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明けましておめでとうございます

 新年あけましておめでとうございます。
 今年も、よろしくお願いします。
 
 昨年は、偽という字が象徴するように、偽装が相次いだ年でした。景気は、年初には上昇傾向にあり、財界も強気のコメントを述べていたが、アメリカでのサプライム・ローン破綻や原油高をはじめとする原材料費の高騰などの影響で、後半には失速気味となり、株価は下落したまま、年を越した。
 
 他方で、上層の腐敗を示す事件が相次ぎ、防衛利権をめぐる政官財の汚職事件が摘発されるなどの諸事件が起きた。
 
 拙稿「政治の復権を」に対して、以下のコメントを頂いた。ありがとうございます。
 
 そこで、「人類に共通する道徳なら、「守れない人がいる」というのは矛盾しています」と指摘を受けた。拙稿が言いたかったのは、ごくおおざっぱな、「殺すなかれ、盗むなかれ、騙すなかれ、等々」という程度の道徳は人類共通だということです。その程度のことが、今の政治家には守れないということです。年金問題で、安倍前首相は、一年で年金記録の名寄せは必ずできると公言しましたが、それが不可能であることがすでに明らかになっています。一部報道では、福田政権の支持率急落の世論調査結果を聞いた安倍前首相は、また自分の出番がまわってきたなどと恥知らずにも、語ったと言われています。
 
 なるほど、ご指摘のとおり、以前にも嘘つき政治家はいくらでもいたわけで、例えば、沖縄返還交渉の際に、外務省がアメリカ政府とかわした密約についても、当時の閣僚が知らないはずはないのですが、それについて、知らぬ存ぜぬを通し続けました。嘘つき政治家は、昔も今もいます。それでも、安倍前総理のように、こうあからさまに、嘘をついたことに、恥知らずにも居直るのは、ひどすぎます。
 
 道徳現象は、言うまでもなく、行動・意志の基準を指すことはもちろんですが、それは、単なる観念ではありません。それは、社会現象であり、歴史的現象です。したがって、絶対的であると同時に相対的なものであります。絶対的というのは、ある特定の時代の社会状況の下では、それに拘束されるもので、空想上でしか、それを相対化する自由はないということです。反道徳行為には、様々な制裁が加えられます。それが相対的だというのは、例えば、汝殺すなかれという平時の道徳が、戦時においては、汝殺すべしという風に変わるというようなことです。もちろん、それには具体的な特定の条件があります。死刑制度があれば、国家による死刑という殺人は、反道徳的行為ではないと見なされます。ヨーロッパ諸国のように、死刑制度を廃止した国の多いところでは、死刑は反道徳的と見なされています。これも道徳の相対性を示していますが、当該の国の人々にとっては、それに反することができない絶対的なものです。死刑採用国では、死刑判決で死刑にしない自由はなく、死刑廃止国では、死刑にする自由・選択肢はありません。そもそも死刑判決が存在しないから、その選択肢そのものがないのです。もちろん、空想することや表現の自由が許す範囲で主張する自由はあります。

 さて、その上で、指摘されている現在の選挙システムが、経済的利害によって、一部エシュタブリッシュメントの秘密の権益確保システムとして機能しており、一般人がそこから除外されているということは、なるほど、そのとおりでしょう。
 
 それが一般人に公然と暴露された時、人々が、政治に目覚め、その構造の変革のために立ち上がるだろうという見通しも、おそらく、正しいでしょう。その一端を、先の参議院選挙結果がある程度示したと思われます。
 
 この間、小泉構造改革という名目での、利権の配分構造の再分配が行われ、それにともなって、エシュタブリッシュの間での権力闘争が激化しています。守屋元防衛次官の逮捕事件は、その過程を示しているのでしょう。そして、そのことは、防衛利権の新たな配分構造を成立させる過渡的現象でしょう。昔から、三菱重工などの防衛産業とグラマン・ロッキードなどのアメリカの軍需産業との結びつきやそれと防衛族の汚いヤミの関係については、噂されてきたところです。
 
