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ゲバラ没後40年

  10月9日は、チェ・ゲバラ没後40年であった。その追悼集会が、キューバをはじめ、世界各地で行われた。日本でも、「10.8ゲバラ没40周年記念フォーラム」が東京であり、会場のキャパシティを超える130人あまりが集まった。

  この日を前に、『毎日新聞』の発信箱というコラムで、玉木氏は、「遠くを見やるベレー帽の肖像はアートとして定着し、ポスターや看板、Tシャツ、スタジアムの応援席などあらゆる場にある。彼のはるかなる革命を思うまなざしはファッション街の空に向いている」と書いている。確かに、ゲバラは、アートやファッションの世界で、若者などの中に生き続けている。ゲバラは、今や神話上の人物である。その旗は、サッカー・スタジアムの応援席で、日の丸と共に振られている。不思議な光景だが、実際そうなのだ。ゲバラは、今や若者たちの何かを代表している象徴なのである。日の丸では象徴できない何かを象徴しているのだ。

  彼はアルゼンチン人だが、亡命中のカストロに出会い、無謀とも言えるグランマ号でのキューバへの上陸、そして農山村を拠点にしたゲリラ戦に参加する。腐敗したキューバの特権階級の独裁政府に対する闘いで、ゲリラの士気は高く、高い規律を維持した。その後、カストロ政権の大臣となるが、ソ連派と対立、後に、ボリビアに潜入し、国境を越えるアメリカ大陸革命の最先頭に立とうとした。そして、ボリビアで、最期を遂げるのである。

  彼の「不屈の理想主義と直接行動主義」は世界に共鳴者を得た。ちょうど、世界的な学生反乱の時代であり、ベトナム反戦、学園闘争が、世界中で同時に高揚していた時代である。

 それから、40年もの時を隔てている今、若者たちが、ゲバラのTシャツを着て、ゲバラのポスターを貼っているのは、ゲバラの理想に生きる姿に共感するからだろう。

 太田昌国氏は、「ゲバラを理想主義者の高みに持ち上げて捉える時期は、とうに過ぎている」と言うのだが、しかし、現代の若者たちの心を捉える何かを象徴しているゲバラはやはり神話の人物と化しているのであり、そうして生き続けていることを考えると、はたして、それでいいのだろうかという疑問を感じる。たしかに、「どの時期を見ても、彼は自らを囲む現実と相渉り、喜び、悩み、苦しみ、傷ついている」。だからこそ、理想を追い求めたのではないだろうか? 
 
 「それを感受している人びとこそが、彼とその時代の経験を大事にしつつも、それを超える新たな価値を創りだすための模索をしている」。それはそうだろう。要するに、それを感受できる人々は、ゲバラ同様、理想主義者である他はないということである。別の道を模索しているにしても、やはり理想主義者であることに変わりはないはずだ。それを、悪いこととは思わない。
 
 「彼が信じ、そのために生きた社会主義の理想は、現実には敗北した。彼は、ソ連型社会主義に対する痛烈な批判者であったが、そのソ連邦は崩壊して今や存在せず、社会主義そのものも危機に瀕している。ゲリラ兵士という、かつてなら未来への夢や理想主義にも通じる響きを持っていた呼称は消え去った。武装する者の多くは、その思想と行動形態に理想主義のかけらも見出されないことから、「テロリズム」と冷たく名づけられる時代がきた」。
 
 これは、ちょっと、待てよである。社会主義の理想は、敗北などしていない。ハイエクを生んだ近代経済学のオーストリア学派からさえ、社会主義者が出ているように、社会主義の理想は現代でも生きている。ソ連型計画経済が潰えたからといって、社会計画一般まで敗北したわけではない。それについては、故森島通夫ロンドン大学名誉教授の「思想としての近代経済学」(岩波新書)を参照されたい。単純化して言えば、氏の考えでは、現代の市場主義者にしても、均衡論を取っている限りは、経済学的には社会主義者と言ってよいということになる。今、新自由主義路線は、半社会主義的なケインズ主義との折衷に修正されつつある。もちろん、今の社会主義の理想は、昔とは内容が違う。
 
