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バイオエネルギーをめぐって

 「農といのちを守る会」という団体の会報「農といのち」第11号を読んだ。

その中で、田中正治氏は、バイオエネルギー問題について書いている。

 「石油価格高騰のために、軽油やガソリンの代替燃料として、穀物を原料とするエタノール、バイオディーゼルなどバイオ燃料の国際的需要が拡大している。その結果、トウモロコシや大豆など穀物の国際相場が高騰し、世界はバイオエネルギーで沸騰しているようだ。現代の”ゴールドラッシュ”とさえいわれはじめている」というのである。

 その問題点を、氏は、4点に整理している。

 (1)バイオ燃料農産物(トウモロコシ)の増産がもたらした結果、逆に食料と畜産飼料が不足。その結果、食料価格と畜産飼料価格が高騰。バイオエネルギーと食料・畜産飼料価格が高騰。バイオエネルギーと食料・畜産飼料との対立が顕在化している。特に、アメリカで。

 (2)バイオ燃料農産物(サトウキビ)の増産をもたらした結果、逆に砂糖価格が上昇。アマゾン熱帯林伐採の急速な拡大をもたらしている。バイオエネルギーと食料と地球環境との対立が顕在化している。特に、ブラジルで。

 (3)トウモロコシ系エタノールは、特に、農薬、科学肥料、農業機械燃料の大量消費のために、生産されたバイオエタノール燃料より、むしろ、生産・製造過程で使用された化石燃料が上回る結果、カーボンフリー・温暖化対策になるのか、との指摘がなされている。 (4)ブラジルとアメリカでは、バイオエタノール生産のために、GMサトウキビ、GMトウモロコシ栽培拡大やGM発酵微生物の利用計画や実施が、特に進められている。それは、土壌のGM汚染、周辺へのGMトウモロコシ、GMサトウキビ汚染を拡大する可能性が大きい。GMバイオエネルギーと環境との対立が激化するだろう。

 それに対して、氏がオルターナティブとして提起するのは、菜種や廃油を利用したバイオディーゼル燃料、二つには、草木をメタノール化したバイオメタノール燃料(工業用アルコール)、三つには、森林廃棄物、農業廃棄物、生物系都市廃棄物(生ゴミ、紙くず)などのエタノール化、である。

 氏は最後に、「バイオエネルギーは、工夫すれば、地産地消が可能であり、また、原産地の持続可能性を維持すれば、再生可能であることが特徴だ。世界が化石燃料、原子力エネルギーから脱出し、永続可能な水素エネルギー経済へ移行していくためには、食料生産のみならず、エネルギー生産としての農林業の多面性が注目される」と述べている。

 私には、詳しい技術的なことはわからないが、バイオ燃料を製造するのに、多量の化石燃料を使用するというのは、いかにも、利潤のための生産である資本制経済の本質をよく示している。これは儲かるからそうしているのであって、次世代エネルギーを社会善のために生産しているというわけではないのである。人為的な需要が政府を含めて作り出されているのであり、その契機となったのは、石油価格の高騰に対して、石油メジャーなどが、生産を自由にコントロールできないことにあり、それに対して、ブラジルが、バイオエタノールを国家プロジェクトとして推進し、その市場が拡大してきたことである、開拓されてきた新市場に対して、特別利潤を求める新規参入企業が増え、競争が激化し、その市場が急拡大したのであり、同一農産物に対して、燃料向け市場が新たに大きく開けたのであり、その結果、食料用市場で供給不足が生じてきたのである。さらにはそこに、投機資金も流れ込んで、トウモロコシなどの価格高騰を引き起こしたのである。

 世界的なエネルギー危機、環境危機が深刻化し、拡大している中で、日本の国会では、ガソリン税の道路特定財源分をどうするかを議論している。自民党の町村議員は、環境問題を考えれば、ガソリン価格を低くするというのは、時代に逆行すると述べ、ガソリン特別税の廃止に反対している。それに対して、車検料や自賠責保険料を引き下げるべきだと述べた。前者は、道路族・建設族が、後者はなんとか族が、それぞれ利権を確保してそこに食らいついており、この問題は、どっちの利権集団が損をするかという闘いである。

 どっちの利権集団もつぶしてしまえば、もっとも良い解決になるが、そうはならないというところが、政・官・財が癒着している体制そのものの問題である。利権は、たたかれれば、たたかれた方が一時的に損をするが、残った方は、それを確保し、さらに新たな予算をつけられたところに、新たな利権が発生するというふうになって、終わりがないのである。

 他方で、労せずして、税金から利得を引き出している輩がいるかと思えば、毎日のように仕事が変わる日雇い派遣でその日暮らしを強いられている新たな貧困層が拡大している。都市と地方の格差も拡大・再生産されているままである。それには、1990年代後期からの構造改革と称する労働法制の改悪があり、とりわけ、派遣業法の大改悪があって、それを、人件費をコストしか計算しない企業が、利用し、悪用し続けてきたのであり、それが続いたために、企業行動の前提化し、システム化され、組み込まれ、定着してしまったのである。企業が、賃金という形態で、労働力の再生産を保障するという機能は、どんどん失われ、企業の社会的責任や社会的機能ということも忘れられつつある。

 しかし、それは、いかに、企業や自民党が目をそらそうとしても、労働者の再生産の不可能化、地球環境の破壊による企業自体の存続の危機、社会の衰退、等々の危機が訪れていることは、誰の目にも明らかである。

 働く者なしに、企業も政治も経済もへったくれもない。労働者の病弊と消耗と貧困は、現在の体制を危機に陥れるだろう。もちろん、一時的なあぶく銭を手にして満足してる人々の中には、自分で墓穴を掘っていることに気がつかないものが多いだろう。甘いと言わざるを得ない。

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