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憲法記念日によせて

 今日は、憲法記念日である。日本国憲法施行60年の節目の年とあって、大手新聞各紙は、社説でこぞって憲法問題について書いている。

 『毎日新聞』の4月28日、29日の電話世論調査によれば、改憲賛成51%、反対19%だったという。同紙は、「「世論調査に表れた国民の憲法意識は近年「憲法改正は賛成が多く、9条改正には反対が多い」傾向が続いている」と分析するが、『読売新聞』『沖縄タイムス』『北海道新聞』などの世論調査結果では、改憲賛成の減少傾向と憲法改正反対の増加傾向が表れている。直近の『毎日新聞』の調査が、それと逆の結果を示したのはなぜか? とはいえ、世論調査というのは、大方はあくまでも参考程度のものと見た方が間違いがないだろう。

 『毎日新聞』は、9条改正問題についても質問しているが、新しく質問項目を細かく分けるようにしたという。質問の仕方によって、回答が変わってくるのは自明のことである。回答から、「分からない」をはずしたことで、迷っている、なんとなく、などの、消極的態度を排除してしまった。『毎日』自身は、5月3日付社説で、安部総理の持論である「押しつけ憲法」からの解放すなわち「戦後レジュームからの脱却」論を「あまりに観念過剰で書生論じみている」と批判し、「私たちは「論憲」を掲げ憲法の総点検を行ってきた。憲法に不都合があれば改憲も否定しないという立場だが、結論を急ぐ必要はない」という立場であることを明らかにしている。

 『朝日新聞』『北海道新聞』の憲法世論調査結果から、改憲賛成派の多くは、環境権などの新たな人権の項目を加えることを望んでおり、9条改憲を求める意見は少数である。要するに、加憲であり、時代の変化に合わせて、人権・権利拡大を求めているのである。

 しかし、こうした人々の多数世論とは違って、改憲派の中心テーマは、9条改憲である。そのことは、『読売』『産経』両社説で明確に主張されている。自民党新憲法草案もそうである。9条は大きく変えられているが、その他の条文については、大きな変化はない。もっとも、国民の権利については制限を加えられ、前文では「愛国心」という心の強制が盛り込まれている。もっとも、とにかく9条改憲がポイントだから、他の項目については、当初案からは大幅に後退し、現憲法に近いものになっている。「

 『読売』は、「憲法改正の核心は、やはり9条にある」として、「北朝鮮の核兵器開発や中国の軍事大国化による日本の安全保障環境の悪化や、イラク情勢など国際社会の不安定化に対し、現在の9条のままでは、万全の対応ができない。日本の国益にそぐわないことは明らかだ」と述べる。

 そして、日米同盟のために、集団的自衛権行使ができるようにしなければならないと主張する。『読売』は、9条によって制約されているという認識を示しつつも、9条改憲を待っていられないと言う。

 『産経』も「集団的自衛権は行使を含めて認められると考えるべきである。日米安保体制も、それを前提に構築されている。憲法条文上、あいまいさがあるとするなら、まさに改正により明確にすべきポイントといえる」と9条改憲の必要を訴える。

 当初、吉田茂首相は、9条が自衛権をも否定しているとする見解を示していたが、朝鮮戦争勃発で、アメリカから日本の再軍備を求められるや、自衛権を否定するものではないと見解を修正し、アメリカ側の態度変化を追い風に、岸首相は、自主憲法制定・9改憲を目論んだ。しかし、左右社会党合同した日本社会党など護憲派が国会で3分の1を超えるやそれが難しいと判断し、日米安保条約改定によって、集団的自衛権行使を明記するという無茶をやった。それ以来、憲法9条と日米安保条約の集団的自衛権行使規定の間の矛盾が、冷戦状況をも反映しながら、日本の左右両派の大きな対立点となって、政治を二分してきたのであった。

 改憲問題が、これまで、タブーのようになったのは、改憲イコール参戦を意味したからである。ところが、1991年湾岸戦争において、国際社会が一致して、国連安保理決議による国際法上、合法的な多国籍軍による戦争ということが起きた。それまでは、米ソ冷戦を背景として、地域戦争・内戦などに米ソが介入する形の戦争が多く、それらは国連安保理で、どちらかの拒否権行使によって、国際社会が一致することのない戦争であった。

