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『読売』さん。米国に「原爆投下」の謝罪を求めるのは人権外交の安部政権としては当然じゃありませんか

 久間防衛大臣が、原爆投下「しょうがない」発言の責任を取って、7月3日辞任した。

 久間大臣は、自分の発言で与党の選挙に不利になったので、辞任は「しょうがない」という感じで、辞任した。

 『読売』は、「原爆投下」論議が冷静さを欠いていたと批判的なコメントを述べている。

 『読売』は、アメリカが日本への原爆投下を決断した理由を、久間元大臣と同じく、ヤルタ会談でソ連の対日参戦が合意される中で、「当時、ソ連に対して不信感を募らせていた米国は、ソ連の参戦前に早期に戦争を終わらせたいと考えていた」と書いている。

 これもアメリカが「原爆投下」を決断した一因であろうが、他にも、早い段階から、対ナチス戦での原爆使用から、対日戦での使用に切り替えていたという説もあり、さらに、実際に使ってみて威力を試そうという実験の意図もあったと思われる。いずれにしても、このような無差別大量破壊兵器の使用は、人道上の罪にあたる。

 『読売』は、「そもそも、原爆投下という悲劇を招いた大きな要因は、日本の政治指導者らの終戦工作の失敗にある。仮想敵ソ連に和平仲介を頼む愚策をとって、対ソ交渉に時間を空費し、原爆投下とソ連参戦を招いてしまったのである」として、原爆投下を招いた責任を、当時の大日本帝国の政治指導者らの終戦工作の失敗に求めている。この点は、自由主義史観研究会などの右翼歴史修正主義者たちとは違っている。

 当時の政治指導者らの終戦工作の失敗の原因は、国体護持を最優先したことにあった。その保証を求めたのである。もっと言えば、自分たちの責任追及を免れる方法を探り、身の安全の担保を探していたからである。だから、対米講和で動いた近衛文麿は、戦後、自らが戦犯として訴追されることを知って、驚いて、自殺してしまったのである。自分は連合軍によって安全を保証されていると思いこんでいたのである。だから、ソ連に仲介を頼んだのが主戦が遅れた原因だというのは、結果論であって、むしろ、自分たちの安全が保証されるかどうかをぎりぎりまで見極めようとして、終戦工作を遅らせた政治指導部の責任が問われねばならないのである。

 『読売』は、今度は、「野党側は、「米国の主張を代弁するものだ」「『しょうがない』ではすまない」などと感情的な言葉で久間氏の発言を非難するばかりで、冷静に事実に即した議論をしようとしなかった」と野党を非難する。愛国主義者を公言してはばからない『読売』が、長崎・広島の「同胞」への思いに触れもせず、代弁しようともせず、「冷静に」とは何事だろうか? 

 『読売』が気に入らないのは、「民主党の小沢代表が、安倍首相との先の党首討論で、原爆を投下したことについて、米国に謝罪を要求するよう迫ったこと」である。人道上の大罪を犯したアメリカに対して、その謝罪を要求するのは当然である。アメリカでは、慰安婦問題で、日本政府に公式の謝罪を求める決議が下院特別委員会で採択されたばかりではないか! 安部政権の外交の基本の一つは、人権である。自ら人権の旗を掲げておきながら、アメリカの原爆投下だけは例外だいうのでは、人権外交の旗に泥を塗るものというものだ。

 『読売』が心配しているのは、謝罪要求によって、「首相は、核武装化を進め、日本の安全を脅かす北朝鮮に「核兵器を使わせないために、米国の核抑止力を必要としている現実もある」として反論した」ことに示されている対北朝鮮の核使用へのアメリカの核抑止力が弱りはしないかということだ。

 『読売』いわく。「当然のことだ。日本の厳しい安全保障環境を無視した小沢代表の不見識な主張は、政権担当能力を疑わせるだけだ」という。『読売』がこの間、「日本の厳しい安全保障環境」という絵をもっともらしく描き続け、人々をミスリードしようとしてきたことは、当ブログで再三指摘した。現在、北朝鮮はIAEAの核査察調査団を受け入れて、調査がすみ、いよいよ核開発施設の封印に向けた動きが本格化しようとしている。北朝鮮政府は、従来の主張どおり、米朝二国間協議において、大きな国際問題の解決の道を進もうとしている。アメリカの核抑止力によって、北朝鮮の核使用が止められているわけではなく、アメリカが、限定的核使用を何度も口にしながらも、核使用できないように歯止めをかけているのは、外交的国際的世論の力である。近代国家は、常に他国との関係において存在するのであり、相互規定されつつ、存在しているのであって、単独で立っているのではないのである。

