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割り箸は森林破壊の元凶ではないという話から

 おもしろい本が出たようだ。

 『割り箸はもったいない?―食卓からみた森林問題』(田中淳夫著 ちくま新書714円)の書評が、6月10日の『毎日新聞』にあった。

 確かに、われわれは、漠然と、割り箸が森林を破壊すると思うようになっている。それが、最初は、国内森林を破壊しているという説が流布されたが、それが端材利用されていることが明らかになると、今度は、東南アジアの熱帯雨林を破壊しているという話に変わっていった。

 しかし、東南アジア諸国での割り箸材の日本向け木材の中での割合は、インドネシア0・8%、フィリピン0・6%などで、ごくわずかなものにすぎない。建築資材用や紙パルプ用が大部分を占めているのだろう。これらが熱帯雨林破壊の主要な要因であるから、それを防ぐためには、建築用・紙パルプ用の木材伐採を減らすのが本筋である。これほど明快な事実もないぐらいなのだが、なぜか、割り箸材が、森林破壊の元凶のごとき話が、“都市伝説”化して巷に流布されているばかりではなく、それが、外食チェーンや自治体での割り箸追放運動まで引き起こしているという。

 評者は、このような“都市伝説”の大元に、どこぞの建設業・製紙業の大企業がいるのではないかと、疑ってみようとはしていないが、しかし、それはありうる話である。というのは、以前から、環境保護運動などが、企業が大量輸入する建築用・紙パルプ用などの東南アジアからの日本向けの木材切り出しが、森林破壊していることを告発してきたからである。その矛先を、割り箸に向けて、誤魔化し、情報を攪乱しているということも考え得るからである。

 人気のHP『きっこの日記』では、安部総理と個人的に親しいみのもんた氏が、年金未記録問題の責任は、国民にあるということを言っていることを批判しているが、こうして自らに向けられた批判をかわすために、目を別の者に移すように誘導して、責任逃れをはかるというのはよく見られることである。

 この問題で、自民党などが社保庁労組に責任転嫁を図ろうとしたのもそうである。労働時間が、短くても長くても、年金記録ミスするかどうかは無関係である。長時間過重労働では、大ミスの危険性が高くなる。実際に、過重労働からの大きな過失、例えば、トラックの大事故の例がある。パソコンの打ち込みをやりすぎるとかえって効率が下がり、注意力散漫となり、打ち込みミスが増えることは、パソコンをやる者なら誰しも経験でわかっていることだ。

 「私が気になるのは、新聞とテレビがすぐさま反応したことだ。たしかに定性的には(性質としては)箸は森林を壊す。しかし、定量的には(量としては)問題はない。問題はほかにある。こうしたテーマをジャーナリズムは、定性的に扱ってニュースとするが、地球環境は科学的でなければならない。科学は、定性と定量を分けて論ずることで科学たりえてきた」というのは、いろいろと当てはまることがある。例えば、禁煙問題である。それから、未だに誤りを認めていない『朝日』のキャンペーンで大問題化した埼玉県でのダイオキシン問題である。どちらも、定性のみを問題とし、事実上その定量を無限と暗黙に前提するということをして、人々の過剰反応を引き起こした。後者の問題は、定量的に大量にダイオキシンを発生させる産業廃棄物の焼却であって、その辺の庭先で焚かれるちっぽけなたき火の問題ではなかった。ところが、そんな定量的に問題のないちっぽけなたき火まで禁止する条例が各地につくられ、そんな不条理な条例が未だにそのままになっているのである。

 禁煙問題の方は、露骨な病人・病気差別であって、病と共に普通に生きる、病の状態で幸せがあり喜びがあり、その人固有の有意義な人生があるということを否定するものである。健康=善、病=悪という図式による価値秩序付けを人に押しつけるものである。それを批判したスーザン・ソンダクを読んでみるとよい。そのような言説が近代においてどのようにつくられてきたかについては、ミッシェル・フーコーでも読んでみればよい。しかし、そういう小難しい本を読まなくても、「定量的視点を欠いた報告はウソ半分になること」を意識しながら、ちまたにあふれる情報を注意して見ているだけで、“都市伝説”の類のいかがわしさはある程度見抜けるだろう。

