、櫻井よし子氏が語っている。この人は、なんでも首をつっこむ人である。「櫻井よし子ブログ」http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2007/01/post_497.html「沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣」は、梅沢座間味島守備隊長をすぐれた軍人として描いている。梅澤隊長は、米軍の艦砲射撃が激しくなる中で、「彼我の圧倒的な戦力の差を実感、「ベテランの軍人」として日本の敗北を悟った」という。そして、米軍上陸がいよいよ迫った1945年3月24日夜10時頃、村民代表5人(助役、役場の者、小学校の校長、警察官、女子青年団長)が司令部を訪ねてきたという。そして、「助役の宮里盛秀氏が言った。「いよいよ敵が上陸しそうです。長い間、御苦労様でしたが、お別れに来ました。私たちは前から、年寄り、女子供、赤ん坊は軍の足手まといになるため、死ぬと決めています」」。すると、梅沢氏は、「戦国時代の物語として聞いたようなことを、まさか、沖縄の人が言うとは思いませんでした」と語ったという。

 それから、助役と以下のやりとりがあったという。

 「自決の方法がわかりません。我々皆が集まって円陣を作ります。その真ん中で爆薬を爆破させて下さい」

 「そんなことは出来ない」と梅澤氏。

 「それなら役場に小銃が3丁ありますから弾を下さい。手榴弾を下さい」と宮里助役。

 「馬鹿なことを言うな! 死ぬんじゃない。今まで何のために戦闘準備をしたのか。みんなあなた方を守り日本を守るためじゃないか。あなたたちは部隊のずっと後ろの方、島の反対側に避難していれば良いのだ」

 梅澤氏は諭して、5人に言った。

 「食糧も山中の壕に一杯蓄えてある。そこに避難しなさい。死ぬなど馬鹿な考えを起こしてはいけないよ」

 代々軍人だった梅澤氏には、このような住民心理は、戦国時代の人のようなものとしか思えなかったのである。住民は、なぜ集団自決するということをわざわざ守備隊長に言いにきたのだろうか? それは、『戦陣訓』その他の軍国主義教育、皇民化教育のためだ。軍がそう教えてきたから、それに従って、大日本国臣民として当然のこととして、生きて捕虜の辱めを受けないということを実行するしかないと考え、軍は当然それを支持して、助けてくれるものと考えたからである。だから、その方法・手段の教えを請いに行ったのだろう。

 梅澤氏が山中に避難し、死なないように諭したということは、すでに彼我の圧倒的な力の差を実感し、敗戦を悟った氏の考えでは、生きて捕虜になることを意味することは明らかである。梅澤氏が、この時点で、米軍の捕虜になって生き延びろという意味でこういうことを言ったのかどうかはわからないが、しかし、その言葉どおりだとそうなる。

 翌日、梅澤氏は部下の6割を失って、敗北。「戦闘に没頭していた氏らは、住民たちのその後の動き、約800名中172名が集団自決した事実を知らなかった」。つまり、住民たちは、自分の言うとおり、米軍の捕虜になって生き延びたと思ったのだろうか? 

 ところが、梅澤氏は、1957年『週刊朝日』の記事で、自分の命令で座間味島住民が集団自決したと報じられて驚いたという。

 櫻井氏は、「戦後、全ての日本人がそうであったように、沖縄の住民も食べるに困った。特に沖縄は烈しい戦闘で焼き尽くされ、多数が亡くなった。国の援助を申請したとき、自決というだけでは、軍人でもない一般住民への援助は無理だとされた。そこで考えられたのが、軍によって自決命令が下されたという理由づけだった。/生きるために事実無根の話が創られ、梅澤氏への根拠なき非難が一人歩きを始めたのだ。それを調査せずに喧伝したのが大江氏らである」と言う。

 彼女は、「事実無根」「根拠なき非難が一人歩き」ということを言うのだが、もし梅澤氏の話が本当だすれば、「事実無根」なのは、梅澤隊長が集団自決を命令したということであって、集団としての軍の強制が「事実無根」になるわけではない。軍の将校で責任の重い守備隊長という地位にあったものは、軍に対して責任があるし、知らなかったからといって、責任がないとか結果責任を取らなくていいということにはならない以上、根拠はある。

 梅澤氏は、この『週刊朝日』の記事が出て以後、1958年から沖縄慰霊の旅に毎年行っているという。戦後、座間味島の人々の生活が苦しかったのに、国はかれらを救う方法を持たなかった。そこで、苦肉の策が取られたということらしい。軍国主義教育、『戦陣訓』の教えを固く守った人々が、準軍属ではないと言う理由で、放置されていいのかということだ。「一億火の玉」と言われ、米英は「鬼畜」と教えられてきた人々が、捕虜の辱めを受けずとして、集団自決の道を選び、しかも、手榴弾を持たされており、いざとなったら、それで自決するように軍人から言われたという証言もある。つまり、元女子青年団長宮城初音氏の助役が自決命令を出したという証言は、梅澤氏の命令を虚偽とするものではあるが、軍による自決の強制を否定するものではない。

 櫻井氏は最後に、「日本人は戦後、戦争を反省する余り、軍に関するもの全てを悪と見做してきた。その偏った心理のなかで、梅澤氏の悲劇が生まれた。この歪んだ戦後体制からの脱却を目指すというのが安倍晋三首相である。真に戦後体制から脱却し、新しい日本を創るために、より多くの真実を探り出し、虚心坦懐、歴史の真実と向き合いたい。そして一日も早く、高齢の梅澤氏の訴えに正しい判決が出てほしいと願うものだ」と書いている。

 一部のこと、ここでは梅澤氏が島民に集団自決命令をしたかしなかったかという事実の認定の話と軍による集団自決の強制や関与があったかどうかは、レベルの違う話であり、仮に前者が裁判で梅澤氏の言い分が認められたとしても、後者についての話に片が付くわけではない。それなのに、文科省は、教科書検定で、そうしようとしているのである。

 梅澤氏には個人としての問題と共に軍幹部としての問題があり、さらに当時の軍国主義教育や皇民化教育、等々の関わりなどの問題もある。それらを総合的に見れば、軍の集団自決強制はなかったことが定説になりつつあるなどという文科省の政治的判断は、櫻井氏のいう虚心坦懐に歴史の真実と向き合うものではない。安部総理は、櫻井氏の基準とは反対に、歴史の真実よりも、「美しい国」というスローガンで、真実よりも見た目だということをはっきりと言っている人物だ。

 櫻井氏には、梅澤氏ばかりに肩入れするのではなく、もっと沖縄戦の全体像、また集団自決の多様な側面をできるだけ総合的に見てもらいたい。

 関連して、『産経』がこのところ上げている戦犯赦免運動の署名数4000万人という数字の根拠を問うているブログ記事を見てもらいたい(「美しい壺日記」http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-46.html)『産経』などの右派保守派は、南京事件の犠牲者数には根拠がないだとか、他者の上げる数字には厳しいが、自らの上げる数字には甘いし、根拠のない数字を平然と使っていることがわかる。沖縄戦集団自決問題についても、『産経』『読売』は、軍の強制はなかったと主張しているのだが、櫻井氏と同じように、都合のいい証言のみを強調し、都合の悪い証言は無視している。そんな体質がわかる。なお、そこで扱われている『産経』社説は、「沖縄戦集団自決にナンセンスな検定意見がついた」に引用してある。

