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選挙・核・外交・安保問題などへの雑感

 参議院選挙は、終盤戦に突入した。

 各種世論調査では、民主党優位という結果が出ている。これを逆転するのは、至難の業である。すでに、どの程度与党が負けるかというのが、関心事となっていて、それによって、安部総理の辞任があるのかどうかという点が問題になっている。いくら、事前に、与党が勝敗ラインを明らかにしなかったからといって、選挙戦で大敗した場合に、自民党総裁ともあろうものが、幹事長にすべての責任を負わせて、責任も取らずに居座ったとあれば、世論の風向きは相当厳しいものになるに違いない。自民党員の多くは、そんな総裁の姿を見て、党への信頼をなくすことだろう。議員たちより先に、末端の自民党員が、離党していくことになるかもしれない。そになのに、塩崎官房長官は、参議院選挙は政権選択の選挙ではないとして、安部続投に向けて、責任回避を図っている。見苦しいことこの上ない。世論も自民党員の多くも、このような幹部の責任回避を図る醜い姿勢を許すことはないだろう。安部総理に対しても同じことだろう。

 小泉ブームの風頼みで、当選を果たした小泉チルドレンたちは、人気・人望・支持率の低い安部総裁の下での次の総選挙で、落選してしまうと浮き足立つだろう。今は、選挙戦の最中で、そうした党内の軋轢は表向きは封じられているが、小泉チルドレンの不満の声が出始めている。安部自民党大敗となれば、党執行部、安部総理のリーダーシップは地に落ちて、党内不満分子は、勝手に行動をはじめ、言いたいことを言い始めるだろう。衆議院自民党は、烏合の衆になっていくだろう。相次ぐ与党提出の法案の強行採決に唯々諾々として従ってきた自民党議員の間で、いくら法案を強行採決しても、それが実績として人々に評価されなかったという事実が突きつけられれば、これまでのやり方に対する反省が生じるだろう。そしてその矛先は、今の執行部そして安部総裁に向くだろう。執行部とその他の間に不信が生まれるだろう。

 強行採決が選挙で評価されないので、選挙で不利になるとわかれば、いくら3分の2の議席のある衆議院でも、強行採決はしにくくなるだろう。執行部が、他の議員の不満を押し殺して、無理に強行採決を続ければ、いよいよ党内の亀裂は拡大することだろう。予想では、自民党員はすでに参院選敗北を前提として、その後のことを考えているものと思う。たぶん、すぐには政策論議を進められないと思う。

 7月24日付『読売』社説は、「北朝鮮の核と弾道ミサイルの脅威、中国の急速な軍備増強、そして世界各地で続く国際テロと大量破壊兵器の拡散」するなど「日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している」という認識を示して、それにしては、「外交・安保、平和と安全の議論が低調すぎる」と不平を述べている。こういう記事を読むと思うのだが、一体、『読売』は何様なのだろう? 江戸時代のかわら版に起源を持つとも言われる日本の新聞だが、「かわら版」が、日本の政治を動かそうという野心でもあるのだろうか? とついつい思ってしまう。まあ、『読売』が何を言おうと自由だが、それにしても、あれこれと脅威を並べて、日本は危ういと危機意識を煽っているのはいただけない。

 まず、北朝鮮の核と弾道ミサイルの脅威については、6ヶ国協議の枠組みの中で、取り組まれていることであって、しかも、北朝鮮の核開発能力は、それほど高いものではないし、アメリカとの二国間協議に持っていくための外交道具としてやっているようだ。技術開発・設備建設・維持・管理、そして何よりも膨大な資金が必要で、それを今の北朝鮮が十分に保有しているとは思えない。げんにすでに、アメリカによるマカオの銀行の北朝鮮口座の凍結解除、韓国からの重油供給、によって、IAEAの調査団を受け入れた。次の北朝鮮の要求は、軽水炉建設で、それは、凍結されたままになっているものの建設再開ということである。弾道ミサイル開発は、長距離のものは実験に失敗している。

