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「ルールある資本主義」?

 5月17日のテレビ朝日系「サンデープロジェクト」の一コーナーは、日本共産党志井委員長へのインタビューであった。

 田原氏は、これまでと違っていた。これまでの発言から推測すると、田原氏は、1990年代までにソ連が崩壊した後、オルタナティブのない世界において、政治的軍事的経済的に唯一の超大国となったアメリカについていくしかないと考えていたようである。それが、サブプライム・ローン破綻による経済危機に見舞われたことを、市場主義(じつは金融資本主義)という資本主義の最先端でのその破綻と見るようになったようである。

 アメリカに追随してきた日本の一人あたりGDPは世界2位から大きく落ちてしまった。それに対して、北欧の福祉国家が軒並み日本よりも順位が上にある。

 『朝日新聞』は、この日、マルクスの『資本論』が売れていることについての記事を載せたという。

 志井委員長は、日本の資本主義は「ルールなき資本主義」であると述べた。それは、日本共産党の二段階革命論に基づくものである。

 先週の同番組で、不破前委員長は、資本主義の枠内で、まだまだやれる余地があると述べている。

これは、「ルールある資本主義」、すなわち、資本主義の民主化がなお可能であり、それが根本的な限界に達してから社会主義に移行する社会主義革命を実現するということだ。

志井委員長は、北欧をはじめとする西欧の福祉国家の資本主義を「ルールある資本主義」と呼び、アメリカ資本主義を「ルールなき資本主義」と呼んでいる。

田原氏は、ケインズ主義のことを持ち出した。田原氏にとって、「ルールある資本主義」は、ケインズ主義を指すようだ。90年代に、日本で、「大きい政府か小さい政府か」という二者択一が人々に突きつけられたことを多くの人は覚えているだろう。小泉政権は、「小さい政府」論にたって、構造改革を推し進めた。その結果どうなったかは今や誰の目にもあきらかである。それを示す数字のひとつが上の一人あたりGDPの大幅下落である。小泉―竹中コンビは、あれほど、構造改革し、一時の痛みに耐えれば、良くなると繰り返したではないか!

ケインズ主義と新自由主義との闘いは、長い歴史を持っている。70年代には、ケインズ主義はもうだめだと言われた。アメリカをはじめとして、先進資本主義諸国は、軒並みスタグフレーションに見舞われた。そして、イギリスには、サッチャー、アメリカにレーガンが登場する。いずれも、新自由主義の信奉者であった。サッチャーは、炭鉱労組などを弾圧し、レーガンは、航空労組を弾圧するなど労働運動を潰しにかかった。

日本では、1980年代の「臨調行革」路線によって、総評の中心であった官公労潰しのために、国鉄をはじめとする公企業の分割・民営化がはかられた。国労は総評の中心的組合であり、これを潰すことは、日本のブルジョアジーにとって、大きな課題であった。それは、それと平行して進められていた民間大手労組を中軸とする労戦統一の動きと絡んでいた。

政府・マスコミなどによるはげしい反国鉄キャンペーンが始まった。その中で、動労・真国労・全施労などが国鉄分割・民営化への協力に走る。国労は分裂していくが、それでも、最後まで大きな勢力を保った。しかし、分割・民営化の過程で、当局による徹底的な弾圧にあう。国鉄清算事業団に送り込まれ、そのまま事実上解雇された1047名は、JRへの採用を求めて、十数年に及ぶ闘いを行っている。

1989年にはベルリンの壁が崩壊、1991年にはソ連邦が解体するなどスターリニズム諸国は解体した。それは、新自由主義者をはじめとするブルジョアジーを元気にした。かくして、世界の単独の王者の地位に立ったブルジョアジーはわが世の春を謳歌した。

しかし、それもわずか20年ばかりの短い春にすぎなかった。

なぜなら、それは、世界的な貧困を解決できず、戦争と一握りの金持ちとエリートによる富の独占に帰したからである。彼らの自由と民主主義は欺瞞にすぎなかった。アメリカの大統領になるには、膨大な選挙資金が必要で、議会の政策に影響をもとうと思えば、豊富な資金を使えるロビー団体が必要である。そんな金も力もない貧困者がどうなるかは、ハリケーンに襲われて大きな被害を出した時の黒人貧困層の実際を見れば明らかである。

そして、イラク戦争は、出口のない終わりなき戦争の様相を呈している。まるで、「満蒙は生命線」として、泥沼の日中戦争にはまり込んでいったかつての大日本帝国のようだ。そんな昔のことではなく、アメリカは、ベトナム戦争で泥沼にはまり込んだことがある。「孫子の兵法」によると、兵法の極意は闘わないで勝つことだという。アメリカのブッシュ政権は、短期でフセイン政権を倒した後のイラク統治策を対日占領策を成功モデルとして構想していたという。大日本帝国の戦争につぐ戦争で人々は疲弊しきっており、しかも占領軍は、官僚機構をそのまま利用した。しかも、占領政策をうまく運ぶために、天皇制を残した。

