« 小林よしのりの大江裁判論批判 | トップページ | ウォーラーステインの世界システム論によせて »

チベット問題

 北京オリンピックを前に起きたチベット人の暴動に対して、中国政府は治安部隊を派遣して武力制圧した。

 しかし、チベット人の運動は、四川省など中国各地に広がり、さらに亡命チベット人へと広がっている。

 北京オリンピックの聖火リレーは、チベット弾圧に抗議するフランス・イギリスの行動によって妨害を受けている。

 だが、欧米のこうした人権主義に潜む欺瞞に注意する必要がある。フランス大統領サルコジは、首相時代に、人権を求める移民たちを「社会のクズ」と呼んだ男である。そして、移民たちの暴動を徹底的に弾圧した。もう一つは、欧米の人権主義に潜む「オリエンタリズム」やナショナリズムにも注意しなければならない。アメリカが、シーア派やクルド人の人権の擁護者という口実で始めたイラク戦争が、アメリカの国益のための侵略戦争であることは、世界の多くの人の目に明らかになっている。イギリスは、アイルランド人の人権など眼中になく、何世紀にもわたって北アイルランドを占領しつづけている。フランスは、アルザス・ロレーヌなどを手放さない。自国内の少数民族の解放を抜きに、チベット解放を掲げる人権主義は、本当の人権主義ではない。アメリカもひどい。そもそも、アメリカが、他民族解放を真に掲げる資格を持つ為には、ネイティブ・アメリカンの追放と虐殺によって奪った土地の上に建てられたという建国の正当性の総括が必要である。日本の場合は、それは琉球・アイヌ問題ということになる。日本政府は、未だに、アイヌを先住民と公式に認めていない。差別的な旧土人保護法を廃止して、アイヌ新法を制定したのはついこの前のことである。

 チベット人の民族解放要求は当然であるし、中国政府のチベット政策が、それに反するものであることは疑いない。そればかりか、中国共産党は、共産主義に泥を塗る反共産主義者である。そのことを物語るのは、新たなパンチェン・ラマの選出を中国政府の手で強行したことである。チベット仏教は、ラマと呼ばれる活仏を代々生まれ変わるという教義を持っているが、そのラマの中での最高位であるダライ・ラマとパンチェン・ラマは、特別重要な意味を持つのは明らかである。チベットが独立していた時代には、パンチェン・ラマは、祭政一致の国家元首であり、政治指導者であった。ラマは、優秀な学僧であり、この二人だけではななく、多数いた。ラマに選ばれると、僧院で特別な待遇を受け、英才教育を施される。その上、ラマには、ある地方の土地の権利が与えられたという。おそらく、かれらは在外地主で、土地は小作人が耕し、生産物を貢納していたのだろう。先のパンチェン・ラマは、強権的な支配をしたようで、チベット人の間では人気がなかったという。そのパンチェン・ラマが、10年ほど前に亡くなった。その生まれ変わりを探さねばならないという時に、中国政府は、ある少年を候補者としたのである。亡命政府のダライ・ラマ14世は、それを拒否して、別の少年を指名したのである。さらに、中国政府は、孫文らの辛亥革命が打倒した清朝がチベットに送った金製品の贈与を強行したのである。そして、チベットに対して、共産主義のひとかけらもない態度を表したのである。

 それは、チベットに対して、宗教を持てるのは、愛国心の強いものだけだという基準を立てたことである。つまりは、国家を信仰する愛国的な政府のみが、宗教問題の決定権をもつということである。この方針に沿って、チベット仏教の宗教教義に基づく、転生の結果である生仏パンチェン・ラマを政府によって選んだわけである。無神論者で唯物論者であるはずの共産主義を党名に掲げる党が支配する政府で、生まれ変わりが公認されたわけである。中国共産党は、共産党とはたんなる看板に過ぎず、中身はもはや愛国党でしかないことを示したことになる。しかも、漢民族主義の。

 中国政府は、ダライ・ラマから、宗教上の権限を奪おうとしたのだが、さすがにダライ・ラマ14世も黙ってはいなかった。秘密に、新パンチェン・ラマを中国政府とダライ・ラマ14世の間での合意によって擁立しようと動いていた仲介人は、陰謀のかどで中国政府に捕らえられた。中国政府は、ダライ・ラマから宗教的決定権を奪い、その権威を落とし込めようとしたのであった。そして、自らが選んだ少年をパンチェン・ラマとしてチベット人に押し付けたのであった。もちろん、この少年は、北京で監禁状態に置かれた。そして、世界最年少の政治犯として、国際社会が解放を求めているのである。哀れな少年は、中国政府によって、その人生のコースを押し付けられたのである。もちろん、中国政府は、この少年を傀儡とすべく教育しているに違いない。