 中国の急速な軍備増強に対しては、国際的な圧力がかかっていて、北京オリンピック・上海万博を成功させたい中国当局が、この時期に、国際的に孤立するようなへたなまねをするとも考えにくい。世界各地で続く国際テロの攻撃対象は、イラク・アフガニスタンに軍隊を送り込んで戦闘している国である。もちろん、イラクでは、自衛隊が復興支援の名目で、後方支援活動を行っていて、米軍と協力しているので、日本人が誘拐されたり殺害されたりしたように、日米同盟のある日本が国際テロのターゲットになる可能性はある。この場合には、日米同盟で対応するというよりも、外交やソフト・パワーでの対処が必要である。核の傘は、こうした脅威に対しては役に立たない。そのことは、例えば、中東政策で、問題はあるが、「平和と繁栄の回廊構想」という形で、外務省が進めていることに示されている。大量破壊兵器の拡散というなら、なんで日本政府はクラスター爆弾の使用禁止の国際条約に加盟しないのか? 

 『読売』は、同盟国に対して「言うべきことを言う」ためには「やるべきことをやる」べきだという。日米安保条約に集団的自衛権の行使が明記されている以上、同盟関係の維持のためには、アメリカが攻撃された場合に集団的自衛権を行使すべきだということになる。だから、日米安保条約廃棄するしか、「やるべきことをやる」ことを回避する道はないということになる。しかし、例えば、イラクで、米軍を輸送している航空自衛隊が、米軍への攻撃に集団的自衛権を行使して、武装勢力を殺害したという場合に、武装勢力が、報復として、日本を攻撃対象として、世界中の日本人や日本の施設を攻撃したとしよう。その場合に、それを守ってくれるのは、日米同盟に従って、集団的自衛権を行使する米軍が主になるだろう。結局、圧倒的な軍事力を持ち、世界展開を行えるのは、米軍しかないからである。日本は米軍に守ってもらうことに変わりはないわけである。

 米軍と対等にというなら、世界に展開できる軍事力が必要となるわけだが、それには無理がある。そこで、NATOなどの国際軍事機構が組織されているわけである。それが難しいなら、手っ取り早く、核武装すればいいという考えに陥ってしまうわけである。

 それに対して、国益を怜悧に計算して、利害得失の観点から、「核」管理の知恵を出せという者もいる。それを邪魔してきたのが「唯一の被爆国」感情からの「核」論議だと言う櫻田淳東洋学園大学准教授である。彼が、観念論者であり、理性主義者であることは一目瞭然である。彼は、国際政治について、感情を排して、利害計算する計算知性を方法的に選択しているのである。櫻田氏は、それをタブーからの解放であり、新しいことだと主張するのだが、それは、アダム・スミス流の利害計算エゴに舞い戻っただけであって、別に新しくも何ともない。

 そして、彼は、「原爆投下はしょうがない」という久間前防衛大臣の発言に理解を示す。

 「筆者は、久間章生前防衛大臣が自らを辞任に追い込んだ過般の「核の意味」発言は、その政治上の効果はともかくとして、その趣旨において理解している。第二次世界大戦終結当時の我が国の政治指導層に「抗戦意志」の継続を断念させた主な要因が「特に長崎に対する原爆投下」と「ソ連参戦」にあるのは、既に定説である。そして「原爆投下」と「ソ連参戦」に促された早期終戦の結果、戦後の我が国がドイツのような分割占領と民族分断という事態を避けられたというのも、有力学説の一つである。久間発言は、そのような諸々の説を念頭に置いてのものであったと推測される」。

 「我が国の政治指導層」の一部は、すでに、1945年初期には、「抗戦意志」を失っており、ソ連に終戦の調停を求めたことから明らかなように、原爆投下以前に、国体護持を条件に、戦争終結する意志を持っていた。したがって、当時の政治指導部に抗戦意志を断念させたのが、「原爆投下」と「ソ連参戦」にあったとするのは、無理がある。それに、「民族」分断は、アメリカによる沖縄占領統治によって、その後長く続いたのである。ただし、日本が琉球人をを同一民族として位置づけたというにすぎないが。この言い方では、ソ連による民族分断や分割占領を避けられたのはいいことだが、アメリカによる沖縄の分割統治・「民族」分断は問題ではないということになる。というよりも、そもそも沖縄の分割統治を完全に無視しているである。

