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「連合」は格差是正に取り組む新路線で、「生きづらさ」と闘え

 「連合」の定期大会で、高木会長は、今後2年間、非正社員への支援と組織化に最優先で取り組むとする運動方針案を提起した。
 
 「連合」は、これまで、大企業正社員と公務員に軸を置いて活動してきたが、組合員数が減少し続け、組織は、じり貧状態にあった。他方で、バブル崩壊後の長期不況や構造改革路線によって、1700万人を超えるパートや派遣などの非正規雇用労働者は拡大し続けてきた。都市部を中心とする景気回復によって、一部業種や新卒採用などでは雇用が拡大しつつあるが、都市部と地方、正規と非正規の格差は、拡大・固定したままである。
 
 あいさつで高木会長は、「非正社員の現状への感度が鈍いと批判されている連合運動の鼎の軽重が問われており、運動の柱に据えたい」と述べたという。連合執行部が、「連合」のこれまでの路線を自己批判したもので、現状にやっと目を向け、対策に本腰を入れると宣言したのである。遅いが、良い方向への路線転換と思うから、一定、評価したい。もはや大企業正社員と公務員だけでは、労働運動がじり貧であることは目に見えている。そのことは、先の「連合」会長選挙において、女性パート労働者の組合委員長の鴨下桃代さんが、高木会長と争って善戦したことに示された組合指導部の危機感の大きさに現われていた。

 非正規雇用若年労働者の労組をつくる動きが、活発になり、介護大手のグッドウィル・ユニオンなどは、組合員を拡大し続けている。

 雨宮処凛さんは相変わらずパワフルだ。彼女は、『マガジン9条』127号の「雨宮処凛がいく」で、「それぞれの「生きづらさ」を抱えながら、だけどみんな、「生きてるぞ! 」と全身で訴えている。そういうことにしか、私はこれからも感動しないと思う」と書いている。このような人々の「生きづらさ」に共感する感性が、大企業正社員と公務員の労組になってしまった「連合」労働運動には必要だ。たぶん、雨宮さんと赤木智弘君の違いの一つは、「生きているぞ!」と全身で訴えていることに感動しているかしていないかという点にある。もっとも、それぞれが、自分の「生きづらさ」の原因を追求し続けることから、今日の社会やシステムの問題を考えているのは共通するのだが。
 
 アメリカのイラク反戦運動の象徴となり、アメリカ国家に対して、戦死した息子の死の意味を問い続け、運動の先頭に立って闘い続けている反戦の母シンディ・シーハンさんは、自らが、「生きているぞ!」と全身で訴えることによって、国家による殺人を告発し続けている。雨宮さんとシーハンさんは、海を隔てた遠い国で生きながら、生きる姿勢において同志である。
 

 非正社員支援、運動の柱に 連合定期大会で高木会長(『東京新聞』2007年10月11日)

 連合(667万人)は11日、東京都内で定期大会を開き、非正社員への支援と組織化に最優先で取り組むとする今後2年間の運動方針を提案した。大企業正社員と公務員に軸足を置いてきた路線の転換となる。

 高木剛会長はあいさつで「1700万人を超える人がパートや派遣などで働き、多くが低所得という状況が格差社会への懸念を強めている。非正社員の現状への感度が鈍いと批判されている連合運動の鼎の軽重が問われており、運動の柱に据えたい」と述べた。

 具体的には本部に「非正規労働センター」を新設。インターネット上で非正社員に情報提供したり、労働相談に応じたりするという。

 低下傾向が続く労組の組織率に関して高木会長は「労働運動の死活ラインすれすれまで低下したという認識を持たなければならない」と危機感を示し「700万人連合への復活」を目標に掲げた。(共同)

 連合の方針転換/「非正規」支援優先、後は実行(『河北新報』社説10月11日)

 日本最大の労働組合のナショナルセンター、連合(高木剛会長)が、非正規労働者の支援に本格的に乗り出す。

 パート、契約、派遣といった非正規労働者や中小零細企業の労働者に対する支援・連携の強化、組織化を最優先とする今後2年間の運動方針案が、11、12両日の定期大会で正式に承認される見通しだ。

 大企業の正社員や公務員中心の連合の方針転換だ。歯止めがかからない組織率低下と、働いてもまっとうな暮らしができないワーキングプア(働く貧困層)に象徴される非正規労働者の著しい処遇の劣化が背景にある。