 このような国家による宗教の乗っ取りとも言うべき事態は、改めて、近代国家が、諸宗教を市民社会の私事へと追放しつつ、国家宗教を公的宗教として必要としていることを再認識させるものである。韓国・台湾・日本でもナショナリズムの動きが活発化しているけれども、それは、社会の分裂の拡大が、国家信仰を強化する統合という解決策への誘因となっているためである。そのことは、この間の日本の保守派の中に、グローバル化の中でこそ、日本人としてのアイデンティティが必要だとする主張として現われている。グローバル・アイデンティティとして、当初言われていたのは、無国籍的なビジネスライクな世界人であり、世界市民ということだった。バイリンガルで海外文化の開かれた理解者で個人として自立しているといったイメージである。ところが、それが、グローバル化すればするほど、民族的アイデンティティを強く意識して、相手の文化を尊重するような態度が必要だというふうに変わっていった。真の国際人とは真の日本人であるということになった。

 サッカーに対するイメージの変化がわかりやすい。少し前までは、サッカーは、国際交流の有力な手段であり、人種や国境を超える国際人としてのサッカー選手というイメージが語られていた。それがいつしかサッカーは平和的な国際戦争であり、選手は、日の丸を背負って世界を相手に戦う戦士というイメージに変わっていった。もちろん、それには、9・11事件後のアメリカの愛国主義の高揚の影響がある。それも一段落してきているが、オリンピックは、愛国主義が激突する場となっていて、しばしば政治化するのであり、すでに、モスクワ・オリンピックのボイコットを想起させる論調もちらほら見られる。違うのは、アメリカと中国は、政治的にはともかく経済的にはきっても切れないほど深くつながっているということである。したがって、ボイコットはありえない。経済的必要が両国を強く結びつけているのである。

 中国にとって、チベットは、4000メートルの高地で耕作にも居住にもあまり適さない土地であるが、南にインド北にロシアという大国がある戦略的に重要な土地であり、核ミサイル基地を集中させている軍事的な要衝なのである。さらに、近年、鉱物資源が発見されていて、資源確保という点からも重要性を上げているところなのである。そこに、青蔵鉄道を開通させたばかりなのだが、それは、軍事的経済的に重要なインフラであり、チベットで一級市民として利権を握る漢族の移住民の諸活動を活発化させるものとなっているのである。明確なデータはないけれども、多くのチベット人はその恩恵を受けられないでいるに違いない。

 1949年の中華人民共和国の建国後の1950年に中国政府は、チベットに軍隊を派遣して、最初の侵略を行った。それに対して、チベット人は1959年3月10日に反乱を起こした(ラサ暴動)。これを武力弾圧した中国軍は、チベット人数万人を虐殺したと言われている。この時、数万人の難民が生まれた。先のチベット人のデモは14日にラサで起きた。3月10日のチベット人の闘争の記念日に近い。

 宮崎哲也という電波芸者田原総一郎の「朝まで生テレビ」出演で名を知られるようになり、田原の後を追って電波芸者の列に新たに加わっている評論家は、仏教徒を自称している。彼は、ダライ・ラマ14世を睨下と尊称で呼んでいる。チベット仏教の一派に帰依し、生まれ変わりや活仏を信じているということだろう。日本の伝統仏教では、とっくにそんなものを信じなくなっている。新興宗教にはそうした信仰が残っているところもある。しかしほとんどの新興宗教は、諸宗派の教義の混ぜ物であり、しっかりと現世利益を教義に含めている。

