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池田氏の赤木問題への回答批判

 以下は、池田信夫氏のブログ記事である。

 これは、当ブログでも何度か取り上げてきた赤木智弘君が『論座』に書いた「『丸山真男』をひっぱたきたい」に関する議論についての氏の感想のまとめである。
 
 まず、赤木君が体験した「就職氷河期」の原因についてである。その前に、氏は、「まず「格差が拡大したのは小泉政権の市場原理主義のせいだ」という俗説は、まったく誤りである。正社員の求人は、1991年の150万人をピークとして翌年から激減し、95年には退職とプラスマイナスゼロになっている。その原因がバブル崩壊による長期不況であることは明らかだ」と言う。

 氏は、ここで、自らの信ずる学説をイデオロギー的に擁護しようとして、小泉改革批判と、「就職氷河期」の原因の問題を無理に結びつけている。小泉構造改革は、2001年の小泉政権の誕生後のことで、構造改革路線は、それ以前に始まっている。雇用問題での構造改革として、派遣業法改正が行われたのが、1999年のことであり、それまで禁止されていた製造業でも派遣が可能になるなど、派遣の範囲を26業種まで拡大したのである。
 
 赤木君が就職期だった頃は、バブル崩壊期で、それによって、バイト生活を余儀なくされたし、その後の長期不況によって、それに固定されてしまったのである。それでは、21世紀になっても彼がそこから脱出できないのはなぜだろうか? 最近は、景気回復が進んで、東京などの大都市圏では、業種によっては人手不足になっているところも出てきており、雇用環境は改善されつつあるようだが、その多くが、非正規雇用である。今問題になっているのはこういう格差である。
 
 氏は、「就職氷河期」は、長期不況が原因だから、経済成長率を引き上げて、雇用を創出すれば、問題が解決するかのごとく言う。だが、このような長期成長路線には根拠がない。やってみれば、うまくいくかもしれないという程度のものだ。池田氏は、自説を過去の経験から正当化することができない。それで、ケインズ主義は失敗したと繰り返すなど、他の経済学説にイデオロギー的批判を浴びせるしかないわけである。この路線には、成功例がないのである。
 
 だから、氏は、「したがって福田首相のいう「現在の格差は構造改革の影の部分」だから、改革の手をゆるめようという政策も誤りである。むしろ「景気対策」と称して行なわれた90年代の公共事業のバラマキが生産性を低下させ、かえって雇用環境を悪化させた疑いが強い」と疑問を呈するしかないのである。問題は、90年代の地方への公共事業のバラマキが、生産性を低下させたことにあると池田氏は言う。
 
 そして、実質成長率と地方から都市への人口移動の推移が1980年前後を除いて一致していることを示して、都市部での労働供給不足解消が必要だったと述べる。そして、「わかりやすくいうと、実質的につぶれた銀行や不動産・建設などの「ゾンビ企業」を大蔵省が「官製粉飾決算」で延命するとともに、失業者が生産性に寄与しないハコモノ公共事業に吸収されたため、労働生産性が低下したのだ」という。
 
 今の経済学というのは、こんな薄っぺらな認識で組み立てられているのかというものだ。元々、アダム・スミス以来の近代経済学は、経済・倫理・心理・社会認識を含むような総合的な学問として出発した。そこには、哲学もあった。それが、いつの間にか、自らを独立した科学の一部門であるかのように、思い上がって、ついには、経済学が、世の中を、動かす存在として、君臨するようになったとでも思い込んでいるようだ。
 
 氏は、「こうした労働供給の減少と労働生産性の低下が不況を長期化させ、しかも「日本的雇用慣行」によって社内失業者を守るために新卒の採用をストップしたことが「就職氷河期」をもたらしたのだ。この人的資源配分の不均衡は、景気が最悪の事態を脱した現在でも続いており、日本の労働生産性は主要先進国で最低だ。この意味で、まだ氷河期は終わっていないのである」とのたまう。人は、「人的資源」という経済資源の一種であり、個性も地域との結びつきも生活実態もまったく無視され、まるで、原材料のように、自由に動かせる物と同じように扱われている。
 
 ある分野で、必要なときに必要なだけの「人的資源」が調達されるというようなことは、近代経済学の夢想である。それが、成長分野に素早く移動するというようなことも夢想である。それは、そうあって欲しいという願望にすぎない。「人的資源」の側から見れば、日本全国どこにでも、すみやかに移動して、次々と異なる分野での仕事をこなすなどということは難しい。いったん、ある職種に就いたら、そこでの経験や資格や技能・能力の蓄積を生かせるような転職のあり方を望むだろう。仕事が、特殊な技能や経験の蓄積をあまり必要としないようになっていなければ、労働市場の流動化などそれほど進むわけがない。熟練の解体ということだ。もちろん、それはある程度進んでいる。それを背景にして、池田氏も、正社員の非正規化を主張するのであろう。
 