 一方にくみすれば、他方からの攻撃を受ける可能性があり、戦争に「まきこまれる」可能性があった。したがって、非武装中立という選択肢が一定の支持を受けたのである。

 それが、湾岸戦争で変わったというわけである。国連安保理決議に基づく多国籍軍による戦争に、日本は、金を出すだけでいいのかというわけだ。アメリカは、自衛隊を出して、血を流せと求めるようになってきた。はっきりいって、ほとんど脅しのようなものだが、自民党ばかりではなく、野党までが、こうしたアメリカの脅しに屈しながら、それを誤魔化して、これからは、積極的な国際貢献が必要だとして、その足かせになっているとして、9条改憲、手段的自衛権行使解禁に動く議員が増えたのである。

 しかし、湾岸戦争後の長い過程を経て、約10年後のイラク戦争においては、明確な武力行使容認の国連安保理決議がないまま、ブッシュ政権のフセイン憎しのアメリカのための戦争に有志連合が加わって、イラク全土を制圧する侵略戦争になった。2003年5月1日には、ブッシュ大統領は、勝利宣言をしたのだが、それから4年、米兵の死者は、3千数百人に達し、米軍を増派する中で、4月には、一ヶ月の米兵死者数が104人になった。有志連合からは次々と各国部隊が引き上げ、今やほとんど米軍だけが、イラクに駐留しているようなかっこうだ。

 『読売』は、9条が役に立たない理由の一つにイラクの治安情勢悪化に対応できないことをあげているのだが、これは、転倒した考えである。『東京新聞』社説でも指摘されているように、もし集団的自衛権行使ができ、自民党草案の9条3項の国際貢献任務の規定があったら、自衛隊は多国籍軍に参加して、イラクに駐留して、治安維持活動にも参加して、犠牲者を出していたかもしれない。イラクの治安情勢悪化に対応するというのが、何を意味しているのかよくわからないが、もし、米軍が「テロリスト」の攻撃によって苦戦しているということを想定しているのならば、今米軍を攻撃している勢力に対して、集団的自衛権を行使して、攻撃するという対応ができないという意味なのだろうか。

 『読売』は、「日本を守るために活動している米軍が攻撃されているのに、憲法解釈の制約から、近くにいる自衛隊が助けることができないのでは、同盟など成り立たない」というのだが、「日本を守る」ということが曖昧である。中東からの石油にほとんど依存している日本の産業や生活を守るためには、中東の石油の安定確保がかかせないので、そのような「日本を守る」ためにも米軍はイラクに大量長期駐留しているのだから、その米軍が攻撃されているのに、近くにいる自衛隊が助けることができないのでは、同盟関係など成り立たないというのである。

 もちろん、これは、東アジア有事のことを主に念頭に置いているのだろうが、陸上自衛隊は撤退したが、空軍の輸送支援部隊は今もイラクで活動しており、その主な輸送活動は、米軍向けであるということで、米軍の近くに自衛隊がいる状態でもあることを忘れてはならないのである。

 『読売』『産経』は、はっきりとアメリカの戦争に参戦しろと言っているのであり、安部総理もそういう考えである。

 『産経』は、「日本占領中の連合国側が、日本の弱体化を図った時代に、現憲法は生まれた。当時は、激しいインフレの中で労働争議が頻発し、社会は騒然としていた。悲惨な戦争の経験から、恒久平和を願う国民が、結果的にこの憲法を受け入れたのも事実だ」と一定の時代的背景から、戦争の反省と平和への願いから、現憲法を受け入れた事実を認めた上で、「しかし、時代は大きく変わった。新しい酒には新しい革袋が必要だ。そこへ自立した国家意思と国や国民を守る気概を込めることも欠かせない」。