 それから、例えば、チェチェン解放闘争で、そのゲリラ兵士は、ロシアなどから「テロリズム」扱いをされてはいるが、そのチェチェン独立の思想と行動形態に理想主義のかけらも見出されないのだろうか? そうは思わない。サパティスタは、武装しているし、政府軍と戦闘も行っているれっきとしたゲリラである。ついこの前、過去のゲリラ闘争を含む解放闘争の歴史を継承する者として、自らを位置づけたばかりのはずである。それから、サパティスタは、反資本主義という旗をはっきりと掲げている。確かに、反前衛主義的ではあるが、どんな社会運動だって、先頭に立って、旗を振る人はいるし、そういう意味での前衛まで否定したら、運動そのものがなくなってしまうのではないだろうか? 偉大な女性革命家ローザ・ルクセンブルクは、運動は自然発生するとして待機主義に陥った第2インターの指導部を、痛烈に批判した。彼女もまた「自らを囲む現実と相渉り、喜び、悩み、苦しみ、傷ついている」理想主義者であった。彼女の手紙(岩波文庫)を読めば、それは誰にも明らかである。
 
 玉木氏は、「多くの若者はゲバラの何者たるかを知らない。そんなことは関係なく、時を超えて若い世代を鼓舞する何かを彼は発しているのだろう」と言うけれども、若者などは、そこまで、ゲバラに無知ということもないだろう。人々の「声なき声」を伝えるのは、知識人の役割だとカルチャル・スタディーズ派の誰かが言っていたように思うが、ゲバラのTシャツを着ることで、若者などがどのような「声なき声」を発しているのか、気になるところである。

発信箱:天国の味=玉木研二(『毎日新聞』2007年10月2日)

 チェ・ゲバラは1928年アルゼンチンに生まれ、ブエノスアイレスで医学を修めた。キューバのカストロに共鳴し武力革命に参加、成功させるが、政権の地位になじまず、中南米革命の理想に従いボリビアに潜る。山岳ゲリラを指導中の67年10月8日、政府軍の襲撃に負傷して捕まり、翌日処刑された。ちょうど40年になる。

 革命を決意したのは医学生だった51年、モーターサイクルで大陸を旅し、貧困、搾取、差別、虐待を目の当たりにしてからだ。特にインディオの境遇は悲惨だった。

 ボリビアの山中を移動しながら付けた日記がある。死の1週間前の2日付。「コーヒーを作った。水は苦く、湯をわかすのに使ったやかんには油が浮いていたにもかかわらず、天国のような味であった」(「ゲバラ日記」仲晃・丹羽光男訳、みすず書房)

 17人のゲリラ部隊は孤立無援に追い込まれていた。「天国の味」のくつろぎもつかの間、日記は7日付で絶える。苦難をつづりながら最後の行まで全く絶望の色がない。

 それがゲバラの真骨頂であり、不屈の理想主義と直接行動主義は世界中に共鳴者を生み、デモやバリケードには肖像が掲げられた。

 時代は移った。遠くを見やるベレー帽の肖像はアートとして定着し、ポスターや看板、Tシャツ、スタジアムの応援席などあらゆる場にある。彼のはるかなる革命を思うまなざしはファッション街の空に向いている。

 多くの若者はゲバラの何者たるかを知らない。そんなことは関係なく、時を超えて若い世代を鼓舞する何かを彼は発しているのだろう。(論説室)

現在を読む「ゲバラ没後40年」今なお豊かさを増すその物語 太田昌国(『毎日新聞』2007年10月8日)

 エルネスト・チェ・ゲバラが南米ボリビアの山中で殺されたのは、1967年10月9日のことだった。ちょうど死後40年である。反帝国主義・民族解放の理想の下に、彼とその部隊はゲリラ闘争を戦っていた。しかし、政府軍との攻防で負傷して捕虜となり、翌日、裁判もないままに銃殺された。
 