 しかし、正社員の保護をやめたら、例えば、それまで正社員がその資格によって、アクセスを許されていた企業内の高度な情報や機密を含めた企業資源がある程度失われることになるだろう。もちろん、企業秘密をなくせばいいし、役員などにそれを集中すればいいだろうし、あるいは技術開発の情報など機密を要する情報に関わるものだけを社員とする方法もあると思われるだろう。しかし、現実問題としては、難しい。現に、企業情報の持ち出しが繰り返し行われており、顧客情報などの企業機密に関わることを、どんどん流動化する非正規労働者に委ねてしまうのは、リスクが大きいのである。その場合には、企業機密の保持に関する法律などの整備が必要だろうが、はたしてこれはコストと釣り合うのだろうか? あやしいものだ。
 
 池田氏は、競争的な労働市場をつくることで、成長率を高め、失業率を減らすことができるというのだが、イギリス・アメリカの構造改革が、それほどの成果を上げたようには見えない。第一、英米の多くの人の生活の姿が、ひとつも魅力的に見えない。
 
 農業問題については、氏は、以前書いていたが、リカードの比較優位説にのっとって、日本の場合は、比較劣位な農業は切り捨てて、他の産業によって生きていくべきだということを主張している。そうすると、少子化・人口減少・労働力減少という趨勢の中で、農村から労働力を供給できて、工業やサービス業などの産業に「人的資源」を再配分できるので、結果として、それらの分野での労働者の供給が増大して、労働者間の競争が激化して、成長率が高まり、また、労働生産性が高まる。万々歳というわけだ。しかも、それは、日本国内でできるので、外国人労働者の導入にともなう治安や人権問題その他のリスクを避けられるというわけだ。
 
 しかし、成長が継続すれば、それにともなって、今度は、労働力不足による労働力の市場価格の上昇が起きないだろうか? 需要供給の法則によって。成長産業への労働力の移動の決め手は何だろうか? 賃金の高さだというのが、需要供給の法則からの当然の答えだろう。池田氏があげる「情報・金融・福祉・医療といった労働需要の大きいサービス業」のうち、福祉・医療分野では労働需要は大きいが、労働条件の厳しさによって、それこそ流動化が激しいことが、労働需要を大きくしている一因である。それに、これらの分野での労働力価格の水準は、政府支出に大きく依存しているということもある。池田氏の経済学では、一方には、過剰な正社員を抱える産業があって、他方には、労働需要が大きいサービスなどの産業がある。前者から、後者に、労働力が速やかに移動できれば、問題は、需要供給の法則にしたがって解決するというわけだ。
 
 このような非現実的で空想的な議論を聞いたら、亡き森島通夫ロンドン大学名誉教授も、さぞかし嘆かれることだろう。池田氏は、反セイの法則のことも忘れてしまったらしいし、それに、何よりも、経済学が、哲学・倫理学・社会学・政治学・心理学等々を含む広い学問として出発したことをすっかり忘れている。ケインズ革命は、当然、それら総体の変革ということを意味してたのであり、たんに、政策的に効果がどうとかというレベルの問題ではなかった。反ケインズ派とケインズ派との闘いは、広範な戦線をふくんだ闘いだったのであり、それが、簡単に片が付いたと思うのは、勝手な妄想である。
 
 それから、赤木問題は、いつの間にか、失業率の問題にすり替えられている。赤木問題は、失業率の問題ではない。それなら、この間の都市部での景気回復によって、ある程度の改善が進んでいる。しかし、その多くが、非正規雇用であって、格差が固定したままだというのが赤木問題である。失業率が改善しても、非正規雇用のままだと、正社員並みの生活という赤木君の願いがいつまでも叶わない。だから、彼は、平等をもたらす「戦争が希望だ」と叫んでいるのである。雇用の中味を問題にしているのに、それに失業率という数字で答えるのが、池田氏の経済学であるとしたら、こんな「経世済民」の学は、赤木君の幸福になんの寄与もしない下らない頭の体操でしかないし、無駄な暇つぶしにすぎない。池田氏は、大変自慢らしいが、今の経済学会なんて、人々には何の役にも立たない無駄遣いをしているだけの、それこそ、「学会ギルド」「学者ギルド」にすぎないのではないか。それはたんに財界に奉仕するだけの団体なのではないだろうか。解体すべきは、まずは、自分たちではないかという反省があって、はじめて、赤木問題をリアルに論じることが可能になるのではないだろうか。
 
 氏は、「労働者派遣法には派遣労働者を一定の期間雇用したら正社員にしろといった規定があるが、これは結果的には企業が派遣労働者の雇用を短期で打ち切ったり「偽装請負」を使ったりする原因となるだけだ。労働市場の反応を考えない「一段階論理」の設計主義による労働行政が、結果的には非正規労働者の劣悪な労働環境を固定化しているのである」という。なんと労働者派遣法を企業が守らないのは当然で、企業の脱法行為を正当として、それを労働行政のせいにしているのである。それが、非正規労働者の劣悪な労働環境を固定化している原因だと。正社員は、各種保険・雇用保証などで、非正規より優遇されている。もちろん、長時間労働などの問題があるけれども。このような雇用形態の差異にともなう労働者の待遇の優劣の問題はどうなるのか? 池田氏は、一体どこの国の人なのかと思わざるを得ないのは、氏が、経済が人々の幸福の増進のためにあるのではなく、特定の経済学のイデオロギーの実現のためにあると考えているように見えるからである。今の経済学は、そんなことでいいのだろうかと強く疑問に思う。いや、だめだ。「経世済民」の学という経済学の原点に戻ってもらいたいものだ。