 教科書検定:岩波書店と大江健三郎氏らが抗議文(『毎日新聞』2007年4月4日)

 06年度教科書検定で、旧日本軍が沖縄戦の集団自決を強制したとする記述に検定意見が付されたことについて、岩波書店が4日会見し、作家の大江健三郎氏と連名で抗議文を伊吹文明文部科学相に提出することを明らかにした。同社と大江氏は、集団自決をめぐる訴訟の被告となっており、「(旧日本軍出身である)原告の主張のみ取り上げ、記述を修正させたことは遺憾」と訴えている。

 文科省は、検定意見の根拠の一つに、集団自決を命令したとされる旧日本軍の元少佐らが裁判で命令を否定する証言をしたことを挙げた。元少佐らは05年8月、書物の誤った記載で名誉を傷つけられたなどとして、岩波書店と大江氏を相手に出版差し止めと損害賠償などを求める訴えを大阪地裁に起こしている。

 会見した岩波書店の宮部信明・取締役編集局部長は「沖縄戦の問題(日本軍の強制)は十二分に実証されてきた真実。裁判の当事者として黙っているわけにいかない」と説明。抗議文はさらに「訴訟は継続中で、被告の主張も検討するのが当然」と主張している。【高山純二】

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最近の教育をめぐる諸問題から

 教育をめぐる動きがあわただしい。

 まず、29日の教育関連3法案の与党の了承、そして30日の教員免許法改正案と地方教育行政法改正案が閣議決定された。残る学校教育法改正案を閣議決定し、今国会中の成立を目指すという。地方教育行政法改正案のうち、私立学校への教育委員会の関与については、公明党が、慎重姿勢を示し、「知事は私立学校と協議し、教委は私立学校の自主性を尊重する」ことを国会での文科相答弁と法案の付帯決議、改正法の施行通達の3段階で確認するという条件を付けた。創価大学グループを持つ創価学会への配慮だろうか? 公立学校が教育委員会の管轄の下にあり、私立学校が知事部局の担当下にあるという学校対応の二分化は、私学の独自性・自主性を尊重するためだという。公立学校は、自主性を認められていないのだろうか? 

 残る学校教育法改正案では、義務教育の目標として、愛国心教育を盛り込むように議論が進んでいて、昨年12月の教育基本法改定の一つの結果が、示されようとしている。全体として、国の教育への関与が強められるもので、強制性が強い改定案である。それだけ、国の責任が重くなることは言うまでもない。

   卒業式での「君が代」不起立で、東京都教育委員会は、教員35人を懲戒処分した。この「君が代」「日の丸」強制は、東京都が突出している。それでも、毎年、処分がなされながら、なお35人の懲戒処分者が出たことは、東京都の強圧的学校管理・教職員管理体制が破綻しつつあることを意味している。94年以降の卒業式での不起立を対象とする処分者はのべ314人となった。

 「新しい歴史教科書をつくる会」を追われて、「日本教育再生機構」を立ち上げ、代表となった八木秀次高崎大教員は、『産経』の「正論」欄で、「教員バッシングより教育体系つくれ」と主張している。現在の教育の基本的な問題は、「子ども中心主義」という教育観にあり、システムにあるというのである。

 「子ども中心主義」とは、アメリカの哲学者ジョン・デューイなどが提唱した子供の学ぶ意欲・自主性に任せようという考え方だが、そこから教師は子供を「指導」するのではなく、子供たちが主体的に学習するのを「支援」する役割だとの発想が「ゆとり教育」の背景にある」。このような「子ども中心主義」を、日教組が中心に文科省に浸透させたために、「ゆとり教育」が採用されたというのである。

 こうした見方は、保守派に共通して受け入れられているらしく、「新しい歴史教科書をつくる会」の「史」最新号には、「視点 教育基本法改正と歴史の潮流」と題する石井昌浩 理事・拓殖大学客員教授の文章の中で、「旧法の主役は、ジョン・デューイ仕込みの「子供中心主義」であり、主役を支える芸達者な脇役が「マルクス主義」だった。ちなみに、三十年続く「ゆとり教育」は、子供中心主義の現代版に他ならない」と書いている。八木氏とほとんど同じ認識である。さらに、石井氏は、「よく、冗談めかしに「共産党員が教科書を作り、社会党員がそれを教え、自民党政府がお金を出す」と言われる。この話が冗談ではなく、限りなく事実に近いところに戦後教育の悲劇とゆがみが象徴されているのだ。共産党も社会党も往時の勢いを失ってはいるが、マルクス主義は、教育界で依然として隠然たる勢力を維持し続けている」として、マルクス主義の教育界での隠然たる勢力を想定している。旧教育基本法は、ジョン・デューイ主義という主役とマルクス主義という脇役をそろえた舞台であり、それを現場で担ってきたのが、日教組だったというわけである。旧教育基本法がなくなり、新教育基本法が成立したことで、これらの勢力を法的に支えることができなくなり、その結果、「敗戦から数えて六十年、日本独自の文明と文化に根ざした教育の基盤を確立」できることになるだろうという。そして氏は最後に、「歴史の潮流が変わった。教育基本法改正は、明治初年の学制、敗戦直後の諸改革に次ぐ、近代教育史上第三の改革である」と過大評価する。なるほど、安部政権の教育基本法改訂の意図には、そうしたものもあっただろうが、できあがった法律は、それほどできのいいものではない。そこは連立を組む公明党がいろいろと障害物を置いていて、それは後々その効果を発揮することだろう。

 それにしても、この子ども中心主義批判というのは、最近強調されるようになたもののように見えるがどうだろう? 少なくとも、教育基本法改定論議の時や教育再生会議、中央教育審議会の議論などでもあまり聞こえてこなかった。石井氏は、新教育基本法の徳育の列挙が、その現れだというのだが、はたしてそうか? いずれにしても、八木氏もそうだが、戦後教育に対して、戦前の近代公教育体制の復活を対置するというのでは、後ろ向きである。情況・条件が違いすぎるので、これは失敗に終わる運命にある。

 教育再生会議は、授業時間数10%増、そのための夏休み・春休みの短縮や7校時の導入を提言した。「しかし、それがそのまま学力や規範意識の向上に繋(つな)がるとは思えない」と八木氏は批判する。そして、「そればかりか、近年、教育現場では教員が教材研究に追われ、多忙感や焦燥感を募らせている。個々の子供たちに対応するための「発展的学習」に加えて、教科書のない「総合的学習の時間」のための教材開発や運営に追われている。授業時間が10%増えればその分、負担も増すだろう。全国には約100万人の教員がいるが、教材開発までやってのけるだけの高い能力のある教員の数は残念ながらそう多くはない」と教員が現場で、増え続ける負担にあえいでいることを指摘している。教師から忙しいという話がよく聞かれる。

 八木氏は、「かつては新人の教員であっても、教科書と指導書があれば、十分な指導ができるだけのシステムがあった。システムが個々の教員を支えていたのだ。しかし「ゆとり教育」が明治5年の学制発布以来のわが国の近代教育の体系を壊してしまった。そして今や個々の教員の指導力が問われるようになっている」と問題点を指摘する。それは、教員が役者だけでなく、「脚本家や演出家の役割まで求められているのだ。だが、これは個々の教員には酷なことだ。そのことが近年の疲弊感・焦燥感の高まりに繋がっている」というのである。

