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「格差社会」解消が、希望である

 Ohmynewsに辛島氏の「赤木智宏さんの論文読みました」という記事があった。

 内容は、事業を起こすために、脱サラしたが、事業が軌道に乗らず、派遣で単純労働している辛島氏が、フリーターとして長年働く中で、「希望は戦争」と主張するに至った赤木智宏さんの論文を読んでの感想である。
 
 自身が派遣労働を体験することで、赤木氏の論文の趣旨に大枠賛同したという辛島氏は、しかし、二児の父親である自分は、戦争には賛成できないという。その点が、赤木氏と違うというのである。
 
 そして、氏は、「派遣の現場にいると、閉塞感を覚え、混沌した社会状況の只中にいることを実感する。工場で、倉庫内で働くだけでは、平和な家庭が築けないからだ。結婚して、子供を育てるための充分な収入を得ることができないからだ」と言いつつ、「それでも私は、より良い制度の実現を期待しながら、戦争のない現状の世界で働くことを望みたい。派遣で働く道しかないとしてもだ」と述べる。
 
 氏は、より良い制度は、期待するだけの夢であり、戦争のない現状の世界のまま働くことを望むという。このような現状肯定の意識を支えているのは、「希望をもつことができないとしても、「負けたわけじゃない」と考える。勝ったわけでもないが、一市民として働いて、何とか生活していけると考える。幸いなことに家族があり、友人がいる。不満は尽きないが、まだ負けてない。この文言でひと息つける」というものである。

 辛島氏は、勝ってはいないが、「負けたわけじゃない」という考えること、働けば、何とか生活していけると考えることで、希望をつないでいる。しかし、重い病気にかかるとか大けがをすれば、希望は、簡単に絶望に転落する。そういう可能性を考えないでいる限りで、氏の希望はかろうじて存在しうるものにすぎない。
 
 氏は、「何に負けていないかは、自分に問わない。得体のしれない何かと、確かに闘っている。この先、勝つことはないかもしれないが、とにかく、まだ負けていない、と呟く」ことで何とか希望をつなごうとしている。若い頃に、キリスト教的終末思想を信じたことのある氏は、そこに回帰することを拒否するのに精一杯のようである。
 
 問題は、言うまでもなく、氏が闘っている「得体のしれない何か」である。それは、現実社会の仕組みであり、諸関係のことだろう。つまりは、「格差社会」化を動かない現実として再生産しているところの構造と力である。それが、個人の思念や希望や生活や考えを強く規制していて、それに対して個人で闘うことの無理を感じさせるのである。
 
 恐らく、多くの人が、格差社会を望んでいないが、それにもかかわらず、その方向に個人を向かわせている力があるということだ。「格差社会」の階層間対立、正社員対非正規雇用者の対立と戦争という赤木氏の考えは、「格差社会」の一現象を取り出したものにすぎない。ただ、それに、貧者や下層の絶望感を解消し、希望として見えてくるという終末思想への感染と似た意識の在り方が示されているのは確かであり、辛島氏は、その点に、強く惹かれつつ、拒否しようとしている。しかし、派遣の現実を耐えることを可能にしている氏の事業成功という希望が潰えた時、どうなるかはわからない。氏自身が、そうした不安を抱いているのではないだろうか。そんな印象を受ける。
 
 正規雇用者たちが、非正規雇用者の問題に無関心であることは確かであり、その点で、「連合」労働運動の取り組みが不十分であった。それが、赤木氏を、正規雇用者対非正規雇用者の間の戦争という階層流動化に希望を抱かせる方向に追いやる一因になったように思われる。辛島氏は、正社員であった頃、非正規雇用者の存在に無関心であったことを反省しているが、大方の正社員の非正規雇用者への見方は、そんなところだろう。大都市部では、景気拡大にともなって、一部で、人手不足が起きているが、雇用の中味は、非正規雇用が多く、格差社会は、固定化したままである。それが、景気が上向きだったにも関わらず、閉塞感が広まっている原因だろう。物価上昇は、それに追い打ちをかけ、さらに政府自民党に対する不満も、それにともなって、強まりつつある。
 