 もちろん、チベット仏教にも現世利益はあって、それは地主制度の利益と小作農との対立として、宗教的紛争の紛争の下で闘われているのである。もちろん、中国政府による上からの強制的な土地革命は行われた。しかし大抵の国でそうであったように、土地革命が、上から強行される場合は、同時に、共有地や無主地とされた土地の国家への取上が行われるのだ。分配された小土地の上で、家族が縛り付けられて、家族労働で耕したところで、どれほどの収穫が見込めるというのだろう。しかも、草地への少ない土地で、もともと移動しながら放牧をしてきた牧畜は、事実上、不可能にされたのである。農民は強制的に土地を追われ、都市部に移住させられたが、そこにはかれらを養えるだけの仕事は用意されていなかった。そして、チベット人の多くが、自治区を離れ、他所に移っていったのである。今回のチベット人の要求が何かについて、まだ報道も伝えていない。ダライ・ラマを求める声は今のところ伝えられていない。これらのチベット人が、ダライ・ラマの統治を求めているのかどうかわからない。かれらは、共和制のチベットを求めているのだろうか? もしそうなら、ダライ・ラマ14世は、独立が共和制をもたらせば、自分の居場所が寺院にしかないということになる。

 しかし、ダライ・ラマ14世は、あるインタビューで、チベット仏教は、他の宗教がそうであるように、世界宗教であり、チベットの民族宗教ではないと言っている。そして、彼の要求は、チベットの独立ではなく真の自治であるというのである。

 チベット人の暮らしは、山間の村などでわずかばかりの畑を耕すと共に高地を転々とする放牧や交易などで生計を営むもので、信仰の中心はチベット仏教というインドの密教と自然崇拝などの現地宗教とが融合したもののようである。チベット仏教は、ラマ教とも呼ばれ、中央高原地帯からモンゴルにまで広がっている。シルクロードに沿って、あるいはオアシスなどに広まっていたようである。チベット高原にもシルクロードがあり、道に沿って、いくつかの王国が栄えたこともあった。山岳民族というとなんとなく、山間にじっと閉じこもってひっそりと生活しているようなイメージがあるが、実際には、チベット族は、かなり広い範囲にわたって遊牧や交易を行っていたのである。なお、チベットの男性のほとんどは、僧侶だそうだ。女性差別の構造があるようだ。

 密教はもともとヒンズー教と融合しており、ヒンズー教の神々を仏教の守護神などとして配している。土着の信仰や神々を含んでいくというのはどの宗教にも見られることで、カトリックもそうだった。一神教でも多神教化していくのである。例えば、キリスト教のお祭りであるイースターは、太陽神信仰を取り入れたものである。

 愛国教かラマ教かの宗教戦争という外観の下で、世俗的な利害の対立と闘争が展開されているのかを見失ってはいけないのであって、そこにこそ、チベット人の解放の具体的諸条件が存在しているのである。欧米の悪しき人権主義が見えにくくしているのは、それらのことである。そしてそこに潜むナショナリズムを自己批判的に摘出しつつ、チベット解放を訴えるのでなければ、偽善に陥ることに、意識的でなければならないのである。だから、日本のチベット連帯の文化人が主張するように、中国政府にダライ・ラマ14世との対話を要求するのではなく、それと同時にチベット人の民族自決権を承認することを中国政府に要求することである。もちろん、当面の事態収拾のために、そうした一時的妥協に意味がないとは言わない。これ以上、チベット人の犠牲者が増えないようにすることが緊急の課題であることは当然である。

 すでに明らかにしたように、ダライ・ラマ14世は、生まれによってその地位に就いたのであり、チベット人の民主的な意思決定によって選ばれた代表ではない。亡命政府が、任意の寄付によって運営されていることを民主的と評価するのは間違っている。それによって、多額の寄付をする者が特権的な影響力を持つかもしれないからである。ダライ・ラマ14世が、チベット人の多数の政治代表として正当性があるかどうかがその判断基準でなければならない。その点が明らかでない以上、ダライ・ラマ14世と中国政府の話し合いに問題解決のイニシアティブを与えてもいいのかという疑問がある。

 中国政府はただちにチベット人への弾圧を止め、チベット人自身がなんらの強制がない状態で民主的に選出する代表者と事態の解決のための話し合いをするべきである。中国政府は、チベット人の民族自決権を認め、独立を含めたチベット人の権利を尊重しなければならない。問題をチベット人自身が自ら解決するための援助をし譲歩しなければならない。チベットにおける漢族の特権は廃止されるべきである。そうすれば、チベット人は、自らの手で自らを律することになろう。チベット人は、ダライ・ラマ14世の宗教政治ではなく、民主的な共和制を採用するに違いない。そうすれば、アメリカのブッシュ政権が、イラクで反動的なシーア派を使って利権を確保しているようなやり方で、チベットを利用するというようなやり方はチベット人自身が阻止することだろう。それを支援すれば、中国は、大国の介入によって苦しめられている世界の多くの国から尊敬をされることになろう。

