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G8サミット閉幕・予測不可能な抗議活動の高揚

 ドイツでの先進国首脳会議G8が閉幕した。

 地球温暖化対策では、2050年までに、二酸化炭素の排出量を半減するように真剣に検討することで合意した。この合意については、すでに、いつの時点から半減なのかが示されていない、「検討する」だけで、実際の決定ではないので実効性がない、等々の批判が出ている。ただ、「京都議定書」で、二酸化炭素の排出削減義務が課せられているのは、37の国・地域にすぎず、二酸化炭素排出量の1位アメリカと2位の中国は、「京都議定書」に参加していない。さらに、発展途上国も、加わっておらず、G8だけで、実効性ある対策を取ることは不可能だということがある。とりあえず、これまで「京都議定書」の外にあったアメリカと中国が、地球温暖化対策に取り組むことを促すことができたというだけでも成果があったという評価もある。

 同サミットでは、他に、アフリカのエイズ・結核・マラリア対策として、600億ドルの支援を決め、北朝鮮とイランに対して、核開発を中止するよう求める文書を採択した。

 大きな議題としてかかげられながら、WTO交渉については、年内に交渉締結を目指すということで一致したが、地球温暖化防止、イラク問題などで手一杯で、各国も熱意がなく、議論にならなかったという。G8は、もともとは、経済問題を主要に議論する場だったので、サミットも様変わりしたものだ。

 同サミットに対して、連日数万人規模の集会・デモや行動が行われたことが報道されている。下は、レーバーネットからの転載であるが、これによると、主催者も参加者も、これほどの大規模な抗議行動になるとは予想していなかったようだ。最近、日本各地の集会デモなどでも、主催者の予想を大きく上回る参加者があったというコメントをよく見る。前に訳してみたアメリカ労働党の文書でも、1年前には、2006年の移民の何百万人の街頭行動を誰も予想していなかったというコメントがあった。さらに2007年に、移民労働者は、メーデーに多数参加した。これも1年前には予想もつかないことであった。

 今、不祥事によって事業停止処分に付されている介護サービス大手のコムスンを傘下におさめるグッドウィルに対して、非正規の青年労働者たちのグッドウィル労働組合が、本社への抗議行動を行っていることなども、1年前には、誰も予想しなかった。ただ、以前には、漠然と、非正規労働者たちの立ち上がりを予想できただけである。だが、今や、若者たちは、労組をつくり、デモや集会に参加してきている。フリーター労組、首都圏青年ユニオン、その他、非正規の若者たちの労働運動が、広がってきているのである。

 フランスでの移民の若者たちの「持たざる者」の運動、イギリスでの空前のイラク反戦運動、そして、ドイツでのG8に対する闘い、等々、数年前まで、誰も予想していなかったことが目の前で次々と起きている。まさに、アメリカ労働党創設者のトニーが言うように、大きな社会運動の発生は、予測不可能である。こういう予測不可能性の中で、物事を考え、判断していくのは大変だが、しかしやりがいのあることでもある。明日どうなっているかわからないという状況は、可能性に満ちてもいるからである。

 映画「いちご白書」は、1960年代のベトナム反戦・学生運動を舞台にした映画だが、その中に、昨日まで体制的であったボート部の学生が、学生運動側に急速に変わるというシーンがあったが、それは、社会的変化が、諸個人を捉え、変えていくという予測不可能性をよく描いていた。昨日までの自分と今日の自分、そして明日の自分が変わっていくことを、驚きと喜びをもって感じることは楽しい体験であろう。まあ、これは推測にすぎないが、反G8行動の中で、行動に参加する若者たちは、こういう体験をしているのではないだろうか。そうでなければ、怪我をしたり、逮捕されたりするかもしれないような危険な場に、自主的に飛び込むようなことはしないのではないだろうか。

 予測不可能性ということで言えば、この前まで、米軍再編の一環の普天間代替基地建設のために、辺野古の反対運動を恫喝するために自衛艦を派遣するなどとは、予想を超えた政府の対応である。年金記録問題にしても、数年前には、いくつかの事例が知られ、一部の人が追求を始めていたとはいっても、まさかここまで大規模とは予想できなかったことである。松岡農相の自殺も予想外である。安部政権の支持率が、短期間で、これほど低下するというのも、予想外で、記者たちもそうコメントしている。

 詳しい事情はわからないが、「「ディセント」などのラディカルな活動家も、ドイツアタックがラディカルからNGOまで幅広く架橋していくうえで中心的や役割を果たしたことを評価していますし、2日の「暴動」を受けて、アタックがブラックブロックと公式の統一行動をとらなくなったあとも、それでもアタックの個々人の活動家たちの多くは直接行動に勇んで参加していました。こうした公式と非公式を使い分けた柔軟な戦術をドイツアタックがとっていること、そこにアタックの意義があるんだなあということを強く実感しました」というのは、多少、夜郎自大なところも感じるし、「公式と非公式を使い分けた」というのは、ちょっとずるいんじゃないのという気もする。

 2日の「暴動」については、一部の過激派が暴走したという話とドイツの警備当局が過剰弾圧して挑発したという話も出ており、現時点では事実経過がはっきりしていないので、あせって、われわれは「非暴力・無抵抗平和手段」しか認めないみたいな「公式」声明的なものを出す必要はないように思う。あの人たちとわれわれは違う、しかし、主要なメンバーが、個人的に直接行動に参加するというのは、わかりにくいのでは? このあたり、誰に向かって弁明しているのか? どこに顔を向けているのか? がわかりにくいように思われるがどうだろう。