 人々の恒久平和への意志は、「古い酒」で、「新しい酒」は、「自立した国家意志と国や国民を守る気概」という成分でできているらしい。つまりは、国家エゴという酒だ。

 『沖縄タイムス』社説は、「本紙が行った世論調査では、九条について「改正するべきでない」が二〇〇四年の40%から十六ポイント増えて56%になっている。逆に「改正すべきだ」が29%から24%に減った」という『毎日新聞』の先の世論調査とは逆の結果を示した上で、平和憲法体制への「復帰」後、「米軍基地の「本土並み」という約束がほごにされ、憲法三原則の一つである基本的人権も十分に守られなかった。平和主義だけでなく憲法そのものの理念にかなうものではなかったのである」と、憲法理念の実現が不十分であることを指摘する。さらに、米軍基地問題を抱える沖縄の特殊な現実を「日米安保条約が憲法の理念を踏みにじったのは明白で、それが暮らしの隅々に影を落とし県民を不安に陥れているのは間違いない」と指弾する。

 日米同盟によって、日本の平和が守られているとする『読売』『産経』に典型的な本土エゴによる日米同盟評価、集団的自衛権行使容認の主張と、沖縄のそれらへの受け止め方の違いがはっきりと示されているのである。

 『読売』『産経』は、こうした沖縄の苦悩を無視している。もちろん、政府も同様であり、文科省の先の教科書検定での沖縄戦での住民集団自決への軍関与を曖昧にする検定はそのことを明確に示している。この文科省検定に抗議する県民大会が来月9日に予定されている。

 『沖縄タイムス』社説は、「平和の理念揺るがすな」「九条」守るために声を」と9条改憲反対をはっきりと掲げている。今日も、反改憲派の集会やデモが各地で行われている。こうした反対派の声の高まりの中で、「自民党は2日、国民投票法案が今月中旬に成立する見通しになったのを受け、まず民主、公明両党や国民の賛成を得やすい環境権やプライバシー権の新設などの賛否を問う国民投票を行い、焦点の9条は後回しにする2段階改憲の検討を始めた」(『東京新聞』5月3日)という。沖縄県議会では、9条改憲賛成派と反対派は拮抗しており、加憲派が増えたという。夏の参議院選挙結果次第では、安部政権の基盤がさらに弱体化する可能性もある。先の衆議院選挙では、社共が善戦していることもあり、安部首相が憲法を強く争点化するとかえって、逆バネが働いて、社共がのびる可能性も考えられなくもない。

 現在の与党の改憲の狙いが9条改憲で戦争ができる国にすることにある以上、反戦派は、現在の改憲には反対せざるをえないし、それをしやすくするための国民投票法案にも反対せざるをえない。こうした改憲の垣根が低まったとする情勢を見てか、超党派の最保守議員グループ(自民党土屋や民主党松原仁や国民新党亀井や無所属平沼赳夫など)が、「新憲法制定促進委員会準備会」(座長・古屋圭司自民党衆院議員)を結成し、天皇元首化、国益条項、集団的自衛権行使、防衛軍創設などを盛り込んだ「新憲法大綱」を作成し、公表するという。憲法施行60年にあたって、3日安部首相は、改憲への強い意欲を表明した異例の総理談話を訪問先のエジプトのカイロから発した。

 かつて、岸総理の改憲の野望をうち砕き、退陣に追い込んだ反安保闘争の担い手たち、安保全学連世代を中心に始まった「9条改憲阻止の会」の反改憲運動などの闘いの正念場はこれからである。岸退陣後、後継首相となった池田は、改憲せずを公言し、以降歴代内閣は、憲法遵守を強調し、改憲を公言することがなくなった。そうさせたのは、民衆の平和を願う意志が国家意志として政権に押しつけられてきたからである。その制約から自由になろうという政権党の意志をくじくのは、民衆の闘いである。それは、まだまだこれからである。

『沖縄タイムス』社説(2007年5月3日)

[還暦迎えた憲法]

平和の理念揺るがすな

「九条」守るために声を

 「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」を基本原則とする憲法が施行されて満六十年を迎えた。

 各種の世論調査でも分かるように憲法を取り巻く環境は変化し、特に「新憲法制定」を公約に掲げる安倍晋三首相の登場で憲法の改正手続きを定める国民投票法案が衆院を通過するなど大きく様変わりした。