 そんな庶民の苦しい生活状態に対して、企業が消費者を騙して利益を上げているというニュースが連日流れ、それは当然、人々の神経を逆なでし、不満を増大させている。現状のままでただ「負けてはいない」と考えるだけで、満足して働いていこうというような考えは、力を失っていくだろう。政治の変化、社会の変化、現状の変更を求める人々の考えが、広まって行かざるをえない。「得体のしれない何か」の正体を明らかにして、その人々の欲求や理想を明らかにして、それを実現していくことが、必要である。

赤木智宏さんの論文読みました

「まだ負けたわけじゃない」と呟いている辛島武雄(2007-12-28 21:00)    
 私は、希望をもつことができない。派遣社員として働いて生活したこの2年間の実感だ。

 知人の仕事を手伝う目的で、約20年間勤めた会社を辞めたが、うまく軌道に乗せることができないため、収入を得る目的で一時的に派遣に登録し、働いた。それまで派遣の存在は知っていたが、その実態はまったく知らなかった。何故これほど、経済的に不安定な状況の中で働かされ、追いつめられていかなければならないのか。

 サラリーマンの時、通勤途中の車窓から見た倉庫群の1画で、営業に行った隣のビルで、日々、身体と精神を消耗させながら黙々と働く人達がいることに気付くことはなかった。認識はしていたが、私には関係がなかった。それぞれの職業だと思っていた。私が専門職を選んだように、彼らは倉庫作業を自ら選んでいるのだろう、ぐらいの理解でしかなかった。

赤木論文に揺さぶられる

 赤木智宏さんの存在を、12月16日付のオーマイニュースの記事で初めて知った私は、その『論座』(2007年1月号、朝日新聞社)に掲載された論文「『丸山眞男』ひっぱたきたい。31歳フリーター。希望は戦争」を読んで、大筋で賛同した。派遣の現状を体験した私は、赤木さんの展開する論旨に揺さぶられた。

 私は、派遣の立場で単純労働の仕事を、この先一生続けていかなければならないとしたら、とても希望をもつことができない。現段階では、経済的に不安定な状況に置かれているものの、一方で、実現の可能性はどうであれ、事業としての成功を目指す本業を持っているという希望(野望)があるからこそ、身体的にツライ派遣の仕事を一時的に続けることができる。

 その本業が挫折したら、50歳を超えた私は年齢的、能力的にも再就職は難しいだろう。赤木さんの論調では、過去に正社員として凡庸な生活を得るという恩恵を受けた私は、リストラ対象者と同様、同情に値しない存在でもある。正社員を経験していない、不幸な赤木さんたちに比べれば、一時的にせよ、安定した収入を得、結婚して家庭を持ち、人並みと思われる生活を体験することができたからだ。

 そのため、赤木さんが挙げる、人間としての尊厳を獲得できる環境が与えられた多数派に属する1人だろう。

 戦争を希望する親はいない

 赤木さんは、正規雇用層と不正規雇用層とが簡便に入れ替わることのできる状況が創出される戦争を希望し、社会の流動性を高めたいと主張する。だが、2人の子供を持つ親としては、戦争は容認できない。我が子が死ぬかもしれない戦争を希望する親はいないだろう。

 でも過去の私はどうだったのかと振り返ると、赤木さんと変わらない自分がいたことに気づく。20代後半まで、今でいうフリーターをしていた私は、当時ブームになった、『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」に記された部分を、世界の終末戦争とする解釈が、実現するのを真剣に期待した。

 若さゆえの夢に浮かれ、それに破れた私は、現実の世界に対して、将来に対して、絶望していた。その手の本を読みあさり、『聖書』を買い、世の終わりを検証しようとした。世界の終わりを望み、新たな救世主が現れ、懸命に働くことで、平等で平和な世界が構築されると妄想した。現実を受け入れることを拒み、自身が救われるために、世界が1度、滅ぶことを願った。

