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今村氏『交易する人間』を読む3

 今村氏は、人が他者に与えるとき、①連帯の関係、②優位関係の二つの関係が生まれるという。

 そして、負い目(恩恵、負債)の感情は、「相互行為においての贈与行為は、優位と負い目という二つの感情の交易」の一方だという。そこで、贈与者の「気前のよい」行為は、没利害の外観を装う力関係を表す。

 贈与タームは、「供与」―「物またはサーヴィスを提供する契約」であり、「全体的供与」は、法的・宗教的・神話的・シャーマニズム的・美的=感情的・社会の形を表すものだという。

 そして、氏は、贈与の三つの要素をあげる。

 1、人格的関係が決定的な役割をする。ここで言う「人格的」とは、人と人の個人的関係のことではない。人間だけでなく、神々、精霊、先祖の霊、事物なども人格をもつような意味で「人格的」である。神話的な擬人法的解釈が関与しているが、この神話的想像的解釈は、彼らの社会関係についての理解であり、これも社会構造と相互行為には欠かせない。

 2、個人も集団も没利害的に行動することに強烈な関心をもち、そこに社会的利害を見出す。第三者にとっては、その行動はけっして無私的行動ではないのだが、当事者は無私的に行動すると信じている。

 3、有徳の理想の第二の要素と関連することだが、無私的行動は、自己贈与であり、自己犠牲である。何かによって、生まれたときから、与えることが義務であるという道徳的理想がすりこまれている。これが存在論的負い目感情から由来することはすでに見た。

 今村氏が贈与を存在論次元でとらえていることが、ここの「存在論的負い目感情」という表現でも示されている。

 存在的次元に「聖なるもの」を取り入れている今村氏は、「社会関係は「聖なるもの」との相互行為なしには動かない。アルカイックな社会ばかりではなく、どの社会もそうであり、もちろん現代社会でもそうなのである。昔は「聖なるもの」は神々または神的な領分であったが、現代では貨幣と資本がその代理をしているにすぎないし、国家もまた「聖なる祖国」という形式を必ずとる。だから「聖なるもの」と人間の関係は、社会関係(制度と構造)の形成にとって不可欠な契機ないし原動力である」(144頁)と述べる。

 このような認識を氏は、人間の原事実、経験的事実としている。人間は、「「人間でないもの」の存在を想像するべくできている」(同)というのである。

 氏は、贈与行為には、①神々、自然、精霊への贈与と②人の人に対する贈与の二つがあるという。

 次に氏は、モースとレヴィ・ストロースの論争を取り上げる。

 「レヴィ・ストロースは、事物や人間(婚姻における女性)の移転を相互性レシプロシテイ(reciprocity)と呼ぶ。相互性は定義によって交換エクスチェンジと同じである。この定義は明らかに広義の「もの」の場所的移動・移転に着目している。
 そして、レヴィ・ストロースはこの相互性を「無意識的」であると言うのだから、現実の人間の現実の意識作用とその内容はかっこに入れる、あるいは削除することにひとしい」(157頁)。

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