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案外子供たちはしっかりと育っているようだ

 10月31日に発表された博報堂総合研究所「子供の生活10年変化」という意識調査結果を見ると1997年の調査結果から10年の間の小学4年生~中学2年生(おおよそ10歳~14歳)の意識と行動がかなり変化していることがうかがえる。
 
 博報堂生活総合研究所は、同年代の“アフターバブル・キッズ”(1992年~97年生まれ)と10年前の子供たち(1982年~87年生まれ)の生活行動や意識の比較を行っている。10年前の子供たちは、ほぼバブル期に幼少期を過ごし、思春期は、バブル崩壊後の長期不況下にあり、今、19歳~24歳ぐらいの青年期になる。最近の景気回復で、バブル期以上の売り手市場と言われるほど引く手あまたの就職バブル情況にある。
 
 他方、アフターバブル・キッズの方は、幼少期は、バブル崩壊後の長期不況下で、「ゆとり教育」を受けた世代である。
 
 博報堂は、2007年の世論調査結果を以下のようにまとめている。

[要旨]

   1997 年調査では、他者との人間関係や社会システムの変化に対してスイスイと機敏に適応する子供の姿を“アメンボキッズ”と名づけました。一方、2007 年調査からは、ゆとりが減り忙しくなった子供たちが、勉強やスポーツや人間関係のバランスをとりながら、やりくりをしている姿が見えてきました。今の子供たちは、学校で緩やかな「関係」を確保、家でしっかり「休息」を確保、興味関心の場で「自我」を確保と、“暮らしの3 点確保”を意識し、バランスをとって生活しています。社会の閉塞期でもある「失われた10 年」に生まれ育った子供たちゆえの特徴です。

 バブル崩壊後の「失われた10年」に生まれ育った子供たちが、それなりに学校や家や自我を無理なく確保し、バランスよく生活している姿が見えるというのである。
 
 まず、学校生活では、友達の数が、10年前より平均で8人増え、67人もおり、さらに、子どもたちは「友達の話」に興味を増やし、8・9ポイント増の48・1%に達している。ただし、友達との関係は緩やかなものだという。家庭生活では、家族関係は良好と答える割合が増加、親とのコミュニケーションが向上しているようである。興味関心では、「本をよく読む」が15・3ポイントも増えて、22・3%から37・6%と大幅に増えているのが目を引く。さらに、テレビや映画や本などを見て、感動する子供の割合が増えているというのも興味深い。
 
 他方で、「時間的ゆとりがない」「睡眠時間が欲しい」という子供の割合が増えていて、「ゆとり教育」が実際には、塾や習い事が増やすことで、総合的には、子どもたちの「ゆとり」をなくしたことがうかかがえる。親が、「ゆとり教育」にそういう形で対応したということだろう。
 
 気になるのは、バブル期生まれの子供たちはなぜ友達が少なく、本も読まず、映画やテレビを観たり、本を読んでも、あまり感動しないで、親とのコミュニケーションが少なかったのか、等々のことである。それに対して、アフターバブル・キッズの親は、バブル期に青春を過ごした世代であるが、その子供たちが、案外、しっかりと育っているのは、親が変わったからなのか、それとも時代が変わったからなのか。「失われた10年」が、親の世代の意識や生活態度や子育て観を変えてしまったのだろうか?
 
 バブル期のドラマや小説などは、人間関係がドライに描かれていたような気がする。小説では、田中康夫の「なんとなくクリスタル」とか村上春樹とかがある。しかし、その後、田中康夫は、政治の世界へ、そして村上春樹は、オウム真理教事件の被害者への思い入れとそれぞれ熱い情熱に突き動かされて、生きているように見える。変化のメルクマールは、就職氷河期世代の雨宮処凛さんが言う1995年の阪神大震災とオウム真理教事件か? 政治的にも、自社さ連立政権が崩壊し、自自、自自公、自公と相手が変わる連立政権が続いていき、長銀、北海道拓殖銀行、山一証券と歴史のある大金融機関が倒産していき、という時代に突入する。
 
 阪神大震災は、政府の危機管理能力への信頼を崩壊させ、以後、危機管理が叫ばれるようになり、国家の危機管理体制の強化が叫ばれるようになる。そこから、官邸機能の強化や情報収集・伝達体制の整備や国家安全保障の強化とか、一連の今日まで続く、国家治安機能の強化の動きが、強まる。それに対して、村山政権が、国民の生命・財産を守ることができない統治能力の不足が批判され、社民党に対する失望が広まっていく。
 
 オウム真理教事件においても同じことが言われたが、この事件は、バブル期の物質文明の行き詰まり、精神文明への突入という形で言われたバブルへの批判意識が、神秘主義的宗教に若者などが惹かれた原因であることを明らかにした。バブル期の宗教に対する甘い見方は反省を迫られた。その後、「法の華」事件をはじめとする新興宗教団体の犯罪が次々と発覚した。それに対しては、社会的思考の進化・発展ということで、社会的に対応する必要がある。それは、この社会が、物神崇拝という宗教的意識形態を無意識あるいは催眠的意識状態の中に持っていることと関係があるからである。
 
 それに対して、既存の合理主義的思考は無力なのである。オウム倫理教の幹部たちは、合理主義精神で教育されたエリートだったからである。バブルに行き着いた近代合理主義の結末に、失望し、嫌悪感を持った人たちだったのである。それに非合理主義で対応しても解決できない。それには意味ある生活であるとか意味ある社会であるとか、意味の新生とかいうことが必要である。それには、一つには、読書を含めた言語的コミュニケーションの発展と改革が必要である。この社会の中で、壊されているのは、この機能であり関係である。アフターバブル・キッズが、こうしたものを育てているように見えるので、少しほっとした。未来に少し希望が見えた世論調査結果であると思う。
 
 それに比べて、中教審の道徳の教科化だの教育再生会議のバウチャー制度導入だのの話は、ひとつも未来への希望を感じさせない話で、げんなりする。
 

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コメント

時代は 歴史は 語りますね。人の思考 生活 ~
政治 宗教 の移り変わり 政治も 宗教も 難しいですね。~
文化 道徳 表現 脚本 フィックション 教育 科学 医学 心理学~他
未来はどうなっていくのかなぁ?
田中康夫 プログで 検索中です
なんとなくクリスタル 流行りましたねまだ 私は 読んでいません。田中康夫さんの 講演会を ある学園祭で 聴いたことあります。ちょうど 長野の県知事に なるぐらいの時期かなぁ?よく思いだせない。
超満員でした。(その教室は 後ろの方だと 声しか 聞けない状態 廊下に あふれるぐらいの人)小説家研究会(名前検討中

投稿: 村石太&心理学者&宗教学者 | 2012年10月 6日 (土) 10時43分

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