 八木氏は、「国民の「教育再生」を求める声の高まりとともに、教員バッシングが始まっている。確かに不適格教員や特殊なイデオロギーに染まった教員は排除されなければならない。しかし、教員を悪者にすれば教育再生ができるというものでもない」と教員バッシングの高まりに釘をさす。「不適格教員」「特殊なイデオロギーに染まった教員」排除は当然という考えは肯定し得ないが、「教員を悪者にすれば教育再生ができるというものではない」というのはそのとおりである。

 「大企業の景気回復とともに、民間企業の新卒採用枠が急激に拡大している。教員給与の削減も検討されている。そのような中にあって、これだけバッシングを受ける教員の世界にあえて飛び込むだけの意欲ある人材が確保できるだろうか。また教材開発まで行う能力ある人材が何十万人も確保できるだろうか」と近年の景気回復傾向の中で、教員バッシングが強まれば、教員の人材確保が難しくなるだろうという。まったくそのとおりで、すでに新採用教員の多くが一年以内に離職しているという現実があり、さらに近年、教員の精神疾患が多発している。教育現場の人材不足はすでに起きているのである。

 教員免許更新制度について、安部総理などは、問題教師の排除を強調しているのだが、文科省はこれは懲戒的な意味ではなく、あくまでも教員資質の向上が目的だと主張している。しかし、更新免許更新の期間10年は長すぎるとする不満が、教育再生会議にくすぶっており、さらに対案として民主党が策定しようとしている「教員スキルアップ法案」は、、「10年ごとの免許更新制だけでなく、教員免許取得に修士課程の修了を必要とし、免許更新時に義務付ける講習も政府案の30時間より多い100時間とする。一方で、講習の1年間の追加履修により、更新不要の「専門免許」を取得できる道も開く(『毎日新聞』2007年3月30日)という与党案よりも教員に厳しいものだ。教育再生会議には、教員よりも、民間企業に優秀な人材を集めることに利害を持っている民間企業よりの委員が多くいる。

 八木氏は最後に、「今、取り組むべきは「ゆとり教育」で壊された近代教育の体系を再構築し、個々の教員を支えることだ」と述べる。それにたいして、東京都教育委員会は、恫喝と処分、強権発動などによって、教員を押さえつけることで、教育の生命を押しつぶそうとしている。教育再生会議は、道徳を教科とすることで、道徳心のランク付けに踏むことを提言しようとしている。教科化にともない道徳教科書が作られるようになれば、文科省の教科書検定の対象となり、文科省が道徳心の基準を事実上決定するようになる。「やらせタウンミーティング」をやった文科省がである。不道徳な文科省が、人々に道徳の説教をするというとんでもないことになろうとしているのである。そんな「不道徳」なことが許されていいのだろうか!?

 【正論】高崎経済大学教授・八木秀次 「ゆとり教育」見直しは可能か

 高崎経済大学教授、八木秀次氏
 ■教員バッシングより教育体系つくれ

 ≪「子ども中心主義」脱却≫

 時事通信社が今月行った世論調査によれば、「ゆとり教育」の見直しを実に79・1%もの人々が求めていることが明らかになった。「必要がない」と答えた人はわずかに11・2%。「ゆとり教育」見直しはもはや世論と言ってよい。

 政府の教育再生会議も1月に発表した第1次報告でやはり「『ゆとり教育』を見直し、学力を向上する」として、「授業時間数の10%増加、基礎・基本の反復・応用力の育成、薄すぎる教科書の改善」を提言している。また同会議が5月にも発表する第2次報告でもさらに具体的に「ゆとり教育」見直しの方向性が示されると思われる。

 しかしながら、今月14日に示された第2次報告の「素案」を見る限り、「ゆとり教育」見直しは掛け声倒れに終わり、逆に現場の教員は一層多忙感・無力感を募らせ、今後、能力ある人材が教員を志望しないという、国民大多数が望む「学校教育の再生」とは程遠い結末に至るのでは、という懸念をぬぐえない。

 その理由は同会議が「ゆとり教育」の背景にある「子ども中心主義」(児童中心主義)なる教育観の見直しにまで踏み込んでいないことにある。

 「子ども中心主義」とは、アメリカの哲学者ジョン・デューイなどが提唱した子供の学ぶ意欲・自主性に任せようという考え方だが、そこから教師は子供を「指導」するのではなく、子供たちが主体的に学習するのを「支援」する役割だとの発想が「ゆとり教育」の背景にある。「ゆとり教育」は以上のような教育観を背景にしているが、もともと日教組が主張していたものを徐々に文部科学省が採り入れ、今日に至ったものだ。現在、文部科学省が採っている、学習指導要領は全体で学ぶ最低基準で、その量はかつての半分に減らすが、個々の子供たちの学ぶ意欲に合わせた「発展的学習」で対応するという考えも日教組由来のものである。

 ≪募る「多忙感と焦燥感」≫

 しかし、子供を持つ身なら誰でも分かることだが、子供たちの「学ぶ意欲」に任せておいて確かな学力が身に付くはずはない。時には強制力を伴わせなければ、日本国民として必要な学力や規範意識は身に付かない。近年の学力や規範意識の急激な低下の背景に「ゆとり教育」があることは言うまでもなかろう。

 教育再生会議は「子ども中心主義」の見直しを言わないままで、授業時間数だけ10%増やし、そのために夏休み・春休みの短縮や7校時目の導入を提言している。しかし、それがそのまま学力や規範意識の向上に繋(つな)がるとは思えない。

 そればかりか、近年、教育現場では教員が教材研究に追われ、多忙感や焦燥感を募らせている。個々の子供たちに対応するための「発展的学習」に加えて、教科書のない「総合的学習の時間」のための教材開発や運営に追われている。授業時間が10%増えればその分、負担も増すだろう。全国には約100万人の教員がいるが、教材開発までやってのけるだけの高い能力のある教員の数は残念ながらそう多くはない。

 ≪「教員=悪者」論の愚≫

 かつては新人の教員であっても、教科書と指導書があれば、十分な指導ができるだけのシステムがあった。システムが個々の教員を支えていたのだ。しかし「ゆとり教育」が明治5年の学制発布以来のわが国の近代教育の体系を壊してしまった。そして今や個々の教員の指導力が問われるようになっている。

 例えて言えば、教員はかつては役者だけやっていればよかったが、今や脚本家や演出家の役割まで求められているのだ。だが、これは個々の教員には酷なことだ。そのことが近年の疲弊感・焦燥感の高まりに繋がっている。

 国民の「教育再生」を求める声の高まりとともに、教員バッシングが始まっている。確かに不適格教員や特殊なイデオロギーに染まった教員は排除されなければならない。しかし、教員を悪者にすれば教育再生ができるというものでもない。

 大企業の景気回復とともに、民間企業の新卒採用枠が急激に拡大している。教員給与の削減も検討されている。そのような中にあって、これだけバッシングを受ける教員の世界にあえて飛び込むだけの意欲ある人材が確保できるだろうか。また教材開発まで行う能力ある人材が何十万人も確保できるだろうか。

 今、取り組むべきは「ゆとり教育」で壊された近代教育の体系を再構築し、個々の教員を支えることだ。(やぎ ひでつぐ) (2007/03/30)

