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文化人類学の現在

 3月23日のNHK教育のETV特集は、文化人類学についての特集だった。

 「グレートジャーニー」という民放の番組で、バイクで地球上を旅しながら、人類とは何かを探していく探検家にして医者の関野廣氏が、大阪にある国立民族博物館の活動を紹介しつつ、そこの研究員へのインタビューを通して、文化人類学の現在を紹介するというものだった。

 そこで、今の文化人類学が、ずいぶん昔と変わっていることがわかった。

 まず、ペルーの古代遺跡の発掘現場から見つかった最古の金製の飾りをめぐって、現地の住民が地元に残して欲しいという要望を出したことから、高地のインフラも未整備の山村に博物館が建つことになり、その運命も村人が行うという形で、考古学者とペルー政府と住民の間の合意ができたことが紹介された。

 それについて、民博の研究員は、文化相対主義の立場から、文化人類学者が現地の文化の建設に住民と共に取り組むようになったということが指摘された。

 エジプトでは発掘物が、すべてエジプト政府のものとなり、カイロなどの国立施設に収容され、政府の厳重な管理下に置かれるのとはずいぶん違う。ペルーのこの農民たちは、各地に呼ばれて、発掘のドキュメントなどの講演に呼ばれているという。道路などのインフラは、博物館の開設にともなって急整備された。村民たちは、これを誇りにし、自信を持つようになったという。

 これは、1993年に国連が世界先住民年を定めたことから本格化した流れだという。

 民族博物館の展示の仕方も、先住民との協同によって進められるようになり、アイヌの展示では、アイヌ初の国会議員となった萱野茂氏のアイデアを取り入れたという。それは、アイヌが自らの手で文化を発信する場であって、文化人類学者が学問成果を誇示する場ではないという考えからだという。そういう変化を最初に行ったのが民博だというのである。

 次に、文化人類学は、先住民の歴史的変化についてもフィールドワークの手法で研究対象にするようになったという。一方では、人類学者が企業の開発を助けるために、研究成果を利用する開発人類学という立場があるが、他方で、先住民や民族の過去ばかりを研究するのに対して、住民から、今の自分たちについて知りたいという要望が出され、開発などによって他者との接触を通じて生じる変化についての研究が行われるようになったという。

 タイの農村で、日本企業の工場建設が与えた現地社会への影響を調査している文化人類学者が紹介された。

 また、ニューギニアの津波被害の救援活動に来たNPO・NGOの中に現地の文化や習慣について無知であったり、そもそも自分たちの活動をPRすることばかりで、実際の救援活動などそっちのけにして、現地住民の怒りを買ったケースもあり、そういうことにも、文化人類学者が関わって、現地住民とNPOとの間のコミュニケーションを取り持つ活動をしているという。救援物資の半分も住民には届かなかったという現地住民の怒りの声を紹介していた。

 それに対して、新潟県中越地震の際には、文化人類学者が、村民への入念な聞き取り調査を行って、記録集を作るなどして、行政・住民・ボランティアとの間に良好な関係を形成することに貢献したという。

 このように、現在の文化人類学は、フィールドワークという方法を通じて、先住民族の文化の回復や発展、異文化との接触による変化の摘出によってそれらの間の摩擦を防いだり、地域再生に貢献したりと、新たな活動分野を切り開いているというのである。

 最後は、阪大学長の哲学者鷲田清一氏と民博館長への関野氏のインタビューであった。その中で強調されていたのは、文化相対主義で、文化に優劣はないという立場だった。そのことが、研究にとっても必要だし、他者の理解に必要だというようなことが共通の理解だった。自他の相互認識が、共通性の共有ではなく、差異の確認に終るというようなことを鷲田氏は言った。これは、近代主義者で社会進化論的な立場で、朝鮮論などを書き散らしている横文雄氏のような同化主義に対しする批判ではあろうが、同化主義と差異主義には差異があるという確認で終ってしまいやしないかという危惧を感じないでもない。横氏は、創氏改名は、日本への同化は進歩的であるゆえに、当然であったと堂々と同化を肯定している。それに対して、文化相対主義は、互いの文化の違いを認め合い、互いに尊重することを主張する。もっとも黄氏は、同時に、ハングルを普及させ、朝鮮固有の文化を保護したのは日本だとまったく矛盾したことを言っているのだが。おまけに、ハングルなど大して誇るような立派な言語などではないと朝鮮人の文化を価値の低いものとして見下しているのであるから、そんな程度の低いものまで日本は保護し、普及に尽くした慈悲深い立派な統治をしたのだということを暗に言っていることになる。横氏の文章は日本語で書かれ、日本で出版されているので、日本人相手にほめ殺しをして、媚を売っているわけだ。こんないいかげんな誉め殺しにいつまでも引っかかって喜んでいるほど、日本の人々は、お人よしだろうか?

 なお、チベットでは、外国のメディアの入域を禁止した上で、治安当局が暴動の鎮圧を行っている。アメリカのハワイ諸島の先住民たちは、独立を求めているが、アメリカ政府は、それを無視しつづけている。アメリカ大陸のネイティブ・アメリカンは、ヨーロッパから押し寄せた白人入植者たちによって迫害され、収奪され、文化や誇りを奪われた。アメリカは、インディオを次第に西部に追い立て、インディオ・居住区に追い込んだ。それでも逆らうインディオには、悪名高いインディオ狩りの法律を制定し、インディオの頭の皮に対して褒美を支払った。今、かれらは先住民としての復興に立ち上がっている。

 今年8月の洞爺湖サミットに合わせて、アイヌを中心として世界の先住民を集めた先住民サミットが開催される。同化は必然だという根深い偏見に犯されている横氏には気の毒だが、現実は、同化を拒否する先住民のルネサンスが花開こうとしているのである。それは、もちろん、横氏の祖国台湾での高砂族などの先住民の権利拡大の動きにも現われているのである。民進党政権は、先住民への同化政策を止め、多民族共生への道を選んだのである。もちろん、そこには、限界があるのだが、少なくとも理念としては、同化主義は世界的に過去の遺物となりつつあるのである。古い唄を歌い続けている近代主義者の日本の保守派はもちろん、それに合流した横氏の民族問題における同化主義は、もはや博物館入りする他はないのだが、それとても、民族博物館が、先住民復興を支える機関になってきたというのだから、そこにも居場所はないかもしれない。

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