それに対して、イラク統治では、国家機構を動かしていたスンニ派を排除した。国家統治の経験のないシーア派が政権を握った。もちろん、実際にイラクを統治したのは占領軍でありアメリカである。スンニ派を中心とするレジスタンスが起きた。シーア派内の争いも起きた。それに対して、ブッシュ政権は、大量増派による軍事力強化、すなわち、棍棒による治安維持、つまりは見せかけだけの「平和」の強制に踏み切った。イラク情勢は新たな段階に入った。イラク人の自由は占領体制と真っ向から対立している。

そして、サブプライム・ローンの破綻に発したアメリカの金融危機は、貧困層をほぼ詐欺といっていいやり方で破産に追い込むという不正な商売が公然と行われたことを示した。すでに日本では、ITバブルの成功者たちの末路を見ているから、こういう信用詐欺・金融操作による一角千金を狙うやり口をある程度知っている。

それに対して、志井委員長は、マルクスの『資本論』第三巻の利子生み資本の運動について書かれた中の信用と投機の関係について書かれた部分をパネルにして読み上げた。そして、投機と投資は違うし、投機にも穀物先物取引のようにリスクヘッジのために必要なものと生産と関係のない投機があるとして、悪い投資ではなく良い投資をのばすための「ルールある資本主義」を作るべきだというようなことを述べた。しかし、マネーはグローバルに世界中を飛び回っている。それをどうやって規制するのかと田原氏が尋ねた。志井氏は、国際協調が必要だと答えた。また、志位氏は、環境問題は「ルールなき資本主義」では解決しないと言った。しかし、それは、「ルールある資本主義」なら解決するのだろうか?

例えば、ドイツは原発を持っていないが、原発大国のフランスから電気を買っている。その電気なしには、クリーンな路面電車は走れない。地球温暖化対策の排出権取引というのも、新手の商売のような気がする。この取引では、今の国際的な物価高で利益を増やしている商社が活躍するそうである。卸売商業は信用を利用して投機に深くかかわっている業種である。

志位氏は、実物の取引としての先物取引は良いがそうではない先物取引は良くないという。こんな程度の認識でいいのか? こんな言い方をしたら、レーニンなら、これは弁証法的ではないと批判するだろう。新自由主義者の教祖の一人ハイエクは、市場は自生的秩序・ルールを作ると言った。新自由主義者たちは、自由市場の「神の見えざる手」による自然発生的なルールの形成を主張したアダム・スミスの徒でもある。かれらにしても「ルールある資本主義者」なのである。違いは、政府などの見える手によってルールを作るかどうかということである。市場原理主義者は、ほとんどのことを市場―交換タームで理解し語る。そこには弁証法はない。市場―交換には、反市場―交換の契機が含まれている。それは労働である。労働は交換されない。交換されるのは労働力である。それにもかかわらず、資本主義はあたかも労働が交換されるかのような外観を呈している。実物取引・交換は良いが純金融的な先物取引は悪だというような区別には根拠がないことは、氏が引用した『資本論』第3巻「利子生み資本」のはじめの方で、マルクスが、資本の商品化について論じ、利子生み資本の定式G-G'において到達した資本の無概念的外観に無反省にとらわれているだけのことだ。利子生み資本の定式G-G'において資本はただ自己増殖する貨幣である。あるいは貨幣はただ商品価値の独立したものであるから、資本が商品となっているこの段階なら、竹中平蔵のように、「資本主義経済の基本は、商品を安く買って高く売ることだ」と言ってもよい。

商品先物取引は江戸時代の大阪の堂島の米の先物取引がもっと古いものだと言うものもいる。ほんとかどうかはわからないが、江戸時代の日本で米の先物取引が行われていたのは確かである。江戸時代には商品・貨幣経済が広まってきて大名は年貢米を大阪で売って金に替えていたのである。年貢米を担保に大名相手に金貸しをする大名貸しもあった。大名は金が欲しいのであって、米が欲しいのではない。都市の発展は、米の消費者を大いに増やした。米は商品化し、米相場が形成されるようになる。

ケインズは、投機を退治し、投資をコントロールしようとしたが、現実には、できなかった。そして、80年代のアメリカでは、「ケインズは死んだ」とまで言われるようになったのである。ところが、今では、ケインズを飛び越えてマルクスが蘇ってきたというのだから、時代が変わった。すでに、先進資本主義国では、次の新しい社会に移るための物質的条件は揃っている。それでもまだ「ルールある資本主義」の枠内にとどまっていてよいのだろうか?

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