 ゲバラは、人間が人間の敵である資本主義社会の原理とは正反対の、友愛に満ちた水平的な社会主義者であった。合法的な手段による社会変革の道が閉ざされている独裁政権下の国々では、武装闘争こそが解放へと至る道であると確信していた。自らその立場を貫き、体力的にゲリラ戦士としての限界を感じ始めた39歳で死んだ。
 
 コロンビアのノーベル文学賞作家ガルシア・マルケスはゲバラと同時代人で、成年も同じだ。代表作『百年の孤独』はゲバラが死んだ67年に公刊された。ゲバラの死を知ったマルケスは、明らかに彼へのオマージュとして、見事な短編「この世でいちばん美しい水死人」を書いた。その死は、立場を超えて、多くの人々に悼まれた。

 だが彼の死後40年の間に、世界の情勢はすっかり変わった。彼が信じ、そのために生きた社会主義の理想は、現実には敗北した。彼は、ソ連型社会主義に対する痛烈な批判者であったが、そのソ連邦は崩壊して今や存在せず、社会主義そのものも危機に瀕している。ゲリラ兵士という、かつてなら未来への夢や理想主義にも通じる響きを持っていた呼称は消え去った。武装する者の多くは、その思想と行動形態に理想主義のかけらも見出されないことから、「テロリズム」と冷たく名づけられる時代がきた。
 
 かつてゲバラが体現していた価値は、40年後の今すっかり地に墜ちたかのように見える。だが、ゲバラは世界中で、人々の注目を浴び続けている。著作集は繰り返し出版され、新たな読者を得ている。フォトジェニックな(写真向きの)容姿をした彼を捉えた写真集ばかりか、カメラ好きだった彼が撮った写真も注目されている。大部な評伝が複数の著者によって書かれ、先般評判になった『モーターサイクル・ダイアリーズ』以後も、その生涯を映画で描く企画も絶えることがない。
 
 権力の座にしがみつくことなく身綺麗に生きた人間への共感があろう。その生涯を彩る革命的ロマンティシズムへの憧憬もあろう。現実の世界が、興ざめの様相を呈すれば呈するほどに、それを超越して生きたかに見える人への関心が高まることはあり得よう。
 
 だが、ゲバラを理想主義者の高みに持ち上げて捉える時期は、とうに過ぎている。どの時期を見ても、彼は自らを囲む現実と相渉り、喜び、悩み、苦しみ、傷ついている。それを感受している人びとこそが、彼とその時代の経験を大事にしつつも、それを超える新たな価値を創りだすための模索をしている。彼にとって躓きの石のひとつは、その前衛主義的な志向であったといえようが、ラテンアメリカをはじめ世界各地には、垂直的な前衛主義を乗り越えようとする社会運動が多様に存在している。白人ゲバラは40年前、先住民族との出会いに失敗した。今、メキシコのサパティスタのように、ボリビアで先住民大統領の誕生を実現した運動のように、ゲバラを社会革命の先駆者としてみなしながら、それとは別な道を探る先住民族の動きが活発化している。
 
 日本の視座から見るなら、次の事実はもっと注目されてよい。キューバ革命勝利の年の59年、ゲバラは経済代表団団長として来日した。受け入れ側の日本外務省は、千鳥ヶ淵墓園への献花を予定に組み入れたが、「日本の兵士はアジアで多くの人々を殺戮したから、献花はできない」と断り、広島こそが私の行きたい街だと主張して、それを実現した。原爆資料館を見た彼は「米国にこんなにされてなお、言いなりになるのか」という言葉を案内者に語った。
 
 ゲバラの敗北から目を逸らさない現代の社会運動や、時代を超えて生き続ける挿話を通して、「ゲバラとその時代」は、なお豊かさをましていくだろう。

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