 「君が代」不起立、最高で停職6カ月 都教委処分(『朝日新聞』2007年03月30日)

 今春の東京都内の公立学校の卒業式で「君が代」斉唱時に起立しなかったなどとして、都教育委員会は30日、教員35人を懲戒処分したと発表した。このうち町田市立中教諭の根津公子さん(56)は、懲戒免職に次ぐ停職6カ月。都教委は03年10月に起立斉唱を義務づける通達を出しており、94年以降の卒業式で不起立を理由に処分を受けた教員は延べ314人となった。

 都教委によると、処分者は昨春より2人増えた。不起立を繰り返すほど処分は重く、今回初めてだった20人が戒告、2回以上繰り返した12人を減給とした。通達以降、不起立を続けている根津さんのほか2人が停職になった。戒告を受けた20人のうち、定年後の再雇用選考に合格していた2人は合格を取り消した。

 06年に受けた停職処分の取り消しを求めて東京地裁で係争中の根津さんは、「覚悟はしていたが余りに重い。次は免職かもしれないが、教員生命をかけて強制に反対していきたい」と話した。

 道徳、「教科」に格上げ案 教育再生会議分科会が提言へ(『朝日新聞』2007年03月30日)

 政府の教育再生会議は29日の学校再生分科会(第1分科会)で、「道徳の時間」を国語や算数などと同じ「教科」に格上げし、「徳育」(仮称)とするよう提言する方針を決めた。「教科」になれば、児童・生徒の「道徳心」が通信簿など成績評価の対象になる可能性があるうえ、教材も副読本でなく教科書としての扱いとなって文部科学省の検定の対象となりうる。ただ、反対論も予想され、再生会議での議論は過熱しそうだ。

 再生会議の1月の第1次報告を受け、政府は30日に教育関連3法案を提出する。5月に予定する第2次報告は法制改正によらない具体策も打ち出す方針で、道徳の教科化を盛り込む考えだ。参院選に向け「安倍カラー」を鮮明にするうえで政権側が後押しする可能性もあるが、第2次報告にどのような形で盛り込まれるかが焦点になる。

 第1次報告では「我が国が培ってきた倫理観や規範意識を子供たちが確実に身につける」と提言しており、再生会議で充実策を検討してきた。

 29日の第1分科会後に記者会見した副主査の小野元之氏(元文部科学事務次官)は「道徳を教科としてしっかり教えるべきだ、ということでおおむね(分科会の)合意が得られた」と述べた。「授業時間数を増やそうということではない」(小野氏)が、高校でも教科にすることを想定しているという。

 また、主査の白石真澄氏(東洋大教授)は、成績評価の対象になるかどうかについて「議論していない」としながらも、「教科になるということは、いま絶対評価で1~5と成績がついているので将来的には成績判定がなされると思う」と語った。ただ、白石氏は「戦前の修身のように先祖返りするのではなく、人としてどのように生きるか、他人をどう思いやるか。命あるものを尊重すること(を教えること)で環境教育にもつながる。全体主義になったり、右になったりするわけではない」と強調した。

 一方、再生会議を担当する山谷えり子首相補佐官は、成績評価について「(徳育は)知識だけでなく、心のありようなので、1~5で評価できるかどうかは今後、十分議論されていくだろう」と述べるにとどめた。

 文科省教育課程課によると、現在の学習指導要領上の「教科」は原則として評価の対象になっているが、必ず対象になるとは決まっていない。

 再生会議が徳育を教科に格上げするのは「道徳の時間は取られているが、きっちり行われているかというと、先生方も熱心でない方もいるし、教材も充実していない」(小野氏)との現状認識からだ。現在は教育委員会が刊行した読み物資料などが使用されているが、小野氏は「教科にするメリットは、教科書をきちんとつくって規範意識や道徳心、規律を教えていくこと」と述べている。

 私立校関与、与党が条件付きで了承 教育関連3法案(『朝日新聞』2007年03月29日)

 自民、公明両党は29日、教育関連3法案を了承した。このうち地方教育行政法改正案をめぐっては、教育委員会による私立学校への関与について「教委が知事に助言または援助を行う際、私立学校の自主性を尊重する」、文部科学相による教委への関与について「指示することが必要な緊急時には、首長も教委に支援等を行うことが必要」との2点を国会答弁などで確認することを条件に了承した。

 これを受けて政府は30日に同改正案と学校教育法改正案を閣議決定し、すでに閣議決定した教員免許法改正案と合わせて同日中に3法案を国会に提出する。

 地教行法改正案では、教委が私立学校の運営に関与できるように「知事が必要と認めるときは教委に助言・援助を求めることができる」との文言が盛り込まれた。これに対し、公明党が「私立学校の自主性が損なわれかねない」と懸念を示したため、「知事は私立学校と協議し、教委は私立学校の自主性を尊重する」ことを(1)国会での文科相答弁(2)法案の付帯決議(3)改正法の施行通達――の3段階で確認するとの条件をつけた。

 また、同改正案では、いじめなど児童・生徒の生命、身体の保護のため緊急の場合に限って「文科相が教委に指示ができる」との文言も盛り込まれた。これに対し、公明党が地方分権を重視し、「文科相が指示を出す時には、任命権者の首長も同様に指示を出せるようにすべきだ」と主張した。だが、自民党が難色を示し、首長について「支援等を行うことが必要」との文言を、私立学校の自主性と同様に国会答弁などで確認することで折り合った。

 同改正案はこのほか、教育委員に保護者を入れることや、教委が自らの事務の執行状況を毎年評価して公表することを義務づける。

 学校教育法改正案は、昨年改正された教育基本法を踏まえ、義務教育の目標に「我が国と郷土を愛する態度」などを盛り込んだ。教員免許法改正案は、現在は一生有効な免許の有効期間を10年とし、講習を受けないと失効する教員免許更新制を09年度から導入する。

 教育関連2法案を閣議決定 今国会で3法の成立目指す(『朝日新聞』2007年03月30日)

 政府は30日の閣議で、教育関連3法案のうち地方教育行政法と学校教育法の改正案を閣議決定した。既に決定している教員免許法の改正案と一括して、同日国会に提出した。

 地方教育行政法の改正案では、緊急に児童生徒の生命・身体を保護する必要がある場合に文部科学相が教育委員会に指示できるほか、教育を受ける権利が侵害されている場合には地方自治法に基づく是正の要求をする、などと規定している。

 学校教育法の改正案では、改正教育基本法を受けて「義務教育の目標」を設けたほか、副校長、主幹教諭、指導教諭などの職を学校におくことができる、としている。

 3法案が閣議決定されたことについて、伊吹文部科学相は会見で「やっと関所の入り口にたどりついた。これから国会終了まで全力を尽くしたい」と語った。

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沖縄戦集団自決にナンセンスな検定意見がついた

 3月30日、今年度の教科書検定結果が明らかになった。その中で、従軍慰安婦記述に検定意見がつかなかったのに対して、沖縄戦での住民の集団自決事件に日本軍の関与・強制を指摘する表現に検定意見がつき、指摘を受けた教科書会社はそれぞれ修正した。