 小泉構造改革が、あたかも利権政治からの脱却を目指しているかのように自己を美化していることに騙されてはならないのです。旧森派は、文教族として、教育利権を握っており、さらに、旧橋本派の牙城を奪い取り、新たな利権を獲得しようとしているのです。郵政民営化が、郵政利権の旧森派への奪還であることは明白です。
 
 郵政事業から政官財の三者が、できるだけ、利益を貪れるようにすることが、狙いで、現に、黒字であるにも関わらず、さらなる利潤を上げるように、郵政事業では、リストラはもちろん、人件費の削減や労働強化が進められています。その利益は、アメリカにも渡るように、制度が設計されました。郵政民営化後、郵政サービスがどれだけ向上したかは、実際に郵便局に行ってみればわかります。相変わらず、利用者は列を作って長時間窓口で順番待ちさせられています。これは、当たり前で、同じ仕事量に対して人手が減らされているからです。
 
 これは、国鉄分割民営化と同じ結果です。ホームに駅員がいないため、事故や危険な情況が生じた際には、一般の乗客がそれに対応して、ベルを押したりしなければならないのです。自動改札も同じことで、駅員の改札能力の調整によって、流れをコントロールするのではなく、乗客の能力や状態によって、改札のコントロールがされているのです。パスモなら、改札の流れを速くすることができるわけですが、それでも、切符を入れたり取ったりするスピードには個人差があり、一様ではなく、さらに、切符の取り忘れなどもあり、その対応も、乗客にさせているわけです。JRは、そうした人員削減によるサービス低下を料金据え置きという形で、返しているというわけですが、それ以上に、株主への増配や役員報酬増額をしているわけで、それに対して、民間会社だから当たり前だという風にそれを利用者が寛大に許していると、安全崩壊という形で、身に降りかかって来かねないことを考えておかねばなりません。もちろん、JR東海の葛西はじめJR各社の上層部は、それぞれ政界に太いパイプを持っています。
 
 しかし、世の中には、勇気のあるエシュタブリッシュもいるもので、時に、天木直人氏のような人物が出てきます。そして、エシュタブリッシュ内部でしか知り得ない情報を暴露して、人々に教えてくれることがあります。氏を動かしたものの一つは、氏の道徳心であり、正義の感覚です。それは、氏自身の個性というばかりではなく、社会性であり、社会内で育まれ発展している道徳法則であり、氏は、それに正直に従って行動していると思われます。こうした人が、時々出てくるのであり、それは時に、時代の先駆けとなる場合があります。例えば、幕末の大塩平八郎の乱のようなものです。それは、おっしゃるとおり、大量の犠牲者を生むかもしれません。しかし、人々は、昔から、そのように行動してきました。それは、誰か個人が理想として求めるからではなく、社会がそれを個人に求め、行動に駆り立てるからです。
 
 去年の紅白歌合戦は、そうした社会性や社会的連帯をテーマとして強く打ち出していて、今、社会が求めているものに適切に応えようとしているように見えました。
 
 最後は、紅白の闘いを超え、全員での「世界に一つだけの花」の合唱でした。白組の司会は、地方を回って、一般人と交流して歩くNHKの番組「鶴瓶の家族に乾杯」の鶴瓶で、あらかじめ白組の勝ちと決まっているかのような構成でした。まるで、弱者の声を代表しようとしていたかのようです。
 
 利権政治とこうした弱者を代表しようとする政治とが、せめぎあっています。それが、政治というものであり、この闘いが、統治システムを変化させていくのです。現在の選挙システムで、選ぶ者が候補を選ぶのではなく、選ばれる側が候補を決めてしまうというのはそのとおりですが、それでも、やはり参議委選挙で惨敗した与党は、地方の声を反映せざるをえなくなり、北海道一区で、小泉チルドレンの一人で東京からの鞍替えを狙った杉本太蔵自民党衆院議員を選挙区候補からはずしました。利権システムを保持するためには、自民党は、なんとしても政権党であり続けなければならず、そのためには、選挙に負けるわけにはいかないのです。政策もへったくれもありません。そうした幅広の政策のブレを国民政党を掲げることで、表現しているのです。
 