 赤木さんほどの整然とした論理は持ち合わせていなかったが、社会の中で居場所のないフリーターとしての悲哀を体感した結果、そうした社会への報復の念によって、世界の破滅を希望した点で、大きく差異はないと考える。

 でも今、私は戦争を望まない。今後、本業の事業化に失敗し、派遣の仕事を続けなければならない状況になったとしてもだ。格差社会が是正されず、貧困層に分類されたとしても、現実の世界の中で、働くことでしか私の生活は成り立たない。ただ単に、戦争を想定することができないと言い換えた方が正確なのかもしれない。

 赤木さんの掲げる戦争は、正社員と非正規社員との間で行われる階層間の戦いの延長線上にあるとされる。その過程で、正社員の平和な家庭が破壊され、貧困層が新たなチャンスを掴むことができるという発想だ。

 彼らは現状で幸せな生活を送る人達が、不幸になることを望んでいる。替わってその地位を獲得することでしか、自身が幸せになれる手段がないと言い切る。それほど切羽詰った状態にあるということを、どれほどの正社員が気付いているだろうか。

 コネクションを使えば、有利に就職活動を行えるのは今も昔も変わらない。コネのないフリーター当時の私は、零細を含め数十社の会社を回り、就職活動した。その結果、20人規模の会社ではあるが、正社員になれた。

 前記したように、何とか人並みの暮らしができた。当時は、派遣法が整備されていなかったため、正社員雇用がごく普通であった。しかし、大手企業の場合、中途採用は皆無だったと記憶している。新卒時に就職しない場合、全うな暮らしからのドロップアウトをも意味した。

 それでも当時は、私のような中途半端な存在の人間が社会の1員として、潜り込める余地があったということだろう。それを、「ゆとり」と表現するか、整備過程にある「不備な部分」とするかについては、現状の硬直化しつつある格差社会を基点として振り返ると、答えは明らかだ。

 安定した社会は、不安定な階層を溶出している

 安定支配層は、自身の地位をより強固にする目的のためだけに腐心する。それが世界の牽引力になる。利益配分はそれに参加した人間に対して、その貢献度によって決められ、支払われる。

 20年間は、私も貢献したと思われる対価を当然のように受け取った。正社員であった過去と比較すると、派遣社員の待遇の差に戸惑う。率直な話、かつての場所にもう1度戻りたいと、切実に願うこともある。

 1000円に満たない時給は、人としての誇りを見失ってしまいかねない金額だ。単純作業であったとしも、その労働に見合った対価ではあり得ないことを訴えたい。

 世界が目指す安定した社会は、一方で不安定な階層を溶出している。誰もが幸せになる道を、我々は選んでいない。多数派ではあるが、平和な家庭の数には制限がある。それを支えるための敷石となり、土台となるための貧しい人達の存在が不可欠となる。

 個人がその能力によって仕事をしていると前提すると、誰もがそのポジションで幸せになるべきだと思う。不安定な社会の中では、精神的余裕が失われ、平和な家庭の維持が難しくなる。正社員もまた、リストラの脅威の中、不安定な精神状態にあるともいえよう。

 派遣の現場にいると、閉塞感を覚え、混沌した社会状況の只中にいることを実感する。工場で、倉庫内で働くだけでは、平和な家庭が築けないからだ。結婚して、子供を育てるための充分な収入を得ることができないからだ。

 派遣で働く道しかないとしても

 それでも私は、より良い制度の実現を期待しながら、戦争のない現状の世界で働くことを望みたい。派遣で働く道しかないとしてもだ。

 希望をもつことができないとしても、「負けたわけじゃない」と考える。勝ったわけでもないが、一市民として働いて、何とか生活していけると考える。幸いなことに家族があり、友人がいる。不満は尽きないが、まだ負けてない。この文言でひと息つける。

 何に負けていないかは、自分に問わない。得体のしれない何かと、確かに闘っている。この先、勝つことはないかもしれないが、とにかく、まだ負けていない、と呟く。

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