 「文科省は、判断基準を変えた理由を(1)「軍の命令があった」とする資料と否定する資料の双方がある(2)慶良間諸島で自決を命じたと言われてきた元軍人やその遺族が05年、名誉棄損を訴えて訴訟を起こしている(3)近年の研究は、命令の有無より住民の精神状況が重視されている――などの状況からと説明する」。どうやら文科省は、(2)の訴訟を起こしたことを過大視しているようだ。この裁判では、「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝氏らが訴えを起こした元守備隊長側に立って、軍の集団自決命令は補償金目当てのでっち上げとする説を唱えるなどしている。しかし、最近アメリカで見つかった資料では、慶良間諸島に上陸したアメリカ軍が、上陸からまもなく、住民から、日本軍人から住民に集団自決命令があったという聞き取ったという記録がある。それに、米軍上陸前に日本軍が集団自決用に手榴弾を渡している。その他、米軍の捕虜になるな、などの話を日本兵から言われていたという証言もある。

 藤岡信勝氏は、従軍慰安婦問題でも、当時の公娼制度と軍慰安所と現代の風俗業、他の国の軍隊の慰安制度などと安易に同一視したり、いい加減な基準で安易に比較しているが、そのやり口は、この問題でも同じである。

 彼らは、自分の考えを証明するようなことを言う者の証言は黙って信じるが、反対のことを言う証人には、金目当てだの詐欺師だのと悪罵を平然と投げつける。一つの証言の誤りがあれば、他の証言も誤りだと決めつける。自分は、平気でいい加減なことを言うが、反対者のささいなミスやいい加減さ、記憶不足などは徹底的に厳しく追及する。まさにエゴイストの態度である。それを恥とも感じないという反「修身!?」性・・・。

 『産経』は、沖縄戦の旧日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする記述を誤りだとしてして、この検定方針を評価している。あげられているのは、「渡嘉敷島の集団自決について作家の曽野綾子さんが、昭和40年代半ばに現地で詳しく取材し、著書『ある神話の背景』で疑問を示したのをはじめ、遺族年金を受け取るための偽証が基になったこと」であり、それによって「軍命令説は否定されている」と断定している。しかし、これが無理な断定であることは、上記のことからも明らかである。

 曾野綾子氏には、独特の人間観があって、一方では人間性を神に近いものとして評価するが、他方では弱いものとして批判的に視るという二面性でとらえるのである。前者には、神父やマザー・テレサなどの「聖人」的な人間性があり、他方にはルワンダで隣人を虐殺する低い人間性もあるというのである。それは、曾野氏に、すでに基本図式として固く根を下ろしている信念である。集団自決・あるいは慶良間諸島での戦闘中の出来事についての証言は、それら両面を含んでいることが、ウィキペディアにある証言にも現れている。個別具体的に見ていけば、それぞれのケースは多様な側面を持っているのがわかる。しかし、集団的現象としてのレベルで見ると、やはり神軍・皇軍とされた日本軍が、皇民化教育や「戦陣訓」などの教育の中で、神聖視され、その言うことが絶対と信じ込まされていた情況がある中での集団自決という出来事であったことは明らかである。だから、曾野氏は、「戦後の国民に対する補償を定めた「戦傷病者戦没者遺族等援護法」では民間人は年金や弔慰金の適用外であったため(救済対象を「軍協力者」に限定している)、軍命令により自決したとすることで「準軍属」扱いになり、遺族や負傷者に年金・弔慰金が受け取れるようにしたということであったとしているのだが、そこには、実は、集団自決という悲劇の被害者たちに対する周りの善意と思いやりがあって、なんとか苦しんでいる島民に救いの手をさしのべるための方便として、一つの神話が作られたということであって、もしそれを赤松元守備隊長がいったん受け入れたのなら、あの世まで持っていくのが、皇軍将校たるものの当然の倫理というものだろう。結局、そうしなかったということは、自分たちがうそをついてまで守ろうとした人々を裏切り、その名誉を汚したことになる。しかし、そういう次元の話とは別に、「2007年1月15日の沖縄タイムスに『「集団自決」早期認定/国、当初から実態把握 座間味村資料で判明/「捏造説」根拠覆す』との記事」が出たことで、それも覆りそうなのである。

 こうしたわけで、文科省が上げた定説が変わったとする理由もまた、さらにひっくりがえりそうなのである。

 また、「作家の大江健三郎氏の『沖縄ノート』などには、座間味島や渡嘉敷島での集団自決が、それぞれの島の守備隊長が命じたことにより行われたとする記述があり、元守備隊長や遺族らが、誤った記述で名誉を傷つけられたとして訴訟も起こしている」ということからは、現在この問題について係争中だと言うだけだし、元守備隊長らの主張が、軍の集団自決強制を証言する住民らの証言の信憑性をくずしたことにはならない。元守備隊長の証言のみを一方的に信用すべき理由はない。

 『産経』は、「軍命令説は、信憑(しんぴょう)性を失っているにもかかわらず、独り歩きを続け、高校だけでなく中学校の教科書にも掲載されている」のは問題だったと述べているが、軍命令説の信憑性が失われているとする判断は、今のところ、『産経』『読売』をはじめとする一部の意見にすぎない。とくに、メディア・リテラシーが叫ばれる現在、『産経』『読売』だろうと、その主張を鵜呑みにするわけにはいかないのである。以下のウィキペディアからの引用でも、藤岡信勝ら否定派の見解が怪しいものであることは明らかである。『産経』『読売』の日本軍が沖縄戦集団自決への関与否定論は、論破されつつあるのだ。

 他方で、従軍慰安婦問題については検定意見がつかなかった。『産経』は無視し、『読売』は、何らかの政治的情勢に影響された可能性を指摘しているが、いずれにしても、文科省は、今アメリカ議会で、従軍慰安婦問題決議が議論されている中で、国際的にナーバスな問題となっている従軍慰安婦問題について、なんらかの政治判断をした可能性がある。沖縄戦の集団自決問題では、そういう国際政治への判断が必要ないので、あっさりと検定意見をつけたのではないだろうか?

 沖縄戦集団自決を否定する『産経』『読売』は、もともと占領期にアメリカの「スパイ」として「売国」を行ってきた新聞であり、アメリカの太鼓持ちという基本体質は、今も変わっていない。かれらのアメリカ批判は口先だけなのである。これらのメディアの愛国心は、アメリカあっての日本、日米一体の中の日本を愛するというアメリカ愛とセットになっているのである。だから、『産経』『読売』が愛国心を強調すればするほどうさんくさく感じるのである。

