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ハードボイルドとは

 ハードボイルド小説という分野が存在する。

 その始祖と言われているのが、ハメットである。

 ハメットは作家として成功するまで様々な職業を経験しており、探偵社に勤めていたこともある。その体験が小説に反映しているとも言われる。

 ハードボイルドの特徴はいろいろあるが、特に、文体はそれまでの小説にない独特のもので、ヘミングウェイの影響が強いという。

 ヘミングウェイの文体には、といっても、日本語の翻訳でしかわからないのであるが、内面ではなく外面を描くということに特徴があると言えよう。かれの代表作といわれる『陽はまた昇る』を読んだときは衝撃を受けた。彼が描いたような正義とか理想とか大義とかいうものではなく、まったく個人的な動機によって行動する人物像は、ニュージェネレーションと言われた。この小説では、第一次世界大戦中のイタリア戦線に従事していた男が、従軍看護婦として働いていた未亡人と恋に落ちるのだが、この男は、戦争中だというのに、戦争自体にはあまり深い関心がなく、ワインなどの物的なものに強く執着している。まるで戦争は、彼らの私的恋愛のための舞台ででもあるかのようだ。そしてついに二人はスイス国境の湖を密かにボートで渡り、スイスに逃げる。大義を信じていない点で、ポストモダンな感じではあるが、それにしても小物などに対する強いこだわり、私的ライフスタイルへの執着は、戦争自体を無意味なものと見なすような態度を生み出している。

 そこにはヘミングウェイが、スペインでのファシストとの内戦に国際義勇軍の一員として参加したような反戦の意思が込められているのかもしれない。戦争の大義に対して、私的な生活スタイルや私的な価値観を対置したのかもしれない。『老人と海』では、生活のためではなく、鯨との格闘それ自体に意味を見出しているような老漁師を描いている。そこには、『武器よさらば』における闘牛への強いこだわりと同じ価値観があるように見える。彼には、物の使用価値へのこだわりがあったということが言えるかもしれない。

 ハードボイルド小説でもそれは基本的に継承されているようだ。ハメットの小説でも、帽子から靴からタバコから車から、日常生活のディティールへのこだわりが描かれており、そこに個性というものを見出しているようだ。ハメットの小説に出てくる探偵は、探偵業に従事しているのであって、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズのように、正義感と知的好奇心から趣味的に探偵をしているわけではない。ハメットの探偵は、行きがかりで大きな事件に巻き込まれていくが、最後は犯人を捕まえて目出度し目出度しとはいかない。都市というのは、彼の小説の中では、闇の権力が支配する世界であり、そして階級闘争が存在する世界である。アメリカの探偵業は、労働運動や反体制派対策として、支配階級に雇われて仕事をする私的な警察・スパイ業として始まったものだ。探偵業は、都市を支配する政治家とブルジョアジーとギャングとぐるになって都市の市民や労働者から生き血を搾り取っている汚い奴らの仲間なのである。

 ハメットの探偵は、別に腕力が強いわけでも、ホームズ張りの優れた頭脳の持ち主でもない。その日暮らしで、下層に近い存在である。だが、私的な生活スタイルへのこだわりを強く持っている。しかし、事件は解決したようで解決していないのは、都市構造そのものはそのまま残されるからである。かつてのアメリカでは、労働組合運動に対して、探偵社はもちろん、ギャングが介入・潰しにかかるというのは普通にあった。合法的に銃が手に入るアメリカでは、ギャングはもちろん労働組合も武装していたのである。

 それに対して、ハメットの影響を強く受けながらも、メロドラマ的なハードボイルド小説を書いたのは、チャンドラーである。彼のハードボイルド小説では、探偵個人が魅力的人物として描かれ、強い個性を与えられているため、構造的な要素は背景として後退させられている。通俗的な意味で、強い男・タフな男として探偵が造形されていて、登場する女性と恋愛関係に陥るという設定が多い。この方が後のハードボイルド小説に大きな影響を与えたように見える。スタイルに対するこだわりはハメット同様だが、それがいかにも中産階級的な趣味になっていくのである。都市底辺を這いまわり、中産階級的には悪趣味だがこだわりを押し通すハメット的主人公に対して、チャンドラー以降のハードボイルドの主人公の趣味は高級な趣味人化する。構造的なものは単なる背景に押しやられる。探偵業のいかがわしさは消されていく。まるで探偵は正義の稼業であるかのように、そして警察の民間部門ででもあるかのように正義の味方化していく。ハメットの小説では、都市の警察も支配者の一部であり、裏でギャングとつるんでいる。

 日本のハードボイルド小説では、北方健三は、チャンドラー的方向を向いている。ハメット的なハードボイルド作家には今のところお目にかかったことはないが、西村寿行は少々近いものがあると言えようか。おそらく、時代物だが、藤沢周平にはハメット的なものがあるように思われる。彫師シリーズはそんな感じがする。

 小説は人間を描くといわれるが、その人間というのが心理や内面から描かれるものとされているから、相互関係としての社会的人間という意味の人間がリアルに感じられるものではない。そんな人間はいないだろうという人間しか小説には登場しない。他者とどう関係しているのか、物とどう関係しているのかが描かれないと人間のリアリティが出ないのではないだろうか? だからこそ安心して虚構の世界を楽しめるのだということかもしれない。ハメットの探偵が恋愛関係にもっとも近づく相手が、精神を病んだ大金持ちの市の有力者の娘であったことは、恋愛の不可能性という関係性を把握していたことの証に思えるが、そんなことを考えるのは余計なことだとチャンドラーなら言うかもしれない。

 ヘミングウェイは、晩年に、自らのこだわりのために、キューバに移り住み、こだわりの葉巻をくゆらせ、趣味の釣りに熱中し、そして、自殺する。小説は執筆していない。戦争の無意味さ卑小さを個人的趣味の対置によって浮き立たせたヘミングウェイは、未来を先取りしていたのだろうか? そして、ハメットによって描かれた都市は、メロドラマでの背景にすぎなくなってしまったが、それを描くハメットの後継者はもう出てこないのだろうか? 都市という人間の社会関係が作り上げた関係態の構造そのものが主人公の小説が読みたいものだ。

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