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藤沢周平作品によせて

 藤沢周平の作品というと、『たそがれ清兵衛』や『武士の一分』とかの北国の小藩の下級武士の世界を描いたものが有名だが、それとは違う世界の新井白石を描いた作品『市塵』も読んだ。それから、江戸の小伝馬町牢屋の医者の捕り物を描いた作品も読んだ。

 それから、いくつかの作品をドラマで観たが、共通していることの一つに、キリスト教倫理がまったくないということがある。それは一つには、西欧のように、罪の責任主体を個人に帰すということがないということである。例えば、『武士の一分』は、主人公の盲目になった下級武士が、絶望した彼を救うために、妻を騙して手篭めにした上司を敵として討つ話だが、討ち取った後、彼は下男に向かって、結局、妻は自分が自暴自棄になったのをなんとかしようとしてその男の罠にはまってしまっただけで、自分が浮気を疑って下男に妻の跡をつけさせなかったらその上司も死なずにすんだのにと語る。身から出た錆だったのではないかと思い至るのである。ただすぐに「そんな馬鹿な」と独り言を言うのだが。こういう西欧的な貞操という観念もないというのが、キリスト教倫理と違うところだ。
 
 西欧的な恋愛というのは、中世の騎士と夫のある妻との不倫関係から始まっているのであり、それが一夫一婦制というキリスト教の教義に反していたがゆえに、非難されたわけだが、実際問題としては、半ば公認の制度になるのである。貴族の結婚はほぼ全て政略結婚であるから、夫はもちろん妻も愛人を持つことは当然と思われていたのである。貴族の崩壊に伴って、貴族的な恋愛は、市民の間にも広まって、今度はそれが婚姻制度と結びつけられたのである。

 その過渡期の混乱と悲劇を描いたのが、『テス』という小説である。主人公テスは、スコットランド地方の没落貴族の末裔で貧乏な農民の家に生まれ、村の娘として育った。家の系図が新興階級の箔付け用に売れると思ったテスの父親は、娘を成り上がりの大地主の遠い親戚の家に女中として送り込む。そこで、その家の主との関係を迫られたテスはそれを受け入れる。しかし、村の祭りの時に知りあった新興都市ブルジョア階級の男と再会したテスは、彼と結婚の約束をする。この時、この男の持っていたプロテスタント的な倫理をも受け入れるのである。テスは全てを語り、遠縁の男との愛のない男女関係についても告白した。すると男は、それを受け入れられずテスの前から姿を消す。困窮したテスは、家族を食わせるために遠縁の男の下に身を寄せる。しかし、愛する男が戻ってきて自分の下を訪れた後、夫を殺して、男の跡を追って汽車に乗る。それから二人の逃避行が始まるのだが、ついに、ストーンヘンジで野宿しているところを警察に捕まり、テスは死刑となる。映画ではテスをナスターシャ・キンスキーが演じていた。ナスターシャ・キンスキーと言えば、ヴェム・ヴィンダース監督の『パリ・テキサス』の不思議な役の演技を思い出してしまうのだが、『テス』では、農家の田舎娘の役をうまく演じていた。農業労働者を大量に使う新興大地主の男との男女関係は、田舎では別に倫理的な問題ではなかったろう。しかし、織物産業を経営する新興ブルジョア階級の倫理には反するものだった。テスは、この男の工場で住み込みで女工として働くのである。テスは、地主の男に騙されただけだということを受け入れるまでに時間がかかったわけだが、新興ブルジョア紳士は、プロレタリア的倫理を受け入れた証としてテスが殺人を犯すまでかかったことで物語は悲劇的結末に終わるのである。イギリスのプロテスタント・ピューリタンが厳格な倫理性を持っていたことは、クロムウェルの改革に現われているが、恋愛と結婚と貞操とを結び付けていたことがこの小説に描かれている。しかしそれが欺瞞であることもこの小説には示唆されている。ブルジョアジーは、自己の工場の女性労働者を愛人にするということだ。テスは、彼の野心的な新工場の女工だった。かつては日本の中小企業の社長連中は、愛人を会社で雇っていたり、女工や女店員を愛人や妾にしていたのである。ただそれは、貧しさから救って面倒を見るということで正当化していたのである。わが故郷からも、ある東京の比較的大きな会社で働いているとき、社長の愛人となり、後に正妻が早死にしたために、社長夫人になった人がいるという話を聞いたことがある。いずれにしても、倫理問題には、こういう表裏がついてまわるもので、キリスト教倫理というとなにか素晴らしいもののようにイメージしていると現実とのギャップにショックを受けるだけである。