 これでは、まったく赤木問題の答えになっていないのは、誰が見ても明らかである。赤木問題は、失業率の問題では全然ない。赤木君は失業者ではない。これは、ごまかしであり、とても腹の立つ文章だ。池田経済学は下らない。

「就職氷河期」はなぜ起こったのか
2007-09-29 / Economics
  フリーターの告発「『丸山眞男』をひっぱたきたい」をめぐって始まった議論は延々と続き、コメントも3つの記事の合計で400を超えた。なぜ「就職氷河期」が起こり、10年以上も続いたのか、こういう状況をどうすれば是正できるのか、についていろいろな意見が出たが、ここで私なりの感想をまとめておく。

  まず「格差が拡大したのは小泉政権の市場原理主義のせいだ」という俗説は、まったく誤りである。正社員の求人は、1991年の150万人をピークとして翌年から激減し、95年には退職とプラスマイナスゼロになっている。その原因がバブル崩壊による長期不況であることは明らかだ。

  したがって福田首相のいう「現在の格差は構造改革の影の部分」だから、改革の手をゆるめようという政策も誤りである。むしろ「景気対策」と称して行なわれた90年代の公共事業のバラマキが生産性を低下させ、かえって雇用環境を悪化させた疑いが強い。したがって「都市と地方の格差」が最大の問題だというアジェンダ設定も誤りである。

実質成長率と人口移動(1955年=100とする)
出所:増田悦佐『高度経済成長は復活できる』

  上の図は、実質GDP成長率と大都市圏への人口移動(純増)を比較したものだが、1980年前後を除いて見事に一致している。多くの経済学者が、この「1970年問題」を重視し、日本の成長率低下の最大の原因は石油ショックではなく、70年代から田中角栄を初めとして「国土の均衡ある発展」を理由にして進められた社会主義的な「全国総合開発計画」によるバラマキで、都市(成長産業)への労働供給が減少したためだ、という説が有力である。

  さらに1970年代とほぼ同じ動きが、90年代に見られる。ここで成長率が激減しているのは、もちろんバブル崩壊が原因だが、同時にそれに対して行なわれた100兆円以上の「景気対策」によって地方で大規模な公共事業が行なわれたため、戦後初めて都市から地方へ人口が「逆流」している。これが不況をかえって長期化させたのだ。

90年代のくわしい実証研究でも、90年代に各部門の雇用が減る一方、建設業だけが増えており、こうした部門間の人的資源配分のゆがみによって労働生産性が大きく低下したことが示されている。わかりやすくいうと、実質的につぶれた銀行や不動産・建設などの「ゾンビ企業」を大蔵省が「官製粉飾決算」で延命するとともに、失業者が生産性に寄与しないハコモノ公共事業に吸収されたため、労働生産性が低下したのだ。

  こうした労働供給の減少と労働生産性の低下が不況を長期化させ、しかも「日本的雇用慣行」によって社内失業者を守るために新卒の採用をストップしたことが「就職氷河期」をもたらした。この人的資源配分の不均衡は、景気が最悪の事態を脱した現在でも続いており、日本の労働生産性は主要先進国で最低だ。この意味で、まだ氷河期は終わっていないのである。

  だからマクロ的にみて最も重要なのは、労働市場を流動化させて人的資源を生産性の高い部門に移動し、労働生産性を上げることだ。そのためには、流動化をさまたげている正社員の過保護をやめるしかない。労働者派遣法には派遣労働者を一定の期間雇用したら正社員にしろといった規定があるが、これは結果的には企業が派遣労働者の雇用を短期で打ち切ったり「偽装請負」を使ったりする原因となるだけだ。労働市場の反応を考えない「一段階論理」の設計主義による労働行政が、結果的には非正規労働者の劣悪な労働環境を固定化しているのである。

  問題は、非正規労働者を正社員に「登用」することではなく、労働市場を競争的にすることだ。ゾンビ企業などに「保蔵」されている過剰雇用を情報・金融・福祉・医療といった労働需要の大きいサービス業に移動すれば、成長率を高め、失業率を減らすことができる。そのためには労働契約法で雇用を契約ベースにし、正社員の解雇条件を非正社員と同じにするなど、「日本的ギルドの解体」が必要である。また「都市と地方の格差」を是正するよりも、逆に都市への人口移動を促進する必要があり、農村へのバラマキをやめて地方中核都市のインフラを整備すべきだ。

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