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本物のマナーとは?

 マナーの本などには、第一印象が大事ということが書かれている。

 しかし、第一印象でしか人や物事を判断できない者は、考えが浅く人間観も未熟で不足している可能性が高い。外面に内面が現れるのは、率直な人間関係の中でのことであり、通常の会社間の付き合いや商談などではありえないことである。

 会社間のビジネス関係においては当然お互いの会社利害を背景にしているので、お互いそういう利害を代表する外面を演出し、演技しているのである。そこで、第一印象や外面をそのまま受け取って、相手を判断する者は、だめな者である。

 その仮面の下にどういう会社利害を隠しているかを見抜くことができなければ、不利を受けるかもしれない。相手の仮面を暴く鋭い判断力を持たなければ、このような競争社会においては、企業の存続は難しいと言えるかもしれない。

 新自由主義経済学者フリードマンによれば、競争経済は、企業間の信頼と協力を促進する制度だという。実際には、それは、ホリエモンに明らかなように、信用や期待を利用して、それを裏切ってでも、自己利害の拡大を促す制度である。それは、人間のいやしく醜い面を肥大化させる。ところが、そのような功利性は、新自由主義経済学が、美化するところの美徳である。人間社会の社会性は、その結果にすぎない。利己的個人がはじめにあるのであって、社会がはじめにあるわけではないというわけだ。かれらがこの世に実在する人間としては唯一認めている利己的個人こそ、近代資本制社会が生み出したものであった。江戸時代には、罪は個人に責任を負わすのではなく、連座制であって、処罰は一族郎党に及ぶものであった。犯罪は、社会的行為=共同体的行為であって、個人的行為ではなかったわけである。いずれにしても、競争経済の下では、企業行為は、企業利益を最大にするという動機が最優先となっているということが通常であることを忘れてはならないのである。

 前に取り上げた製紙メーカーや食品偽造問題はその最たるものだ。アメリカでは、エンロンによる不正事件がそれに当たる。これはエンロンだけが悪者というわけではなく、エンロンに偽装融資していたシティバンクなどの大手金融機関もそれに手を貸していたという点で、深刻なモラルハザードが蔓延していたことを露呈した大事件であった。ところが、ブッシュ政権は、エンロンだけを悪者にして、金融機関の共犯関係を強く追求することをしなかった。そうして生き残った金融機関は、今度は、地価の右肩上がりの上昇という可能性の低いおとぎ話を前提にした低所得者向け住宅ローン(サブプライム・ローン)を組み込んだ金融商品を売り出し、あるいは、その買い手となった。

 そして、それは地価バブルがはじけるとともに破綻した。金融機関は損失を蒙った。だが、自由主義経済では、企業がどのような金融商品を開発し、売買することは自由だと言って、ブッシュ政権はこれをかばって、しかも、公的資金の直接注入は否定しているものの減税などの手段で景気の下支えをはかる政策を決定した。それに声を合わせたのが、日本の新自由主義経済学者やその仲間たちである。連中は、金融機関をもっと自由に活動できるようにする方が解決につながるというのである。それが、数年前と違って、今では、空しくしか聞こえなくなっていることが、この間、人々が、学んで進歩したことを意味している。

 それなのに、相変わらず、消費者や取引先をだます事で短期利益ののあぶく銭稼ぎに走っている企業次々と現れている。そうなればなるほど、企業を社会道徳に従わせろという声が強まるだろう。

 こんな情況になっているというのに、第一印象が大事などということが、マナーのトップに掲げられているのでは、まったく現実離れしている。むしろ、「第一印象に騙されるな」がトップにあるべきだ。見かけや外面で人を騙そうとする者が、それを見抜かれることを恐れるような高い判断力・人を見る目が必要だ。その上で築かれる信頼関係なら、強力だ。先にも、健康商品のねずみ講が新規契約停止の処分を受けたが、その会員がなんと50万人もいたという。もちろん、彼らのほとんどは善意の被害者だろう。

 しかし、同じ仕組みのねずみ講がつぎつぎとできではつぶれているのは、ねずみ講を仕掛ける側と被害者の間に共通する価値観があるからだろうと考えねばならない。

 それは、今回の件では、健康になる商品はいい物だ。それを商売にするのは当然で利潤もあることも当然だとする価値観である。資本制経済社会では、商品は、利潤を多く得るために生産されているのが基本であり、中には、健康という効用をほとんど持たないようなものさえも、商品化されることがあるということを忘れてはならない。例えば、『新・家庭の医学』を見てみると、いわゆる滋養強壮剤ドリンクに入っているタウリンについて、医薬品とされておらず、その効果も医学的に確証されていないということが書かれている。けれども、ドリンク剤には、健康によいものという印象を与えるような説明が書いてある。もちろん、それには、それ以外の様々な成分が入っているので、効き目がないというわけではない。ただ、タウリンというだけで滋養強壮に大きな効果があると思い込まないように気をつけなければならないということだ。

 タバコの害悪についても、医学的に確実性の高い臨床データはない。よく、一日タバコ何本を何年続けているとガンの発生率が高いなどということが言われるが、こんな何十年もかけて大勢を追跡調査しないとはっきりしないような調査をやっているところが本当にあるのだろうか? 病院でそんな調査をされた人はいるのだろうか? カルテは数年で廃棄されるのだから、どうやって何十年もかかる調査データを揃えたのか? わからないことだらけである。

 とにかく、曖昧なデータから、様々な神話が作られ、新しい規制や道徳が作られることがある。それに振り回され、時に、実害を受けることもある。神話批判ということも大人のマナーとして身に付けたほうがよい。

 

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