 金正日政権は、拉致問題の存在を公式に世界に向かって認め、謝罪し、一部被害者を公然化して日本に返した以上、当面は、同じ問題を繰り返しにくい。今度、拉致事件を起こせば、世界的孤立がますます強まることは自明の理である。長距離弾道ミサイル開発は、実験が失敗したことで、当面、技術的に困難な状態にある。資金面でも、高度技術の開発はすぐには進みにくい。核開発については、上述のとおりの状態で、これも短期的には大きな脅威となる可能性は低い。『読売』は、これらの現実を無視して、ひたすら「日本の厳しい安全保障環境」を強調し、与党の対米従属路線を支えようとしている。

 国の責任は、いたずらに「日本の厳しい安全保障環境」を強調し、不安をあおり立てて、人々の「冷静さ」を失わせることでは果たされない。アメリカは、「原爆投下」という人道の罪を自覚し、謝罪するべきであり、それを日本の政治家たる者は、堂々と求めるべきだ。北朝鮮の安全保障上の脅威が多少減少し、米朝二国間交渉がある程度機能しつつあり、米朝国交交渉にアメリカ政府がやや積極的になりつつある今は、いい機会である。アメリカは、日本に対して、慰安婦決議などで自由にものを言っているのに、日本はアメリカに自由にものを言えないのでは、それこそ、対等な関係とは言えないだろう。

 自分が冷静さを欠いているというのに、他者の冷静さを問題にする『読売』は一体なんなんだろう? やっぱり、『読売』は、物事がまったく見えていないんだなという社説である。

 

防衛相辞任 冷静さを欠いた「原爆投下」論議(7月4日付・読売社説)

 久間防衛相が、米国の原爆投下をめぐる発言による混乱の責任をとって辞任した。先の講演で、「あれで戦争が終わった、という頭の整理で今しょうがないなと思っている」などと述べていた。「しょうがない」とは、全く軽率な表現である。

 参院選を目前にして、野党側は、その表現のみをとらえ、安倍政権批判の格好の材料として罷免を求めた。与党も、選挙への悪影響を懸念して浮足立った。混乱したあげくの辞任劇である。

 久間氏は、日本政府のイラク戦争支持は「公式に言ったわけではない」と語るなど失言を重ねていた。このような言動を繰り返しては辞任もやむをえまい。

 久間氏は講演で、米国は、「日本も降参するだろうし、ソ連の参戦を止めることができる」として原爆を投下したとの見方を示した。これは、誤りではない。当時、ソ連に対して不信感を募らせていた米国は、ソ連の参戦前に早期に戦争を終わらせたいと考えていた。

 同時に、久間氏は、「勝ちいくさとわかっている時に、原爆まで使う必要があったのかという思いが今でもしている」と付言していた。

 米政権内部でも、敗色濃い日本への原爆投下については、アイゼンハワー元帥(のちの米大統領)が反対するなど慎重論は強かった。久間氏は、米国が非人道的兵器の原爆を使用したことに疑義も呈していたのである。

 そもそも、原爆投下という悲劇を招いた大きな要因は、日本の政治指導者らの終戦工作の失敗にある。仮想敵ソ連に和平仲介を頼む愚策をとって、対ソ交渉に時間を空費し、原爆投下とソ連参戦を招いてしまったのである。

 しかし、野党側は、「米国の主張を代弁するものだ」「『しょうがない』ではすまない」などと感情的な言葉で久間氏の発言を非難するばかりで、冷静に事実に即した議論をしようとしなかった。

 疑問なのは、民主党の小沢代表が、安倍首相との先の党首討論で、原爆を投下したことについて、米国に謝罪を要求するよう迫ったことだ。

 首相は、核武装化を進め、日本の安全を脅かす北朝鮮に「核兵器を使わせないために、米国の核抑止力を必要としている現実もある」として反論した。

 当然のことだ。日本の厳しい安全保障環境を無視した小沢代表の不見識な主張は、政権担当能力を疑わせるだけだ。

 久間氏の後任には、首相補佐官の小池百合子氏が就任する。国防をはじめ、国の責任を全うするためにも、安倍政権はタガを締め直さねばならない。

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