 ウィキペディア「沖縄戦」項目からの引用

 [編集] 『虐殺否定派の意見』

 軍の命令及び強制があったかどうかは不明瞭であるとし、日本国内では前述の「証言」を疑問視する者もいる。たとえば座間味島の集団自決で生き残った宮城初枝によれば、そこでの集団自決は島民の申し出であったという。また、渡嘉敷島では陸軍海上挺進隊第三戦隊長で指揮官だった赤松嘉次大尉が、3月28日に西山にて住民に自決を命じたために329人が死亡したと言われていた。これは1950年に出版された『鉄の暴風』(沖縄タイムス)によって初めて紹介され、大江健三郎の『沖縄ノート』(岩波書店)にも同様の記述がなされている。だが、この逸話に疑問を持った曽野綾子は自ら行った取材を元に『ある神話の背景』を1973年に刊行した。それによると、戦後の国民に対する補償を定めた「戦傷病者戦没者遺族等援護法」では民間人は年金や弔慰金の適用外であったため(救済対象を「軍協力者」に限定している)、軍命令により自決したとすることで「準軍属」扱いになり、遺族や負傷者に年金・弔慰金が受け取れるようにしたということであった。その後、赤松大尉の遺族は大江と岩波書店に損害賠償を請求している。2006年には、戦後の琉球政府の旧軍人軍属資格審査委員会委員(軍人・軍属や遺族の援護業務)であった人物が、遺族・年金を受給するために赤松大尉が自決を命令したことに書類等を偽装したと認めた(産経新聞 2006年8月27日付)。一方で、2006年10月3日に日本兵が住民に対する集団自決を命令した事を示す発生直後の住民証言を記録した1945年4月3日付の「慶良間列島作戦報告」がアメリカで見つかったと沖縄タイムスで報じられた。なお、『ある神話の背景』の内容については『鉄の暴風』の著者である太田良博と曽野との間で論争となっている。さらに、2007年1月15日の沖縄タイムスに『「集団自決」早期認定/国、当初から実態把握 座間味村資料で判明/「捏造説」根拠覆す』との記事が掲載された。座間味村役所の「戦闘協力該当予定者名簿」および「戦協該当者名簿」と厚生省から返還された県の記録を照合したものによれば、座間味村の認定は最短3週間、平均3ヶ月で認定されており、琉球政府援護課の元職員は「本島に先駆け、慶良間諸島の被害調査を実施した。厚生省(当時)も人々を救おうとの熱意を感じた」との証言も合わせて掲載し、『一部マスコミなどによる、補償申請が認定されにくいため「『軍命』が捏造された」という主張の根拠がない』と報じた。

 慶良間では元々乏しかった食糧を日本軍に独占されたため住民や末端の兵士が飢餓に陥り、追い詰められて集団自殺を決行したとの指摘もある(守備隊長の赤松大尉は8月末に降伏して捕虜となったが、アメリカ軍の取り調べに対し「(食糧は)あと3年はもった」と豪語していたという)。[要出典]

 また、ひめゆり学徒の証言の中には「兵士に手榴弾を渡されたが死にきれなかった」「青酸カリを飲むよう言われたが量が足りなかったため飲まずにすんだ」「攻撃に行って反撃を受けた兵士が民間人の避難していた場所に逃げ込んできたため猛攻を受けてほぼ全滅した」「『おまえたちが沖縄を守るのだ』と初年兵らを集めて囮に使い、兵隊たちはその隙に逃げた」というものもある。しかし、同じひめゆり学徒の証言の中には「『まだ若いのだから無駄死にすることはない』と逃がしてくれた」「突然『出ていけ、叩っ切るぞ!』と軍刀を振り回して追い出されたが、その直後に兵隊だけが手榴弾で自決した」というものもある。

 【主張】沖縄戦 新検定方針を評価したい(2007/03/31『産経』)

 来春から使われる高校教科書の検定結果が公表され、第二次大戦末期の沖縄戦で旧日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする誤った記述に初めて検定意見がつき、修正が行われた。新たな検定方針を評価したい。

 集団自決の軍命令説は、昭和25年に発刊された沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』に記され、その後の刊行物に孫引きされる形で広がった。

 しかし、渡嘉敷島の集団自決について作家の曽野綾子さんが、昭和40年代半ばに現地で詳しく取材し、著書『ある神話の背景』で疑問を示したのをはじめ、遺族年金を受け取るための偽証が基になったことが分かり、軍命令説は否定されている。

 作家の大江健三郎氏の『沖縄ノート』などには、座間味島や渡嘉敷島での集団自決が、それぞれの島の守備隊長が命じたことにより行われたとする記述があり、元守備隊長や遺族らが、誤った記述で名誉を傷つけられたとして訴訟も起こしている。

 軍命令説は、信憑(しんぴょう)性を失っているにもかかわらず、独り歩きを続け、高校だけでなく中学校の教科書にも掲載されている。今回の検定で「沖縄戦の実態について誤解するおそれがある」と検定意見がつけられたのは、むしろ遅すぎたほどだ。

 沖縄戦を含め、領土、靖国問題、自衛隊イラク派遣、ジェンダー(性差)などについても、一方的な記述には検定意見がついた。検定が本来の機能を果たしつつあると思われる。

 前進ではあるが、教科書にはまだまだ不確かな証言に基づく記述や信憑性の薄い数字が多いのも事実だ。

 例えば南京事件の犠牲者数は誇大な数字が書かれている。最近の実証的研究で「10万~20万人虐殺」説はほとんど否定されており、検定では諸説に十分配慮するよう求めている。

 その結果、「数万人」説を書き加えた教科書もあるが、相変わらず「30万人」という中国側が宣伝している数字を記述している教科書はある。

 子供たちが使う教科書に、不確かな記述や数字を載せるのは有害でしかない。教科書執筆者、出版社には、歴史を楽しく学び、好きになれる教科書づくりはむろんだが、なによりも実証に基づく正確な記述を求めたい。

 3月31日付・読売社説(1)
 [教科書検定]「歴史上の論争点は公正に記せ」

 諸説ある史実は断定的には書かない、誤解を招くような表記は避ける。文部科学省が求めたのは、そんな当たり前の教科書記述だったと言える。

 来年春から高校で使われる教科書の検定結果が公表された。

 終戦の年の1945年、沖縄戦のさ中に起きた「集団自決」をめぐる記述が一つの焦点になった。

 日本史教科書を申請した発行社6社のうち5社の記述に、それぞれ「沖縄戦の実態が誤解されるおそれがある」との検定意見がついた。「集団自決」について、「日本軍が追い込んだ」「日本軍に強制された」などと表記していた。

 「日本軍が」の主語を削り、「集団自決に追い込まれた人々もいた」などと修正することで結局、検定はパスした。

 今回、文科省が着目したのは「近年の状況の変化」だったという。

 70年代以降、軍命令の存在を否定する著作物や証言が増えた。一昨年には、大江健三郎氏の著書に命令した本人として取り上げられた元将校らが、大江氏らを相手に名誉棄損訴訟を起こしている。

 生徒が誤解するおそれのある表現は避ける、と規定した検定基準に則して、今回の検定から修正要請に踏み切った。妥当な対応だったと言えよう。

 ただ、昨年度検定の高校教科書などには、こうした表記が残っている。文科省は速やかに修正を求めるべきだ。

 「南京事件」は7社が日本史、世界史で取り上げた。うち4社の犠牲者数について、「諸説を十分に配慮していない」との意見が付いた。

 「10数万人」「20万人以上」「中国側は30万人、という見解」――。一方に「1~2万人」や「4万人」といった学説がある中で、各社の記述は数字の大きな犠牲者数に偏っていた。

 「例年、検定意見が付くとわかりながら、大きな犠牲者数のみを書いてくる発行社がある。ゲーム感覚なのか」と文科省。とても教科書作りの場にふさわしい姿勢とは言えない。

 「従軍慰安婦」をめぐる記述は6社が取り上げたが、検定意見は一つも付かなかった。昨年までは、日本軍が慰安婦を強制連行した、といった記述に「誤解を招く」などの意見が付いていた。