 いうまでもなく、これは、健康に生きることを否定しているわけではなく、逆に、健康に生きるためには、「あるある大辞典」のデータねつ造事件があったように、健康を売り物にしているだけの、エセ健康情報に引っかかって、かえって、健康を損なうということにならないようにするために必要なことを考えなければならないということである。

 ちっぽけな個人レベルの悪を異常に追求し、大悪の追求の矛先を鈍らせる。割り箸を悪玉にして、建築用材・紙原料向けの大量木材使用に世間の追求の矛先をかわす。もしそんなことがこの問題に含まれているとしたら、大変な間違いを犯していることになるということだ。そんなことを考えさせてくれる書評である。

 藤森照信評(『毎日新聞』6月10日)
割り箸はもったいない?ー食卓からみた森林問題 田中淳夫著(ちくま新書714円)

 割り箸が森林を破壊する、という論を聞いたことのある人は多いだろう。この論、そのてのテレビドキュメンタリーを見たこともあるし、“マイ箸運動”というのもあった。外食で割り箸を使わないために、自分の箸を持参しようという運動である。
 こうした一連の割り箸を使わないために、自分の箸を持参しようという運動である。
 こうした一連の割り箸反対の動きを見聞した時、ヘンな話だナ、とは思ったものの、それ以上踏み込んで考えることもなくいつしか忘れてしまったが、はたしてあれはいったいなんだったのか。検証の一冊が出た。
 まず、日本にしかない割り箸の歴史が確かめられる。これまでの明治十年説や幕末説に対し、一七〇九(宝永六)年以前の吉野地方にさかのぼることが明らかにされる。この段階ですでに商品として流通していた。三〇〇年前となると現行のスシ(にぎり鮨)やソバ(ソバ切り)に負けない歴史があるあるわけで、今後の研究の展開によっては、江戸時代に新たに成立した日本独自の食文化を割り箸が支えたなんて可能性も出てくる。
 割り箸が森林を壊す説は、いつどこから発生したのか。十数年前にはじめて耳にした時もあいまいだったし、その後もウヤムヤなのだが、いまだにはっきりしないらしい。世界自然保護基金が一九八九年四月に出した内部資料にそういう指摘があるらしいが、どうも公式的には一度もそんな説は出されなかったというのである。
 都市伝説というかエコロジー伝説というか、根拠のはっきりしない説は根拠のはっきりしないゆえに千里を駆け、いくつもの自治体や外食チェーンでは割り箸追放運動が起き、食堂から例の姿が消える。
 日本産の割り箸が槍玉に上がったが、端材が使われていて問題がないことが分かると、次に東南アジアからの輸入材が問題視される。割り箸が熱帯雨林を破壊する、と。熱帯雨林の樹種から割り箸は作れないらしいが、それはともかく東南アジア諸国から日本に出される木材のうち割り箸用の割合を見ると、インドネシア0・8%、フィリピン0・6%などなど。1%を切り、誤差の範囲というしかない。
 割り箸の使用は、日本だけでなくしだいに台湾、韓国、中国にも広がりはじめているが、中国の場合、全木材使用量の0・16%が割り箸で、そのうち日本向けは6割。
 現在、日本食の世界への進出は目ざましく、ロシアなど異常なまででスシのテンプラなどどいう“一挙両得”メニューも私は体験しているが、ハシだけは純日本式でかならず割り箸が付く。日本食の普及によっては今後、世界の箸需要が増えるとしても、建築用や紙パルプ用にくらべ誤差の範囲を出ることはないだろう。
 このていどの割り箸がどうして問題視されたのだろうか。身近な品で誰にでも分かりやすいし、口に入れるものという点もあった。尻をふくトイレットペーパーがかつてパニックを起こしたことと通底するような大衆心理がひそんでいるのかもしれない。
 私が気になるのは、新聞とテレビがすぐさま反応したことだ。たしかに定性的には(性質としては)箸は森林を壊す。しかし、定量的には(量としては)問題はない。問題はほかにある。こうしたテーマをジャーナリズムは、定性的に扱ってニュースとするが、地球環境は科学的でなければならない。科学は、定性と定量を分けて論ずることで科学たりえてきた。
 定量的視点を欠いた報告はウソ半分になることを、この本は教えてくれる。

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