 青森に着いた北朝鮮からの4人の脱北者について、新しい情報を加味したおもしろい『毎日新聞』記事が、阿修羅掲示板にあったので、転載した。なお、「北朝鮮人権法」に対して、右翼は「日本国民の税金で脱北者=外国人を保護するのは反対だ」などと主張して反対運動を行い、デモなどをした。ご参考までに。

*世界社会フォーラムMLから

木下茅=ピープルズプラン@ロストックです。

大屋君が先に帰国したので、G8闘争最後の報告をします。
私は基本的にシンポジウムなどには一切でず、デモや阻止行動をまわって、現場の活動家の話を聞くことに専念しました。率直にいって団体間を問わず、シンポジウムに出ているのは年配の方で、直接行動に出るのは若者、といった構図があることがわかりました。ですから、「ブラックブロック」とは何か、を知ることを含めて、反G8行動で顕在化する若者の運動の実相を知るには、とにかく足でかせぐしかないということを実感しました。

さて、今日闘争の主催者から聞いた話で最も感動的だったのは、2日の「暴動」と労働組合のことです。当初からこのG8の闘争に参加することを決定していた大労組はIGメタルなど3組合だけでした。ところが、2日の警察のあまりにひどい弾圧を受けて、それに怒った20の組合が警察の弾圧に対する抗議声明を出し、参加をよびかけ合流してきました。しかもその20の組合のなかに警察組合も含まれていました(主催者の一人に聞いたら、「なんでかよくわかんないけどねえ」と言っていました)。このようにあまりにも獰猛な弾圧に対して激怒した労働組合が参加するというのは、1999年のシアトルの再現といえます。

 全体としてドイツの若手の活動家の今回の行動についての評価は「こんなに成功するとはおもわなかった」というものでした。今日スタッフたちと一緒に全体の総括映像をみていましたが、みな、自信に満ち溢れ、会場は笑いと歓声に満ち溢れていました。

 加えて、そうしたなかで痛感したのはドイツアタックが果たした役割です。「ディセント」などのラディカルな活動家も、ドイツアタックがラディカルからNGOまで幅広く架橋していくうえで中心的や役割を果たしたことを評価していますし、2日の「暴動」を受けて、アタックがブラックブロックと公式の統一行動をとらなくなったあとも、それでもアタックの個々人の活動家たちの多くは直接行動に勇んで参加していました。こうした公式と非公式を使い分けた柔軟な戦術をドイツアタックがとっていること、そこにアタックの意義があるんだなあということを強く実感しました。

以上

  早い話が:脱北者が来た海の道 金子秀敏(『毎日新聞』2007年6月7日)

 脱北者4人を乗せた木造船が青森県の深浦に来た。ある新聞に、出発点の咸鏡北道(かんきょうほくどう)・清津(せいしん)港と深浦港を一直線で結んだ地図があった。距離は約800キロになる。だが、全長7・3メートル、旧式の船外エンジンだけの老朽船で、本当に日本海を横断してきたのだろうか。

 清津は、日本海を挟んで能登半島と向かい合う。奈良・平安の時代、清津は渤海国の一部だった。すぐ西の吐号浦(とごうほ)(現・鏡城)には5都のひとつ、南京南海府が置かれていた。

 渤海国は、日本に三十数回も使節団を送ってきた。その渤海船が出た港が吐号浦である。第1回の渤海使は727年に出羽の国(山形県)に着いたが、その後は能登、若狭に来ることが多かった。ずっと西の出雲のこともある。

 渤海使のルートには、日本海を横断するのと、朝鮮半島の東海岸を南下するのとがあった。日本海横断の場合は、冬場の季節風を利用して日本に来て、夏の季節風で戻った。

 脱北者たちは「韓国を目指したが、警備が厳しくあきらめた」と言っている。だとすれば、最初は朝鮮半島東岸ルートを選んだはずだ。そうなると、新聞の渡航図は不正確になる。

 このルートだと、リマン海流に乗り最大2~3ノットで南下できる。大人が歩くくらいの速さだ。対馬の沖まで来れば日本列島沿いに北上する対馬海流がある。これに乗れば自然に能登半島付近へ漂着する。韓国のゴミが流れて来る海の道である。(朴承武著「ソンビとサムライ」東海教育研究所)

 だが、航海する距離は直航の倍以上になる。脱北船は5月27日に清津を出たという。青森着は6月2日未明だった。最初の4日間は海が荒れ、船にしがみついていたというから、エンジンはほとんど役に立たなかったろう。だとすると、実質2~3日で青森まで来たのだろうか。

 船には羅針盤があった。沿岸漁が生業だという。それなら羅針盤はいらない。一人は覚せい剤と中国の通貨を所持していた。覚せい剤の売買は中国の通貨でやるのだろうか。本当に貧しい人々なのか。

 渤海使は、毛皮などの貢ぎ物を持ってきて、大量のおみやげを持ち帰った。日本側はその費用が大変なので、あまり来てくれるなと頼んでいる。渤海船の目的は商売が主だった。だが、今回の脱北船には、えたいの知れないところがある。(専門編集委員)

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