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秦邦彦氏の沖縄住民集団自決論は破綻している

 秦邦彦氏と言えば、いわゆる従軍慰安婦問題で、それを証明したとされた吉田証言の現地検証を行い、これを虚偽証言と証明したとして、有名になった人物である。

 元官僚で、実証主義を信条としているらしいが、その歴史観の底が浅いことは、以下の記事で明らかである。

 氏は、沖縄戦が終了した「慰霊の日」に合わせて『読売』を除く、大手新聞が大々的に、取り上げたことに、触れて、「これまでは「沖縄の心」という目に見えぬ壁への配慮が働き、マスコミも識者もハレものにさわるような扱いをしてきたが、今年も同じトーンで生き残りの体験談を軸に情緒過剰な詠嘆調の記事が並んだ。今や生き残りといっても、当時は10歳前後だった人たちが主だから、要領をえないあやふやな証言ばかりになってしまった」と評した。

 秦氏は、住民の集団自決を巡る高校用日本史教科書の検定で「軍命令による強制」が削除されたことで、騒然とした「慰霊の日」になったとしている。ここには、秦氏らの軍命令の有無のみに焦点を絞る作戦が表れている。

 秦氏の批判は、生き残りの体験談を軸にした「情緒過剰な詠嘆調」、「当時10歳前後の要領をえないあやふやな証言ばかり」という証言の信憑性を問題にするというものである。あたかも、これらの証言者の記憶や情緒に問題があるかのようである。

 ところが、秦氏自身、やはり当時10歳前後で、「鬼畜米英」への憎悪と恐怖を感じていたが、誰から吹き込まれたのかは記憶にないという。政府の公文書にはなかったはずだというのである。それは、流言飛語の類であり、『朝日新聞』に代表される情緒過剰の流言飛語と同類だったというのである。当時の政府は、とくに反米英扇動など行っていないというのだ。もちろん、この秦氏の話も、要領を得ない話にすぎないことになる。

 秦氏は、200人が非難していた洞窟に日本兵3人が来て、敵に見つからないために、泣き叫ぶ妹といとこに毒おむすびを食べるように命じたという証言について、「激戦のさなかに毒入りおむすびを作る余裕があるのか、毒と告げて親が食べさせるものか、食べたとしても、苦悶(くもん)の泣き声に変わるだけではないのか、そんなことをしなくても、200人も入っている広い洞穴なら奥へ移ればすむのではないか、と疑問の種はつきない」という。ここでは、秦氏の激戦のイメージがよくわからないので、この疑問の種が、情況とマッチしているのかどうかがわからない。戦闘中だろうとなんだろうと「腹が減っては戦はできぬ」であり、食事は必ず取る。即死する毒というものもあるだろう。200人入る洞窟でも、それでいっぱいかもしれない。

 秦氏は、これで事実を証明しようと言うのではなく、疑問に答える検証が記者によってなされていないのではないかということを言いたいのである。事実は二の次で、記者の資質を問題にしているのである。彼らは自分と同じ実証的歴史家ではないということに不満だというのだ。秦氏の言うことにも、誰もが、あれはどうか? これはどうか? 等々と、いくだでも疑問の種は尽きない。いくらでも疑問はつくることはできるが、そこから、別のストーリーの正しさを引き出すことはできない。例えば、牛島軍が下のように、住民を生きて米軍に引き渡すように非難させたというケースが正しかったとしても、別の軍部隊が、住民の集団自決を指示したかどうかはまた別の話である。秦氏のやり方は、いいことをした一部の日本軍の印象で、集団自決を命令したとされる悪いことをした日本軍の印象を消すというものだ。だが、それは、無理というものだ。印象は変わるのである。第一印象では、もっともらしく感じられるかもしれないが、三回も読めば、そんな印象は消えてしまう。

 彼は、集団自決に手榴弾が使われた理由については、現地採用の防衛隊員が勝手に使用したという。それならやはり軍人による手榴弾の住民への供給であり、さらに、これで自決しろと兵士に手榴弾を手渡されたという証言もある。前者のケースがあったとしても、それで、後者のケースがなかったということは言えない。どうしたって、秦氏の主張は分が悪い。

 「さすがに社説ともなると冷静なタッチが多いなかで、朝日だけは突出した情緒論で終始している。他にも日本軍は住民が捕虜になることを許さず、「敵に投降するものはスパイとみなして射殺する」と警告し実行していったとか、捕らえられれば「女性は辱めを受け、男性は残忍な方法で殺される。日本軍はそう住民に信じ込ませた」と書いているが、いずれも事実無根に近い」という。だが、その証拠を示さない。証人や証言が少しでもあやふやだと、すべて信用できないという印象を与えるというのが秦氏の得意技である。

 ここで突然、秦氏は、「牛島軍は、県当局と協議して住民を予想戦場から遠ざけるため本土や本島北部への疎開を命じ、戦闘末期には米軍の保護に委ねるふくみで戦場外の知念半島への避難を指示している」ということを持ち出す。こちらを、典型として、スパイ容疑での日本軍による住民の銃殺事件などは例外だというのである。

