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田原氏の資本主義教

 先日の「朝まで生テレビ」は、日本経済がテーマであった。

 司会の田原氏は、相変わらず、小泉構造改革の支持者であることを表明していたが、他のパネラーには政治態度の変化が起きていた。

 常連の一人であるコンサルタント経営の堀功一氏は、社民であることを表明したのである。それに対して、辻本清美社民党議員は、市場経済を肯定しながら、結果の悪を是正するという立場であることを表明した。構造改革路線を批判しつづけてきた森永氏は、社民であることをはっきりと主張した。小泉構造改革を支えてきた本間阪大教授は、構造改革の負の結果を認識し、その是正が必要との立場を表明するようになった。

 とくに堀氏の議論は、この間の日本の経営者のぶれを表現しているように見えた。氏は、国際競争力の強化が必要であり、比較優位の分野を重点的に育て、それがない遅れた分野の構造改革を進めて国際競争力を引き上げなければならないと述べた。その方法は、規制緩和による市場の自由化とりわけ新規参入の促進である。それがグローバル化の時代を乗り切る方法だというのである。他方で、配分において平等主義的な政策も必要だとして、その点で自分は社民だと述べたのである。

 さて、日本の経営者層の先行き不安には、日本の財政破綻ということもあるが、そればかりではなく、アメリカの景気後退が確実になったということがある。北米市場向けに輸出や現地生産で利益をあげてきた分野に大きな打撃となるという不安があるわけである。しかし、ユーロや円に対してドル安が続いていることは、相対的にEUの国際購買力が上昇していることを示している。EU市場は、製品の安全性などについての基準が高く設定されていて、それがアフリカ産の農産物の輸入制限になっているなどの問題を引き起こしているのだが、そうした点での優位性を持つ日本企業の商品がEU市場で多く輸入されるようになるかもしれない。もちろん、EUは、日本製自動車の輸入規制になるような基準を作ったりして域内産業の保護をはかっているのであり、すんなりとそうなるとはいえないのだが。

 アメリカから参加した人は、日本政府当局によって引き起こされたデフレが問題であり、政府はデフレが解消するまでは低金利と財政出動を拡大するべきだと述べた。ある参加者は、ハゲタカ・ファンドなどの短期利益を目当てに企業買収・売却を繰り返す投資家などを合法的であるから悪くはないが、尊敬されないと言った。法律に反する行為だけが悪だとしたら、道徳など成立しない。道徳なき法律などは、魂なき抜け殻にすぎない。田原氏は、ホリエモンは悪ではなく、単に安く買って高く売っただけだと言った。もしホリエモンが悪なら、資本主義そのものが悪だということになるからである。

 田原氏は、ホリエモンの逮捕は検察と警察のでっち上げだとまで言った。恐るべきことを口にしたものである。かれの容疑はインサイダー取引であり、それが許されるならば、市場のルールなど成立しない。道徳もなにもあったものではない。それは社会崩壊であり、人間崩壊である。田原氏は完全に資本主義教の信者となっている。そしてそれは氏が自由業であるという氏の職業形態の特徴から導き出されている。自己の職業の特徴を相対化できないで、逆にそれを普遍的なものとして、他にまで押し広げようというのである。これはたまったものではない。だから、パネラーの多くは、それは田原氏だけに当てはまることで普遍性はないと批判したのである。

 格差も取り上げられたが、それに対してまともな議論はなかった。市場経済は格差を生むことを必然のことと全員が一致していたように見受けられる。ただ森永氏だけが、一億総中流といわれたころに戻すべきだと気を吐いていただけである。アングロ・サクソン的な金融資本主義は、差別的抑圧的戦争的性格を持っているのであり、そのことは、イラク侵略戦争でも、サブプライム・ローン問題でもはっきりと現われた。田原氏のように、宗教的信条からそれをたんなるエピソード的なものとして軽視するというようなことは許されないだろう。それは、金融資本主義に対する態度ということを含んでいるからである。

 森永氏は金融資本主義に対して産業資本主義の立場を対置しているのであり、それに対して竹中・小泉改革路線は金融資本主義の立場に立っているのである。後者の立場に立ちながら、サブプライム・ローン問題を他人事として語ることは無責任である。竹中は、この問題をたいしたものではないと軽視することで責任をかわそうとしているのだが、現実は竹中の断言を裏切って、アメリカが長い景気後退の途上にあることを示している。

 世界市場において、新しい比較優位産業を確立するために、環境技術の向上やベンチャーの育成やサービス産業や農業の生産性を引き上げることなどはすでに政府や財界や近代経済学者などからうんざりするほど聞かされている。そして、政治にそれを求めている。だが、政治は官僚によって操られており、その官僚を供給しているのは、経営層や官僚やエリートであり、つまりは同じ穴のムジナである。東大の学生の親は、多くがこれらの支配エリート層であり、そうしてこの層は層として再生産されている。田原氏のようにこの中から官僚だけを悪としてたたいたところでこの構造はびくともしないのである。

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