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経済がわかっていない新自由主義経済学

 今日のテレビ朝日系「サンデー・プロジェクト」は、最初に太田経済財政諮問会議担当大臣へのインタビューだった。

 続いて、ガソリン国会の与野党論戦である。今、国会は、道路特定財源をめぐって与野党対立が激化している。

 太田大臣は、アメリカのサプライム・ローン破綻問題からの景気後退に対する対策を主に聴かれた。それに対する彼女の答えは、規制緩和などの構造改革路線の決まり文句でしかなかった。しかし、コメンテーターの財部氏が、一人当たり生産性が18位に下がった日本に対して、「大きな政府」の北欧諸国がその数字が高いのはなぜかと尋ねた。彼女は、「大きな政府」か「小さな政府」かは問題ではない。政府機能を縮小して、「強い政府」にすることが必要だと答えた。ついこの前まで、「大きな政府」か「小さな政府」かと二者択一を政府・財界・新自由主義経済学者・『読売』『産経』『日経』などのマスコミが大合唱し人々に迫っていたことを思えば驚くべき変身ぶりだ。

 それは、彼女の信奉する経済学では、賃金は、生産性を反映することになっており、それ自体、まったく無内容なものにすぎないように、実は彼女が経済のことがわかっていないエコノミストだからである。ただ、教科書的に覚えた数式や図式を現実に無理矢理当てはめているだけなのである。

 彼女の信奉する近代経済学の賃金論のなかの限界効用学派(主観価値説)の賃金論に対して、マル経の宇野学派の大内秀明・鎌倉孝夫編の『経済原論』(有斐閣新書)の1経済学の方法は、「(資本と)同様に、賃金についても、ほかの生産要素(生産財や土地など)を一定にして、労働が一単位ずつ追加されたとして、その労働の追加一単位によって生産される生産物の増加分としての労働の限界生産力によって賃金を説明する。したがって、ここでは物ではないにしても生産要素である労働そのものを、労働者と抽象的に対置し、その労働の限界生産力から賃金が生まれるとみるわけで社会関係は無視されてしまうことになる」と批判している。また、基本的に近代経済学の主観価値説では、「人間と物との関係だけで価値を説明しようとする。したがって、物をめぐって形成される人間と人間との関係、すなわち市場における生産者と消費者による需要と供給の対立をめぐる社会関係は、ぜんぜん問題にされようがないのである」(同)と批判している。

 太田大臣は、生産性が乗すれば、限界生産力が増加して、それによって労働需要が高まり、賃金が上昇すると考えているのである。氏は、とくに、サービス産業の生産性は、機械化の進展やや効率向上によって、上昇すると語った。つまり、人手を減らして、それを機械によって置き換えれば、生産性が上昇する、つまり、同じ仕事を少数でできるようになるから、その分賃金が上がるというわけである。これはもちろんデタラメである。サービス産業の生産性の高いアメリカで、この分野は、不法移民などの低賃金の下層の労働によって支えられているのである。アメリカのまねをするなら、こうした新規労働力が大量に流れ込んでくるという条件のない日本では、日本人の中で、階層分化を進める他はなく、それが、構造改革と称する政策で、とりわけ、派遣業法の改悪などの労働法制の改悪によって、格差社会を生み出してきたのである。もちろん、これで、まるでマルクスが言ったとおりの階級闘争が激化する社会条件が誰の目にも明らかになってきた。

 太田氏が、賃金と言っているのは、賃金という形態で報酬を受け取っている経営者の収入のことである。田原氏は、それを知ってか知らずか、その点を突っ込まなかった。田原氏は、平均年収約700万の雇用者の約76%にすぎない大企業正社員と約67%を占める中小(ドメスティック)企業の労働者の平均賃金が3百数十万円程度、で、両者の差が拡大しているというデータを示した。

 この間、大企業は、配当を増やし、役員報酬を増やし、社内留保金を増やし、企業役員は自社株を購入し保有を増やしている。

 ちょうど、昼のNHKニュースで、労働組合の「連合」が、今年の春闘で派遣会社に対する賃上げ交渉を行うこと、また、労働組合で派遣を行っているところで賃上げを行うことを求める方針を公表したと伝えた。だが、今、国会で、派遣業法改定論議が行われているが、派遣業を少なくとも元に戻すか、原則廃止にするということが必要であるにも関わらず、そうした方向での改定論議ではない。この制度は、一部の人のためにしかならず、社会全体としては、悪でしかない。つまりは、社会悪である。企業は、営利団体で、福祉団体ではないなどというバカが時々いるが、企業は、社会団体の一部であり、それには、福祉的な性格が当然含まれる。こんな当然のことすらわからない者が、この国の官僚・財界・学者・政治家の中にいるというのは情けない話しである。これも偏差値バカを生産し続けている教育の悪弊だろうか?