 発行社側が意見の趣旨を理解したことの表れなのかどうか、注視したい。

 一方で、最近の慰安婦問題をめぐる国内外の論争が、今後の検定に微妙な影響を及ぼすことを懸念する声がある。

 政治や外交などに翻弄(ほんろう)されることなく、客観的で公正な記述の教科書を、学校現場に届けたいものだ。

 集団自決―軍は無関係というのか(『朝日新聞』社説3月31日)

 高校生が使う日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」が軒並み修正を求められた。

 「日本軍に強いられた」という趣旨の記述に対し、文部科学省が「軍が命令したかどうかは、明らかとは言えない」と待ったをかけたのだ。

 教科書の内容は次のように変わった。

 日本軍に「集団自決」を強いられた→追いつめられて「集団自決」した

 日本軍に集団自決を強制された人もいた→集団自決に追い込まれた人々もいた

 肉親が殺し合う集団自決が主に起きたのは、米軍が最初に上陸した慶良間諸島だ。犠牲者は数百人にのぼる。

 軍の関与が削られた結果、住民にも捕虜になることを許さず、自決を強いた軍国主義の異常さが消えてしまう。それは歴史をゆがめることにならないか。

 この検定には大きな疑問がある。

 ひとつは、なぜ、今になって日本軍の関与を削らせたのか、ということだ。前回の05年度検定までは、同じような表現があったのに問題にしてこなかった。

 文科省は検定基準を変えた理由として「状況の変化」を挙げる。だが、具体的な変化で目立つのは、自決を命じたとされてきた元守備隊長らが05年、命令していないとして起こした訴訟ぐらいだ。

 その程度の変化をよりどころに、教科書を書きかえさせたとすれば、あまりにも乱暴ではないか。

 そもそも教科書の執筆者らは「集団自決はすべて軍に強いられた」と言っているわけではない。そうした事例もある、と書いているにすぎない。

 「沖縄県史」や「渡嘉敷村史」をひもとけば、自決用の手投げ弾を渡されるなど、自決を強いられたとしか読めない数々の住民の体験が紹介されている。その生々しい体験を文科省は否定するのか。それが二つ目の疑問だ。

 当時、渡嘉敷村役場で兵事主任を務めていた富山真順さん(故人)は88年、朝日新聞に対し、自決命令の実態を次のように語っている。

 富山さんは軍の命令で、非戦闘員の少年と役場職員の20人余りを集めた。下士官が1人に2個ずつ手投げ弾を配り、「敵に遭遇したら、1個で攻撃せよ。捕虜となる恐れがあるときは、残る1個で自決せよ」と命じた。集団自決が起きたのは、その1週間後だった。

 沖縄キリスト教短大の学長を務めた金城重明さん(78)は生き証人だ。手投げ弾が配られる現場に居合わせた。金城さんまで手投げ弾は回ってこず、母と妹、弟に手をかけて命を奪った。「軍隊が非戦闘員に武器を手渡すのは、自決命令を現実化したものだ」と語る。

 旧日本軍の慰安婦について、安倍政権には、軍とのかかわりを極力少なく見せようという動きがある。今回の文科省の検定方針も軌を一にしていないか。

 国民にとってつらい歴史でも、目をそむけない。将来を担う子どもたちにきちんと教えるのが教育である。
 
 沖縄戦集団自決「強制」記述に修正意見 教科書検定(『朝日新聞』2007年03月30日)

 文部科学省が30日公表した06年度の教科書検定で、地理歴史・公民では、沖縄戦の集団自決をめぐって、「日本軍に強いられた」という内容に対し修正を求める意見が初めてついたことが分かった。強制性を否定する資料や証言を根拠に、従来の判断基準を変えたためだ。イラク戦争や靖国参拝など外交や政治にかかわる問題では、政府見解に沿う記述を求めるこの数年の傾向が今回も続いた。

 今回の対象は、高校中学年(主に2、3年で使用)の教科書。224点が申請され、検定意見を受けて各出版社が修正したうえで222点が合格。不合格の2点は、いずれも生物2だった。

 地歴公民のうち日本史では、沖縄戦の集団自決に関して「日本軍に強いられた」という趣旨を書いた7点すべてが「命令したかどうかは明らかと言えない」と指摘され、各社は「集団自決に追い込まれた」などと修正した。日本史の教科書は昨年も申請できたが、その際にはこうした意見はつかなかった。

 文科省は、判断基準を変えた理由を(1)「軍の命令があった」とする資料と否定する資料の双方がある(2)慶良間諸島で自決を命じたと言われてきた元軍人やその遺族が05年、名誉棄損を訴えて訴訟を起こしている(3)近年の研究は、命令の有無より住民の精神状況が重視されている――などの状況からと説明する。昨年合格した出版社には、判断が変わった旨は知らせるが、すぐに修正を求めることはしない方針だ。

 地歴公民では、他にも時事問題で政府見解に沿った意見がついた。その結果、イラク戦争では、「米英軍のイラク侵攻」が「イラク攻撃」に、自衛隊が派遣された時期は「戦時中」から「主要な戦闘終結後も武力衝突がつづく」に変わった。首相の靖国参拝をめぐる裁判では、「合憲とする判決はない」という記述に「私的参拝と区別する必要がある」と意見がつき、「公式参拝を合憲とする判決はない」となった。

 南京大虐殺では今回も、「犠牲者数について、諸説を十分に配慮していない」との意見が日本史5点についた。一方、政治・外交問題となり、中学の教科書からはなくなった「従軍慰安婦」(「慰安婦」「慰安施設」を含む)の問題は16点で取りあげられたが、意見は一つもつかなかった

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JR20年の失敗を成功とする転倒

 国鉄分割民営化から4月1日で20年を迎えるにあたって、『日経新聞』は、「分割民営化の真価示したJR20年」という社説を載せている。私は、国鉄分割民営化は、失敗したと考えている。だから、この社説は、転倒した評価を下していると思う。そうなるのは、この社説が、鉄道経営を利潤企業面に一面化して評価しているせいである。それは『日経』の企業体質であり、だからこそ、自己利害の追求に走って、企業を金儲けの手段として、違法行為を犯す社員を生み出したのだが、それは体質にまでなっているので、未だに基本的に直っていないのである。そういう偏った目で、国鉄分割民営化からの20年を評価しているのである。事態を正しく評価するには、もっと総合的に評価する目がいるのだが、そうした視点やそのような教育・訓練などを行っていないようだ。

 この社説は、JR末期には、毎年1・5兆円赤字を垂れ流し、ストライキも頻発したが、JR各社は、収益力も乗客へのサービス水準も大幅に向上したという。赤字垂れ流しだのスト頻発だのというのは、国家独占企業ゆえといいたいらしい。赤字垂れ流しになったのは、政府ー運輸省の責任である。ストライキ頻発は、ストは労働者の労働権行使であるから、非難される筋合いはない。もちろん、文句を言うのは勝手だが、それだけのことだ。

  JRになってから収益力が上がったのは確かである。しかし乗客へのサービス水準が大幅に向上したというのは誤りである。最大のサービスたる安全が、脅かされ、JR福知山線事故では、大勢の乗客の命が失われたのである。その他、安全サービスが悪化している例は、東京山手線などでの線路陥没事故による運休その他、いろいろある。だいたい、ホームに駅員がいないことが多いというだけでも、安全その他のサービス悪化であることは明らかだ。なにかの事故で、列車内に閉じこめられて、なんの説明もなく、乗客が放置されたという話が報道されている。