 彼は、フランスのガロワ将軍が、「犠牲者の数からすれば、東京空襲のほうが、広島・長崎よりも被害は多いはずだ。それなのに、なぜ日本人は核を特別なものと認識しているのか・・」と聞かれたという。原爆を落とされてみなければ、その気持ちは分からないと答えることも可能だが、一瞬にして、何万・何十万人の命を奪い、生き残っても、長く被爆被害に苦しめられてきたという経験は、やはり特別なものだ。戦後、核開発競争が激しくなり、ビキニ環礁で、核実験による新たな被爆者が出たことも、核に対する悪感情を駆り立てた。ただ、東京空襲についても、犠牲者や遺族の間から、被害への賠償を求める訴訟が起こされている。ドイツでのドレスデン空襲については、カート・ヴォネガット・ジュニアの「スローター・ハウス」という小説で批判的に描かれているし、空爆批判の動きもある。

 氏は、「無論、我が国にとっては、「核」は常に感情が絡む話題の一つである。そして「核の惨禍」を再現させないという目標は、既に自明の民族の大義として広範な合意を得ているであろう。しかし、もしそうであるならば、我が国こそが「核」の管理や拡散防止を徹底させるための「智恵」を蓄積していて然るべきであった。「冷戦の終結」以後の国際社会では、「核」の管理や拡散防止が一大課題になっているのであるから、それに相対する折の「智恵の輪」に裏付けられてこそ、「唯一の被爆国」という我が国の自己規定は、相応の意味を持ったであろう」という。しかし、日本政府の基本政策は、世界からの核廃絶であって、「核」管理や拡散防止という「核」の存在を前提にするものではない。今ある「核」も廃絶するのであり、それは北朝鮮であろうと中国であろうとアメリカであろうとフランスであろうと、一切の「核」をなくすというものなのである。その途上において、「核」管理や拡散防止に力をつくすというのは別にいいのだが、氏は、「核」廃絶についての態度が曖昧である。

 「「核」を「自明の絶対悪」として語る教条的な「平和主義者」にせよ、原爆投下に踏み切った米国への反感を拭(ぬぐ)い去れない観念的な「民族主義者」にせよ、久間発言批判の文脈で噴出した議論に共通するのは、この「智恵の蓄積」に対する関心の薄さである。そして、こうした議論の多くに筆者が冷淡な眼差しを向けてきたのは、その「実践性」の乏しさの故である」という。彼が言う「知恵」とは、感情を排して利益を計算する怜悧なもの」とされている。そこで、そういう基本的な立場から、氏は、ガロア将軍にこう答えた。

 「少なくとも私を含めて日本の若い世代の知識層では、『核』を語る折の禁忌は薄れています。日本でも昔日に比べれば、『核』を利害得失の観点から怜悧に語ることができるようになっているのです…」

 村上ファンドの村上、ライブドアの堀江、等々、利害得失の観点をむき出しにして時代の寵児ともてはやされた若き新興成金たちが凋落していくなかで、果たして、「利害得失の観点から怜悧に語る」者は、増えているのだろうか? ある調査で明らかになったのは、社長になりたくないし、大金持ちにも成りたくないと答える若者正社員が多いということだ。学者の世界だけは、こうした世間の主流とは違って、利害得失の観点から怜悧に語るなどという態度が拡大しているのだろうか? とうてい彼の言うことが現実とは思えない。

 最後に、「筆者は、果たして老将軍に誤った説明をしたのであろうか」というのだが、答えはイエスであろう。

 なお、この間の度し難い公安警察による朝鮮総連弾圧が、冤罪を生みかねなかった一例として、北朝鮮に万景峰号で渡航する際に、自分用と次男用に大量の薬を保持していた女性を、薬事法違反容疑などで逮捕し、夫が在日朝鮮人科学技術協会の顧問であったことから、朝鮮総連の組織的関与の疑いがあるとして、家宅捜索までして、結局、起訴猶予となったという事件がある。異常に記憶力が優れているという触れ込みで、拉致被害者について数々の証言をしていた元北朝鮮治安機関のメンバー安明進が、覚醒剤使用容疑で逮捕された。北朝鮮問題では、山師のような連中が好き放題のことをしゃべったり、でたらめな情報が流されていて、北朝鮮や総連に関わることなら、なんでも許されるかのような状態になっている。人権外交を掲げる安部政権下で、このような国家機関による人権侵害が起きるようでは、その看板も色あせてしまう。見込み捜査で、人権侵害を引き起こすような公務員は、とうてい品格あるものとは言えない。