 その点『パリ・テキサス』は、離婚して、風俗店で働く母親の下に、息子を返しにいく元夫の話で、小津安二郎の影響か、全てが淡々と進んでいくもので、倫理はあるものの、それは、悲劇を生み出すような劇的なものとしては描かれていない。ただこの元夫は、妻が子供を置いて家を飛び出した元妻の気持ちが理解できるようになったので、仕方なく置いていった子供を返しに行って、妹夫婦に預けっぱなしだった息子への借りを返し、そして元妻へも借りを返すというだけである。この映画のテーマは一言で言えば、コミュニケーションである。それは、ハーバーマスが言うような平等なコミュニケーションといったような平板なものではなく、まどろっこしく、ゆがんでいたり、ごつごつしていたり、回り道をしたり、間接的であったり、強引であったり、等々である。それをよく表していたのが、風俗店で働く妻との再会のシーンで、元夫は、こちらからは姿が見えるが向こうからはこちらが見えない鏡に向かって、電話を通して会話するところである。元夫は彼女とはついに電話以外で直接話すことがない。久しぶりに再会した息子との関係は最初はぎこちなかったが、元妻に会いに行くため、車でドライブの旅を続けるうちに、コミュニケーションが成立するようになる。父親と息子の親子関係はできてきたが、それでも男は息子を母親に引き渡す。母親は息子を引き取るために、稼ぎのいい風俗店にまで勤めてまでがんばっていたが、男には息子を育てる力がなかったからである。崩壊した男女のコミュニケーションは簡単に直らないが、親子のコミュニケーションはなんとか再建することができるということだろうか。

 彼の息子を預かって育ててきた妹夫婦は実の子供としてかわいがってきた。だが、男は、息子は実の母親のところに返すべきだとして、妹夫婦からかなり強引に息子を引き取って連れて行く。こういうところが倫理的なのだが、それは犠牲を伴っている。無償ではないのである。誰かが傷つき我慢を強いられる。それでもそうしなければならないというのが、男の倫理なのである。自分が不幸にした人々に自分で借りを返さなければならないというのである。

 新井白石を描いた小説では、儒教学者ではあるが、現実的な儒教を目指す新井白石は、直系の血筋が絶えて、次期将軍の座が転がり込んできた甲府徳川家の家臣であったが、そこに、これを出世の機会として接近してきた男と幕政を動かしていくという話である。話は、大奥改革から、貨幣改革から、朝鮮使節団の問題から、対馬藩の特殊性からいろいろあるのだが、結構面白い。宣教師と将軍の謁見の様子なども描かれている。俗にして聖、聖にして俗というような世界なのだが、それを淡々と描いている。

 小伝馬町牢屋の医師を描いた作品では、描かれる女性たちは自分の欲望に正直に生きている。それは他の作品例えば『蝉しぐれ』でもそうだ。主人公の幼馴染の娘は、江戸屋敷に奉公している時、藩主の側室となり後継ぎを生むが、ずっと主人公のことが好きである。そして、藩主亡き後、跡目争いの中で主人公と再会し過去を回想するが、その後一度だけ結ばれて、それから尼寺に入る。そうやって藤沢作品に登場する女性たちは自分の思いを遂げていくのである。先の作品の中でも、ある大店の女主人(夫が病気のため店を切り盛りしている)は年も若く、店の若い店員たちと浮気している。どうしても必要な百両の金を得るため、金貸しの男と一夜を過ごすところを浮気相手の店の若い男に見つかって、金貸しは殺され、この男は捕まって島送りとなる。その後、医師はこの女主人が別の若い店員と逢瀬を通じている現場を目撃する。百両は借用証文もないため、そのまま彼女のものとなる。しかしそれを藤沢は断罪するわけでも非難するでもない。『たそがれ清兵衛』の後家は、結局、清兵衛の元に残るし、『武士の一分』の妻もいったん家を追い出されるが、女中として帰り、最後は妻に戻る。

 藤沢は儒学者でもあったというが、儒学の性格も時代的社会的な影響で変化する。儒学の一派である陽明学者からは、大塩平八郎の乱の大塩平八郎が出たし、倒幕派の中にも儒学者がいる。その点で言えば、儒学を全般的に衒学として描いている台湾人の黄文雄の朝鮮儒学観は浅薄である。彼が言う日韓併合は朝鮮側からの要望であったというのはもちろん誤りで、軍事的圧力をかけ陰謀をめぐらしての上での日本側からの強制的な併合であった。そのことは日本側で日韓合邦運動を展開した右翼からの日韓併合への抗議があったことからもうかがえる。ただしその抗議は弱弱しいものに過ぎなかった。左翼側は、1920年代まで、朝鮮半島の問題に本格的に取り組むことはなかったという。

 藤沢作品における下級武士の世界は、農民の世界と交錯している。清兵衛は、庭のわずかばかりの畑を耕している。土佐や薩摩の郷士という下級武士は普段は農業をしている。もともと、武士は農民から生まれたのであり、それは織田信長が兵農分離を行って以降、専業武士とも言うべきものが生まれたのである。それをはっきりさせたのが豊臣秀吉の太閤検地であり、その時、農民に返された武士もいる。かくして身分制が整えられていったのであり、徳川幕藩体制下でそれは完成されるのである。それでも、藩においてはそれぞれの事情に応じて半農半武士の郷士などの中間的な身分が残ったところもあるわけだ。それが倒幕運動において大きな役割を果たすようになるのだから、歴史は面白い。薩摩の西郷隆盛・大久保利通、土佐の坂本竜馬・中岡慎太郎など郷士など下層武士は明治維新に大きな役割を果たしたのである。