 今、年収200万円以下の新貧困層が1000万人に達しているという。この新たな貧困は、それ以外の労働者の賃金を下に引っ張っているのである。ケインズ経済学から言えば、この貧困は、消費不足・有効需要の低下を意味し、それは経済全体の足を引っ張っているのである。

 イギリスの古典派経済学は、リカードゥ以来、労働者の生活水準を向上させることを大きなテーマとして研究していて、厚生経済学という一つの部門を生み出した。

 それに対して、アメリカの現代経済学は、ゲーム理論など数理経済学的な傾向が発展していて、きわめて、抽象的で空理空論的になっている。それが政策に大きな影響を持つようになると、経済を大混乱におとしいれ、そして自らの墓穴を掘っている。

 サプライム・ローン破綻問題に発した金融危機、アメリカ経済の後退、に対して、アメリカ政府は、金利を引き下げると共に約26兆円の財政支出を決定した。市場原理主義・新自由主義政策を放棄したのである。田原氏は、太田大臣に、日本政府は、どうしてアメリカやEUのように、手を打たないのかと質問した。それに対して、彼女から具体的な答えはなかった。思考停止、無知、をさらけ出したのである。彼は、がんばって下さいと決まり文句のエールを送った。だが、この大臣に期待することはできないだろう。われわれは、こんなどうしようもない駄目な大臣が政策を担当するという不幸な状態に置かれているのである。

 新自由主義は、生産性を、労働者個人の能力としてとらえようとしている。しかし、それはまったくの幻想であり、不可能である。労働は、分業と協業という形態下での結合労働として営まれており、それを個人別に正しく評価することはできないのである。結合労働は、集合力・集団力・総合力であって、こちらが本質的規定である。それを個人能力の単純合計として評価しようとしてもできるものではない。そんなことは、現場の人々は体験からわかっていることで、とくに学問的に解明するまでもないことだ。

 彼女のような外観にとらわれている曇った目と頭の持ち主だけが、能力主義に基づいて個人の作業能力なるものを物差しにして、リストラを奨励したりするのである。ところが、現実には、そうしたリストラをあまり行わず、日本型労使関係を維持してきたトヨタなどの企業の方が、発展してきたのである。能力主義はだめだと多くの企業が気がついたのが、つい最近のことで、経団連の御手洗会長などは、日本型労使関係の復活を言い出す有様である。

 こうして能力主義的評価方法は、急速に廃れていったが、その思想に基づく、労働者派遣法がそのまま残ってしまっている。これは、格差社会を生みだし、拡大し、国内消費市場を冷え込ませ、そして、人々を現状変革へと駆りたてる要因の一つになっている。大書店では、マルクス主義関係の本が、増えており、マル経の本は、ソ連崩壊から数十年たっているが、本棚の一角を占め続けている。人々の間に、しずかに、だが確実に、革命的意識が浸透していっている。

 太田大臣は、現状を、80年代のバブル崩壊後の金融危機が片づいて、正常化しつつある段階にあると言った。およそ、現状認識として、あまりにも、空想的すぎて、あっけにとられるような発言だ。

 能力主義は、幻想にすぎない。企業は、社会的存在である以上、労働者の厚生・福祉を含む。経済・政治・社会・倫理・文化は切り離せないものだ。それがわからない企業は、社会によって変えなければならない。その政治的リーダーシップをとらない反社会的な政府は、変えなければならない。労働者企業を発展さえ、資本制企業にとって代わるべきだ。資本制経済の惨憺たる現状(労働者が病弊し、寄食者が肥え太って中世末期の貴族のように腐敗ている・・・)を見れば、それは可能であり、必要なことである。ただし、それは、社会全体の変化と結びついての上でのことである。

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