 そして、上記の、10歳前後の要領をえない軍国少年時代の記憶を持ち出すのである。

 秦氏は、情緒と論理を単純に対置させ、論理に優位を与える。しかし、論理は、情緒、感性と結びついている。この文章には、秦氏の情緒が表れているのである。政府や日本軍への偏った情緒が表れているのだ。それに論理という形式を着せているだけなのだ。そのくせ、『朝日』だけが、情緒過多だと言うのだから、自己反省がないことは明らかだ。情緒という形式をとるか、論理という形式をとるか、は、形式的な問題であって、あまり重要なことではない。それをことさらに重要だという印象を与えているのは、『朝日』や沖縄でのこの間の教科書検定批判が、日本軍寄りの秦氏の情緒に合わないからである。彼は、沖縄の集団自決の軍命令の記録がないのと「本土決戦」もなかった本土の自分の体験を重ね合わせるというおよそ実証史学家らしからぬ間違った比較方法を取ってまで、集団自決への軍の強制がなかったことを情緒的に言いたかったのである。

  【正論】現代史家 秦郁彦 沖縄集団自決をめぐる理と情
(『産経』正論2007/07/06)

 ■報道は冷静な検証の姿勢忘れずに

 ≪情緒過剰な記事が並ぶ≫

 6月23日は、62年前に沖縄本島南端の摩文仁(まぶに)の洞穴で、牛島軍司令官が自決、沖縄戦における日本軍の組織的抵抗が終わった日である。

 沖縄県は、この日を「慰霊の日」と定め、軍人・軍属、一般住民がそれぞれ9万余人、米兵をふくめると20万人の全戦没者を追悼する式典を挙行してきた。しかし今年は、住民の集団自決をめぐる高校用日本史教科書の検定で「軍命令による強制」が削除されたことについて、県議会が検定意見の撤回を求める意見書を採択したこともあり、騒然とした「慰霊の日」となった。

 ほぼ全面無視した読売新聞を除き、主要各紙は社説や社会面記事で大々的にこの問題をとりあげた。これまでは「沖縄の心」という目に見えぬ壁への配慮が働き、マスコミも識者もハレものにさわるような扱いをしてきたが、今年も同じトーンで生き残りの体験談を軸に情緒過剰な詠嘆調の記事が並んだ。今や生き残りといっても、当時は10歳前後だった人たちが主だから、要領をえないあやふやな証言ばかりになってしまった。

 たとえば、県の意見書のまとめ役になった当時8歳だった議員の体験談は「200人ほどの住民と壕に隠れていたところ、3人の日本兵が来て、泣き続けていた3歳の妹といとこに毒入りのおむすびを食べさせるよう迫った。敵に気づかれるのを恐れたため」(6月23日付朝日)というのだが、記者は不自然さに気づかなかったのだろうか。

 激戦のさなかに毒入りおむすびを作る余裕があるのか、毒と告げて親が食べさせるものか、食べたとしても、苦悶(くもん)の泣き声に変わるだけではないのか、そんなことをしなくても、200人も入っている広い洞穴なら奥へ移ればすむのではないか、と疑問の種はつきない。問題はそうした検証をいっさい放棄して、記事に仕立てた記者の資質にある。

 ≪攻撃用武器の手投げ弾≫

 ついでに記すと、県議会では「集団自決の軍命令はあったはず」と主張する野党と「なかったらしい」と主張する与党の議員が対立、妥協のすえ意見書は「日本軍による関与なしに起こり得なかった」という争点を外した表現におちついたとのこと。

 「関与」とは一部で日本軍の手投げ弾が自決用に使われたのを指しているらしいが、兵器不足に悩み、兵士に竹槍まで持たせていた日本軍にとって、手投げ弾は貴重な攻撃用武器だった。現地召集の防衛隊員(軍人)に持たせていたものが家族の自決に流用されたのに、16歳だった語り部の元短大学長が「手投げ弾は自決命令を現実化したものだ」と語るのを、朝日が社説(6月23日付)で「悲惨な証言」と信じ込み、引用しているのはいかがなものか。

 ≪軍命令見つからない理由≫

 さすがに社説ともなると冷静なタッチが多いなかで、朝日だけは突出した情緒論で終始している。他にも日本軍は住民が捕虜になることを許さず、「敵に投降するものはスパイとみなして射殺する」と警告し実行していったとか、捕らえられれば「女性は辱めを受け、男性は残忍な方法で殺される。日本軍はそう住民に信じ込ませた」と書いているが、いずれも事実無根に近い。

 牛島軍は、県当局と協議して住民を予想戦場から遠ざけるため本土や本島北部への疎開を命じ、戦闘末期には米軍の保護に委ねるふくみで戦場外の知念半島への避難を指示している。

 その結果、米軍記録によると28万余人の住民が投降した。そのなかには日本軍陣地へ投降勧告に出向く志願者がいて、スパイと疑われ処刑された例もあったが、例外的事件にすぎない。

 そのころ12歳の軍国少年だった筆者も「鬼畜米英」への憎しみと恐怖を抱いていた記憶はあるが、誰が吹きこんだのか覚えていない。親や先生ではなかったと思うし、ひょっとすると、わが家で取っていた朝日新聞か主婦の友かもと考えたりもするが、少なくともこの種の流言、浮説を記した政府・軍の公文書はなかったと思う。

 ところが、研究者でも集団自決や慰安婦の強制連行を証する軍命令が見つからないのは、終戦時に焼却したからだとか、個々の命令はなくても戦前期の天皇制や軍国主義教育に起因すると強弁する人が少なくない。

 集団自決が起きたのに「いまさら『日本軍は無関係』と言うのなら、それは沖縄をもう一度裏切ることになる」としめくくった朝日社説も同類項なのだろうか。

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