 自らの職場を守る活動に終始する一方、非正規労働者の均等待遇を担保できないまま、労働市場の規制緩和を許し、組織の弱体化と格差の拡大を招いたとの反省が重い腰を上げさせた。

 労組と縁の薄い「非正規」が労働者の3割強を占める現状を踏まえれば、方針転換は必然であり、背水の一手でもある。

 運動方針案によると、「非正規労働センター」(仮称)を全国の地域協議会などに設置。雇用・労働条件をめぐる総合的な相談業務と組織化を図る。インターネットを利用した労働者のネットワーク化の推進なども盛り込んだ。

 実際、「非正規」の窮状をうかがわせるデータは多い。

 民間企業で働く人の昨年の平均年収は、9年連続で減少した(国税庁調べ)。低賃金の「非正規」雇用が増えているためで、200万円以下が21年ぶりに1000万人を超えた。

 日雇い派遣労働者の平均月収は15万円前後(厚生労働省調べ)。大半がこれで生計を立てているという。弁護士や労組でつくる「派遣労働ネットワーク」の別の調査で、「現在の収入で十分生活できる」と答えたのは9%にとどまった。

 ここにきて、結婚・出産もままならない「下層」拡大への問題意識が高まり始めている。

 厚労省は企業業績の好転が個人に還元されていない実態を重視、今年の「労働経済の分析」(労働経済白書)に労働分配率強化の必要性を明示した。

 現状の打開に自ら動く若者らも現れた。

 製造業派遣大手「日研総業」の派遣労働者でつくる日研総業ユニオンは、派遣会社に加えて派遣先の会社も団体交渉に引っ張り出し、直接雇用と時給引き上げの成果を勝ち取った。

 組合活動の価値が再認識される兆しは確かにある。ただ、待遇改善の方途を熟知し行動を起こせる人はそうはいまい。
 労働市場の弾力化・就業形態の多様化が進む中で、均等待遇の確保を要とする労働環境の改善に向けた連合の役割は重い、と言わざるを得ない。

 組織の壁を乗り越える意識改革が、掲げた運動の成否を左右する。その積み重ねは同時に、労働者派遣法の改正など、労働側の意向をくみ取った労働法制実現の力にもなるはずだ。

 論より実行。連合は存在意義を問い直し、今、危機を再生につなげる「最後の機会」と心得るべきだ。

 山形映画祭と「こわれ者の祭典」、の巻(『マガジン9条』http://www.magazine9.jp/)127号10月10日)

 10月5日、この連載の第10回でも紹介させて頂いたドキュメンタリー映画「遭難フリーター」が山形国際ドキュメンタリー映画祭に正式招待され、上映されたので行ってきた。監督は24歳。現在も派遣でテレアポの仕事をするバリバリのフリーター。そんなフリーターがドキュメンタリー監督の登竜門とも言われる映画祭に正式招待されてしまうのだから人生ってわからない。

 が、とにかくこの作品、素晴らしいのだ。アドバイザーである私が言うのもなんだが、現代のフリーター問題のすべてが詰まっていると言っても過言ではないだろう。派遣会社の横暴さ、大企業の派遣社員に対する冷酷さ、そして現場で働く派遣の人々の生の声が痛々しく、切ない。彼らは何も多くのものを求めてなどいない。ただ、普通に働いたら食べられるだけのお金がほしい、できたら正社員になってボーナスが欲しい、たったそれだけだ。そして「格差社会」や「ワーキングプア」など「社会問題の当事者」として扱われることへの居心地の悪さ。自分たちはただ必死で生きているだけなのに、勝手に「負け犬」「奴隷」とレッテルをはられ、「なんとかしろ」と無意味な説教をされる。それらに対するイライラやモヤモヤを、監督であり主人公であるぶっちは、この作品で爆発させている。上映後、舞台挨拶でぶっちは言った。
「ただ、自分が生きる、生きてるってことを撮りました」