 だが、憲法の何を変え、何を残そうとしているのか。私たちは憲法をどう受け止め、暮らしの中で向き合ってきたのか。憲法記念日にあたり、もう一度考えてみたい。

 首相が目指す「戦後レジームからの脱却」は、「戦争放棄」「武力不保持」を打ち出した九条の改正と集団的自衛権の解釈変更を基軸にしている。

 しかし、本紙が行った世論調査では、九条について「改正するべきでない」が二〇〇四年の40%から十六ポイント増えて56%になっている。逆に「改正すべきだ」が29%から24%に減った。

 これは「歴史的な大作業だが、私の在任中に憲法改正を成し遂げたい」と述べた安倍首相への県民の答えと言っていいのではないか。

 沖縄は戦後二十七年間も米施政権下にあり、復帰後も平和に暮らす権利を基地が侵してきた。基地はまた基本的人権をも蹂躙(じゅうりん)したと言っていい。

 だからこそ県民は九条護持を理由に、平和主義の理念を変えることへの危機感を示したのである。

 もちろん、変えるべきところ、付け足す必要があるところをきちんと議論することに異論はない。しかし九条改正には多くの国民が反対している。その点で首相と国民の憲法観は大きく乖離していると言わざるを得ない。

 首相が立ち上げた集団的自衛権についての憲法解釈変更を目指す有識者会議は、首相と同じ考えを持つ識者の集まりだ。これでは「まず解釈改憲ありき」ではないか。

 憲法は権力を持つ側が安易に変えるものではないはずだ。改正を急ぐ首相に疑惑の目が向いているのをなぜ直視しないのか、疑問というしかない。

 「平和の理念」を拡大解釈で揺るがしてはならず、そのためにも私たちにはしっかり声を上げる責任がある。

歴史の事実に目を閉ざすな

 共同通信社での憲法研究会で講演した日本国際ボランティアセンター前代表熊岡路也氏は、イラク戦争とNGO活動の動きを説明する中で、「国際協力では非軍事活動が大事だと確認されている」と述べている。

 紛争解決に求められているのは「当事国、周辺国との折衝や交渉」で、日本は「日本国憲法の理念をむしろ展開すべきだ」と話す。日本の安全に必要なのは「戦争できる国」に道を開く九条改正ではなく、集団的自衛権が行使できるよう憲法の解釈を変えることでもないというわけだ。

 アフガニスタンやイラクなどの紛争地域や各地で頻発するテロを考えれば、今こそ憲法前文と九条の理念が輝きを増していると言うべきだろう。

 「権力を持つ人を縛り」個人の権利と自由を守るのが立憲主義の理念であれば、国民には首相に対し平和憲法を順守するよう求める責任がある。

 私たちは日中戦争から太平洋戦争までの歴史の中で多くのことを学んできた。憲法の根幹にあるのは歴史から体感した“平和の尊さ”であり、理念を変える動きについては厳しく監視していかなければならない。

自らの憲法観が試される

 沖縄は十五日で一九七二年の復帰から三十五年を迎える。復帰時の県民の願いは「平和憲法」の下に戻ることにあった。さらに言えば、基本的人権が尊重されることへの希望であった。

 だが実態はどうだろう。米軍基地の「本土並み」という約束がほごにされ、憲法三原則の一つである基本的人権も十分に守られなかった。平和主義だけでなく憲法そのものの理念にかなうものではなかったのである。

 日米安保条約が憲法の理念を踏みにじったのは明白で、それが暮らしの隅々に影を落とし県民を不安に陥れているのは間違いない。

 憲法は確かに不磨の大典ではない。だが、首相の思惑で改憲を急ぐべきものでないのもまた確かだろう。

 改正教育基本法が成立し防衛省もできた。首相が集団的自衛権を模索するいま、私たちが歴史の岐路に立っているのは間違いない。だからこそ自らの憲法観が試されていることを肝に銘じたい。

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