 問題は、一般人が選挙システムを使って、統治システムを変えられるかどうかという点にありますが、小泉ブームは、有権者の間に、統治構造を変えられるかもしれないという幻想をある程度広めたものと思われます。安倍政権への不信任は、そうした幻想に反して、安部政権が昔の自民党政治に回帰していったと見られたことに、一因があったのではないでしょうか? 小泉ブームで都市部での若者や弱者たちが動いたことには、変化への期待があったように思われます。
 
 民主党が、そうした声を反映できるかどうかは、これからですが、チャンスは与えられたとは言えるでしょう。もちろん、それは、民主党次第です。おっしゃるとおり、利権構造に本格的に手をつければ、大きな犠牲が出ることでしょう。天木さんが指摘しているアメリカによる介入・干渉も厳しいものになるかもしれません。そこでも犠牲が出るかも知れません。しかし、先の参議院選挙での民意は、その利権構造を見る覚悟があるということも意味していたように思います。
 
 一度、そうした現実の姿を見てみたいと民意は語ったのではないでしょうか? 希望的観測も入れてですが、私にはそう聞こえました。
 
 それだけの覚悟ができている一般人なら、統治システムを変化させることは可能ではないでしょうか? そしてそれを代表する政治が、今求められていると思います。

 では、よいお年を!
 
人類に共通する道徳なら、「守れない人がいる」というのは矛盾しています。
共通していないことが文中で明らかになっています。
恐らく、あなたにとって「相対的でない基準であって欲しい道徳」ということでしょうか。
しかし、政治が今の時代とくに腐敗しているとは思いません。
むしろ、今は彼らエスタブリッシュにとって選択肢が増えたのだと思います。
もしそうだとしたら、もはや昔の時代には戻れないでしょう。
なにより一番の問題は経済であり、その根底にあるのがまさに生産、流通側の選択肢が増えたことによる弊害に見えるからです。
そして、「政治に無関心」といわれる人間が無関心なのは選挙であると思います。
自分の状況に影響力を持つことへの無関心ではないと思います。
彼らは選挙が具体的に自分の状況への影響を持つことを疑っており、それは懸命な疑惑であると思います。
実際、政治はむしろ金とコネ、利害関係で動き、ある種の人間は政治家を「使う」物だと考え、それを実行し、結果を出しています。
そしてむしろ、選挙を信奉する人間の状況は悪化の一途を辿っているように見えますが、驚くことはありません。
人気投票と具体的な行動と現状、結果の把握は違います。
政治家を「使う」人間が興味があるのは具体的な結果と、そこに至る方法です。
人気投票をする人間はギャンブラーほどの結果も期待できません。
なぜなら、「なぜ選挙で影響力を確保できると思うのか」と問うことが無いからです。
もしそうすれば、行動と期待する結果の間にそこに至る経過というつながりが見えてこないことが、もしくはその溝を埋めるものは「他に選択肢が無いから」という理由にかさを増された希望的観測に過ぎないということがすぐにわかる筈です。
恐らく、若者はそのことを見抜いた上で具体的な行動指針を見出せずにいるのだと思います。
選挙は人の利害を代弁しえません。
限定された人間の中から人気投票をすることの何が変化をもたらすのでしょうか。
しかも、大して知りもせず、選択する前から人選がおおむね決まっているのであれば。
違うとすれば誰か反証してもらえませんか?
それから、「政治」への無関心ですが、統治の実態に対する好奇心は、あったとしても、それを見出すことは出来ないでしょう。
実態はそもそも隠されています。
現実を知れば何か行動を起こそうとする人間がいることが判るからです。
そんなことをすれば、そしてその情報を利用しようとすれば消されるでしょうからね。
石井議員のように。
基本的に弱者は政治には関われません。
ちがうならばそれまでですが、むしろそれ位の困難さと構造の存在は変化を求めるのであれば前提としてあると知っておくべきでしょう。
わたしは今の一般人が統治システムを変化させ困難を回避できる可能性は限りなくゼロに近いと思っています。
恐らく大量の犠牲者が出るのではないでしょうか。

あと、最近の猟奇殺人は向精神薬の関与が疑われていますね。

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