 無理矢理、日本の安全保障環境の悪化をでっち上げている『読売』は、真実を明らかにするというジャーナリズムの使命を果たすよりも、世論を特定の方向に誘導するという「悪」に染まっている。それを自覚・反省しないとだめである。時に、世論は、それによって流されもするが、学習し、進歩して、それに引っかからないようにもなる。9条改憲についても、最近は、改憲へ誘導しようとする『読売』の宣伝には引っかからなくなっている。与党支持への誘導にも引っかかっていない。

【正論】東洋学園大学准教授 櫻田淳 怜悧な「核」論議の機運は萎えたのか

■日本こそ「核」管理の智恵を示せ

 ≪「唯一の被爆国」感情から≫

 「犠牲者の数からすれば、東京空襲のほうが、広島・長崎よりも被害は多いはずだ。それなのに、なぜ日本人は核を特別なものと認識しているのか…」

 筆者が去る5月中旬にフランスを訪問中にピエール・マリー・ガロワ将軍と面談した折、将軍は、このように問い掛けてきた。1960年代初頭、シャルル・ド・ゴール執政期のフランスは、冷戦下の東西対立の狭間で独自の核武装に踏み切ったけれども、その理論付けを主導した老将軍の問いは、筆者には誠に印象深いものであった。

 実際、筆者が言論活動の最初期の題材としていたのは「唯一の被爆国」感情に寄り掛かって「核」を語る姿勢への批判であった。「唯一の被爆国」感情に囚(とら)われた結果、日本の人々は、国際政治を怜悧(れいり)に認識する機会を逸してきたのではないか。筆者は、こうした問題意識の下で、本欄でも「核」に関する所見を幾度も披露してきた。

 筆者は、久間章生前防衛大臣が自らを辞任に追い込んだ過般の「核の意味」発言は、その政治上の効果はともかくとして、その趣旨において理解している。第二次世界大戦終結当時の我が国の政治指導層に「抗戦意志」の継続を断念させた主な要因が「特に長崎に対する原爆投下」と「ソ連参戦」にあるのは、既に定説である。そして「原爆投下」と「ソ連参戦」に促された早期終戦の結果、戦後の我が国がドイツのような分割占領と民族分断という事態を避けられたというのも、有力学説の一つである。久間発言は、そのような諸々の説を念頭に置いてのものであったと推測される。

 ≪久間発言批判に共通する≫

 無論、我が国にとっては、「核」は常に感情が絡む話題の一つである。そして「核の惨禍」を再現させないという目標は、既に自明の民族の大義として広範な合意を得ているであろう。しかし、もしそうであるならば、我が国こそが「核」の管理や拡散防止を徹底させるための「智恵」を蓄積していて然るべきであった。「冷戦の終結」以後の国際社会では、「核」の管理や拡散防止が一大課題になっているのであるから、それに相対する折の「智恵の輪」に裏付けられてこそ、「唯一の被爆国」という我が国の自己規定は、相応の意味を持ったであろう。

 そして、たとえば北朝鮮の「核」に絡む現下の「6カ国協議」は、そうした「智恵の蓄積」を生かす格好の舞台であったはずである。しかしながら、実際には「6カ国協議」での議論を主導しているのは、米中両国であって我が国ではない。というのも、我が国にあっては「核」と「拉致」の両案件の落着という二重目標を追求せざるを得ない事情がある一方で、そうした「智恵の蓄積」が十分ではないからである。