 若者にいくら「格差社会の犠牲者」と言っても、彼らはそれ以前の世界を知らない。終身雇用の世界も、経済成長の世界も、右肩上がりの世界も。だからこそ、一人一人が右往左往しながら必死で生き方そのものを模索している。そう、「生き方」こそが失われているのだから、自分で探すしかないのだ。「遭難フリーター」を見ながら、自分が最近書いた原稿を思い出した。発売されたばかりの『世界』11月号で、私は「ロストジェネレーションの仕組まれた生きづらさ?『九五年ショック』と強要される『自分探し』」という原稿を書いた。「ロストジェネレーション」の「ロスト」が何を失ったことを指すのか、それを考えた果てに、失ったものは結局「生き方」そのものではないかと思ったのだ。「社会に出て働いて自活する」ということが多くの若者にとって「不可能」となった時(24歳以下の非正規雇用率は50%近く)、親世代が望む「安定した」人生のモデルは破綻した。そしてどうすれば最低限餓死せずに、過労死せずに、或いは少しでも「幸せ」に生きていけるのか、そんなことさえわからなくなってしまった。そんな地平に立たされた世代からの逆襲が「遭難フリーター」だ。

 さて、遭難フリーターの翌日は山形から新潟へ。「正規雇用、非正規雇用って何? ?若者の就労の現状を探るシンポジウム」で話してきた。私の話のあとに、障害者就業支援をしている人や「父ちゃん子育て協力の会」、そして商店主の方々も登場。そこで(途中参加で私の話を聞いていなかった)一部から「とにかく挨拶が大事」という精神論、「労働者の権利なんて言ったら自分は『さようなら』という気持ちになる」などという、私にとってはブチ切れキーワードも登場。多くの大人と言われる人たちが若者に、「働かせてもらうなら労働者の権利なんて言ってはいけないし考えてもいけない」という嘘をどれほどバラまいているだろう。その果てに過労死・過労自殺に追い込まれた人々の取材をしている身からすると、そういう発言はもはや暴力だと思うのだ。「そうですか、そう言い続けた果てにお宅のお子さんがひどい働かされ方をしてボロボロになった果てに死んでもそう言うわけですね?」と詰め寄りたくなる。

   ぶっちは映画祭期間中も「遭難」中。泊まるとこがなくて、紙袋持参でネットカフェに泊まっていた。

 その翌日は新潟で「こわれ者の祭典」。「こわれ者の祭典」は心身障害者パフォーマンスイベントで、私は名誉会長をつとめているのだが、久々に見た「こわれ者」はものすごく「パワーアップ」していて驚いた。今回のテーマは「ストップ・ザ・自殺」。ネット心中などの「死に向かう共同体」ではなく、その力を生きる方に向けていこうという彼らの取り組みは多くのファンを得て成長し続けている。で、これがなんと「お笑いイベント」なのだ。脳性まひの若い二人組が「脳性まひブラザーズ」を結成してコントを披露する。筋ジストロフィーの人が登場すると、脳性まひブラザーズは「カッコいい!」と叫ぶ。「脳性まひ」という言葉より「筋ジストロフィー」の方が、病名がカタカナで「カッコいい」そうだ。で、筋ジストロフィーの19歳の少年は「お笑い」に生きる勇気をもらったことから自分も芸人になりたいと思い、この日、新潟のお笑い集団NAMARAから芸人認定され、正式デビュー。その後「落語」だかなんだかよくわからないけど、とにかく素晴らしい話術を披露してくれた。「ハエにもバカにされた」とか、金が欲しくて有名になりたくて年齢問わず女にモテたいとか、煩悩全開の彼の表現は素晴らしいオリジナリティに満ちている。

 その後に登場した同じく筋ジストロフィーの2人は推定50代。林業の経験がある畑山さんが車椅子で「あの杉のように」という自作の歌を歌うのだが、無茶苦茶感動的なのだ。病気によって衰えていく身体、差別、偏見などの苦しみ。そしてあの杉のように生きたいと朗々と美声で歌い上げる。そうして次は車椅子で行商をしている渡辺さんが自作の詩を披露。病気を受け入れられずに葛藤した日々を語り、そして、言う。「手足がきかないのは、大したことじゃない。寝返りできないのは、大したことじゃない」。そう思って、車椅子で行商を始める。「車椅子で物売りをしていると、自分は身体が悪くないみたいだ。社会の中で生きていると感じる」。朴訥とした語り方がたまらなく迫ってくる。

 遭難フリーターと、こわれ者の祭典。それぞれの「生きづらさ」を抱えながら、だけどみんな、「生きてるぞ! 」と全身で訴えている。そういうことにしか、私はこれからも感動しないと思う。

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