 藤沢の多くの作品の舞台となっている架空の海坂藩は、藤沢の故郷である米沢藩とされている。米沢藩は、関東管領上杉謙信の血を引く上杉家が、豊臣幕府の重鎮であった上杉景勝の時に会津から徳川時代に移封されて立藩された30万石の外様大名である。明治維新の際に官軍に逆らって幕府側に組した奥羽列藩同盟に参加して、官軍に攻められた側であり、清兵衛もこの戦いに参加して戦死したという後日談が語られる。妻は先妻の子供を連れて東京に出て働いて子供を立派に育て上げたという。その娘の回顧という形で物語られるのが、『たそがれ清兵衛』である。

 藤沢作品の多くで、下級武士が清貧のうちに倫理を失わずに暮らしているのに対して、上層の間では絶えず、立身出生や欲に目がくらんだ連中が派閥抗争を行っている。清兵衛もそれに巻き込まれて望まぬ立会いを命じられる。相手は、他所からようやくある重役に取り入ることで仕官を果たした浪人上がりの武士で、この重役の死で後ろ盾を失ったために、藩に居場所を失って、幕末で世情が混乱するのに乗じて脱藩を企てて失敗して空家に篭城して藩の追っ手を次々と返り討ちにしている剣の使い手である。篭城の理由を知った清兵衛は、彼の求めに応じて彼を逃れさせようとするが、なぜかこの男は清兵衛に襲い掛かってきたので、切り殺す。家を出るときに実家に帰るように言った彼女は、家で清兵衛を待っていた。清兵衛がこの任務を引き受けた理由は、ただ武士としての勤めだからというもので、それは、徳川幕藩体制の確立で、武士が官僚化していたことを示している。清兵衛の普段の仕事も藩に収められる物品の管理・記帳などの事務仕事である。清兵衛はそれでもそんな官僚仕事を律儀にまじめにこなしていた。剣も小柄使いの達人・免許皆伝であって、長刀ではなく、脇差(小刀)の使い手である。立会いではそれが幸いした。狭い室内では、長刀は鴨居などに邪魔されて使いにくく、小刀の方が使いやすかったのである。

 清兵衛の友人で江戸詰を勤めるような同僚たちは、ペリー来航などで騒然としてきた幕府情勢などについても知識を得たりして、時代のことなどを考えているが、清兵衛はそんなことには少しも関心がないまま日々を送っている。清兵衛が見ているのは、飢饉などで次々と餓死・衰弱死して川に流されていく農民たちの姿である。そっちの方が身近なのである。

 藤沢作品には、司馬遼太郎の歴史小説のように、忍者のような超人的な存在は登場しない。登場人物を過剰に同情的に描いたり、ヒーロー化して描いたりもしない。特に歴史観というようなものを語ることもない。正義感というものも特になく、ただ行きがかり上、事件に巻き込まれていくという形で物語が進む。医師の物語では、小伝馬町の牢屋にいる囚人の患者から誰かを探してくれと頼まれて、人探しをするうちに事件に巻き込まれていったりする。医師は特に人情家というわけでもないし、ヒーローというのでもない。『武士の一分』もそうだ。しかし、正義感がないわけではない。いや、藤沢作品の主人公たちは、まっすぐすぎるぐらいまっすぐである。『蝉しぐれ』の主人公は、側室の子を殺そうとする家老を切る。しかし本人は妻を裏切る。主人公たちは過ちを犯す。そうしてヒーロー化しないようにしてある。かの医師の物語では、この医師は、最後まで小伝馬町牢屋の囚人たちの世界に身をおくのではなく、蘭方医学を学ぶために、大阪に行く。そして身分相応の医師の娘を連れて行くことにするのである。がっかりと言えばがっかりの結末なのだが、そこであくまでも長屋住まいしようとするだろう赤ひげ先生的なヒーロー化をしないというのが、藤沢作品の特徴なのである。それが人間的だというふうにも描かない。ただそうだと描くのである。矛盾していれば矛盾をそのまま描く。そういう感じである。

 藤沢作品が現代にどうしてこれほど読まれるのは、そこに描かれている下層の姿が共感されているのかもしれない。下級武士が下級公務員や民間会社の中小労働者などの姿と二重化されているのかもしれない。上層が腐っているというのも今と似ていると感じられているのかもしれない。水戸黄門のような爽快感はないが、より身近に感じる倫理観がある。『たそがれ清兵衛』には、貧しさの中で感じる怒りやあせりやいらだちや諦念などが描かれていて、それもリアルに感じられているのかもしれない。

 

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コメント

 海坂藩は、一般的に鶴岡藩(庄内藩)がモチーフになっていると考えられています。(米沢藩を舞台にした作品もありますが。)
 
 藤沢周平は鶴岡市の生まれですので、米沢藩ではありません。
 余計な事かと思いましたが。一応お知らせしておきます。

投稿: 通りすがりの者 | 2008年8月30日 (土) 20時06分

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