 「核」を「自明の絶対悪」として語る教条的な「平和主義者」にせよ、原爆投下に踏み切った米国への反感を拭(ぬぐ)い去れない観念的な「民族主義者」にせよ、久間発言批判の文脈で噴出した議論に共通するのは、この「智恵の蓄積」に対する関心の薄さである。そして、こうした議論の多くに筆者が冷淡な眼差しを向けてきたのは、その「実践性」の乏しさの故である。

 ≪次世代の「核」へのタブー≫

 このように考えれば、久間発言が再現させたのは、教条的な「平和主義者」と観念的な「民族主義者」の野合の光景であった。そして、久間辞任という結果によって、日本の政治の世界においては「核」を怜悧に語ることができる日は、確実に遠のくであろう。「平和主義者」の「反核」論と「民族主義者」の「核武装」論が織り成す以前からの不毛なボレロは、今後も続くのかもしれない。この情勢の下では「核」の管理や拡散防止のための「智恵」の蓄積は、率直に難しい作業になるであろう。それは「核」の管理や拡散防止という現在進行形の課題に取り組む折には、支障にしかなるまい。そして、そのことは冷戦終結からも既に20年近くの時間が経とうとしている現下の国際環境の下では、決して我が国の利益には合致しないであろう。

 「少なくとも私を含めて日本の若い世代の知識層では、『核』を語る折の禁忌は薄れています。日本でも昔日に比べれば、『核』を利害得失の観点から怜悧に語ることができるようになっているのです…」

 筆者は、前述のガロワ将軍の問いに対して、このように説明しておいた。筆者は、果たして老将軍に誤った説明をしたのであろうか。(2007/07/19 )

 外交・安保 平和と安全の議論が低調すぎる(7月24日付・読売社説)

 北朝鮮の核と弾道ミサイルの脅威、中国の急速な軍備増強、そして世界各地で続く国際テロと大量破壊兵器の拡散――。

 日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している。いかに自国の平和と安全を確保するか。この重要課題に正面から取り組むことは、政治の大きな責任である。

 ところが、今回の参院選での外交・安保論議は低調すぎる。各政党と候補者はもっと議論を活発化させるべきだ。

 自民党の155項目の公約は、10項目が外交、6項目が安保だが、政府の政策を羅列した印象が否めない。北朝鮮の拉致問題について、「国家の威信をかけて拉致被害者全員の帰国を実現する」という決意を示した表現が目立つ程度だ。

 先の6か国協議は、北朝鮮の核の申告や無能力化の履行時期を明示できなかった。核廃棄の道筋は依然、不透明だ。

 北朝鮮の核とミサイルに対する抑止力を高めるためには、強固な日米同盟が欠かせない。拉致問題の進展にも、同じことが言える。自民党が日米安保体制の強化や防衛協力の緊密化を掲げたのは、そうした認識に基づいているのだろう。

 民主党の公約は、「主体的な外交を確立する」とし、「相互信頼に基づいた、強固で対等な日米関係」の構築を訴える一方で、「自衛隊のイラク派遣を直ちに終了」と明記している。

 航空自衛隊のイラク空輸活動は、今の日米同盟を支える重要な柱だ。代替策も示さずに終了した場合、「強固で対等な日米関係」が維持できるだろうか。

 民主党の小沢代表は「同盟とは対等の関係だ。主張はきちんと言う必要がある」と語る。だが、外交の世界では、「言うべきことを言う」ためには、「やるべきことをやる」ことが前提となる。それなしでは、日米同盟強化に反対する共産、社民両党と同じと見られないか。

 集団的自衛権について、民主党は、昨年12月に決定した「政権政策の基本方針」で一部の行使を容認していたが、公約では言及を避けた。党内の反対論に配慮した結果だろう。自民党も、今秋の政府の有識者会議の結論を待って対応するとし、明確な方向性を示していない。

 国際平和協力活動について自民党は、自衛隊の海外派遣に関する恒久法の「制定を目指す」と明記した。2005年衆院選の政権公約の「検討する」との表現から一歩踏み込んだ。公明党は「1万人の専門家育成」を目標に掲げている。

 集団的自衛権と恒久法の問題は、参院選後の大きな焦点となる。責任ある政党と候補者は、選挙中に具体的な立場を明示し、論議を主導してもらいたい。

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