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佐藤発言と集団的自衛権論について

 先の参議院選挙で自民党比例区から当選した元自衛隊のサマワ先遣隊の佐藤正之議員のテレビでの発言をめぐって、ブロガーたちによる批判の声が広がっている。

 天木直人氏もとりあげて批判していたことは、先日取り上げたが、ブロガーの動きは早かった。とくに、「情報流通促進計画byヤメ記者弁護士」http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/b6b645b6bde4ae3c306b2d8dbfa8d3bfである。

 佐藤発言は、基本的に、現場指揮官として、現場部隊の立場から、政治批判をするというもので、氏の政治の理解が浅いことを表している。現場で、攻撃されている友軍を助けないわけにはいかないという感情から、それを不可能にしている政治が悪いと判断しているわけである。オランダにはオランダの事情があってそこにいるのであり、オランダの国内法に従って活動しているのである。日本はオランダと同盟国ではないし、オランダを助けなければならないという法的な根拠はない。情としてどうなのかというなら、例えば、同盟国アメリカが、イラクの一般住民を誤爆している時に、イラク人に同情して、「駆けつけ警護」を行うのかどうかという問題も立てられる。

 サマワでの自衛隊の活動は、非戦闘地域での活動で、そもそも自衛隊が攻撃を受けるとか、オランダ軍が攻撃されるという事態がそもそもないという前提で行われることになっている。小泉元総理は、非戦闘地域だから、安全だということを繰り返し強調し、反対を押し切って、サマワへの陸上自衛隊派遣を強行したのである。こんな無茶苦茶な政治で、自衛隊を危険にさらした自民党からの立候補というのは、佐藤氏の発言趣旨からしたらあり得ない。この辺も、政治を理解していないことを示している。

 さらに、オランダ軍への「駆けつけ警護」によって、事実上の集団的自衛権行使をやってしまえというのは、関東軍の謀略の発想と似ている。問題は、集団的自衛権と個別的自衛権に分かれる自衛権の問題だ。確かに、国連憲章は、他国からの侵略に対して、国連が出動するまで、国家に、集団的・個別的自衛権の行使を認めている。ただし、これは、国家主権という為政者主権を認めるという国家連合たる国連原則が、古いことを意味している。自衛権は、人権であって、非人間である国家や政府にそもそも自衛権などあるわけがない。これは、国家が人格を持つという法人権として擬制されているか、あるいは為政者が身分として固定されていた時代の主権者=国家という前時代的な観念を取り入れているかである。

 法人においては、それらは自然的基礎を持たず、人工的に権利関係が規定されている。人間が、生命という自然的肉体と切り離せない自然的基礎の防衛をするということは当然であるが、かつて歴史的に存在していなかった民族国家などという創作物に対して、人権にあたる自衛権なるものがあるとされたのは、それもまたただの歴史的な創作に他ならないのである。ただし、人権が個人を単位とするという考え自体、歴史的であることも忘れてはならない。ここでは近代的個人主義を前提としている。

 佐藤議員の問題発言は、これらのことについて、しっかり考えた様子もない幼稚な発言である。一から勉強しますというべきところだが、佐藤議員は、まったく逆に、政治家の方が、現場に来て学ぶべきだと言う。もちろん、サマワに自衛隊を送り込んだ政治家は、現場を直に見ることも含めて、よく知るべきだが、しかし、現場を見ないからといって、現場を理解できないというわけではない。

 NHKの憲法討論会で行使賛成派は、同盟国を助けなければ同盟自体が破綻するという個人間の道徳的レベルでの心情をそのまま国家間関係に敷衍するという形で議論を立てている。それは、基本的に違うレベルの問題を同一視する間違いを犯している。国家は人ではないというのは、誰が考えても当たり前であり、それを踏まえていない議論は、どうしたって現実離れになる。
 
 佐藤議員は、責任ある立場の人間として、自衛隊に謀略させるというような危険で誤った道を説くのは止めなければならない。その上で、もっとよく政治を理解することだ。それができないなら、議員・政治家として不適格である。

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