 もちろん、中国政府は、とっくの昔に、マルクス・エンゲルス・レーニンの民族自決権の理論、「他民族を抑圧する民族は自由ではない」という基本的な態度を捨ててしまっているのだから、実行しそうもない。しかし、どのように強権的に一時的に押さえつけてもチベット人のレジスタンスが続くことは明らかで、それはたとえダライ・ラマがいなくなっても変わらないだろう。中国政府が大民族による少数民族の抑圧に原因があると認めず、ダライ・ラマとの宗教か愛国心かという対立へとすりかえて誤魔化しているうちは、この民族対立が解けないことは明らかである。

 日本政府もまた国内に民族問題は存在しないという公式態度を取りつつ、アイヌ新法を制定するという誤魔化しをやっているうちは、中国の態度を他人事のように言う資格はないということは明らかである。同じように、沖縄に対して、第一次琉球処分以来のヤマトへの同化政策の誤りを認め、この同化強制策の蓄積の結果の無残な沖縄戦であり、軍による住民の集団自決の強制であったことを総括しなければならないのである。それをした上でないと中国政府のチベット人の運動への弾圧をすっきりと批判することができないのである。だから、政府は、他人事だし、保守派は、これを反中国感情を盛り上げるためのかっこうの材料の一つとして利用するだけなのである。どちらもチベット人の解放を本気で考えてなどいないのだ。ただ、日本の利益になるかどうかを基本にして、あれこれ言っているにすぎないのである。チベット解放のために、日本が中国に持つ権益を犠牲にする覚悟なしに、どうして本当の連帯と言えようか?

 アメリカ議会は、例によって、当り障りのないダライ・ラマ14世と中国政府の対話を呼びかける決議を可決した。アメリカ議会の口先だけの北朝鮮制裁決議が、問題をひとつも前進させることのない空文であり、格好だけのものであったことは、それ以降の実際が示している。中国共産党は、すでに、共産主義は看板に掲げているだけで、純学問的な領域に追いやっている。民族間の実質的な平等、それが民族問題における共産主義的な解決策である。それには、少数民族を大民族・支配民族と権利において対等にするための特別扱いが必要である。それが、形式民主主義と実質民主主義との違いである。漢民族はチベット人に対して支配民族として振る舞い、中国共産党がその代表者としてそれを支えている。それは、共産主義的国際主義に反する。普仏戦争の際、マルクス・エンゲルスの指導する国際労働者協会は、フランスがドイツを侵略した時にはフランスの労働者にフランスの戦争に反対し、ドイツがフランスに侵略した時には、ドイツの労働者にドイツの戦争に反対するように行動するように訴えた。そして国際労働者協会のフランスとドイツの労働者たちはそのとおりに行動した。これが、労働者の国際主義の手本である。中国の労働者は、自国政府のチベット侵略に反対してチベットへの連帯行動に立つべきなのである。ナショナリストは、自国への他国からの侵略には反対するが、自国が他国を侵略するのには反対しない。中国共産党は、ナショナリストに転落した。世界の心ある労働者は、中国政府のこの侵略行為に怒っているだろう。共産党の看板をこれ以上汚すのを止め、中国愛国党とでも名前を代えて実態と名前が合うようにしてもらいたいものだ。

 しかし保守系論壇はひどい有様だ。チベット人のことなどどうでもよくて、とにかく、中国批判の材料ができたと喜んで批判を書き連ねたものやら、台湾併合の先触れだとして、チベットの運命よりも台湾の運命に強い関心を示すもの(櫻井よし子)など、とにかく、利用主義まるだしで、なんとも醜悪である。

|

« 小林よしのりの大江裁判論批判 | トップページ | ウォーラーステインの世界システム論によせて »

「雑文」カテゴリの記事

コメント

ダライ・ラマというのは清の皇帝が命名した無数のチベット宗教の中、大きな4つの派閥の一つ、黄教のトップ僧侶の位です。「チベットの最高宗教・・・」云々というこそ、他の流派と宗教の弾圧です。ちなみに教義が一番残酷な宗教で、オームの手本、ポアという言葉の元で、ダライ・ラマの一番弟子は松本教祖という事実、決して忘れてはなりません。

投稿: 暴力宗教反対 | 2008年4月16日 (水) 14時45分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 小林よしのりの大江裁判論批判 | トップページ | ウォーラーステインの世界システム論によせて »