 『日経』が、国鉄=悪、分割民営化=善という改善図式を示したいために、こうした単純化・一面化をしていることは明らかで、それによって、このような図式を一般に広めようとしているわけである。この善なる例を「今後民営化が予定される日本郵政公社や政府系金融機関なども、JRの先例に倣い、民営化の実を上げることを期待したい」として、他にも広めたいのである。

 『日経』は、何が民営化のいいところだというのだろうか? それは、何よりも経営の自主性があることだという。新線建設への政治介入が日常茶飯事だった。賃上げ交渉も公共企業体等労働委員会が裁定した。民営化は「組織に自由と規律を埋め込んだ」という。

 ところが、実際には、新線建設は、やはり政治介入によって決定され、九州新幹線や北陸新幹線など、採算がとれるかどうか危ぶまれている路線も建設が政治決定された。

 「同時に政治家や官僚の意向ばかりを気にする体質から、顧客(乗客)の満足度向上を優先する企業文化に切り替わった」というのも、寝言である。JR東海の葛西をはじめ、JR各社のトップは、政府系などの諮問会議の類のメンバーに名を連ね、官僚・政治家とよしみを通じ、その顔色を見ているが、顧客満足度向上を優先などしていない。この例として「スイカ」を上げたのは、不適切である。「スイカ」は、同じ目的地に行くのにも複数のルートで複数の運賃が発生する状態のままの見切り発車である。損しても自己責任だという話であり、顧客満足度を向上させるものとは言い切れない。スイカ程度のことは、国鉄のままでもできたことだ。それを、無理矢理民営化の成果とするのは、誤りである。

 次に、分割化の成果として、「JR東海は主力の東海道新幹線の高速化に取り組み、JR東日本は混雑緩和をめざして中央線などの増発を進めた」という二点をあげている。これだけでは、これらが分割民営化の成果とはいえないことは誰が考えてもわかることである。新幹線の高速化は、JR東日本でも、JR西日本でもやっていることで、むしろ、各会社ごとにばらばらに技術投資・技術開発を進めていると不効率ではないかという疑問がある。最近の民間企業の合併や提携などの動きの理由に、巨額の技術投資の必要があげられているからである。技術向上のための企業合併が行われているのに、逆に企業分割して小さくしてしまって、技術が向上するのだろうかということだ。

 「JR北海道はレール軌道と道路の両方を走行できるデュアル・モード・ビークルという新型車両の実用化を進め、ローカル線生き残りの切り札にしようとしている。中央集権的な全国1社体制では難しい地域密着の取り組みが、創意工夫を生み、各社の経営を活性化している」というのだが、このような試みは、「中央集権的な全国1社体制」でできないことだろうか? 説得力が小さいと思う。

 最後に社説は、「JRに今後残された課題は2つある。1つはJR北海道・四国・九州のいわゆる三島会社の経営は、税制面の特例や経営安定基金など公的な助成に頼る部分が依然として大きいことだ。さらなる合理化を進め、いずれ独り立ちする展望を示してほしい。もう1つは安全の確保だ」と課題を上げている。1042人の国鉄闘争団の存在は完全に無視され、課題にあがっていない。すでに解決済みと考えているなら、それは大きな誤りである。不当労働行為ということは労働委員会で認定されており、裁判でも認定されている。このことについて、JR各社が責任を果たすことが残されている。それは、安全サービスの向上や技術の安定継承などの、JRが抱える課題の解決にも資するものである。この問題の解決に向けた社会的圧力をJRに加えていく必要がある。この問題が解決しない限り、国鉄分割民営化は成功したとはとうてい言えないし、企業としての社会的責任を果たしたことにならないのである。

 私は、国鉄分割民営化は、JR福知山線脱線事故一つだけからも失敗だったと思う。それは、黒字化が何を犠牲にして達成されたかを如実に示しており、そのことは、分割民営化時の国労組合員に対して行った不当労働行為の始末をつけなかったことと同根の問題だと思うからである。人を大事にせずに、人を犠牲にした。仕事に誇りを持ち、鉄道の仕事を愛してきた1042人を切り捨ててきたJRの姿勢こそが、信楽高原鉄道事故やJR福知山線脱線事故その他の大事故を生み出したと思う。JRは分割民営化されたとはいえ、大都市部の一部の私鉄などと競合する地域を除けば、地域独占企業であり、それは原発事故隠しが露見した電力会社と同じである。ここで、『日経』や3月30日付『毎日新聞』の「記者の目」のように、甘い評価を下せば、JRの傲慢さやゆるみを助長してしまう危険がある。『日経』は最後に安全第一を、『毎日』記事は、傲慢にならないように釘をさしてはいるが、全体のトーンは、分割民営化の成果を評価するものとなっている。JRには解決すべき課題を誠実に解決するように強いプレッシャーを社会がかけ続ける必要があると考える。

社説1 分割民営化の真価示したJR20年(『日経新聞』3/30)

 旧国鉄が民営化され、JR各社が発足して4月1日で20年の節目を迎える。末期は毎年1.5兆円の赤字を垂れ流し、ストライキも頻発した旧国鉄に比べ、今のJR各社は収益力も乗客へのサービス水準も大幅に向上した。今後民営化が予定される日本郵政公社や政府系金融機関なども、JRの先例に倣い、民営化の実を上げることを期待したい。

 国鉄とJRの最大の違いは、経営の自主性の有無だ。以前は新線建設への政治介入が日常茶飯事だった。毎春の賃上げ交渉でも国鉄当局に当事者能力はなく、事実上は公共企業体等労働委員会が裁定した。

 民営化はこうした自主経営の阻害要因を取り払い、組織に自由と規律を埋め込んだ。同時に政治家や官僚の意向ばかりを気にする体質から、顧客(乗客)の満足度向上を優先する企業文化に切り替わった。JR東日本が私鉄各社に先んじて、小銭のいらないICカード乗車券の「スイカ」を実用化したのは、JRの体質転換の大きな成果だろう。

 もう一つは分割により、会社の特性に合った、メリハリある経営を実現したことだ。JR東海は主力の東海道新幹線の高速化に取り組み、JR東日本は混雑緩和をめざして中央線などの増発を進めた。

 JR北海道はレール軌道と道路の両方を走行できるデュアル・モード・ビークルという新型車両の実用化を進め、ローカル線生き残りの切り札にしようとしている。中央集権的な全国1社体制では難しい地域密着の取り組みが、創意工夫を生み、各社の経営を活性化している。

 巨大すぎる組織は動きが鈍い。民営化と分割のセットで成功した国鉄改革の教訓は、郵政公社など他の民営化案件にとっても示唆するところは大きいだろう。

 さらに、政府からの独立と自主経営の確立も民営化の成功には欠かせぬ要件だ。その点で、政府が新たな高速道路の建設決定権を事実上、握ったままの日本道路公団の民営化は、国鉄改革ほど徹底しておらず、やはり疑問が残る。

 JRに今後残された課題は2つある。1つはJR北海道・四国・九州のいわゆる三島会社の経営は、税制面の特例や経営安定基金など公的な助成に頼る部分が依然として大きいことだ。さらなる合理化を進め、いずれ独り立ちする展望を示してほしい。もう1つは安全の確保だ。一昨年のJR西日本・福知山線の脱線事故は大きな悲劇だった。「安全第一」は今も昔も変わらない鉄道会社の原点である。

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